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今日は完全に引きこもってた。
寒いし曇りだし元気がまるで出ないからと、やろうとしていたこと全て明日に放り投げてダラダラしていた。
本当にやる気が起きないときっていうのはあるもんだ。
悲しいことにストレスでも溜まっているのか(溜まるほど人生頑張ってもいないのに?)、今日は機嫌も良くなかった。些細なことでイライラしてた。最近はイライラするたびに「まぁまぁ」って宥める自分が出てきて、始めのうちはそれで冷静になれたけど、今はむしろやかましいと思う。ぼっちこじらせ過ぎて自分と対話できそうなんだよな。出ていってくれ、怒りたいときは怒らせてくれ、飲み込ませないでくれ…。
どうかしてるとは思うけど全否定もできない。宥める自分はたしかにウザいが消えてもらっては困る。冷静になる装置は必要だから。ただこんな状況が続いたらさすがに狂いそうでちょっと怖い。ま、大袈裟だけどね。
寒いだけで鬱になるのは例年通りだけど、こんなに訳分からんことで頭がいっぱいになるのははじめてよ。社会人になったらもう病まないことを祈る。今苦しい分にはいくらでも構わないけど、働き始めてからも悩まされるのはごめんだな。今年で終わりにしてくれ。
でも憂鬱と喜びの間を揺れ動く経験を亡くすのはちょっと惜しい。ボカロ曲をディグってるときの私はそんな感じ。救いを求めているようで憂鬱の肯定を求めている。そんなことだから引かれるんだな。
友「お前のマイリスト暗すぎ」
私「そんなことない。明るい曲もあるよ?」
友「それは落ちる所まで落ちた人がたどり着く希望みたいな明るさやん…? 私も『うっせぇわ』みたいな治安悪い曲は好きだけど、闇の深さ的には田舎のヤンキーレベルなの。そっちは世界屈指のスラム街だよ。スラム街の中の希望の唄だよ」
発言が面白かったから強烈に覚えている。さすがに笑うしかなかったんだよなぁ。でも昔ハマってた曲を聞かなくなるように、いつか今好きな曲も忘れていくんだろうか。寂しいけど、精神は健康になるかもしれない。考えることは止めているだろうけどね。でも悩むだけで行動せず燻るくらいなら、何も考えない方が合理的だと思いますよ。だから悩むなら行動してほしい。未来の自分にそう言いたい。今日の私は行動できてないないので何の説得力もないのですが。
気づけばもう夜。家族が帰ってきて自分の時間が終わる。
マジでつまらない1日だったけど、まだ今日は終わっていないから、まだ行動する時間はあるから。やれることからやりますかね。
寒いし曇りだし元気がまるで出ないからと、やろうとしていたこと全て明日に放り投げてダラダラしていた。
本当にやる気が起きないときっていうのはあるもんだ。
悲しいことにストレスでも溜まっているのか(溜まるほど人生頑張ってもいないのに?)、今日は機嫌も良くなかった。些細なことでイライラしてた。最近はイライラするたびに「まぁまぁ」って宥める自分が出てきて、始めのうちはそれで冷静になれたけど、今はむしろやかましいと思う。ぼっちこじらせ過ぎて自分と対話できそうなんだよな。出ていってくれ、怒りたいときは怒らせてくれ、飲み込ませないでくれ…。
どうかしてるとは思うけど全否定もできない。宥める自分はたしかにウザいが消えてもらっては困る。冷静になる装置は必要だから。ただこんな状況が続いたらさすがに狂いそうでちょっと怖い。ま、大袈裟だけどね。
寒いだけで鬱になるのは例年通りだけど、こんなに訳分からんことで頭がいっぱいになるのははじめてよ。社会人になったらもう病まないことを祈る。今苦しい分にはいくらでも構わないけど、働き始めてからも悩まされるのはごめんだな。今年で終わりにしてくれ。
でも憂鬱と喜びの間を揺れ動く経験を亡くすのはちょっと惜しい。ボカロ曲をディグってるときの私はそんな感じ。救いを求めているようで憂鬱の肯定を求めている。そんなことだから引かれるんだな。
友「お前のマイリスト暗すぎ」
私「そんなことない。明るい曲もあるよ?」
友「それは落ちる所まで落ちた人がたどり着く希望みたいな明るさやん…? 私も『うっせぇわ』みたいな治安悪い曲は好きだけど、闇の深さ的には田舎のヤンキーレベルなの。そっちは世界屈指のスラム街だよ。スラム街の中の希望の唄だよ」
発言が面白かったから強烈に覚えている。さすがに笑うしかなかったんだよなぁ。でも昔ハマってた曲を聞かなくなるように、いつか今好きな曲も忘れていくんだろうか。寂しいけど、精神は健康になるかもしれない。考えることは止めているだろうけどね。でも悩むだけで行動せず燻るくらいなら、何も考えない方が合理的だと思いますよ。だから悩むなら行動してほしい。未来の自分にそう言いたい。今日の私は行動できてないないので何の説得力もないのですが。
気づけばもう夜。家族が帰ってきて自分の時間が終わる。
マジでつまらない1日だったけど、まだ今日は終わっていないから、まだ行動する時間はあるから。やれることからやりますかね。
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Celeste
セレステ山の山頂を目指すインディーズアクションゲーム。
主人公は心に闇を抱える女の子マデリン。ジャンプ、のぼる、ダッシュを活かしてギミックを突破していく。失敗して、失敗して、でも何度も挑戦して、アクションが上達していく喜びを味わうゲーム。
前置きとなりますが、このゲームを知るきっかけになったのはこちらの曲です。
【初音ミク】氷雪【thus / オリジナル曲のつもり】
単独で山に登る人間の心情、極寒高所の極限世界、そういったものを詰め込んだこちらの曲に惚れまして、ホイホイとキャプションに書いてあるゲームをswitchで買ってしまいました。元ネタになったものに弱いんだよな・・・。素敵なゲームに巡り合えたし楽曲も素敵だし、作者さんには大変感謝しています。
さてさて本題、セレステ山の登頂を目指すこのゲーム、むずいです。
(私の腕がへっぽこなだけかもしれませんけど)
しかし、失敗したらその画面内ですぐリスタートするので、「うわぁここからまたプレイするのかよ…」という絶望はあまりありません(全く無いとは言わない)。
何度も何度も挑戦して、どう飛んでいったらクリアできるか考えて、即死トラップを潜り抜け、先に進んでいくのです。クリアできなかったところが切り抜けられるようになると、自分の操作が上達したのかなと嬉しくなります。これぞアクションゲームの醍醐味!というところを凝縮したようなゲームです。ドット絵だからこそロードが秒で終わるのでストレスもフリー!
全ッ然クリアできないと「もしかして私の腕ではダメなんじゃ・・・戻ろうかな・・・」みたいな気持ちになりますが、そこをグッとこらえて諦めずに挑戦し続けていたらクリアできました。そういう挑戦の積み重ね、意地でクリアしたようなもの。心折れそうになりながらも諦めない自分の姿が、自分の闇に苦しみながらも頂上を諦めないマデリンと重なり、なんだか嬉しくなるような充実感を味わいました。
アクションゲームとしてのゲーム性は最高だと思います。
物語も良かったです。雰囲気やBGMも緩急があって素敵。
あんまり書いてもネタバレになるので書きたくないんですけど、一番刺さったのは、なんで山に登るの?と尋ねられたときのマデリンの返しですね。マデリンは嫌なことをぐるぐる考えてしまう鬱っぽい自分を忘れたくて、何かに打ち込みたくてセレステ山に登ろうと思った。でも…
11時間かけてなんとかセレステ山の頂に立ったんですが、物語にはまだ続きがあるみたい。
この先はちょっとやりこまないと進めないそうなので、攻略方法をずるして検索しつつ飽きるまで遊びつくしたいと思います。クリアする楽しさを思い出させてくれてありがとう。
セレステ山の山頂を目指すインディーズアクションゲーム。
主人公は心に闇を抱える女の子マデリン。ジャンプ、のぼる、ダッシュを活かしてギミックを突破していく。失敗して、失敗して、でも何度も挑戦して、アクションが上達していく喜びを味わうゲーム。
前置きとなりますが、このゲームを知るきっかけになったのはこちらの曲です。
【初音ミク】氷雪【thus / オリジナル曲のつもり】
単独で山に登る人間の心情、極寒高所の極限世界、そういったものを詰め込んだこちらの曲に惚れまして、ホイホイとキャプションに書いてあるゲームをswitchで買ってしまいました。元ネタになったものに弱いんだよな・・・。素敵なゲームに巡り合えたし楽曲も素敵だし、作者さんには大変感謝しています。
さてさて本題、セレステ山の登頂を目指すこのゲーム、むずいです。
(私の腕がへっぽこなだけかもしれませんけど)
しかし、失敗したらその画面内ですぐリスタートするので、「うわぁここからまたプレイするのかよ…」という絶望はあまりありません(全く無いとは言わない)。
何度も何度も挑戦して、どう飛んでいったらクリアできるか考えて、即死トラップを潜り抜け、先に進んでいくのです。クリアできなかったところが切り抜けられるようになると、自分の操作が上達したのかなと嬉しくなります。これぞアクションゲームの醍醐味!というところを凝縮したようなゲームです。ドット絵だからこそロードが秒で終わるのでストレスもフリー!
全ッ然クリアできないと「もしかして私の腕ではダメなんじゃ・・・戻ろうかな・・・」みたいな気持ちになりますが、そこをグッとこらえて諦めずに挑戦し続けていたらクリアできました。そういう挑戦の積み重ね、意地でクリアしたようなもの。心折れそうになりながらも諦めない自分の姿が、自分の闇に苦しみながらも頂上を諦めないマデリンと重なり、なんだか嬉しくなるような充実感を味わいました。
アクションゲームとしてのゲーム性は最高だと思います。
物語も良かったです。雰囲気やBGMも緩急があって素敵。
あんまり書いてもネタバレになるので書きたくないんですけど、一番刺さったのは、なんで山に登るの?と尋ねられたときのマデリンの返しですね。マデリンは嫌なことをぐるぐる考えてしまう鬱っぽい自分を忘れたくて、何かに打ち込みたくてセレステ山に登ろうと思った。でも…
でも、自分自身からは、逃れられないんだね。
登りながら、まさに、ずっと、自分を相手に戦いつづけてる。
いやー!わかるー!!!!わかるよマデリン、登っている時は俗世からは離れられるけど、考えるのは自分のことばかりなんだよ。これは登山したことある人に共通の気持ちなんじゃないかな。結局、登山というのは自分と向き合うことなのかもしれない。山の神様が私を自分と戦わせようとしているんだろうな。
これが単独行の醍醐味かつ苦しいところだよね。
でもそれを知ってなお単独で頂きを目指す姿に勇気を貰ったよ。
いやー!わかるー!!!!わかるよマデリン、登っている時は俗世からは離れられるけど、考えるのは自分のことばかりなんだよ。これは登山したことある人に共通の気持ちなんじゃないかな。結局、登山というのは自分と向き合うことなのかもしれない。山の神様が私を自分と戦わせようとしているんだろうな。
これが単独行の醍醐味かつ苦しいところだよね。
でもそれを知ってなお単独で頂きを目指す姿に勇気を貰ったよ。
11時間かけてなんとかセレステ山の頂に立ったんですが、物語にはまだ続きがあるみたい。
この先はちょっとやりこまないと進めないそうなので、攻略方法をずるして検索しつつ飽きるまで遊びつくしたいと思います。クリアする楽しさを思い出させてくれてありがとう。
大晦日は1年を振り返るもの。
12ヶ月の振り返りはツイッターでもうやったので、日記らしくダラダラ語ろうと思う。
今年は本当に節目だった。
大学4年生としての節目はもちろん、依存していたコンテンツが次々に消えていき、自分の青春が終わって新しいものにシフトしていかなければいけないことを思い知らされた。楽しみを探しに動かなければならない、動き出すことの大切さを噛み締めた年。
10月だか11月だったか……卒論やりたくないという思いが強すぎて現実逃避を突き詰めた結果、脳内でオリキャラを生産し関係図やキャラデザ、名前まで決めてしまうという暴挙に出た。その後もちょっとインスピレーションを受けたらまたキャラクターを作った。既に私の脳内にはひとつの世界が出来上がっている。
サ終しないソシャゲなんてない。だがオリキャラなら永遠に愛せる。私が創作を続ける限り。そう思ったら俄然、卒論そっちのけでキャラデザを落書き帳に描き詰めた時間が無駄じゃないように思えてきた。せっかく生み出したのだから、愛していこう。動かしていこう。彼らが紡ぐ物語を私も見てみたいなぁ。
創作らしいことは何一つしない年だったけど、まだ自分の中に生み出したいという気持ちがあることが分かってよかった。自分を支えるひとつの柱として、世界を吸収する動機として、この気持ちを大切にしていきたい。
それから、動きのある年だったからこそ、変わらず接してくれる人たちのありがたみも噛み締めたよね。リアルの友人もネットの友人も。気持ちを吐露できる場所があるって本当にありがたいことだよ。この場所を大切にしていこう。
そんなに語ることなかったな。
それでは良いお年を。
12ヶ月の振り返りはツイッターでもうやったので、日記らしくダラダラ語ろうと思う。
今年は本当に節目だった。
大学4年生としての節目はもちろん、依存していたコンテンツが次々に消えていき、自分の青春が終わって新しいものにシフトしていかなければいけないことを思い知らされた。楽しみを探しに動かなければならない、動き出すことの大切さを噛み締めた年。
10月だか11月だったか……卒論やりたくないという思いが強すぎて現実逃避を突き詰めた結果、脳内でオリキャラを生産し関係図やキャラデザ、名前まで決めてしまうという暴挙に出た。その後もちょっとインスピレーションを受けたらまたキャラクターを作った。既に私の脳内にはひとつの世界が出来上がっている。
サ終しないソシャゲなんてない。だがオリキャラなら永遠に愛せる。私が創作を続ける限り。そう思ったら俄然、卒論そっちのけでキャラデザを落書き帳に描き詰めた時間が無駄じゃないように思えてきた。せっかく生み出したのだから、愛していこう。動かしていこう。彼らが紡ぐ物語を私も見てみたいなぁ。
創作らしいことは何一つしない年だったけど、まだ自分の中に生み出したいという気持ちがあることが分かってよかった。自分を支えるひとつの柱として、世界を吸収する動機として、この気持ちを大切にしていきたい。
それから、動きのある年だったからこそ、変わらず接してくれる人たちのありがたみも噛み締めたよね。リアルの友人もネットの友人も。気持ちを吐露できる場所があるって本当にありがたいことだよ。この場所を大切にしていこう。
そんなに語ることなかったな。
それでは良いお年を。
酉島伝法『宿借りの星』
普段短編小説や漫画しか読まない私が数日で読破してしまうくらい面白い長編SF小説。
異世界の異形生物たちの物語。
私とこの本との出会いは偶然が重なったものでした。まず10月に柊マグネタイトという方の「或世界消失」というボカロ楽曲にハマり、続いて柊マグネタイトさんの新曲「旧約汎化街」が発表されたので嬉々としてYoutubeで聴いていたらコメント欄で歌詞の用語を解説してくれる人が現れ、その解説の中に「卑徒(ひと)→分かりませんでしたが、 「いつか卑徒になる日まで」という本があり、その中では沢山の当て字の造語が使われていて、おそらくその中で人という意味で使われてるっぽい…??」とあり、もともと「或世界消失」の世界観が小説っぽいなと思っていたところだったので、「もしかして似たような世界観を楽しめる本なのかも」と思って「いつか卑徒になる日まで」を検索し、どうやら酉島伝法という小説家がいるらしく、最近『宿借りの星』という本を発売したらしいということを知りました。で、その『宿借りの星』の解説・円城塔の表記を見た瞬間、「或世界消失」を初めて聴いたとき円城塔を思い出したことを思い出し、これは私の中で何かが繋がろうとしているとか何とか思いながらAmazonを開いて商品検索をしたのでした。なにやら異世界の話で難しい文体の本らしいということは検索したときにわかったのですが、なぜか文庫本だと思っていて、Amazonで3,300円という数字を見たときは「高っ」とつい言葉が漏れました。でもそこは卒論に疲れて娯楽への金銭感覚がぶっ壊れていた時期だったことが幸いし、無事にポチることと相成ったわけです。ついでに言えば飽き性な自分が世界観にのめり込んで読破できたのも、今現在が卒論に追われているという非日常的な状態だったからでしょう。人間は何かに追われると現実逃避が捗るものです。テスト前に掃除が捗るのと一緒!
前置きが長くなり過ぎました。
そんな感じで作者に対して前知識があるわけでもなく、事前に解説サイトをじっくり読んだわけでもないという状態で本が届いき、その分厚さにびっくりしながら読み始めてみれば、「頭の奥深くまで霞んでいるようだった。マガンダラに見えるものと言えば、足元に次々と現れる水溜まり、傍らを這い進む渡那貝曳き(となかいびき)の荷橇(にぞり)、長い四本脚でぬかるみを踏み歩く̪駟種(ししゅ)の脚搬(きゃはん)くらいだった。いまヤドロヌワはどのあたりにいるのだろう」――「いや、読めるわけないやろ……」という第一声が漏れました。このような造語だらけの地の文が延々と続きます。これがこの世界の言葉であり生活なのです。
そもそも異形の物語とはいえ主人公は人型だという先入観がなぜかあったので、この冒頭でとりあえずマガンダラという者が主人公らしいということは分かっても、その後の描写がマガンダラのことを指しているとは見当がつかなくて大混乱。数ページ後にありがたい挿絵(作者が描いている)を見て「これがマガンダラか!」となり、私の物語理解はそこから始まりました。脳内にマガンダラを描けたら、あとはありがたい挿絵とかみ砕けば問題なく想像できる文章のおかげで、頭の中にまだ見ぬ異世界を創り上げることに成功しました。そう、解説の円城塔さんも書いていますが、本書は小難しい文面が広がっているように見えて、ちゃんと読めば映像が浮かんでくるのです。逆に言えば全く知らない生態系を他者に通達できる作者の力量には舌を巻きます。それに異世界を覗き見るのだから、多少はギャップというか障壁があって当たり前。でもそこを潜り抜けたら、素晴らしい物語が待っています。とりあえず冒頭数ページで諦めなかった自分を褒めたい。
ざっくり冒頭を説明すると、マガンダラが国を追われて改心?します。今まで傲慢に自分が見たいものだけを見てきたマガンダラが改心?し、自分や周囲を捉え直すところから物語が始まっているので、この主人公と共に進むことで、マガンダラから見れば異世界のものである我々人間の読者にも世界観が伝わりやすい構造になっていると思うのです。説明的すぎず主観的すぎず、絶妙な文章がとても心地よいです。
見慣れないけどなんとなく伝わる造語を追いかけ読み進めているうちに、人間のいない世界のことを人間の言葉で表現できるものだろうか?という疑問が生じました。このことについても解説の円城塔さんは触れています。しかしこれが小説である以上はこちらの言葉で書かれていなければならない。だから酉島伝法は「世界作成者であると同時にその翻訳者でもある」と。ちなみにこの解説、「いやぁこの物語は解説したいこといっぱいあるでしょ円城さん!」とウッキウキで開いたら6ページしかなくて泣きました。でもその6ページに私が書いて欲しかったことがほぼほぼ書かれていてニヤニヤしました。解説の最後の文が大好き。本書は解説を先に読んでも大きなネタバレは受けないので、(もし未読で興味のある方がいらっしゃいましたら)先に解説を読んで本書に対する心構えを整えておくのも良いなと思いました。
(ここからネタバレ)
書きたいことが物語の本筋に触れるので一応ワンクッション。先程述べた、人間のいない世界のことを人間の言葉で表現できるものだろうか?という疑問、もちろん解説で円城塔さんが語っていることも大切なんですけど、この物語が「卑徒(ひと)と切っても切れないもの」であるというのも一種の答えだと思うんですよね。この物語における卑徒(ひと)はそのまま人間です。異世界の生物たちの物語ときくと「SFというよりファンタジーでは?」と思いますけど、一部の人間が地球を離れて未知の星に住み、やがてそこに異形の生命体が現れてきた・・・という背景を知るとたしかにSFだなと思いますよね。思いませんか。
物語の中では、まぁ色々あって、人間がミクロな存在となって異形生物たちに寄生するんですよ。物凄く長い過程を繰り返して、異形生物たちの脳に住むことに成功し、操ったり操らなったりする。主人公マガンダラも中盤で卑徒の寄生虫、卑徒虫に寄生されていることを知り、近頃周囲の者たちの様子がおかしかったのも卑徒に寄生されたせいだと考えるわけです。怖いですね。私は自分が未知の生命体に寄生されていたとしても分からない(ふつう寄生虫や細菌は余程のことがない限り宿主を殺さない)し、もしかしたら今こうしてPCに文字を打っているのも自分の意思ではないかもしれない、だったらどこまでが自分の意思だったのか、そもそも自分の意思とはどこからきている?と考え出したら背筋が寒くなりました。一応マガンダラは「卑徒虫に憑かれたのはあのときかな」と見当をつけるわけですが、私はこの物語の始めからマガンダラは既に感染していたと思いましたね。言葉で記録する文化を持った卑徒虫に取り憑かれたからこそ、マガンダラの物語は我々に届くこととなった。卑徒虫のおかげでマガンダラの物語は人間が理解できるものになった。人間が伝達手段という装置として第3の壁(虚構と現実の壁)を殴ってくる、そういう物語体験として処理したとき、私はとても大きな満足を得ました。
要は異形たちで完結する物語ではなく、人間が登場することで、この物語は第四の壁を殴れるくらい強度のある、リアリティのあるものとして輝くわけです。造語や文体や世界観や緻密な生態系構成ももちろん素晴らしいものだとは思いますが、私はこの人間の扱い方に大きな感銘を受けましたし、だからこそ第40回日本SF大賞を受賞したんだろうなと思いました。
(ネタバレおわり)
読破してしまうのが寂しいと、久々に思いました。
異形の生態系が出てくる物語としては『堕天作戦』という漫画も好きなんですけど、本書は文字から映像を想起させる小説だからこそ、頭の中の生き物たちが深く鮮明に刻まれていくんですよ。もちろん挿絵がなかったら何がなんだかわからない部分も多々あったでしょうが。まぁ脳内でマガンダラとその仲間たちが動くのを見ていたので、愛着がね・・・すごいんですよね。でも物語がちゃんと?閉じているので、未練なく本を閉じることができたかな。
ふぅ、とりあえず言いたいこと全部書けて満足しました!
買えてよかった、読めてよかった、という具合です。
私をこの本に導いてくれた縁に感謝します。
さてさて卒論、ラストスパート頑張ります!
普段短編小説や漫画しか読まない私が数日で読破してしまうくらい面白い長編SF小説。
異世界の異形生物たちの物語。
私とこの本との出会いは偶然が重なったものでした。まず10月に柊マグネタイトという方の「或世界消失」というボカロ楽曲にハマり、続いて柊マグネタイトさんの新曲「旧約汎化街」が発表されたので嬉々としてYoutubeで聴いていたらコメント欄で歌詞の用語を解説してくれる人が現れ、その解説の中に「卑徒(ひと)→分かりませんでしたが、 「いつか卑徒になる日まで」という本があり、その中では沢山の当て字の造語が使われていて、おそらくその中で人という意味で使われてるっぽい…??」とあり、もともと「或世界消失」の世界観が小説っぽいなと思っていたところだったので、「もしかして似たような世界観を楽しめる本なのかも」と思って「いつか卑徒になる日まで」を検索し、どうやら酉島伝法という小説家がいるらしく、最近『宿借りの星』という本を発売したらしいということを知りました。で、その『宿借りの星』の解説・円城塔の表記を見た瞬間、「或世界消失」を初めて聴いたとき円城塔を思い出したことを思い出し、これは私の中で何かが繋がろうとしているとか何とか思いながらAmazonを開いて商品検索をしたのでした。なにやら異世界の話で難しい文体の本らしいということは検索したときにわかったのですが、なぜか文庫本だと思っていて、Amazonで3,300円という数字を見たときは「高っ」とつい言葉が漏れました。でもそこは卒論に疲れて娯楽への金銭感覚がぶっ壊れていた時期だったことが幸いし、無事にポチることと相成ったわけです。ついでに言えば飽き性な自分が世界観にのめり込んで読破できたのも、今現在が卒論に追われているという非日常的な状態だったからでしょう。人間は何かに追われると現実逃避が捗るものです。テスト前に掃除が捗るのと一緒!
前置きが長くなり過ぎました。
そんな感じで作者に対して前知識があるわけでもなく、事前に解説サイトをじっくり読んだわけでもないという状態で本が届いき、その分厚さにびっくりしながら読み始めてみれば、「頭の奥深くまで霞んでいるようだった。マガンダラに見えるものと言えば、足元に次々と現れる水溜まり、傍らを這い進む渡那貝曳き(となかいびき)の荷橇(にぞり)、長い四本脚でぬかるみを踏み歩く̪駟種(ししゅ)の脚搬(きゃはん)くらいだった。いまヤドロヌワはどのあたりにいるのだろう」――「いや、読めるわけないやろ……」という第一声が漏れました。このような造語だらけの地の文が延々と続きます。これがこの世界の言葉であり生活なのです。
そもそも異形の物語とはいえ主人公は人型だという先入観がなぜかあったので、この冒頭でとりあえずマガンダラという者が主人公らしいということは分かっても、その後の描写がマガンダラのことを指しているとは見当がつかなくて大混乱。数ページ後にありがたい挿絵(作者が描いている)を見て「これがマガンダラか!」となり、私の物語理解はそこから始まりました。脳内にマガンダラを描けたら、あとはありがたい挿絵とかみ砕けば問題なく想像できる文章のおかげで、頭の中にまだ見ぬ異世界を創り上げることに成功しました。そう、解説の円城塔さんも書いていますが、本書は小難しい文面が広がっているように見えて、ちゃんと読めば映像が浮かんでくるのです。逆に言えば全く知らない生態系を他者に通達できる作者の力量には舌を巻きます。それに異世界を覗き見るのだから、多少はギャップというか障壁があって当たり前。でもそこを潜り抜けたら、素晴らしい物語が待っています。とりあえず冒頭数ページで諦めなかった自分を褒めたい。
ざっくり冒頭を説明すると、マガンダラが国を追われて改心?します。今まで傲慢に自分が見たいものだけを見てきたマガンダラが改心?し、自分や周囲を捉え直すところから物語が始まっているので、この主人公と共に進むことで、マガンダラから見れば異世界のものである我々人間の読者にも世界観が伝わりやすい構造になっていると思うのです。説明的すぎず主観的すぎず、絶妙な文章がとても心地よいです。
見慣れないけどなんとなく伝わる造語を追いかけ読み進めているうちに、人間のいない世界のことを人間の言葉で表現できるものだろうか?という疑問が生じました。このことについても解説の円城塔さんは触れています。しかしこれが小説である以上はこちらの言葉で書かれていなければならない。だから酉島伝法は「世界作成者であると同時にその翻訳者でもある」と。ちなみにこの解説、「いやぁこの物語は解説したいこといっぱいあるでしょ円城さん!」とウッキウキで開いたら6ページしかなくて泣きました。でもその6ページに私が書いて欲しかったことがほぼほぼ書かれていてニヤニヤしました。解説の最後の文が大好き。本書は解説を先に読んでも大きなネタバレは受けないので、(もし未読で興味のある方がいらっしゃいましたら)先に解説を読んで本書に対する心構えを整えておくのも良いなと思いました。
(ここからネタバレ)
書きたいことが物語の本筋に触れるので一応ワンクッション。先程述べた、人間のいない世界のことを人間の言葉で表現できるものだろうか?という疑問、もちろん解説で円城塔さんが語っていることも大切なんですけど、この物語が「卑徒(ひと)と切っても切れないもの」であるというのも一種の答えだと思うんですよね。この物語における卑徒(ひと)はそのまま人間です。異世界の生物たちの物語ときくと「SFというよりファンタジーでは?」と思いますけど、一部の人間が地球を離れて未知の星に住み、やがてそこに異形の生命体が現れてきた・・・という背景を知るとたしかにSFだなと思いますよね。思いませんか。
物語の中では、まぁ色々あって、人間がミクロな存在となって異形生物たちに寄生するんですよ。物凄く長い過程を繰り返して、異形生物たちの脳に住むことに成功し、操ったり操らなったりする。主人公マガンダラも中盤で卑徒の寄生虫、卑徒虫に寄生されていることを知り、近頃周囲の者たちの様子がおかしかったのも卑徒に寄生されたせいだと考えるわけです。怖いですね。私は自分が未知の生命体に寄生されていたとしても分からない(ふつう寄生虫や細菌は余程のことがない限り宿主を殺さない)し、もしかしたら今こうしてPCに文字を打っているのも自分の意思ではないかもしれない、だったらどこまでが自分の意思だったのか、そもそも自分の意思とはどこからきている?と考え出したら背筋が寒くなりました。一応マガンダラは「卑徒虫に憑かれたのはあのときかな」と見当をつけるわけですが、私はこの物語の始めからマガンダラは既に感染していたと思いましたね。言葉で記録する文化を持った卑徒虫に取り憑かれたからこそ、マガンダラの物語は我々に届くこととなった。卑徒虫のおかげでマガンダラの物語は人間が理解できるものになった。人間が伝達手段という装置として第3の壁(虚構と現実の壁)を殴ってくる、そういう物語体験として処理したとき、私はとても大きな満足を得ました。
要は異形たちで完結する物語ではなく、人間が登場することで、この物語は第四の壁を殴れるくらい強度のある、リアリティのあるものとして輝くわけです。造語や文体や世界観や緻密な生態系構成ももちろん素晴らしいものだとは思いますが、私はこの人間の扱い方に大きな感銘を受けましたし、だからこそ第40回日本SF大賞を受賞したんだろうなと思いました。
(ネタバレおわり)
読破してしまうのが寂しいと、久々に思いました。
異形の生態系が出てくる物語としては『堕天作戦』という漫画も好きなんですけど、本書は文字から映像を想起させる小説だからこそ、頭の中の生き物たちが深く鮮明に刻まれていくんですよ。もちろん挿絵がなかったら何がなんだかわからない部分も多々あったでしょうが。まぁ脳内でマガンダラとその仲間たちが動くのを見ていたので、愛着がね・・・すごいんですよね。でも物語がちゃんと?閉じているので、未練なく本を閉じることができたかな。
ふぅ、とりあえず言いたいこと全部書けて満足しました!
買えてよかった、読めてよかった、という具合です。
私をこの本に導いてくれた縁に感謝します。
さてさて卒論、ラストスパート頑張ります!
なんとなく既存の人間関係から離れたくて、あと卒論から逃避したくて、登山しようと思った。
一人でさみしい場所に行きたいと思った。
でも登山の後の温泉は格別なので、近くに温泉のある山がいいと思った。
そんなこんなで自宅から車で40分くらいのところの山に行った。
何度か登ったことがあるので新鮮さはない。
ただ現実逃避がしたいだけだった。
結論から言えば、想像していたよりひどい一日になった。
地元じゃ人気のある山なので(そもそも温泉が近くにあるのだから人気が無いとおかしいわけで)登山客とひっきりなしにすれ違い、一人で物思いにふけりながら歩くことができない。山頂は展望が良くない上に風がごうごう吹いて死ぬほど寒い。靴擦れした。ささくれが刺さった。下山中、気まぐれで脇道に入ったら迷子になりかけた。極めつけは、向かおうとしていた温泉がメンテ中で休館だった。
基本的に自分のせいな気がするが、とりあえず冬に登山はするもんじゃないなと思った。乾燥するし風は冷たいし、たとえ展望の良い場所にありつけても寒風に当てられるんじゃ景色どころではない。山で寒い思いをしても許せるのは真夏のアルプスくらいだ。あと今回登った山は「標高が高くないからって見くびると危険」と言われるくらい傾斜のきつい道がたくさんある。普通にしんどかった。登りやすい山ではない。知ってたけど、改めて登ってみて、麓に温泉があること以外は魅力の無い山だと思った。まぁ単に私の好みじゃないってだけなんだけどさ。
それでも山頂で食べたおにぎり(朝握ったやつ)はおいしかったし、下山時は林道を楽しむ余裕もあった。最終的に迷子になった脇道でさえ、人が通らない上に日差しがたっぷり降り注いで開けたところに出て、今日求めていたのはこれなんだよなと思ったりした。靴擦れやささくれも絆創膏やピンセットを準備していたおかげでなんとかなったし、自分で対処できたことがちょっと誇らしかった。温泉の方は仕方ないから車を走らせて別の銭湯に行った。まぁ露天風呂でくつろぐという希望は叶ったのでよし。
行動するといいことも悪いことも起こる。別に今日が厄日だったわけじゃないだろう。悪いことが起こったとき、どうしたら対処できるか・代わりに楽しいことはないかと考えて実行できる力をもっと身につけたいと思った。
あともうしばらくは冬の登山は遠慮したい。冬のアウトドアはやっぱりキャンプだね。体力をすり減らして尾根の上で風に吹かれるより、工夫を凝らして寒さをしのぐ生活をするほうがいいもの。
とりあえずは行動した自分、無事に帰ってきた自分に乾杯。
今日はぐっすり寝られるでしょう。
一人でさみしい場所に行きたいと思った。
でも登山の後の温泉は格別なので、近くに温泉のある山がいいと思った。
そんなこんなで自宅から車で40分くらいのところの山に行った。
何度か登ったことがあるので新鮮さはない。
ただ現実逃避がしたいだけだった。
結論から言えば、想像していたよりひどい一日になった。
地元じゃ人気のある山なので(そもそも温泉が近くにあるのだから人気が無いとおかしいわけで)登山客とひっきりなしにすれ違い、一人で物思いにふけりながら歩くことができない。山頂は展望が良くない上に風がごうごう吹いて死ぬほど寒い。靴擦れした。ささくれが刺さった。下山中、気まぐれで脇道に入ったら迷子になりかけた。極めつけは、向かおうとしていた温泉がメンテ中で休館だった。
基本的に自分のせいな気がするが、とりあえず冬に登山はするもんじゃないなと思った。乾燥するし風は冷たいし、たとえ展望の良い場所にありつけても寒風に当てられるんじゃ景色どころではない。山で寒い思いをしても許せるのは真夏のアルプスくらいだ。あと今回登った山は「標高が高くないからって見くびると危険」と言われるくらい傾斜のきつい道がたくさんある。普通にしんどかった。登りやすい山ではない。知ってたけど、改めて登ってみて、麓に温泉があること以外は魅力の無い山だと思った。まぁ単に私の好みじゃないってだけなんだけどさ。
それでも山頂で食べたおにぎり(朝握ったやつ)はおいしかったし、下山時は林道を楽しむ余裕もあった。最終的に迷子になった脇道でさえ、人が通らない上に日差しがたっぷり降り注いで開けたところに出て、今日求めていたのはこれなんだよなと思ったりした。靴擦れやささくれも絆創膏やピンセットを準備していたおかげでなんとかなったし、自分で対処できたことがちょっと誇らしかった。温泉の方は仕方ないから車を走らせて別の銭湯に行った。まぁ露天風呂でくつろぐという希望は叶ったのでよし。
行動するといいことも悪いことも起こる。別に今日が厄日だったわけじゃないだろう。悪いことが起こったとき、どうしたら対処できるか・代わりに楽しいことはないかと考えて実行できる力をもっと身につけたいと思った。
あともうしばらくは冬の登山は遠慮したい。冬のアウトドアはやっぱりキャンプだね。体力をすり減らして尾根の上で風に吹かれるより、工夫を凝らして寒さをしのぐ生活をするほうがいいもの。
とりあえずは行動した自分、無事に帰ってきた自分に乾杯。
今日はぐっすり寝られるでしょう。