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子供の頃から毎月全力で鬼ごっこに興じている男たちが、大人になっても全力鬼ごっこを続ける話。30年間1度も捕まったことのない仲間「ジェリー」を今年こそはタッチしようと、男たちがガチで作戦を立てる。
最強の鬼ごっこプレイヤー、ジェリーが華麗にタッチをかわすシーンでは急に映像のクオリティが上がるのが、露骨だけどとても気持ちいいw ジェリーはかっこいいしアクションもすごいし、そこまでやるか!っていう展開ばかりで飽きない。何より、いい歳した大人が友達と全力で遊んだり楽しんだりする場面がめちゃくちゃ好きなんすよね。そういう点でとっても面白い映画でした。
大人になっても全力で勝負を楽しめるっていいな。
歳を重ねると仕事や家庭、守るものというか優先すべきものが自然と増えてきて、思考も体力も時間も遊びに全力投球している場合じゃなくなるのが普通じゃないですか。でも彼らは「みんなで全力で遊ぶ」ことの大切さというか、尊さをよく分かっている。そしてお互いがその遊びを大切に思っていると信じて疑わない。こういうのが友情ってやつなのかな!いいな〜痺れちゃうな!!
傍から見ればバカバカしいことでも、自分の中にある子供らしさが大切だと確固たる信念を持って信じている。その強さが本当に眩しいと思いました。
一度、大人になっても遊ぶことを徹底的に否定されるシーンがあるんです。その時の主人公が「君は僕の中の子供を殺した」と言っていて、その後どう返されたのかは覚えてないけど、このセリフだけは妙に印象に残りました。
大人になっても全力で遊べる人は、心の中の子供を殺さずにいるだけなんだろうな。当たり前だけど。私も、何を楽しいと感じるかちゃんと理解している人間でいたいなと思ったんですよね。そして必要があればその心の中の子供をいつでも表層に引っ張り出せる人間でいたい。ラストシーンで鬼ごっこに興じる彼らは、とっても楽しそうだった。誰だって遊んだら笑顔になっちゃうもんな。遊びってすごいなぁ。
ん〜、鬼ごっこやりたくなってきましたね!?
先輩や上司に尋ねたことも山ほどあるけど、自分で考えて片付けることができた仕事もある。物の配置や最低限の業務の流れがやっと分かり、意味不明な情報の中にいた自分から、多少は物が分かるようになった自分に成長したのを感じた。息苦しさがだいぶ減ったどころか、悲しくなることもなかった。
要は社会人になって初めて「辛くない日」になった。
今日の天気は雨。朝からどんよりと暗い雲が垂れこめていた。
しかし空気は生暖かく、柔らかい春の雨を感じさせた。
そういえば二輪免許の教習に勤しんでいた日々でも、雨の日に初めて運転が上手くなったのを実感して嬉しかったことがある。青空の見えない日は憂鬱とばかり考えていたけど、もしかしたら雨の日だからこそ精神を平和にする作用があるんじゃないか。たとえば、何か心配事があるような状況下では、快晴より曇天の方がメンタルの状態と情景がリンクして冷静になれる、とか。日光の重要性はよーーく分かっているけど、めちゃくちゃ凹んでいる時にカラッと晴れた景色を見ても、自分の精神と乖離しすぎて疲れてしまう、とか。こじつけだけど。
なんにせよ、クールダウンにはありがたい雨だった。
最近活気のある出来事ばかりで辟易していたのかもね。雨の日の薄暗く落ち着いた雰囲気が、今日はとても癒しになった。
もうこの時間になると眠くて仕方ない。
初めての辛くない日、書き残せてよかった。まだまだ仕事は不慣れだし理解も及ばないけど、明日もなんとかやっていけそうだ。おやすみなさい。
終わらない仕事を前にしながら、前任者の人だったらもっとテキパキ要領よくやってたんだろうな…と思ってしまう。前任者の人も新卒で私と同じ仕事をしていたらしいから、尽く想像して比較してしまう。私は要領悪いし覚えも悪いし明るい性格でもないし、前任者の先輩に比べたら全て劣っているな…と思えて仕方ない。なんでこうして同じ仕事に就けたのか謎だ。
新人は分からなくて当たり前、先輩や上司になんでも聞いて成長しなさい……とは言うけどさ。
わからないから業務が進められなくて、一つ一つ聞いて確認して理解して進むしかなくて、終わらせようとしていた仕事が全然終わらない。それで残業。なんで残業なんかすることになったのかといえば、自分のノロさのせいとしか言えないわけだ。そりゃ自己嫌悪も湧き上がる。毎日毎日泣きそうにもなる。早く慣れたい、覚えたい、そのためには一つ一つこの書類の山を片付けていくしかないわけだけど。
新人なのに容赦ないなと思う度、そんな考えは甘えだと自分に言い聞かせる。甘えるな、これが社会人だろうと。特別扱いを望むのはまだまだ子供、学生気分が抜けてねーぞと。だってそうじゃなきゃやってられない。本当に。
まぁ、慣れるまではメンタルとの戦いだよね。
新しい環境は得てしてつらいものだ。生きてるだけで気力が減っていく。でも傍から見たらそれは息をするくらい当たり前のことで、別に褒められる話じゃない。そうは言ってもつらいものはつらいので、こうして連日愚痴を連ねている。いつか振り返ったときに、このつらい日々があって今があるんだとわかるように。
たくさん食べてたくさん寝て、明日も生きよう。
普段は別々で働いている同期が一堂に会し、座学を受ける。
昨日までは、研修の日は定時で帰れるし仕事もないし受け身だし楽だな〜と思っていたのだが、今日の帰りも泣いてしまった。運転しながらボロボロと涙が溢れた。
同期と上手くいっていないのが問題だ。
今日も友達が作れなかった。座席は最後尾だから周りの席の人と話して仲良くなることもなかったし、話しかけようにもみんな既に周囲と仲良くやってるように見えて、なんか自分だけ浮いてるなと強く思った。
なんか見たことあるなとずっと思っていた子が同じ高校出身だと気づいたのも今日。漏れ聞こえた会話から判明したのだが、だからなんだという感じ。高校時代に接点があったわけじゃない。声をかけるほどでもない。
その上その子はちょっとした憧れで、私の中ではとてもかっこいい人に位置づけられている。だからなのか「この子は真面目に研修を受けているのに自分は…」と勝手に劣等感が降り積もり、何の接点もないのに苦手意識が育っていった。多分会話したらこの意味不明な苦手意識も溶けるのだろうけど、しばらくは正直会いたくない。
面白そうな子だと思って、声をかけようとした子もいる。でもいざ近づくと、部署どころか勤務先もかけ離れてて接点もなく席が違いわけでも同じ趣味があるわけでもない自分がいきなり話しかけるなんて気持ち悪いもいいところだろう、と思い留まってしまった。このとき本当に自分の陰キャスイッチがONになっているなと自覚した。殻を破れないもどかしさと動かない体。俯いて資料を眺めるくらいしか時間を潰せる方法がなくて、とにかくはやく帰りたかった。
「同期を大切にしましょう」
「笑顔で話しかけていきましょう」
研修でそういう内容の話が出るからこそ、ぼっちで浮いているだけの状況がひたすらに苦しい。自分はコミュニケーション能力をどこに置いてきたのだろうか。少なくとも就活のグループディスカッションで意気揚々と司会進行を買って出た私はもういない。なぜかわからないけど調子がでない。勇気も出ない。自分の席から立ち上がれない。
自分はこういう運命にあるなんて、言い訳だ。
たとえ配属先に同級生が自分しかいなくても、座席が端っこでも、できる人ならちゃんと研修で友達をつくれる。こんな展開ばかり生み出しているのは一重に私がコミュ障だからだ。そんなことはわかってる、わかってるよ……
自分の理想像と現実の乖離があまりにも甚だしくて、談笑する同期を部屋の端から眺めることしかできなくて、劣等感と息苦しさばかりが募って、もう泣くしかなった。私だって周囲の座席の人と談笑したかったな。春休みの思い出とか聞きたかったな。私の名前、存在、誰にも覚えてもらってないだろうな。これ全部、自業自得なんだろうか?
嘆いても明日は来るし、2日後にはまた研修がある。
ここまでくると研修の方が嫌になってくるな。
あと1日で終わるんだけど、それでもね。
ああ、なんて長い1週間なんだろう。
まだ水曜日?勘弁してくれよ気が狂うよ。
それでも毎日をやめないのは、とりあえず負けたくないからかな。「とりあえず今は定時で帰らせてもらってる〜」という同期を横目に、こちとら残業確定のスケジュールを抱えているんやぞという気持ちが、もう前線にいるんだぞという気持ちだけが私を生かしている、気がする。もしかしたらどこの部署も新人だろうがなんだろうが残業しているかもしれない、でも今は「こんなに辛いのは自分だけ」という意識を持たせてくれ。イカれてるかもしれないけど、その意識が諸刃の剣で自分を奮い立たせるから。
明日も生きよう。そして吸収して帰ろう。
職場でちょっと泣きそうになり、必死でこらえて帰宅した。
帰ったらこの映画を見ようと心に決めて一日働いていた。しかしテレビの前には有休をとった父がおり、私はそのまま自室に引きこもった。重たい鞄を降ろした瞬間、鼻の奥がツンと痛くなって涙があふれてきた。
父親にとっても今日は貴重な休日。見たい映画があるからどいて、とは言えない。
そもそもその映画を見るためのサブスクは父が契約しているものだ。自分勝手にしたいなら自分で契約しろという話。
そうじゃなくて。
何故泣いているのか、直接的な原因は思い当たらない。
ただここ数日の(といってもまだ勤務3日目なんだけど)慣れない仕事環境からくるストレスなんだろうなとは思う。仕事が辛いのか、仕事ができない自分が情けないのか、自由な時間が少ない社会人という現実を嘆いているのかは分からない。恐らく全部が全部、ちょっとずつ辛くて、今日抱えきれなくなって泣いてしまったんだと思う。
明日が来るのが怖い。
割と絶望だよ、これ。
でもどんなに絶望していても明日のために準備して、早起きして、弁当水筒用意して、始業に間に合うように出勤しなくちゃならない。そんなものを抱えて生きるのはとてもとても疲れるので、出来ることなら絶望に気づかないふりをしなくちゃならない。知りたくない。でも時々は受け入れて泣いてあげないと、心が壊れていく…気がするな。抱え込みすぎて心が壊れたことなんてないけど。大抵は先に感情が泣いてくれる。
そう思うとこの涙は……頑張ってる証拠、なんだろうな。
頑張っているというか、頑張らざるを得ないというか。
今が辛いのは仕方がないことだと思う。自分は不真面目に生きてきたから、仕事を楽しむ資格はまだない。今は押しつぶされそうな情報量の中で折れずに毎日を生き抜いて、頭が痛くなりそうなぐらい考えて、目の前の業務を片付けるので手いっぱいだ。仕事一つ片づけるのにも先輩や上司に時間をかけて付きっきりで教えてもらわないとできなくて、それ自体は当然だと思うんだけど、効率的とは真逆のとこにいるのが悲しくて、でも教えてもらったからには早く覚えなきゃいけないと思ってしまう。落ち着いてゆっくり覚えたい気持ちと、早く覚えなきゃいけない意識、そのギャップで常に苦しい。
働く前は教育制度充実してますみたいな顔してたくせに、ふたを開けたらみんな残業だらけでクッソ忙しそうで声かけづらい。でも「ちょっと聞いていいですか」って声かけたらすぐ優しく教えてくれるからありがたいし、報いなきゃなとも思う。
まぁ、それと業務量の多さは別問題なんだけど。
新人が配属3日で仕事把握して実務回さなきゃ回らない職場、バグってるだろ。ふつうは部署の概要とか研修とかがあってから、じゃあやってみようかって実務に出るもんじゃないの? いやまぁ、先輩が手を止めて教えてくれたおかげで私の仕事が終わっているわけだから、新人に割く時間は一応あるのか…?あ、でも先輩たち馬鹿みたいに連日残業してるじゃん、そもそも部署が瀕死なとこあるじゃん、前言撤回。
前任者の方がとても優秀な人で、引き継ぎ資料は揃っているわ直近の会議の準備もばっちりだわで本当に感謝しかない。ただ前任者ほどの「できる人」じゃないとやっていけないのかなと思うと、彼女に比べて自分の無能っぷりが出てくるようで自信を喪失する。
それでも配属されたからにはやるしかないんだろう。
新人だから、と甘えている場合じゃない。そんな理想論で今日も自分を追い詰める。
音を上げるのが早いよな。
自分でもびっくりしてる。もう3日目で泣くんだ、って。
でも卑屈にはなっていない。泣けてくるのは仕事が辛いから。そこに自分の能力の無さは関係ないし、自分が人と比べて劣っているなんて思う心は一ミリもない。むしろ耐えて生きている自分を褒めたいまである。そう、辛いだけなんだよね…。ただそこがどうしようもなく悲しい。
もうこの闇を解決するには自分を褒めるしかないよ。
誰も褒めてはくれないこの現代社会、自分で褒める力はとても大切だと思う(何の話)
同期もろくにいない、仕事の全貌も分からない、そんな状態で君はよくやっている。「仕事に拘束されてわずかな余暇を生きるだけの人生、何が楽しいの、生きてる意味あるの?」と思いつつ生きるのをやめないの本当にえらい。今日の仕事、朝からパニックにならずに済んだのは過去の自分が家で仕事を整理していたおかげだよね。ちゃんと積み重ねは生きているよ。過去の自分に生かされているよ。無駄じゃないよ。慣れない環境では昼食もリラックスできないよね。朝から夕方まで気を張っているんだから、疲れたり辛かったりするのは当然だよ。
生きててえらい。そしてこうして吐き出せてえらい。きっと未来の自分はこれを読んで今日を思い出すだろう。どんよりと曇って、少し雨の降った寒い春を。「あのとき辛かったけど生き抜いた」ことはトラウマにもなるけど、しぶとさにもなるし、悪くはないと思うよ。
書けて良かった。
こうして苦しみを言語化することだ多少は落ち着く。本当につらいときは何もしたくなくなるところ、私にはこういう習慣があって良かったなと思う。いつかこの経験が何かの役に立つ日も来るだろう。そう思うと、もう少し生きてみようかなとも思えてくる。