忍者ブログ
日記、感想、オタ活・・・ごちゃまぜ雑多の物置蔵
帰宅して荷物を投げ捨て床に寝転んだとき、「あ、週末だ」と思った。
月曜日を休みにしていたというのもあるだろうが、やけに1週間を短く感じた。

働き始めた頃は1週間が長くて長くて仕方なかったんだけどな。
今は休暇をよく取っているから、短く感じるだけかも知れない。
とはいえ、やっぱり夏が過ぎるのは早い。


台風が近づいている影響か、頭上の重そうな雲はどんどん押し流され、空は晴れと曇りを繰り返した。夏らしい深く澄んだグラデーションの青空が美しいと思った。夏は光が強いから、どんな景色も色鮮やかにコントラストが上がる。毎日が新鮮で、光に満ちていて、充実している。

当たり前のように存在する充実感。
これがどれだけありがたいかは知っている。
きっとそのうちまた気分が落ち込んで、満たされた気持ちは消えてしまうに違いない。すべてが上手くいかない。そんな瞬間もあると知っているからこそ、景色を心から美しいと楽しめる時間が尊い。


私は相変わらずへっぽこなヒヨッコ新人だし、何をするにしても先輩から注意されなかったことはない。深く落ち込まなくなっただけで、自分のいたらなさを痛感することは日に何度もある。慣れだけが私の焦りを麻痺させ、追い詰める気持ちが消えて、努力しなきゃという義務感も消えていく。それが良いことなのかはわからないが、今の私のメンタルは正常だ。

社会人1年目も折り返しが近いかと思うと、落ち込んでいる暇はないなと思う。
来年はもう新人じゃないのだ。今教えてくれる先輩はきっと異動して、来年にはいない。
それなのに私は先輩に聞いてばかりで、いつか聞くのをはばかられる状況が来てしまうのではないかと思うとぞっとする。最後の最後までたくさん質問させてほしいけど、上司が望んでいるのはどんどん自立することだから。今のところ、同じ質問を繰り返したことはないと思っているが、そういう問題ではないんだろうな。
・・・大丈夫かな。いきなり自己肯定感ゆらいできたぞ。


この週末はひとつ仕事がある。
今まで先輩としかやってこなかった仕事を、はじめての一人仕事。
しっかりしてるってところを見せてやる。
私が成功させるんだ。

秒で過ぎさるこの世界で、私も殻を破り続けたい。
いつまでも自分が変わらないのは、さぞ退屈だろうから。


今日の曲
サイバーかわいくないガール / 初音ミク
PR
仕事で失敗した。
やらかした。
そして怒られた。

怒られて「えぇ…(困惑)」という気持ちもあり、「ごめんなさい」という気持ちもあり、でも口には上手く出せなくて、先輩に相談するなんて以ての外。(業務自体は滞りなく進んでいるので、業務上の報告とは別問題です)
まぁ、本当は相談した方がいいのは分かっている。先輩もきっと真剣に聞いてくれるだろう。でも口を開いて気持ちを吐露しようとしたらそのまま泣いてしまいそうな気がするから、壁打ち万歳でとりあえずここに書く。思い詰めるのも嫌なくせに、抱え込むことは得意で、その癖吐き出せないとか…参ってしまうな。

怒られたことが辛かったのは直後だけ。
あとは、「仕事は神経すり減らして体当たりするしかない。基本的に辛くて毎日家で泣いてしまうようなものだ」という4月の記憶をすっかり忘れて、油断していたことがなんか情けなくて悲しくなった。自分は辛い新学期を抜けてきたと思っていたけど、何も身についていないじゃないか。気が抜けているんじゃないか。呑気に日々を過ごしている場合か。

もう自分が首を絞めているのか、仕事が単に辛いだけなのか分からない。仕事は辛くはない、と思う。でも首を絞めないと私は意識変わらないから。落ち込んで怯えることでミスが減るなら、今はそれを正解と呼びたい。


 身体的に落ち込みやすい時期とはいえ、今日のは久々にヤケクソレベルが高い。
 真ん中分けの髪型に憧れて4月からのばしていた前髪を切ってやった。
 18時でも太陽が煌々と照っている日の長さへの感謝も忘れてしまった。

 社会人2日目にして22時退勤をかましていた4月から2カ月たち、情報を脳で処理するだけで目が回っていた私も少しは仕事に慣れてきた。理由もなく「大人怖い!人間怖い!社会怖い!」と思うこともなくなったし、連日残業で「定時で帰れないのは自分が無能だからだ…」と思い詰めることもなくなった。

 では何が問題なのか。
 定時で帰れてしまうことである。

 残業だらけで心も体も荒んでいた4月の私が聞いたら殴られそうな悩みだが、今の私は真剣に悩んでいる。そもそも4月は年度初めであり、手続きや申請で仕事が立て込んで忙しいのは当たり前(なのだと後から知った)。だから別に4月に残業ばっかりしてたのも当然と言えば当然。では年度初め仕事の波が過ぎ去ったらどうなるか。仕事量が単純に減る。
 かつ、緊急事態宣言の影響で6月に予定していたイベントがいくつか中止になり、それに付随する準備や手続き等の仕事も消滅。
 結果、「何をしたらいいか分からない」状態になった。

 これが1日や2日のことならまぁ「今日は暇でラッキー」くらいの気持ちでいられるんだろうが、6月に入ってからほぼ毎日こんな気持ちで過ごしている。4月から5月にかけて、「あれもやらなきゃこれもやらなきゃ」と目の前のタスクが山積みの状態が通常だった私、いきなり道しるべのない砂漠に放り出された気分である。

 昔、親戚の手伝いのバイトをしていたときに「やることないっていうときは、自分で仕事を見つけるのよ」と厳しく(?)言われたことがあり、なんとなくそれがトラウマで、容易に他人に「やることないときって何したらいいんですかね」と聞けなくなった。というか先輩も上司もみんな忙しそうなのに、こんな能天気な相談ができるわけがない。口に出せないけど本当に悩んではいる、その悪循環で、どんどんネガティブな気持ちが増大している気がする。

 まぁでもね、なんだかんだ言って連日過去の資料や引き継ぎ書を漁っては作業や仕事を探し、今進められることを考えて取り組んでいる。やることがないからといって、仕事が無いわけじゃない。私が管理できていない仕事が実は隠れているだけかもしれないから、仕事を探す。タスクを片付けるだけより頭を使うので結構大変。先の予定のさらに先を見据えて考えているせいで、今日がまだ6月14日であることに気がついて呆然としたりする。
 つまりやることがない問題は、まぁ探せば何とかなるので深刻なことではない。


 それでも気分が晴れないのはやっぱり、定時で帰れてしまうことが原因。
 そしてオフィスの先輩も上司も基本的に必ず残業しているのが特に心を締め付ける。
 
 毎日、毎日だよ、ほぼみんな当たり前のように残業してるのに定時で帰る新人、気まずくないわけがなくない????
 なんで定時で帰ってるのにコッチが胃を痛めなきゃなんないんだよと思うくらいおかしい。
 残業するより定時で帰る奴のがエライのは知ってる、知ってるけどさ。
 光景が気持ち悪すぎて、「帰れてしまう自分が異常なのでは?」と割と本気で思う。
 
 そしてまぁ、「自分は課の役に立っていない」というネガティブ結論にたどり着く。
 決められた仕事をしている以上、役に立っていないことはないんだろうけど、それでも「定時で帰れるのは新人で業務量が少ないだけ」「ただでさえ先輩に時間使って教えてもらわないと何もできない」とかなんとか落ち込む方法にかけては一流なので、思い詰める方法には困らない。
 でもまぁ、冷静に考えたら悩んだところで「どーしようもない」んだけど。
 仕事が分からないからといって明日いきなり分かるようになる方法はないし、知らないことは聞くしかないし、結局経験を積むしかなかったりする。なるようになる、と思うしかない。本気でどうにか成長したいなら資料を読み込んでビジネス書を読んで勉強するのがベストだろうけど、そこまで頑張るくらいなら私はまず悩むのを止める(ちょっとは頑張れよ)。

 こうして書き出してみて、「みんなが残業してるなか定時で帰るのが苦痛」っていうのが今一番私を苦しませている悩みなんだなと分かった。あとの問題は気の持ちようだ。


 もちろん定時で帰れるのは嬉しい。自分の時間があるのはとてもいいことだから。
 ただ環境が自分を疑わせる。人の波に抗って自分のスタイルを貫くのは、なかなか厳しい。
 まぁ残っててもやることないので帰るしかないんですけどね!
 もう一度言う、なんで定時で帰ってるのにコッチが胃を痛めなきゃなんないんだよ!


最後に最近のお気に入りボカロを貼っておきます。
まぁまぁ勝手に救われていけって感じがとても好き。
へんじんおんがく/初音ミク

バイクで初夏の山道巡るの楽しいなって話。

 うん、楽しかった!
 信号もなく交通量も少ない田舎道。エンストや事故にだけ注意してのんびり行く。先に行きたい車やバイクは勝手に抜いてくれるし(※ゆっくり走る場合はちゃんと左端を走り、積極的に抜いてほしい場合はウインカーやハンドサインを出しましょう)、誰かの速度に合わせる必要が無い。そして頭上には夏の青空、周囲には生い茂る緑。気持ちいいの極み!

 昨日もバイクでちょっと走ったんですが、迷子防止のために交通量の多い大きな道路ばかり走りまして、なんか、あんまり楽しくなかったんですよね。
 車に囲まれると自分が異質で浮いてる感じがするし、信号による停止が多いし、公道マナー(?)も分からないのでバイカーとすれ違っても気まずそうに視線を逸らすしかない。挙句の果てに公道のど真ん中でエンストぶちかましまして、恥ずかしいわ情けないわ後続車に迷惑かけたで酷いトラウマになりました……。普通に走ることも楽しめないし、失敗をしてしまったショックが大きくて、「私バイク向いてないのかな…」と完全に自信喪失していたわけです。

 それでも今日はせっかくの梅雨の貴重な晴れ間だしと外に出てみて、徹頭徹尾交通量の少ない田舎道を選択して走ってみたところ、めちゃくちゃに楽しかったんです。
 私がやりたかったことコレなんだよなー!と思いました。

 山道からの田園地帯。疲れたら適当な路肩に停止してちょっと一息ついて(※迷惑のかからない場所を選びましょう)、また走り出す。田舎は人の目がないって言うのが最高ですね。結局私が走りたいのは観光地でもなんでもなく、過疎った世界なんだよなぁ…。昨日走ってるときは居心地の悪さしか感じなかったけど、今日走ってるときは不思議な安心感が胸を満たしていました。山ってすげぇ(???)
 というかそんなに社会から離れたかったんだな私…。

 もっと遠出が許される社会になったら、今日の道をもっと進んで遠くに行ってみたいと思いました。バイクを買って良かったと心から思ったのは、実は初めてかもしれない。というよりバイクに乗る自分を愛せたのが初めてって感じかな。今までは「似合わないのに」という卑屈な気持ちが少なからずあったので。そんなことない、私は私が望んだことをしているし、楽しめる可能性はまだまだある。ちゃんとプラスだよ。

 週末のいい思い出になって良かったです。
 おやすみ。

 最終回の視聴から一夜明けて、ちょっとは冷静にアニメについて考えられるようになったので考えてみました。

 ネトフリのCastlevaniaはたしかに素晴らしい、素晴らしいんだけど、やっぱりどこか物足りないとこはある。もちろん創意工夫は見られるし迫力もあるし物語も厚みがある。それでも物足りないと思うのは、ベルモンドの掘り下げが全然ないからじゃないかな。

 基本的にアルカードしか眼中になかった人間が言うのもなんですが、忌み嫌われし血族の名誉を回復させた英雄としてのラルフ・ベルモンド(トレバー・ベルモンド)っていう設定がめちゃくちゃ好きなんすよね。この設定自体どこから出てきたのか知らないんですけどね。でもアニメのOP見る限りトレバーは訳ありっぽかったし、実際シーズン2ではベルモンドの屋敷が出てきてトレバーの悲しい過去が明らかになったりして興奮したんですが、まぁ詳しいことはわからずじまいだったなぁ、なんて。アルカードみたいに酷い目に遭ってる場面がもっと出てきてもよかったんじゃないかなとは思うよ。なんかイマイチ忌み嫌われてる感なかったからね。最終的にベルモンドの名前がいい意味で使われるようになるみたいなラストは結構好きでした。

 あと客観的にアニメを批判するとしたら…そうだな、中だるみがデカい。特にシーズン2の前半とシーズン3の中盤がダルすぎる。それがシーズン4で回収されていくので気持ちよさはあるんですが、そのために超えなきゃならない壁が大きいなと思う。
 でもシーズン追うごとに1話内の構成というか見せ方がどんどん成長している気がするので、今後も目が離せないというずるさがあります(褒めてます)。未だにシーズン4毎話バトルしてるの頭おかしいと思うもん。仮面ライダーかよ。ありがとうございます!

 でも段々と「悪魔城のアニメ化」というより「Castlevania」という一つの作品として個性が確立されて、今ではほとんど別物として感じてます。それでも新シーズンがきたら見ちゃうので、それはつまり「悪魔城のファン」だから見てるというよりは、ちゃんとアニメのファンとして見てるってことなんでしょうね。やっぱりアニメとして面白いのは認めなきゃな。なんだかんだ面白いんだよ。


 アニメでアルカードのマントが翼状になるのを見て、月下の2段ジャンプかっこよかったな〜と懐かしくなりました。主人公たちの2段ジャンプの中でも一番好きな飛び方なので、アニメで再現してくれて嬉しかったな。原作ゲームがやりたくなったので、懐かしのサントラを聞いて眠ろうと思います。曲を聴くと「やっぱりこの悪魔城が好きだな」って気持ちになりますね。
 おやすみなさい。
PREV ←  HOME  → NEXT
Copyright (C) 2025 日記厨の蔵 All Rights Reserved.
Photo by 戦場に猫 Template Design by kaie
忍者ブログ [PR]