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登山から帰ってきて早々仕事がごたついて日記どころじゃなくなったのだが、日を経るごとに感動も書きたいことも消えていってしまうので焦って今これを書いている。
とにかく高いところが好きだ。高いものを見上げるのも、高所から見下ろすのも好き。
自分が住んでいる東海地方付近に、日本一高くて整備されている山がある。
登る動機には十分だろう。
たとえ雨でも霧でも、禁止されない限りは登るつもりでいたけど、やっぱり晴れた富士山に登りたいに決まっている。自分は別に天気に運がいい方ではないし、今までの旅でも悪天候ばかり引いてきた。それでも「山の天気は最後まで分からない」とあんまり良い意味では使われない言葉に縋って毎日天気予報をチェックして、出発までの2週間は祈り続けていた。ちょうど梅雨真っただ中で曇天が続き、憂い事がなくても気持ちが沈むような日々だ。不安を抱えながら過ごす6月後半、「なんとなくしんどい」状態が続いてつらかった。
だからこそ、登山日の7月2日、青空が見えたことがどれだけ嬉しかったか。いてもたってもいられずに登り始めた。もちろん道中はめちゃめちゃしんどかったけど、『予想以上の晴天の中、心置きなく登山ができる』ことに、最高に充実を感じていた。
ここから時系列順に書きたいことを書いていく。
7月1日
自宅を出て名古屋からバスで静岡県へ。高山病がなにより怖かったので、初日は富士5合目で一泊し、2,000m級の高所に体を慣らす。そして2日目は8合目の山小屋を予約済みという、なんとも時間と金をかけた旅程。恥ずかしい話だが富士山のことを何も知らずに「とりあえず山小屋の予約さえ勝ち取っておけば困らないだろう」の精神で組んだので、かなり余裕ありまくりのスケジュールになっていた。だって登るのに11時間くらいかかるんじゃないかって本気で思っていたんだよ・・・5合目から6時間で登れるってガイドブックで読んだ時にようやく自分の異常さに気が付いた。
バスからバスを乗り継いで富士山に近づいていく。
途中でふと読んだネットニュースに「今年の富士山は7/10からお鉢巡り解禁」の文字。えっ7月10日???と二度見。そして真っ白になる頭。お鉢巡りとは、富士山山頂の噴火口をぐるっと一周すること。そのお鉢巡りにも高低差があって、道中に3,776mの日本最高峰ポイントがある。雪解けと登山道の安全確保が出来ないという理由から、とりあえず山開きの7/1~7/9までは解禁しないらしい。・・・ということは、私は「日本最高峰」看板にも会えないし、そもそも3776mに到達することもできないってことだ。いやいやいや登る意味あるそれ!?日本で1番高いところに立つために来たんだが!?
己の勉強不足を棚に上げて憤慨する。そりゃ7月初旬が「登山者が比較的少なくて穴場!」とか言われるわけだ。そもそも梅雨シーズンだし、数ある登山道のうち一つしか解禁されてない時期だし。だから私でも山小屋の予約が取れたわけだ。あぁ、大人しくハイシーズンに計画しとけばよかったものを。でも少しでも人混みのない可能性をつかみたい気持ちも確かにあった。
このときの天気は曇時々雨。富士山の姿は分厚い雲に覆われていて、明日の天気も疑わしく、なんとなく憂鬱な気持ちで次のバスを待った。
最後のバスで「富士スバルライン5合目」へ。車でいけるのはこの5合目まで。吉田ルートと呼ばれる登山道の入口であり、土産物が売っていたり宿泊施設があったりと、ちょっとした町みたいになっている。ちなみにバスは満員だったが、日本人は誇張なしに1割くらいしかいなかった。
バスが5合目に近づくにつれて、体の異変を感じた。バイクで長距離かっ飛ばしたあとみたいな、身体中の血液が巡りきっていないような、ふわふわした感じ。朝が早かった疲れとか、いよいよ登山口が近づいてきた緊張とか、5合目で既に標高は2,000mを超えているから高山病の初期症状なのかもとか、色々原因がよぎる。とりあえずお茶を飲んで深呼吸して隣の人にバレない程度に鼻歌をうたって気を紛らわせて、深刻化しないように祈った。なんとなく変だ、くらいの違和感なら、宿泊施設に着いて休んでいれば治るだろう。もし悪化して本格的に高山病になってしまったら、山を下りるまで治らない。「お鉢巡りやりたかったなー」なんて脳天気なことを言っている場合ではない。気を引き締めないと登山すらままならいことを実感した。
食堂でカレーを食べて、登山挑戦記念になぜか友人に手紙を書いて5合目の郵便局に出して、神社で登拝守を買って、宿泊施設(カプセルホテル)にチェックイン。やることもないし、とにかく体調を治したかったので、酸素ボンベを時々吸って、18時には布団に入った。・・・ただいくら朝が早かったとはいえ、1日バス移動だけしてきた人間がそんな時間に寝られるはずもなく、「寝たいけど寝られない」戦いを続けて、寝ては起きてを繰り返した。
7月2日
事前に作ったスケジュールでは6時には登山開始のつもりだった。だが寝ては起きての攻防がいい加減耐えられなくなって、3時にもう起きることにした。着替えて荷物を詰め直し、いざ、登山口に入ったのは4時26分。
夜明け前。まだ薄暗いというのに登山客はまばらにいた。体調は問題なし。頭痛も消えている。夜に降った雨で地面は濡れていたし、空も雲に覆われていたが、徐々に明るくなって世界の色彩が濃くなるごとに、青空の面積が増えていった。雨が降っていない、自分の体調に問題が無い。たったそれだけのことがなんとも不思議で、ありがたかった。立ち止まっているより体を動かしていたくて、無心で歩き続けた。
6合目に着いた頃から、平坦な道が終わり、坂道が始まる。
空はすっかり晴れて、何もかもがよく見えた。
7合目手前くらいからガレ場と岩場。急登に息が上がる。
時間だけは余裕があったので(山小屋を予約しているから今日中に下山する必要もない)、とにかく疲れすぎて潰れることが無いように、他の人に抜かされるのも構わず、ちょっと登っては休憩してを繰り返した。冒頭にも書いたが、こんな良い天気に恵まれ、憂いなく登ることだけに集中できる『充実感』が幸福だった。遅いペースでも確実に進み続けているサクセス感があり、時間的な心の余裕があり、体調もよい。純粋に登ることを楽しめる。自分を信じて進み続けられる。こんな素敵な登山はそうそうない。
今思い返しても ”良い時間だった” と心から言える。
7:45、8合目(3,020m)に着く。ここまでくると肩で息をしているのが当たり前になってきて、登るから疲れるのか、酸素が薄いから息が上がるのか、そんなことを考える余裕もなくなってくる。ちょうど同じペースで登ってきていた見知らぬ英語圏ニキを勝手に心の中で応援しつつ、仲間意識を持って登り続けた。
9:42、長かった8合目ゾーンを抜ける。
10:00、9合目。写真を撮る余裕もない。
11:00、富士山頂に届く。
山頂についたときは、「あ、ここで終わりなんだ」と思った。随分あっさりした感想。9合目から山頂まであんなにきつかったのに、達成感よりも先に、旅が唐突に終わった驚きがあった。本来なら神社に郵便局に山小屋にとにぎわっていたであろう山頂は、お鉢巡りが解禁されていないせいか全ての建物が閉まっていて、廃墟の町にたどり着いたような気分だった。
山頂からの景色。飛行機から見ているような空の青さ。雲の上。
日本一高いところでポテチの袋がどれだけふくらむのか、気になって持ってきていたけど、山頂でザックを開いたらいつの間にか破裂していた。仕方がないのでそのままパーティ開けしてぼりぼり食べた。山頂は寒かった。夏のギラギラした日差しが照りつけるのに、空気はひんやりしていて、風は凍てついている。登るときは汗もかくし涼しい格好をしていたけど、景色を眺める間は雨具を羽織った。
夢の1つを達成した気持ちで下山を開始する。8合目で山小屋を予約してるっていうのに、登ることに集中しすぎて結局山頂まで行ってしまった。山頂から美しい青空が見られたことにかなり満足していたから、後悔はしていない。ただ8合目~山頂までの道のりは本当に大変できつかったので、ご来光のために翌朝登るのは止めよう・・・とぼんやり考えていた。
下山中、下界の景色がはっきり見える瞬間があって、何枚も写真を撮った。
富士山は南アルプスみたいな連なる山とは違って、山に囲まれているわけでもなく、麓には山梨の町が広がっている。頂上から海抜の低い平地まで一気に見下ろせる景色が不思議で新鮮でたまらなくて、じーっと見入っていた。今見ても空気が綺麗すぎる。なんてクリアな景色なんだ。
さて、素敵な登山だったわけだが、残念ながら良い思い出だけでは旅は終わらない。
本8合目まで下山し、予約していた山小屋にチェックインする。14時ごろだったと思う。カプセルホテルと同じ大きさのひとり部屋。今どきの山小屋は雑魚寝じゃなくて一応部屋がある。あったかい布団もある。さすがに登山の疲労があって、とりあえず布団にダイブして昼寝した。
日が暮れる頃、夕食の時間。寒すぎてダウンを着る。夕食の最中に山小屋の人が「山頂で日の出を見る方は深夜2時頃には起きてアタックする必要があります」と解説してくれる。寒さでかなりテンションが落ちていたので、山頂でご来光を見ようという気にはならなかった。日の出を見るだけなら山小屋からでも十分だろう。
夕食を食べても寒くて、ダウンを着たまま布団に入った。寒かった。
夜中、なんか嫌な汗をかいて目が覚める。
とにかく高いところが好きだ。高いものを見上げるのも、高所から見下ろすのも好き。
自分が住んでいる東海地方付近に、日本一高くて整備されている山がある。
登る動機には十分だろう。
たとえ雨でも霧でも、禁止されない限りは登るつもりでいたけど、やっぱり晴れた富士山に登りたいに決まっている。自分は別に天気に運がいい方ではないし、今までの旅でも悪天候ばかり引いてきた。それでも「山の天気は最後まで分からない」とあんまり良い意味では使われない言葉に縋って毎日天気予報をチェックして、出発までの2週間は祈り続けていた。ちょうど梅雨真っただ中で曇天が続き、憂い事がなくても気持ちが沈むような日々だ。不安を抱えながら過ごす6月後半、「なんとなくしんどい」状態が続いてつらかった。
だからこそ、登山日の7月2日、青空が見えたことがどれだけ嬉しかったか。いてもたってもいられずに登り始めた。もちろん道中はめちゃめちゃしんどかったけど、『予想以上の晴天の中、心置きなく登山ができる』ことに、最高に充実を感じていた。
ここから時系列順に書きたいことを書いていく。
7月1日
自宅を出て名古屋からバスで静岡県へ。高山病がなにより怖かったので、初日は富士5合目で一泊し、2,000m級の高所に体を慣らす。そして2日目は8合目の山小屋を予約済みという、なんとも時間と金をかけた旅程。恥ずかしい話だが富士山のことを何も知らずに「とりあえず山小屋の予約さえ勝ち取っておけば困らないだろう」の精神で組んだので、かなり余裕ありまくりのスケジュールになっていた。だって登るのに11時間くらいかかるんじゃないかって本気で思っていたんだよ・・・5合目から6時間で登れるってガイドブックで読んだ時にようやく自分の異常さに気が付いた。
バスからバスを乗り継いで富士山に近づいていく。
途中でふと読んだネットニュースに「今年の富士山は7/10からお鉢巡り解禁」の文字。えっ7月10日???と二度見。そして真っ白になる頭。お鉢巡りとは、富士山山頂の噴火口をぐるっと一周すること。そのお鉢巡りにも高低差があって、道中に3,776mの日本最高峰ポイントがある。雪解けと登山道の安全確保が出来ないという理由から、とりあえず山開きの7/1~7/9までは解禁しないらしい。・・・ということは、私は「日本最高峰」看板にも会えないし、そもそも3776mに到達することもできないってことだ。いやいやいや登る意味あるそれ!?日本で1番高いところに立つために来たんだが!?
己の勉強不足を棚に上げて憤慨する。そりゃ7月初旬が「登山者が比較的少なくて穴場!」とか言われるわけだ。そもそも梅雨シーズンだし、数ある登山道のうち一つしか解禁されてない時期だし。だから私でも山小屋の予約が取れたわけだ。あぁ、大人しくハイシーズンに計画しとけばよかったものを。でも少しでも人混みのない可能性をつかみたい気持ちも確かにあった。
このときの天気は曇時々雨。富士山の姿は分厚い雲に覆われていて、明日の天気も疑わしく、なんとなく憂鬱な気持ちで次のバスを待った。
最後のバスで「富士スバルライン5合目」へ。車でいけるのはこの5合目まで。吉田ルートと呼ばれる登山道の入口であり、土産物が売っていたり宿泊施設があったりと、ちょっとした町みたいになっている。ちなみにバスは満員だったが、日本人は誇張なしに1割くらいしかいなかった。
バスが5合目に近づくにつれて、体の異変を感じた。バイクで長距離かっ飛ばしたあとみたいな、身体中の血液が巡りきっていないような、ふわふわした感じ。朝が早かった疲れとか、いよいよ登山口が近づいてきた緊張とか、5合目で既に標高は2,000mを超えているから高山病の初期症状なのかもとか、色々原因がよぎる。とりあえずお茶を飲んで深呼吸して隣の人にバレない程度に鼻歌をうたって気を紛らわせて、深刻化しないように祈った。なんとなく変だ、くらいの違和感なら、宿泊施設に着いて休んでいれば治るだろう。もし悪化して本格的に高山病になってしまったら、山を下りるまで治らない。「お鉢巡りやりたかったなー」なんて脳天気なことを言っている場合ではない。気を引き締めないと登山すらままならいことを実感した。
食堂でカレーを食べて、登山挑戦記念になぜか友人に手紙を書いて5合目の郵便局に出して、神社で登拝守を買って、宿泊施設(カプセルホテル)にチェックイン。やることもないし、とにかく体調を治したかったので、酸素ボンベを時々吸って、18時には布団に入った。・・・ただいくら朝が早かったとはいえ、1日バス移動だけしてきた人間がそんな時間に寝られるはずもなく、「寝たいけど寝られない」戦いを続けて、寝ては起きてを繰り返した。
7月2日
事前に作ったスケジュールでは6時には登山開始のつもりだった。だが寝ては起きての攻防がいい加減耐えられなくなって、3時にもう起きることにした。着替えて荷物を詰め直し、いざ、登山口に入ったのは4時26分。
夜明け前。まだ薄暗いというのに登山客はまばらにいた。体調は問題なし。頭痛も消えている。夜に降った雨で地面は濡れていたし、空も雲に覆われていたが、徐々に明るくなって世界の色彩が濃くなるごとに、青空の面積が増えていった。雨が降っていない、自分の体調に問題が無い。たったそれだけのことがなんとも不思議で、ありがたかった。立ち止まっているより体を動かしていたくて、無心で歩き続けた。
6合目に着いた頃から、平坦な道が終わり、坂道が始まる。
空はすっかり晴れて、何もかもがよく見えた。
7合目手前くらいからガレ場と岩場。急登に息が上がる。
時間だけは余裕があったので(山小屋を予約しているから今日中に下山する必要もない)、とにかく疲れすぎて潰れることが無いように、他の人に抜かされるのも構わず、ちょっと登っては休憩してを繰り返した。冒頭にも書いたが、こんな良い天気に恵まれ、憂いなく登ることだけに集中できる『充実感』が幸福だった。遅いペースでも確実に進み続けているサクセス感があり、時間的な心の余裕があり、体調もよい。純粋に登ることを楽しめる。自分を信じて進み続けられる。こんな素敵な登山はそうそうない。
今思い返しても ”良い時間だった” と心から言える。
7:45、8合目(3,020m)に着く。ここまでくると肩で息をしているのが当たり前になってきて、登るから疲れるのか、酸素が薄いから息が上がるのか、そんなことを考える余裕もなくなってくる。ちょうど同じペースで登ってきていた見知らぬ英語圏ニキを勝手に心の中で応援しつつ、仲間意識を持って登り続けた。
9:42、長かった8合目ゾーンを抜ける。
10:00、9合目。写真を撮る余裕もない。
11:00、富士山頂に届く。
山頂についたときは、「あ、ここで終わりなんだ」と思った。随分あっさりした感想。9合目から山頂まであんなにきつかったのに、達成感よりも先に、旅が唐突に終わった驚きがあった。本来なら神社に郵便局に山小屋にとにぎわっていたであろう山頂は、お鉢巡りが解禁されていないせいか全ての建物が閉まっていて、廃墟の町にたどり着いたような気分だった。
山頂からの景色。飛行機から見ているような空の青さ。雲の上。
日本一高いところでポテチの袋がどれだけふくらむのか、気になって持ってきていたけど、山頂でザックを開いたらいつの間にか破裂していた。仕方がないのでそのままパーティ開けしてぼりぼり食べた。山頂は寒かった。夏のギラギラした日差しが照りつけるのに、空気はひんやりしていて、風は凍てついている。登るときは汗もかくし涼しい格好をしていたけど、景色を眺める間は雨具を羽織った。
夢の1つを達成した気持ちで下山を開始する。8合目で山小屋を予約してるっていうのに、登ることに集中しすぎて結局山頂まで行ってしまった。山頂から美しい青空が見られたことにかなり満足していたから、後悔はしていない。ただ8合目~山頂までの道のりは本当に大変できつかったので、ご来光のために翌朝登るのは止めよう・・・とぼんやり考えていた。
下山中、下界の景色がはっきり見える瞬間があって、何枚も写真を撮った。
富士山は南アルプスみたいな連なる山とは違って、山に囲まれているわけでもなく、麓には山梨の町が広がっている。頂上から海抜の低い平地まで一気に見下ろせる景色が不思議で新鮮でたまらなくて、じーっと見入っていた。今見ても空気が綺麗すぎる。なんてクリアな景色なんだ。
さて、素敵な登山だったわけだが、残念ながら良い思い出だけでは旅は終わらない。
本8合目まで下山し、予約していた山小屋にチェックインする。14時ごろだったと思う。カプセルホテルと同じ大きさのひとり部屋。今どきの山小屋は雑魚寝じゃなくて一応部屋がある。あったかい布団もある。さすがに登山の疲労があって、とりあえず布団にダイブして昼寝した。
日が暮れる頃、夕食の時間。寒すぎてダウンを着る。夕食の最中に山小屋の人が「山頂で日の出を見る方は深夜2時頃には起きてアタックする必要があります」と解説してくれる。寒さでかなりテンションが落ちていたので、山頂でご来光を見ようという気にはならなかった。日の出を見るだけなら山小屋からでも十分だろう。
夕食を食べても寒くて、ダウンを着たまま布団に入った。寒かった。
夜中、なんか嫌な汗をかいて目が覚める。
上体を起こすと嘔吐感。やべぇと思ってとりあえず深呼吸する。頭痛はないから、高山病ではないと思うが、全身汗をかくくらいには暑いのに、身体の芯はぞくぞくするほど寒い。体温調節機能がバグっている。これはそう、熱が出た時の感覚ではないか・・・。まだ軽い高山病の方がマシだなと思いつつ経過を見る。目眩がする・・・気がする。狭い天井を見上げて、こんなところで高熱だしても助けなんか呼べないし、ボロボロになりながら下山するしかないし、そもそも下山できるほど気力あるのか、ああ午前中だけで山頂行けたんだから、山小屋は諦めて下山すれば良かった・・・なんて一気に不安が湧いてきて、パニック起こすかと思った。
それでも布団の中でうずくまっていても気分は変わらないと思って、思い切って外に出た。トイレにしばらくこもって(腹が痛かったので)、ありがたいことに売店が24時間やっているので、ホットココアを飲んでから寝床に戻る。トイレまで歩いてみた感じ、熱っぽいわけではなさそうで少しだけ安心した。それでも気温の変化に体がついてきてない感じはするので、明るくなったら無理せずとっとと下山しようと思った。
睡眠中は呼吸が浅くなるので、高山病のリスクが高まるという。ただでさえ山小屋という建物の中は、外に比べて酸素が薄くなりがちだ。隣の寝床の人も、ずっとうなされてて苦しそうだった。改めて、ここは標高3000m越えの極地、誰もが体調万全とは限らない、平地とは違う極限空間なのだと思い知る。ちなみにこのとき、スマホのメモアプリには「グロッキー山小屋」とだけ書き残していた。
7月3日
次に目が覚めたのは朝4時。自分でかけたアラームで目が覚めた。
山小屋に残っているのは、体調が悪そうなメンバーを抱えたパーティと自分だけ。他の人は夜明け前に山頂を目指してアタック開始したのだろうか。もう知る由もないけれど。
芯まで凍えるような寒さはなくなっていたが、やはり不安の方が大きくて、日の出と共に下山しようという決意が固まっていた。荷物を準備して、日が昇るのを待つ。一人で見る日の出の感想は大体いつもおなじだ。きれいとか感動するとかじゃなくて、「今日が明るく照らされたことへの安堵」これに尽きる。
のんびりしすぎると山頂からご来光を眺めた人々が下山するピークに巻き込まれると思って、明るくなってそうそうに山小屋を後にした。「お世話になりました」ってスタッフさんに挨拶して、下山道(8合目以下は登りとは違う道を行く)に向かう。昨日は登ることが生きがいでやめられないって感じだったのに、今はとにかく、下界が恋しい。不安になるくらい焦っていた。
それでも日は登るし、今日も今日とて良い天気だ。気持ちとは裏腹に、景色は色鮮やかで幻想的で現実味が無かった。不安を抱えながらも、どうしても景色に魅了される。異世界にひとり取り残されたような寂しさがあった。
朝日、赤土の道、青空、下界の緑、雲海・・・。全てが鮮やかで美しい。風も穏やかで人の気配もなく、喧噪も木々のざわめきもない、本当に静かな時間だった。
眼下に樹海が広がっていて、あんなにはっきりと緑が見えるのに、歩いても歩いても森が近くならない。こんなに緑が恋しくなるなんて思わなかった。あとどれくらい歩けば森にたどり着けるか、そんなことばかり考えていた。
そうして2時間くらい経った頃だろうか。もう「あとどれくらい~」とか考えることにも疲れてほぼ無心で人気のない道を下り続けていたとき、ふいに鳥の鳴き声が聞こえた。はっとして見渡すと、新緑の木々が生えている。取るに足らないただの木立なのに、「木が生えるところまで降りてきたんだ・・・」という感動がじーんと胸を打った。泣きそうになるくらいの衝撃だった。今回の旅について、最も深く残る思い出は、幸福さえ感じたアタックの充実感でも、素敵な景色でも、ましてやグロッキー山小屋でもないと思う。必死で下山する中、木立を見つけて、“緑のある世界に帰ってきた”と思った。地に草が生えているのが、木々が根付いているのが嬉しかった。生き物がいるべき場所という感じがした。
進み続けるにつれ、森は深くなる。湿った土の匂い、雑木林の涼しさ、草むらの匂い、そんなものを感じながら、森が好きだなぁと思った。
7:00、5合目に戻ってきた。下山が完了した。
ケガもなく、深刻な体調不良もなく、一人でよくやったと思う。
その後はバスで新宿に出て、とりあえず銭湯に行って、新宿アニメイトでちょうどコラボショップやってる推しコンテンツのグッズを買い込んで新幹線で帰宅した。富士山を経てもなお推し活に割けるエネルギーがあって良かった、というよりは、オタクだったから帰りも楽しめて良かった、というべきか。推しの等身大パネルを見てしまったらエネルギー湧きまくるに決まってる。
総評
今までのアウトドア経験をつぎ込んだ集大成みたいな旅だった。靴擦れ予防のために少しでも違和感を感じた時点で絆創膏を貼るとか、行動食をこまめに取るために常にポケットにチョコレートを入れておくとか、限られた積載量のザックに2泊3日分の荷物を詰め込む方法とかね。過去の経験が自分を支えているみたいで嬉しかった。こういうことの積み重ねがあれば、憧れの「肝の据わった人間」に近づけるだろうか。
旅のお供に「星野道夫」という写真家のエッセイ集を持っていたのが功を奏した。アラスカの自然を愛した筆者の自然観が、富士山という未知の自然に挑む自分の視点とリンクして、全然違う世界の話なのに没頭できた。旅に持ってきた本がマッチするというのは、けっこう嬉しい体験である。自然に触れると、たとえ普段は都市に暮らしていても、大自然にも自分と同じ時が流れていると思えるような想像力を得られる・・・という話(かなり要約してるけど)が特に好きだった。今こうして私が3時間かけて日記を書いている間にも、あの富士山の山小屋には誰かが泊まり、山頂では風が吹きすさぶ。その光景を想像できるだけで、なんだか世界が広がった気がするのだ。
新しい世界を通り抜けた自分は、少しだけ強くなれたような気がする。強くなるために登ったわけじゃないけど、登って良かったと思う。全体的に、言葉にするのを諦めるほど景色が良かった。いま見返しても、ファンタジーかよってくらい美しい。きっと時が経てばグロッキー山小屋のつらい記憶も薄れて、ただ「きれいな登山だった」という思い出だけが残るだろう。それはそれで寂しいよね。辛いも、苦しいも、飲み込んだうえで帰ってきたのにさ。だからこそ、こうして日記を書き上げられて良かった。ここまでやって、ようやく私の旅は完成する。
おつかれさまでした。
7月3日
次に目が覚めたのは朝4時。自分でかけたアラームで目が覚めた。
山小屋に残っているのは、体調が悪そうなメンバーを抱えたパーティと自分だけ。他の人は夜明け前に山頂を目指してアタック開始したのだろうか。もう知る由もないけれど。
芯まで凍えるような寒さはなくなっていたが、やはり不安の方が大きくて、日の出と共に下山しようという決意が固まっていた。荷物を準備して、日が昇るのを待つ。一人で見る日の出の感想は大体いつもおなじだ。きれいとか感動するとかじゃなくて、「今日が明るく照らされたことへの安堵」これに尽きる。
のんびりしすぎると山頂からご来光を眺めた人々が下山するピークに巻き込まれると思って、明るくなってそうそうに山小屋を後にした。「お世話になりました」ってスタッフさんに挨拶して、下山道(8合目以下は登りとは違う道を行く)に向かう。昨日は登ることが生きがいでやめられないって感じだったのに、今はとにかく、下界が恋しい。不安になるくらい焦っていた。
それでも日は登るし、今日も今日とて良い天気だ。気持ちとは裏腹に、景色は色鮮やかで幻想的で現実味が無かった。不安を抱えながらも、どうしても景色に魅了される。異世界にひとり取り残されたような寂しさがあった。
朝日、赤土の道、青空、下界の緑、雲海・・・。全てが鮮やかで美しい。風も穏やかで人の気配もなく、喧噪も木々のざわめきもない、本当に静かな時間だった。
眼下に樹海が広がっていて、あんなにはっきりと緑が見えるのに、歩いても歩いても森が近くならない。こんなに緑が恋しくなるなんて思わなかった。あとどれくらい歩けば森にたどり着けるか、そんなことばかり考えていた。
そうして2時間くらい経った頃だろうか。もう「あとどれくらい~」とか考えることにも疲れてほぼ無心で人気のない道を下り続けていたとき、ふいに鳥の鳴き声が聞こえた。はっとして見渡すと、新緑の木々が生えている。取るに足らないただの木立なのに、「木が生えるところまで降りてきたんだ・・・」という感動がじーんと胸を打った。泣きそうになるくらいの衝撃だった。今回の旅について、最も深く残る思い出は、幸福さえ感じたアタックの充実感でも、素敵な景色でも、ましてやグロッキー山小屋でもないと思う。必死で下山する中、木立を見つけて、“緑のある世界に帰ってきた”と思った。地に草が生えているのが、木々が根付いているのが嬉しかった。生き物がいるべき場所という感じがした。
進み続けるにつれ、森は深くなる。湿った土の匂い、雑木林の涼しさ、草むらの匂い、そんなものを感じながら、森が好きだなぁと思った。
7:00、5合目に戻ってきた。下山が完了した。
ケガもなく、深刻な体調不良もなく、一人でよくやったと思う。
その後はバスで新宿に出て、とりあえず銭湯に行って、新宿アニメイトでちょうどコラボショップやってる推しコンテンツのグッズを買い込んで新幹線で帰宅した。富士山を経てもなお推し活に割けるエネルギーがあって良かった、というよりは、オタクだったから帰りも楽しめて良かった、というべきか。推しの等身大パネルを見てしまったらエネルギー湧きまくるに決まってる。
総評
今までのアウトドア経験をつぎ込んだ集大成みたいな旅だった。靴擦れ予防のために少しでも違和感を感じた時点で絆創膏を貼るとか、行動食をこまめに取るために常にポケットにチョコレートを入れておくとか、限られた積載量のザックに2泊3日分の荷物を詰め込む方法とかね。過去の経験が自分を支えているみたいで嬉しかった。こういうことの積み重ねがあれば、憧れの「肝の据わった人間」に近づけるだろうか。
旅のお供に「星野道夫」という写真家のエッセイ集を持っていたのが功を奏した。アラスカの自然を愛した筆者の自然観が、富士山という未知の自然に挑む自分の視点とリンクして、全然違う世界の話なのに没頭できた。旅に持ってきた本がマッチするというのは、けっこう嬉しい体験である。自然に触れると、たとえ普段は都市に暮らしていても、大自然にも自分と同じ時が流れていると思えるような想像力を得られる・・・という話(かなり要約してるけど)が特に好きだった。今こうして私が3時間かけて日記を書いている間にも、あの富士山の山小屋には誰かが泊まり、山頂では風が吹きすさぶ。その光景を想像できるだけで、なんだか世界が広がった気がするのだ。
新しい世界を通り抜けた自分は、少しだけ強くなれたような気がする。強くなるために登ったわけじゃないけど、登って良かったと思う。全体的に、言葉にするのを諦めるほど景色が良かった。いま見返しても、ファンタジーかよってくらい美しい。きっと時が経てばグロッキー山小屋のつらい記憶も薄れて、ただ「きれいな登山だった」という思い出だけが残るだろう。それはそれで寂しいよね。辛いも、苦しいも、飲み込んだうえで帰ってきたのにさ。だからこそ、こうして日記を書き上げられて良かった。ここまでやって、ようやく私の旅は完成する。
おつかれさまでした。
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死ぬほど焦る日もある。
インターネットの隅っこブログなので怖いもの知らずで書きたいことを書いていく。いつもより書きたいことを片っ端から詰め込んで冗長に書いていく。そうじゃないと、この「書き残したい」という気持ちが収まりそうにない。
6月2日、東海地方は未曾有の大雨。
各地で被害が出た。我が地元も被災した。
朝から大雨だったそうだ。避難指示が出て、避難所の開設員に指令が出た。開設員として(メールで)指令を受け取った私は、ディズニーランドでピノキオのアトラクションに並んでいるところだった。ちなみにディズニーランドも土砂降りの強風だった。
やっちまった、というのが第一感想。まさか自分が「旅行に出ているので避難所開設できませんー!」ムーブをする日がくるなんて...!! まぁ、予想してなかったわけではない。自分みたいなテキトーな奴は、いつかこういうありふれたゾッとしない“やらかし”をするものだと思っていた。それは本当。そう思っていたのに、ろくに対策せず希望的観測でのこのこと旅行に出かけてしまった。「大雨になるみたいだから旅行は中止しよう」と、一緒に行く友達に言えなかった。後悔がどっと湧く。この先どうしたらいいのかなんて考えられず、大混乱状態でアトラクションの順番が来た。混乱する頭で乗ったピノキオのトロッコは、内容の突飛さも相乗して、悪い夢を見ているみたいだった。
トロッコから降りて、とりあえず上司に電話することにした。今からでも帰るべきだと思う気持ちはもちろんあった。ただその判断が本当にベストなのか自信がなくて、帰るための背中を押して欲しかった。悪いけど帰ってこいと、そう言ってもらえれば決心がつく・・・「おつー。避難所のことで電話してきたんだべ? いや絶対帰ってくるほとじゃないから、帰ってこなくていいぞ。開設員もう1人いるんだから、なんとかなるって。今から帰ってきても時間かかるし、そんな時間にこっちきてもやることは何もない。気にせず東京を楽しんでこい。今からなんとかマウンテン乗ってくるんだろ? 楽しんでこいよー」
朝から大雨だったそうだ。避難指示が出て、避難所の開設員に指令が出た。開設員として(メールで)指令を受け取った私は、ディズニーランドでピノキオのアトラクションに並んでいるところだった。ちなみにディズニーランドも土砂降りの強風だった。
やっちまった、というのが第一感想。まさか自分が「旅行に出ているので避難所開設できませんー!」ムーブをする日がくるなんて...!! まぁ、予想してなかったわけではない。自分みたいなテキトーな奴は、いつかこういうありふれたゾッとしない“やらかし”をするものだと思っていた。それは本当。そう思っていたのに、ろくに対策せず希望的観測でのこのこと旅行に出かけてしまった。「大雨になるみたいだから旅行は中止しよう」と、一緒に行く友達に言えなかった。後悔がどっと湧く。この先どうしたらいいのかなんて考えられず、大混乱状態でアトラクションの順番が来た。混乱する頭で乗ったピノキオのトロッコは、内容の突飛さも相乗して、悪い夢を見ているみたいだった。
トロッコから降りて、とりあえず上司に電話することにした。今からでも帰るべきだと思う気持ちはもちろんあった。ただその判断が本当にベストなのか自信がなくて、帰るための背中を押して欲しかった。悪いけど帰ってこいと、そう言ってもらえれば決心がつく・・・「おつー。避難所のことで電話してきたんだべ? いや絶対帰ってくるほとじゃないから、帰ってこなくていいぞ。開設員もう1人いるんだから、なんとかなるって。今から帰ってきても時間かかるし、そんな時間にこっちきてもやることは何もない。気にせず東京を楽しんでこい。今からなんとかマウンテン乗ってくるんだろ? 楽しんでこいよー」
私「・・・」
友「上司の人、なんて?」
私「帰ってこなくて良いって言ってた。なんとかマウンテン乗って来いって」
友「めっちゃ良い人だね。じゃあスプラッシュマウンテン乗るか〜」
土砂降りのディズニーは歩き回るだけで体力が減った。上司の心意気に甘えて留まることにしたとはいえ、心の中には「自分はここにいていいのか・・・」という気持ちが渦を巻いていた。ディズニーの街並みは素敵だし、ポップコーンおいしいし、もちろん各種アトラクションは楽しい。楽しいんだけど・・・心ここにあらずというか、なんというか。現実味のない時間だった。正直、あまり記憶がない。
本部からのメールは何通も来ていた。避難所の開設決定に伴う準備をしてくださいから始まり、全避難所の開設準備が整いました、避難指示を全域に出しました、各避難所は避難者数を報告してください、緊急安全確保が発令されました、開設員以外の職員も参集してください等々・・・通知が来るたび息が詰まる。自分が成すべきことを成していないことがこんなに辛い。もう既に新幹線は運休している。今更、地元に帰ることはできない。1番初めに通知がきたとき、上司に「いやそれでも帰るんで!!!」と言い切って動くことが出来ていたら。・・・いや、そんなことを言う気概が、度胸が、自分にあった・・・かなぁ・・・。結局決断できなくて何もできない自分が情けなくて泣きそうで、でも友達にこれ以上不快な気持ちを見せるわけにもいかないなって気を張って、カラ元気だけで動いていた。
ただ、その中で強烈に印象に残ったアトラクションがある。
ただ、その中で強烈に印象に残ったアトラクションがある。
美女と野獣。普段のディズニーランドなら90分待ちは覚悟が必要な人気アトラクション。大雨強風のディズニーで唯一良かったことは、軒並み待ち時間が短かかったことだ。40分で乗れた。夕方6時頃から並び、もうこの頃にはヤケクソで東京を楽しむ気持ちにようやく落ち着いてきていたので、いい感じにワクワクしていた。石橋を越えて、お城の中へと続く待ち列。薄暗い城内の雰囲気とは真逆の賑やかで感動的な内容。たしかに乗ってみて人気な理由がわかった。世界観や物語の再現性、アトラクションとしての楽しさ、ミュージカル的満足度、全てがレベル高くて感嘆する。めっちゃ感動したんだけど、ちょうどアトラクションに乗ったところでスマホに着信が入って、あーこれ絶対上司が電話かけてくれてるやつだ!いやもしかしたらもう1人の開設員からか!?と思った。一瞬で夢見る気持ちが粉々になり、現実に引き戻される。・・・普通は着信が気になってアトラクションは気が気じゃなくなるところだが、美女と野獣は前述の通り感動的で濃厚で素晴らしいアトラクション体験である。ここで感情のバトルが勃発した。感動的で楽しい陽の気持ちと、深刻な焦りと不安の陰の気持ち、双方がぶつかって情緒ぐちゃぐちゃになる現象が起きた。ここの体験だけは、登場人物がどんな動きをして乗り物がどんな風に揺れたのかも、スマホがどのタイミングで鳴って私がいつ折り返し電話したかも、なぜかよく覚えている。情緒ぐちゃぐちゃの胸はずっと痛かった。
折り返した電話は上司からだった。避難所が開設されて数時間。各所の状況も落ち着いてきて、本当に心配はいらないよ、あんたが来る必要はないよ、気にせず明日も予定通り遊びなさいよ、という話だった。どうせ新幹線も高速道路も動かないのだから、物理的に本当に帰れない。そのことがようやく自分にも完全に浸透して、そこからは、結構楽しく満喫していたと思う。
翌日、朝のニュースで被災地の状況を知る。朝イチでまた上司が電話をくれた。結局私が担当の避難所は避難者が少なく、1人で十分だったそうだ。それほど迷惑をかけていないことを知ってほっとする。その他、仕事上確認しなきゃいけないことは全て俺がやっとくから、あんたは気にせず東京で過ごしなさい、どうせまだ新幹線止まってるんだから、と言われてしまった。
もともと旅程は2泊3日の予定。1日目ランド、2日目シー、3日目に地元に帰る。だが友達と話し合って(友達は今回イレギュラーが起きたこと、大雨の中のランドが大変すぎたことから、かなり萎えていた)、シーはキャンセルして帰ることにした。この友達には散々振り回すことになってしまって申し訳ないなと思う。もっとフォローしてあげる方法があっただろうな・・・。この子にあらかじめ「旅行の日は大雨予報だね。私、もしかしたら避難所開設しなきゃいけなくなるかもしれなくて・・・」と相談できていたら、もっと違う結果になっていたのかもしれない。ここだけは今でも結構後悔している。対話する努力が必要だった。
そうして土曜日の夜、ようやく動いた新幹線で地元に帰った。避難所は土曜の朝にはすべて閉鎖されていた。地元は「あそこが冠水したらしい」「あの川が氾濫して建物に被害がでたらしい」とかとか、色々な情報が錯綜していて、なんだか浦島太郎の気分だった。
日曜日、ディズニーのお土産(菓子折り替わり)を持って、ペアの開設員の人に謝りに行った。ついでに仕事で管理している施設の御用伺いにも行った。休日なのでそんなことをする必要はないのかもしれないけど、『謝罪はマスト』『被災日に何もできなかった分コミュニケーションは取るべき』『前任者なら絶対そうする』と思ったのだから動くしかないよね。ここで行動できたこと、各所の人からちゃんと話を聞けたことで、「何もできなかった・・・」という深刻な気持ちはだいぶ和らいだ。
まぁでも、私って、徹頭徹尾、自分が満足するかどうかでしか動いていないんだよね。誰かの命を守るために避難所を開設しなくては、なんて一ミリも思ってない。自分の責任を果たすことしか考えてない。手段ばかり注視して目的が見えなくなるタイプか、ちょっと特殊なエゴイストか。改善する気もないが、視野が狭くなるのは嫌だなぁ。
月曜日、何事もなかったかのように出勤。上司にお土産(菓子折り替わり)を渡して、どれだけ色々あったか話を聞いて、大変そうだなあより、その場に居たかったなぁと思っている自分に笑った。
折り返した電話は上司からだった。避難所が開設されて数時間。各所の状況も落ち着いてきて、本当に心配はいらないよ、あんたが来る必要はないよ、気にせず明日も予定通り遊びなさいよ、という話だった。どうせ新幹線も高速道路も動かないのだから、物理的に本当に帰れない。そのことがようやく自分にも完全に浸透して、そこからは、結構楽しく満喫していたと思う。
翌日、朝のニュースで被災地の状況を知る。朝イチでまた上司が電話をくれた。結局私が担当の避難所は避難者が少なく、1人で十分だったそうだ。それほど迷惑をかけていないことを知ってほっとする。その他、仕事上確認しなきゃいけないことは全て俺がやっとくから、あんたは気にせず東京で過ごしなさい、どうせまだ新幹線止まってるんだから、と言われてしまった。
もともと旅程は2泊3日の予定。1日目ランド、2日目シー、3日目に地元に帰る。だが友達と話し合って(友達は今回イレギュラーが起きたこと、大雨の中のランドが大変すぎたことから、かなり萎えていた)、シーはキャンセルして帰ることにした。この友達には散々振り回すことになってしまって申し訳ないなと思う。もっとフォローしてあげる方法があっただろうな・・・。この子にあらかじめ「旅行の日は大雨予報だね。私、もしかしたら避難所開設しなきゃいけなくなるかもしれなくて・・・」と相談できていたら、もっと違う結果になっていたのかもしれない。ここだけは今でも結構後悔している。対話する努力が必要だった。
そうして土曜日の夜、ようやく動いた新幹線で地元に帰った。避難所は土曜の朝にはすべて閉鎖されていた。地元は「あそこが冠水したらしい」「あの川が氾濫して建物に被害がでたらしい」とかとか、色々な情報が錯綜していて、なんだか浦島太郎の気分だった。
日曜日、ディズニーのお土産(菓子折り替わり)を持って、ペアの開設員の人に謝りに行った。ついでに仕事で管理している施設の御用伺いにも行った。休日なのでそんなことをする必要はないのかもしれないけど、『謝罪はマスト』『被災日に何もできなかった分コミュニケーションは取るべき』『前任者なら絶対そうする』と思ったのだから動くしかないよね。ここで行動できたこと、各所の人からちゃんと話を聞けたことで、「何もできなかった・・・」という深刻な気持ちはだいぶ和らいだ。
まぁでも、私って、徹頭徹尾、自分が満足するかどうかでしか動いていないんだよね。誰かの命を守るために避難所を開設しなくては、なんて一ミリも思ってない。自分の責任を果たすことしか考えてない。手段ばかり注視して目的が見えなくなるタイプか、ちょっと特殊なエゴイストか。改善する気もないが、視野が狭くなるのは嫌だなぁ。
月曜日、何事もなかったかのように出勤。上司にお土産(菓子折り替わり)を渡して、どれだけ色々あったか話を聞いて、大変そうだなあより、その場に居たかったなぁと思っている自分に笑った。
上司「あんたの性格だと、絶対こっちに残ってた方が楽しかっただろうよ。イレギュラーが起きまくったからね。作りものじゃない本物の非日常の連続。その場にいられなくてちょっと悔しいと思ってるべ?」
私「なんで分かるんすか」
ろくに被害がなかったから言えるクソ不謹慎トークではあるものの、まさにその通りなので仕方ない。まぁこういうことを楽しめるサイコパスもいないと世の中って廻らないでしょ(?) 自分はどうにも多数派にはなれないので、どうせならそっち側の狂人でいたいよ。現実は何の能力もない私がいたところで一般職員A程度のはたらきしかできないが、なんかもう根っからの中二病なので自分がヒーローになる妄想ばかりしてしまう。根源的願望ができあがってしまう。今回は、何もできなかったこと、まつり(言い方が悪いけど)に加われなかったことが悔しかった。そんな気持ちが最後の最後まで残っていたことは、自分らしいなと思わなくもない。
私「なんで分かるんすか」
ろくに被害がなかったから言えるクソ不謹慎トークではあるものの、まさにその通りなので仕方ない。まぁこういうことを楽しめるサイコパスもいないと世の中って廻らないでしょ(?) 自分はどうにも多数派にはなれないので、どうせならそっち側の狂人でいたいよ。現実は何の能力もない私がいたところで一般職員A程度のはたらきしかできないが、なんかもう根っからの中二病なので自分がヒーローになる妄想ばかりしてしまう。根源的願望ができあがってしまう。今回は、何もできなかったこと、まつり(言い方が悪いけど)に加われなかったことが悔しかった。そんな気持ちが最後の最後まで残っていたことは、自分らしいなと思わなくもない。
昨日の金曜ロードショーは美女と野獣だった。
ぼーっと劇中歌を聴いていたら、アトラクションに乗っているときの気持ちを思い出した。アトラクションに純粋に感動する気持ち、ポケットの中の着信が気になって冷や汗をかく気持ち、今何を考えるべきなのか混乱して声が出なくなる気持ち、一気に色んな感情が湧いて、胸が痛くなる感覚。また一つ、変なトリガーが増えた。
失恋の話。
3月20日、人事異動が発表された。
先輩の名前があった。
栄転だと周囲は賛辞を呈する。
心にもない「おめでとうございます」を告げて、私は、どうしたら悔いが残らないかを考えた。
有能で、人当たりが良くて、仕事が好きで、かっこよくて、皆の人気者。
何回も小言を言われ、その度に凹んだけど、それを差し引いてもあり余るくらい好き。
これは好意の押し付けだ。
理想を勝手に投影してるだけだ。
そう思って気持ちに気づかないようにしていたが、いざ消えることが確定すると、寂しさが圧倒的に勝る。この先、先輩は私の知らない部署で私の知らない人たちと生き生きと仕事するんだろうな、もう手の届かない人になるんだろうな、あぁ、嫌だなぁ・・・。
友人に相談した。
「じゃあもう、ヤケクソで告白しちゃえば? ほら、バスケの試合中は正確にパスをつなげて得点することが重要だけど、試合時間残り3秒になったらコートのどこからだろうが一縷の望みをかけてスリーポイントシュートぶん投げるのが正解じゃん? もう残り時間が無いのなら、成功したらいいな~くらいの気持ちでヤケクソ勝負していいと思うけどね」
そりゃそうだ。
告白を決意した。体裁なんて知るものか。私のヤケクソ起爆力をなめるなよ。
ちなみに現在進行形で仕事は死ぬほど溜まってる。年度末の業務量マジでバグってる。
これは4/1が近づけば近づくほど深刻になる。
だから3/31に告白なんて余裕は絶対ない。かといって週の半ばとか訳の分からんタイミングでやりたくもない。というかあと1週間以上も「告白するぞ~」みたいな感じで腹に一物隠しておくなんて精神的負担がでかすぎる。決意したなら、とっとと実行したい。
というわけで3/24(金)の昼休憩時間に凸することにした。
(後日談)
友人「昼休憩は馬鹿だろ・・・。フラれても午後気まずいし、OKだったらOKだったで浮かれて仕事にならんくね??どうせ残業するんだから夜にするだろ普通・・・」
私「いやたしかにOKされた場合のことは考えてなかったんだけど、フラれても割り切って午後も仕事する覚悟は決めてたし、やりきった。なんなら平然と先輩に質問しにいった。めちゃめちゃいつも通りだった。それに、この日は先輩は飲み会かなんかでさっさと帰るスケジュール入れてたし、先輩の昼休憩ルーティーンは把握してるから一人になる時間に凸できる可能性が高かったし、先輩は月曜日休み取ってたから万が一気まずくても3日間顔合わせなくて済むし・・・このタイミングが一番だったんだよ」
友人「かなり理詰めのヤケクソでウケる」
決行日前夜、まず手紙とお菓子を用意した。
お菓子は異動発表前に「先輩絶対異動になるし菓子折り買っておこう・・・買っておくことで未来に対処して気持ちの安定をはかるのだ・・・」というプッチ神父的思考(???)で調達してきたもの。手紙は、恋愛うんぬん差し置いて先輩には新人の頃からずっとお世話になってきたので、感謝の気持ちを要点しぼってまとめて書いた。
想いも伝える、感謝も伝える、どっちもやる。
そして神に祈った。
ちょうど「神様は道は開いてくれるけど、進むのは自分だよ」って言葉を目にしたからだ。3/24(金)の当初天気予報は曇りだった。私は病的に晴れが好きなので、少しでも青空が見えたら勇気をもらえるだろうなと思った。「明日、昼休憩の時間にちょうど先輩が一人で喫煙所にいて少しでも青空が見えるシチュエーションに出会えますように。そうなったら、私は絶対に覚悟決めて踏み出すので!!」
果たして神様は、過分なまでに願いを聞き届けた。
初夏のような快晴。満開になった桜。心が軽くなるような温かい風。雨上がりの土の匂い。
青空と桜の色彩に背中を押され、覚悟を決めて飛び出した。
まずお菓子と手紙が入った袋を渡して。
それからもう一つ伝えたいことがありますと前置きして。
私が絞り出す言葉を待ってくれているのがよく分かった。
微笑みが残酷なほどやさしいなと思った。
告げた後の「ありがとうございます」がとても冷静で、そのトーンで結果が分かった。
いろいろとありがたいことを言ってくれたけど、あんまり覚えてない。
ただ、自分がダメージ受けているのを意外に感じていた。
泣きそうになるくらいには、結構本気で好きだったんだなあ。
喫煙所をあとにして散歩に出かけた。午後にはメンタルを整える覚悟があったとはいえ、直後くらい気まぐれに散歩してもいいだろうと思った。何より、春めいた世界を感じていたかった。
胸は痛いし苦しいが、吹っ切れてもいた。
息を吸う度に、胸を爽やかな風が駆け抜けていく。
桜と新緑と青空を目に焼き付けながら、泣き笑いした。
今日の世界は鮮やかで、私の感性もきっと研ぎ澄まされている。
今なら何より美しい写真が撮れるなと思ってスマホを出した。
今考えても、もちろん失恋は辛いことだけど、あの先輩とそんな話ができた瞬間があったことに、少しばかり幸福を感じる。告白した一瞬だけは、先輩は仕事関係なく私の話を真っ直ぐに聞いてくれた。私の本音を聞いてくれた。そしてやさしくはっきりと断った。爽やかな結果だなと思うのは、ちょっと美化しすぎだろうか。
さて、人生を生き直そう。
3月20日、人事異動が発表された。
先輩の名前があった。
栄転だと周囲は賛辞を呈する。
心にもない「おめでとうございます」を告げて、私は、どうしたら悔いが残らないかを考えた。
有能で、人当たりが良くて、仕事が好きで、かっこよくて、皆の人気者。
何回も小言を言われ、その度に凹んだけど、それを差し引いてもあり余るくらい好き。
これは好意の押し付けだ。
理想を勝手に投影してるだけだ。
そう思って気持ちに気づかないようにしていたが、いざ消えることが確定すると、寂しさが圧倒的に勝る。この先、先輩は私の知らない部署で私の知らない人たちと生き生きと仕事するんだろうな、もう手の届かない人になるんだろうな、あぁ、嫌だなぁ・・・。
友人に相談した。
「じゃあもう、ヤケクソで告白しちゃえば? ほら、バスケの試合中は正確にパスをつなげて得点することが重要だけど、試合時間残り3秒になったらコートのどこからだろうが一縷の望みをかけてスリーポイントシュートぶん投げるのが正解じゃん? もう残り時間が無いのなら、成功したらいいな~くらいの気持ちでヤケクソ勝負していいと思うけどね」
そりゃそうだ。
告白を決意した。体裁なんて知るものか。私のヤケクソ起爆力をなめるなよ。
ちなみに現在進行形で仕事は死ぬほど溜まってる。年度末の業務量マジでバグってる。
これは4/1が近づけば近づくほど深刻になる。
だから3/31に告白なんて余裕は絶対ない。かといって週の半ばとか訳の分からんタイミングでやりたくもない。というかあと1週間以上も「告白するぞ~」みたいな感じで腹に一物隠しておくなんて精神的負担がでかすぎる。決意したなら、とっとと実行したい。
というわけで3/24(金)の昼休憩時間に凸することにした。
(後日談)
友人「昼休憩は馬鹿だろ・・・。フラれても午後気まずいし、OKだったらOKだったで浮かれて仕事にならんくね??どうせ残業するんだから夜にするだろ普通・・・」
私「いやたしかにOKされた場合のことは考えてなかったんだけど、フラれても割り切って午後も仕事する覚悟は決めてたし、やりきった。なんなら平然と先輩に質問しにいった。めちゃめちゃいつも通りだった。それに、この日は先輩は飲み会かなんかでさっさと帰るスケジュール入れてたし、先輩の昼休憩ルーティーンは把握してるから一人になる時間に凸できる可能性が高かったし、先輩は月曜日休み取ってたから万が一気まずくても3日間顔合わせなくて済むし・・・このタイミングが一番だったんだよ」
友人「かなり理詰めのヤケクソでウケる」
決行日前夜、まず手紙とお菓子を用意した。
お菓子は異動発表前に「先輩絶対異動になるし菓子折り買っておこう・・・買っておくことで未来に対処して気持ちの安定をはかるのだ・・・」というプッチ神父的思考(???)で調達してきたもの。手紙は、恋愛うんぬん差し置いて先輩には新人の頃からずっとお世話になってきたので、感謝の気持ちを要点しぼってまとめて書いた。
想いも伝える、感謝も伝える、どっちもやる。
そして神に祈った。
ちょうど「神様は道は開いてくれるけど、進むのは自分だよ」って言葉を目にしたからだ。3/24(金)の当初天気予報は曇りだった。私は病的に晴れが好きなので、少しでも青空が見えたら勇気をもらえるだろうなと思った。「明日、昼休憩の時間にちょうど先輩が一人で喫煙所にいて少しでも青空が見えるシチュエーションに出会えますように。そうなったら、私は絶対に覚悟決めて踏み出すので!!」
果たして神様は、過分なまでに願いを聞き届けた。
初夏のような快晴。満開になった桜。心が軽くなるような温かい風。雨上がりの土の匂い。
青空と桜の色彩に背中を押され、覚悟を決めて飛び出した。
まずお菓子と手紙が入った袋を渡して。
それからもう一つ伝えたいことがありますと前置きして。
私が絞り出す言葉を待ってくれているのがよく分かった。
微笑みが残酷なほどやさしいなと思った。
告げた後の「ありがとうございます」がとても冷静で、そのトーンで結果が分かった。
いろいろとありがたいことを言ってくれたけど、あんまり覚えてない。
ただ、自分がダメージ受けているのを意外に感じていた。
泣きそうになるくらいには、結構本気で好きだったんだなあ。
喫煙所をあとにして散歩に出かけた。午後にはメンタルを整える覚悟があったとはいえ、直後くらい気まぐれに散歩してもいいだろうと思った。何より、春めいた世界を感じていたかった。
胸は痛いし苦しいが、吹っ切れてもいた。
息を吸う度に、胸を爽やかな風が駆け抜けていく。
桜と新緑と青空を目に焼き付けながら、泣き笑いした。
今日の世界は鮮やかで、私の感性もきっと研ぎ澄まされている。
今なら何より美しい写真が撮れるなと思ってスマホを出した。
今考えても、もちろん失恋は辛いことだけど、あの先輩とそんな話ができた瞬間があったことに、少しばかり幸福を感じる。告白した一瞬だけは、先輩は仕事関係なく私の話を真っ直ぐに聞いてくれた。私の本音を聞いてくれた。そしてやさしくはっきりと断った。爽やかな結果だなと思うのは、ちょっと美化しすぎだろうか。
さて、人生を生き直そう。
タイトル通りトレッキングツアーに行きましたよって話。
このツアー、実は昨年も申込みしていたが、人数が集まらず流れていた。
意気込んで雪山用の装備を買い込んだのに結局1年間押し入れの中。
今回ようやくの日の目を見ることができて良かった。
そもそも雪山に行きたいと思った明確な動機は、もう今となっては思い出せない。恐らく山を題材にしたゲームや楽曲から影響を受けているし、根源的に未知の世界への憧れがあり、さらには寒さに弱くて冬が嫌いな自分だからこそ、冬の魅力を確かめたい気持ちがあった。そんな曖昧な気持ちでしかないのに、たった1回のトレッキングのために参加費や道具代で20万円近く溶かした。こういう人間がいてもいいよね。
スケジュールは1泊2日。トレッキングツアーと言っても初日は山小屋(といっても旅館レベルに質が高くて充実してて驚いた)まで行くだけで、本格的に歩くのは2日目の午前中のみ。それでも山小屋に泊まるのも初めて、雪の上をアイゼンつけて歩く(初日は車~山小屋までの30分程度のみ)のも初めてだったので、初日から興奮していた。
今回のベストオブ不安といえば、自分は根暗で人見知りでコミュニケーションが苦手なので、たった一人でツアー参加、初対面の人たちと共に過ごさなければならないというのは、まぁまぁ苦痛だった。自然体でいようと思ってもどうしても気を遣っちゃうし、かといって自分からグイグイ話しかけにいくほどコミュ強キャラチェンジもできないし、どっちつかずで常にちょっと居心地が悪かった。バスの中は隣に人が来ないよう座席配置してくれたので、一人で過ごせて本当に良かった。
それでも、こういうときは少しでも他者と関わった方が記憶に残るだろうとは理解しているので、自分なりに楽しもうとしてみた。山小屋での食事は食堂に集まっていただく方式だったので、同席になった人たちと会話をする。さすがの私でも食事中の会話くらいはできる。
和やかな夕食時、同席になった方たちに「最近よかった景色を教えてください」と聞いてみた。ある人は山頂から見た夕方の雲海を、ある人は7月の高山地帯で見たお花畑の世界を、ある人は真っ白に透き通った樹氷の森の風景を話してくれて、話を聞いて想像するのも、見せてくれた写真に感嘆するのも楽しかった。本当に楽しかった。アウトドア好きが集まるからこそできる多彩な会話だったし、何より私が景色の話を聞くのが大好きなので、夢のような時間だった。対して私はそんなに山に行った経験が無いので、秋にフェリーで北海道に行った時の日の出の写真を見せた。これはこれでひとつの誇りだ。
さてさて、メインとなった2日目のトレッキング。朝4時30分に起床して朝食を取って、6時30分には装備を揃え、ガイドさんについて出発した。2月にしては暖かい日で、残念ながら天候は雨。結構な降りようだったので常にアウターのフードを被って歩く。これが視界は狭いし音も呼気もこもるし、雨だと何となく体が重い気がするしで、かなり疲労した。雪山装備の人間が列をなして雨の中粛々と雪を踏み分けていく様は、トレッキングというより行軍だった。
基本的に景色はずっと森林。進めば進むほど標高が上がって気温が下がり、木の幹の色が白っぽくなったり、凍っている枝が多くなったりする。最終地点では幹も枝も真っ白で、樹氷というほどではなかったけれど、針葉樹が雪で覆われている様は北欧を想起させて、異国にいるような気分になった。ホラー映画「シャイニング」で出てくる、冬の森の迷路を思い出していた。
一本道とはいえ、雪が積もった森林はどこが道でどこがただの斜面なのか判別がつかず、雪山の単独行がいかに無謀で危険かを想像しながら登った。もちろんなんとなく道は見えるけれども、それは前日の気象条件や精神状態でいくらでもバグが起こり得る。自分がもう少し行動力のあるバカだったら、雪道のソロ登山をやっていたかもしれないと思うと・・・絶対迷子になってたろうなと冷や汗をかいた。雪に覆われた森は神秘的だが、果てしない恐怖も内包している。
箕冠山に到着したところで「ここから先は森林のない稜線。風が強くみぞれも降っているため、ありったけの防寒をして、絶対に肌を露出しないようにしてください。」との指示。事前に連絡のあったとおり、上着を追加して、目出し帽子、ネックウォーマー代わりの被り物、ゴーグルをつけ、アウターのフードをしぼって固定し、風で捲れないように徹底する。
ゴーグルをつけて被り物とフードを何重にも重ねると、視界も変わるし音も遠ざかる。裸眼(コンタクトだけど)で見ていた世界から1枚隔絶された気分。体験ダイビングでダイビングスーツ着たときもこんな気分だった。宇宙服を着ているみたいだ。逆に言えば、宇宙服で防護しなければいけない世界に、我々は行く。
稜線は物凄い風だった。地上で雨を降らせている雨雲は、山の上では防風と氷の粒を撒き散らしていた。周囲には岩や柵が点在しているが、全てが横から叩きつけられる氷によって凍てつき、風が吹く方向に氷柱が伸びている。存在するものすべてが白く凍てついた世界。異世界。吹き飛ばされないように重心と転倒に気を付けて先へ進む。
中には風に耐えられず転倒したり、雨のためつけていたザックカバーが飛ばされかけた人もいたみたいだった。私は「学生時代にソロ登山した時の暴風よりは怖くないな」とか思っていた。過去が無謀すぎて参考にならん。まぁでもこれくらいの強風だとガイドさんによっては中止にする人もいるようなので、ギリギリまで考えて決行してくれた今回のスタッフさんたちには感謝しかない。こういう世界を見せてくれてありがとう。
稜線を歩いて一回小屋に避難して休憩し、あとは折り返して戻る。これが帰りは登りになっていて、息が上がったのだが、ちょうど目出し帽とネックウォーマー代わりの被り物が口に張り付いて全然空気が吸えず、それでも立ち止まれないしストック握った手を放して口元触るわけにもいかないしで、今回最も「死ぬ!」って思った瞬間になった。サイズのきついガーゼマスクをつけて登山してるようなものだからね。さすがにやばいと思ったところでようやく森林帯に戻り、「もうゴーグルとって良いですよ」の声を聞くまでもなくすべて外した。まさかトレッキング中に体力負けでも高山病でもなく「空気が吸えない」で苦しむことになろうとは・・・。被り物で代用するのは危険だと痛感したし、自分の肺活量が貧弱なこともよくわかった。
痛感と言えば、雨が降っているのにザックカバーを持っていないというトンチキぶりも発揮してしまった。キャンプ初心者じゃないんだからさぁ。トレッキングのためだけのサブザックだったので洋服や日用品は入っていなかったが、山小屋に帰ってくるころには中身すべてが濡れていた。財布も浸水していた。悲しすぎたので翌週すぐにショップに行ってカバーを買った。
そんなこんなで意外と濃い時間を過ごし、1泊2日が終わった。体験を終えて思うことは、冬じゃなくていいから、夏場でもアイゼンが必要なくらいの高い高い山に次は行ってみたい。宇宙服がどうこうとか思ったからだろうか、冬への憧れが『より異世界への憧れ』つまり『標高への憧れ』に置き換わりつつある。やっぱり富士山か。今まで全然興味なかったけど、富士山で一泊してみるのも、人生で1度はやってみていいかもしれないな。
あとは「悪天候も悪くないかもな」というところ。もちろんすっきり晴れた稜線で、青空と白銀のコントラストを夢見て参加申し込みしたし、当日起きて雨が降っている音を聞いた時の絶望は並大抵ではない。それでも、今こうして振り返ってみると、これはこれでいい経験だったなと思えてしまうから不思議である。体力的にも精神的にも悪天候に折れずやりきった自分、という自信につながっている、と思う。1月にスノボ行った時も雨で散々な気持ちになったが、あれもあとから思えば・・・いやスノボはだめだな、さすがに許せん。でもたとえ今年の夏に富士山に行くことになったとして、決行日がみごとに曇りでも、悪天候に阻まれて山頂に行けなくても、折れずに立ち向かったとしたら、満足できると思うんだよねぇ。自然を相手にする趣味だから、天候に左右されるのは仕方ない。かといって天候回復だけを狙えるほどプライベートを自由にコーディネートもできない。だったらもう、悪天候も楽しめるように考えなくては。
長くなってしまった。またいつか、あの異世界に会えると良いな。
このツアー、実は昨年も申込みしていたが、人数が集まらず流れていた。
意気込んで雪山用の装備を買い込んだのに結局1年間押し入れの中。
今回ようやくの日の目を見ることができて良かった。
そもそも雪山に行きたいと思った明確な動機は、もう今となっては思い出せない。恐らく山を題材にしたゲームや楽曲から影響を受けているし、根源的に未知の世界への憧れがあり、さらには寒さに弱くて冬が嫌いな自分だからこそ、冬の魅力を確かめたい気持ちがあった。そんな曖昧な気持ちでしかないのに、たった1回のトレッキングのために参加費や道具代で20万円近く溶かした。こういう人間がいてもいいよね。
スケジュールは1泊2日。トレッキングツアーと言っても初日は山小屋(といっても旅館レベルに質が高くて充実してて驚いた)まで行くだけで、本格的に歩くのは2日目の午前中のみ。それでも山小屋に泊まるのも初めて、雪の上をアイゼンつけて歩く(初日は車~山小屋までの30分程度のみ)のも初めてだったので、初日から興奮していた。
今回のベストオブ不安といえば、自分は根暗で人見知りでコミュニケーションが苦手なので、たった一人でツアー参加、初対面の人たちと共に過ごさなければならないというのは、まぁまぁ苦痛だった。自然体でいようと思ってもどうしても気を遣っちゃうし、かといって自分からグイグイ話しかけにいくほどコミュ強キャラチェンジもできないし、どっちつかずで常にちょっと居心地が悪かった。バスの中は隣に人が来ないよう座席配置してくれたので、一人で過ごせて本当に良かった。
それでも、こういうときは少しでも他者と関わった方が記憶に残るだろうとは理解しているので、自分なりに楽しもうとしてみた。山小屋での食事は食堂に集まっていただく方式だったので、同席になった人たちと会話をする。さすがの私でも食事中の会話くらいはできる。
和やかな夕食時、同席になった方たちに「最近よかった景色を教えてください」と聞いてみた。ある人は山頂から見た夕方の雲海を、ある人は7月の高山地帯で見たお花畑の世界を、ある人は真っ白に透き通った樹氷の森の風景を話してくれて、話を聞いて想像するのも、見せてくれた写真に感嘆するのも楽しかった。本当に楽しかった。アウトドア好きが集まるからこそできる多彩な会話だったし、何より私が景色の話を聞くのが大好きなので、夢のような時間だった。対して私はそんなに山に行った経験が無いので、秋にフェリーで北海道に行った時の日の出の写真を見せた。これはこれでひとつの誇りだ。
さてさて、メインとなった2日目のトレッキング。朝4時30分に起床して朝食を取って、6時30分には装備を揃え、ガイドさんについて出発した。2月にしては暖かい日で、残念ながら天候は雨。結構な降りようだったので常にアウターのフードを被って歩く。これが視界は狭いし音も呼気もこもるし、雨だと何となく体が重い気がするしで、かなり疲労した。雪山装備の人間が列をなして雨の中粛々と雪を踏み分けていく様は、トレッキングというより行軍だった。
基本的に景色はずっと森林。進めば進むほど標高が上がって気温が下がり、木の幹の色が白っぽくなったり、凍っている枝が多くなったりする。最終地点では幹も枝も真っ白で、樹氷というほどではなかったけれど、針葉樹が雪で覆われている様は北欧を想起させて、異国にいるような気分になった。ホラー映画「シャイニング」で出てくる、冬の森の迷路を思い出していた。
一本道とはいえ、雪が積もった森林はどこが道でどこがただの斜面なのか判別がつかず、雪山の単独行がいかに無謀で危険かを想像しながら登った。もちろんなんとなく道は見えるけれども、それは前日の気象条件や精神状態でいくらでもバグが起こり得る。自分がもう少し行動力のあるバカだったら、雪道のソロ登山をやっていたかもしれないと思うと・・・絶対迷子になってたろうなと冷や汗をかいた。雪に覆われた森は神秘的だが、果てしない恐怖も内包している。
箕冠山に到着したところで「ここから先は森林のない稜線。風が強くみぞれも降っているため、ありったけの防寒をして、絶対に肌を露出しないようにしてください。」との指示。事前に連絡のあったとおり、上着を追加して、目出し帽子、ネックウォーマー代わりの被り物、ゴーグルをつけ、アウターのフードをしぼって固定し、風で捲れないように徹底する。
ゴーグルをつけて被り物とフードを何重にも重ねると、視界も変わるし音も遠ざかる。裸眼(コンタクトだけど)で見ていた世界から1枚隔絶された気分。体験ダイビングでダイビングスーツ着たときもこんな気分だった。宇宙服を着ているみたいだ。逆に言えば、宇宙服で防護しなければいけない世界に、我々は行く。
稜線は物凄い風だった。地上で雨を降らせている雨雲は、山の上では防風と氷の粒を撒き散らしていた。周囲には岩や柵が点在しているが、全てが横から叩きつけられる氷によって凍てつき、風が吹く方向に氷柱が伸びている。存在するものすべてが白く凍てついた世界。異世界。吹き飛ばされないように重心と転倒に気を付けて先へ進む。
中には風に耐えられず転倒したり、雨のためつけていたザックカバーが飛ばされかけた人もいたみたいだった。私は「学生時代にソロ登山した時の暴風よりは怖くないな」とか思っていた。過去が無謀すぎて参考にならん。まぁでもこれくらいの強風だとガイドさんによっては中止にする人もいるようなので、ギリギリまで考えて決行してくれた今回のスタッフさんたちには感謝しかない。こういう世界を見せてくれてありがとう。
稜線を歩いて一回小屋に避難して休憩し、あとは折り返して戻る。これが帰りは登りになっていて、息が上がったのだが、ちょうど目出し帽とネックウォーマー代わりの被り物が口に張り付いて全然空気が吸えず、それでも立ち止まれないしストック握った手を放して口元触るわけにもいかないしで、今回最も「死ぬ!」って思った瞬間になった。サイズのきついガーゼマスクをつけて登山してるようなものだからね。さすがにやばいと思ったところでようやく森林帯に戻り、「もうゴーグルとって良いですよ」の声を聞くまでもなくすべて外した。まさかトレッキング中に体力負けでも高山病でもなく「空気が吸えない」で苦しむことになろうとは・・・。被り物で代用するのは危険だと痛感したし、自分の肺活量が貧弱なこともよくわかった。
痛感と言えば、雨が降っているのにザックカバーを持っていないというトンチキぶりも発揮してしまった。キャンプ初心者じゃないんだからさぁ。トレッキングのためだけのサブザックだったので洋服や日用品は入っていなかったが、山小屋に帰ってくるころには中身すべてが濡れていた。財布も浸水していた。悲しすぎたので翌週すぐにショップに行ってカバーを買った。
そんなこんなで意外と濃い時間を過ごし、1泊2日が終わった。体験を終えて思うことは、冬じゃなくていいから、夏場でもアイゼンが必要なくらいの高い高い山に次は行ってみたい。宇宙服がどうこうとか思ったからだろうか、冬への憧れが『より異世界への憧れ』つまり『標高への憧れ』に置き換わりつつある。やっぱり富士山か。今まで全然興味なかったけど、富士山で一泊してみるのも、人生で1度はやってみていいかもしれないな。
あとは「悪天候も悪くないかもな」というところ。もちろんすっきり晴れた稜線で、青空と白銀のコントラストを夢見て参加申し込みしたし、当日起きて雨が降っている音を聞いた時の絶望は並大抵ではない。それでも、今こうして振り返ってみると、これはこれでいい経験だったなと思えてしまうから不思議である。体力的にも精神的にも悪天候に折れずやりきった自分、という自信につながっている、と思う。1月にスノボ行った時も雨で散々な気持ちになったが、あれもあとから思えば・・・いやスノボはだめだな、さすがに許せん。でもたとえ今年の夏に富士山に行くことになったとして、決行日がみごとに曇りでも、悪天候に阻まれて山頂に行けなくても、折れずに立ち向かったとしたら、満足できると思うんだよねぇ。自然を相手にする趣味だから、天候に左右されるのは仕方ない。かといって天候回復だけを狙えるほどプライベートを自由にコーディネートもできない。だったらもう、悪天候も楽しめるように考えなくては。
長くなってしまった。またいつか、あの異世界に会えると良いな。
たぶん最初で最後のスノボである。
団体でスキー場に行く機会があり、スノボも選べるということで選んでみた。私はスキーが出来るわけでもないし、次にいつスキー場に来るかわからないし、だったらまったく未経験のスノボを選んでみるほうが、知見としてはお得だろうなと思った次第。我々の年代は(主語がでかい)、なぜかスキーよりスノボの方がカッコよく魅力的に見えてしまうのである。
経験者に基本動作的なことを教えてもらい、移動の仕方、リフトの乗り方、両足装着のタイミング、転ぶ時の注意点などは心得た。ただカーブの仕方とか体重のかけ方とかは全く理解できず、とりあえず中腰の姿勢でなんとなく曲がることしかわからなかった。まぁでも数年前に行ったスキーでも初めは転びまくって散々だったが、3回4回と滑るうちに上達したので、今回もそんな感じで掴めてくるだろうな〜と、とりあえず斜面を下ることにした。
無理だった。
滑ろうとしては転倒し、滑ろうとしては転倒し、滑ろうとしては転倒の繰り返し。猛スピードが怖くて横移動でゆっくり下りたいのに、姿勢を作る前に転んでしまう。まっっっったく前に進まない。立ち上がるための体力ばかり奪われて、そのうち転んでも立ち上がる気力がなくなってきた。疲れて疲れてそれでも転んでまた起き上がって、スキー場でこんな汗だくになって、私は一体何が楽しくてここにいるんだろう......と虚無になりそうな気分を振り払いつつ、リフトで登ってきた分を永遠に下りられない気がする絶望と戦いつつ、ほぼほぼ這いつくばる形でスタート地点に戻った。正直、登山より疲れた。
私と一緒にチャレンジした中学生の女の子も、全く歯が立たないスノボの難易度に心が折れ、「返却してくる...」と呟いていた。だがここで私も一緒に折れる訳にはいかない。このまま2人で諦めてしまっては、この子の心に1つの挫折をつくることになってしまう(?) 何度かチャレンジすれば形になるぞと私が証明してあげねば。たしかに自分の出来なさ具合は絶望的だし折れる気持ちもわかるが、きっと何回か滑れば少しづつ転ばなくなってくるはずだ。スキーのときだってそうだった。スキー履修者に笑われながら成長したじゃないか。大体のものは回数を重ねれば最低限ラインくらいはすぐ到達できるもんなんだ。知らんけど。
...無理だった。
回数を重ねたところで絶望が深くなるだけだった。
転んでも立ち上がり、転んでも立ち上がり、むしろよくもまぁこんなに不出来なのに制限時間いっぱい挑戦できたなと自分を褒めたいくらい、上達しなかった。
7回目くらいのリフトに乗りながら、スマホのメモにこう書き残していた。「ただただ転び方が派手になっていくだけ。痣が増えるだけ。自分が運動のできない陰キャだということを思い知らされるだけ。何が楽しいのかわからないまま、しかし足がボードに固定されている以上それしかやることがないので、這いつくばってゲレンデをおりたらまたリフトに乗る。地獄。」
転び方が派手になっていくのはまさにその通りで、初回は軽い尻餅とかその程度だったのだが、雪面に腹を打ったり背中を打ったり尻を強打したり頭を打って一瞬目眩がしたり、生きているのが不思議なくらい転んだ。人間って結構丈夫なんだな。特に手首への負担がすごかった。経験者からは「前方に転んだ際、手をつくと手首を痛めるので、かならず肘を曲げて腕から接地すること」と言われていたものの、やはり咄嗟に手のひらをついてしまう。その回数、10数回は超えると思う...。おかげで今でも手首が十分に回せない。曲げると痛い。痛みが続くようなら受診も考える...。
それでも出来ないくせにちょっと高いところまでいく別のリフトに乗ってみたり、林間コース(カーブが多い)に行ってみたり、出来ないくせに挑戦だけはめちゃくちゃしていた。高いコースや林間コースをやったあとに初心者用ゲレンデに戻ってくると、さっきよりスピード出ないコースだなと恐怖心が薄れる。暴力的な慣れ方だが(一歩間違えたら技量以上の高いコースにビビって下りられなくて身動きが取れなくなるので)、これこそ経験値のなせる技だよなと変に満足した。
1番最後には、まぁ「乗れて」はいたかなと思う。滑れていたかは疑問だが、「乗れて」いた瞬間はあった。
総括。
もうスノボは一生やらん。痛みと楽しさが比例しない。
それでも時間いっぱい諦めずにチャレンジした自分の維持というか負けず嫌いというか、そういうところは満足したし、やらないよりは遥かにいい経験ができたかなと思う。
正直残り1時間の時点では「マジで痛い思いしかしないし疲れたしもうやめようかな...」と折れかけていたが、ちょうどそのとき高いコースのリフトに乗って運ばれていく知り合いと目が合い、「ガンガン滑っていいからな〜!」と声をかけられた。萎え萎えに萎えていた私は「いやガンガン転んでる方なんですけど...」と覇気なく返しつつも、楽しそうに運ばれていく姿がとても眩しいと思ったし、「せっかく1日ゲレンデに来て1本も満足に滑れないのクッソ悔しい」と心底思った。悔しすぎてちょっと泣いた。私だって「楽しかった」って言いたい。風を感じたい。滑りたい...ッ! というわけでまた立ち上がってリフトに乗った。なんというか己との戦いよな。まーこれで華麗に出来るようになったらかっこよかったんだけど、最終的にこの後のコースで頭打って、「このまま続けたらマジで死ぬな...」と危機を感じ、時間もちょうど良かったので未練なく立ち去ることが出来ましたとさ。
次もしゲレンデに行く機会が万が一あったとしてもスキーを選ぶし、百歩譲ってスノボをやるのならスクールから始めたいなと思う。そもそも同じ冬のアクティビティなら雪山トレッキングとかの方が何倍も楽しそう。世の中には向き不向きがたくさんあるね。これもひとつの知見ということで。おつかれさまでした!
団体でスキー場に行く機会があり、スノボも選べるということで選んでみた。私はスキーが出来るわけでもないし、次にいつスキー場に来るかわからないし、だったらまったく未経験のスノボを選んでみるほうが、知見としてはお得だろうなと思った次第。我々の年代は(主語がでかい)、なぜかスキーよりスノボの方がカッコよく魅力的に見えてしまうのである。
経験者に基本動作的なことを教えてもらい、移動の仕方、リフトの乗り方、両足装着のタイミング、転ぶ時の注意点などは心得た。ただカーブの仕方とか体重のかけ方とかは全く理解できず、とりあえず中腰の姿勢でなんとなく曲がることしかわからなかった。まぁでも数年前に行ったスキーでも初めは転びまくって散々だったが、3回4回と滑るうちに上達したので、今回もそんな感じで掴めてくるだろうな〜と、とりあえず斜面を下ることにした。
無理だった。
滑ろうとしては転倒し、滑ろうとしては転倒し、滑ろうとしては転倒の繰り返し。猛スピードが怖くて横移動でゆっくり下りたいのに、姿勢を作る前に転んでしまう。まっっっったく前に進まない。立ち上がるための体力ばかり奪われて、そのうち転んでも立ち上がる気力がなくなってきた。疲れて疲れてそれでも転んでまた起き上がって、スキー場でこんな汗だくになって、私は一体何が楽しくてここにいるんだろう......と虚無になりそうな気分を振り払いつつ、リフトで登ってきた分を永遠に下りられない気がする絶望と戦いつつ、ほぼほぼ這いつくばる形でスタート地点に戻った。正直、登山より疲れた。
私と一緒にチャレンジした中学生の女の子も、全く歯が立たないスノボの難易度に心が折れ、「返却してくる...」と呟いていた。だがここで私も一緒に折れる訳にはいかない。このまま2人で諦めてしまっては、この子の心に1つの挫折をつくることになってしまう(?) 何度かチャレンジすれば形になるぞと私が証明してあげねば。たしかに自分の出来なさ具合は絶望的だし折れる気持ちもわかるが、きっと何回か滑れば少しづつ転ばなくなってくるはずだ。スキーのときだってそうだった。スキー履修者に笑われながら成長したじゃないか。大体のものは回数を重ねれば最低限ラインくらいはすぐ到達できるもんなんだ。知らんけど。
...無理だった。
回数を重ねたところで絶望が深くなるだけだった。
転んでも立ち上がり、転んでも立ち上がり、むしろよくもまぁこんなに不出来なのに制限時間いっぱい挑戦できたなと自分を褒めたいくらい、上達しなかった。
7回目くらいのリフトに乗りながら、スマホのメモにこう書き残していた。「ただただ転び方が派手になっていくだけ。痣が増えるだけ。自分が運動のできない陰キャだということを思い知らされるだけ。何が楽しいのかわからないまま、しかし足がボードに固定されている以上それしかやることがないので、這いつくばってゲレンデをおりたらまたリフトに乗る。地獄。」
転び方が派手になっていくのはまさにその通りで、初回は軽い尻餅とかその程度だったのだが、雪面に腹を打ったり背中を打ったり尻を強打したり頭を打って一瞬目眩がしたり、生きているのが不思議なくらい転んだ。人間って結構丈夫なんだな。特に手首への負担がすごかった。経験者からは「前方に転んだ際、手をつくと手首を痛めるので、かならず肘を曲げて腕から接地すること」と言われていたものの、やはり咄嗟に手のひらをついてしまう。その回数、10数回は超えると思う...。おかげで今でも手首が十分に回せない。曲げると痛い。痛みが続くようなら受診も考える...。
それでも出来ないくせにちょっと高いところまでいく別のリフトに乗ってみたり、林間コース(カーブが多い)に行ってみたり、出来ないくせに挑戦だけはめちゃくちゃしていた。高いコースや林間コースをやったあとに初心者用ゲレンデに戻ってくると、さっきよりスピード出ないコースだなと恐怖心が薄れる。暴力的な慣れ方だが(一歩間違えたら技量以上の高いコースにビビって下りられなくて身動きが取れなくなるので)、これこそ経験値のなせる技だよなと変に満足した。
1番最後には、まぁ「乗れて」はいたかなと思う。滑れていたかは疑問だが、「乗れて」いた瞬間はあった。
総括。
もうスノボは一生やらん。痛みと楽しさが比例しない。
それでも時間いっぱい諦めずにチャレンジした自分の維持というか負けず嫌いというか、そういうところは満足したし、やらないよりは遥かにいい経験ができたかなと思う。
正直残り1時間の時点では「マジで痛い思いしかしないし疲れたしもうやめようかな...」と折れかけていたが、ちょうどそのとき高いコースのリフトに乗って運ばれていく知り合いと目が合い、「ガンガン滑っていいからな〜!」と声をかけられた。萎え萎えに萎えていた私は「いやガンガン転んでる方なんですけど...」と覇気なく返しつつも、楽しそうに運ばれていく姿がとても眩しいと思ったし、「せっかく1日ゲレンデに来て1本も満足に滑れないのクッソ悔しい」と心底思った。悔しすぎてちょっと泣いた。私だって「楽しかった」って言いたい。風を感じたい。滑りたい...ッ! というわけでまた立ち上がってリフトに乗った。なんというか己との戦いよな。まーこれで華麗に出来るようになったらかっこよかったんだけど、最終的にこの後のコースで頭打って、「このまま続けたらマジで死ぬな...」と危機を感じ、時間もちょうど良かったので未練なく立ち去ることが出来ましたとさ。
次もしゲレンデに行く機会が万が一あったとしてもスキーを選ぶし、百歩譲ってスノボをやるのならスクールから始めたいなと思う。そもそも同じ冬のアクティビティなら雪山トレッキングとかの方が何倍も楽しそう。世の中には向き不向きがたくさんあるね。これもひとつの知見ということで。おつかれさまでした!