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そんなところに救済は転がっていない。
無闇にSNSを開くのはやめなさい。
社会人になってしばらく、姿を見せなかった憂鬱。
そいつが久々に顔を出した。
体調も周期も関係なく、来る時には来るもんらしい。
厄介だな。予測できないって言うのはさ。
でも少し嬉しかった。
もう刺さらなくなったのかなと思っていた渾身のボカロプレイリストが、憂鬱に対して気持ちいいくらい効いていくのは。やはり私が好きになっただけある曲たちだ。救いの一手にたしかになるんだ。
仕事では「よくやっている。特に言うことがない」と褒められ、ストレスもなく、遊びに行く友人にも恵まれ、日々退屈を知らない。そんな状態でも、ふと憂鬱はやってくる。褒められれば裏を疑い、友に囲まれれば孤独が懐かしくなるような、天邪鬼ゆえに、幸福の裏を突いてやってくる。
「『よくやってくれている』なんて普通の評価で満足してるのか? 同期よりも優秀だと認められたいくせに。同期に劣等感を募らせていたこと、忘れてはいないだろう」
「一人の時間を削ってまで何を求めているんだ? 永遠に分かり合えない他人と休日を潰して、自分を見つめる時間はどこに充てるんだ?」
「仕事をして日々を消化する、そんな毎日でいいのか? お前の望む人生はそんな平凡なものなのか?」
そんな考えを一笑に付すことができる日もある。
できない日もある。
絡み取られ、なんとなく落ち込むことになる。
そして曲で浄化する。
今の私の最大の有効打。
そんな夜もあるだろう。明日になればきっと忘れる。
でもまたきっと、こんな夜がくる。
無闇にSNSを開くのはやめなさい。
社会人になってしばらく、姿を見せなかった憂鬱。
そいつが久々に顔を出した。
体調も周期も関係なく、来る時には来るもんらしい。
厄介だな。予測できないって言うのはさ。
でも少し嬉しかった。
もう刺さらなくなったのかなと思っていた渾身のボカロプレイリストが、憂鬱に対して気持ちいいくらい効いていくのは。やはり私が好きになっただけある曲たちだ。救いの一手にたしかになるんだ。
仕事では「よくやっている。特に言うことがない」と褒められ、ストレスもなく、遊びに行く友人にも恵まれ、日々退屈を知らない。そんな状態でも、ふと憂鬱はやってくる。褒められれば裏を疑い、友に囲まれれば孤独が懐かしくなるような、天邪鬼ゆえに、幸福の裏を突いてやってくる。
「『よくやってくれている』なんて普通の評価で満足してるのか? 同期よりも優秀だと認められたいくせに。同期に劣等感を募らせていたこと、忘れてはいないだろう」
「一人の時間を削ってまで何を求めているんだ? 永遠に分かり合えない他人と休日を潰して、自分を見つめる時間はどこに充てるんだ?」
「仕事をして日々を消化する、そんな毎日でいいのか? お前の望む人生はそんな平凡なものなのか?」
そんな考えを一笑に付すことができる日もある。
できない日もある。
絡み取られ、なんとなく落ち込むことになる。
そして曲で浄化する。
今の私の最大の有効打。
そんな夜もあるだろう。明日になればきっと忘れる。
でもまたきっと、こんな夜がくる。
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ドキドキも度を過ぎれば痛みになる。
胸の奥で鼓動が生まれて、消え去らない。
これは幻想。理想の押し付け。ただの盲目。
そう言い聞かせても、心の動きは変わらない。
「夢を見すぎている」
「正気になれ、都合のいい部分しか見ていないだけだ」
「くだらないとは思わないのか」
朝起きた時の冷めた気持ちで潰してほしいなと思いながら、胸に手を当てて困った顔をしてみる。胸の痛みと向き合い、探れば探るほど、遠ざけたい気持ちとは裏腹に、辿り着きたく無い答えに近づいていく気がする。こんな重い思いを抱えるのは久々で、誰かに話したいと思うのに、いざ口を開けると言葉が溜まって吐き出せない。無闇に言ってはいけないと本能が強く抑えている。その選択だけは正解だと思う。
話してはいけない。
悟られてはいけない。
押し殺して然るべき。それが分相応。
いつか忘れる時が来るから。
こんなことを書いている時点で認めたも同然だけど、私はまだ「見て見ぬふり」をしている。気づいたら負けだと思っている。それでいい。今はそれがいい。それだけでいいのに、心は勝手に重くなっていく。
なんだこの心理作用は。厄介にも程があるだろ。
どれだけ私を苦しめたら気が済むんだよ。
「何が好きなんだろう」「何を考えているんだろう」「今は何をしているんだろう」「あのとき何を思ってああ言っていたんだろう」そんなことを自然と考える思考回路が、憎い。
考えれば考えるほど、考えていることを認めてしまう。
少し前の頭の中は別のことでいっぱいだったはずなのに。
休日になれば平日のことは忘れ、好き勝手に旅をして、そして月曜日にまた頭を切り替える。他人のことなど我関せず、私は私のやりたいように自由に生きますと、そういう若者を体現していた。何にも縛られない自分が好きだった。
そういう生活をしてきたのに、最近は…。
平日が楽しみでもある。
あまりにも耐えがたく、認めづらい。
納得しがたい状況である。
普通は平日は嫌なものだ。
休日が長く続いて欲しいものだ。
「会えるから嬉しい」なんて、都合のいい幸せが存在するとでも?
あり得ない。まさか。自分に限って。
これは何かの緊張感と相まって胸が鳴っているに過ぎない。吊り橋効果と呼ばれているやつだ。そうじゃなきゃどう説明する? 高校生が同級生に恋をしたとは訳が違う。まだ一挙一動に目を引くわけじゃないし、会話に緊張することもない。だからこれは一時的な心理ショックなんだよ。そう言えるうちに、夢から醒めたいよ。そうだろう。
自分に限ってのことだけど、こんなもの、理想を押し付けているに過ぎない。そしていつか現実を知って落胆するのが目に見えている。だからはやく、甘い夢から醒めてなさい。スイーツが許されるのは乙女ゲームと二次創作の中だけなんだよ。現実に求めていいものじゃないんだよ。
それに、半年後は今のようにはいかないことは分かっている。半年後の自分を苦しめるような真似はしたくない。半年後の痛みを最小限に抑えるには、この痛みを忘れてしまう、勘違いだったと流してしまうのが一番では無いのか。
どうせ会わなくなったら、この痛みも消えるだろう。
この胸は痛く重くなったかと思えば、ちょっとしたことで羽のように軽くなったりもする。
どういう状況かって? 言わなくても分かるだろう。
癒しを求めるかのように、時々LINEを開いては、心が軽くなった時のことを思い出してそのページを開く。自分にしかわからない宝物を見つめる気持ち。何気ない挨拶なのに、あの時感じた気持ちはたしかに幸福だった。今でもその幸福の余韻を持っている。
その正体に手を引かれないよう、必死で「フラットな現実」に踏みとどまっている。歪んだ認知に取り込まれないように気を張っている。
幸福は幸福、ただしその正体に気付くかどうかは、別問題。
そういうことにしておこう。
もう冷めたものだと思っていた。
こんな葛藤に悩まされる日が来るとは、思ってもみなかった。この鈍痛が熱くなる前に、勘違いを続ける前に、最善の策を見つけなければ。冷静になれ。
心のまま動いてどうにかなる星の下には生まれていない。
この胸は「そう感じているだけ」に過ぎない。
夜空のきらめきや果ての景色に心躍らせている方が、よほど健全で幸せだよ。
私にはできるよ。
胸の奥で鼓動が生まれて、消え去らない。
これは幻想。理想の押し付け。ただの盲目。
そう言い聞かせても、心の動きは変わらない。
「夢を見すぎている」
「正気になれ、都合のいい部分しか見ていないだけだ」
「くだらないとは思わないのか」
朝起きた時の冷めた気持ちで潰してほしいなと思いながら、胸に手を当てて困った顔をしてみる。胸の痛みと向き合い、探れば探るほど、遠ざけたい気持ちとは裏腹に、辿り着きたく無い答えに近づいていく気がする。こんな重い思いを抱えるのは久々で、誰かに話したいと思うのに、いざ口を開けると言葉が溜まって吐き出せない。無闇に言ってはいけないと本能が強く抑えている。その選択だけは正解だと思う。
話してはいけない。
悟られてはいけない。
押し殺して然るべき。それが分相応。
いつか忘れる時が来るから。
こんなことを書いている時点で認めたも同然だけど、私はまだ「見て見ぬふり」をしている。気づいたら負けだと思っている。それでいい。今はそれがいい。それだけでいいのに、心は勝手に重くなっていく。
なんだこの心理作用は。厄介にも程があるだろ。
どれだけ私を苦しめたら気が済むんだよ。
「何が好きなんだろう」「何を考えているんだろう」「今は何をしているんだろう」「あのとき何を思ってああ言っていたんだろう」そんなことを自然と考える思考回路が、憎い。
考えれば考えるほど、考えていることを認めてしまう。
少し前の頭の中は別のことでいっぱいだったはずなのに。
休日になれば平日のことは忘れ、好き勝手に旅をして、そして月曜日にまた頭を切り替える。他人のことなど我関せず、私は私のやりたいように自由に生きますと、そういう若者を体現していた。何にも縛られない自分が好きだった。
そういう生活をしてきたのに、最近は…。
平日が楽しみでもある。
あまりにも耐えがたく、認めづらい。
納得しがたい状況である。
普通は平日は嫌なものだ。
休日が長く続いて欲しいものだ。
「会えるから嬉しい」なんて、都合のいい幸せが存在するとでも?
あり得ない。まさか。自分に限って。
これは何かの緊張感と相まって胸が鳴っているに過ぎない。吊り橋効果と呼ばれているやつだ。そうじゃなきゃどう説明する? 高校生が同級生に恋をしたとは訳が違う。まだ一挙一動に目を引くわけじゃないし、会話に緊張することもない。だからこれは一時的な心理ショックなんだよ。そう言えるうちに、夢から醒めたいよ。そうだろう。
自分に限ってのことだけど、こんなもの、理想を押し付けているに過ぎない。そしていつか現実を知って落胆するのが目に見えている。だからはやく、甘い夢から醒めてなさい。スイーツが許されるのは乙女ゲームと二次創作の中だけなんだよ。現実に求めていいものじゃないんだよ。
それに、半年後は今のようにはいかないことは分かっている。半年後の自分を苦しめるような真似はしたくない。半年後の痛みを最小限に抑えるには、この痛みを忘れてしまう、勘違いだったと流してしまうのが一番では無いのか。
どうせ会わなくなったら、この痛みも消えるだろう。
この胸は痛く重くなったかと思えば、ちょっとしたことで羽のように軽くなったりもする。
どういう状況かって? 言わなくても分かるだろう。
癒しを求めるかのように、時々LINEを開いては、心が軽くなった時のことを思い出してそのページを開く。自分にしかわからない宝物を見つめる気持ち。何気ない挨拶なのに、あの時感じた気持ちはたしかに幸福だった。今でもその幸福の余韻を持っている。
その正体に手を引かれないよう、必死で「フラットな現実」に踏みとどまっている。歪んだ認知に取り込まれないように気を張っている。
幸福は幸福、ただしその正体に気付くかどうかは、別問題。
そういうことにしておこう。
もう冷めたものだと思っていた。
こんな葛藤に悩まされる日が来るとは、思ってもみなかった。この鈍痛が熱くなる前に、勘違いを続ける前に、最善の策を見つけなければ。冷静になれ。
心のまま動いてどうにかなる星の下には生まれていない。
この胸は「そう感じているだけ」に過ぎない。
夜空のきらめきや果ての景色に心躍らせている方が、よほど健全で幸せだよ。
私にはできるよ。
往々にして、人生は「今しかない」。
学生のうちにできることは学生のうちにしかできず、新人のうちにしかできないことは新人のうちにしかできない。超当たり前のことだが、今感じていることは今しか感じられないし、今しか出来ないということが言いたい。
もう9月。
4月から5ヶ月、新社会人としてやってきた。
それこそ学生の頃が恋しくなったことなど数え切れない。毎日がなんか大変で、覚えることもあって、気を揉んで、同期に一方的に劣等感を募らせて……いろいろ思ったし感じたし考えたなぁ、と思う。
今は学生の頃にもどりたいというよりは、「ずっと新人でいたい」と思う。今の体制に慣れ、今がずっと続けばいいとしがみつく感じ。「学生に戻りたい」よりは視点が進んだだけ成長したのかと思うけど、このままではいずれ痛い目に遭う。
それでも、私がいる環境は、優しくて優秀な先輩上司に恵まれ、誰かと比べられることもなく日々の仕事をこなせて、変則的ではあるもののちゃんと休みもあるという、なんとも理想的な状態である。考えすぎたり疲れたりしてたまに傷つくこともあるけど、基本的に満足しているし、考えれば考えるほどこの環境が貴重でありがたいものに思える。だからこそ、ずっとこのままでいたいという思いが消えない。
それじゃいけないんだよな。
私の使命は「はやく1人前になること」。
先輩の使命は「私をはやく1人前にすること」。
それを達成するためには、こんな精神で現在に甘んじていてはいけない。はやくこの状態を脱しなければならない。自立しなければいけない。
時が来れば、私はきっと自立する。
それができなきゃ仕事を辞めてるだろう。
そうなればこの甘えた精神も消える。それはなんとなくわかる。……とはいえ、この充実感と多幸感を記録せずに消すのはあまりにも感情がもったいない気がするので、今ここで書き残す。今日はそういう日記だ。
直属の先輩はめちゃくちゃ有能な人だ。
信じられない量の仕事を(山ほど残業しながら)こなすだけでなく、人の名前と顔と肩書きをしっかり記憶する社交性に優れている。個人的には、遠目で見ただけで「さっきそこに〇〇(偉い人)が座っていたね。あの部署の近くにいるってことは、あの会議の打ち合わせかな」と持ち前の情報量で推測し納得できる能力が特に素晴らしいと思う。ただ勤続年数を重ねただけでは手に入らない能力だ。
そんな先輩に教わっているのは誇りでもあり、プレッシャーでもある。働き始めた当初は「先輩に呆れられていないだろうか…」とネガティブになったりもしたが、今はそんなことより先輩からあと何を吸収できるかが気になるところ。
私はそんな先輩が大好きなので、来年たぶん先輩は異動になるだろうなという予想には胸を潰す。年数的に異動が妥当ということは、理屈ではわかっていても、信じたくない気持ちがある。あと半年で私は何を学べるだろう。先輩にイチから聞くだけでなく、自分でも勉強した上で色々と聞かなければと思うのであった(思うだけじゃなくてちゃんと勉強しろよ)。
あと先輩の何より好きなところは、どんなに忙しくても、質問すると必ず手を止めて話を聞いてくれるところだ。「ちょっと待って」と言われた記憶が無い。これはとても…本当に素晴らしいこと。自分の仕事の思考が中断されるのはなかなかのストレスなはずなのに、それをおくびにも出さない。この点は感謝してもしきれない。面と向かっては言えないけど…。
これはもう1人の先輩も同じだ。「質問いいですか」と尋ねると必ず快諾してくれる。意識してそうやっているのか、本来の性質なのかはわからないけど、質問しやすい環境を作ってくれるのは本当にありがたい。
いい職場だな。
先日、課長との面談があった。
10月から本採用となるにあたり、4月から今までの働きへのフィードバックを聞いた。どんな評価がきても受け止められるよう緊張して向かったが、意外と高評価を頂いて驚いた。
・コミュニケーション能力がある
学生生活と違い、異年齢の人と関わることが多い仕事なのに、臆していない。大人と渡り合っている。
課長いわく、これはボーイスカウトで場数を踏んでいたからではないかと。まず自分のことはコミュ障人見知りまっしぐらだと思って疑わないので、ビジネスシーンではそういう評価をいただけるのかと純粋に驚いた。たしかに仕事上なら、大人と喋るのも苦じゃない。ボーイスカウトで場数を踏んできたからという推論も、あながち間違いじゃないのかなと思う。アルバイトの経験も少なからずある気はする。ボーイスカウトをやっていて良かったと、割と初めて思ったね。
・よくやってくれている
総合評価が60点あれば普通というところを、68点の評価をつけていただいた。高い方らしい。同期に劣等感を抱き続けて「自分は同期の中でも劣った方にちがいない…」というネガティブに陥りがちな私にとって、この評価は青天の霹靂。自己肯定感が上がったどころではない。いっそう精進しようと思ったし、生き続けて良かったと思った。
仕事内容に関しても、人間関係に関しても、初めての配属がこの部署で良かったなぁ。
・報連相ができている
これも褒められた点。これは割と意識してやっている。些細なことでも「ご承知おきください〜」と報告していた。これからも続けよう。
・たまに若者言葉がでる
窓口や電話対応は基本的にOKだが、言葉遣いにさらに気をつけられれば…ということらしい。まぁたしかに、顔を知っている相手にはくだけた調子で話がちだ。仕事中であることを意識して背筋を伸ばそう。
・ミスが多い
これが私の最大の短所。確認をしないゆえのミスが多すぎる。4月から今までのミスの一覧を作ってみようと思って書きだしたら思いつくだけでノート1ページ埋まった。さらに細かく書いたら1時間くらい書き続けられそう。
確認を習慣化する。
そして確認が当たり前になる。これが後期の課題だな。
途中からフィードバックのメモになったが、今の私はこんな感じである。
甘えた気持ちはここに残して、明日も元気に「よりよき社会人」を目指していこう。
おやすみ。
学生のうちにできることは学生のうちにしかできず、新人のうちにしかできないことは新人のうちにしかできない。超当たり前のことだが、今感じていることは今しか感じられないし、今しか出来ないということが言いたい。
もう9月。
4月から5ヶ月、新社会人としてやってきた。
それこそ学生の頃が恋しくなったことなど数え切れない。毎日がなんか大変で、覚えることもあって、気を揉んで、同期に一方的に劣等感を募らせて……いろいろ思ったし感じたし考えたなぁ、と思う。
今は学生の頃にもどりたいというよりは、「ずっと新人でいたい」と思う。今の体制に慣れ、今がずっと続けばいいとしがみつく感じ。「学生に戻りたい」よりは視点が進んだだけ成長したのかと思うけど、このままではいずれ痛い目に遭う。
それでも、私がいる環境は、優しくて優秀な先輩上司に恵まれ、誰かと比べられることもなく日々の仕事をこなせて、変則的ではあるもののちゃんと休みもあるという、なんとも理想的な状態である。考えすぎたり疲れたりしてたまに傷つくこともあるけど、基本的に満足しているし、考えれば考えるほどこの環境が貴重でありがたいものに思える。だからこそ、ずっとこのままでいたいという思いが消えない。
それじゃいけないんだよな。
私の使命は「はやく1人前になること」。
先輩の使命は「私をはやく1人前にすること」。
それを達成するためには、こんな精神で現在に甘んじていてはいけない。はやくこの状態を脱しなければならない。自立しなければいけない。
時が来れば、私はきっと自立する。
それができなきゃ仕事を辞めてるだろう。
そうなればこの甘えた精神も消える。それはなんとなくわかる。……とはいえ、この充実感と多幸感を記録せずに消すのはあまりにも感情がもったいない気がするので、今ここで書き残す。今日はそういう日記だ。
直属の先輩はめちゃくちゃ有能な人だ。
信じられない量の仕事を(山ほど残業しながら)こなすだけでなく、人の名前と顔と肩書きをしっかり記憶する社交性に優れている。個人的には、遠目で見ただけで「さっきそこに〇〇(偉い人)が座っていたね。あの部署の近くにいるってことは、あの会議の打ち合わせかな」と持ち前の情報量で推測し納得できる能力が特に素晴らしいと思う。ただ勤続年数を重ねただけでは手に入らない能力だ。
そんな先輩に教わっているのは誇りでもあり、プレッシャーでもある。働き始めた当初は「先輩に呆れられていないだろうか…」とネガティブになったりもしたが、今はそんなことより先輩からあと何を吸収できるかが気になるところ。
私はそんな先輩が大好きなので、来年たぶん先輩は異動になるだろうなという予想には胸を潰す。年数的に異動が妥当ということは、理屈ではわかっていても、信じたくない気持ちがある。あと半年で私は何を学べるだろう。先輩にイチから聞くだけでなく、自分でも勉強した上で色々と聞かなければと思うのであった(思うだけじゃなくてちゃんと勉強しろよ)。
あと先輩の何より好きなところは、どんなに忙しくても、質問すると必ず手を止めて話を聞いてくれるところだ。「ちょっと待って」と言われた記憶が無い。これはとても…本当に素晴らしいこと。自分の仕事の思考が中断されるのはなかなかのストレスなはずなのに、それをおくびにも出さない。この点は感謝してもしきれない。面と向かっては言えないけど…。
これはもう1人の先輩も同じだ。「質問いいですか」と尋ねると必ず快諾してくれる。意識してそうやっているのか、本来の性質なのかはわからないけど、質問しやすい環境を作ってくれるのは本当にありがたい。
いい職場だな。
先日、課長との面談があった。
10月から本採用となるにあたり、4月から今までの働きへのフィードバックを聞いた。どんな評価がきても受け止められるよう緊張して向かったが、意外と高評価を頂いて驚いた。
・コミュニケーション能力がある
学生生活と違い、異年齢の人と関わることが多い仕事なのに、臆していない。大人と渡り合っている。
課長いわく、これはボーイスカウトで場数を踏んでいたからではないかと。まず自分のことはコミュ障人見知りまっしぐらだと思って疑わないので、ビジネスシーンではそういう評価をいただけるのかと純粋に驚いた。たしかに仕事上なら、大人と喋るのも苦じゃない。ボーイスカウトで場数を踏んできたからという推論も、あながち間違いじゃないのかなと思う。アルバイトの経験も少なからずある気はする。ボーイスカウトをやっていて良かったと、割と初めて思ったね。
・よくやってくれている
総合評価が60点あれば普通というところを、68点の評価をつけていただいた。高い方らしい。同期に劣等感を抱き続けて「自分は同期の中でも劣った方にちがいない…」というネガティブに陥りがちな私にとって、この評価は青天の霹靂。自己肯定感が上がったどころではない。いっそう精進しようと思ったし、生き続けて良かったと思った。
仕事内容に関しても、人間関係に関しても、初めての配属がこの部署で良かったなぁ。
・報連相ができている
これも褒められた点。これは割と意識してやっている。些細なことでも「ご承知おきください〜」と報告していた。これからも続けよう。
・たまに若者言葉がでる
窓口や電話対応は基本的にOKだが、言葉遣いにさらに気をつけられれば…ということらしい。まぁたしかに、顔を知っている相手にはくだけた調子で話がちだ。仕事中であることを意識して背筋を伸ばそう。
・ミスが多い
これが私の最大の短所。確認をしないゆえのミスが多すぎる。4月から今までのミスの一覧を作ってみようと思って書きだしたら思いつくだけでノート1ページ埋まった。さらに細かく書いたら1時間くらい書き続けられそう。
確認を習慣化する。
そして確認が当たり前になる。これが後期の課題だな。
途中からフィードバックのメモになったが、今の私はこんな感じである。
甘えた気持ちはここに残して、明日も元気に「よりよき社会人」を目指していこう。
おやすみ。
仕事で分からないことがあり、先輩を質問攻めにしていたら随分暗くなってしまった。私の中では今日は曇りの予定だったのだが、生憎めちゃくちゃに雨が降っていた。仕方なくそのままバイクにまたがって帰ることにした。
先輩は残業を続けていた。
すまんな、2時間も拘束して。
一週間以上車通勤でバイクに乗れず、なんとなく乗りたくて仕方なくなって今朝はバイクで出勤した。結果、雨の中帰宅という事態になり、車を選ばなかったことを後悔するかと思いきや、全然そんな気分にはならなかった。
空が光る。暗雲の中で光る稲妻は紫の光を放つのだと、ハッキリわかるほどに雷が頭上を通る。いつ自分に雷が落ちてもおかしくはないんだよなと思うとゾッとしたが、ヘルメットの水滴に対向車の光が乱反射して視界が激悪な状況も相まって、「困難すぎて逆に楽しい」モードになっていた。こんな天気でもバイクでイキれる自分に酔っていた。危険が迫っていると感じるほど運転に集中できる。感覚が研ぎ澄まされる。とりあえずバイクに乗れていることがなんだか楽しい!
運転しながら見た紫の稲妻。その光景とスリルを乗りこなす気持ちよさ、しばらく脳に焼き付いて離れないだろう。
先輩は残業を続けていた。
すまんな、2時間も拘束して。
一週間以上車通勤でバイクに乗れず、なんとなく乗りたくて仕方なくなって今朝はバイクで出勤した。結果、雨の中帰宅という事態になり、車を選ばなかったことを後悔するかと思いきや、全然そんな気分にはならなかった。
空が光る。暗雲の中で光る稲妻は紫の光を放つのだと、ハッキリわかるほどに雷が頭上を通る。いつ自分に雷が落ちてもおかしくはないんだよなと思うとゾッとしたが、ヘルメットの水滴に対向車の光が乱反射して視界が激悪な状況も相まって、「困難すぎて逆に楽しい」モードになっていた。こんな天気でもバイクでイキれる自分に酔っていた。危険が迫っていると感じるほど運転に集中できる。感覚が研ぎ澄まされる。とりあえずバイクに乗れていることがなんだか楽しい!
運転しながら見た紫の稲妻。その光景とスリルを乗りこなす気持ちよさ、しばらく脳に焼き付いて離れないだろう。
学生時代から何となく感じていた「月イチくらいである落ち込みやすい時期」のことを、勝手に定期鬱と呼んでいます。社会人になってもそれは改善されず、生理が近くなると気分が沈みがちになります。
今はちょうど定期鬱に差し掛かったとき。
少しでも気に入らないことがあると落ち込んだり怒りが込み上げてきたりして、目に入るもの全てをネガティブに捉えます。メンタル安定していたころを覚えているだけに、その落差が苦しく、こんな絶望が毎月来るなんて生きるのキッツいわぁ…生きてる価値ある?とすら思いますね。なんで生きてるだけで気持ちが沈み続けるんだ。私なんか悪いことしました?
思い詰めると頭痛がするタチなのですが、定期鬱のときはそれが3倍増し……というか、どうでもいいことを思い詰めることが多いんだと思います。すぐ生きる価値を問うし、自分の価値を否定するし、未来も能力も過去すら否定する。それが夜だけならまだしも、日中働いていてもなんか気分晴れないし、帰ったら泣きそうになるし、自分が他人にどう思われているのかばかり考えて肩身が狭くなる。自分がなぜ泣いているのかも分からない、反抗期の若者の鬱屈をさらに濃くした理不尽。とにかく酷い。
でも苦しいけど、悔しいけど、
こういうときに発掘する「鬱を生き抜くボカロ曲」はたまらなく美しいと感じるし、感性ぐちゃぐちゃになった果てに自然とか友情とか努力とか美しいものをみて涙する瞬間も人生をバチバチに彩ってくれるんだよね。
そんな瞬間は半年に1回くらいしかないけど。
謂れのない絶望に何度も対面して、そうまでして生きる価値があるかと考えるなら、ある、あるだろうよ。
社会人として働かなきゃとか、奨学金返済するまで死ねないとかそういう理屈じゃなくて、単にまだやりたいこと全部やれてないって……思うので……。たしかにメンタルいつでも安定している人が羨ましい、そうであればどれだけ生きやすいかと思う。でも私はこの世界を知ってしまったので……、戻れないんですよね……。誰にも頼りたくないとき、1人の世界で見つけた救いの美しさよ。
そう思うと、「マジ鬱。ツラい」とか言ってる場合じゃないなって。何がどう辛いのか、どこで涙腺が崩壊するのか、事細かに記録した方がいいんじゃないの? 感情は有限だ。この鬱屈で塗り固めたものを転がして転がして定期的に摂取して、いつか納得のいく救いを作りたい。そんなことを思う日が来るなんて。落ち込んでいても、前は向けるらしい。
今はちょうど定期鬱に差し掛かったとき。
少しでも気に入らないことがあると落ち込んだり怒りが込み上げてきたりして、目に入るもの全てをネガティブに捉えます。メンタル安定していたころを覚えているだけに、その落差が苦しく、こんな絶望が毎月来るなんて生きるのキッツいわぁ…生きてる価値ある?とすら思いますね。なんで生きてるだけで気持ちが沈み続けるんだ。私なんか悪いことしました?
思い詰めると頭痛がするタチなのですが、定期鬱のときはそれが3倍増し……というか、どうでもいいことを思い詰めることが多いんだと思います。すぐ生きる価値を問うし、自分の価値を否定するし、未来も能力も過去すら否定する。それが夜だけならまだしも、日中働いていてもなんか気分晴れないし、帰ったら泣きそうになるし、自分が他人にどう思われているのかばかり考えて肩身が狭くなる。自分がなぜ泣いているのかも分からない、反抗期の若者の鬱屈をさらに濃くした理不尽。とにかく酷い。
でも苦しいけど、悔しいけど、
こういうときに発掘する「鬱を生き抜くボカロ曲」はたまらなく美しいと感じるし、感性ぐちゃぐちゃになった果てに自然とか友情とか努力とか美しいものをみて涙する瞬間も人生をバチバチに彩ってくれるんだよね。
そんな瞬間は半年に1回くらいしかないけど。
謂れのない絶望に何度も対面して、そうまでして生きる価値があるかと考えるなら、ある、あるだろうよ。
社会人として働かなきゃとか、奨学金返済するまで死ねないとかそういう理屈じゃなくて、単にまだやりたいこと全部やれてないって……思うので……。たしかにメンタルいつでも安定している人が羨ましい、そうであればどれだけ生きやすいかと思う。でも私はこの世界を知ってしまったので……、戻れないんですよね……。誰にも頼りたくないとき、1人の世界で見つけた救いの美しさよ。
そう思うと、「マジ鬱。ツラい」とか言ってる場合じゃないなって。何がどう辛いのか、どこで涙腺が崩壊するのか、事細かに記録した方がいいんじゃないの? 感情は有限だ。この鬱屈で塗り固めたものを転がして転がして定期的に摂取して、いつか納得のいく救いを作りたい。そんなことを思う日が来るなんて。落ち込んでいても、前は向けるらしい。