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最近「仕事のモチベがねェ!!」と切に思う。
1年目はまず仕事覚えるのに必死で、同期に置いてかれることだけが怖くて、とにかく吸収することに全力を尽くしていた。
2年目はとにかく先輩の役に立ちたくて認められたくて後輩に追い抜かれたくなくて必死だった。
そして今、「そこそこ仕事の出来る3年目の若手」という安定したレッテルを得て、あんなに認められたかった先輩は異動し、後輩との関係も落ち着き(なにか溝があったわけじゃなくて私が一方的に意識していただけだが)、つまり『必死になるための原動力』が消えた。
毎日なんとなく退屈で、でも決して暇ではない。
新たな仕事が発生しても「この仕事を乗り越えたい」ではなく「ひたすらめんどくせぇ」としか思えない。
とてつもなく、マンネリ。
...まぁこういう気持ちになるのは初めてじゃない。
2ヶ月に1回くらい後ろ向きな気分が消えない期間があり、もっと言えば1年に1回くらいはクソデカ無気力感に苛まれる。精神がかなり感情ジェットコースターな人間なので当然の症状といえる。
そんでまぁ、時が解決してくれるんだよね。だいたい。
だから今すぐ焦ってモチベを得ないと死ぬ!!とまでは思っていないんだけど、でもまぁ、やるせない気持ちを抱え続けるのも辛いわけで。...私の1年は感情の波乗りで終わっていくのだ。楽しそうに日々を生きようとがんばっちゃいるけど、実際は結構悩んでばかりいる。そんなちっさい人間なんですよ。
「楽しいことは自分で見つけるものだ」と他人は言う。
そりゃそうだと、わかってはいる。
私だってなんの挑戦もしない甘ちゃんが「楽しいことがなくてェ...」とか言ってたら「まずなんか行動しろよ!」って言いたくなる。
でもね、そこそこ探したんですよ、これでも。
中途半端に色々やってきた自負があるからこそ、たまにくる無気力感への対抗手段がなくて絶望する。もちろん、この絶望は、これは気分の問題だ。時が経てば「人生は楽しいものだ」と思い直せるようになる...と冷静になれれば良いのだけど、「私は過去にあれもこれもやってきたけど、それでもこんな気持ちになることがあるのなら、人生ってクッソつまんねぇな...」と闇しか見えない視野狭窄に陥るからタチが悪い。今はその視野狭窄の状態である。
仕事がつまらないのと、人生がつまらないのとはベクトルの違う問題だと思う。ただ日々のうち仕事に割く時間が長いから、2つを混同してより項垂れてしまう。
もう闇を吐き出すしかない、と思って勢いだけでこれを書いている。
...ひたすらモヤモヤを書き出していると、一周まわって自分に自信がでてくる。
いやこんなに真摯に「楽しき日々」に向き合っている私が、つまらない人生を送るはずがなくねーか!!!???
その有能さで次々仕事を片付けろよ!ひとつの事にチマチマ関わっているから退屈になるに決まってるだろ!30分ごとに仕事を片付けて次に向かえ!!せっかく多彩な仕事に携わらせて頂けるような(訳:業務が幅広くて多忙な)部署にいるんだからむしろ手広く楽しめ!!!
視野狭窄は視野狭窄でも、自分に都合のいい自信だけが見えるようになる。望遠鏡で宇宙の闇から目を背けて太陽だけ見ているみたいだ。失明するわ。でもそれで明るい気分に戻れるならヨシだと思う。
そんな感じで薄氷精神綱渡り。
恐ろしいのはこのテンションの変わりようがシラフってこと。
明日もだましだまし仕事しよう。
いつか精神が元気なりますように。
1年目はまず仕事覚えるのに必死で、同期に置いてかれることだけが怖くて、とにかく吸収することに全力を尽くしていた。
2年目はとにかく先輩の役に立ちたくて認められたくて後輩に追い抜かれたくなくて必死だった。
そして今、「そこそこ仕事の出来る3年目の若手」という安定したレッテルを得て、あんなに認められたかった先輩は異動し、後輩との関係も落ち着き(なにか溝があったわけじゃなくて私が一方的に意識していただけだが)、つまり『必死になるための原動力』が消えた。
毎日なんとなく退屈で、でも決して暇ではない。
新たな仕事が発生しても「この仕事を乗り越えたい」ではなく「ひたすらめんどくせぇ」としか思えない。
とてつもなく、マンネリ。
...まぁこういう気持ちになるのは初めてじゃない。
2ヶ月に1回くらい後ろ向きな気分が消えない期間があり、もっと言えば1年に1回くらいはクソデカ無気力感に苛まれる。精神がかなり感情ジェットコースターな人間なので当然の症状といえる。
そんでまぁ、時が解決してくれるんだよね。だいたい。
だから今すぐ焦ってモチベを得ないと死ぬ!!とまでは思っていないんだけど、でもまぁ、やるせない気持ちを抱え続けるのも辛いわけで。...私の1年は感情の波乗りで終わっていくのだ。楽しそうに日々を生きようとがんばっちゃいるけど、実際は結構悩んでばかりいる。そんなちっさい人間なんですよ。
「楽しいことは自分で見つけるものだ」と他人は言う。
そりゃそうだと、わかってはいる。
私だってなんの挑戦もしない甘ちゃんが「楽しいことがなくてェ...」とか言ってたら「まずなんか行動しろよ!」って言いたくなる。
でもね、そこそこ探したんですよ、これでも。
中途半端に色々やってきた自負があるからこそ、たまにくる無気力感への対抗手段がなくて絶望する。もちろん、この絶望は、これは気分の問題だ。時が経てば「人生は楽しいものだ」と思い直せるようになる...と冷静になれれば良いのだけど、「私は過去にあれもこれもやってきたけど、それでもこんな気持ちになることがあるのなら、人生ってクッソつまんねぇな...」と闇しか見えない視野狭窄に陥るからタチが悪い。今はその視野狭窄の状態である。
仕事がつまらないのと、人生がつまらないのとはベクトルの違う問題だと思う。ただ日々のうち仕事に割く時間が長いから、2つを混同してより項垂れてしまう。
もう闇を吐き出すしかない、と思って勢いだけでこれを書いている。
...ひたすらモヤモヤを書き出していると、一周まわって自分に自信がでてくる。
いやこんなに真摯に「楽しき日々」に向き合っている私が、つまらない人生を送るはずがなくねーか!!!???
その有能さで次々仕事を片付けろよ!ひとつの事にチマチマ関わっているから退屈になるに決まってるだろ!30分ごとに仕事を片付けて次に向かえ!!せっかく多彩な仕事に携わらせて頂けるような(訳:業務が幅広くて多忙な)部署にいるんだからむしろ手広く楽しめ!!!
視野狭窄は視野狭窄でも、自分に都合のいい自信だけが見えるようになる。望遠鏡で宇宙の闇から目を背けて太陽だけ見ているみたいだ。失明するわ。でもそれで明るい気分に戻れるならヨシだと思う。
そんな感じで薄氷精神綱渡り。
恐ろしいのはこのテンションの変わりようがシラフってこと。
明日もだましだまし仕事しよう。
いつか精神が元気なりますように。
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悪魔城ドラキュラ グリモアオブソウルズの感想文です。
ここがよかった!!って語るだけ。
供給があるたびに世界に感謝せずにはいられないほど大好きなコンテンツ、悪魔城ドラキュラ。グリモアが発表された当初はもちろん狂喜したし、ベータ版テストの動画(無断転載だったけど)を見たときも狂喜したし、絶対開発中止したと思っていたグリモアが突然配信を発表された時にはもう現実とは思えなかった。私の人生をいくらでも掻き乱しおる。愛してる。
グリモアのあらすじ
有角幻也を主人公とする遠い未来の話。侵食された魔導書を救うため、魔導書に記述されている英雄を具現化させて戦うことに。悪魔城史のなかで唯一永遠の命をもって時代を渡り歩く有角幻也と、記述された存在とはいえたしかに召喚される歴代キャラクターたちの掛け合いが魅力(個人的に)。
まずは評価から。
操作性
慣れるまで大変。IGAVANIAのサクサク操作性には程遠い。コツをつかめばタイミングよく避けたり攻撃したりできる。
ゲーム性
日々アイテムGETしたりコイン貯めたりして、コツコツ育成するソシャゲタイプ。当たり前だけど家庭用ゲームのように一気にレベル上げができないので、どうしてもクリアまでに時間がかかる。好きな時に一気に進めたい人間にはこれが辛かった...。ぐいぐいステージクリアしていくと敵がどんどん硬くなって、ある程度武器や防具を育てて(育成に日数を費やして)からじゃないと次に進めない。あとステージ数も多い。中盤くらいは先が見えなくて割と苦痛だったかも。こっちはただ物語が見たいだけなんだよ〜なんで今日はこれ以上何もできないんだよ〜みたいな。まぁグリモア自体がソシャゲ移植みたいなものだから仕方ないけど。そこそこ武器や防具が強くなって操作にも慣れてくると、効率よくアイテムを確保できるようになり、ログインボーナスも楽しみになって楽しくプレイできたので、これはほんとに慣れと適性だろうなと思う。>
グラフィック
良くも悪くもかつてのドットから刷新されている。モデリングされたキャラならではの楽しみ方(モーション一新、スキン変更など)があり、ビジュアル重視のオタクには嬉しい展開だった。あと各キャラの立ち絵が新規なのも嬉しい。あんまりそういう方面での供給は期待してなかったからさ・・・。脳内の悪魔城イメージが立ち絵1枚のみのGBA時代からアップデートされていないので、有角の立ち絵複数を見た時には椅子からずり落ちた。あと防具としてイラストカードを集めることができるんだけど、最高レア防具は歴代キャラクターをメインに据えた美麗イラスト。イラスト集とかすぐ買っちゃうちょろいオタクなので、こういうシステム嬉しかったな。好きなキャラのイラスト集めるためにめちゃくちゃガチャ回した。
ストーリー
期待を裏切らない満足度。悪魔城ドラキュラというコンテンツと、紡いできた歴史と、キャラクターに対する愛を感じた。操作性が優先される原作ゲームでは描ききれない細かなキャラクターたちの心の機微をよく描こうとしてくれたなと思う。ここに集うのは、皆それぞれ不安も恐怖も運命も抱えていて、それでも善をなそうと魔王に立ち向かった者たち。そういう部分を「歴代キャラクターたちの会話」という形で具現化してくれるのがドラマチックで感慨深くて本当に良いなと思った。
本当にストーリーが好き。満足度が高い。特に有角幻也を中心とする構成のおかげで、今までろくに自分のことを語らなかった/語られなかった有角幻也の解像度が爆上がりするんですよね...。彼は父のことをどう思っているのか、かつての仲間と再開して何を思うのか、永遠に続く運命をどう思っているのか、そんなことが全部語られる。私が悪魔城に沼ることになったきっかけ、「有角幻也」と出会って十数年、今まで妄想することでしか補完できなかった彼の“感情”が“公式から供給”されるんですよ。これ以上ない密度で有角幻也が描かれるんですよ。たった1人、十数世紀に及ぶ人類とドラキュラとの戦いを陰日向に暗躍し、時代時代で仲間と出会い別れてきた男の描き方として、「歴代キャラクターたちとの会話」以外に素晴らしい方法が見当たらない。最高の形で有角幻也が記述されている。これこそがグリモワール(魔導書)・・・!!
有角幻也以外の視点で考えると、全体の流れも「悪魔城っぽい」感じで良かった。最大の懸念として、最終的に日食の封印が解けてドラキュラ復活〜という流れだったら1999年の戦いの神秘性が薄くなるのでヤダなーと思っていたので、魔導書から召喚された仮存在の蒼真を暴走させることで“ほぼドラキュラ”を甦らせる、という最終地点なのも、とても良かった。でもデス様さぁ・・・、そうまでして蘇らせた伯爵は本当に君が望む伯爵なのか・・・?
残りの感想はキャラごと。
アルカード/有角幻也
プレイアブルキャラその1。感想は前述の通り。戦闘ではアルカードの姿になりがちだが、今回スキン仕様のおかげで、有角幻也のままでもクエストに行くことができるようになった。スキン集めるの楽しい。色んなアルカードの姿を見られるのオタクうれしいよ・・・。
永い時を一人で生きるのは孤独でつらいのでは?という質問に対し、自分にはその時代その時代で仲間がいるし、こういう面白い現象(記述された過去の仲間と再会すること)にも会えるから、悲観する必要は無い的なことを言っていた。不老の者って命を悲観しがちだから、有角幻也がもしそんな思いに囚われているのならオタクとして心苦しいなと思わないこともなかったので、この回答には、ほんとうに、救われた。彼は孤独ではない。いつだって悪に立ち向かう善なる人を見出し、ときに共闘し、ときに見守る。アルカードが記述された仲間たちから愛されているように、アルカードもその時その時の仲間たちを頼もしく好ましく思っているだろう。彼は人類を愛した母の思いを体現している。それが確信できただけで、有角幻也という人物像への最大のアンサーをもらったなと思う。今作プレイして一番良かった瞬間はここ。
操作性としては使いやすさトップクラス。機動性も火力も申し分ない。とにかく早くクリアしたかったので、他のキャラそっちのけで育成した。
シモン
プレイアブルキャラ。最も高名なヴァンパイアハンターという評価に恥じぬ高潔さ。肝心な戦闘の前に演説で皆を鼓舞するところが、アベンジャーズにおけるキャプテン・アメリカみたいでかっこよかった。「明けない夜など決してないのだ。我々自身が、それを証明してきた。」っていうセリフが好き。高祖シモン万歳。「チームでドラキュラを倒した」存在が多いのに対し、単身悪魔城に乗り込み討伐したというのがやっぱりかっこいい。召喚順がシモン→子供マリア→シャーロット→シャノアだったので、英雄の女性率に面食らうかわいいシモンが見られる。機動性は低いが、耐久性と鞭の攻撃力が頼もしい。
マリア
プレイアブルキャラ。12歳の頃のマリア。大人のマリアもサポートキャラとして出てくる。ふたりが仲良くしているところが姉妹みたいでかわいい。ハロウィン衣装とかPSP版衣装とか、スキンがかわいいのでつい集めてしまう。なんだかんだ悩みや重い過去を背負う大人が多い中、天真爛漫な性格は皆の癒しになっていたし、幼い身とはいえ「自分に力があるのなら大切な人を守りたい」という思いで戦うマリアの存在は輝いていた。
大人マリアはサポートキャラ。ストーリーで窮地に陥っているところを有角が救いに行こうとして、シモンから「焦っているように見える。この時代のマリアはお前にとって重要な存在なのだな」と言われる。そういう存在に対してのアンサーがついに出てしまった・・・。じゃあ召喚された時もっと嬉しそうにしてくれよアルカード!! ちなみに大人マリアも子供マリアに対してアルカードの話をするくらいにはお互い惹かれ合っているみたい。有角の夢女はここの描写に致命傷を受けましたが公式がそれなら甘んじて受けるぞ。そもそも私の脳内夢小説は2035年を舞台としているのでアルカードとマリアの関係はノープロブレムです・・・たぶん・・・。
二人のマリアが話しているのは姉妹みたいでかわいかった。
リヒター
サポートキャラ。最も強大なベルモンドと呼ばれる。シモンとの邂逅で感激しているのがかわいい。闇堕ち前の時代のリヒターなのだが、のちの闇堕ち事実を知って結構凹む。これに関しては対策も何もないから心してもらうしかないよね・・・。それでもちゃんと受け止めるのがリヒターの強さだと思うよ。有角に対しての二人称が「あなた」なのが新鮮。二人のマリアに戸惑うリヒターも新鮮。
思い悩むルーシーに対して、ドラキュラ討伐が怖くなかったわけではないが「大切な人を失って後悔する事の方が、ドラキュラよりもずっと怖かったんだよ」と言えるリヒター、まっすぐでいい奴だなと思う。
ハイドロストームの全体攻撃と鞭の火力の高さが使いやすいので、途中からずっとアルカードとコンビにして使っていた。上昇移動に弱いアルカードをカバーするのにアッパーがちょうどよい。
シャーロット
プレイアブルキャラ。遠距離から魔法で攻撃出来るのが便利で、序盤の難易度がぬるいステージはほぼシャロを使っていた。どーお?のコマンドは無い。ストーリーでも天才魔法使いっぷりを発揮して難しいことを喋っているのが良かった。頭脳派が少ないのだ、このメンツは・・・。
召喚された時に「噂の天才魔法使いよ!」「存ぜぬが」「・・・かのアルカードにそう言われるとダメージ大きいわね」みたいなやりとりをしていたのがツボ。シャーロット、トップクラスに気が強い節がある。あの有角に対して「よろしくね。美貌のダンピールさん。大船に乗ったつもりでいて」と言える人間はもう他にいないだろ・・・。大人マリアでもアニメ版サイファでもここまで自信たっぷりではなかったと思う。そういうところ好き。かわいい。
ジョナサン
サポートキャラ。ワイワイするような性格のキャラが全然いないので、ちゃんとやんちゃ若者枠として描かれていて安心した。明るい性格だから忘れがちだけど、シモンやリヒターとは違うベクトルで苦労しているんだよな。シモンに対して「ベルモンド家が消えたからモリス家は生命力を削って戦うしかなかった」って零す話は、当然の不満だよなと思うのでむしろ描いてくれてスッキリした。リヒターとは因縁(?)があるので、リヒターを前にすると緊張してしまうジョナサンが面白かった。
シャノア
プレイアブルキャラ。クールなお姉さんだが、表情に乏しいだけで優しさは本物。組織に裏切られるという重たい過去を持つからこそ、独特な視点で話すという描き方がとてもよい。
攻撃力、機動力ともに優れているので、アルカードを本格的に育成する前によく使っていた。
アルバス
サポートキャラ。後半あたりで加入。原作ゲームでは悲しい最期を遂げたので、シャノアと再会して少しは幸せになってほしいなと、プレイ開始からずっと待っていたキャラ。いよいよ召喚されて、みんなの前に出てきたときの第一声が「・・・シャノア」。この一言で涙腺が死んだ。妹を一途に思う兄の邂逅のセリフとしてこれ以上の破壊力は考えられない。この瞬間、シャノアもアルバスもプレイヤーも救済されたと思う。
その後も頭脳派が少ないこのメンツのなかでシャーロットと共に研究を請け負っていい感じに活躍する。原作ゲームでは正気のアルバスがそもそも貴重だったので、普通にお兄ちゃんキャラしてるアルバスはかなり新鮮だった。不遇の人気キャラ(だと思っている)が日の目を見た感じ。
戦闘性能は火力が物足りない。シャノアが有能すぎるんや・・・。
蒼真
サポートキャラ。序盤で敵として登場するので、各キャラ(特にベルモンド)の「なんだあの少年は!?」という反応が面白かった。私もまさか敵として登場するとは思っていなくてパニックになったけど。やはり覚醒しかけた蒼真にはヴァンパイアキラーが反応するらしい。
この来須蒼真という青年に対しては私は有角以上に思い入れがあるんですよね。なにせ初めて触った悪魔城の主人公が彼なので。だから随所で来須蒼真を話題にしてくれるだけでもう嬉しい。敵とはいえ擬似魔王というおいしいポジションにいるのも最高だった。
魔王化を防いで仲間にしたとき、「あんまりにも普通の男の子だったんで拍子抜けした」「あれだけ威圧感たっぷりだったのが、本当に普通のティーン」とか口々に言われているのが蒼真らしい。蒼真のセリフで一番心動かされたのは、「俺だって戦いたくはない。あの死線を彷徨うような感覚、思い出したくもない」ってやつ。本当に来須蒼真は、強敵に血が滾るような、力があるから人類を守りたいと思うような人間ではなくて、ここに集う英雄たちとは明確に一線を画して、「普通の少年」なのだなと思わせられる。
敵として登場するというこのストーリーライン、来須蒼真という特殊な青年の描き方として大正解かもしれないな・・・。悪魔城史の中では割とメジャーなキャラだと思うしメインタイトルにもさも主人公ですって感じで載っているので、初期から仲間になってベルモンド達と共闘~という流れが王道のように思える。それでも敵対キャラとして持ってくることで、今まで描かれなかった『危うい存在としての来須蒼真』がフォーカスされているなと思った。私の中で来須蒼真が主人公(善なる戦士)であることが当たり前だったからこそ(過去作でも魔王化するIFルートはあったけど)、敵として出てきた衝撃は強かったし、倒し切って味方になったときの頼もしさ、嬉しさは大きく、こういう蒼真の描き方もいいなと思った。まぁとにかく、蒼真が原作ゲームではおまけモードでしか見せなかった魔王覚醒モードを惜しみなく披露してくれる今作、プレイする価値しかないよね。
ちなみに蒼真最終戦はかなり苦戦した。ゲーゴスからの蒼真というボス2連戦。コンティニュー回数も限られるし、HP管理が今まで以上に必要。武器を強化して、攻撃を避けることを覚えて、硬い敵を地道に叩く。やっと勝てたときはそれはそれは安心したな・・・。でもやっとの思いで蒼真を加入させたとはいえ、操作は別のキャラに慣れきってしまっていたので、結局数えるくらいしかプレイしなかったのが残念。その他の感想は前述の通り。機動力はないが、火力はそこそこ。通常攻撃が大剣なのがまぁ蒼真くんって感じ。加入が遅いのでその頃には戦闘スタイルがだいぶ確立されており、使う頻度は低かった。サブストーリーの出番もなく、もっと他キャラとの絡みが見たかったなというのが唯一の不満。まぁ全体を通してほぼ魔王として大暴れしてたし妥当か・・・。
ラルフ
最終章のタイトルが「悪魔城伝説」であり、ラルフを加入させてドラキュラに挑むことになるの、熱い展開すぎて火傷するかと思った。はじめてドラキュラを倒したとされるラルフの活躍は神格化され、やがて「悪魔城伝説」と呼ばれることに・・・という前置きがかっこよすぎるんだよな。
忌み嫌われた闇祓いの一族を英雄にした伝説のベルモンド。蒼真と同じく加入が遅いので他キャラとの絡みも何もないんだけど、周囲からの評価がめちゃくちゃ高いので、それだけ神聖視されてるんだな〜というのは伝わってきた。ラルフと再会したアルカードがじんわり嬉しそうなのも良かった。
ルーシー
今作のオリジナルキャラ。イケイケな人物が多い悪魔城キャラにしては珍しく、優秀なんだけど奥手で自己評価が低い。有角をはじめ英雄たちを尊敬しており、物語が進むにつれて精神的に成長する。こっそり恋愛小説を書いている。
悩みをアルバスに相談する話と、珍しく弱気になった有角の悩みを受け止め、前向きにさせる話が好き。英雄たちも悩みや抱える思いがあるけれど、対話が人を癒し、成長させる。そういうことを教えてくれるキャラクターだった。キャラの掛け合いが魅力の今作において、とてもいい存在だったと思う。
今作の「英雄を召喚」という行為は、ルーシーいわく過去からもってくるわけではなく、悪魔城の歴史から記述された情報をもとに具現化(再現)しているとのこと。だから有角以外のキャラクターは召喚士ルーシーの解釈によって再現された存在、ということになるのかな。それはそれで有角と大人マリアの関係を考えると「再会して嬉しいと思っているのは本物のマリアではなく再現された架空の存在であって、魔法が解けたら白紙に戻る空虚な存在・・・有角にとって残酷すぎん・・・?」と思うのだが、たとえ架空の存在で一時の存在であったとしても、有角にとっては本物であり、確実に長い人生での楽しい思い出のひとつになるのだろう・・・と思い込んで心の平穏を保つことにする。まぁ、そんなことはどうでもよくて、ただルーシーが「英雄を尊敬しているから、性格や思考を理解しようと努めた」からこそ、本物とたがわぬ英雄再現が可能だったという設定はとても好き。ルーシーの姿勢はこの物語をつくったスタッフの愛に匹敵するというかイコールというか、、ルーシーがいたからこそこの夢のような作品を楽しむことができたんだなって。
ちなみにクリアするのにかけたログイン日数は900日くらい。
無駄にログインだけしていた日数がかなり多いので参考にはなりません。
中盤進めるのが苦痛で2年くらい放置していたけど、キャッスルヴァニアの新アニメ前にはクリアしたいなと思って再開し、(間に合ったかどうかは別として)どうにかストーリークリアできてよかった。ハードモードとか武器集めとかやり込み要素はかなりあるけど、もうさすがに手が回りません・・・。これがAppleアーケードでほんとによかった。課金前提のソシャゲだったらクリアできていた自信が無いからね。これでようやく解約できる。(←プレイしてない期間もずっと解約できずにいた人)
いつかストーリー部分だけでも家庭用ゲームに移植してくれたらいいなと思います。それくらい悪魔城の歴史に刻んで欲しい物語だった。勢いで有角と蒼真のことばかり書いてしまったけど、各キャラへの描写が細かくて、愛を感じた。コナミさんありがとうございました。
ここがよかった!!って語るだけ。
供給があるたびに世界に感謝せずにはいられないほど大好きなコンテンツ、悪魔城ドラキュラ。グリモアが発表された当初はもちろん狂喜したし、ベータ版テストの動画(無断転載だったけど)を見たときも狂喜したし、絶対開発中止したと思っていたグリモアが突然配信を発表された時にはもう現実とは思えなかった。私の人生をいくらでも掻き乱しおる。愛してる。
グリモアのあらすじ
有角幻也を主人公とする遠い未来の話。侵食された魔導書を救うため、魔導書に記述されている英雄を具現化させて戦うことに。悪魔城史のなかで唯一永遠の命をもって時代を渡り歩く有角幻也と、記述された存在とはいえたしかに召喚される歴代キャラクターたちの掛け合いが魅力(個人的に)。
まずは評価から。
操作性
慣れるまで大変。IGAVANIAのサクサク操作性には程遠い。コツをつかめばタイミングよく避けたり攻撃したりできる。
ゲーム性
日々アイテムGETしたりコイン貯めたりして、コツコツ育成するソシャゲタイプ。当たり前だけど家庭用ゲームのように一気にレベル上げができないので、どうしてもクリアまでに時間がかかる。好きな時に一気に進めたい人間にはこれが辛かった...。ぐいぐいステージクリアしていくと敵がどんどん硬くなって、ある程度武器や防具を育てて(育成に日数を費やして)からじゃないと次に進めない。あとステージ数も多い。中盤くらいは先が見えなくて割と苦痛だったかも。こっちはただ物語が見たいだけなんだよ〜なんで今日はこれ以上何もできないんだよ〜みたいな。まぁグリモア自体がソシャゲ移植みたいなものだから仕方ないけど。そこそこ武器や防具が強くなって操作にも慣れてくると、効率よくアイテムを確保できるようになり、ログインボーナスも楽しみになって楽しくプレイできたので、これはほんとに慣れと適性だろうなと思う。>
グラフィック
良くも悪くもかつてのドットから刷新されている。モデリングされたキャラならではの楽しみ方(モーション一新、スキン変更など)があり、ビジュアル重視のオタクには嬉しい展開だった。あと各キャラの立ち絵が新規なのも嬉しい。あんまりそういう方面での供給は期待してなかったからさ・・・。脳内の悪魔城イメージが立ち絵1枚のみのGBA時代からアップデートされていないので、有角の立ち絵複数を見た時には椅子からずり落ちた。あと防具としてイラストカードを集めることができるんだけど、最高レア防具は歴代キャラクターをメインに据えた美麗イラスト。イラスト集とかすぐ買っちゃうちょろいオタクなので、こういうシステム嬉しかったな。好きなキャラのイラスト集めるためにめちゃくちゃガチャ回した。
ストーリー
期待を裏切らない満足度。悪魔城ドラキュラというコンテンツと、紡いできた歴史と、キャラクターに対する愛を感じた。操作性が優先される原作ゲームでは描ききれない細かなキャラクターたちの心の機微をよく描こうとしてくれたなと思う。ここに集うのは、皆それぞれ不安も恐怖も運命も抱えていて、それでも善をなそうと魔王に立ち向かった者たち。そういう部分を「歴代キャラクターたちの会話」という形で具現化してくれるのがドラマチックで感慨深くて本当に良いなと思った。
本当にストーリーが好き。満足度が高い。特に有角幻也を中心とする構成のおかげで、今までろくに自分のことを語らなかった/語られなかった有角幻也の解像度が爆上がりするんですよね...。彼は父のことをどう思っているのか、かつての仲間と再開して何を思うのか、永遠に続く運命をどう思っているのか、そんなことが全部語られる。私が悪魔城に沼ることになったきっかけ、「有角幻也」と出会って十数年、今まで妄想することでしか補完できなかった彼の“感情”が“公式から供給”されるんですよ。これ以上ない密度で有角幻也が描かれるんですよ。たった1人、十数世紀に及ぶ人類とドラキュラとの戦いを陰日向に暗躍し、時代時代で仲間と出会い別れてきた男の描き方として、「歴代キャラクターたちとの会話」以外に素晴らしい方法が見当たらない。最高の形で有角幻也が記述されている。これこそがグリモワール(魔導書)・・・!!
有角幻也以外の視点で考えると、全体の流れも「悪魔城っぽい」感じで良かった。最大の懸念として、最終的に日食の封印が解けてドラキュラ復活〜という流れだったら1999年の戦いの神秘性が薄くなるのでヤダなーと思っていたので、魔導書から召喚された仮存在の蒼真を暴走させることで“ほぼドラキュラ”を甦らせる、という最終地点なのも、とても良かった。でもデス様さぁ・・・、そうまでして蘇らせた伯爵は本当に君が望む伯爵なのか・・・?
残りの感想はキャラごと。
アルカード/有角幻也
プレイアブルキャラその1。感想は前述の通り。戦闘ではアルカードの姿になりがちだが、今回スキン仕様のおかげで、有角幻也のままでもクエストに行くことができるようになった。スキン集めるの楽しい。色んなアルカードの姿を見られるのオタクうれしいよ・・・。
永い時を一人で生きるのは孤独でつらいのでは?という質問に対し、自分にはその時代その時代で仲間がいるし、こういう面白い現象(記述された過去の仲間と再会すること)にも会えるから、悲観する必要は無い的なことを言っていた。不老の者って命を悲観しがちだから、有角幻也がもしそんな思いに囚われているのならオタクとして心苦しいなと思わないこともなかったので、この回答には、ほんとうに、救われた。彼は孤独ではない。いつだって悪に立ち向かう善なる人を見出し、ときに共闘し、ときに見守る。アルカードが記述された仲間たちから愛されているように、アルカードもその時その時の仲間たちを頼もしく好ましく思っているだろう。彼は人類を愛した母の思いを体現している。それが確信できただけで、有角幻也という人物像への最大のアンサーをもらったなと思う。今作プレイして一番良かった瞬間はここ。
操作性としては使いやすさトップクラス。機動性も火力も申し分ない。とにかく早くクリアしたかったので、他のキャラそっちのけで育成した。
シモン
プレイアブルキャラ。最も高名なヴァンパイアハンターという評価に恥じぬ高潔さ。肝心な戦闘の前に演説で皆を鼓舞するところが、アベンジャーズにおけるキャプテン・アメリカみたいでかっこよかった。「明けない夜など決してないのだ。我々自身が、それを証明してきた。」っていうセリフが好き。高祖シモン万歳。「チームでドラキュラを倒した」存在が多いのに対し、単身悪魔城に乗り込み討伐したというのがやっぱりかっこいい。召喚順がシモン→子供マリア→シャーロット→シャノアだったので、英雄の女性率に面食らうかわいいシモンが見られる。機動性は低いが、耐久性と鞭の攻撃力が頼もしい。
マリア
プレイアブルキャラ。12歳の頃のマリア。大人のマリアもサポートキャラとして出てくる。ふたりが仲良くしているところが姉妹みたいでかわいい。ハロウィン衣装とかPSP版衣装とか、スキンがかわいいのでつい集めてしまう。なんだかんだ悩みや重い過去を背負う大人が多い中、天真爛漫な性格は皆の癒しになっていたし、幼い身とはいえ「自分に力があるのなら大切な人を守りたい」という思いで戦うマリアの存在は輝いていた。
大人マリアはサポートキャラ。ストーリーで窮地に陥っているところを有角が救いに行こうとして、シモンから「焦っているように見える。この時代のマリアはお前にとって重要な存在なのだな」と言われる。そういう存在に対してのアンサーがついに出てしまった・・・。じゃあ召喚された時もっと嬉しそうにしてくれよアルカード!! ちなみに大人マリアも子供マリアに対してアルカードの話をするくらいにはお互い惹かれ合っているみたい。有角の夢女はここの描写に致命傷を受けましたが公式がそれなら甘んじて受けるぞ。そもそも私の脳内夢小説は2035年を舞台としているのでアルカードとマリアの関係はノープロブレムです・・・たぶん・・・。
二人のマリアが話しているのは姉妹みたいでかわいかった。
リヒター
サポートキャラ。最も強大なベルモンドと呼ばれる。シモンとの邂逅で感激しているのがかわいい。闇堕ち前の時代のリヒターなのだが、のちの闇堕ち事実を知って結構凹む。これに関しては対策も何もないから心してもらうしかないよね・・・。それでもちゃんと受け止めるのがリヒターの強さだと思うよ。有角に対しての二人称が「あなた」なのが新鮮。二人のマリアに戸惑うリヒターも新鮮。
思い悩むルーシーに対して、ドラキュラ討伐が怖くなかったわけではないが「大切な人を失って後悔する事の方が、ドラキュラよりもずっと怖かったんだよ」と言えるリヒター、まっすぐでいい奴だなと思う。
ハイドロストームの全体攻撃と鞭の火力の高さが使いやすいので、途中からずっとアルカードとコンビにして使っていた。上昇移動に弱いアルカードをカバーするのにアッパーがちょうどよい。
シャーロット
プレイアブルキャラ。遠距離から魔法で攻撃出来るのが便利で、序盤の難易度がぬるいステージはほぼシャロを使っていた。どーお?のコマンドは無い。ストーリーでも天才魔法使いっぷりを発揮して難しいことを喋っているのが良かった。頭脳派が少ないのだ、このメンツは・・・。
召喚された時に「噂の天才魔法使いよ!」「存ぜぬが」「・・・かのアルカードにそう言われるとダメージ大きいわね」みたいなやりとりをしていたのがツボ。シャーロット、トップクラスに気が強い節がある。あの有角に対して「よろしくね。美貌のダンピールさん。大船に乗ったつもりでいて」と言える人間はもう他にいないだろ・・・。大人マリアでもアニメ版サイファでもここまで自信たっぷりではなかったと思う。そういうところ好き。かわいい。
ジョナサン
サポートキャラ。ワイワイするような性格のキャラが全然いないので、ちゃんとやんちゃ若者枠として描かれていて安心した。明るい性格だから忘れがちだけど、シモンやリヒターとは違うベクトルで苦労しているんだよな。シモンに対して「ベルモンド家が消えたからモリス家は生命力を削って戦うしかなかった」って零す話は、当然の不満だよなと思うのでむしろ描いてくれてスッキリした。リヒターとは因縁(?)があるので、リヒターを前にすると緊張してしまうジョナサンが面白かった。
シャノア
プレイアブルキャラ。クールなお姉さんだが、表情に乏しいだけで優しさは本物。組織に裏切られるという重たい過去を持つからこそ、独特な視点で話すという描き方がとてもよい。
攻撃力、機動力ともに優れているので、アルカードを本格的に育成する前によく使っていた。
アルバス
サポートキャラ。後半あたりで加入。原作ゲームでは悲しい最期を遂げたので、シャノアと再会して少しは幸せになってほしいなと、プレイ開始からずっと待っていたキャラ。いよいよ召喚されて、みんなの前に出てきたときの第一声が「・・・シャノア」。この一言で涙腺が死んだ。妹を一途に思う兄の邂逅のセリフとしてこれ以上の破壊力は考えられない。この瞬間、シャノアもアルバスもプレイヤーも救済されたと思う。
その後も頭脳派が少ないこのメンツのなかでシャーロットと共に研究を請け負っていい感じに活躍する。原作ゲームでは正気のアルバスがそもそも貴重だったので、普通にお兄ちゃんキャラしてるアルバスはかなり新鮮だった。不遇の人気キャラ(だと思っている)が日の目を見た感じ。
戦闘性能は火力が物足りない。シャノアが有能すぎるんや・・・。
蒼真
サポートキャラ。序盤で敵として登場するので、各キャラ(特にベルモンド)の「なんだあの少年は!?」という反応が面白かった。私もまさか敵として登場するとは思っていなくてパニックになったけど。やはり覚醒しかけた蒼真にはヴァンパイアキラーが反応するらしい。
この来須蒼真という青年に対しては私は有角以上に思い入れがあるんですよね。なにせ初めて触った悪魔城の主人公が彼なので。だから随所で来須蒼真を話題にしてくれるだけでもう嬉しい。敵とはいえ擬似魔王というおいしいポジションにいるのも最高だった。
魔王化を防いで仲間にしたとき、「あんまりにも普通の男の子だったんで拍子抜けした」「あれだけ威圧感たっぷりだったのが、本当に普通のティーン」とか口々に言われているのが蒼真らしい。蒼真のセリフで一番心動かされたのは、「俺だって戦いたくはない。あの死線を彷徨うような感覚、思い出したくもない」ってやつ。本当に来須蒼真は、強敵に血が滾るような、力があるから人類を守りたいと思うような人間ではなくて、ここに集う英雄たちとは明確に一線を画して、「普通の少年」なのだなと思わせられる。
敵として登場するというこのストーリーライン、来須蒼真という特殊な青年の描き方として大正解かもしれないな・・・。悪魔城史の中では割とメジャーなキャラだと思うしメインタイトルにもさも主人公ですって感じで載っているので、初期から仲間になってベルモンド達と共闘~という流れが王道のように思える。それでも敵対キャラとして持ってくることで、今まで描かれなかった『危うい存在としての来須蒼真』がフォーカスされているなと思った。私の中で来須蒼真が主人公(善なる戦士)であることが当たり前だったからこそ(過去作でも魔王化するIFルートはあったけど)、敵として出てきた衝撃は強かったし、倒し切って味方になったときの頼もしさ、嬉しさは大きく、こういう蒼真の描き方もいいなと思った。まぁとにかく、蒼真が原作ゲームではおまけモードでしか見せなかった魔王覚醒モードを惜しみなく披露してくれる今作、プレイする価値しかないよね。
ちなみに蒼真最終戦はかなり苦戦した。ゲーゴスからの蒼真というボス2連戦。コンティニュー回数も限られるし、HP管理が今まで以上に必要。武器を強化して、攻撃を避けることを覚えて、硬い敵を地道に叩く。やっと勝てたときはそれはそれは安心したな・・・。でもやっとの思いで蒼真を加入させたとはいえ、操作は別のキャラに慣れきってしまっていたので、結局数えるくらいしかプレイしなかったのが残念。その他の感想は前述の通り。機動力はないが、火力はそこそこ。通常攻撃が大剣なのがまぁ蒼真くんって感じ。加入が遅いのでその頃には戦闘スタイルがだいぶ確立されており、使う頻度は低かった。サブストーリーの出番もなく、もっと他キャラとの絡みが見たかったなというのが唯一の不満。まぁ全体を通してほぼ魔王として大暴れしてたし妥当か・・・。
ラルフ
最終章のタイトルが「悪魔城伝説」であり、ラルフを加入させてドラキュラに挑むことになるの、熱い展開すぎて火傷するかと思った。はじめてドラキュラを倒したとされるラルフの活躍は神格化され、やがて「悪魔城伝説」と呼ばれることに・・・という前置きがかっこよすぎるんだよな。
忌み嫌われた闇祓いの一族を英雄にした伝説のベルモンド。蒼真と同じく加入が遅いので他キャラとの絡みも何もないんだけど、周囲からの評価がめちゃくちゃ高いので、それだけ神聖視されてるんだな〜というのは伝わってきた。ラルフと再会したアルカードがじんわり嬉しそうなのも良かった。
ルーシー
今作のオリジナルキャラ。イケイケな人物が多い悪魔城キャラにしては珍しく、優秀なんだけど奥手で自己評価が低い。有角をはじめ英雄たちを尊敬しており、物語が進むにつれて精神的に成長する。こっそり恋愛小説を書いている。
悩みをアルバスに相談する話と、珍しく弱気になった有角の悩みを受け止め、前向きにさせる話が好き。英雄たちも悩みや抱える思いがあるけれど、対話が人を癒し、成長させる。そういうことを教えてくれるキャラクターだった。キャラの掛け合いが魅力の今作において、とてもいい存在だったと思う。
今作の「英雄を召喚」という行為は、ルーシーいわく過去からもってくるわけではなく、悪魔城の歴史から記述された情報をもとに具現化(再現)しているとのこと。だから有角以外のキャラクターは召喚士ルーシーの解釈によって再現された存在、ということになるのかな。それはそれで有角と大人マリアの関係を考えると「再会して嬉しいと思っているのは本物のマリアではなく再現された架空の存在であって、魔法が解けたら白紙に戻る空虚な存在・・・有角にとって残酷すぎん・・・?」と思うのだが、たとえ架空の存在で一時の存在であったとしても、有角にとっては本物であり、確実に長い人生での楽しい思い出のひとつになるのだろう・・・と思い込んで心の平穏を保つことにする。まぁ、そんなことはどうでもよくて、ただルーシーが「英雄を尊敬しているから、性格や思考を理解しようと努めた」からこそ、本物とたがわぬ英雄再現が可能だったという設定はとても好き。ルーシーの姿勢はこの物語をつくったスタッフの愛に匹敵するというかイコールというか、、ルーシーがいたからこそこの夢のような作品を楽しむことができたんだなって。
ちなみにクリアするのにかけたログイン日数は900日くらい。
無駄にログインだけしていた日数がかなり多いので参考にはなりません。
中盤進めるのが苦痛で2年くらい放置していたけど、キャッスルヴァニアの新アニメ前にはクリアしたいなと思って再開し、(間に合ったかどうかは別として)どうにかストーリークリアできてよかった。ハードモードとか武器集めとかやり込み要素はかなりあるけど、もうさすがに手が回りません・・・。これがAppleアーケードでほんとによかった。課金前提のソシャゲだったらクリアできていた自信が無いからね。これでようやく解約できる。(←プレイしてない期間もずっと解約できずにいた人)
いつかストーリー部分だけでも家庭用ゲームに移植してくれたらいいなと思います。それくらい悪魔城の歴史に刻んで欲しい物語だった。勢いで有角と蒼真のことばかり書いてしまったけど、各キャラへの描写が細かくて、愛を感じた。コナミさんありがとうございました。
登山から帰ってきて早々仕事がごたついて日記どころじゃなくなったのだが、日を経るごとに感動も書きたいことも消えていってしまうので焦って今これを書いている。
とにかく高いところが好きだ。高いものを見上げるのも、高所から見下ろすのも好き。
自分が住んでいる東海地方付近に、日本一高くて整備されている山がある。
登る動機には十分だろう。
たとえ雨でも霧でも、禁止されない限りは登るつもりでいたけど、やっぱり晴れた富士山に登りたいに決まっている。自分は別に天気に運がいい方ではないし、今までの旅でも悪天候ばかり引いてきた。それでも「山の天気は最後まで分からない」とあんまり良い意味では使われない言葉に縋って毎日天気予報をチェックして、出発までの2週間は祈り続けていた。ちょうど梅雨真っただ中で曇天が続き、憂い事がなくても気持ちが沈むような日々だ。不安を抱えながら過ごす6月後半、「なんとなくしんどい」状態が続いてつらかった。
だからこそ、登山日の7月2日、青空が見えたことがどれだけ嬉しかったか。いてもたってもいられずに登り始めた。もちろん道中はめちゃめちゃしんどかったけど、『予想以上の晴天の中、心置きなく登山ができる』ことに、最高に充実を感じていた。
ここから時系列順に書きたいことを書いていく。
7月1日
自宅を出て名古屋からバスで静岡県へ。高山病がなにより怖かったので、初日は富士5合目で一泊し、2,000m級の高所に体を慣らす。そして2日目は8合目の山小屋を予約済みという、なんとも時間と金をかけた旅程。恥ずかしい話だが富士山のことを何も知らずに「とりあえず山小屋の予約さえ勝ち取っておけば困らないだろう」の精神で組んだので、かなり余裕ありまくりのスケジュールになっていた。だって登るのに11時間くらいかかるんじゃないかって本気で思っていたんだよ・・・5合目から6時間で登れるってガイドブックで読んだ時にようやく自分の異常さに気が付いた。
バスからバスを乗り継いで富士山に近づいていく。
途中でふと読んだネットニュースに「今年の富士山は7/10からお鉢巡り解禁」の文字。えっ7月10日???と二度見。そして真っ白になる頭。お鉢巡りとは、富士山山頂の噴火口をぐるっと一周すること。そのお鉢巡りにも高低差があって、道中に3,776mの日本最高峰ポイントがある。雪解けと登山道の安全確保が出来ないという理由から、とりあえず山開きの7/1~7/9までは解禁しないらしい。・・・ということは、私は「日本最高峰」看板にも会えないし、そもそも3776mに到達することもできないってことだ。いやいやいや登る意味あるそれ!?日本で1番高いところに立つために来たんだが!?
己の勉強不足を棚に上げて憤慨する。そりゃ7月初旬が「登山者が比較的少なくて穴場!」とか言われるわけだ。そもそも梅雨シーズンだし、数ある登山道のうち一つしか解禁されてない時期だし。だから私でも山小屋の予約が取れたわけだ。あぁ、大人しくハイシーズンに計画しとけばよかったものを。でも少しでも人混みのない可能性をつかみたい気持ちも確かにあった。
このときの天気は曇時々雨。富士山の姿は分厚い雲に覆われていて、明日の天気も疑わしく、なんとなく憂鬱な気持ちで次のバスを待った。
最後のバスで「富士スバルライン5合目」へ。車でいけるのはこの5合目まで。吉田ルートと呼ばれる登山道の入口であり、土産物が売っていたり宿泊施設があったりと、ちょっとした町みたいになっている。ちなみにバスは満員だったが、日本人は誇張なしに1割くらいしかいなかった。
バスが5合目に近づくにつれて、体の異変を感じた。バイクで長距離かっ飛ばしたあとみたいな、身体中の血液が巡りきっていないような、ふわふわした感じ。朝が早かった疲れとか、いよいよ登山口が近づいてきた緊張とか、5合目で既に標高は2,000mを超えているから高山病の初期症状なのかもとか、色々原因がよぎる。とりあえずお茶を飲んで深呼吸して隣の人にバレない程度に鼻歌をうたって気を紛らわせて、深刻化しないように祈った。なんとなく変だ、くらいの違和感なら、宿泊施設に着いて休んでいれば治るだろう。もし悪化して本格的に高山病になってしまったら、山を下りるまで治らない。「お鉢巡りやりたかったなー」なんて脳天気なことを言っている場合ではない。気を引き締めないと登山すらままならいことを実感した。
食堂でカレーを食べて、登山挑戦記念になぜか友人に手紙を書いて5合目の郵便局に出して、神社で登拝守を買って、宿泊施設(カプセルホテル)にチェックイン。やることもないし、とにかく体調を治したかったので、酸素ボンベを時々吸って、18時には布団に入った。・・・ただいくら朝が早かったとはいえ、1日バス移動だけしてきた人間がそんな時間に寝られるはずもなく、「寝たいけど寝られない」戦いを続けて、寝ては起きてを繰り返した。
7月2日
事前に作ったスケジュールでは6時には登山開始のつもりだった。だが寝ては起きての攻防がいい加減耐えられなくなって、3時にもう起きることにした。着替えて荷物を詰め直し、いざ、登山口に入ったのは4時26分。
夜明け前。まだ薄暗いというのに登山客はまばらにいた。体調は問題なし。頭痛も消えている。夜に降った雨で地面は濡れていたし、空も雲に覆われていたが、徐々に明るくなって世界の色彩が濃くなるごとに、青空の面積が増えていった。雨が降っていない、自分の体調に問題が無い。たったそれだけのことがなんとも不思議で、ありがたかった。立ち止まっているより体を動かしていたくて、無心で歩き続けた。
6合目に着いた頃から、平坦な道が終わり、坂道が始まる。
空はすっかり晴れて、何もかもがよく見えた。
7合目手前くらいからガレ場と岩場。急登に息が上がる。
時間だけは余裕があったので(山小屋を予約しているから今日中に下山する必要もない)、とにかく疲れすぎて潰れることが無いように、他の人に抜かされるのも構わず、ちょっと登っては休憩してを繰り返した。冒頭にも書いたが、こんな良い天気に恵まれ、憂いなく登ることだけに集中できる『充実感』が幸福だった。遅いペースでも確実に進み続けているサクセス感があり、時間的な心の余裕があり、体調もよい。純粋に登ることを楽しめる。自分を信じて進み続けられる。こんな素敵な登山はそうそうない。
今思い返しても ”良い時間だった” と心から言える。
7:45、8合目(3,020m)に着く。ここまでくると肩で息をしているのが当たり前になってきて、登るから疲れるのか、酸素が薄いから息が上がるのか、そんなことを考える余裕もなくなってくる。ちょうど同じペースで登ってきていた見知らぬ英語圏ニキを勝手に心の中で応援しつつ、仲間意識を持って登り続けた。
9:42、長かった8合目ゾーンを抜ける。
10:00、9合目。写真を撮る余裕もない。
11:00、富士山頂に届く。
山頂についたときは、「あ、ここで終わりなんだ」と思った。随分あっさりした感想。9合目から山頂まであんなにきつかったのに、達成感よりも先に、旅が唐突に終わった驚きがあった。本来なら神社に郵便局に山小屋にとにぎわっていたであろう山頂は、お鉢巡りが解禁されていないせいか全ての建物が閉まっていて、廃墟の町にたどり着いたような気分だった。
山頂からの景色。飛行機から見ているような空の青さ。雲の上。
日本一高いところでポテチの袋がどれだけふくらむのか、気になって持ってきていたけど、山頂でザックを開いたらいつの間にか破裂していた。仕方がないのでそのままパーティ開けしてぼりぼり食べた。山頂は寒かった。夏のギラギラした日差しが照りつけるのに、空気はひんやりしていて、風は凍てついている。登るときは汗もかくし涼しい格好をしていたけど、景色を眺める間は雨具を羽織った。
夢の1つを達成した気持ちで下山を開始する。8合目で山小屋を予約してるっていうのに、登ることに集中しすぎて結局山頂まで行ってしまった。山頂から美しい青空が見られたことにかなり満足していたから、後悔はしていない。ただ8合目~山頂までの道のりは本当に大変できつかったので、ご来光のために翌朝登るのは止めよう・・・とぼんやり考えていた。
下山中、下界の景色がはっきり見える瞬間があって、何枚も写真を撮った。
富士山は南アルプスみたいな連なる山とは違って、山に囲まれているわけでもなく、麓には山梨の町が広がっている。頂上から海抜の低い平地まで一気に見下ろせる景色が不思議で新鮮でたまらなくて、じーっと見入っていた。今見ても空気が綺麗すぎる。なんてクリアな景色なんだ。
さて、素敵な登山だったわけだが、残念ながら良い思い出だけでは旅は終わらない。
本8合目まで下山し、予約していた山小屋にチェックインする。14時ごろだったと思う。カプセルホテルと同じ大きさのひとり部屋。今どきの山小屋は雑魚寝じゃなくて一応部屋がある。あったかい布団もある。さすがに登山の疲労があって、とりあえず布団にダイブして昼寝した。
日が暮れる頃、夕食の時間。寒すぎてダウンを着る。夕食の最中に山小屋の人が「山頂で日の出を見る方は深夜2時頃には起きてアタックする必要があります」と解説してくれる。寒さでかなりテンションが落ちていたので、山頂でご来光を見ようという気にはならなかった。日の出を見るだけなら山小屋からでも十分だろう。
夕食を食べても寒くて、ダウンを着たまま布団に入った。寒かった。
夜中、なんか嫌な汗をかいて目が覚める。
とにかく高いところが好きだ。高いものを見上げるのも、高所から見下ろすのも好き。
自分が住んでいる東海地方付近に、日本一高くて整備されている山がある。
登る動機には十分だろう。
たとえ雨でも霧でも、禁止されない限りは登るつもりでいたけど、やっぱり晴れた富士山に登りたいに決まっている。自分は別に天気に運がいい方ではないし、今までの旅でも悪天候ばかり引いてきた。それでも「山の天気は最後まで分からない」とあんまり良い意味では使われない言葉に縋って毎日天気予報をチェックして、出発までの2週間は祈り続けていた。ちょうど梅雨真っただ中で曇天が続き、憂い事がなくても気持ちが沈むような日々だ。不安を抱えながら過ごす6月後半、「なんとなくしんどい」状態が続いてつらかった。
だからこそ、登山日の7月2日、青空が見えたことがどれだけ嬉しかったか。いてもたってもいられずに登り始めた。もちろん道中はめちゃめちゃしんどかったけど、『予想以上の晴天の中、心置きなく登山ができる』ことに、最高に充実を感じていた。
ここから時系列順に書きたいことを書いていく。
7月1日
自宅を出て名古屋からバスで静岡県へ。高山病がなにより怖かったので、初日は富士5合目で一泊し、2,000m級の高所に体を慣らす。そして2日目は8合目の山小屋を予約済みという、なんとも時間と金をかけた旅程。恥ずかしい話だが富士山のことを何も知らずに「とりあえず山小屋の予約さえ勝ち取っておけば困らないだろう」の精神で組んだので、かなり余裕ありまくりのスケジュールになっていた。だって登るのに11時間くらいかかるんじゃないかって本気で思っていたんだよ・・・5合目から6時間で登れるってガイドブックで読んだ時にようやく自分の異常さに気が付いた。
バスからバスを乗り継いで富士山に近づいていく。
途中でふと読んだネットニュースに「今年の富士山は7/10からお鉢巡り解禁」の文字。えっ7月10日???と二度見。そして真っ白になる頭。お鉢巡りとは、富士山山頂の噴火口をぐるっと一周すること。そのお鉢巡りにも高低差があって、道中に3,776mの日本最高峰ポイントがある。雪解けと登山道の安全確保が出来ないという理由から、とりあえず山開きの7/1~7/9までは解禁しないらしい。・・・ということは、私は「日本最高峰」看板にも会えないし、そもそも3776mに到達することもできないってことだ。いやいやいや登る意味あるそれ!?日本で1番高いところに立つために来たんだが!?
己の勉強不足を棚に上げて憤慨する。そりゃ7月初旬が「登山者が比較的少なくて穴場!」とか言われるわけだ。そもそも梅雨シーズンだし、数ある登山道のうち一つしか解禁されてない時期だし。だから私でも山小屋の予約が取れたわけだ。あぁ、大人しくハイシーズンに計画しとけばよかったものを。でも少しでも人混みのない可能性をつかみたい気持ちも確かにあった。
このときの天気は曇時々雨。富士山の姿は分厚い雲に覆われていて、明日の天気も疑わしく、なんとなく憂鬱な気持ちで次のバスを待った。
最後のバスで「富士スバルライン5合目」へ。車でいけるのはこの5合目まで。吉田ルートと呼ばれる登山道の入口であり、土産物が売っていたり宿泊施設があったりと、ちょっとした町みたいになっている。ちなみにバスは満員だったが、日本人は誇張なしに1割くらいしかいなかった。
バスが5合目に近づくにつれて、体の異変を感じた。バイクで長距離かっ飛ばしたあとみたいな、身体中の血液が巡りきっていないような、ふわふわした感じ。朝が早かった疲れとか、いよいよ登山口が近づいてきた緊張とか、5合目で既に標高は2,000mを超えているから高山病の初期症状なのかもとか、色々原因がよぎる。とりあえずお茶を飲んで深呼吸して隣の人にバレない程度に鼻歌をうたって気を紛らわせて、深刻化しないように祈った。なんとなく変だ、くらいの違和感なら、宿泊施設に着いて休んでいれば治るだろう。もし悪化して本格的に高山病になってしまったら、山を下りるまで治らない。「お鉢巡りやりたかったなー」なんて脳天気なことを言っている場合ではない。気を引き締めないと登山すらままならいことを実感した。
食堂でカレーを食べて、登山挑戦記念になぜか友人に手紙を書いて5合目の郵便局に出して、神社で登拝守を買って、宿泊施設(カプセルホテル)にチェックイン。やることもないし、とにかく体調を治したかったので、酸素ボンベを時々吸って、18時には布団に入った。・・・ただいくら朝が早かったとはいえ、1日バス移動だけしてきた人間がそんな時間に寝られるはずもなく、「寝たいけど寝られない」戦いを続けて、寝ては起きてを繰り返した。
7月2日
事前に作ったスケジュールでは6時には登山開始のつもりだった。だが寝ては起きての攻防がいい加減耐えられなくなって、3時にもう起きることにした。着替えて荷物を詰め直し、いざ、登山口に入ったのは4時26分。
夜明け前。まだ薄暗いというのに登山客はまばらにいた。体調は問題なし。頭痛も消えている。夜に降った雨で地面は濡れていたし、空も雲に覆われていたが、徐々に明るくなって世界の色彩が濃くなるごとに、青空の面積が増えていった。雨が降っていない、自分の体調に問題が無い。たったそれだけのことがなんとも不思議で、ありがたかった。立ち止まっているより体を動かしていたくて、無心で歩き続けた。
6合目に着いた頃から、平坦な道が終わり、坂道が始まる。
空はすっかり晴れて、何もかもがよく見えた。
7合目手前くらいからガレ場と岩場。急登に息が上がる。
時間だけは余裕があったので(山小屋を予約しているから今日中に下山する必要もない)、とにかく疲れすぎて潰れることが無いように、他の人に抜かされるのも構わず、ちょっと登っては休憩してを繰り返した。冒頭にも書いたが、こんな良い天気に恵まれ、憂いなく登ることだけに集中できる『充実感』が幸福だった。遅いペースでも確実に進み続けているサクセス感があり、時間的な心の余裕があり、体調もよい。純粋に登ることを楽しめる。自分を信じて進み続けられる。こんな素敵な登山はそうそうない。
今思い返しても ”良い時間だった” と心から言える。
7:45、8合目(3,020m)に着く。ここまでくると肩で息をしているのが当たり前になってきて、登るから疲れるのか、酸素が薄いから息が上がるのか、そんなことを考える余裕もなくなってくる。ちょうど同じペースで登ってきていた見知らぬ英語圏ニキを勝手に心の中で応援しつつ、仲間意識を持って登り続けた。
9:42、長かった8合目ゾーンを抜ける。
10:00、9合目。写真を撮る余裕もない。
11:00、富士山頂に届く。
山頂についたときは、「あ、ここで終わりなんだ」と思った。随分あっさりした感想。9合目から山頂まであんなにきつかったのに、達成感よりも先に、旅が唐突に終わった驚きがあった。本来なら神社に郵便局に山小屋にとにぎわっていたであろう山頂は、お鉢巡りが解禁されていないせいか全ての建物が閉まっていて、廃墟の町にたどり着いたような気分だった。
山頂からの景色。飛行機から見ているような空の青さ。雲の上。
日本一高いところでポテチの袋がどれだけふくらむのか、気になって持ってきていたけど、山頂でザックを開いたらいつの間にか破裂していた。仕方がないのでそのままパーティ開けしてぼりぼり食べた。山頂は寒かった。夏のギラギラした日差しが照りつけるのに、空気はひんやりしていて、風は凍てついている。登るときは汗もかくし涼しい格好をしていたけど、景色を眺める間は雨具を羽織った。
夢の1つを達成した気持ちで下山を開始する。8合目で山小屋を予約してるっていうのに、登ることに集中しすぎて結局山頂まで行ってしまった。山頂から美しい青空が見られたことにかなり満足していたから、後悔はしていない。ただ8合目~山頂までの道のりは本当に大変できつかったので、ご来光のために翌朝登るのは止めよう・・・とぼんやり考えていた。
下山中、下界の景色がはっきり見える瞬間があって、何枚も写真を撮った。
富士山は南アルプスみたいな連なる山とは違って、山に囲まれているわけでもなく、麓には山梨の町が広がっている。頂上から海抜の低い平地まで一気に見下ろせる景色が不思議で新鮮でたまらなくて、じーっと見入っていた。今見ても空気が綺麗すぎる。なんてクリアな景色なんだ。
さて、素敵な登山だったわけだが、残念ながら良い思い出だけでは旅は終わらない。
本8合目まで下山し、予約していた山小屋にチェックインする。14時ごろだったと思う。カプセルホテルと同じ大きさのひとり部屋。今どきの山小屋は雑魚寝じゃなくて一応部屋がある。あったかい布団もある。さすがに登山の疲労があって、とりあえず布団にダイブして昼寝した。
日が暮れる頃、夕食の時間。寒すぎてダウンを着る。夕食の最中に山小屋の人が「山頂で日の出を見る方は深夜2時頃には起きてアタックする必要があります」と解説してくれる。寒さでかなりテンションが落ちていたので、山頂でご来光を見ようという気にはならなかった。日の出を見るだけなら山小屋からでも十分だろう。
夕食を食べても寒くて、ダウンを着たまま布団に入った。寒かった。
夜中、なんか嫌な汗をかいて目が覚める。
上体を起こすと嘔吐感。やべぇと思ってとりあえず深呼吸する。頭痛はないから、高山病ではないと思うが、全身汗をかくくらいには暑いのに、身体の芯はぞくぞくするほど寒い。体温調節機能がバグっている。これはそう、熱が出た時の感覚ではないか・・・。まだ軽い高山病の方がマシだなと思いつつ経過を見る。目眩がする・・・気がする。狭い天井を見上げて、こんなところで高熱だしても助けなんか呼べないし、ボロボロになりながら下山するしかないし、そもそも下山できるほど気力あるのか、ああ午前中だけで山頂行けたんだから、山小屋は諦めて下山すれば良かった・・・なんて一気に不安が湧いてきて、パニック起こすかと思った。
それでも布団の中でうずくまっていても気分は変わらないと思って、思い切って外に出た。トイレにしばらくこもって(腹が痛かったので)、ありがたいことに売店が24時間やっているので、ホットココアを飲んでから寝床に戻る。トイレまで歩いてみた感じ、熱っぽいわけではなさそうで少しだけ安心した。それでも気温の変化に体がついてきてない感じはするので、明るくなったら無理せずとっとと下山しようと思った。
睡眠中は呼吸が浅くなるので、高山病のリスクが高まるという。ただでさえ山小屋という建物の中は、外に比べて酸素が薄くなりがちだ。隣の寝床の人も、ずっとうなされてて苦しそうだった。改めて、ここは標高3000m越えの極地、誰もが体調万全とは限らない、平地とは違う極限空間なのだと思い知る。ちなみにこのとき、スマホのメモアプリには「グロッキー山小屋」とだけ書き残していた。
7月3日
次に目が覚めたのは朝4時。自分でかけたアラームで目が覚めた。
山小屋に残っているのは、体調が悪そうなメンバーを抱えたパーティと自分だけ。他の人は夜明け前に山頂を目指してアタック開始したのだろうか。もう知る由もないけれど。
芯まで凍えるような寒さはなくなっていたが、やはり不安の方が大きくて、日の出と共に下山しようという決意が固まっていた。荷物を準備して、日が昇るのを待つ。一人で見る日の出の感想は大体いつもおなじだ。きれいとか感動するとかじゃなくて、「今日が明るく照らされたことへの安堵」これに尽きる。
のんびりしすぎると山頂からご来光を眺めた人々が下山するピークに巻き込まれると思って、明るくなってそうそうに山小屋を後にした。「お世話になりました」ってスタッフさんに挨拶して、下山道(8合目以下は登りとは違う道を行く)に向かう。昨日は登ることが生きがいでやめられないって感じだったのに、今はとにかく、下界が恋しい。不安になるくらい焦っていた。
それでも日は登るし、今日も今日とて良い天気だ。気持ちとは裏腹に、景色は色鮮やかで幻想的で現実味が無かった。不安を抱えながらも、どうしても景色に魅了される。異世界にひとり取り残されたような寂しさがあった。
朝日、赤土の道、青空、下界の緑、雲海・・・。全てが鮮やかで美しい。風も穏やかで人の気配もなく、喧噪も木々のざわめきもない、本当に静かな時間だった。
眼下に樹海が広がっていて、あんなにはっきりと緑が見えるのに、歩いても歩いても森が近くならない。こんなに緑が恋しくなるなんて思わなかった。あとどれくらい歩けば森にたどり着けるか、そんなことばかり考えていた。
そうして2時間くらい経った頃だろうか。もう「あとどれくらい~」とか考えることにも疲れてほぼ無心で人気のない道を下り続けていたとき、ふいに鳥の鳴き声が聞こえた。はっとして見渡すと、新緑の木々が生えている。取るに足らないただの木立なのに、「木が生えるところまで降りてきたんだ・・・」という感動がじーんと胸を打った。泣きそうになるくらいの衝撃だった。今回の旅について、最も深く残る思い出は、幸福さえ感じたアタックの充実感でも、素敵な景色でも、ましてやグロッキー山小屋でもないと思う。必死で下山する中、木立を見つけて、“緑のある世界に帰ってきた”と思った。地に草が生えているのが、木々が根付いているのが嬉しかった。生き物がいるべき場所という感じがした。
進み続けるにつれ、森は深くなる。湿った土の匂い、雑木林の涼しさ、草むらの匂い、そんなものを感じながら、森が好きだなぁと思った。
7:00、5合目に戻ってきた。下山が完了した。
ケガもなく、深刻な体調不良もなく、一人でよくやったと思う。
その後はバスで新宿に出て、とりあえず銭湯に行って、新宿アニメイトでちょうどコラボショップやってる推しコンテンツのグッズを買い込んで新幹線で帰宅した。富士山を経てもなお推し活に割けるエネルギーがあって良かった、というよりは、オタクだったから帰りも楽しめて良かった、というべきか。推しの等身大パネルを見てしまったらエネルギー湧きまくるに決まってる。
総評
今までのアウトドア経験をつぎ込んだ集大成みたいな旅だった。靴擦れ予防のために少しでも違和感を感じた時点で絆創膏を貼るとか、行動食をこまめに取るために常にポケットにチョコレートを入れておくとか、限られた積載量のザックに2泊3日分の荷物を詰め込む方法とかね。過去の経験が自分を支えているみたいで嬉しかった。こういうことの積み重ねがあれば、憧れの「肝の据わった人間」に近づけるだろうか。
旅のお供に「星野道夫」という写真家のエッセイ集を持っていたのが功を奏した。アラスカの自然を愛した筆者の自然観が、富士山という未知の自然に挑む自分の視点とリンクして、全然違う世界の話なのに没頭できた。旅に持ってきた本がマッチするというのは、けっこう嬉しい体験である。自然に触れると、たとえ普段は都市に暮らしていても、大自然にも自分と同じ時が流れていると思えるような想像力を得られる・・・という話(かなり要約してるけど)が特に好きだった。今こうして私が3時間かけて日記を書いている間にも、あの富士山の山小屋には誰かが泊まり、山頂では風が吹きすさぶ。その光景を想像できるだけで、なんだか世界が広がった気がするのだ。
新しい世界を通り抜けた自分は、少しだけ強くなれたような気がする。強くなるために登ったわけじゃないけど、登って良かったと思う。全体的に、言葉にするのを諦めるほど景色が良かった。いま見返しても、ファンタジーかよってくらい美しい。きっと時が経てばグロッキー山小屋のつらい記憶も薄れて、ただ「きれいな登山だった」という思い出だけが残るだろう。それはそれで寂しいよね。辛いも、苦しいも、飲み込んだうえで帰ってきたのにさ。だからこそ、こうして日記を書き上げられて良かった。ここまでやって、ようやく私の旅は完成する。
おつかれさまでした。
7月3日
次に目が覚めたのは朝4時。自分でかけたアラームで目が覚めた。
山小屋に残っているのは、体調が悪そうなメンバーを抱えたパーティと自分だけ。他の人は夜明け前に山頂を目指してアタック開始したのだろうか。もう知る由もないけれど。
芯まで凍えるような寒さはなくなっていたが、やはり不安の方が大きくて、日の出と共に下山しようという決意が固まっていた。荷物を準備して、日が昇るのを待つ。一人で見る日の出の感想は大体いつもおなじだ。きれいとか感動するとかじゃなくて、「今日が明るく照らされたことへの安堵」これに尽きる。
のんびりしすぎると山頂からご来光を眺めた人々が下山するピークに巻き込まれると思って、明るくなってそうそうに山小屋を後にした。「お世話になりました」ってスタッフさんに挨拶して、下山道(8合目以下は登りとは違う道を行く)に向かう。昨日は登ることが生きがいでやめられないって感じだったのに、今はとにかく、下界が恋しい。不安になるくらい焦っていた。
それでも日は登るし、今日も今日とて良い天気だ。気持ちとは裏腹に、景色は色鮮やかで幻想的で現実味が無かった。不安を抱えながらも、どうしても景色に魅了される。異世界にひとり取り残されたような寂しさがあった。
朝日、赤土の道、青空、下界の緑、雲海・・・。全てが鮮やかで美しい。風も穏やかで人の気配もなく、喧噪も木々のざわめきもない、本当に静かな時間だった。
眼下に樹海が広がっていて、あんなにはっきりと緑が見えるのに、歩いても歩いても森が近くならない。こんなに緑が恋しくなるなんて思わなかった。あとどれくらい歩けば森にたどり着けるか、そんなことばかり考えていた。
そうして2時間くらい経った頃だろうか。もう「あとどれくらい~」とか考えることにも疲れてほぼ無心で人気のない道を下り続けていたとき、ふいに鳥の鳴き声が聞こえた。はっとして見渡すと、新緑の木々が生えている。取るに足らないただの木立なのに、「木が生えるところまで降りてきたんだ・・・」という感動がじーんと胸を打った。泣きそうになるくらいの衝撃だった。今回の旅について、最も深く残る思い出は、幸福さえ感じたアタックの充実感でも、素敵な景色でも、ましてやグロッキー山小屋でもないと思う。必死で下山する中、木立を見つけて、“緑のある世界に帰ってきた”と思った。地に草が生えているのが、木々が根付いているのが嬉しかった。生き物がいるべき場所という感じがした。
進み続けるにつれ、森は深くなる。湿った土の匂い、雑木林の涼しさ、草むらの匂い、そんなものを感じながら、森が好きだなぁと思った。
7:00、5合目に戻ってきた。下山が完了した。
ケガもなく、深刻な体調不良もなく、一人でよくやったと思う。
その後はバスで新宿に出て、とりあえず銭湯に行って、新宿アニメイトでちょうどコラボショップやってる推しコンテンツのグッズを買い込んで新幹線で帰宅した。富士山を経てもなお推し活に割けるエネルギーがあって良かった、というよりは、オタクだったから帰りも楽しめて良かった、というべきか。推しの等身大パネルを見てしまったらエネルギー湧きまくるに決まってる。
総評
今までのアウトドア経験をつぎ込んだ集大成みたいな旅だった。靴擦れ予防のために少しでも違和感を感じた時点で絆創膏を貼るとか、行動食をこまめに取るために常にポケットにチョコレートを入れておくとか、限られた積載量のザックに2泊3日分の荷物を詰め込む方法とかね。過去の経験が自分を支えているみたいで嬉しかった。こういうことの積み重ねがあれば、憧れの「肝の据わった人間」に近づけるだろうか。
旅のお供に「星野道夫」という写真家のエッセイ集を持っていたのが功を奏した。アラスカの自然を愛した筆者の自然観が、富士山という未知の自然に挑む自分の視点とリンクして、全然違う世界の話なのに没頭できた。旅に持ってきた本がマッチするというのは、けっこう嬉しい体験である。自然に触れると、たとえ普段は都市に暮らしていても、大自然にも自分と同じ時が流れていると思えるような想像力を得られる・・・という話(かなり要約してるけど)が特に好きだった。今こうして私が3時間かけて日記を書いている間にも、あの富士山の山小屋には誰かが泊まり、山頂では風が吹きすさぶ。その光景を想像できるだけで、なんだか世界が広がった気がするのだ。
新しい世界を通り抜けた自分は、少しだけ強くなれたような気がする。強くなるために登ったわけじゃないけど、登って良かったと思う。全体的に、言葉にするのを諦めるほど景色が良かった。いま見返しても、ファンタジーかよってくらい美しい。きっと時が経てばグロッキー山小屋のつらい記憶も薄れて、ただ「きれいな登山だった」という思い出だけが残るだろう。それはそれで寂しいよね。辛いも、苦しいも、飲み込んだうえで帰ってきたのにさ。だからこそ、こうして日記を書き上げられて良かった。ここまでやって、ようやく私の旅は完成する。
おつかれさまでした。
死ぬほど焦る日もある。
インターネットの隅っこブログなので怖いもの知らずで書きたいことを書いていく。いつもより書きたいことを片っ端から詰め込んで冗長に書いていく。そうじゃないと、この「書き残したい」という気持ちが収まりそうにない。
6月2日、東海地方は未曾有の大雨。
各地で被害が出た。我が地元も被災した。
朝から大雨だったそうだ。避難指示が出て、避難所の開設員に指令が出た。開設員として(メールで)指令を受け取った私は、ディズニーランドでピノキオのアトラクションに並んでいるところだった。ちなみにディズニーランドも土砂降りの強風だった。
やっちまった、というのが第一感想。まさか自分が「旅行に出ているので避難所開設できませんー!」ムーブをする日がくるなんて...!! まぁ、予想してなかったわけではない。自分みたいなテキトーな奴は、いつかこういうありふれたゾッとしない“やらかし”をするものだと思っていた。それは本当。そう思っていたのに、ろくに対策せず希望的観測でのこのこと旅行に出かけてしまった。「大雨になるみたいだから旅行は中止しよう」と、一緒に行く友達に言えなかった。後悔がどっと湧く。この先どうしたらいいのかなんて考えられず、大混乱状態でアトラクションの順番が来た。混乱する頭で乗ったピノキオのトロッコは、内容の突飛さも相乗して、悪い夢を見ているみたいだった。
トロッコから降りて、とりあえず上司に電話することにした。今からでも帰るべきだと思う気持ちはもちろんあった。ただその判断が本当にベストなのか自信がなくて、帰るための背中を押して欲しかった。悪いけど帰ってこいと、そう言ってもらえれば決心がつく・・・「おつー。避難所のことで電話してきたんだべ? いや絶対帰ってくるほとじゃないから、帰ってこなくていいぞ。開設員もう1人いるんだから、なんとかなるって。今から帰ってきても時間かかるし、そんな時間にこっちきてもやることは何もない。気にせず東京を楽しんでこい。今からなんとかマウンテン乗ってくるんだろ? 楽しんでこいよー」
朝から大雨だったそうだ。避難指示が出て、避難所の開設員に指令が出た。開設員として(メールで)指令を受け取った私は、ディズニーランドでピノキオのアトラクションに並んでいるところだった。ちなみにディズニーランドも土砂降りの強風だった。
やっちまった、というのが第一感想。まさか自分が「旅行に出ているので避難所開設できませんー!」ムーブをする日がくるなんて...!! まぁ、予想してなかったわけではない。自分みたいなテキトーな奴は、いつかこういうありふれたゾッとしない“やらかし”をするものだと思っていた。それは本当。そう思っていたのに、ろくに対策せず希望的観測でのこのこと旅行に出かけてしまった。「大雨になるみたいだから旅行は中止しよう」と、一緒に行く友達に言えなかった。後悔がどっと湧く。この先どうしたらいいのかなんて考えられず、大混乱状態でアトラクションの順番が来た。混乱する頭で乗ったピノキオのトロッコは、内容の突飛さも相乗して、悪い夢を見ているみたいだった。
トロッコから降りて、とりあえず上司に電話することにした。今からでも帰るべきだと思う気持ちはもちろんあった。ただその判断が本当にベストなのか自信がなくて、帰るための背中を押して欲しかった。悪いけど帰ってこいと、そう言ってもらえれば決心がつく・・・「おつー。避難所のことで電話してきたんだべ? いや絶対帰ってくるほとじゃないから、帰ってこなくていいぞ。開設員もう1人いるんだから、なんとかなるって。今から帰ってきても時間かかるし、そんな時間にこっちきてもやることは何もない。気にせず東京を楽しんでこい。今からなんとかマウンテン乗ってくるんだろ? 楽しんでこいよー」
私「・・・」
友「上司の人、なんて?」
私「帰ってこなくて良いって言ってた。なんとかマウンテン乗って来いって」
友「めっちゃ良い人だね。じゃあスプラッシュマウンテン乗るか〜」
土砂降りのディズニーは歩き回るだけで体力が減った。上司の心意気に甘えて留まることにしたとはいえ、心の中には「自分はここにいていいのか・・・」という気持ちが渦を巻いていた。ディズニーの街並みは素敵だし、ポップコーンおいしいし、もちろん各種アトラクションは楽しい。楽しいんだけど・・・心ここにあらずというか、なんというか。現実味のない時間だった。正直、あまり記憶がない。
本部からのメールは何通も来ていた。避難所の開設決定に伴う準備をしてくださいから始まり、全避難所の開設準備が整いました、避難指示を全域に出しました、各避難所は避難者数を報告してください、緊急安全確保が発令されました、開設員以外の職員も参集してください等々・・・通知が来るたび息が詰まる。自分が成すべきことを成していないことがこんなに辛い。もう既に新幹線は運休している。今更、地元に帰ることはできない。1番初めに通知がきたとき、上司に「いやそれでも帰るんで!!!」と言い切って動くことが出来ていたら。・・・いや、そんなことを言う気概が、度胸が、自分にあった・・・かなぁ・・・。結局決断できなくて何もできない自分が情けなくて泣きそうで、でも友達にこれ以上不快な気持ちを見せるわけにもいかないなって気を張って、カラ元気だけで動いていた。
ただ、その中で強烈に印象に残ったアトラクションがある。
ただ、その中で強烈に印象に残ったアトラクションがある。
美女と野獣。普段のディズニーランドなら90分待ちは覚悟が必要な人気アトラクション。大雨強風のディズニーで唯一良かったことは、軒並み待ち時間が短かかったことだ。40分で乗れた。夕方6時頃から並び、もうこの頃にはヤケクソで東京を楽しむ気持ちにようやく落ち着いてきていたので、いい感じにワクワクしていた。石橋を越えて、お城の中へと続く待ち列。薄暗い城内の雰囲気とは真逆の賑やかで感動的な内容。たしかに乗ってみて人気な理由がわかった。世界観や物語の再現性、アトラクションとしての楽しさ、ミュージカル的満足度、全てがレベル高くて感嘆する。めっちゃ感動したんだけど、ちょうどアトラクションに乗ったところでスマホに着信が入って、あーこれ絶対上司が電話かけてくれてるやつだ!いやもしかしたらもう1人の開設員からか!?と思った。一瞬で夢見る気持ちが粉々になり、現実に引き戻される。・・・普通は着信が気になってアトラクションは気が気じゃなくなるところだが、美女と野獣は前述の通り感動的で濃厚で素晴らしいアトラクション体験である。ここで感情のバトルが勃発した。感動的で楽しい陽の気持ちと、深刻な焦りと不安の陰の気持ち、双方がぶつかって情緒ぐちゃぐちゃになる現象が起きた。ここの体験だけは、登場人物がどんな動きをして乗り物がどんな風に揺れたのかも、スマホがどのタイミングで鳴って私がいつ折り返し電話したかも、なぜかよく覚えている。情緒ぐちゃぐちゃの胸はずっと痛かった。
折り返した電話は上司からだった。避難所が開設されて数時間。各所の状況も落ち着いてきて、本当に心配はいらないよ、あんたが来る必要はないよ、気にせず明日も予定通り遊びなさいよ、という話だった。どうせ新幹線も高速道路も動かないのだから、物理的に本当に帰れない。そのことがようやく自分にも完全に浸透して、そこからは、結構楽しく満喫していたと思う。
翌日、朝のニュースで被災地の状況を知る。朝イチでまた上司が電話をくれた。結局私が担当の避難所は避難者が少なく、1人で十分だったそうだ。それほど迷惑をかけていないことを知ってほっとする。その他、仕事上確認しなきゃいけないことは全て俺がやっとくから、あんたは気にせず東京で過ごしなさい、どうせまだ新幹線止まってるんだから、と言われてしまった。
もともと旅程は2泊3日の予定。1日目ランド、2日目シー、3日目に地元に帰る。だが友達と話し合って(友達は今回イレギュラーが起きたこと、大雨の中のランドが大変すぎたことから、かなり萎えていた)、シーはキャンセルして帰ることにした。この友達には散々振り回すことになってしまって申し訳ないなと思う。もっとフォローしてあげる方法があっただろうな・・・。この子にあらかじめ「旅行の日は大雨予報だね。私、もしかしたら避難所開設しなきゃいけなくなるかもしれなくて・・・」と相談できていたら、もっと違う結果になっていたのかもしれない。ここだけは今でも結構後悔している。対話する努力が必要だった。
そうして土曜日の夜、ようやく動いた新幹線で地元に帰った。避難所は土曜の朝にはすべて閉鎖されていた。地元は「あそこが冠水したらしい」「あの川が氾濫して建物に被害がでたらしい」とかとか、色々な情報が錯綜していて、なんだか浦島太郎の気分だった。
日曜日、ディズニーのお土産(菓子折り替わり)を持って、ペアの開設員の人に謝りに行った。ついでに仕事で管理している施設の御用伺いにも行った。休日なのでそんなことをする必要はないのかもしれないけど、『謝罪はマスト』『被災日に何もできなかった分コミュニケーションは取るべき』『前任者なら絶対そうする』と思ったのだから動くしかないよね。ここで行動できたこと、各所の人からちゃんと話を聞けたことで、「何もできなかった・・・」という深刻な気持ちはだいぶ和らいだ。
まぁでも、私って、徹頭徹尾、自分が満足するかどうかでしか動いていないんだよね。誰かの命を守るために避難所を開設しなくては、なんて一ミリも思ってない。自分の責任を果たすことしか考えてない。手段ばかり注視して目的が見えなくなるタイプか、ちょっと特殊なエゴイストか。改善する気もないが、視野が狭くなるのは嫌だなぁ。
月曜日、何事もなかったかのように出勤。上司にお土産(菓子折り替わり)を渡して、どれだけ色々あったか話を聞いて、大変そうだなあより、その場に居たかったなぁと思っている自分に笑った。
折り返した電話は上司からだった。避難所が開設されて数時間。各所の状況も落ち着いてきて、本当に心配はいらないよ、あんたが来る必要はないよ、気にせず明日も予定通り遊びなさいよ、という話だった。どうせ新幹線も高速道路も動かないのだから、物理的に本当に帰れない。そのことがようやく自分にも完全に浸透して、そこからは、結構楽しく満喫していたと思う。
翌日、朝のニュースで被災地の状況を知る。朝イチでまた上司が電話をくれた。結局私が担当の避難所は避難者が少なく、1人で十分だったそうだ。それほど迷惑をかけていないことを知ってほっとする。その他、仕事上確認しなきゃいけないことは全て俺がやっとくから、あんたは気にせず東京で過ごしなさい、どうせまだ新幹線止まってるんだから、と言われてしまった。
もともと旅程は2泊3日の予定。1日目ランド、2日目シー、3日目に地元に帰る。だが友達と話し合って(友達は今回イレギュラーが起きたこと、大雨の中のランドが大変すぎたことから、かなり萎えていた)、シーはキャンセルして帰ることにした。この友達には散々振り回すことになってしまって申し訳ないなと思う。もっとフォローしてあげる方法があっただろうな・・・。この子にあらかじめ「旅行の日は大雨予報だね。私、もしかしたら避難所開設しなきゃいけなくなるかもしれなくて・・・」と相談できていたら、もっと違う結果になっていたのかもしれない。ここだけは今でも結構後悔している。対話する努力が必要だった。
そうして土曜日の夜、ようやく動いた新幹線で地元に帰った。避難所は土曜の朝にはすべて閉鎖されていた。地元は「あそこが冠水したらしい」「あの川が氾濫して建物に被害がでたらしい」とかとか、色々な情報が錯綜していて、なんだか浦島太郎の気分だった。
日曜日、ディズニーのお土産(菓子折り替わり)を持って、ペアの開設員の人に謝りに行った。ついでに仕事で管理している施設の御用伺いにも行った。休日なのでそんなことをする必要はないのかもしれないけど、『謝罪はマスト』『被災日に何もできなかった分コミュニケーションは取るべき』『前任者なら絶対そうする』と思ったのだから動くしかないよね。ここで行動できたこと、各所の人からちゃんと話を聞けたことで、「何もできなかった・・・」という深刻な気持ちはだいぶ和らいだ。
まぁでも、私って、徹頭徹尾、自分が満足するかどうかでしか動いていないんだよね。誰かの命を守るために避難所を開設しなくては、なんて一ミリも思ってない。自分の責任を果たすことしか考えてない。手段ばかり注視して目的が見えなくなるタイプか、ちょっと特殊なエゴイストか。改善する気もないが、視野が狭くなるのは嫌だなぁ。
月曜日、何事もなかったかのように出勤。上司にお土産(菓子折り替わり)を渡して、どれだけ色々あったか話を聞いて、大変そうだなあより、その場に居たかったなぁと思っている自分に笑った。
上司「あんたの性格だと、絶対こっちに残ってた方が楽しかっただろうよ。イレギュラーが起きまくったからね。作りものじゃない本物の非日常の連続。その場にいられなくてちょっと悔しいと思ってるべ?」
私「なんで分かるんすか」
ろくに被害がなかったから言えるクソ不謹慎トークではあるものの、まさにその通りなので仕方ない。まぁこういうことを楽しめるサイコパスもいないと世の中って廻らないでしょ(?) 自分はどうにも多数派にはなれないので、どうせならそっち側の狂人でいたいよ。現実は何の能力もない私がいたところで一般職員A程度のはたらきしかできないが、なんかもう根っからの中二病なので自分がヒーローになる妄想ばかりしてしまう。根源的願望ができあがってしまう。今回は、何もできなかったこと、まつり(言い方が悪いけど)に加われなかったことが悔しかった。そんな気持ちが最後の最後まで残っていたことは、自分らしいなと思わなくもない。
私「なんで分かるんすか」
ろくに被害がなかったから言えるクソ不謹慎トークではあるものの、まさにその通りなので仕方ない。まぁこういうことを楽しめるサイコパスもいないと世の中って廻らないでしょ(?) 自分はどうにも多数派にはなれないので、どうせならそっち側の狂人でいたいよ。現実は何の能力もない私がいたところで一般職員A程度のはたらきしかできないが、なんかもう根っからの中二病なので自分がヒーローになる妄想ばかりしてしまう。根源的願望ができあがってしまう。今回は、何もできなかったこと、まつり(言い方が悪いけど)に加われなかったことが悔しかった。そんな気持ちが最後の最後まで残っていたことは、自分らしいなと思わなくもない。
昨日の金曜ロードショーは美女と野獣だった。
ぼーっと劇中歌を聴いていたら、アトラクションに乗っているときの気持ちを思い出した。アトラクションに純粋に感動する気持ち、ポケットの中の着信が気になって冷や汗をかく気持ち、今何を考えるべきなのか混乱して声が出なくなる気持ち、一気に色んな感情が湧いて、胸が痛くなる感覚。また一つ、変なトリガーが増えた。
失恋の話。
3月20日、人事異動が発表された。
先輩の名前があった。
栄転だと周囲は賛辞を呈する。
心にもない「おめでとうございます」を告げて、私は、どうしたら悔いが残らないかを考えた。
有能で、人当たりが良くて、仕事が好きで、かっこよくて、皆の人気者。
何回も小言を言われ、その度に凹んだけど、それを差し引いてもあり余るくらい好き。
これは好意の押し付けだ。
理想を勝手に投影してるだけだ。
そう思って気持ちに気づかないようにしていたが、いざ消えることが確定すると、寂しさが圧倒的に勝る。この先、先輩は私の知らない部署で私の知らない人たちと生き生きと仕事するんだろうな、もう手の届かない人になるんだろうな、あぁ、嫌だなぁ・・・。
友人に相談した。
「じゃあもう、ヤケクソで告白しちゃえば? ほら、バスケの試合中は正確にパスをつなげて得点することが重要だけど、試合時間残り3秒になったらコートのどこからだろうが一縷の望みをかけてスリーポイントシュートぶん投げるのが正解じゃん? もう残り時間が無いのなら、成功したらいいな~くらいの気持ちでヤケクソ勝負していいと思うけどね」
そりゃそうだ。
告白を決意した。体裁なんて知るものか。私のヤケクソ起爆力をなめるなよ。
ちなみに現在進行形で仕事は死ぬほど溜まってる。年度末の業務量マジでバグってる。
これは4/1が近づけば近づくほど深刻になる。
だから3/31に告白なんて余裕は絶対ない。かといって週の半ばとか訳の分からんタイミングでやりたくもない。というかあと1週間以上も「告白するぞ~」みたいな感じで腹に一物隠しておくなんて精神的負担がでかすぎる。決意したなら、とっとと実行したい。
というわけで3/24(金)の昼休憩時間に凸することにした。
(後日談)
友人「昼休憩は馬鹿だろ・・・。フラれても午後気まずいし、OKだったらOKだったで浮かれて仕事にならんくね??どうせ残業するんだから夜にするだろ普通・・・」
私「いやたしかにOKされた場合のことは考えてなかったんだけど、フラれても割り切って午後も仕事する覚悟は決めてたし、やりきった。なんなら平然と先輩に質問しにいった。めちゃめちゃいつも通りだった。それに、この日は先輩は飲み会かなんかでさっさと帰るスケジュール入れてたし、先輩の昼休憩ルーティーンは把握してるから一人になる時間に凸できる可能性が高かったし、先輩は月曜日休み取ってたから万が一気まずくても3日間顔合わせなくて済むし・・・このタイミングが一番だったんだよ」
友人「かなり理詰めのヤケクソでウケる」
決行日前夜、まず手紙とお菓子を用意した。
お菓子は異動発表前に「先輩絶対異動になるし菓子折り買っておこう・・・買っておくことで未来に対処して気持ちの安定をはかるのだ・・・」というプッチ神父的思考(???)で調達してきたもの。手紙は、恋愛うんぬん差し置いて先輩には新人の頃からずっとお世話になってきたので、感謝の気持ちを要点しぼってまとめて書いた。
想いも伝える、感謝も伝える、どっちもやる。
そして神に祈った。
ちょうど「神様は道は開いてくれるけど、進むのは自分だよ」って言葉を目にしたからだ。3/24(金)の当初天気予報は曇りだった。私は病的に晴れが好きなので、少しでも青空が見えたら勇気をもらえるだろうなと思った。「明日、昼休憩の時間にちょうど先輩が一人で喫煙所にいて少しでも青空が見えるシチュエーションに出会えますように。そうなったら、私は絶対に覚悟決めて踏み出すので!!」
果たして神様は、過分なまでに願いを聞き届けた。
初夏のような快晴。満開になった桜。心が軽くなるような温かい風。雨上がりの土の匂い。
青空と桜の色彩に背中を押され、覚悟を決めて飛び出した。
まずお菓子と手紙が入った袋を渡して。
それからもう一つ伝えたいことがありますと前置きして。
私が絞り出す言葉を待ってくれているのがよく分かった。
微笑みが残酷なほどやさしいなと思った。
告げた後の「ありがとうございます」がとても冷静で、そのトーンで結果が分かった。
いろいろとありがたいことを言ってくれたけど、あんまり覚えてない。
ただ、自分がダメージ受けているのを意外に感じていた。
泣きそうになるくらいには、結構本気で好きだったんだなあ。
喫煙所をあとにして散歩に出かけた。午後にはメンタルを整える覚悟があったとはいえ、直後くらい気まぐれに散歩してもいいだろうと思った。何より、春めいた世界を感じていたかった。
胸は痛いし苦しいが、吹っ切れてもいた。
息を吸う度に、胸を爽やかな風が駆け抜けていく。
桜と新緑と青空を目に焼き付けながら、泣き笑いした。
今日の世界は鮮やかで、私の感性もきっと研ぎ澄まされている。
今なら何より美しい写真が撮れるなと思ってスマホを出した。
今考えても、もちろん失恋は辛いことだけど、あの先輩とそんな話ができた瞬間があったことに、少しばかり幸福を感じる。告白した一瞬だけは、先輩は仕事関係なく私の話を真っ直ぐに聞いてくれた。私の本音を聞いてくれた。そしてやさしくはっきりと断った。爽やかな結果だなと思うのは、ちょっと美化しすぎだろうか。
さて、人生を生き直そう。
3月20日、人事異動が発表された。
先輩の名前があった。
栄転だと周囲は賛辞を呈する。
心にもない「おめでとうございます」を告げて、私は、どうしたら悔いが残らないかを考えた。
有能で、人当たりが良くて、仕事が好きで、かっこよくて、皆の人気者。
何回も小言を言われ、その度に凹んだけど、それを差し引いてもあり余るくらい好き。
これは好意の押し付けだ。
理想を勝手に投影してるだけだ。
そう思って気持ちに気づかないようにしていたが、いざ消えることが確定すると、寂しさが圧倒的に勝る。この先、先輩は私の知らない部署で私の知らない人たちと生き生きと仕事するんだろうな、もう手の届かない人になるんだろうな、あぁ、嫌だなぁ・・・。
友人に相談した。
「じゃあもう、ヤケクソで告白しちゃえば? ほら、バスケの試合中は正確にパスをつなげて得点することが重要だけど、試合時間残り3秒になったらコートのどこからだろうが一縷の望みをかけてスリーポイントシュートぶん投げるのが正解じゃん? もう残り時間が無いのなら、成功したらいいな~くらいの気持ちでヤケクソ勝負していいと思うけどね」
そりゃそうだ。
告白を決意した。体裁なんて知るものか。私のヤケクソ起爆力をなめるなよ。
ちなみに現在進行形で仕事は死ぬほど溜まってる。年度末の業務量マジでバグってる。
これは4/1が近づけば近づくほど深刻になる。
だから3/31に告白なんて余裕は絶対ない。かといって週の半ばとか訳の分からんタイミングでやりたくもない。というかあと1週間以上も「告白するぞ~」みたいな感じで腹に一物隠しておくなんて精神的負担がでかすぎる。決意したなら、とっとと実行したい。
というわけで3/24(金)の昼休憩時間に凸することにした。
(後日談)
友人「昼休憩は馬鹿だろ・・・。フラれても午後気まずいし、OKだったらOKだったで浮かれて仕事にならんくね??どうせ残業するんだから夜にするだろ普通・・・」
私「いやたしかにOKされた場合のことは考えてなかったんだけど、フラれても割り切って午後も仕事する覚悟は決めてたし、やりきった。なんなら平然と先輩に質問しにいった。めちゃめちゃいつも通りだった。それに、この日は先輩は飲み会かなんかでさっさと帰るスケジュール入れてたし、先輩の昼休憩ルーティーンは把握してるから一人になる時間に凸できる可能性が高かったし、先輩は月曜日休み取ってたから万が一気まずくても3日間顔合わせなくて済むし・・・このタイミングが一番だったんだよ」
友人「かなり理詰めのヤケクソでウケる」
決行日前夜、まず手紙とお菓子を用意した。
お菓子は異動発表前に「先輩絶対異動になるし菓子折り買っておこう・・・買っておくことで未来に対処して気持ちの安定をはかるのだ・・・」というプッチ神父的思考(???)で調達してきたもの。手紙は、恋愛うんぬん差し置いて先輩には新人の頃からずっとお世話になってきたので、感謝の気持ちを要点しぼってまとめて書いた。
想いも伝える、感謝も伝える、どっちもやる。
そして神に祈った。
ちょうど「神様は道は開いてくれるけど、進むのは自分だよ」って言葉を目にしたからだ。3/24(金)の当初天気予報は曇りだった。私は病的に晴れが好きなので、少しでも青空が見えたら勇気をもらえるだろうなと思った。「明日、昼休憩の時間にちょうど先輩が一人で喫煙所にいて少しでも青空が見えるシチュエーションに出会えますように。そうなったら、私は絶対に覚悟決めて踏み出すので!!」
果たして神様は、過分なまでに願いを聞き届けた。
初夏のような快晴。満開になった桜。心が軽くなるような温かい風。雨上がりの土の匂い。
青空と桜の色彩に背中を押され、覚悟を決めて飛び出した。
まずお菓子と手紙が入った袋を渡して。
それからもう一つ伝えたいことがありますと前置きして。
私が絞り出す言葉を待ってくれているのがよく分かった。
微笑みが残酷なほどやさしいなと思った。
告げた後の「ありがとうございます」がとても冷静で、そのトーンで結果が分かった。
いろいろとありがたいことを言ってくれたけど、あんまり覚えてない。
ただ、自分がダメージ受けているのを意外に感じていた。
泣きそうになるくらいには、結構本気で好きだったんだなあ。
喫煙所をあとにして散歩に出かけた。午後にはメンタルを整える覚悟があったとはいえ、直後くらい気まぐれに散歩してもいいだろうと思った。何より、春めいた世界を感じていたかった。
胸は痛いし苦しいが、吹っ切れてもいた。
息を吸う度に、胸を爽やかな風が駆け抜けていく。
桜と新緑と青空を目に焼き付けながら、泣き笑いした。
今日の世界は鮮やかで、私の感性もきっと研ぎ澄まされている。
今なら何より美しい写真が撮れるなと思ってスマホを出した。
今考えても、もちろん失恋は辛いことだけど、あの先輩とそんな話ができた瞬間があったことに、少しばかり幸福を感じる。告白した一瞬だけは、先輩は仕事関係なく私の話を真っ直ぐに聞いてくれた。私の本音を聞いてくれた。そしてやさしくはっきりと断った。爽やかな結果だなと思うのは、ちょっと美化しすぎだろうか。
さて、人生を生き直そう。