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「そんなに踏み込んでこないでほしい」
「返信が遅い…嫌われたかな」
「このツイート…もしかして私のこと不快だった?」
こういうことを思う度、自分が人間に対して不信の気があることは否めないなぁと思う。今まで深く考えたことはなかったけど、たしかに人に裏切られたり期待しすぎたりすることには恐怖を感じる。嫌な思いをするくらいなら、裏切らない2次元で遊んでいたいと強く思う。
自分がそんなつまらない人間だとは思わなかったな。
原体験を振り返ってみる。まぁ色々あったよ。人の口は軽いんだということは中学時代になんとなく身をもって学んだ。今思えばあの年齢だから口が軽かっただけなんだろうけど、あの頃から人には余計なことを言わない方が良いと思い始めたのは事実。あと高校1年で友達作りに苦戦した経験とか、先輩という存在に対してろくな思い出がないこととか、そういう人間に対する小さな不信が積み重なって、ふとした瞬間に被害妄想が出てくる。こんなのは自分だけじゃないだろう。誰しもそれなりのトラウマを持っているものだと思う。かといって、他人が平気だから自分も平気というわけではないのが難しいところ。
でもこうして嫌な思い出を振り返り続けていると、逆に嬉しかった思い出も出てくるんだよね。友達に言われて嬉しかったこととか、学校以外で一緒に遊んだこととか、友達に恵まれてよかったなって思ったこととか。そういう思い出が温かく胸を満たしてくれるので、まぁ人生なんだから嫌なことも嬉しいこともあるでしょ、そういう日もあるよねってだけ、という具合に気持ちが落ち着くのである。
なんだ悲観する必要はないかもしれないな。ちょっとくらい人間不信がなんだってんだ。こんな奴でも良い友達に恵まれているんだから、ネガティブになる必要はない。今日はとっとと寝て、明日を迎えるに限る。
こうしてまた生きていこう
「返信が遅い…嫌われたかな」
「このツイート…もしかして私のこと不快だった?」
こういうことを思う度、自分が人間に対して不信の気があることは否めないなぁと思う。今まで深く考えたことはなかったけど、たしかに人に裏切られたり期待しすぎたりすることには恐怖を感じる。嫌な思いをするくらいなら、裏切らない2次元で遊んでいたいと強く思う。
自分がそんなつまらない人間だとは思わなかったな。
原体験を振り返ってみる。まぁ色々あったよ。人の口は軽いんだということは中学時代になんとなく身をもって学んだ。今思えばあの年齢だから口が軽かっただけなんだろうけど、あの頃から人には余計なことを言わない方が良いと思い始めたのは事実。あと高校1年で友達作りに苦戦した経験とか、先輩という存在に対してろくな思い出がないこととか、そういう人間に対する小さな不信が積み重なって、ふとした瞬間に被害妄想が出てくる。こんなのは自分だけじゃないだろう。誰しもそれなりのトラウマを持っているものだと思う。かといって、他人が平気だから自分も平気というわけではないのが難しいところ。
でもこうして嫌な思い出を振り返り続けていると、逆に嬉しかった思い出も出てくるんだよね。友達に言われて嬉しかったこととか、学校以外で一緒に遊んだこととか、友達に恵まれてよかったなって思ったこととか。そういう思い出が温かく胸を満たしてくれるので、まぁ人生なんだから嫌なことも嬉しいこともあるでしょ、そういう日もあるよねってだけ、という具合に気持ちが落ち着くのである。
なんだ悲観する必要はないかもしれないな。ちょっとくらい人間不信がなんだってんだ。こんな奴でも良い友達に恵まれているんだから、ネガティブになる必要はない。今日はとっとと寝て、明日を迎えるに限る。
こうしてまた生きていこう
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あんまり詳しく書くと勤務先バレるかなと思うけど、こんなブログが見つかるとは到底思えないので適当に書きます。
今日(昨日?)は朝の9:30から25:00までのシフトでした。
今は帰ってお風呂入ったところ。
遊園地のアルバイトをしてます。で、今日(昨日)はコスプレイベントのため、深夜までアトラクションを動かす必要があったのです。私は「コスプレを見たい」という安易な動機のもと、朝から深夜1時までの勤務を希望しました。
全体の感想としては「楽しかった」かな。
コスプレの人達が園内をウロウロしている姿は新鮮だし面白いし見ていて飽きない。ワクワクしながら働けるので、退屈と思うことは少なかったです。さらに昼間は体感時間が短いポジションの配属だったので、終わってみても「16時間勤務クソなげぇ!」とは思わなかったです。むしろ真夏の10時間勤務の方がキツかった。やっぱり働くモチベというのは大切ですね。まぁ昼間の配属は私がポンコツすぎて色々やらかしたっていう話もあるんですけど、なんとか終わったのでヨシ!ここに書く必要は無い!
22時くらいからは昼間の仕事を離れて別のアトラクションに移りました。夜はもうコスプレのチケットを買った人しかいないので、あちこちでコスプレした人がいるわけです。そこにいるのが知らないキャラクターでも、突飛な格好をしていたら非現実感があって楽しくなっちゃいます。
その中でたぶんFGOのホームズ?かな?の格好をしたレイヤーさんがアトラクションに乗ってくれたんですけど(FGOよく知らなくてすみません)、「まもなく動きます」と声をかけたら「よろしく頼むよ」と言われてキュンとしました。素の自分ではなく(恐らく)キャラクターになりきっての言葉。こういうセリフがサラッと出てくるレイヤーさんバチバチにカッコよくないですか???いやもうほんと些細なことなんですけど今日イチ印象に残りました。
あと勤務終わって事務所に戻った時、一緒に働いてた人が「寒い中おつかれ」ってバイトたちに暖かいお茶おごってくれたのも嬉しかったな。一緒に戦い抜いたって感じが楽しかった。学生のうちにこういう経験がしたくて今日働いたところあるよね。
帰り道はなんだか21時とか22時とかで帰る日と変わらない景色だったので、今は深夜1時回ってるんだという自覚はあまりありませんでした。疲労感が少ないのも拍車をかけてましたね。こんな長いこと働いててケロッとしているのは、やっぱり「楽しいものを見れた」という愉快メンタルのお陰なんだろうなぁ。
コスプレ見たくてこのバイト続けてたところもあるので(ほんとかよ)、こうやってラストまで働けたのは本当に嬉しかったです。日頃から「コスプレが見たいのでこの日働きたい」と周囲に言いふらしてきた甲斐あって、コスプレの
日に動くアトラクションのトレーニングをしてもらえたし、今日こうしてラストメンバーに入れてもらえたし、なんというか願いを口に出す大切さも学びました。「辞めてぇな」と思うときもあるけど、今日ばかりは続けててよかったなと思います。
寝る前に色々書けてよかった。
いい思い出となりますように。
今日(昨日?)は朝の9:30から25:00までのシフトでした。
今は帰ってお風呂入ったところ。
遊園地のアルバイトをしてます。で、今日(昨日)はコスプレイベントのため、深夜までアトラクションを動かす必要があったのです。私は「コスプレを見たい」という安易な動機のもと、朝から深夜1時までの勤務を希望しました。
全体の感想としては「楽しかった」かな。
コスプレの人達が園内をウロウロしている姿は新鮮だし面白いし見ていて飽きない。ワクワクしながら働けるので、退屈と思うことは少なかったです。さらに昼間は体感時間が短いポジションの配属だったので、終わってみても「16時間勤務クソなげぇ!」とは思わなかったです。むしろ真夏の10時間勤務の方がキツかった。やっぱり働くモチベというのは大切ですね。まぁ昼間の配属は私がポンコツすぎて色々やらかしたっていう話もあるんですけど、なんとか終わったのでヨシ!ここに書く必要は無い!
22時くらいからは昼間の仕事を離れて別のアトラクションに移りました。夜はもうコスプレのチケットを買った人しかいないので、あちこちでコスプレした人がいるわけです。そこにいるのが知らないキャラクターでも、突飛な格好をしていたら非現実感があって楽しくなっちゃいます。
その中でたぶんFGOのホームズ?かな?の格好をしたレイヤーさんがアトラクションに乗ってくれたんですけど(FGOよく知らなくてすみません)、「まもなく動きます」と声をかけたら「よろしく頼むよ」と言われてキュンとしました。素の自分ではなく(恐らく)キャラクターになりきっての言葉。こういうセリフがサラッと出てくるレイヤーさんバチバチにカッコよくないですか???いやもうほんと些細なことなんですけど今日イチ印象に残りました。
あと勤務終わって事務所に戻った時、一緒に働いてた人が「寒い中おつかれ」ってバイトたちに暖かいお茶おごってくれたのも嬉しかったな。一緒に戦い抜いたって感じが楽しかった。学生のうちにこういう経験がしたくて今日働いたところあるよね。
帰り道はなんだか21時とか22時とかで帰る日と変わらない景色だったので、今は深夜1時回ってるんだという自覚はあまりありませんでした。疲労感が少ないのも拍車をかけてましたね。こんな長いこと働いててケロッとしているのは、やっぱり「楽しいものを見れた」という愉快メンタルのお陰なんだろうなぁ。
コスプレ見たくてこのバイト続けてたところもあるので(ほんとかよ)、こうやってラストまで働けたのは本当に嬉しかったです。日頃から「コスプレが見たいのでこの日働きたい」と周囲に言いふらしてきた甲斐あって、コスプレの
日に動くアトラクションのトレーニングをしてもらえたし、今日こうしてラストメンバーに入れてもらえたし、なんというか願いを口に出す大切さも学びました。「辞めてぇな」と思うときもあるけど、今日ばかりは続けててよかったなと思います。
寝る前に色々書けてよかった。
いい思い出となりますように。
四畳半神話大系のアニメを見た。
見始めた理由は特にないですけど面白かった。
最終回で主人公が散々だった青春を「それなりに充実している」と価値を見つけるところが良かったかな。あと今までの回で小津がとにかく付きまとってきたのも、実は小津もループ経験があったからなのでは…。
最終回を見て、自分の青春を思い返してしまった。
というわけで今回は自分語り。
あと4ヶ月もすれば大学を卒業する。
小学校から続いた学生生活が終わる。
学生時代という名の青春が終わる。
あのときあの道を選んでいたら、私はもっと楽しい学生時代を送っていたかもしれない。そう思うことは多い。私はせっかくのキラキラした青春を潰してしまったのではないか、ものすごくつまらない青春を送ってしまったのではないか、もし学生生活をやり直せたらどんなにいいか。
そんなことを思っていたので、四畳半神話大系の最終回には随分救われた。
思い返せば、彼氏ができるとかサークル仲間と飲み会をハシゴするとかそういう青春はなかったけど、バイトもしたし友達と旅行にも行ったし飛行機にも乗った。キャンプもしたし一人旅もしたしカメラも買った。全部、やりたいと思ってやった。自分の青春は地味だったかもしれないが、何も無かったわけじゃない。思い出はたくさん胸に刻まれている。
幸せには段階があると思っている。
何も持っていない人は1で幸せになれるけど、1を持っている人は2以上でしか幸せになれない。高度な幸せを望んでいる時、低度の幸せは既に達成されている。
極端な話をすると、私は高校1年のとき友達ができなかった。クラスの子たちは優しかったけど、特別親しいとかグループで活動するような友達がいなかった。毎日孤独を感じて憂鬱だったので、ただの事務連絡でも話しかけてもらえるのがすこぶる嬉しかったのを覚えている。
それが2年生になって親友ができて、それ以外の子と話すことに特に幸福を感じなくなった。時には傲慢なことに「この子と話すの嫌だな」なんて思って相手を選んだりした。会話に入れてもらえたら幸せという段階から、好みの相手と話したいという段階に上がったんだろう。
それはまぁ何にでも言えることで、就活では無い内定のときは「どんな会社でもいいから拾ってくれ…!」と思っていたけど、ひとつ内定をもらうと「ブラック企業っぽいところは嫌だな」とか「面白い仕事がいいな」とか幸福追求の段階があがった。衣食住足りて礼節を知る、まさにその通りだと思う。
だからといって何も持ってなかった初心に戻って、今の幸せに甘んじなさいとは思ってない。他人から羨ましがられるくらい幸せな人は「高い幸せを掴みたい」と思って行動したのだろうし、高い欲求や志がなければ物事は達成できないようになっているのが世の中。欲は(健全な方向なら)無制限でいいと思う。
ただ「かつては幸せだったこと」を忘れて自分を卑下したり、過去を辛いものに書き換えたりするのは悲しいことだよねって話。
何事も極端はよくないけど、「あのときに比べたら今は随分幸せだ」と現状にニッコリできるような余裕と思考も必要だなと、そう思うと胸が暖かくなるなと、四畳半神話大系から学んだのであります。
ちなみに「素晴らしき哉、人生!」っていう映画も好きなんだよね。これは最後に主人公が「もし自分がいない世界だったら」を見せられて、自分がいかに良い人生を送ってきたかを思い知るという映画。無限ループものや平行世界ものは人生に対して気づきがあるところが良いなって思います。結局、高望みして苦しくなるくらいなら、現状の幸せに気づくのが一番幸せなんだよね。
かといって他人に不幸自慢したり「身の丈にあわせろ」とか自分の物差し押し付けるのは狂ってると思うけどね。私が何に幸せを感じて何をしたいのかは、私だけがちゃんとわかっていればいいと思うんだ。
やりたいことが明確な人は強いよね。
話があっちこっち飛んだけど、とりあえず四畳半神話大系を見て過去を振り返ったら割と悪くなかったなという話。本当に引きこもってばかりで何もしない4年間だったら後悔凄まじかったと思うけど、私は私なりに色々やってきたんだなと自己肯定感が湧いてきた。幸福は上を見たらキリが無いけど、そもそも他人と比べることじゃねーしな。私が高校時代の友人たちと旅行に行けることがどれだけ嬉しいか、友達に苦労したことない奴にはわかるまい!
あとはもう学生時代にどんな後悔や思いを積むかは、社会人にならないとわからないかな。必要以上に落ち込むことがないよう、今日ここに書き残す。
見始めた理由は特にないですけど面白かった。
最終回で主人公が散々だった青春を「それなりに充実している」と価値を見つけるところが良かったかな。あと今までの回で小津がとにかく付きまとってきたのも、実は小津もループ経験があったからなのでは…。
最終回を見て、自分の青春を思い返してしまった。
というわけで今回は自分語り。
あと4ヶ月もすれば大学を卒業する。
小学校から続いた学生生活が終わる。
学生時代という名の青春が終わる。
あのときあの道を選んでいたら、私はもっと楽しい学生時代を送っていたかもしれない。そう思うことは多い。私はせっかくのキラキラした青春を潰してしまったのではないか、ものすごくつまらない青春を送ってしまったのではないか、もし学生生活をやり直せたらどんなにいいか。
そんなことを思っていたので、四畳半神話大系の最終回には随分救われた。
思い返せば、彼氏ができるとかサークル仲間と飲み会をハシゴするとかそういう青春はなかったけど、バイトもしたし友達と旅行にも行ったし飛行機にも乗った。キャンプもしたし一人旅もしたしカメラも買った。全部、やりたいと思ってやった。自分の青春は地味だったかもしれないが、何も無かったわけじゃない。思い出はたくさん胸に刻まれている。
幸せには段階があると思っている。
何も持っていない人は1で幸せになれるけど、1を持っている人は2以上でしか幸せになれない。高度な幸せを望んでいる時、低度の幸せは既に達成されている。
極端な話をすると、私は高校1年のとき友達ができなかった。クラスの子たちは優しかったけど、特別親しいとかグループで活動するような友達がいなかった。毎日孤独を感じて憂鬱だったので、ただの事務連絡でも話しかけてもらえるのがすこぶる嬉しかったのを覚えている。
それが2年生になって親友ができて、それ以外の子と話すことに特に幸福を感じなくなった。時には傲慢なことに「この子と話すの嫌だな」なんて思って相手を選んだりした。会話に入れてもらえたら幸せという段階から、好みの相手と話したいという段階に上がったんだろう。
それはまぁ何にでも言えることで、就活では無い内定のときは「どんな会社でもいいから拾ってくれ…!」と思っていたけど、ひとつ内定をもらうと「ブラック企業っぽいところは嫌だな」とか「面白い仕事がいいな」とか幸福追求の段階があがった。衣食住足りて礼節を知る、まさにその通りだと思う。
だからといって何も持ってなかった初心に戻って、今の幸せに甘んじなさいとは思ってない。他人から羨ましがられるくらい幸せな人は「高い幸せを掴みたい」と思って行動したのだろうし、高い欲求や志がなければ物事は達成できないようになっているのが世の中。欲は(健全な方向なら)無制限でいいと思う。
ただ「かつては幸せだったこと」を忘れて自分を卑下したり、過去を辛いものに書き換えたりするのは悲しいことだよねって話。
何事も極端はよくないけど、「あのときに比べたら今は随分幸せだ」と現状にニッコリできるような余裕と思考も必要だなと、そう思うと胸が暖かくなるなと、四畳半神話大系から学んだのであります。
ちなみに「素晴らしき哉、人生!」っていう映画も好きなんだよね。これは最後に主人公が「もし自分がいない世界だったら」を見せられて、自分がいかに良い人生を送ってきたかを思い知るという映画。無限ループものや平行世界ものは人生に対して気づきがあるところが良いなって思います。結局、高望みして苦しくなるくらいなら、現状の幸せに気づくのが一番幸せなんだよね。
かといって他人に不幸自慢したり「身の丈にあわせろ」とか自分の物差し押し付けるのは狂ってると思うけどね。私が何に幸せを感じて何をしたいのかは、私だけがちゃんとわかっていればいいと思うんだ。
やりたいことが明確な人は強いよね。
話があっちこっち飛んだけど、とりあえず四畳半神話大系を見て過去を振り返ったら割と悪くなかったなという話。本当に引きこもってばかりで何もしない4年間だったら後悔凄まじかったと思うけど、私は私なりに色々やってきたんだなと自己肯定感が湧いてきた。幸福は上を見たらキリが無いけど、そもそも他人と比べることじゃねーしな。私が高校時代の友人たちと旅行に行けることがどれだけ嬉しいか、友達に苦労したことない奴にはわかるまい!
あとはもう学生時代にどんな後悔や思いを積むかは、社会人にならないとわからないかな。必要以上に落ち込むことがないよう、今日ここに書き残す。
気分によって文体変えてますが投稿者は同一人物です。
月に数日しか働かないとはいえ、同じバイトを4年もやってたらそりゃ飽きるよなと。バイト初めてばかりの頃は何もかもが新鮮で、知らないことも多くて毎日必死でした。今は目新しいものが少なくなり、「テーマパークで働く」という状態に悪い意味で慣れてしまった感じです。
そう、バイトのモチベがダダ下がりなのです。
ここ数週間は期間限定アトラクションの配属だったので新鮮で楽しかったのですが、今日の配属はいつものアトラクションでした。「うっわ、帰りたい…」というのが頭の中の第一声です。
でも「ハロウィン期間だからスタッフもなるべく仮装しよう」という方針のもと、渡されたマントを着てアトラクションを運営しているとですね、「マント着て接客できるなんてテンション上がらないの!!??」と考えたら俄然楽しくなりました。アガりました。こんなにハロウィンを楽しめるバイトなかなか無い。マント着るだけでテンション上がる、安い厨二病でよかった!
結局考え方次第なんだろうなと思います。
なんでも楽しむアタマを持っている人なんでも楽しい。
私はそういう人になりたいですね。
子供だましを本気で信じられる大人に。
とはいえ飽きることは防ぎようがない。ちょうど明日はそのバイト先にゲストとして遊びに行く予定ですので、子供のように楽しんで、働き始めた頃の気持ちを思い出すきっかけを作れたらいいなと思います。
月に数日しか働かないとはいえ、同じバイトを4年もやってたらそりゃ飽きるよなと。バイト初めてばかりの頃は何もかもが新鮮で、知らないことも多くて毎日必死でした。今は目新しいものが少なくなり、「テーマパークで働く」という状態に悪い意味で慣れてしまった感じです。
そう、バイトのモチベがダダ下がりなのです。
ここ数週間は期間限定アトラクションの配属だったので新鮮で楽しかったのですが、今日の配属はいつものアトラクションでした。「うっわ、帰りたい…」というのが頭の中の第一声です。
でも「ハロウィン期間だからスタッフもなるべく仮装しよう」という方針のもと、渡されたマントを着てアトラクションを運営しているとですね、「マント着て接客できるなんてテンション上がらないの!!??」と考えたら俄然楽しくなりました。アガりました。こんなにハロウィンを楽しめるバイトなかなか無い。マント着るだけでテンション上がる、安い厨二病でよかった!
結局考え方次第なんだろうなと思います。
なんでも楽しむアタマを持っている人なんでも楽しい。
私はそういう人になりたいですね。
子供だましを本気で信じられる大人に。
とはいえ飽きることは防ぎようがない。ちょうど明日はそのバイト先にゲストとして遊びに行く予定ですので、子供のように楽しんで、働き始めた頃の気持ちを思い出すきっかけを作れたらいいなと思います。
人の印象なんて一面的なんだろうなという話。
去年までゼミにいたその女の子は、成績が良くて真面目でハキハキしてて「しっかりした」印象があった。その上オシャレだし趣味も充実してるし、学問を極めたいという将来設計も実力もあり、無敵な子だと思ってた。仮にAちゃんと呼ぶ。
ゼミの打ち上げで飲み会をすることになり、幹事の人が「会費は1人2500円ですが、なるべく周りの人と合わせて1万円札で持ってきてくださいー」とアナウンスしていた。翌週、言われた通り1万円札を持ってきた私は、Aちゃん含め周辺の人たちに「支払い代行できるよ」と伝えた。
Aちゃん「ありがとう!実は誰か持ってきてくれるでしょって思ってたんだよねー。協調性ない私が持ってくるわけないからさー」
意外だった。Aちゃんの友人も「わかる。Aちゃんと私は絶対空気読まないもんねー」という反応だったので、Aちゃんがマイペースなことは自他ともに認める事実だったんだろう。しっかり者のAちゃんにも、人より適性の無い部分がある。
その時は驚いて印象に残ったけど、今となっては「そりゃそうだよな」という感じ。Aちゃんは卒業を待たずに院進して我が道を突き抜けた。周りを顧みない性格を自認しているくらいじゃなければ、あそこまでの行動力は培えない。改めて考えたら、Aちゃんはレポートの評価は気にしても、派手な髪色による周りの反応を気にしたことはなかった。それと協調性とはちょっと違うけど、みんながみんな私と同じ基準や目線で生きているわけではないことを痛感する良い例になったとは思う。
あんまり誰かを崇拝するのは、自分の自由を失うことだよ
というのは余りにも有名なスナフキンのセリフ。
昔の私はスナフキンが好きでスナフキンが人生の指針みたいに思ったこともあったけど、トーベ・ヤンソンがなにかのインタビューで「今思えば自分勝手な人」的なことを語っていて(超絶うろ覚え)、「確かにそうだな」と思った瞬間から、熱烈にスナフキンが好きとは言わなくなった。冷めた、というわけじゃない。一面的にその人を見て自分の好みを押し付けるのをやめようと思った。恋ではなく自分の人生のために物事と付き合おうと思った。
要は、人には色んな一面があることを覚えておこうということ。見方を変えたら固定観念なんて簡単に覆るということ。印象だけで相手を持ち上げるのはやめようということ。
もちろん良い思い出はそのまま覚えておくといいさ。ただ私は盲目的になりやすいので、その人のほかの面も見ないままに好きとか嫌いとか判断するのはやめようねという自戒を込めて、この日記を書いた。必要以上に他人を評価しない、これが一番言いたかったことかもしれない。悪評はもちろん、「この子はすごい子だ、自分じゃ足元にも及ばない」と意味もなく比較して自滅しないように。誰だって良い面だけ見たら最強だろう。
のらりくらりと、他人を尊重して理解して、自分の自由を考えながら生きていこう。
去年までゼミにいたその女の子は、成績が良くて真面目でハキハキしてて「しっかりした」印象があった。その上オシャレだし趣味も充実してるし、学問を極めたいという将来設計も実力もあり、無敵な子だと思ってた。仮にAちゃんと呼ぶ。
ゼミの打ち上げで飲み会をすることになり、幹事の人が「会費は1人2500円ですが、なるべく周りの人と合わせて1万円札で持ってきてくださいー」とアナウンスしていた。翌週、言われた通り1万円札を持ってきた私は、Aちゃん含め周辺の人たちに「支払い代行できるよ」と伝えた。
Aちゃん「ありがとう!実は誰か持ってきてくれるでしょって思ってたんだよねー。協調性ない私が持ってくるわけないからさー」
意外だった。Aちゃんの友人も「わかる。Aちゃんと私は絶対空気読まないもんねー」という反応だったので、Aちゃんがマイペースなことは自他ともに認める事実だったんだろう。しっかり者のAちゃんにも、人より適性の無い部分がある。
その時は驚いて印象に残ったけど、今となっては「そりゃそうだよな」という感じ。Aちゃんは卒業を待たずに院進して我が道を突き抜けた。周りを顧みない性格を自認しているくらいじゃなければ、あそこまでの行動力は培えない。改めて考えたら、Aちゃんはレポートの評価は気にしても、派手な髪色による周りの反応を気にしたことはなかった。それと協調性とはちょっと違うけど、みんながみんな私と同じ基準や目線で生きているわけではないことを痛感する良い例になったとは思う。
あんまり誰かを崇拝するのは、自分の自由を失うことだよ
というのは余りにも有名なスナフキンのセリフ。
昔の私はスナフキンが好きでスナフキンが人生の指針みたいに思ったこともあったけど、トーベ・ヤンソンがなにかのインタビューで「今思えば自分勝手な人」的なことを語っていて(超絶うろ覚え)、「確かにそうだな」と思った瞬間から、熱烈にスナフキンが好きとは言わなくなった。冷めた、というわけじゃない。一面的にその人を見て自分の好みを押し付けるのをやめようと思った。恋ではなく自分の人生のために物事と付き合おうと思った。
要は、人には色んな一面があることを覚えておこうということ。見方を変えたら固定観念なんて簡単に覆るということ。印象だけで相手を持ち上げるのはやめようということ。
もちろん良い思い出はそのまま覚えておくといいさ。ただ私は盲目的になりやすいので、その人のほかの面も見ないままに好きとか嫌いとか判断するのはやめようねという自戒を込めて、この日記を書いた。必要以上に他人を評価しない、これが一番言いたかったことかもしれない。悪評はもちろん、「この子はすごい子だ、自分じゃ足元にも及ばない」と意味もなく比較して自滅しないように。誰だって良い面だけ見たら最強だろう。
のらりくらりと、他人を尊重して理解して、自分の自由を考えながら生きていこう。