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日記、感想、オタ活・・・ごちゃまぜ雑多の物置蔵
 先日、ひっそりと職場の極小数だけで親睦会があった。

 酒を飲みながらバスに乗って日帰り旅行。
 自分が行って楽しめるかかなり不安だったけど、なんだかんだ一日中楽しく過ごした。というか呑んでばかりだった。意外と自分は酒が好きかもしれない。


 親睦会の中で、特に印象に残ったやりとりがある。
 
 帰路にて、上司と話をした。
 私は山脈を見ているだけでテンションが上がる山派な一方で、上司はダイビングライセンス持って海外を飛び回る海派だ。

「表面から見える海と、潜って見える海は全然違うから。1回でいいから体験してほしいね。ハマらなかったら辞めればいい。でも海は本当にすごいから。潜って人生観が変わる人もいる。まぁそこは人それぞれだけど、俺はね、夜導さんならわかってくれると思うんだよね」

 『わかってくれると思う』その言葉がじんわりと嬉しかった。
 バスの窓から見える夕映えの山脈に目を輝かせていた私。それを見て、本当に山が好きなんだなぁと笑っていた上司。そんな流れでの会話だったので、自分の自然に対する価値観をそのまま認めてもらえたみたいで嬉しかった。空を見て山を見て感動するこの心は決して間違いでは無いのだと、(自分では素晴らしいことと思っていても、時に酷く無価値に感じることもあるので)感性を素直に認められる気がした。あと、心のむくままに登山にも旅行にも行く自分の行動力も褒めてもらった気がした。

「若いうちにたくさん経験を積みなさい。若いうちになんでも体験して、生涯の趣味を見つけにゃいかん。そのための有休ならいくらでも認める」

 そんなことを言ってくれる上司だったので、より一層説得力があるのだった。

 海、行こうかな。
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 「今日は早く寝るぞ」と思っているのに、結局眠りに落ちるのは0時ごろという日が続いている。朝起きたときの疲労具合を見るに、もっと睡眠時間を取るべきなのは明白なのだが、それにしても夜はあれもこれもやりたくなってしまうのだから不思議なものだ。

 今日もそう。
 朝はたった数分でも欲しいような寝る間を惜しんででも、書きたい時がある。


 今日は調子がいいんだか悪いんだか、その両方であるような日だった。
 午前中はいつも通り「暇とは言えないけど何をしたらいいのか分からず四苦八苦」して、午後一番で出先に向かい、まだ1人の外出に慣れていない中(9月までは先輩が付き添うルールだった)あたふたしながら用事をこなした。スムーズにこなしたとは言いがたかった。帰り道の車の中で「今から帰ったら午後の打ち合わせ間に合わねぇな…」と打ちひしがれ、ついでに昨日や午前中のやらかしを思い出して「なんか今日は良くない日だなぁ…」なんてうなだれていた。

 職場に戻ると、打ち合わせ前だった。
 自分を待っていたのだ。
 申し訳ない気持ちしかなかったが、まぁ別に責められることはなかった。この部署の、些細なことでは怒らない、省エネな雰囲気には随分と救われている。それでも私は「でも裏では色々言われてるかも…」と考えてしまうけど、多分誰もわざわざ裏でまで他人の失敗のことなど考えちゃいない。

 打ち合わせには私の出る幕はなかった。
 先輩が上司に提案するのを聞いて、他の先輩や上司が質問するのを聞いて、「そういうもんか」と頷くだけだった。議題は自分の担当のことではなかったし、意見を求められても困るのでそうするほかなかった。正直ちょっと眠たかった。

 打ち合わせも終盤に差し掛かった頃、今後の仕事をどうしていこう、こういう改革ができるんじゃないかという話になった。うちの上司と先輩①は結構な改革派だ。何かを変えていくこと、流動していくことに抵抗がない。かといって変化にともなう周囲の反発や筋道もちゃんと見えているので、優秀というかものが分かっている人達だなと思う。

 そこでは私も多少発言した。自分の担当している仕事の改革について。話はすぐ終わったけど、打ち合わせの中では1番心が動いた。当事者として話に入れたのが嬉しかったし、充実感を感じた。

 最後に、業務量の見直しの話になった。
 どうしたら業務量を減らせるかという話が続いた。
 今しかないと、意を決して手を挙げた。
 具体的に何を言ったかは覚えていない。感情が先に溢れて泣かないように注意を払った。実際に言った言葉は思い出したくない気もする。ただ「暇を持て余している。やることが分からなくて困っている」と伝えて、「新人だから仕事量が少ないだけだよ」と言われつつ、先輩②の手伝いをしてあげてねと言われたことは覚えている。

 やっと言えた。
 その感慨だけが胸を満たしていた。

 こんなことは言ってはいけないとずっと思っていた。
 自分でどうにかするしかないと。
 でも「業務量を減らすにはどうしたらいいか」という話の流れで、「これ以上周囲の考え(部署の人間が1人残らず忙しいという認識)と自分の業務認識に齟齬があってはいけない!」と思った。先輩①がざっくばらんに色々語ってくれたおかげで、何を言ってもいいような土壌があったのが救いだった。ありがたかった。胸の内が軽くなった。


 こんなベクトルのちがう苦しみがあったよということ、今日勇気を出したよということ、どうしても残しておきたくて日記にする。意外と過去の心理というものは覚えているようで覚えていない。忘れた方が幸せなこともあるかもしれないけど、私はもう気になる癖がついているので、残せるうちに残せるならそれが幸せだ。
 6月あたりからずっと、身の振り方が分からない分からないと嘆いていた私、ようやく「相談していいんだ」という結果にたどり着けて安心して泣きそうである。長かったなぁ。この発言が元でクソ忙しくなったならそれはそれで、いつかこの身に降りかかることが早まっただけだと思えばいい。なにより、先輩②の役に立てるなら多少の忙しさも喜んで甘んじる。ここで生きているのだから、ここで咲きたい。

 
 また明日、自分を殺さずにいられますように。
先輩方は連日夜遅くまで残業している。
今は忙しいシーズンだから、当たり前らしい。

それなのに私は特別やることもなく、今日も定時で帰っている。

何もしてないのに、疲れた。
そう感じることが多くなった。
どうして私は帰れてしまうんだ。


新人ならもっと積極的に「何か出来ることありますか」「私にもやらせてください」と言って先輩の輪に入っていくべきだったんだろうか、という後悔。

こんなにもやることがないのは私に社会人として「何かが欠けている」からではないか。何かを見落としているからこんなにイージーなのではないか、という焦り。

先輩や上司が話し合う内容が(自分の業務に直接関係がある訳では無いから)理解出来ず、連日のように湧いてくる疎外感。

こんなことを残業している先輩に相談するのも迷惑かなと、考えれば考えるほど息苦しくなり、なにもできず、結局帰宅するしか選択肢がなくなる。身の振り方が迷子すぎる。何をしていいのか本当にわからない。


何かが違うんだ。
私は何かを見落としていたり、忘れていたり、足りなかったりするに違いない。その何かが見つかれば、私も先輩たちにように忙しく、連日当たり前のように残業できるに違いない。だってそうじゃなきゃおかしいだろ?

マジでわからない。
どうするべきなんだ?

こんなことは誰も教えてくれない。
教わるものではないのかもしれない。
基本的に社会というものは、自分から聞いていかないと何も教えてはくれない。時には聞いたところで教えてくれない場合もある。教えてくれるだけ幸せであるらしい。
私は聞くものが明確なうちは幸せだけど、抽象的なことを聞かなきゃいけなかったり、マナーや一般論をたずねなきゃいけないのは何故か気が引ける。どうしてだろう。自分から尋ねておけば、あとから注意されるよりもダメージは少なくて済むと思うのに。どうしてだろう。胸は苦しいままだ。


同期は何をしているだろう。
残業しているんだろうか。
この繁忙期を乗り越えて、自分とはちがう知識をつける同期を思うと劣等感で胸はさらに苦しくなる。劣等感を感じるくらいならもっと飛び込めよということなのだが、そこまでアクティブになれないのが、ギアを上げられないのが困ったところだ。ギアを上げたところで解決するとは限らないし、そもそも聞き入れてもらえるかもわからない。

新人にあるまじき気後れ。
そうかもしれない。
私はもっと積極的にならなければ。理解できる範囲だけで満足していたら、どんどん追い抜かれて、そのうちもう辿り着けないほど差が開いてくるだろう。それは同期に対してというより、「積極的に動いた世界線の自分」とつい比べてそんなふうに考えてしまう。いいことなのか悪いことなのかは分からない。健全ではないなと思う。でも結局、私が同期を気にするのは「同じレベルになり得た自分」を軸に考えているからではないかと…思わなくもない。同期に勝ちたいわけじゃない、「私」が遅れたくないんだ。


遅れたくない。
そう思ったら、少しだけ胸が苦しくなくなった。
寝ている場合じゃないなと思った。
思考を手放して睡眠の世界へ逃げるのは簡単だ。繁忙期が過ぎ去り、先輩に気軽にあれこれ聞ける日まで待つこともできる。でもそれでは、私は自分を殺すことになる。

それは嫌だなと、いまできる努力もあるはずだと、小さな小さな動力源がチラつき始めた。私は私が感じる反骨に似た闘志を見逃したくはない。世界にやられっぱなしでは腹が立つからだ。反撃できる機会があるなら、方法を思いついたのなら、縋り付いてみたい。

コミュ障人見知り、言いたいことが言えない私
経験は何よりの糧と心得て、自ら動く能動的な私
どちらも私だし、どちらも必要だ。
能動的な私は反省をしないし、コミュ障な私は先に進まない。
双方がいることでアクセルとブレーキが成り立っている。
今はちょうど、ブレーキをめいっぱい踏んで止まり掛けたところ。止まりきる前に、アクセルの存在を思い出したところ。アクセルを踏む準備はできている。


「できるところから」
先輩のことばを思いだす。先程までその言葉は「私が理解できる極小の範囲」を指す言葉だったけど、今は「無理しない程度にあゆみ出せる、背伸びした仕事」という意味に聞こえる。いきなり仕事の中枢の話を聞いても欠片も理解できないけど、自分の担当に関係のある範囲なら理解できるだろうし、聞く理由がある。大義名分がある。そこから聞いていこう。そして理解しよう。



仕事は好きだ。
業務が楽しいわけではないけど、「社会人というアイデンティティがある安心感」「日々新しいことを吸収し、レベルアップしているような充実感」「家で勉強してくるのが正義だった学生時代とは違い、『出勤して仕事する』ことが何より重要であることが自分に合っている」…というところが仕事の好きな部分。だから逆に、自分が行き詰まっているように感じると、苦しさも一際つらいのかもしれない。
社会人になって半年が過ぎた今、こう思えるのは割と幸せなんだろうなと思う。

毎日、あれやこれやと悩みは尽きないが、私はまだ私の成長を諦めていないから、この心の使い方さえ会得できれば、私はもっと最強になれると思うんだ。
期限付きな僕らの、悪あがき。



今日の楽曲
餞/エイハブ
 そんなところに救済は転がっていない。
 無闇にSNSを開くのはやめなさい。
 
 社会人になってしばらく、姿を見せなかった憂鬱。
 そいつが久々に顔を出した。
 体調も周期も関係なく、来る時には来るもんらしい。
 厄介だな。予測できないって言うのはさ。

 でも少し嬉しかった。
 もう刺さらなくなったのかなと思っていた渾身のボカロプレイリストが、憂鬱に対して気持ちいいくらい効いていくのは。やはり私が好きになっただけある曲たちだ。救いの一手にたしかになるんだ。

 
 仕事では「よくやっている。特に言うことがない」と褒められ、ストレスもなく、遊びに行く友人にも恵まれ、日々退屈を知らない。そんな状態でも、ふと憂鬱はやってくる。褒められれば裏を疑い、友に囲まれれば孤独が懐かしくなるような、天邪鬼ゆえに、幸福の裏を突いてやってくる。
「『よくやってくれている』なんて普通の評価で満足してるのか? 同期よりも優秀だと認められたいくせに。同期に劣等感を募らせていたこと、忘れてはいないだろう」
「一人の時間を削ってまで何を求めているんだ? 永遠に分かり合えない他人と休日を潰して、自分を見つめる時間はどこに充てるんだ?」
「仕事をして日々を消化する、そんな毎日でいいのか? お前の望む人生はそんな平凡なものなのか?」

 そんな考えを一笑に付すことができる日もある。
 できない日もある。
 絡み取られ、なんとなく落ち込むことになる。

 そして曲で浄化する。
 今の私の最大の有効打。



 そんな夜もあるだろう。明日になればきっと忘れる。
 でもまたきっと、こんな夜がくる。


 
ドキドキも度を過ぎれば痛みになる。

胸の奥で鼓動が生まれて、消え去らない。
これは幻想。理想の押し付け。ただの盲目。
そう言い聞かせても、心の動きは変わらない。

「夢を見すぎている」
「正気になれ、都合のいい部分しか見ていないだけだ」
「くだらないとは思わないのか」
朝起きた時の冷めた気持ちで潰してほしいなと思いながら、胸に手を当てて困った顔をしてみる。胸の痛みと向き合い、探れば探るほど、遠ざけたい気持ちとは裏腹に、辿り着きたく無い答えに近づいていく気がする。こんな重い思いを抱えるのは久々で、誰かに話したいと思うのに、いざ口を開けると言葉が溜まって吐き出せない。無闇に言ってはいけないと本能が強く抑えている。その選択だけは正解だと思う。


話してはいけない。
悟られてはいけない。
押し殺して然るべき。それが分相応。
いつか忘れる時が来るから。

こんなことを書いている時点で認めたも同然だけど、私はまだ「見て見ぬふり」をしている。気づいたら負けだと思っている。それでいい。今はそれがいい。それだけでいいのに、心は勝手に重くなっていく。

なんだこの心理作用は。厄介にも程があるだろ。
どれだけ私を苦しめたら気が済むんだよ。

「何が好きなんだろう」「何を考えているんだろう」「今は何をしているんだろう」「あのとき何を思ってああ言っていたんだろう」そんなことを自然と考える思考回路が、憎い。
考えれば考えるほど、考えていることを認めてしまう。

少し前の頭の中は別のことでいっぱいだったはずなのに。
休日になれば平日のことは忘れ、好き勝手に旅をして、そして月曜日にまた頭を切り替える。他人のことなど我関せず、私は私のやりたいように自由に生きますと、そういう若者を体現していた。何にも縛られない自分が好きだった。
そういう生活をしてきたのに、最近は…。
平日が楽しみでもある。

あまりにも耐えがたく、認めづらい。
納得しがたい状況である。
普通は平日は嫌なものだ。
休日が長く続いて欲しいものだ。
「会えるから嬉しい」なんて、都合のいい幸せが存在するとでも?
あり得ない。まさか。自分に限って。
これは何かの緊張感と相まって胸が鳴っているに過ぎない。吊り橋効果と呼ばれているやつだ。そうじゃなきゃどう説明する? 高校生が同級生に恋をしたとは訳が違う。まだ一挙一動に目を引くわけじゃないし、会話に緊張することもない。だからこれは一時的な心理ショックなんだよ。そう言えるうちに、夢から醒めたいよ。そうだろう。

自分に限ってのことだけど、こんなもの、理想を押し付けているに過ぎない。そしていつか現実を知って落胆するのが目に見えている。だからはやく、甘い夢から醒めてなさい。スイーツが許されるのは乙女ゲームと二次創作の中だけなんだよ。現実に求めていいものじゃないんだよ。
それに、半年後は今のようにはいかないことは分かっている。半年後の自分を苦しめるような真似はしたくない。半年後の痛みを最小限に抑えるには、この痛みを忘れてしまう、勘違いだったと流してしまうのが一番では無いのか。
どうせ会わなくなったら、この痛みも消えるだろう。

この胸は痛く重くなったかと思えば、ちょっとしたことで羽のように軽くなったりもする。
どういう状況かって? 言わなくても分かるだろう。
癒しを求めるかのように、時々LINEを開いては、心が軽くなった時のことを思い出してそのページを開く。自分にしかわからない宝物を見つめる気持ち。何気ない挨拶なのに、あの時感じた気持ちはたしかに幸福だった。今でもその幸福の余韻を持っている。
その正体に手を引かれないよう、必死で「フラットな現実」に踏みとどまっている。歪んだ認知に取り込まれないように気を張っている。
幸福は幸福、ただしその正体に気付くかどうかは、別問題。
そういうことにしておこう。


もう冷めたものだと思っていた。
こんな葛藤に悩まされる日が来るとは、思ってもみなかった。この鈍痛が熱くなる前に、勘違いを続ける前に、最善の策を見つけなければ。冷静になれ。
心のまま動いてどうにかなる星の下には生まれていない。
この胸は「そう感じているだけ」に過ぎない。

夜空のきらめきや果ての景色に心躍らせている方が、よほど健全で幸せだよ。

私にはできるよ。
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