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日記、感想、オタ活・・・ごちゃまぜ雑多の物置蔵
ドキドキも度を過ぎれば痛みになる。

胸の奥で鼓動が生まれて、消え去らない。
これは幻想。理想の押し付け。ただの盲目。
そう言い聞かせても、心の動きは変わらない。

「夢を見すぎている」
「正気になれ、都合のいい部分しか見ていないだけだ」
「くだらないとは思わないのか」
朝起きた時の冷めた気持ちで潰してほしいなと思いながら、胸に手を当てて困った顔をしてみる。胸の痛みと向き合い、探れば探るほど、遠ざけたい気持ちとは裏腹に、辿り着きたく無い答えに近づいていく気がする。こんな重い思いを抱えるのは久々で、誰かに話したいと思うのに、いざ口を開けると言葉が溜まって吐き出せない。無闇に言ってはいけないと本能が強く抑えている。その選択だけは正解だと思う。


話してはいけない。
悟られてはいけない。
押し殺して然るべき。それが分相応。
いつか忘れる時が来るから。

こんなことを書いている時点で認めたも同然だけど、私はまだ「見て見ぬふり」をしている。気づいたら負けだと思っている。それでいい。今はそれがいい。それだけでいいのに、心は勝手に重くなっていく。

なんだこの心理作用は。厄介にも程があるだろ。
どれだけ私を苦しめたら気が済むんだよ。

「何が好きなんだろう」「何を考えているんだろう」「今は何をしているんだろう」「あのとき何を思ってああ言っていたんだろう」そんなことを自然と考える思考回路が、憎い。
考えれば考えるほど、考えていることを認めてしまう。

少し前の頭の中は別のことでいっぱいだったはずなのに。
休日になれば平日のことは忘れ、好き勝手に旅をして、そして月曜日にまた頭を切り替える。他人のことなど我関せず、私は私のやりたいように自由に生きますと、そういう若者を体現していた。何にも縛られない自分が好きだった。
そういう生活をしてきたのに、最近は…。
平日が楽しみでもある。

あまりにも耐えがたく、認めづらい。
納得しがたい状況である。
普通は平日は嫌なものだ。
休日が長く続いて欲しいものだ。
「会えるから嬉しい」なんて、都合のいい幸せが存在するとでも?
あり得ない。まさか。自分に限って。
これは何かの緊張感と相まって胸が鳴っているに過ぎない。吊り橋効果と呼ばれているやつだ。そうじゃなきゃどう説明する? 高校生が同級生に恋をしたとは訳が違う。まだ一挙一動に目を引くわけじゃないし、会話に緊張することもない。だからこれは一時的な心理ショックなんだよ。そう言えるうちに、夢から醒めたいよ。そうだろう。

自分に限ってのことだけど、こんなもの、理想を押し付けているに過ぎない。そしていつか現実を知って落胆するのが目に見えている。だからはやく、甘い夢から醒めてなさい。スイーツが許されるのは乙女ゲームと二次創作の中だけなんだよ。現実に求めていいものじゃないんだよ。
それに、半年後は今のようにはいかないことは分かっている。半年後の自分を苦しめるような真似はしたくない。半年後の痛みを最小限に抑えるには、この痛みを忘れてしまう、勘違いだったと流してしまうのが一番では無いのか。
どうせ会わなくなったら、この痛みも消えるだろう。

この胸は痛く重くなったかと思えば、ちょっとしたことで羽のように軽くなったりもする。
どういう状況かって? 言わなくても分かるだろう。
癒しを求めるかのように、時々LINEを開いては、心が軽くなった時のことを思い出してそのページを開く。自分にしかわからない宝物を見つめる気持ち。何気ない挨拶なのに、あの時感じた気持ちはたしかに幸福だった。今でもその幸福の余韻を持っている。
その正体に手を引かれないよう、必死で「フラットな現実」に踏みとどまっている。歪んだ認知に取り込まれないように気を張っている。
幸福は幸福、ただしその正体に気付くかどうかは、別問題。
そういうことにしておこう。


もう冷めたものだと思っていた。
こんな葛藤に悩まされる日が来るとは、思ってもみなかった。この鈍痛が熱くなる前に、勘違いを続ける前に、最善の策を見つけなければ。冷静になれ。
心のまま動いてどうにかなる星の下には生まれていない。
この胸は「そう感じているだけ」に過ぎない。

夜空のきらめきや果ての景色に心躍らせている方が、よほど健全で幸せだよ。

私にはできるよ。
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