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なので今回も今アツい存在について語ります。
MARVELのロキです。
※筆者は『アイアンマン』~『マイティ・ソー3』までしか見てません
MARVELシリーズに『マイティ・ソー』という映画がありまして、その主人公ソーの弟がロキです。こいつがねぇ、憎めないヴィランとして最高なんですよね。
そもそもなぜ今MARVELなのかというと……洋画好きの友人の勧め、そして別件でDisney+に加入する必要があり、じゃあついでに有名なMARVEL映画でも見ようかとマラソンを始めたのがきっかけです。有名だし見てみるか、本当にそんなノリで見始めました。まさか1人のキャラにこんなに溺れるとは思っていませんでした。
以下ネタバレたっぷりでお送りします。
はじめは兄に嫉妬心をこじらせ父親からも見放されてしまう義弟として悲劇的に見ていたんですけど、『アベンジャーズ』で愉快な(?)悪役として振る舞う彼が面白くて面白くてハートを撃ち抜かれてしまい、『マイティ・ソー2』で彼のデリケートな側面を見てあ〜好きですありがとうございますと見事に虜になりました。
オタクが「この2人が仲良かった世界線が見たいな…」と願わずにはいられないようなシーンを残した『マイティ・ソー2』(マイティ・ソー/ダークワールド)のあとに、兄弟で切り抜けるシーン盛りだくさんの『マイティ・ソー3』(マイティ・ソー/バトルロイヤル)を作る監督にはありがとうしかないのです。ありがとう。今日はじめてマイティ・ソー3観たけど興奮が冷めやらないよ。だからこうして語っているわけだけど!!
どのシーンがどう良いかというのを語るには今夜は時間がないので、とりあえずロキが良いぞということだけ伝えたいな。
1作目のロキは陰湿というか苦しんでいる悪役みたいな印象を受け、アベンジャーズでちょっと邪悪な悪役らしい野望が垣間見えるんですけど、2作目3作目のこれ以上ないくらい楽しそうなロキを見るとですね、黙って策略や嫉妬を積み上げる陰湿な彼より、悪戯で人々を騙し裏切り欺きそれを楽しむトリックスターみたいな彼こそが本当の姿ではないかと思うのですよ。ヒーローに負けても愉快な悪役として君臨していたいという意志は欠けない、コミカルさとお茶目さとちょっとの邪悪がとても良い…!
これが復讐に燃えるだけの陰湿な男だったら推してないんですよね。本人は悪戯のノリで欲望に素直に闊歩していて、それでいてちゃんとヒーローに負ける(かなりボコボコにされる)ところが大好き。小物臭がいいんだよなぁ。このロキは確実に負けるけど、かといって退場もしないだろうと、そんな感じで安心して見ていられる悪役。そこがいい。たくさん悪戯してたくさん負けてほしい。ヒーローにボコボコにされるロキがもっと見たい。もちろん活躍するところもね!
けっこう感情豊かだし何だかんだ家族が好き(オタクの過大解釈の可能性はあるけど)だし、自分のせいで本当に取り返しのつかないことになったら痛ましい顔もする。でも悪戯はやめられない。そんなロキくんをずっと見ていたいので、洗脳とか闇落ちとか可哀想な目には遭ってほしくないな。2作目で精神的に追い詰められるシーンがあるんですけど、私が見たMARVELのなかで2番目に心苦しい話でした(1位は『シビル・ウォー』。たぶん1番のシリアス回)。でも立ち直ってくれてよかったよ。そしてお父さんとも和解(?)できてよかったね…。
あ、あと一つだけシーンについて語るなら、やっぱり3作目の最後ですかね。兄弟でどうにか危機を切り抜けて、一息つくソーの背後に現れるロキ。ソーの近くにやってくるロキは大体自分の幻覚を送っているだけなので、今回もそうだと思ったソーが「お前がここにいたら抱きしめたのにな」と置き物を投げて確かめーーそれをキャッチしたロキが「いるよ」と呟く。
こんなん泣いちゃうんだよな!!!!!
私もソーと同じくこのロキは幻覚だと思っていたので、まさかの兄弟の絆復活にムジョルニア(ミョルニル)で殴られたくらいの衝撃を受けました。泣きました。とても人様に聞かせられる声ではなかった。なんだかんだ今までロキにずっと怒っていたお兄ちゃんが「ここにいたら抱きしめたのにな」って心を許しているのもグッとくるし、それに対して「いるよ」は「Hug me」と同義なんだよなぁ…! このあとシーンが変わっちゃうのでハグしたかどうかは分からないんですけどそんなの蛇足だよな知ってる…。監督…ありがとう…。
一度こんな仲良しシーン見せられたらもう今後ロキがどんな悪いことしても許せ…はしないけど、同情しなくて済むのでとても嬉しい(言い方)。「そりゃグレても仕方ないよな」と思わせる悪役も素敵だけど、そういう後ろめたさをとっぱらってただただ悪性を振りかざすヴィランも良いと思います。それがただの悪意の塊(勧善懲悪の魔王とか)ではなく、厄介な一人の男というのが面白い。そりゃ愛される悪役になるわけだよ!既に大好きだもん!
あと単純にヴィジュアルが良いですね。俗に言う「顔が良い」というやつです。3作目ではたくさん着替えてくれるので目が足りません。(ちなみにMARVELキャラを見た目で選ぶならバッキー/ウィンターソルジャーも大好きです)
映画にハマるのはロード・オブ・ザ・リングのレゴラスにハマっていた時代以来です(ロキもレゴラスもCV平川大輔なんだよなぁ…)。レゴラスの何が好きだったかと言えば圧倒的に顔でした。アクションもカッコイイ。見た目10割だったわけですよ。でも今回は中身も相当好きというか、レゴラスよりヤバいハマり方をしている気がしてなりません。というかそもそもヴィランを好きになったことがそんなにない、なんなら主人公サイドそっちのけでヴィランが気になるなんて人生初めてじゃないか…? これは大変なものを盗まれたかもしれませんね!
しかも6月からロキ主役のドラマが配信されるらしく、供給過多で頭の整理が追いつかないですね。6月まで絶対生きるからよろしく。
もうこんな時間になってしまったので終わりますが、やっぱり推しがいる生活っていいですね。友人に布教したので語れる場所がある喜びも味わえます。この嬉しさを糧に明日も頑張りましょう!おやすみなさい。
サンライズ出雲の話は前の記事に書いたので、今回はその続き。
2月16日㈫
事前に出雲市駅から出雲大社までの電車やバス路線は調べてあったものの、なんか思っていたより天気が良かったことでテンションが上がり、「レンタサイクルあります」の表示につられて自転車を借りた。海辺の強風、冬場の強風、寒さ、己の体力を考慮しない判断であった。実際、レンタサイクル受付のおっちゃんにも「寒いけど大丈夫ですか?」って心配された。
誤算はもう一つあって、それは出雲市駅から出雲大社まで実際どのくらい距離があるのかという知識がなかったこと。ガイドブックで見た簡易的なマップの記憶を頼りに走り出したものの、どれくらい漕げばいいのか全然わからないのは辛かった。レンタサイクルを推奨するだけあって自転車用の看板や道は整備されていたのだが、「いやもう十分漕いだでしょ…」ってときに「稲佐の浜あと6.9km」という表示はかなりこたえた。
そう、まず目指したのは稲佐の浜。浜の砂を出雲大社に持っていってどうにかするといい(超アバウト)ってガイドブックに書いてあったから。当然のことながら海に近づけば近づくほど風が強い。しかも結構遠い(後で調べたら出雲市駅から稲佐の浜まで11kmだった)。遠くに見える松林を越えたら海だろうと思って漕ぎ続けても、松林の先にさらに松林が見えたりする。
それでも心折れずに漕ぎ続けられたのは、見知らぬ土地で自分勝手に振る舞えることが嬉しかったから、だと思う。誰かとの旅行だったら絶対こんなキツイ選択しないもんね。冬の日本海側で風に向かって走るなどという強烈な経験、きっと焼き付くにちがいない…そう確信できるのが嬉しかった。
いよいよ海が近くなって、最後の坂を乗り越えたらいきなり比じゃない強風が吹きつけてきた。
もう寒さで鼻がマヒして潮の匂いすら分からない。
冬の日本海は荒れていた。大しけも大しけ。海の向こうから波の音がごうごう響いて押し寄せてくる。とはいえ浜に打ち寄せる波は常識的な大きさだ。自分が海に免疫ないから荒れているように見えるだけで、現地の人には平常むしろ穏やかくらいなのかもしれないなと思った。実際サーフィンしている人もいた。たしかに波に乗るにはいい風だと思う。
まぁでも、怖いと思った。
高い山に登って人間なんて簡単に吹き飛びそうな強風に感じた恐怖と一緒。遮るもののない水平線、あの遠い海上で人間が耐えられないくらいの暴風がふいて、高波がきて、飲まれてしまうかもしれない…そんな感じの、自然への畏怖がせり上がる。山も山で怖いけど、私は海の方が怖いなと思った。
砂が吹き付けてくる海沿いを漕ぎ、稲佐の浜で鳥居の刺さった岩を見て、砂を回収。ただし出雲大社に着くころにはこの砂の存在を完全に忘れており、結局自宅までただ浜の砂を持ち帰っただけになった。
出雲大社は広かった。でかい公園みたいだった。
自転車を置く場所を探してあっちこちうろうろしたのに疲れすぎて、神聖なものに感動する体力が残っていなかった。御神酒を買うのが好きなので、献酒一覧を眺めてメーカーをチェックした。社務所では御神酒を売っていないのかとがっかりしたけど、もしかして売っている方が異常なのかもしれない。諏訪大社くんのことですよ。
風の来ない場所を見つけて休憩。境内のあちこちにいるウサギの像が可愛かったな。
さて出雲大社を見たら門前町でご飯でも、と思っていたのだが、コロナ禍のせいで営業している店が本当に少ない。これは翌日の松江観光でも思い知ったのだが、このご時世、ガイドブックに載っているショップ情報は本当に役に立たない。特に飲食店。仕方ないとは思うのだが、たしかにこれじゃ普通の旅行は難しいよなぁと思わざるを得なかった。
こんなときだからこそ、あのお店あとで入ろうとかあとであれ買おうとか思っていると損をする。営業している店を見かけたらとりあえず飛び込んだ。なんとか昼食にありつけたし、食べたかった出雲そばが食べられたので本当に良かった。
ちなみにそばを注文して待っている間、ずっと体が揺れている感覚があった。陸酔いだと気付くのには時間がかかった。まだ寝台列車に乗っているような感覚と、あと自転車で風に煽られている時の不安定な感覚がある。ふわふわの相乗効果。不快じゃないけど不思議な感覚だった。
夜、松江のホテルに入ったらすーぐ眠気がやってきた。
出雲での一日が充実していて、サンライズ出雲に乗っていたことが本日の記憶だとは信じられなかった。もっと遠い日の話のような気がした。このホテル、夜食を出してくれることで人気らしいのだが、そんな時間まで起きていられるわけがなかったので、健康的に就寝した。
2月17日㈬
天気予報の通り、この日の松江は雪だった。
ありったけの防寒具を持ってきてよかったなと思った。
5分毎に雪と晴れを繰り返す厄介な天気。降ってきたらお店や観光場所に逃げ、ちょっとやりすごしてまた歩くの繰り返し。こんな天気だったからか観光客は数えるほどしかおらず、景色が撮り放題というのは嬉しかった。雪の松江は趣がありすぎる。
ここでもやはりほとんどのお店が休業しており、飲食はともかくお土産を探すのに苦労した。なんとか土産っぽいものは買えたけど、この苦労も土産話の一つになるといいな。
観光した場所は小泉八雲記念館(図書コーナーで円城塔が訳した小泉八雲の話を読めたのが嬉しかった)、小泉八雲旧居(雪の降る庭園は美しかったです)、松江城(階層が多い、貸し切り状態なのが一番面白かった)、興雲閣(喫茶コーナーで休憩している時間がエモくて興奮した)、くらい。あとは適当な勾玉ショップや和菓子屋さん。
いつ吹雪くとも分からない天候の中、松江大橋を渡るのは怖くて、周遊バスを使って移動した。1日乗車券があるのでおすすめ。歴史のある町なので、観光名所がけっこうあるなという印象。
電車が止まるのが怖かったので観光を早めに切り上げて帰宅。
特急やくも号で岡山に出て、岡山から名古屋まで新幹線。
この旅行で新旧列車を制覇したようなもんだね。
岡山から名古屋まで、列車じゃ一晩かけたっていうのに、新幹線は1~2時間。費用だってこの距離じゃ大差ないだろう。旅のどこに時間を割くか、何に旅情を感じるかはもう人それぞれの時代なんだなとか考えていた。新幹線は揺れが少ないから酔いにくいしね(空腹状態で特急やくも号乗って酔いかけた人)。でも私は車窓に憧れる気持ちも大好きだよ。
長々と駆け足で語りましたが、以上が旅の全貌です。
・現地の距離感、地形はちゃんと調べておくこと
・コロナ禍のガイドブックは役に立たない
・思い立ったら飛び込め
これが今回の教訓。やっぱり一人旅は行く価値があるし、心の栄養になる。これからも隙を見つけては"どこか"を旅したいものだね。
2月15日22時、東京駅から寝台特急「サンライズ出雲」に乗る。
B寝台シングル、13号車21番。憧れていた2階席。
列車がホームに入ってきたところを撮ろうとホームの先端に立っていたのだが、自分の乗る13号車がほぼ末尾車だったので、ホームの端から端まで歩かなければならなかった。それでも外から見える個室の窓に胸を躍らせた。窓の奥に広がる部屋はとても良いものに見えたから。
個室は想像よりずいぶんと素敵だった。
カプセルホテルが列車に乗っているようなものだった。どこがどう素敵だったのかは上手く言葉にできない。清潔で、毛布や浴衣があって、というところは別にどうでも良くて、機能的でコンパクトな部屋になっていることが一番嬉しかったと思う。なにせ機能的なカプセルホテルにワクワクしてしまう人間なもので。
部屋の雰囲気を残すために全体を写真に収めたかったが、悲しいかなその狭さゆえに画面にすべては入らず(今思えばパノラマ機能で360度撮ってくればよかった)、揺れに耐えながら落書きを残した。
誰かこの室内のジオラマ作ってくれないかな。
部屋の中にキャリーケースがあって、壁に掛けた上着(落書きには描かれてないけど)が振動で揺れるのもなんだか雰囲気があって良かったな。
列車が動き出したときは結構感動した。
この部屋、ほんとうに動くんだ!ここ数年で一番瞳がキラキラしていたと思う。
そうして列車は夜の町を走り始めた。
窓は天井に向かってカーブしているので空が見える。
星空も見える、と聞いた時からどうしても2階席が引きたかった。ただしこの日は朝から雨で、夕方になって雨は止んだものの、星空には期待できないと思っていた。2階席を引けただけでも飛び上がるほど嬉しいので、星空は期待しないようにしよう――そう決めていたので、いざ夜景の向こうに輝くオリオン座が見えた時はそれはもう、嬉しかった。
ああいま私は世界で一番美して幸せな体験をしているのかもしれない、と思った。
普通ド深夜に列車は動かない。
夜景があるとはいえ通り過ぎる街の殆どは寝静まっている。民家からは明かりが消えているし、駅のホームには誰もいない。寂しい道路を色あせた街灯が照らすのみ。景色の静と列車と私の動、この対比が突き刺さるなと思った。列車と自分だけが起きているみたいだ。考えてみれば当たり前なんだけど。これが夜を走るとくべつな列車。人知れず空を駆ける銀河鉄道に乗ってもきっと、同じような印象を受けるんだろうなぁ。
日付が変わってしばらくして、睡魔に負けたので毛布にくるまって寝ころんだ。
暖房がしっかり効いているので薄着でも寒くない。列車の揺れが眠気を誘うようで心地いいと感じることもあれば、酔いそうだと思うこともあった。どんな環境でも寝られる人間になりたいもんだと思った。
地震の夢を見て目を覚ました。列車の揺れのせいだった。
酔いそうな感覚は消えていた。
6:30 岡山駅
車内アナウンスで完全に目が覚め、室内に常設されているラジオを聴きながら朝の支度。
一晩かけても東京から岡山。改めて新幹線や飛行機が交通手段として当たり前になった現代では、わざわざ寝台列車に乗るなんて行為は”時間と金をかけた贅沢”なんだなと思い知る。レトロ浪漫な時代にタイムスリップしたみたいで面白い。
それにレトロなものだからこそ、いつなくなってもおかしくない。
現在日本で運行中の夜行列車は15本ほどあるようだが、毎日運行しているのはこのサンライズ出雲・瀬戸のみ、らしい(ほかの列車は週2だったり観光シーズンのみだったり)。夜行列車の数はどんどん減っている。採算性やコストの面では新幹線や飛行機に敵わない夜行列車は、新たに製造するメリットがほとんどなく、老朽化すれば廃止するしかない…ということだろうか。このサンライズも5年後どうなっているか分からない。
考えれば考えるほど、今回は衝動に任せて旅行してよかったなと思う。
私の2021年はそういう年なのかもね。
岡山を出てしばらくして、日が高くなって空が青くなった。
流れる夜景も素敵だったけど、田園や渓流を眺めるのも素敵だ。都市ビルの中を縫うよりよほど旅情がある。気分が上がってきてつい歌ってしまったけど、多少の声ならバレないのが個室の良いところ。個室についているラジオを聞くのにもイヤホンをつけなくていいので、自分だけの空間を乗せて列車が走っている、という気分になる。これが案外とても楽しい。
そしてなりより、晴れて青空を見上げられるのが嬉しい。
10:00 出雲市
終点に到着。降りた人は少ないように見えた。やはり乗客を減らして運行しているのかな。
今夜もサンライズは誰かを乗せて運行しているんだろうな。
【IA】お星さま列車【オリジナル曲】
旅行を計画している時、ずっとこの曲を聞いていた。この曲の最後に「これからまたみんなをよろしくね」とある。今は私もそんな気持ち。動かなくなるその日まで、たくさんの人のワクワクとキラキラを乗せて、よろしくね。(あとこの曲、「そろそろこの酔いも慣れそうだ」って歌詞が出てくるのもリアルでなんかいいね)
機会があればもちろんまた乗りたい。
でもこれが最初で最後でも十分楽しかったと胸を張って言える。
素敵な一晩をありがとう。
寝台列車のチケットを買いに行ったのが2月8日。その翌日の夜に「卒業までの1,2カ月でいいからバイトとして仕事手伝ってくれない?」という親戚からの誘いがあり、さらにその翌日に就職先の説明会を受けて「諦めてたけど、やっぱり通勤のために二輪免許を取ろう」と決意した。
2月8日以前の私は暇を持て余した合法ニートだった。
10時から11時ごろ目が覚め、朝からSNSやネットサーフィンで時間を潰す。
映画を見るにも読書をするにも集中力というか真剣さがまるで無い。
ただ暗くなるまで適当に遊んで、暗くなったら申し訳程度の家事をして、夕飯を食べて寝る。
中身が無くて退屈にも程がある生活をしていた。
それがどうだ、今はそこそこ忙しい。
偶然と言えばそれまでだけど、私には2月8日の月曜日にアクションを起こしたことで生活が変わったような気がしてならない。
退屈で退屈でスマホゲーを周回するしか楽しみのなかった毎日が俄然充実した。映画や読書に集中できるようになった。空虚に流れるままだった時間が色濃くなり、昨日の思い出が遠く感じるようになった。出雲に旅行したのは今週の月曜から水曜のことだけど、既に記憶は2,3週間前の出来事だと言われても納得できるほど遠くにある。それくらい木曜から土曜まで予定があって、忙しかったってことなんだろう。
自分に巡ってくるものは連鎖する、のだろうか。今までそれは不幸とか責任とか課題とか嫌なこと限定だと思っていたけど、機会や決意も同じなのかもしれない。たしかに立ち止まっているよりは歩いている方が触れるものは多い。
寝台列車旅行は本当に素晴らしい体験だったけど、それをきっかけに連鎖が起こって今が充実しているという事実こそ書き残したいと思った。たとえ衝動的なものでも、行動しようという意思は尊いものなんだな。その行動が報われたような気がして、とても嬉しい。あの日家を飛び出して旅行したいと願い、その願いを叶えるために動いた自分に感謝したい。
休みも度が過ぎれば退屈なように、充実もそのうち多忙による疲労で嫌になってしまうかもしれない。それでも行動できることは良いことなんだと、立ち止まらずに歩いているだけで立派だということを胸に刻んでいきたいな。行動を肯定しよう。
1度生まれたアイデアははっきり諦めない限り残るもの。
はじめは「行けたら良いなぁ」くらいの気持ちだったものが、考え続けるうちに本当に「可能」な気がしてきて、旅行情報誌を買ったり列車のスケジュールを立てたりした。
でも本当に行くには、その寝台特急のチケットを取らなければいけない。
取れなければ何も始まらない。
その通り。「どこかへ行く」ことへの期待に酔いながらスケジュールを立てたまではいいものの、いざ実行に移すにはなかなか勇気が必要だった。
みどりの窓口に行くのがもう緊張した。
それはたとえば「チケットもう無いですね」と言われて今までの夢想が無に帰すことや、旅行に行けないという現実を突きつけられることを恐れていたから……そういった類の緊張だったと思う。今回の目的はこの寝台特急であり、チケットが取れないなら旅行に行く意味がない。窓口でもし思い描いた旅を否定されたらどうしよう。そんな不安が溢れ出てきた。
あと極度の人見知りだから窓口はふつうに怖い。人見知りは業務用対応をするので精一杯なので、窓口の人にもし予想外の対応をされた場合どうしたらいいかわからなくなる。特にここ最近は授業もバイトも友人と遊ぶこともなかったのでコミュニケーション能力が劇的に落ちていた。
それでも旅行にいきたいという気持ちは固まっていたので、意を決してみどりの窓口を訪れた。昼間の窓口はガラガラだった。
「この日付で✕✕駅発の寝台特急シングルはありますか?」
「お待ちください。………………無いですね」
初手で詰んだ。コロナ禍だし寝台特急なんてガラガラやろ!と舐めてかかっていた自分を殴りたくなった。冷静に考えて1日数十人しか乗れない上に人気列車なのだ、そりゃ取れるわけないかと現実を知る。
現実をつき尽きられたショックで顔がひきつるも、急いでメモを取り出して予備日に設定していた日を提案した。就活も卒論も終わった合法ニートの大学生の本気を見せてやる。金はないが時間だけはあるのだ。
「えと、じゃあこの日は…」
「すみません、無いですね」
「じゃあこの日…」
「無いですね」
このやり取りを3回くらいした。列車のこと(乗車率の相場など)全然知らないド素人が我儘を言って窓口の人を困らせていると思うと死ぬほど申し訳なかったし、物事が予想通りいかないショックで賭けに負けたカイジみたいに視界がグニャアと歪んだ。リアルに胃が痛くなった。胃の痛みを感じたのはサークルを辞めるかどうか葛藤していた3年前以来初である。
「逆に、座席が空いてる日ってわかりますか……?」
最後の懇願だった。蚊の鳴くような声だったと思う。
窓口の人はお待ちくださいと告げて機械やら時刻表やらを一生懸命探してくれた。無理なら無理で諦めればいいのに、私個人の我儘で窓口の人に迷惑をかけているかと思うとさらに胃が痛くなった。そのとき窓口の人の上司らしい人が来て、色々伝えてまた戻っていった。二人の会話はよく聞こえなかったが、「この人こういう座席探してるんですけど」「そんなものもう残ってるわけないだろ」みたいな会話じゃないかと被害妄想してさらに消えたくなった。
「△日のチケットですよね」
「…………何月のですか?」
それは私が1番初めに提示した日付だったのだが、もう完全にその日は諦めていたので来月の話だと勘違いした。聞けば調べ直したところ、「一つだけ空いている」らしい。突然諦めていたスケジュールが高速で戻ってきたので唖然としながらも「はいそうです」と絞り出した。
そこからは全力疾走したあとのように身体中がふわふわして現実じゃないみたいだった。とりあえず寝台特急のチケットを購入し、さらに寝台特急が出る駅に行くための新幹線券や旅行先から地元に帰ってくる乗車券や特急券を買って、たくさんのみどりの切符を持って売り場を出た。
窓口の人にはお礼を言っても足りないくらい感謝していたのだが、コミュ障発揮して普通に頭下げてお礼を言うことしかできなかった。にっこりと「助かりました〜!」とか言える人間だったら良かったのにと今は思う。
ともかく色々あったけど、買えた。
買えたという事実がまだ飲み込めず、フラフラと売り場を出てそのまま駅をフラフラしていた。数秒フラフラして、ATMに用事があったのを思い出してATMコーナーに向かった。ATM周辺は混雑していた。並びながらまだ信じられなかったので何度も財布を見てチケットを眺めた。
そういえば窓口では買えたことが嬉しくて座席番号すら見てなかったけど、何号車の何番なんだろう。
乗ろうとしている寝台特急は二階建てである。二階席の窓が天井に向かってカーブしているところが良いなぁと思っていて、叶うことなら2階がいいと思っていた。座席が選べたらもちろん2階を指定したけど、もはや買えただけで素晴らしいからたとえ1階でも文句は言えまい。ーーそんな気分でいたのに、目に飛び込んできた数字は昨夜座席表を眺めて「この番号なら2階席なのかぁ!なるほど!」と期待をふくらませていた数字と違わぬ気がして度肝を抜かれた。
慌ててスマホで座席表を検索する。たしかに手元にある数字は2階席を指している。車両編成により変更の恐れありとはあるけど、たぶんきっとよっぽどの事件がない限りは2階席だ。
その事実に気づいた瞬間はとても嬉しくて、この手にあるチケットは値段以上の価値があるものに思えて仕方なかった。なんなら嬉しさでちょっと泣いてた。ご機嫌のまま歩いた帰路は、いつもより美しく見えた。
今は期待も不安もある。
でも「買えてよかった」という安心が1番大きい。
正直にいえば、当日の天気はどうだろうとか(星が見たいから山に泊まるぜ!と意気込んで泊まった日が酷い天気だった経験があるので、天気には期待しないようにしている)、列車に遅れず乗れるだろうかとか、旅行を中止せざるを得ないくらいのハプニングが起こったらどうしようとか…不安は尽きない。だって最後のひと席として案内されたところが欲しかった席だなんて幸運、出来すぎた展開にも程がある。こういうところで素直に幸せを享受できないのは捻くれ者の悲しい性だね。
それでも手元にあるこの券は本物だし、まだ行ってもないのに「いい買い物をした」ような気持ちがある。この満足感が不安を打ち消して今日を称えている。ありがとう。この券は乗り終わったあとも宝物として持っていたいなと思った。今日の葛藤も幸運も思い出して、良い記憶にしてほしい。
楽しみだね!