![]() |
先輩方は連日夜遅くまで残業している。
今は忙しいシーズンだから、当たり前らしい。
それなのに私は特別やることもなく、今日も定時で帰っている。
何もしてないのに、疲れた。
そう感じることが多くなった。
どうして私は帰れてしまうんだ。
新人ならもっと積極的に「何か出来ることありますか」「私にもやらせてください」と言って先輩の輪に入っていくべきだったんだろうか、という後悔。
こんなにもやることがないのは私に社会人として「何かが欠けている」からではないか。何かを見落としているからこんなにイージーなのではないか、という焦り。
先輩や上司が話し合う内容が(自分の業務に直接関係がある訳では無いから)理解出来ず、連日のように湧いてくる疎外感。
こんなことを残業している先輩に相談するのも迷惑かなと、考えれば考えるほど息苦しくなり、なにもできず、結局帰宅するしか選択肢がなくなる。身の振り方が迷子すぎる。何をしていいのか本当にわからない。
何かが違うんだ。
私は何かを見落としていたり、忘れていたり、足りなかったりするに違いない。その何かが見つかれば、私も先輩たちにように忙しく、連日当たり前のように残業できるに違いない。だってそうじゃなきゃおかしいだろ?
マジでわからない。
どうするべきなんだ?
こんなことは誰も教えてくれない。
教わるものではないのかもしれない。
基本的に社会というものは、自分から聞いていかないと何も教えてはくれない。時には聞いたところで教えてくれない場合もある。教えてくれるだけ幸せであるらしい。
私は聞くものが明確なうちは幸せだけど、抽象的なことを聞かなきゃいけなかったり、マナーや一般論をたずねなきゃいけないのは何故か気が引ける。どうしてだろう。自分から尋ねておけば、あとから注意されるよりもダメージは少なくて済むと思うのに。どうしてだろう。胸は苦しいままだ。
同期は何をしているだろう。
残業しているんだろうか。
この繁忙期を乗り越えて、自分とはちがう知識をつける同期を思うと劣等感で胸はさらに苦しくなる。劣等感を感じるくらいならもっと飛び込めよということなのだが、そこまでアクティブになれないのが、ギアを上げられないのが困ったところだ。ギアを上げたところで解決するとは限らないし、そもそも聞き入れてもらえるかもわからない。
新人にあるまじき気後れ。
そうかもしれない。
私はもっと積極的にならなければ。理解できる範囲だけで満足していたら、どんどん追い抜かれて、そのうちもう辿り着けないほど差が開いてくるだろう。それは同期に対してというより、「積極的に動いた世界線の自分」とつい比べてそんなふうに考えてしまう。いいことなのか悪いことなのかは分からない。健全ではないなと思う。でも結局、私が同期を気にするのは「同じレベルになり得た自分」を軸に考えているからではないかと…思わなくもない。同期に勝ちたいわけじゃない、「私」が遅れたくないんだ。
遅れたくない。
そう思ったら、少しだけ胸が苦しくなくなった。
寝ている場合じゃないなと思った。
思考を手放して睡眠の世界へ逃げるのは簡単だ。繁忙期が過ぎ去り、先輩に気軽にあれこれ聞ける日まで待つこともできる。でもそれでは、私は自分を殺すことになる。
それは嫌だなと、いまできる努力もあるはずだと、小さな小さな動力源がチラつき始めた。私は私が感じる反骨に似た闘志を見逃したくはない。世界にやられっぱなしでは腹が立つからだ。反撃できる機会があるなら、方法を思いついたのなら、縋り付いてみたい。
コミュ障人見知り、言いたいことが言えない私
経験は何よりの糧と心得て、自ら動く能動的な私
どちらも私だし、どちらも必要だ。
能動的な私は反省をしないし、コミュ障な私は先に進まない。
双方がいることでアクセルとブレーキが成り立っている。
今はちょうど、ブレーキをめいっぱい踏んで止まり掛けたところ。止まりきる前に、アクセルの存在を思い出したところ。アクセルを踏む準備はできている。
「できるところから」
先輩のことばを思いだす。先程までその言葉は「私が理解できる極小の範囲」を指す言葉だったけど、今は「無理しない程度にあゆみ出せる、背伸びした仕事」という意味に聞こえる。いきなり仕事の中枢の話を聞いても欠片も理解できないけど、自分の担当に関係のある範囲なら理解できるだろうし、聞く理由がある。大義名分がある。そこから聞いていこう。そして理解しよう。
仕事は好きだ。
業務が楽しいわけではないけど、「社会人というアイデンティティがある安心感」「日々新しいことを吸収し、レベルアップしているような充実感」「家で勉強してくるのが正義だった学生時代とは違い、『出勤して仕事する』ことが何より重要であることが自分に合っている」…というところが仕事の好きな部分。だから逆に、自分が行き詰まっているように感じると、苦しさも一際つらいのかもしれない。
社会人になって半年が過ぎた今、こう思えるのは割と幸せなんだろうなと思う。
毎日、あれやこれやと悩みは尽きないが、私はまだ私の成長を諦めていないから、この心の使い方さえ会得できれば、私はもっと最強になれると思うんだ。
期限付きな僕らの、悪あがき。
今日の楽曲
餞/エイハブ
今は忙しいシーズンだから、当たり前らしい。
それなのに私は特別やることもなく、今日も定時で帰っている。
何もしてないのに、疲れた。
そう感じることが多くなった。
どうして私は帰れてしまうんだ。
新人ならもっと積極的に「何か出来ることありますか」「私にもやらせてください」と言って先輩の輪に入っていくべきだったんだろうか、という後悔。
こんなにもやることがないのは私に社会人として「何かが欠けている」からではないか。何かを見落としているからこんなにイージーなのではないか、という焦り。
先輩や上司が話し合う内容が(自分の業務に直接関係がある訳では無いから)理解出来ず、連日のように湧いてくる疎外感。
こんなことを残業している先輩に相談するのも迷惑かなと、考えれば考えるほど息苦しくなり、なにもできず、結局帰宅するしか選択肢がなくなる。身の振り方が迷子すぎる。何をしていいのか本当にわからない。
何かが違うんだ。
私は何かを見落としていたり、忘れていたり、足りなかったりするに違いない。その何かが見つかれば、私も先輩たちにように忙しく、連日当たり前のように残業できるに違いない。だってそうじゃなきゃおかしいだろ?
マジでわからない。
どうするべきなんだ?
こんなことは誰も教えてくれない。
教わるものではないのかもしれない。
基本的に社会というものは、自分から聞いていかないと何も教えてはくれない。時には聞いたところで教えてくれない場合もある。教えてくれるだけ幸せであるらしい。
私は聞くものが明確なうちは幸せだけど、抽象的なことを聞かなきゃいけなかったり、マナーや一般論をたずねなきゃいけないのは何故か気が引ける。どうしてだろう。自分から尋ねておけば、あとから注意されるよりもダメージは少なくて済むと思うのに。どうしてだろう。胸は苦しいままだ。
同期は何をしているだろう。
残業しているんだろうか。
この繁忙期を乗り越えて、自分とはちがう知識をつける同期を思うと劣等感で胸はさらに苦しくなる。劣等感を感じるくらいならもっと飛び込めよということなのだが、そこまでアクティブになれないのが、ギアを上げられないのが困ったところだ。ギアを上げたところで解決するとは限らないし、そもそも聞き入れてもらえるかもわからない。
新人にあるまじき気後れ。
そうかもしれない。
私はもっと積極的にならなければ。理解できる範囲だけで満足していたら、どんどん追い抜かれて、そのうちもう辿り着けないほど差が開いてくるだろう。それは同期に対してというより、「積極的に動いた世界線の自分」とつい比べてそんなふうに考えてしまう。いいことなのか悪いことなのかは分からない。健全ではないなと思う。でも結局、私が同期を気にするのは「同じレベルになり得た自分」を軸に考えているからではないかと…思わなくもない。同期に勝ちたいわけじゃない、「私」が遅れたくないんだ。
遅れたくない。
そう思ったら、少しだけ胸が苦しくなくなった。
寝ている場合じゃないなと思った。
思考を手放して睡眠の世界へ逃げるのは簡単だ。繁忙期が過ぎ去り、先輩に気軽にあれこれ聞ける日まで待つこともできる。でもそれでは、私は自分を殺すことになる。
それは嫌だなと、いまできる努力もあるはずだと、小さな小さな動力源がチラつき始めた。私は私が感じる反骨に似た闘志を見逃したくはない。世界にやられっぱなしでは腹が立つからだ。反撃できる機会があるなら、方法を思いついたのなら、縋り付いてみたい。
コミュ障人見知り、言いたいことが言えない私
経験は何よりの糧と心得て、自ら動く能動的な私
どちらも私だし、どちらも必要だ。
能動的な私は反省をしないし、コミュ障な私は先に進まない。
双方がいることでアクセルとブレーキが成り立っている。
今はちょうど、ブレーキをめいっぱい踏んで止まり掛けたところ。止まりきる前に、アクセルの存在を思い出したところ。アクセルを踏む準備はできている。
「できるところから」
先輩のことばを思いだす。先程までその言葉は「私が理解できる極小の範囲」を指す言葉だったけど、今は「無理しない程度にあゆみ出せる、背伸びした仕事」という意味に聞こえる。いきなり仕事の中枢の話を聞いても欠片も理解できないけど、自分の担当に関係のある範囲なら理解できるだろうし、聞く理由がある。大義名分がある。そこから聞いていこう。そして理解しよう。
仕事は好きだ。
業務が楽しいわけではないけど、「社会人というアイデンティティがある安心感」「日々新しいことを吸収し、レベルアップしているような充実感」「家で勉強してくるのが正義だった学生時代とは違い、『出勤して仕事する』ことが何より重要であることが自分に合っている」…というところが仕事の好きな部分。だから逆に、自分が行き詰まっているように感じると、苦しさも一際つらいのかもしれない。
社会人になって半年が過ぎた今、こう思えるのは割と幸せなんだろうなと思う。
毎日、あれやこれやと悩みは尽きないが、私はまだ私の成長を諦めていないから、この心の使い方さえ会得できれば、私はもっと最強になれると思うんだ。
期限付きな僕らの、悪あがき。
今日の楽曲
餞/エイハブ
PR
COMMENT