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日記、感想、オタ活・・・ごちゃまぜ雑多の物置蔵
ここ数日で2回も先輩に注意された。
『伝達しなかったこと』が主な原因だ。

私は『不在の先輩より、今いる上司に伝達して解決してもらう』ことが効率的だと思ったからそうした。もしタイミングが合っていれば、私が「これは私じゃ分からない」と思った瞬間に先輩が座っていれば、私だって上司じゃなくて先輩に伝達した。それだけは間違いない。

ただ私は上司に伝達してしまった。それが完全に間違いだったとは思わないし、上司も「その場にいなかったんだから怒るほうがおかしい。気にする必要はない」と理解してくれている。それでもモヤモヤが晴れないのは、先輩からの印象に傷をつけたことが耐えられないから、だろうな。

自分が完全に悪かったとは思わない。謝る気はない。
ただ先輩からの信頼を失ったかもしれないという可能性が、堪らなく怖い。
もともと信頼なんてされていないのなら、それはそれで悲しいが。

結局、私がもっとうまく立ち回っていれば防げた話なのだ。
もっとこうしていれば、と思えば思うほど、悔しさと悲しさが渦を巻く。
後悔先に立たず。冷たく詰められた言葉が繰り返し再生される……。


注意された後、なんか若干冷たくされるようになったのも堪えた。
勘違いであってほしいけど、感じた空気はまぁまぁ地獄だったよ。
そりゃあたしかに先輩からしてみれば、言動を注意した後輩が謝罪もせずヘラヘラといつもの調子で絡んできたらウザくて相手にしたくないのかもしれないけど。

それでも顔色一つ変えず「ここ教えてください」って凸していた私は、案外メンタルが強いのかもしれない。たしかに注意されたこと自体はショックだったが、だからといって露骨に私を嫌う態度を出すのは大人としてどうなのか。もし本当に「こんなこと」で態度を変えるような人間であれば腹に据えかねるので、逆に私が態度を変えたら負けだなと思った。
「そこまで言うなら模範社会人らしく、『失敗者ではなく失敗を責める』人間であれよ」と、理想を押し付ける形で、私はコミュニケーションを取り続けた。

こうしていれば、という後悔はたしかにある。嫌な記憶だと思う。
でもそれは、私が先輩の顔色を伺う理由にはならない。


まぁこうして私はいつも通り働けているし、胸のうちを書き出せてスッキリしている。
あとは、もう同じような過ちを繰り返さないように反省点を考えるだけだ。
今までは、なんでも最速で解決するのが効率的だと思っていた。でも今回の件で自分が傲慢になっているんじゃないかと思うようになった。ものには手順があって、それをすっとばすと結果的に信頼とか評価とかそういうものを失うことになる。即物的に解決はできても、過程や引き継ぎで禍根を残すことになりかねない。仕事は謙虚に、そして仕事仲間には尊重を。
「うまく立ち回る」なんて目標は抽象的すぎて立てられないから、今は「先輩に過不足なく伝達する。なるべくメモを活用する。手順を意識する。」くらいで勘弁してほしい。これくらいなら頑張れる。こういう風に処理できるのなら、今回の件を糧に前に進めそうな気がする。悩んだ時間も落ち込んだ時間も、無駄じゃなかっただろうと思える。

私はまだ成長できる。
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 水曜日の夜から土曜日まで、一人で旅行に出た。
 名古屋港発のフェリーに乗って、終着地は北海道の苫小牧。
 世界の広さが染みわたる旅だった。


 計画は結構唐突。今月の始め頃だったと思う。
 思い立ったその場でフェリーやホテルや帰りの飛行機を予約した。
 もともとこの日程は雪山登山に挑戦する予定で空けていたが、「雪山経験値のないお前がいきなり中級コースに申し込むな」という至極まっとうな理由でキャンセルとなり、代替になる旅程を探すことにしたのが始まり。正直、雪山がとん挫したショックで意気消沈し、他の旅行を考えるのも面倒だった。なんだかんだ旅行ってのは、移動で疲れるし金はかかるしリスクもある。ただの高価な娯楽であり、わざわざ行くのは生産的ではないのでは……そんな感じで腐ってしまいそうだった。
 それでも実行に踏み切れたのは、私が救いを求めていたからなんだろうなと思う。日々に追われて心が疲弊しているのは自覚していた。創作は文字通りもう1文字も書けないし、漫画やゲームを追いかけるのも苦痛になった。感受性も死につつあるなと思っていた。昨年、ディズニーシーに行った時、アトラクションを昔ほど楽しめないなと自覚してしまったことが少しトラウマだった。……そんな状況を打破したかった。家でゴロゴロしていても解決しないのは自明だろう。

 心を生き返らせるような旅。
 今思えば、そんな表現が的確かなと思う。


 フェリーの出港は水曜日の夜7時だった。
 バスに揺られながら港へ向かう途中、船に乗るまで、ずっと緊張していた。はじめてのものに乗るってこういうことだと思う。いよいよ船に乗るんだ、本当に乗れるのかな?…そんな気持ちがグルグルして落ち着かない。ただ、夜の港にライトアップされたフェリーの姿を捉えた時は、たしかに「すごい!大きい!!」と感動した。目が釘付けになって、不安がわくわくに変換された。そこから先は非日常だった。

 船内をレポするとしたら、そうだなぁ、「客船」って感じ。吹き抜けのロビーがあり、海を眺める窓とソファーがいくつもあり、海が見える大浴場があり、ビュッフェがあり、ランク分けされた客室があり、まさに動くホテルだった。大きい船だから揺れが少なく、酔うこともなかった。
 最上階には外に出られるデッキがあり、さすがに船首には出られないものの、海の上を感じるには最高だった。ただゾッとするほど風が強く(風をしのげる場所もあったが)、本当に風が強く、手持ちの品を飛ばされてもおかしくない、何なら人間が飛ばされてもおかしくないなと思うことが何度かあった。ちなみに私は船への憧れをこじらせるあまり、旅行前にコスプレショップで白い軍帽を購入し、デッキで帽子被って写真撮ることを夢見ていた。結局ちゃんとそれっぽい写真は撮れたんだけど、マジで帽子が何度も飛んでいきかけて焦った。かなり無謀だったと思う。
 
 基本的に、海を見るか、寝るか、読書するかで過ごしていた。今回は村上春樹『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を持ち込み、これを2泊3日かけて読むことをミッションとしていた。少しは小説を消費できる人間になりたかったから。小説をゆっくり読める旅なら船じゃなくても、例えば旅館に缶詰めでも良かったのだが、そんなことをしたら私は周辺を観光したくて外へ出てしまうので、身動きできない旅という意味で船が最適解だった。圏外かつWiFiも契約しないと利用できないというのも、退屈だったけど小説に集中できてよかったな。私みたいな人間はスマホで時間を浪費することが得意で困る。
 結局『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』は、残りあと10ページくらい残った状態で帰宅した。あとちょっとだから今夜にでも読みたい所存。

 1日目はなかなか寝付けず、午前3時に諦めて寝台から出て船内を探索した。個室ではなくカプセルホテルみたいにベッドが並ぶ寝台に泊まっていた。お客は少なくガラガラだったので快適だった。船内は一応24時間電気がついている。
 午前3時、好奇心に負けて、あたたかい格好をして夜のデッキに出た。すぐ後悔した。別段海が荒れているというわけでもなかったが、夜の海はどこが水面かわからないくらい漆黒で、底知れない不安を掻き立てる。その上昼間とは比べ物にならない暴風が、物体を隙あらば吹き飛ばさんばかりの勢いで吹き荒れているので、なんかもうドアから出て4,5歩で回れ右した。マジで人間が飛ばされても誰も気づかないだろうし生存不可だしヤバい世界である。よく考えたら夜中にデッキに出ることができるのも不思議だ。星空観察どころじゃない。まぁ時と場合によっては穏やかな夜もあるのかもしれませんけど……。
 外にビビり散らしたあとは、窓の近くのイスに座ってずっと本を読んでいた。睡魔が再び襲ってくる夜明け前、ふと日の出が見たいなと思い立って再度デッキへ。おそるおそるドアを開けた。風は大分収まっていた。何より、海とデッキの形が可視できるだけでこんなに安心して出られるとは思わなかった。太陽は偉大だ。

 日の出は美しかった。今日も来たという安心感が胸を満たした。



 2日目の夜、ちょっと退屈になって悶々とした時間があった。
 こんな客船に若い女性の一人旅は珍しいのか、割かし声を掛けられる。それが楽しいときもあったけど、奇異な目で見られたり干渉されたりするのが鬱陶しいなと思うこともあった。
 
そんなときに書き残したメモがこちら。
「のんびりとした旅はイコール退屈だ。一人でいることは、世界を直接感じることだ。世界のあり方も、景色も、周囲からの反応も、誰かと一緒だったら希釈される。それが良かったり悪かったりする。よくも悪くも、一人旅は感じることが多い。どうしたらいいのかわからない。
 船の中、私はよくイヤホンで耳を塞いだ。馴染みの音楽で外界から刺激を遮断する。妙に安心した。そうしないと寝られなかった。一体何から逃げているのかはわからない。物理的に私を害するものは無いというのに。形のないものがやんわりと恐ろしい。それはたぶん他人の視線、声、存在、可能性。つくづく一人旅というのは『観光属性』に向かないものだと思い知る。綺麗な内装は嬉しいし、洗練された設備には癒される。それでも、胸に差し込む暗い感情は、こういうところだからこそ感じるのだ。」

 ガチ陰キャの一人旅は前途多難ですね。
 書き残したあとは心のモヤモヤも多少は晴れたし、その後は小説と音楽と自分の世界に徹底的に没頭するようにしたので、モヤモヤする時間も減った。はじめからそれでよかったんじゃないかな…。


 3日目、いよいよ上陸の日。
 午前中に上陸だったので朝から荷物をまとめ、残りの時間は相変わらず小説の文字を目で追っていた。上陸1時間前、ふと窓の外に顔をあげると、これから上陸するであろう港が見えた。
 人間は目的地を目にするとこんなにも心躍るのかと驚くくらいテンションが上がった。新天地がいよいよ迫ってくるワクワクは何物にも代えがたい。もう村上春樹なんて手につかなかった。急いで防寒具を着てデッキに登った。刻々と近づいてくる港を、目を輝かせて眺めた。ちなみにそんなことをしているのは私だけだった。デッキは相変わらず閑散としていた。
 はじめての土地、はじめての地形、遠くに見える名も知らぬ高い山。嬉しくないわけがない。

 そこからはあまりにも短い北海道観光である。翌日には帰らなきゃいけなかったので、観光というよりは美味しいもの食べてお土産買って帰るだけみたいなもんだったが、まぁ満足だった。ジンギスカン、札幌ラーメン、うに丼まで食べられたら誰だって幸せに違いない。


 4日目、帰宅の日。
 お昼ごろ、新千歳空港から名古屋まで飛行機で帰った。飛行機に乗るのは学生時代に台湾旅行に行ったきりである。何度目だとしても空を飛べるのは単純にうれしかったし、国内線ならではで高度が低いのも見どころだった。良い具合に日本を空から見ることができた。
 離陸も楽しかったし(離陸時の重力やスピードはアトラクションみたいだけど、これは本物なんだという事実が何よりワクワクした)、景色はもっと良かった。高度がぐんぐん上がる中、上陸した苫小牧を発見し、北海道の地形のもの珍しさと美しさに感嘆した。本州は天気の影響で地形が見えるところは少なかったが、空から見る日本が新鮮で、窓の外を食い入るように見つめ続けた。
 新潟から長野のあたり、ちょうど日本アルプスがそびえたつところ、雪を被った山脈が続いていて、その美しさに我を忘れて写真を撮った。山は美しい。それが遥か遠い星などではなく、技術があれば「いつかたどり着ける場所」なのが良いなと思った。大小さまざまな山に覆われた日本って、美しいんだな。帰りの手段に飛行機を選んだ自分を褒めた。こんなに素敵な景色に出会えるのなら、永遠に国内線に乗っていたい。

 そう思うくらい、綺麗だった。


 

 さて、愛知県に帰ってきて、ようやく「帰ってきた」実感が湧いてきた。
 乗り慣れた電車に揺られて帰宅する。
 電車の中で、この旅について考えていた。


 景色の良い旅だった。良い景色を見て、おいしいものを食べる旅だった。そしてその景色に心躍らせる『私』が嬉しかった。遮るもののない朝焼けを美しいと思い、空と海の間でデッキを駆け回り、近づく見知らぬ土地に胸躍らせ、空から見る大地をこの上なく素晴らしいと思った。
 今は、心が生き返ったような気分だ。
 そう思うと涙が溢れた。イヤホンから流れる旅の音楽がいつもより染みる。旅の中で見てきた夢のような情景が確実に心に刻まれていると自覚して、まだ自分は捨てたものでは無いなと、まだ世界に感動できる神経があるんだと分かって、とてもとても嬉しかった。一人旅だから苦しむこともあったけど、この感動は希釈しない一人旅だからこそ手に入ったんじゃないかなと思う。私はやり遂げた。こんなに後味の良い旅ははじめてだ。


 また現実に追われて疲弊するとしても、きっと立ち直れるだろう。海の向こうにある世界や、空の向こうから見える景色、それを「知っている」ことがどれだけ希望になるか。まさに「心臓をつくような風景」を、私は見たんだよ。

(今回の音楽)鳥になった少女 / 可不

仕事が上手くいかない。
ミスを連発しているわけではないけど、やろうとしていたことがその日のうちに終わらなかったり、イレギュラーな事態にあたふたして満足な対応ができなかったり、できると思っていたことにとてつもなく時間がかかってしまったり、先輩の説明を聞いてわかった気でいたけど実際にやってみると順序がてんで不明だったり・・・・・・ここ1,2週間はそんな事態のオンパレード。うまくいかないことが立て続けに起きると、なんとなく逃げ癖というか弱気になってきて、出来ない理由や言い訳を探したり、とりあえず自分を責めたりして、ネガティブな方へネガティブな方へと、気持ちも思考も落ちていく。

今日も今日とて仕事がうまく進まず傷心。
つい先輩に「うまくいかないんですよ、落ち込みますよ」と、ぼやいた。


「そうだね! 僕らの担当業務は、パソコンの取り扱いからパートさんの雇用まで、小さな組織を経営しているみたいに幅広い仕事があるんだよね。やることがたくさんあるけど、無事に運営できるようになったら、どこの部署でも通用するよ」


そんなことはわかってんだよ!!!!!!

分かってるよ!!!私がいくら「こんなの専門外だよわかんないよ…」と思ったところで、その仕事は確実に私の仕事だし、オールマイティに全てを管理して円滑に運営できる仕事の仕方が理想形なんだってことくらい、わかってるよ!!それができないから嘆いて嘆いて毎日苦しくて、少しは同情して欲しくてぼやいたのに、そんなド正論決められたら泣きたくなるってもんだよ・・・!!そんなことはわかってんだよしか言えないんだよ・・・!わかってるよ、わかってる・・・先輩の言う通りだ。ちゃんと一人で、担当職員として、広範囲に知識と技術を持ってフルカバーできるっていうのが最善なんだ。私が目指すべき姿なんだよ。それが一番、かっこいいんだよ。知ってるんだよ、そんなことは。

先輩のありがたいお言葉により私の心は大荒れに荒れたが、同時に「目指すべき姿」に気づかされた。
表面的には認識していたけど、しっかり考えたことはなかった。
慣れない仕事生活の中で忘れていただけかもしれないけど。
どうせ仕事を任されているのなら、しっかり隅から隅まで管理できる頭になりたいと思う。それが理想だと思うし、最善だと思うし、圧倒的に楽しいと思うから。だから私は私の思い描く「小さな組織を経営できる人」を目指すんだ。この程度で止まっている場合じゃない。
「できない」「わからない」と燻るくらいなら、理想の姿を追いかけたい。
ド底辺で起き上がる力もなく泣いているよりは、無様でもブチギレながら階段を駆け上がりたい。

だったら、せめても、ネガティブになっている場合じゃないなと思った。いきなり明日からできなかったことができるようにはならないだろうが、気の持ちようで処理速度の少しくらいは上がるはず。昨日よりは理想に近づけていると信じて、タスクをこなしていこう。

あと半年。まだ取り返せる。

落ち込みがちな時期。
なにひとつ上手くいかないなと、暗い気付きが全身に蓄積する。
うまく生きていけていない気がする。
人間を十分に演じられていない気がする。
もっとうまくやらなきゃ、自分はダメな奴だという妄想に取りつかれる。

今日も今日とて、色々やらかした。
時間配分が甘くて時間を持て余したり、うまくコミュニケーションが取れなくて最低限の会話しかできず勝手に落ち込んだり、来客対応が不十分であとから確認しておけばよかった事項がバラバラ出てきたり、急いで印刷しなきゃいけないものを何度も間違えたり。

そこへ加えて、最近の悩み。
休日は何もやる気が起きなくて寝てばかり。病気を疑うレベルで何も手につかない。家にいると本当に何もしないので、買い物に行ったりボーイスカウトに行ったり無理やり行動せざるを得ない予定を入れるけど、入れたら入れたで予定があることがストレスになる。かといって他にしたいことがあるでもない。地獄。

平日は働いている。残業は結構多い。残業代がちゃんと出るので働く環境にストレスは無い。それでも、今日みたいにうまくいかない日はあるし、さすがに自由な時間が欲しいなと思うときもあって、なかなかまだまだ精神がしゃちくになれない。いつも真面目でストイックな先輩も、私みたいに自分のことで悩んだり立ち止まったりすることがあるのだろうか。想像つかないな。

最近あった一番楽しかったことが「めっちゃ面白い夢を見た」なのがもう絶望である。いや面白い夢は別にいいんだけど、度が過ぎると現実より夢の方が楽しみになってしまって生きるのが辛くなるので本当にキツい(実体験)。

一応日々を面白くしようと努力はしてる。
でも読書は5分に1回寝た。耐えて耐えて1冊読み切ったが二度と読まないと思う。ゲームは最近寝食を忘れてハマったものがあるが、一定のレベルに達して速攻で飽きた。バイクは最近のツーリングで渋滞に巻き込まれて死ぬほど疲れたのでしばらくは遠慮したい。いい感じの刺激が無い。
そもそも「やりたいからやる」のではなく「日々を面白くしたいから頑張る」というのも、段々と「努力してまで面白いものを見つけないといけないの?努力しないと面白いと思えないの?」と頑張る意味を見失って憂鬱になるので危険である(実体験)。


こんな感じで「生きるの向いてないな…」と思い詰めていたのだが、ふとテレビに映った一般人の生活感や日常の話を眺めているうちに、「生きるのに刺激は必須では無くね?」と思った。自然体が一番じゃんと思った。やっぱりもう心のどこかで、人生は楽しくあるべきで、適度な刺激と適度な行動力が必要で、楽しいことが無いのなら自分から探しに行かなければならないと思い込んでいたんだろうなと思う。もちろん退屈を潰せるのならそれが最善だし、自分のこうやって何かしら手を出してみたくなる性分は嫌いではない。でも、対処法が常に正解とは限らないんだろう。

なにもしないこんな夜を、「今日も何もしなかった。時間を無駄にした。自分はダメな人間だ」と嘆く必要はないのかもしれない。

嫌なら行動すればいいのに出来ないジレンマから抜け出せない自分は嫌いだけど、認めてあげてもいいんじゃないって思ったら少しは心が軽くなった。どうせ今悩んだってできることは特にない。少しでも建設的なことがしたいなら、とっとと寝て解答を明日にゆだねるべきだ。明日になったら、見えている世界が変わるかもしれない。そう信じて、寝てみよう。

 自分がコロナ陽性を引いて2週間仕事を休んだのが7月の末。
 復帰後もなんとなく体調不良だったしメンタルも落ち込んでいたので、思い切って髪を切った。それはもうバッサリと。これでこの夏に染みついた悪い気を落として、心機一転仕事も休暇もバリバリやっていくつもりだった。実際、髪切った直後の信州旅行は楽しかった。

 それが復帰して2週間も経たぬうちに、今度は別の家族が陽性を引いた。
 私は「コロナ明けなのに旅行に行くなんて信じられない。行くなら帰ってきてしばらくは家の中でもマスクして食事は別で取りなさい」と家族に言われながら旅行に行っていたので、ここ1週間は対面で食事どころか面と向かって会話したこともない。それでも「同居家族は原則、濃厚接触者」という無慈悲な定義には逆らえず、涙を飲んで職場に連絡を入れた。

 運は早々好転しないようだ。

 4日間無駄に浅い娯楽と惰眠と暴食に溺れ、本日は自宅待機最終日。
 ようやく文字が打てるようになった。ヤケクソな気持ちが起因していたのか、生来の救えない自堕落のせいなのかわからんが、しばらく何をやる気もなかったし、何に集中することもできなかった。それでも「EGOISTの歌が好きだから1期くらいは見とかないと…」とサイコパス22話観たのだけは褒めてもらいたいかもしれない。観たというか、再生をクリックしたら後は画面から目を逸らさないよう耐えていた、という方が正しいかもしれない。平時ならこのアニメを面白いと思ったのだろうけど、こんな状況下では物語を楽しむことよりむしろ、「見終える」ことだけが重要だった。本を読み切らない、アニメも見切らない、ゲームも積みがちな私には、「面白い」と思うことより、「最後まで追いつく」ことが何より重要だ。そのくせ、今のような時間を与えられた状態になると、「何か功績を作らねば」と思い詰める。別に新しい料理に挑戦したとか、短編をひとつ書いたとか、イラストを描いたとかで十分なのだが、物語に集中できない奴が創作などできるはずもなく、最低限の妥協案として「物語を消費する」が浮かび上がり、その最低限の妥協案を自分に課した結果、サイコパス1期一気見というところに落ち着いたのだった。いわば義務。
 
 ところがこうして最終日はPCに向かって動画ではなく文字を考えて打つことができる。夏休み最終日には宿題に向かう勇気が出るパターンなのかもしれないし、たまたま今朝が涼しかったので体力が有り余っているのかもしれない。夏の朝の涼しさはとてもよい。
 
 自分はもっと一人の時間をクリエイティブに過ごせると思っていた。
 そんなものは傲慢な思い込みもいいところだった。
 社会人になって1年数ヶ月。創作する力を殺してしまった気がする。
 物語を楽しめない奴が、どうして書けるだろう?
 
 こんな感じだから、外に出たがる。外に救いを求めに行きたくなる。
 逃げているだけなのかもしれない。
 でも私は、こんな自分を諦めて腐りたいとは思わない。こんな状態でも、たまにはワクワクしたり、ときめいたりすることがある。そういう心の機微を、希望の欠片みたいのものを探して、気づくことを忘れなければ、いつかきっと私は私を喜ばせる術を知るだろう。そのために手広くやっていけばいい。飽きたってかまわない。様々なものを見てみるんだ。だから考え続けて、やめないで。
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