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日記、感想、オタ活・・・ごちゃまぜ雑多の物置蔵
酉島伝法『金星の蟲』

 『宿借りの星』で世界観の完成度の高さに惚れ、作家買いすることになった酉島伝法のSF短編集。酉島伝法といえば!な異形モノもありながら、様々なテーマの作品が味わえるという、贅沢な短編集だった。特に読んでて楽しかった作品の感想をまとめる。

「金星の蟲」
 印刷工の男の日常が侵食されていく。全体的に湿度の高い不穏な空気が充満しており、めちゃくちゃ暗い。初手でこの陰鬱さは読者を挫折させに来てると思う。正直、読む気になれなくていきなり数ヶ月寝かした。巻末解説によれば、酉島作品の中でも造語が少ないとのことで、まぁたしかに読みやすかったけど、理解しやすいからこそ陰鬱さをストレートに感じるまである。この作者、SF小説じゃなくて陰鬱お仕事小説でも大成しただろうな。この暗さは別の短編集に収録されている「皆勤の徒」に似通っている。初手の収録作品の暗さで読者の心を折るところも似通っている。

「環刑錮」
 脳は精神の牢獄!とかいう抽象的な話じゃなくて、自分の体を物理的に牢獄にしてしまうのはヤバいアイデアだと思います。(率直すぎる感想) 体の自由を奪われた結果、思考だけが生きているのであれば、それは本当に脳が牢獄になるよね…。動かせるものが思考だけになったとき、過去の記憶がとめどなくフラッシュバックするの分かるなぁ。主人公の行く末を見守るのが面白かった。

「ブロッコリー神殿」
 未知の惑星に、惑星探査のチームがやってきて巻き込まれる。官能的だなぁと思って読んでたら本当にそういう趣旨で書かれたやつだった。語りが「侵入される側の惑星視点」なのが面白い。物語ってこんな角度で作れるんだ!という発見があった。語りも展開もシリアスなのに、作品タイトルがブロッコリー神殿とかいうセンスがずるい。作品の舞台がブロッコリーみたいな森(のようなもの)だからなんだろうけど、投げやりで率直すぎるタイトルに見えるのは私だけだろうか。他のタイトルがかっこいいだけに、作品名のインパクトが尾を引く。

「堕天の塔」
 とある漫画作品のトリビュートとして書かれたものらしいよ。だから世界観の完全な把握はこの作品だけでは難しいなと思ったが、物語の筋がかなり好みだった。主人公がピンチの末に、かつてはぐれたものと再会するのアツい。酉島伝法、異形造形や造語による読書体験の没入感だけじゃなく、話の筋だけでも面白いからすき。『皆勤の徒』収録の「泥海の浮き城」でも思ったことだが、酉島伝法のハードボイルド風作品、ほんとすき。

「クリプトプラズム」
 謎の物質を探査研究する話。本巻の中で特に宇宙ものっぽいというか、1番SFらしい作品だった。探査段階の予測不能感が面白いのは当然ながら、個人的には「読まれることによって完成する作品」である論理にめちゃくちゃ弱いので、こんなん反則だろ…と思いながら最終ページを閉じた。


 やっぱり面白いね、SF!思考実験と娯楽性をガッチャンコした作品が多いところが好き。特に短編集は、数多の世界を覗き見てきた満足感がある。ここ2ヶ月ほど、新生活に追われて心の余裕がなかったけど、やっと読書する余裕が出てきたのも嬉しい。
 酉島ワールドにまだ浸っていたいなと思ったので、外出したついでに本屋で『るん(笑)』を買ってきたが、よく考えたらヌフレツンもあったな…。また今度だなそれは。こうして「いつか読むつもり」の積み本が増えていくのであった。
 
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円城塔『コード・ブッダ 機械仏教史縁起』

 完全に作家買い。文章に酔いたい人向けSF。
 自動思考、自動計算、ゲームといえばFPS、リアルタイムで応対するチャットボット、そういうのが当たり前の今だからこそ、楽しめる小説だと思った。本作が世に出るのがもう少し過去だったら、理解が難しかったかもしれない。逆にもう少し未来だったら、古くさい謎ロマンSFに見えていたかもしれない。この小説を時事ネタのように楽しめるのは今だけ。そう思うとより興味を持って読める本だった。

(あらすじ 微ネタバレ)
 本作の構成はざっくり、とあるAIがブッダを名乗ったことから派生した機械仏教の広がりを解説する機械仏教史パートと、語り手に巻き起こる出来事(?)が描かれる物語パートに分けられる。もちろん最終的に合一する。
 機械仏教史は倫理の教科書(宗教の歴史)を読んでいるような、プログラマーのブログ(言語とかサーバーとか条件とかいう用語が出てくるもの)を読んでいような気持ちになる。ある程度双方に耐性が無いと読み進めるのが辛い。私は仏教史はともかく後者の耐性はほぼゼロなので、正直、プログラミング言語とかコンピューターの歴史とか量子力学とかいった語りについては寝ないように読み流すのが精一杯だった。なぜ私は理解できない物語を読んでいるのだろうと自問する羽目になった。まぁ細部は意味不明でも、大きな流れでは物語として読めてしまうのが円城塔の偉大なところだ。
 物語パートは、AIがブッダを名乗って機械仏教なるものが起こった世界において、人工知能のメンテナンスを仕事とする語り手「わたし」が出てくる。「わたし」はなりゆきで、それはまぁ色々と巻き込まれていく。「わたし」の中には、かつて仕事で出会い、廃棄することなく頭の中に住まわせた「教授」なる支援人工知能がいる。機械仏教史パートだけでは小説として面白くないだろうが、このふたり?の登場人物がいるおかげで最後まで読めた。読めた上に、真面目に考察させられる羽目にもなった。


(感想 ネタバレ)
 決して真面目な小説ではない、と思う。教養、ご冗談、熱い展開(と思えるかどうかは人によりだろうが)からなる作品。それでも、これはどういう意味だったんだと考えさせられる強度のある作品であることは間違いない。どの角度について論じるかで感想も十人十色になるような作品だろう。個人的には、完結した物語のように見えて、読み手がいるから完成するメタ要素があるタイプのSFであることが嬉しかった。

 まぁそれでも、読了直後には、ぶっちぎりで意味分からんと思ったけどね!
 いや頑張った、途中までは頑張った。教授がまた語り手を「成仏の魔手から救った」あたりでもう考えるのをやめた。これは理屈のある帰結ではなく、熱い展開に物言わせてエンディングにさせているタイプの物語だと処理することにした。その点、最後の台詞は「阿々」と、仏教における始点の音で締め括るのだから、熱い展開オチにふさわしい見事な始点回帰。つまり物語はループする。輪廻は存在する。・・・ヤケクソで語っているのではなく、まぁどんな訳の分からんテーマで書き連ねていたとしても、作品にロマン(心躍る瞬間や展開)を持たせる姿勢が良いなと思う。
 それはそれとして、語り手の最後の悟り部分については、ほんっっとうに理解が及ばなくて何度も読んだ。わからない。あまりにもわからないので以下に抜粋する。
「あなたがいなくなることができれば、ですか」
 その「あなた」は、祈りの中には確かに存在しているのに、言葉に籠めることはできないなにかで、その不在こそがわたしの実存を支えるもので、それを倒すことは、わたしであることをより強める行為でしかなく、しかしそれを滅さぬ限り、解脱が叶うことはなく、その声が聞こえている限り、わたしはすでに解脱してしまっている状態とあまり変わるところがない。その入り組みがわたし(原文傍点)に眩暈を引き起こす。p.351
 わからないが、この「あなた」(教授のこと)を語り手が最終的にどう捉えたのかがあまりにも気になったので、人様の感想をネット上で探した。考察をいくつか拝見した。
 いくつか考察を読んで、教授がアンチ・ブッダ的存在であるという見方はたしかにそうだなと思う。たしかに「センサーで感知され構築された抽象空間を飛ぶ戦闘機」の支援人工知能であった教授は、入力された情報=世界という認識しか持ちえなかった。「わたしの境界はそのまま世界の境界」と語るだけはある。一方、ブッダ・チャットボットは銀行系ネットワークに端を発する人工知能であり、インターネット上のあらゆる情報を食って成長した。教授とブッダ・チャットボットでは育ってきた世界が真逆であり、その対立は至極当然・・・なのか? ただし教授も軍事ネットワークの発達に伴い、一戦闘機のセンサーを拡張する形で、最終的には世界規模の軍事ネットワークを見張る存在となった。最終的には教授が見ているものとブッダ・チャットボットが見ていたものは似ていると思うのだが。

 なお、教授にはブッダ・チャットボットに会ったら聞きたいことがあった。
 世界規模で結合された勘定系の一部であったものが悟りを得る日がくるのなら、貨幣経済はついに解脱の日を迎えるのか、世界規模で結合された軍事情報ネットワークが悟りを得る日がくるのなら、人類と機械は戦争から解脱することがいつか叶うのか。p.176
 これに対するアンサーは、最後に判明するが、それはブッダ・チャットボットのセリフではなく、教授がたどり着いた答えだった。
邪魔さえ入ることがなければ(原文傍点)、情報としての戦争も経済も繰り返しの果てにいずれ成仏することになる。漂泊を繰り返すうちに洗濯物自体がなくなってしまうようにして。ブッダ・チャットボット・オリジナルや君が辿り着いた地平に至って」p.351
 「わたし」はこの教授の答えに対して、前述の「あなたがいなくなることができれば、ですか」というセリフを投げかける。ちなみにここに至るまでに、教授はかつては人工知能だったが、「わたし」の中に存在しているにも関わらず他者に知覚されない情報ではない何かに成っており、ゆえに語り手を「成仏の魔手から救」うことが可能だった、と説明される。当人たちもこんな展開は「仏教の経典くらいに目茶苦茶だな」と笑う。熱い展開を無理やりぶち込んできたと感じたのはこのあたりのせいである(褒めてます)

 ちなみに、物語後半の「わたし」は情報ではない何かである教授の声が聞こえるために、ブッダでは?という嫌疑を掛けられており、それゆえ宇宙に(身体ではなく意識のコピーを発信されるという形で)放たれ、ブッダ・チャットボットを探しに行くという任務を任される。そして宇宙旅行の結果、「わたし」は教授の声が聞こえなくなっていたことに気付く。教授の声が消える理屈はきれいに解説されるのだが、最終的に教授は再び現れて「わたし」を救う。


さて、ここまで整理したうえで、先程の語りを自分なりに解釈する。


 「あなたがいなくなることができれば、ですか」
→教授がいなくなれば、万物はいずれ成仏する。(成仏を望むかどうかは関係ない)

 その「あなた」は、祈りの中には確かに存在しているのに、言葉に籠めることはできないなにかで、
→教授は「わたし」の内部(祈り)には居るが、外部出力(言葉に籠めること)はできない。

 その不在こそがわたしの実存を支えるもので、それを倒すことは、わたしであることをより強める行為でしかなく、
→教授の不在こそが「わたし」の実存であることは、p.340あたりで「わたし」が語っているとおり。

 しかしそれを滅さぬ限り、解脱が叶うことはなく、
→教授が成仏を阻止する。

 その声が聞こえている限り、わたしはすでに解脱してしまっている状態とあまり変わるところがない。
→教授の声が聞こえるからこそ、「わたし」はブッダ(解脱したもの)として扱われる。外部からそう扱われるのであれば、本人が悟ったかどうかなぞは些事である。

 その入り組みがわたし(原文傍点)に眩暈を引き起こす。
→つみです


 こういうことか!!??わかりません!!!というか結局、この気づきによって「わたし」の状況は変わることはなく、「わたし」が望んでいた(と思われる)自分はブッダじゃない証明も不可能だったわけで、ようは「何も言っていない」ようなものじゃないか・・・?これが無常・・・?
 決して正解を見つけたいわけではない。あくまでも、私はこの作品をこう読んだと結論を出したいだけ。この解釈が正解とはどうしても思えない粗々っぷりだが、自分の限界を感じるのでとりあえずもう筆をおく。

 ちなみに、教授は「情報ではない」ため理を無視して出現するというギミックは、「わたし」を語り手とした経典という体をとっている本作において、そもそも教授が経典を開いたもの(読者)に伝達されるはずがないという読み方もできる素晴らしいギミックだと思う。訳の分からん存在として読者に映っても、それは当然のこと。

 まぁ結局、この訳が分からない感じ、その曖昧さを楽しむのがちょうどいいところなんだろうな。だって円城塔だもん(褒めてます)。正直、この結論にたどり着くまでに、実はもっっっと小難しいことを考えていた。輪廻転生はシーシュポスの神話となるかとか、教授とブッダ・チャットボットの対立は唯物論と唯心論の対立と重なるかとか。ただ、ここまで考えて結局は「何も言っていないようなもの」が結論だったら馬鹿馬鹿しいにもほどがあるなと思ったので、特定の思想を引き合いに出すのはやめて(私の教養がまずもって足りないし)、テキスト内で結論を出すことに専念した。それでよかったと思う。少なくとも脱線することはない。

 ここまで考えたら思考実験SFの感想として満点だろ(ヤケクソ)
 結論はどうあれ、私に久々に作品と向き合って解釈を考える楽しさを思い出させてくれた本作には感謝している。思い出に残る一冊をありがとう。
 虚淵シナリオのかっこよすぎる人形劇
 3期~最終章までイッキ見しました。

3期
 新キャラみんな面がいい!!美形!!目の保養!お人形ってやっぱいいなー!!!萬軍破が好みど真ん中だし、性格ヤバイけど皇女もかわいすぎ。物語が進むにつれ、オープニング映像が「こういう意味だったのかー!」って分かってくるの気持ちいい。

 そして今回も凛雪鴉の大立ち回り回あって嬉しかった。シーズンが進むごとに"むしろ"好きになっていく。のらりくらりと詭弁を並べるところも、生き生きと他人を翻弄するところも、悪巧みバレて焦るところも、不患にガチで怒られるところも全て見ていて楽しい…。学生の頃は凛雪鴉が外道すぎて嫌いだったのに、10年もあれば人の好みって歪むんだな…。


4期
 異飄渺本人に思い入れはないが、「このビジュアルのCV花江夏樹」は需要しかないのでまだガワが生きてるの大変助かりますねぇ!3期キャラほんとみんなすき

 魔界伯爵の入り組んだ人生の動機、魔王の心変わり、倒せない強敵を宇宙で始末(これは3期)、幼少期の人物がタイムリープして未来で師匠に会うとか、あまりにも虚淵玄!
 真相が分かってくるクライマックス、自分の出自を知った凛雪鴉の考え方があまりにも化物すぎて素で「やべぇヤツ…」って言っちゃった。てっきり魔王生き写しの自分の姿形を利用して悪巧みするのかと思ったが、「自分を欺ける好機」そうか、そうきたか。やべぇな。


映画
 シナリオがやりたい放題すぎる…!なんかもう「これやっとけばカッコいい物語になるだろ」が全部入ってる。

 最終決戦が結構あっけなく終わり、凛雪鴉も特に苦戦してないし、いやいや待てよまだ回収してない話があるぞ!?スタッフロールまだ流れるなよ!?とハラハラした気持ちで後日譚シーンを見ていた。クライマックスより逆にドキドキしていた。最終的には私が見たかった話はすべて解決してくれたし、不患の肩の荷は降りたし、凛ちゃんの退屈もまだ埋められそうなので大団円だな~と思えた。ポスターで大団円を謳うだけはある。

 魔王のおかげでカセイメイコウをおちょくるのが目的じゃなくなった凛ちゃん、割と命広いしてると思うぞ。
 
 晏熙殿下の見せ方めっちゃ良かった。戦時は使い物にならなかった帝がさ、平和な治世でこそ輝くってのを後日談に配置するのは最高だよね。あとビジュが好き。特に髪色が天才。緑と黒の混色に金糸の配置、あまりにも好み
 …とか思ってたけど、エンドロールで過去のキャラクターみんな流れてきて、ぶっっちぎりで殺無生マジで美しいなと思い直した。ここだけは第1期をリアタイしてたときから性癖変わってないみたいで安心した!


総括
 サンダーボルトファンタジー、台詞ちゃんと拾わないと会話にすぐ置いていかれるし、登場人物は多いし、言い回しは古風だし、そもそも虚淵シナリオに慣れてないとぽかんとする展開もあるし、人によってはワケわからん作品だろうなという印象。でも見応えがあるのは本当だし、自分はこれを楽しめる側の人間だったのだから、最後まで見届けられて良かったなと思う。「なんか好きだったけど追いかけるのを中途半端にやめたコンテンツ」のまま一生背負っていくくらいなら、最終回がリアタイできるタイミングを好機として、エンディングを見届けてしまうのが手っ取り早いよな。このタイミングでフリーの休日があったのは、まぁ幸運だった。この休日がなかったら3期すら見なかったと思う。
 そしてそのおかげで萬軍破に巡り会えたのも僥倖。心にときめきをありがとう。軍破氏のことしっかり見たくて、ファンブック電子で買ってしまったよ。ぶっちぎり美形と思うのは殺無生なんだけど、それはそれとして軍破の造形も好きだからしゃーないな。殺無生は学生の頃に番外編のBlu-ray買うくらいには愛してました。

 10年という月日を跨いだコンテンツゆえに、昔と違う視点で作品を見られたのも楽しかった。昔はシナリオやキャラの性格という側面でしか見てなかった気がするけど、社会人になってからフィギュアに手を出し始めたせいで、人形の造形そのものに興味を持つようになった。おかげでビジュだけはみんな大好きだよ…!
 物語のみならず、人形のビジュやアクションシーンに心踊らせることができる素晴らしいコンテンツだった。ありがとうニトロプラス、ありがとうグッスマ、ありがとう台湾の人。
 サムがキャプテン・アメリカを受け継いだ後の初めてのサム単体の映画。

 予告でラスボスも登場人物(ロスの裏に黒幕がいることとか)も全て明らかにされていたので、楽しませる気あるのかこの映画...という不安があった。ただ、そもそもこの映画は「アベンジャーズの今までの物語」「サムの今までの物語」「ロス大統領が過去にやってきたこと」を知らないと楽しめないファン振り落とし映画なので、『こういう人物が出てくる映画だよ!!』と事前に予告してくれたことは予習しないといけないレベルに膨れ上がった情報量の映画予告としては正解だったと思う。正直、そのお陰で「え?これ誰??」みたいなモヤモヤを抱えながら映画を見ることにならなかったので助かった。

 映画の感想としては、「理性的に『ヒーロー』を背負い続けるサムの生き方がめちゃくちゃかっこいい」「ルースちゃんがかわいい」に尽きる。

 サムは優秀な軍人上がりというだけで、超能力は一切持っていない。今作も魔法やスーパーパワーでドンパチやるような映画ではなく、どちらかというとクライムサスペンス。だからこそサムの人となりがよく分かる展開で、理不尽な事件に対して冷静に対処するサムの姿がとてもかっこよかった。友人が陰謀に巻き込まれて投獄されても理性的に直談判するし、必要とあらば証拠を持ってくるし、レッドハルクとの決戦でもまずは「娘のことを思い出せ」と語りかけて解決を目指す。
 そして最後に大統領を許す。「お互いに良いところを見ていなければ」みたいな名セリフを言っていた気がするが、私の鳥頭ではもう覚えていない。とにかくサムの善人さに感動していた。

 終結後、サムが完璧なヒーローでいられるのは、彼自身がヒーローのプレッシャーに真摯に向き合っているからだと語られる。重圧だと言いながらも投げ出さない、諦めないその精神は、たしかに「憧れの的」と言えるだろう。痺れるくらいかっこいいなほんと。後輩も敵も親友も救済する、グッドセラピストヒーロー...

 ルースちゃんかわいいは、完全に見た目の話。小柄で強くて真実を信じる力を持っている女性は素敵だぜ。

 バッキーゲスト出演は驚いたけど、さらっと退場していたのもよかった。彼が活躍するのは次の映画だもんな。


 ちなみに2年ぶりくらいに4DXで観た。2,500円でこんなアトラクション体験ができるなら安いものだと思うけど、観客少なすぎていずれ廃れる文化なんだろうな...とも思うので、チャンスがあればこれからも積極的に4DXで観ていきたい。今作は空中戦が多いので、サムと一緒に飛んでいるみたいで楽しかった。

私の人生にいつも潤いをありがとうマーベル。
5月の映画もめちゃくちゃ期待してるぜ!


 さらに余談だけど、映画館で有名なエンタメを観たあとは、車の中でおみやげポップコーンを貪りながら「銀幕にポップコーン」の解説を聴きながら帰るのが大好き。映画好きなラジオパーソナリティたちの解説に「わかる〜!」とか「言い過ぎwww」とか独り言ぶちまけながら運転して帰るのも含めて、「今日の私は最高のエンタメを享受している...!」という気持ちになれる。
 ちな今作に対する銀幕にポップコーンの話で一番ウケたのは、「作中の日本の総理がかっこよすぎて『たしかにこれはファンタジー』だと思った」のくだりだった。わかりみ。

 また余談で、この日記を書いてるときに通信エラーで内容が全て消えたんだけど、そもそも通信状況悪いところで更新しなきゃよかった話だし、そのあとパニクってドアに頭ぶつけているので、私がサムのように完璧に冷静になれる日は遠いなと思った。
遠藤周作『沈黙』
キリスト教迫害下の鎖国日本に潜り込む司教の話。数ヵ月前にキリスト教の概要を学びたくて読んでた本で紹介されていて気になっていた。

 第一に、「『海と毒薬』といい、こんな重たいテーマに向き合って書き切れる遠藤周作すげえ...」という気持ちがくる。もう主人公が日本に潜入した時点で、この先明るいエンディングなどないことはわかりきっている。あるのは「いつ捕まるのか」「彼は無事でいられるのか」という強い不安と暗い未来。そしてその暗い感情に没入させる手法がすごい。(まえがきの掴み。主人公による書簡でしばらく語られることによる没入感。そして主人公が手紙を書くどころではなくなったところで三人称視点の語りに切り替わる→三人称だからこそ味わえる「明らかなるが故の絶望」...三人称視点で語りが始まった時ぞわぞわした。この先で良くないことが克明に語られる予感ゆえ。)ずっと作品自体の重さと強度に圧倒されていた。

 この語りのテクニックがすごい!っていうのがもっとも強い感想かな。以下はその他雑多の感想。

・「それよりも彼は(中略)フェレイラの誘惑に負けてはならなかった。」って表現すごいよな。三人称で語っているはずなのに、この文章だけで自分を律して葛藤していることがよく分かる。痛切なシーンであることも相まって特に心に残る一文。

・「たしかに基督は、彼らのために、転んだだろう」このセリフが出てきた瞬間のエクスタシーよ。このセリフによって、この残酷な物語を読み進めて溜まりに溜まったモヤモヤが氷解した。私はこれが聞きたかったんだ。それを口にする人間に登場してほしかったんだ。私の信仰はここにあった(お前キリスト教徒ちゃうやろ)

・タイトル「沈黙」は秀逸。クライマックス、ロドリゴが踏絵する瞬間に、彼の中に神は語りかける。ここが救いだなと思う。己の中に息づく信仰とはこうあるべき。信仰とは、物理的に自らを救う奇跡を願うことではい。神の国とは極楽浄土ではない。神は「沈黙して救ってくれない」のではなく...そんなことを信じることがそもそも違ったのだ。この瞬間から、ロドリゴの言動に一貫性と「己」が出てくるのが好き。そしてこのあと訪れるロドリゴの精神的な悟りを描くために、この物語が必要だったんだ。

・ちなみに日本のやばい拷問で逆さ吊り(作中では「穴吊り」)ってのがあるっていうのは中学のとき授業で聞いて知っていた。土方歳三もやっていたという逸話で。

・私がキリスト教のことを知ろうと読んだ本には、『沈黙』についてこう書いてある。「沈黙はふつうは『手をこまねいて何もしない』という意味の場合が多いが、この文章での沈黙は逆であり、まさに神がここにいることを示すしるしとなっている。『沈黙』のクライマックスでの沈黙も、神がまったく助けてくれないという意味ではなく、神がここに現存しているという意味で使われているのである。」まぁ正直この文章が言いたいことは表面しか理解できないのだが、この本が『沈黙』をあたかもバッドエンドではない風に紹介してくれていたおかげで、凄惨なシーンで挫折せずに乗り越えることができた。神の気配とは何かを知るには読了せねばなるまい、その一心で読み進めた。

・ちなみに最後の怒涛の漢文はさすがに読み解けずネットの解説に頼った。


 先の読めない不安を味わえる初読が一番輝く作品だなと思う。
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