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日記、感想、オタ活・・・ごちゃまぜ雑多の物置蔵
酉島伝法『宿借りの星』

 普段短編小説や漫画しか読まない私が数日で読破してしまうくらい面白い長編SF小説。
 異世界の異形生物たちの物語。
 
 私とこの本との出会いは偶然が重なったものでした。まず10月に柊マグネタイトという方の「或世界消失」というボカロ楽曲にハマり、続いて柊マグネタイトさんの新曲「旧約汎化街」が発表されたので嬉々としてYoutubeで聴いていたらコメント欄で歌詞の用語を解説してくれる人が現れ、その解説の中に「卑徒(ひと)→分かりませんでしたが、 「いつか卑徒になる日まで」という本があり、その中では沢山の当て字の造語が使われていて、おそらくその中で人という意味で使われてるっぽい…??」とあり、もともと「或世界消失」の世界観が小説っぽいなと思っていたところだったので、「もしかして似たような世界観を楽しめる本なのかも」と思って「いつか卑徒になる日まで」を検索し、どうやら酉島伝法という小説家がいるらしく、最近『宿借りの星』という本を発売したらしいということを知りました。で、その『宿借りの星』の解説・円城塔の表記を見た瞬間、「或世界消失」を初めて聴いたとき円城塔を思い出したことを思い出し、これは私の中で何かが繋がろうとしているとか何とか思いながらAmazonを開いて商品検索をしたのでした。なにやら異世界の話で難しい文体の本らしいということは検索したときにわかったのですが、なぜか文庫本だと思っていて、Amazonで3,300円という数字を見たときは「高っ」とつい言葉が漏れました。でもそこは卒論に疲れて娯楽への金銭感覚がぶっ壊れていた時期だったことが幸いし、無事にポチることと相成ったわけです。ついでに言えば飽き性な自分が世界観にのめり込んで読破できたのも、今現在が卒論に追われているという非日常的な状態だったからでしょう。人間は何かに追われると現実逃避が捗るものです。テスト前に掃除が捗るのと一緒!

 前置きが長くなり過ぎました。
 そんな感じで作者に対して前知識があるわけでもなく、事前に解説サイトをじっくり読んだわけでもないという状態で本が届いき、その分厚さにびっくりしながら読み始めてみれば、「頭の奥深くまで霞んでいるようだった。マガンダラに見えるものと言えば、足元に次々と現れる水溜まり、傍らを這い進む渡那貝曳き(となかいびき)の荷橇(にぞり)、長い四本脚でぬかるみを踏み歩く̪駟種(ししゅ)の脚搬(きゃはん)くらいだった。いまヤドロヌワはどのあたりにいるのだろう」――「いや、読めるわけないやろ……」という第一声が漏れました。このような造語だらけの地の文が延々と続きます。これがこの世界の言葉であり生活なのです。

 そもそも異形の物語とはいえ主人公は人型だという先入観がなぜかあったので、この冒頭でとりあえずマガンダラという者が主人公らしいということは分かっても、その後の描写がマガンダラのことを指しているとは見当がつかなくて大混乱。数ページ後にありがたい挿絵(作者が描いている)を見て「これがマガンダラか!」となり、私の物語理解はそこから始まりました。脳内にマガンダラを描けたら、あとはありがたい挿絵とかみ砕けば問題なく想像できる文章のおかげで、頭の中にまだ見ぬ異世界を創り上げることに成功しました。そう、解説の円城塔さんも書いていますが、本書は小難しい文面が広がっているように見えて、ちゃんと読めば映像が浮かんでくるのです。逆に言えば全く知らない生態系を他者に通達できる作者の力量には舌を巻きます。それに異世界を覗き見るのだから、多少はギャップというか障壁があって当たり前。でもそこを潜り抜けたら、素晴らしい物語が待っています。とりあえず冒頭数ページで諦めなかった自分を褒めたい。
 ざっくり冒頭を説明すると、マガンダラが国を追われて改心?します。今まで傲慢に自分が見たいものだけを見てきたマガンダラが改心?し、自分や周囲を捉え直すところから物語が始まっているので、この主人公と共に進むことで、マガンダラから見れば異世界のものである我々人間の読者にも世界観が伝わりやすい構造になっていると思うのです。説明的すぎず主観的すぎず、絶妙な文章がとても心地よいです。

 見慣れないけどなんとなく伝わる造語を追いかけ読み進めているうちに、人間のいない世界のことを人間の言葉で表現できるものだろうか?という疑問が生じました。このことについても解説の円城塔さんは触れています。しかしこれが小説である以上はこちらの言葉で書かれていなければならない。だから酉島伝法は「世界作成者であると同時にその翻訳者でもある」と。ちなみにこの解説、「いやぁこの物語は解説したいこといっぱいあるでしょ円城さん!」とウッキウキで開いたら6ページしかなくて泣きました。でもその6ページに私が書いて欲しかったことがほぼほぼ書かれていてニヤニヤしました。解説の最後の文が大好き。本書は解説を先に読んでも大きなネタバレは受けないので、(もし未読で興味のある方がいらっしゃいましたら)先に解説を読んで本書に対する心構えを整えておくのも良いなと思いました。


(ここからネタバレ)

 
 書きたいことが物語の本筋に触れるので一応ワンクッション。先程述べた、人間のいない世界のことを人間の言葉で表現できるものだろうか?という疑問、もちろん解説で円城塔さんが語っていることも大切なんですけど、この物語が「卑徒(ひと)と切っても切れないもの」であるというのも一種の答えだと思うんですよね。この物語における卑徒(ひと)はそのまま人間です。異世界の生物たちの物語ときくと「SFというよりファンタジーでは?」と思いますけど、一部の人間が地球を離れて未知の星に住み、やがてそこに異形の生命体が現れてきた・・・という背景を知るとたしかにSFだなと思いますよね。思いませんか。
 物語の中では、まぁ色々あって、人間がミクロな存在となって異形生物たちに寄生するんですよ。物凄く長い過程を繰り返して、異形生物たちの脳に住むことに成功し、操ったり操らなったりする。主人公マガンダラも中盤で卑徒の寄生虫、卑徒虫に寄生されていることを知り、近頃周囲の者たちの様子がおかしかったのも卑徒に寄生されたせいだと考えるわけです。怖いですね。私は自分が未知の生命体に寄生されていたとしても分からない(ふつう寄生虫や細菌は余程のことがない限り宿主を殺さない)し、もしかしたら今こうしてPCに文字を打っているのも自分の意思ではないかもしれない、だったらどこまでが自分の意思だったのか、そもそも自分の意思とはどこからきている?と考え出したら背筋が寒くなりました。一応マガンダラは「卑徒虫に憑かれたのはあのときかな」と見当をつけるわけですが、私はこの物語の始めからマガンダラは既に感染していたと思いましたね。言葉で記録する文化を持った卑徒虫に取り憑かれたからこそ、マガンダラの物語は我々に届くこととなった。卑徒虫のおかげでマガンダラの物語は人間が理解できるものになった。人間が伝達手段という装置として第3の壁(虚構と現実の壁)を殴ってくる、そういう物語体験として処理したとき、私はとても大きな満足を得ました。
 
 要は異形たちで完結する物語ではなく、人間が登場することで、この物語は第四の壁を殴れるくらい強度のある、リアリティのあるものとして輝くわけです。造語や文体や世界観や緻密な生態系構成ももちろん素晴らしいものだとは思いますが、私はこの人間の扱い方に大きな感銘を受けましたし、だからこそ第40回日本SF大賞を受賞したんだろうなと思いました。


(ネタバレおわり)


 読破してしまうのが寂しいと、久々に思いました。
 異形の生態系が出てくる物語としては『堕天作戦』という漫画も好きなんですけど、本書は文字から映像を想起させる小説だからこそ、頭の中の生き物たちが深く鮮明に刻まれていくんですよ。もちろん挿絵がなかったら何がなんだかわからない部分も多々あったでしょうが。まぁ脳内でマガンダラとその仲間たちが動くのを見ていたので、愛着がね・・・すごいんですよね。でも物語がちゃんと?閉じているので、未練なく本を閉じることができたかな。

 ふぅ、とりあえず言いたいこと全部書けて満足しました!
 買えてよかった、読めてよかった、という具合です。
 私をこの本に導いてくれた縁に感謝します。
 さてさて卒論、ラストスパート頑張ります!
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