![]() |
推しソシャゲの展示会を見に行くために、東京に1泊した。
楽しいオタ活の時間が終わり、今日は休み明けの出勤日。
昨日の夜の時点で思っていたことだけど、「明日は仕事か・・・。また現実に戻るのか、やだなぁ・・・」という気分は全然なくて、むしろ「明日からまた頑張ろう」というメンタルになっているのが、嬉しいことだけど、なんか意外で、驚いた。
楽しい時間であればあるほど、休み明けは気が重たいものだ。今までの旅行ではたいていそうだった。再び始まる特に楽しみのない日常に耐えられなくて、新しいゲームを買うことを決めたり、次の旅行の予定を早々に立てたりもした。楽しい時間だったと思えば思うほど、休み明けのメンタル落差に耐えられるのか不安になっていた。
それがどうだ、かつてないほど心中穏やかだ。
昨夜の時点では「まだ旅行の余韻に浸っていて仕事の現実味を感じていないだけでは」と半信半疑だったけど、今朝になっても平気だったし、仕事が始まっても平気だった。ずっと、「旅行楽しかったな」という静かな喜びと、「これからもっと良い自分になれるようにがんばろう」という充実感に満ちている。すごい。悟り開いたかもしれん。
余韻と充実感がとても心地よい。こうなった要因はいくつかあるのだろうけど、とりあえず言えることは、激情に支配されないのって、いいな、ってこと。
正直、私は「大きな落ち込みは大きな喜びの代償。感情の振れ幅は大きい方が人生面白いに決まってる」と思っていた部分があって、周りに迷惑をかけなければ感情ジェットコースター人間でいたいなと思っていた。それが体力も精神力も摩耗することはよく分かっていたけど、激情と人生を楽しむ行為は切り離せないと信じていた。たとえば、己の「楽しい!」を増幅させるために、自分を分析して「楽しいと感じるもの」を突き詰めないといけないと思っていた。生きる喜びを感じるためには「楽しい」を得ないといけないし、楽しくないものは価値が無い、楽しくない人生は価値が無い、、、。自分の行為を感情ベースで考えると、実は結構苦しいんだよね。もちろんそうしてきた努力(と呼べるかどうかは分からないが)が無駄だったとは思わないし、苦しんだ経験があるからこそ、今の気持ちに価値を感じるんだろうけど。
まぁそういうわけで、静かな喜びが胸を満たすのも、だいぶ幸せだってことを知った。
今は憑き物が落ちたみたいに、穏やかで肯定的な気持ちで現実を見ている。
じゃあ、なんでこんなに穏やかに考えられるようになったかを考える。
1 単純に旅行がリフレッシュになった
日帰りじゃ駄目なんだよな。バスで運ばれるのも旅をしている感覚があって好き。知らない町に行くのもリフレッシュになって好き。
2 推しキャラに会えた効果で悟りを開いた
可能性としては高い。推しの前に立った時点でだいぶ胸中穏やかだった。
3 経験が刺激になった
会場でいろんなオタクの姿を見て「推し活って十人十色だよな。それぞれの推し活があるって素敵だな。私も自分の理想に妥協しないよう、後悔しないようにやりたい」という悟りを開いた感はたしかにある。久々に都会に出て色んなものを見て経験したことが、刺激になった。「経験」が私を豊かにするということを思い出した。
4 オタクであることにふっきれた
今回の旅行は同じコンテンツを推しているリア友(月1くらいでしか会えない)と行ったんだけど、オタクが二人そろったらやることは「語りつくす」しかないわけで。これでもかというほどその世界のことを語って考えて妄想しているうちに、自分の中でもその世界がどんどん鮮明になっていって、もうほぼ脳内に世界が構築されたと言ってもいい具合になった。この感覚が創作物を好きになることの醍醐味だよなと思う。自分の中にリアルとは違う世界があって、その気になれば、理性がゆるせば、いつでも脳内でアクセスできる。ここまでディープに沼ると、たとえこのソシャゲがサービス終了しても、私の脳内には世界が生き続ける。実際、学生時代にずっとはまっていたソシャゲの世界は、幸か不幸かまだ私の脳の中にある。(日食の中の悪魔城も、とんでもなく増築された黒薔薇学園も、もちろんある。)想像すればするほど脳内の映像が鮮明になる。この感覚がすごく好きだなってことを思い出して、あぁ、こういうタイプのオタクでいたいな・・・って、じんわり思ったりした。
5 達成感を味わったから
実はこの展示会に行くまでに「少しはマシな見た目の人間になろう」と思って運動を始めていた。出来る範囲でやろうくらいのユルさだったから、運動が得意な人には微細すぎる努力でしかなかっただろう。でも、怠惰な寝坊魔が、「推しキャラに会うから」というだけの動機で毎朝早起きしてジョギングできたのは奇跡に近い。「会うから」というよりは、「『会う』という表現を使いたかったから」の方が動機としては近いかもしれない。声優イベントでもライブでも何でもなくマジでただの展示会において、「会う」要素はなにもないんだけど、「観に行く」より「会いに行く」と思い込む方が面白いと、この頃から既に考えていたんだろうな。そして「会いに行く」思考に厚みをもたせるために選んだ行為が、「己を磨く」ことだった。「努力して会いに行くこと」が動機の根幹だったから、ダイエットが成功したかしなかったかにかかわらず、なんかもう等身大パネルに会えただけで嬉しさ爆発だったのも、納得がいく。(実際、体重は全然減らなかった。筋肉がついただけだった)そりゃ悟りも開くわな。
6 推しへの憧れを再認識したから
かつてないほどコンテンツに浸った日々で推しのことを考えるのは当然だと思う。私はどうして彼が好きなのか? 答えは意外とすんなり出た。「強くてかっこいい」から。剣士として物理的に強いのもあるけど、精神的に「何者にもビビらない、強い自分でありたい」という気概が人一倍強いところが『強いな』って思うんだよな(「強い」の大渋滞)。理想の自分、理想の強さになるために己を貫くところがかっこいい。己の美学を持っている所に憧れる。・・・そういう推しを見ていると、私も「強くなりたいな」と思う。
この「強くなりたい」は漠然としたものだから明確な目標も立てづらいんだけど、ただ、今の私はどちらかと言えば明らかに「強くはない」ので、何かしらの方向に成長することが即ち強くなることだと思うんだよね。体力をつけることでも、知識をつけることでも、出来ることを増やすことでも、なんでもいい。私にとっての「強くなりたい」は言い方を変えれば、「向上心を持ちたい」なんだろうな。
・・・それぞれ繋がっているようでいて、脈絡がないような、まとめるのも面倒なような。
まぁそもそも、「感情ベースで考えると苦しい」とか言いながら「今の感情が珍しいから日記に残す」ような人間の思考回路なんて、荒唐無稽で当然なのかもしれない。書き残せたことには満足しているから、答えを出すのが目的ではないんだけど。
これこそ原因がわからないが、10月は結構メンタルが死んでいた。元気だったなーと思うのは、推しキャラの誕生日(10/20)くらいで、あとはなんか楽しいことに参加していても、もちろん一時的には楽しいんだけど、ふとした瞬間に「はよ休みたい」って思っていたような気がする。
旅行前の3日間が特にひどかった。仕事を終えてなんとか夕方に帰宅するも、気力という気力が消失しているので何もできず、寝込む。時々うめき声をあげる。体調が悪いわけじゃないんだけど、どうしようもなく重たい胸の内をすこしでも軽くしたくて、口を開いて、でも言葉を紡げるほど元気じゃないので、うめき声をあげるしかない。そんな状態で寝込んで翌日を迎えても、気分は死んだまま。なんで睡眠時間しっかりとったのに私の心は元気じゃないんだ・・・睡眠じゃなくて読書かゲームでもしていた方が救われたかな・・・でももう朝だし、仕事行かないといけないし・・・。という状態で支度して、もちろん仕事中も疲れやすくてイライラしがちだった。今思うとほんと、無事でいてくれてありがとうって感じだ。きっと何かが自分を追い詰めていて、疲れていたんだと思う。疲れを無視して先送りし続けた結果、爆発してしまったんだろうねぇ。
旅行を経てこれが少しでも改善されたらいいなと思っていたので、今日こうして穏やかな気持ちで働けて本当に良かった。人間、リフレッシュが大事。当たり前すぎて忘れがちだけど、本当にその通り。要因がどうだったとかよりも、今は「メンタル回復してよかったな」と思う。
ここまで書けばさすがに満足する。また自分を見失った時は、これを見返そう。
穏やかに眠れる夜が続きますように。
これからも色々なものを吸収して、経験して、私の脳内が豊かになりますように。