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「今日は早く寝るぞ」と思っているのに、結局眠りに落ちるのは0時ごろという日が続いている。朝起きたときの疲労具合を見るに、もっと睡眠時間を取るべきなのは明白なのだが、それにしても夜はあれもこれもやりたくなってしまうのだから不思議なものだ。
今日もそう。
朝はたった数分でも欲しいような寝る間を惜しんででも、書きたい時がある。
今日は調子がいいんだか悪いんだか、その両方であるような日だった。
午前中はいつも通り「暇とは言えないけど何をしたらいいのか分からず四苦八苦」して、午後一番で出先に向かい、まだ1人の外出に慣れていない中(9月までは先輩が付き添うルールだった)あたふたしながら用事をこなした。スムーズにこなしたとは言いがたかった。帰り道の車の中で「今から帰ったら午後の打ち合わせ間に合わねぇな…」と打ちひしがれ、ついでに昨日や午前中のやらかしを思い出して「なんか今日は良くない日だなぁ…」なんてうなだれていた。
職場に戻ると、打ち合わせ前だった。
自分を待っていたのだ。
申し訳ない気持ちしかなかったが、まぁ別に責められることはなかった。この部署の、些細なことでは怒らない、省エネな雰囲気には随分と救われている。それでも私は「でも裏では色々言われてるかも…」と考えてしまうけど、多分誰もわざわざ裏でまで他人の失敗のことなど考えちゃいない。
打ち合わせには私の出る幕はなかった。
先輩が上司に提案するのを聞いて、他の先輩や上司が質問するのを聞いて、「そういうもんか」と頷くだけだった。議題は自分の担当のことではなかったし、意見を求められても困るのでそうするほかなかった。正直ちょっと眠たかった。
打ち合わせも終盤に差し掛かった頃、今後の仕事をどうしていこう、こういう改革ができるんじゃないかという話になった。うちの上司と先輩①は結構な改革派だ。何かを変えていくこと、流動していくことに抵抗がない。かといって変化にともなう周囲の反発や筋道もちゃんと見えているので、優秀というかものが分かっている人達だなと思う。
そこでは私も多少発言した。自分の担当している仕事の改革について。話はすぐ終わったけど、打ち合わせの中では1番心が動いた。当事者として話に入れたのが嬉しかったし、充実感を感じた。
最後に、業務量の見直しの話になった。
どうしたら業務量を減らせるかという話が続いた。
今しかないと、意を決して手を挙げた。
具体的に何を言ったかは覚えていない。感情が先に溢れて泣かないように注意を払った。実際に言った言葉は思い出したくない気もする。ただ「暇を持て余している。やることが分からなくて困っている」と伝えて、「新人だから仕事量が少ないだけだよ」と言われつつ、先輩②の手伝いをしてあげてねと言われたことは覚えている。
やっと言えた。
その感慨だけが胸を満たしていた。
こんなことは言ってはいけないとずっと思っていた。
自分でどうにかするしかないと。
でも「業務量を減らすにはどうしたらいいか」という話の流れで、「これ以上周囲の考え(部署の人間が1人残らず忙しいという認識)と自分の業務認識に齟齬があってはいけない!」と思った。先輩①がざっくばらんに色々語ってくれたおかげで、何を言ってもいいような土壌があったのが救いだった。ありがたかった。胸の内が軽くなった。
こんなベクトルのちがう苦しみがあったよということ、今日勇気を出したよということ、どうしても残しておきたくて日記にする。意外と過去の心理というものは覚えているようで覚えていない。忘れた方が幸せなこともあるかもしれないけど、私はもう気になる癖がついているので、残せるうちに残せるならそれが幸せだ。
6月あたりからずっと、身の振り方が分からない分からないと嘆いていた私、ようやく「相談していいんだ」という結果にたどり着けて安心して泣きそうである。長かったなぁ。この発言が元でクソ忙しくなったならそれはそれで、いつかこの身に降りかかることが早まっただけだと思えばいい。なにより、先輩②の役に立てるなら多少の忙しさも喜んで甘んじる。ここで生きているのだから、ここで咲きたい。
また明日、自分を殺さずにいられますように。
今日もそう。
朝はたった数分でも欲しいような寝る間を惜しんででも、書きたい時がある。
今日は調子がいいんだか悪いんだか、その両方であるような日だった。
午前中はいつも通り「暇とは言えないけど何をしたらいいのか分からず四苦八苦」して、午後一番で出先に向かい、まだ1人の外出に慣れていない中(9月までは先輩が付き添うルールだった)あたふたしながら用事をこなした。スムーズにこなしたとは言いがたかった。帰り道の車の中で「今から帰ったら午後の打ち合わせ間に合わねぇな…」と打ちひしがれ、ついでに昨日や午前中のやらかしを思い出して「なんか今日は良くない日だなぁ…」なんてうなだれていた。
職場に戻ると、打ち合わせ前だった。
自分を待っていたのだ。
申し訳ない気持ちしかなかったが、まぁ別に責められることはなかった。この部署の、些細なことでは怒らない、省エネな雰囲気には随分と救われている。それでも私は「でも裏では色々言われてるかも…」と考えてしまうけど、多分誰もわざわざ裏でまで他人の失敗のことなど考えちゃいない。
打ち合わせには私の出る幕はなかった。
先輩が上司に提案するのを聞いて、他の先輩や上司が質問するのを聞いて、「そういうもんか」と頷くだけだった。議題は自分の担当のことではなかったし、意見を求められても困るのでそうするほかなかった。正直ちょっと眠たかった。
打ち合わせも終盤に差し掛かった頃、今後の仕事をどうしていこう、こういう改革ができるんじゃないかという話になった。うちの上司と先輩①は結構な改革派だ。何かを変えていくこと、流動していくことに抵抗がない。かといって変化にともなう周囲の反発や筋道もちゃんと見えているので、優秀というかものが分かっている人達だなと思う。
そこでは私も多少発言した。自分の担当している仕事の改革について。話はすぐ終わったけど、打ち合わせの中では1番心が動いた。当事者として話に入れたのが嬉しかったし、充実感を感じた。
最後に、業務量の見直しの話になった。
どうしたら業務量を減らせるかという話が続いた。
今しかないと、意を決して手を挙げた。
具体的に何を言ったかは覚えていない。感情が先に溢れて泣かないように注意を払った。実際に言った言葉は思い出したくない気もする。ただ「暇を持て余している。やることが分からなくて困っている」と伝えて、「新人だから仕事量が少ないだけだよ」と言われつつ、先輩②の手伝いをしてあげてねと言われたことは覚えている。
やっと言えた。
その感慨だけが胸を満たしていた。
こんなことは言ってはいけないとずっと思っていた。
自分でどうにかするしかないと。
でも「業務量を減らすにはどうしたらいいか」という話の流れで、「これ以上周囲の考え(部署の人間が1人残らず忙しいという認識)と自分の業務認識に齟齬があってはいけない!」と思った。先輩①がざっくばらんに色々語ってくれたおかげで、何を言ってもいいような土壌があったのが救いだった。ありがたかった。胸の内が軽くなった。
こんなベクトルのちがう苦しみがあったよということ、今日勇気を出したよということ、どうしても残しておきたくて日記にする。意外と過去の心理というものは覚えているようで覚えていない。忘れた方が幸せなこともあるかもしれないけど、私はもう気になる癖がついているので、残せるうちに残せるならそれが幸せだ。
6月あたりからずっと、身の振り方が分からない分からないと嘆いていた私、ようやく「相談していいんだ」という結果にたどり着けて安心して泣きそうである。長かったなぁ。この発言が元でクソ忙しくなったならそれはそれで、いつかこの身に降りかかることが早まっただけだと思えばいい。なにより、先輩②の役に立てるなら多少の忙しさも喜んで甘んじる。ここで生きているのだから、ここで咲きたい。
また明日、自分を殺さずにいられますように。
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