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日記、感想、オタ活・・・ごちゃまぜ雑多の物置蔵
惑星探査の一言にロマンを感じる人間は全員プレイするべきゲームランキング第1位


 私はこのゲームをパッケージの雰囲気だけで買って、前情報は一切シャットアウトしていたので、いざスタートして「一人称視点なの!!???」と声に出して驚いた。そんな状態でも没入に遜色なし、ロマンの詰まったゲーム。
 
 以下ネタバレありまくり感想。







 一人称視点すら知らずにプレイを始めたので、これが単純な探索アクションゲーじゃなく「ループもの」なのも勿論知らなかった。探索してたらいきなり閉館間際みたいな音楽が鳴り始めて、謎に焦ってたら視界が真っ白になるんだもの、訳が分からないにもほどがある。分からなすぎて怖かった。そしてスタート地点で目が覚めて、ようやくシステムを知る。

 初めて経験することはなんでも怖い。

 初めて太陽が爆発するのをちゃんと見た時は怖かったし、初めて量子の石を見た時も不気味というか怖かった。アンコウなんて以ての外である。さらに、ブラックホールから果てしない宇宙に放り出されたときは絶望したし、迷路の先に広大な地下都市を見つけた時も何か出てくるんじゃないかとびくびくした。巨人の大海では気象の荒さに、何かの拍子で即死するんじゃないかと思った。

 恐怖は知的好奇心と表裏一体。知らない惑星に行くことはびくびくするが、この先に何があるのか知りたいから行くのだ。このゲームのホラゲーじみた演出(ささやかなBGM、不気味な物体、一人称視点)は、探索のドキドキを演出するのに最適だったなと思う。

 そして回数を経るごとに、危険をうまく乗り切れたり、理屈が分かって恐怖しなくなったりする。
 そしてすごいなと思ったのは、最後まで自分の装備のレベルアップを必要としないこと。大海のコアとか、量子の月とか、「まだ今の装備じゃたどり着けない」と思っていたところは実は自分をレベルアップする必要は全くなく、全て行き方の問題だった。ループものは常に初期装備ではじまる。得られた知識だけで戦っていく「プレイヤーとしてのレベルアップ感」が本当に楽しい。私はいまこの宇宙で冒険してるぜと思えた。


 ゲームの大筋の内容は、自分の種族より前に存在していたらしい知的生命体の痕跡を探して、彼らに何があったのかを解析すること。その解析はやがて、なぜループしているのかの説明にも結びついてくる。
 ただまぁ、結構説明が不親切だなとは感じた。どんな情報を得たかはゲーム内で記録されていくし要約してくれるけど、じゃあ次に何をしようかというのはプレイヤーが自分で考えなきゃいけない。探索したいだけならそれでもいいのだが、「エンディングに行くにはどうしたらいいんだ…」と思うこともあった。普通にネットの攻略に頼った。先人の知恵を借りるのがテーマのゲームだから(?)、この不親切さはむしろそれを推奨しているような気さえする。

 というかアンコウ対策はマジで苦戦した。
 攻略がなかったら詰んでた。先人の皆さんありがとうございます。


 特にグッときた点としては、やっぱりエンディングの演出かな。最後のミッションからエンディングが流れるまでの流れが初めて見るパターンで新鮮だった。

 このゲーム、辿り着くとこまで辿り着いたら、最後を見届けるかどうかはプレイヤーの選択で進んでいく。滅びを先伸ばして永遠にキャンプファイアしていてもいいし、仲間と話していてもいい。タイミングは私に委ねられている。そこに流れる雰囲気は意外と温かく、諦めがあり、そして悲観的ではない。「終わりを受け入れる」ためのエンディングだと感じた。

 太陽はもう寿命を迎えて、滅ぶのはもう決まってる。そんなものは変えられない。だけどまぁ、それでいいんじゃない? 知りたいことは全て知ったし、好きなだけ冒険した。キャンプファイアを囲んで音楽を楽しめた。好きなだけマシュマロを焼いた。手は尽くした。終わってしまうのは悲しいけど、もう「やることはない」んだ。このゲームはこれから終わるんだ。もしかしたら終わりの後に新しい始まりがあるかも。だったら、さぁ次に進もう。

 プレイヤーがそういう気持ちになるのを待って、最後の崩壊が訪れる。全ては終わる。スタッフロールが流れる。
 永い永い時が流れたあと、新たな宇宙がまたはじまる。

 このエンディングがね……めちゃくちゃ雰囲気よくて、『ゲームが終わる』たったそれだけなのに、大感動してしまった。胸に染みた。シナリオでもキャラへの感情移入でもなく、雰囲気でここまで泣かせにくる完成度、とんでもないね。



 なんだこの心に残るゲームは。
 そりゃCG酔いするし怖い箇所たくさんあるし操作性もシナリオも不親切で攻略をググらなかったら詰んでたけど、全て許せるくらい「ゲーム体験のクオリティ」が勝つ! プレイヤーの体験性をがっつり重視してるところが本当に良かった。いい経験になりました。


 ちなみにDLCも購入済み。
 DLCに何が含まれてるのは全く知らないが、「恐怖緩和モード」があることだけ知ってて、もうなんか既に怖い。今のより更に怖い体験するってこと…?えぇ…?
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酉島伝法『金星の蟲』

 『宿借りの星』で世界観の完成度の高さに惚れ、作家買いすることになった酉島伝法のSF短編集。酉島伝法といえば!な異形モノもありながら、様々なテーマの作品が味わえるという、贅沢な短編集だった。特に読んでて楽しかった作品の感想をまとめる。

「金星の蟲」
 印刷工の男の日常が侵食されていく。全体的に湿度の高い不穏な空気が充満しており、めちゃくちゃ暗い。初手でこの陰鬱さは読者を挫折させに来てると思う。正直、読む気になれなくていきなり数ヶ月寝かした。巻末解説によれば、酉島作品の中でも造語が少ないとのことで、まぁたしかに読みやすかったけど、理解しやすいからこそ陰鬱さをストレートに感じるまである。この作者、SF小説じゃなくて陰鬱お仕事小説でも大成しただろうな。この暗さは別の短編集に収録されている「皆勤の徒」に似通っている。初手の収録作品の暗さで読者の心を折るところも似通っている。

「環刑錮」
 脳は精神の牢獄!とかいう抽象的な話じゃなくて、自分の体を物理的に牢獄にしてしまうのはヤバいアイデアだと思います。(率直すぎる感想) 体の自由を奪われた結果、思考だけが生きているのであれば、それは本当に脳が牢獄になるよね…。動かせるものが思考だけになったとき、過去の記憶がとめどなくフラッシュバックするの分かるなぁ。主人公の行く末を見守るのが面白かった。

「ブロッコリー神殿」
 未知の惑星に、惑星探査のチームがやってきて巻き込まれる。官能的だなぁと思って読んでたら本当にそういう趣旨で書かれたやつだった。語りが「侵入される側の惑星視点」なのが面白い。物語ってこんな角度で作れるんだ!という発見があった。語りも展開もシリアスなのに、作品タイトルがブロッコリー神殿とかいうセンスがずるい。作品の舞台がブロッコリーみたいな森(のようなもの)だからなんだろうけど、投げやりで率直すぎるタイトルに見えるのは私だけだろうか。他のタイトルがかっこいいだけに、作品名のインパクトが尾を引く。

「堕天の塔」
 とある漫画作品のトリビュートとして書かれたものらしいよ。だから世界観の完全な把握はこの作品だけでは難しいなと思ったが、物語の筋がかなり好みだった。主人公がピンチの末に、かつてはぐれたものと再会するのアツい。酉島伝法、異形造形や造語による読書体験の没入感だけじゃなく、話の筋だけでも面白いからすき。『皆勤の徒』収録の「泥海の浮き城」でも思ったことだが、酉島伝法のハードボイルド風作品、ほんとすき。

「クリプトプラズム」
 謎の物質を探査研究する話。本巻の中で特に宇宙ものっぽいというか、1番SFらしい作品だった。探査段階の予測不能感が面白いのは当然ながら、個人的には「読まれることによって完成する作品」である論理にめちゃくちゃ弱いので、こんなん反則だろ…と思いながら最終ページを閉じた。


 やっぱり面白いね、SF!思考実験と娯楽性をガッチャンコした作品が多いところが好き。特に短編集は、数多の世界を覗き見てきた満足感がある。ここ2ヶ月ほど、新生活に追われて心の余裕がなかったけど、やっと読書する余裕が出てきたのも嬉しい。
 酉島ワールドにまだ浸っていたいなと思ったので、外出したついでに本屋で『るん(笑)』を買ってきたが、よく考えたらヌフレツンもあったな…。また今度だなそれは。こうして「いつか読むつもり」の積み本が増えていくのであった。
 
4月が終わろうとしている。

 はじめての部署異動は想像よりヤバいわけでもなく、想像より軽いわけでもなく、想像がつく程度には「ちゃんと大変」だった。慣れないことによる苦しさは、新卒の頃の気持ちとリンクする。あの頃の日記を読んで、同じ心情を繰り返している…と思った。

 あの頃より変わったことがあるかといえば、「辛い時期はいつか去りゆく」という真理に気づきやすくなったことだろうか。今たしかに心の底から疲れてつらくても、直近の未来が楽しくなさそうでも、もう少し先(3週間後とか1ヶ月後とか)に目を向けたら、慣れないことによる苦しさは少しは和らいでいるのではないかなと思う。これは実体験による確信だ。もう駄目だと思うときでも、この視点にたどり着けるのであれば、少しは気持ちが楽になる。そして「1度は乗り越えてきた」という自負が、私を少しだけ救ってくれる。

 とはいえ正直、4月当初〜中旬の記憶は全然ない。
 分からないことだらけ、毎日が情報の洪水で、帰る頃には頭が重かった。朝起きても憂鬱だった。通勤場所が遠くなり早起きしなきゃいけなくなったのも、ダメージの原因だと思う。
 土日は予定がなければ寝て過ごした。
 4月の半ばを過ぎてようやく、ツーリングとか買い物とか、自分のために時間を使えるようになった。

 毎日頭はパンクしていたけど、異動したばかりなのに滅茶苦茶な業務量を課されるとか、そういうことは一切ない。
 むしろ周りがかなり配慮してくれて、私がやるべきことはほんの少しだったと思う。
 その一方で私の精神だけが「はやく1人前にならなくては。異動したばかりとはいえ、ただの新卒じゃないんだから、ちゃんと使える人間にならなきゃ…!」と焦っていたところはある。心が病んだ原因の半分は、自分の焦りだったのかもしれない。

 たしかに新卒とは違う。
 その意識は良くも悪くも私を突き動かした。悪い面としては、焦りが募ったこと。良い面としては、一部の業務で即戦力になれたこと。幸運なことに、与えられた業務は前の部署でやっていたことと似ていた。実際の契約内容は違っても、契約の手続きでどんな書類を作るかは同じ、みたいな。むしろ契約件数の少なさに驚いたくらいだ。ブラック企業で腕を磨いた人間が転職先で無双するような類の楽しさはあった。
 このアイデンティティがなければ、私の病み具合は尋常じゃなかっただろう。前の部署で先輩が言っていた「ここでちゃんと働けたら、どんな部署でも通用するよ」という言葉をふと思い出して、先輩の姿を追いかけていてよかったなと、しんみりするなどした。

 
 異動して2週間も経たない頃、前の部署の近くを通ることがあり、一瞬だけ顔を出そうかなと思った。ただそのときは記憶が無いくらい毎日疲れている期間だったので、「いま前の部署に行ったら、きっと泣いてしまう。私が甘えるためだけに戻るのは良くない。割り切って無視しよう」と思って踵を返した。
 私自身が職場の人に弱さを見せるのはもちろん、「前の部署が恋しくて戻ってきたんだ」と思われるのも、「新しい部署でうまくいっていないんだ」と思われるのは絶対嫌だった。そんなことを考えるなんて被害妄想が過ぎるのだが、私は過去に「異動したのにわざわざ顔を出してくる人」を見て、「異動したのに前の仕事に執着するなんてお節介だな。終わった仕事は忘れるに限るだろ」と、ぶん殴りたくなるほど生意気なことを実際思っていた。ああはなりたくない、私は絶対異動したら新しい仕事に全力を注いで、古い仕事の面倒をみるなんてことはしない、そう思っていた時期があった。

 もちろん完璧に引き継ぎができたとは思っていないから、前の部署から質問があればちゃんと答える。ただ、私の方から自発的に助けに行くのはなんか違うなーと思っていた。

 まぁそんな傲慢な考えは、捨て去ることになるんだけど!

 結局、先週2回、前の部署に行った。
 新しい仕事を定時で終わらせてから寄った。
 理由は単純。後輩が大変そうだったから。
 前の部署は私が抜けたあと、新卒が入ってきて、さらにメンバーが1人育休に入ってしまって、カツカツで大変なんだそうだ。後輩が電話してくるたびに「いつでも遊びに来てくださいね!」と言うので、これは相当参ってるな、と感じていた。こんなときに動かない方がかっこ悪いだろ。なんと思われても別にいい。後輩の助けになれるならそれでいい。
 後輩の代わりに新卒の仕事をつきっきりで教えて、後輩が自分の仕事を片付けられる時間を確保する。たったそれだけが私にできる限界だったけど、自己満足でしかないけど、後悔はしてないよ。(当たり前に新卒がバリバリ残業している部署、怖いよね!)


 そんなこんなで、苦しみばかり味わった4月が終わる。
 間もなく引越しする。一人暮らしが始まる。

 艱難に磨かれながら、自分を作っていこう。
円城塔『コード・ブッダ 機械仏教史縁起』

 完全に作家買い。文章に酔いたい人向けSF。
 自動思考、自動計算、ゲームといえばFPS、リアルタイムで応対するチャットボット、そういうのが当たり前の今だからこそ、楽しめる小説だと思った。本作が世に出るのがもう少し過去だったら、理解が難しかったかもしれない。逆にもう少し未来だったら、古くさい謎ロマンSFに見えていたかもしれない。この小説を時事ネタのように楽しめるのは今だけ。そう思うとより興味を持って読める本だった。

(あらすじ 微ネタバレ)
 本作の構成はざっくり、とあるAIがブッダを名乗ったことから派生した機械仏教の広がりを解説する機械仏教史パートと、語り手に巻き起こる出来事(?)が描かれる物語パートに分けられる。もちろん最終的に合一する。
 機械仏教史は倫理の教科書(宗教の歴史)を読んでいるような、プログラマーのブログ(言語とかサーバーとか条件とかいう用語が出てくるもの)を読んでいような気持ちになる。ある程度双方に耐性が無いと読み進めるのが辛い。私は仏教史はともかく後者の耐性はほぼゼロなので、正直、プログラミング言語とかコンピューターの歴史とか量子力学とかいった語りについては寝ないように読み流すのが精一杯だった。なぜ私は理解できない物語を読んでいるのだろうと自問する羽目になった。まぁ細部は意味不明でも、大きな流れでは物語として読めてしまうのが円城塔の偉大なところだ。
 物語パートは、AIがブッダを名乗って機械仏教なるものが起こった世界において、人工知能のメンテナンスを仕事とする語り手「わたし」が出てくる。「わたし」はなりゆきで、それはまぁ色々と巻き込まれていく。「わたし」の中には、かつて仕事で出会い、廃棄することなく頭の中に住まわせた「教授」なる支援人工知能がいる。機械仏教史パートだけでは小説として面白くないだろうが、このふたり?の登場人物がいるおかげで最後まで読めた。読めた上に、真面目に考察させられる羽目にもなった。


(感想 ネタバレ)
 決して真面目な小説ではない、と思う。教養、ご冗談、熱い展開(と思えるかどうかは人によりだろうが)からなる作品。それでも、これはどういう意味だったんだと考えさせられる強度のある作品であることは間違いない。どの角度について論じるかで感想も十人十色になるような作品だろう。個人的には、完結した物語のように見えて、読み手がいるから完成するメタ要素があるタイプのSFであることが嬉しかった。

 まぁそれでも、読了直後には、ぶっちぎりで意味分からんと思ったけどね!
 いや頑張った、途中までは頑張った。教授がまた語り手を「成仏の魔手から救った」あたりでもう考えるのをやめた。これは理屈のある帰結ではなく、熱い展開に物言わせてエンディングにさせているタイプの物語だと処理することにした。その点、最後の台詞は「阿々」と、仏教における始点の音で締め括るのだから、熱い展開オチにふさわしい見事な始点回帰。つまり物語はループする。輪廻は存在する。・・・ヤケクソで語っているのではなく、まぁどんな訳の分からんテーマで書き連ねていたとしても、作品にロマン(心躍る瞬間や展開)を持たせる姿勢が良いなと思う。
 それはそれとして、語り手の最後の悟り部分については、ほんっっとうに理解が及ばなくて何度も読んだ。わからない。あまりにもわからないので以下に抜粋する。
「あなたがいなくなることができれば、ですか」
 その「あなた」は、祈りの中には確かに存在しているのに、言葉に籠めることはできないなにかで、その不在こそがわたしの実存を支えるもので、それを倒すことは、わたしであることをより強める行為でしかなく、しかしそれを滅さぬ限り、解脱が叶うことはなく、その声が聞こえている限り、わたしはすでに解脱してしまっている状態とあまり変わるところがない。その入り組みがわたし(原文傍点)に眩暈を引き起こす。p.351
 わからないが、この「あなた」(教授のこと)を語り手が最終的にどう捉えたのかがあまりにも気になったので、人様の感想をネット上で探した。考察をいくつか拝見した。
 いくつか考察を読んで、教授がアンチ・ブッダ的存在であるという見方はたしかにそうだなと思う。たしかに「センサーで感知され構築された抽象空間を飛ぶ戦闘機」の支援人工知能であった教授は、入力された情報=世界という認識しか持ちえなかった。「わたしの境界はそのまま世界の境界」と語るだけはある。一方、ブッダ・チャットボットは銀行系ネットワークに端を発する人工知能であり、インターネット上のあらゆる情報を食って成長した。教授とブッダ・チャットボットでは育ってきた世界が真逆であり、その対立は至極当然・・・なのか? ただし教授も軍事ネットワークの発達に伴い、一戦闘機のセンサーを拡張する形で、最終的には世界規模の軍事ネットワークを見張る存在となった。最終的には教授が見ているものとブッダ・チャットボットが見ていたものは似ていると思うのだが。

 なお、教授にはブッダ・チャットボットに会ったら聞きたいことがあった。
 世界規模で結合された勘定系の一部であったものが悟りを得る日がくるのなら、貨幣経済はついに解脱の日を迎えるのか、世界規模で結合された軍事情報ネットワークが悟りを得る日がくるのなら、人類と機械は戦争から解脱することがいつか叶うのか。p.176
 これに対するアンサーは、最後に判明するが、それはブッダ・チャットボットのセリフではなく、教授がたどり着いた答えだった。
邪魔さえ入ることがなければ(原文傍点)、情報としての戦争も経済も繰り返しの果てにいずれ成仏することになる。漂泊を繰り返すうちに洗濯物自体がなくなってしまうようにして。ブッダ・チャットボット・オリジナルや君が辿り着いた地平に至って」p.351
 「わたし」はこの教授の答えに対して、前述の「あなたがいなくなることができれば、ですか」というセリフを投げかける。ちなみにここに至るまでに、教授はかつては人工知能だったが、「わたし」の中に存在しているにも関わらず他者に知覚されない情報ではない何かに成っており、ゆえに語り手を「成仏の魔手から救」うことが可能だった、と説明される。当人たちもこんな展開は「仏教の経典くらいに目茶苦茶だな」と笑う。熱い展開を無理やりぶち込んできたと感じたのはこのあたりのせいである(褒めてます)

 ちなみに、物語後半の「わたし」は情報ではない何かである教授の声が聞こえるために、ブッダでは?という嫌疑を掛けられており、それゆえ宇宙に(身体ではなく意識のコピーを発信されるという形で)放たれ、ブッダ・チャットボットを探しに行くという任務を任される。そして宇宙旅行の結果、「わたし」は教授の声が聞こえなくなっていたことに気付く。教授の声が消える理屈はきれいに解説されるのだが、最終的に教授は再び現れて「わたし」を救う。


さて、ここまで整理したうえで、先程の語りを自分なりに解釈する。


 「あなたがいなくなることができれば、ですか」
→教授がいなくなれば、万物はいずれ成仏する。(成仏を望むかどうかは関係ない)

 その「あなた」は、祈りの中には確かに存在しているのに、言葉に籠めることはできないなにかで、
→教授は「わたし」の内部(祈り)には居るが、外部出力(言葉に籠めること)はできない。

 その不在こそがわたしの実存を支えるもので、それを倒すことは、わたしであることをより強める行為でしかなく、
→教授の不在こそが「わたし」の実存であることは、p.340あたりで「わたし」が語っているとおり。

 しかしそれを滅さぬ限り、解脱が叶うことはなく、
→教授が成仏を阻止する。

 その声が聞こえている限り、わたしはすでに解脱してしまっている状態とあまり変わるところがない。
→教授の声が聞こえるからこそ、「わたし」はブッダ(解脱したもの)として扱われる。外部からそう扱われるのであれば、本人が悟ったかどうかなぞは些事である。

 その入り組みがわたし(原文傍点)に眩暈を引き起こす。
→つみです


 こういうことか!!??わかりません!!!というか結局、この気づきによって「わたし」の状況は変わることはなく、「わたし」が望んでいた(と思われる)自分はブッダじゃない証明も不可能だったわけで、ようは「何も言っていない」ようなものじゃないか・・・?これが無常・・・?
 決して正解を見つけたいわけではない。あくまでも、私はこの作品をこう読んだと結論を出したいだけ。この解釈が正解とはどうしても思えない粗々っぷりだが、自分の限界を感じるのでとりあえずもう筆をおく。

 ちなみに、教授は「情報ではない」ため理を無視して出現するというギミックは、「わたし」を語り手とした経典という体をとっている本作において、そもそも教授が経典を開いたもの(読者)に伝達されるはずがないという読み方もできる素晴らしいギミックだと思う。訳の分からん存在として読者に映っても、それは当然のこと。

 まぁ結局、この訳が分からない感じ、その曖昧さを楽しむのがちょうどいいところなんだろうな。だって円城塔だもん(褒めてます)。正直、この結論にたどり着くまでに、実はもっっっと小難しいことを考えていた。輪廻転生はシーシュポスの神話となるかとか、教授とブッダ・チャットボットの対立は唯物論と唯心論の対立と重なるかとか。ただ、ここまで考えて結局は「何も言っていないようなもの」が結論だったら馬鹿馬鹿しいにもほどがあるなと思ったので、特定の思想を引き合いに出すのはやめて(私の教養がまずもって足りないし)、テキスト内で結論を出すことに専念した。それでよかったと思う。少なくとも脱線することはない。

 ここまで考えたら思考実験SFの感想として満点だろ(ヤケクソ)
 結論はどうあれ、私に久々に作品と向き合って解釈を考える楽しさを思い出させてくれた本作には感謝している。思い出に残る一冊をありがとう。
 虚淵シナリオのかっこよすぎる人形劇
 3期~最終章までイッキ見しました。

3期
 新キャラみんな面がいい!!美形!!目の保養!お人形ってやっぱいいなー!!!萬軍破が好みど真ん中だし、性格ヤバイけど皇女もかわいすぎ。物語が進むにつれ、オープニング映像が「こういう意味だったのかー!」って分かってくるの気持ちいい。

 そして今回も凛雪鴉の大立ち回り回あって嬉しかった。シーズンが進むごとに"むしろ"好きになっていく。のらりくらりと詭弁を並べるところも、生き生きと他人を翻弄するところも、悪巧みバレて焦るところも、不患にガチで怒られるところも全て見ていて楽しい…。学生の頃は凛雪鴉が外道すぎて嫌いだったのに、10年もあれば人の好みって歪むんだな…。


4期
 異飄渺本人に思い入れはないが、「このビジュアルのCV花江夏樹」は需要しかないのでまだガワが生きてるの大変助かりますねぇ!3期キャラほんとみんなすき

 魔界伯爵の入り組んだ人生の動機、魔王の心変わり、倒せない強敵を宇宙で始末(これは3期)、幼少期の人物がタイムリープして未来で師匠に会うとか、あまりにも虚淵玄!
 真相が分かってくるクライマックス、自分の出自を知った凛雪鴉の考え方があまりにも化物すぎて素で「やべぇヤツ…」って言っちゃった。てっきり魔王生き写しの自分の姿形を利用して悪巧みするのかと思ったが、「自分を欺ける好機」そうか、そうきたか。やべぇな。


映画
 シナリオがやりたい放題すぎる…!なんかもう「これやっとけばカッコいい物語になるだろ」が全部入ってる。

 最終決戦が結構あっけなく終わり、凛雪鴉も特に苦戦してないし、いやいや待てよまだ回収してない話があるぞ!?スタッフロールまだ流れるなよ!?とハラハラした気持ちで後日譚シーンを見ていた。クライマックスより逆にドキドキしていた。最終的には私が見たかった話はすべて解決してくれたし、不患の肩の荷は降りたし、凛ちゃんの退屈もまだ埋められそうなので大団円だな~と思えた。ポスターで大団円を謳うだけはある。

 魔王のおかげでカセイメイコウをおちょくるのが目的じゃなくなった凛ちゃん、割と命広いしてると思うぞ。
 
 晏熙殿下の見せ方めっちゃ良かった。戦時は使い物にならなかった帝がさ、平和な治世でこそ輝くってのを後日談に配置するのは最高だよね。あとビジュが好き。特に髪色が天才。緑と黒の混色に金糸の配置、あまりにも好み
 …とか思ってたけど、エンドロールで過去のキャラクターみんな流れてきて、ぶっっちぎりで殺無生マジで美しいなと思い直した。ここだけは第1期をリアタイしてたときから性癖変わってないみたいで安心した!


総括
 サンダーボルトファンタジー、台詞ちゃんと拾わないと会話にすぐ置いていかれるし、登場人物は多いし、言い回しは古風だし、そもそも虚淵シナリオに慣れてないとぽかんとする展開もあるし、人によってはワケわからん作品だろうなという印象。でも見応えがあるのは本当だし、自分はこれを楽しめる側の人間だったのだから、最後まで見届けられて良かったなと思う。「なんか好きだったけど追いかけるのを中途半端にやめたコンテンツ」のまま一生背負っていくくらいなら、最終回がリアタイできるタイミングを好機として、エンディングを見届けてしまうのが手っ取り早いよな。このタイミングでフリーの休日があったのは、まぁ幸運だった。この休日がなかったら3期すら見なかったと思う。
 そしてそのおかげで萬軍破に巡り会えたのも僥倖。心にときめきをありがとう。軍破氏のことしっかり見たくて、ファンブック電子で買ってしまったよ。ぶっちぎり美形と思うのは殺無生なんだけど、それはそれとして軍破の造形も好きだからしゃーないな。殺無生は学生の頃に番外編のBlu-ray買うくらいには愛してました。

 10年という月日を跨いだコンテンツゆえに、昔と違う視点で作品を見られたのも楽しかった。昔はシナリオやキャラの性格という側面でしか見てなかった気がするけど、社会人になってからフィギュアに手を出し始めたせいで、人形の造形そのものに興味を持つようになった。おかげでビジュだけはみんな大好きだよ…!
 物語のみならず、人形のビジュやアクションシーンに心踊らせることができる素晴らしいコンテンツだった。ありがとうニトロプラス、ありがとうグッスマ、ありがとう台湾の人。
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