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登山から帰ってきて早々仕事がごたついて日記どころじゃなくなったのだが、日を経るごとに感動も書きたいことも消えていってしまうので焦って今これを書いている。
とにかく高いところが好きだ。高いものを見上げるのも、高所から見下ろすのも好き。
自分が住んでいる東海地方付近に、日本一高くて整備されている山がある。
登る動機には十分だろう。
たとえ雨でも霧でも、禁止されない限りは登るつもりでいたけど、やっぱり晴れた富士山に登りたいに決まっている。自分は別に天気に運がいい方ではないし、今までの旅でも悪天候ばかり引いてきた。それでも「山の天気は最後まで分からない」とあんまり良い意味では使われない言葉に縋って毎日天気予報をチェックして、出発までの2週間は祈り続けていた。ちょうど梅雨真っただ中で曇天が続き、憂い事がなくても気持ちが沈むような日々だ。不安を抱えながら過ごす6月後半、「なんとなくしんどい」状態が続いてつらかった。
だからこそ、登山日の7月2日、青空が見えたことがどれだけ嬉しかったか。いてもたってもいられずに登り始めた。もちろん道中はめちゃめちゃしんどかったけど、『予想以上の晴天の中、心置きなく登山ができる』ことに、最高に充実を感じていた。
ここから時系列順に書きたいことを書いていく。
7月1日
自宅を出て名古屋からバスで静岡県へ。高山病がなにより怖かったので、初日は富士5合目で一泊し、2,000m級の高所に体を慣らす。そして2日目は8合目の山小屋を予約済みという、なんとも時間と金をかけた旅程。恥ずかしい話だが富士山のことを何も知らずに「とりあえず山小屋の予約さえ勝ち取っておけば困らないだろう」の精神で組んだので、かなり余裕ありまくりのスケジュールになっていた。だって登るのに11時間くらいかかるんじゃないかって本気で思っていたんだよ・・・5合目から6時間で登れるってガイドブックで読んだ時にようやく自分の異常さに気が付いた。
バスからバスを乗り継いで富士山に近づいていく。
途中でふと読んだネットニュースに「今年の富士山は7/10からお鉢巡り解禁」の文字。えっ7月10日???と二度見。そして真っ白になる頭。お鉢巡りとは、富士山山頂の噴火口をぐるっと一周すること。そのお鉢巡りにも高低差があって、道中に3,776mの日本最高峰ポイントがある。雪解けと登山道の安全確保が出来ないという理由から、とりあえず山開きの7/1~7/9までは解禁しないらしい。・・・ということは、私は「日本最高峰」看板にも会えないし、そもそも3776mに到達することもできないってことだ。いやいやいや登る意味あるそれ!?日本で1番高いところに立つために来たんだが!?
己の勉強不足を棚に上げて憤慨する。そりゃ7月初旬が「登山者が比較的少なくて穴場!」とか言われるわけだ。そもそも梅雨シーズンだし、数ある登山道のうち一つしか解禁されてない時期だし。だから私でも山小屋の予約が取れたわけだ。あぁ、大人しくハイシーズンに計画しとけばよかったものを。でも少しでも人混みのない可能性をつかみたい気持ちも確かにあった。
このときの天気は曇時々雨。富士山の姿は分厚い雲に覆われていて、明日の天気も疑わしく、なんとなく憂鬱な気持ちで次のバスを待った。
最後のバスで「富士スバルライン5合目」へ。車でいけるのはこの5合目まで。吉田ルートと呼ばれる登山道の入口であり、土産物が売っていたり宿泊施設があったりと、ちょっとした町みたいになっている。ちなみにバスは満員だったが、日本人は誇張なしに1割くらいしかいなかった。
バスが5合目に近づくにつれて、体の異変を感じた。バイクで長距離かっ飛ばしたあとみたいな、身体中の血液が巡りきっていないような、ふわふわした感じ。朝が早かった疲れとか、いよいよ登山口が近づいてきた緊張とか、5合目で既に標高は2,000mを超えているから高山病の初期症状なのかもとか、色々原因がよぎる。とりあえずお茶を飲んで深呼吸して隣の人にバレない程度に鼻歌をうたって気を紛らわせて、深刻化しないように祈った。なんとなく変だ、くらいの違和感なら、宿泊施設に着いて休んでいれば治るだろう。もし悪化して本格的に高山病になってしまったら、山を下りるまで治らない。「お鉢巡りやりたかったなー」なんて脳天気なことを言っている場合ではない。気を引き締めないと登山すらままならいことを実感した。
食堂でカレーを食べて、登山挑戦記念になぜか友人に手紙を書いて5合目の郵便局に出して、神社で登拝守を買って、宿泊施設(カプセルホテル)にチェックイン。やることもないし、とにかく体調を治したかったので、酸素ボンベを時々吸って、18時には布団に入った。・・・ただいくら朝が早かったとはいえ、1日バス移動だけしてきた人間がそんな時間に寝られるはずもなく、「寝たいけど寝られない」戦いを続けて、寝ては起きてを繰り返した。
7月2日
事前に作ったスケジュールでは6時には登山開始のつもりだった。だが寝ては起きての攻防がいい加減耐えられなくなって、3時にもう起きることにした。着替えて荷物を詰め直し、いざ、登山口に入ったのは4時26分。
夜明け前。まだ薄暗いというのに登山客はまばらにいた。体調は問題なし。頭痛も消えている。夜に降った雨で地面は濡れていたし、空も雲に覆われていたが、徐々に明るくなって世界の色彩が濃くなるごとに、青空の面積が増えていった。雨が降っていない、自分の体調に問題が無い。たったそれだけのことがなんとも不思議で、ありがたかった。立ち止まっているより体を動かしていたくて、無心で歩き続けた。
6合目に着いた頃から、平坦な道が終わり、坂道が始まる。
空はすっかり晴れて、何もかもがよく見えた。
7合目手前くらいからガレ場と岩場。急登に息が上がる。
時間だけは余裕があったので(山小屋を予約しているから今日中に下山する必要もない)、とにかく疲れすぎて潰れることが無いように、他の人に抜かされるのも構わず、ちょっと登っては休憩してを繰り返した。冒頭にも書いたが、こんな良い天気に恵まれ、憂いなく登ることだけに集中できる『充実感』が幸福だった。遅いペースでも確実に進み続けているサクセス感があり、時間的な心の余裕があり、体調もよい。純粋に登ることを楽しめる。自分を信じて進み続けられる。こんな素敵な登山はそうそうない。
今思い返しても ”良い時間だった” と心から言える。
7:45、8合目(3,020m)に着く。ここまでくると肩で息をしているのが当たり前になってきて、登るから疲れるのか、酸素が薄いから息が上がるのか、そんなことを考える余裕もなくなってくる。ちょうど同じペースで登ってきていた見知らぬ英語圏ニキを勝手に心の中で応援しつつ、仲間意識を持って登り続けた。
9:42、長かった8合目ゾーンを抜ける。
10:00、9合目。写真を撮る余裕もない。
11:00、富士山頂に届く。
山頂についたときは、「あ、ここで終わりなんだ」と思った。随分あっさりした感想。9合目から山頂まであんなにきつかったのに、達成感よりも先に、旅が唐突に終わった驚きがあった。本来なら神社に郵便局に山小屋にとにぎわっていたであろう山頂は、お鉢巡りが解禁されていないせいか全ての建物が閉まっていて、廃墟の町にたどり着いたような気分だった。
山頂からの景色。飛行機から見ているような空の青さ。雲の上。
日本一高いところでポテチの袋がどれだけふくらむのか、気になって持ってきていたけど、山頂でザックを開いたらいつの間にか破裂していた。仕方がないのでそのままパーティ開けしてぼりぼり食べた。山頂は寒かった。夏のギラギラした日差しが照りつけるのに、空気はひんやりしていて、風は凍てついている。登るときは汗もかくし涼しい格好をしていたけど、景色を眺める間は雨具を羽織った。
夢の1つを達成した気持ちで下山を開始する。8合目で山小屋を予約してるっていうのに、登ることに集中しすぎて結局山頂まで行ってしまった。山頂から美しい青空が見られたことにかなり満足していたから、後悔はしていない。ただ8合目~山頂までの道のりは本当に大変できつかったので、ご来光のために翌朝登るのは止めよう・・・とぼんやり考えていた。
下山中、下界の景色がはっきり見える瞬間があって、何枚も写真を撮った。
富士山は南アルプスみたいな連なる山とは違って、山に囲まれているわけでもなく、麓には山梨の町が広がっている。頂上から海抜の低い平地まで一気に見下ろせる景色が不思議で新鮮でたまらなくて、じーっと見入っていた。今見ても空気が綺麗すぎる。なんてクリアな景色なんだ。
さて、素敵な登山だったわけだが、残念ながら良い思い出だけでは旅は終わらない。
本8合目まで下山し、予約していた山小屋にチェックインする。14時ごろだったと思う。カプセルホテルと同じ大きさのひとり部屋。今どきの山小屋は雑魚寝じゃなくて一応部屋がある。あったかい布団もある。さすがに登山の疲労があって、とりあえず布団にダイブして昼寝した。
日が暮れる頃、夕食の時間。寒すぎてダウンを着る。夕食の最中に山小屋の人が「山頂で日の出を見る方は深夜2時頃には起きてアタックする必要があります」と解説してくれる。寒さでかなりテンションが落ちていたので、山頂でご来光を見ようという気にはならなかった。日の出を見るだけなら山小屋からでも十分だろう。
夕食を食べても寒くて、ダウンを着たまま布団に入った。寒かった。
夜中、なんか嫌な汗をかいて目が覚める。
とにかく高いところが好きだ。高いものを見上げるのも、高所から見下ろすのも好き。
自分が住んでいる東海地方付近に、日本一高くて整備されている山がある。
登る動機には十分だろう。
たとえ雨でも霧でも、禁止されない限りは登るつもりでいたけど、やっぱり晴れた富士山に登りたいに決まっている。自分は別に天気に運がいい方ではないし、今までの旅でも悪天候ばかり引いてきた。それでも「山の天気は最後まで分からない」とあんまり良い意味では使われない言葉に縋って毎日天気予報をチェックして、出発までの2週間は祈り続けていた。ちょうど梅雨真っただ中で曇天が続き、憂い事がなくても気持ちが沈むような日々だ。不安を抱えながら過ごす6月後半、「なんとなくしんどい」状態が続いてつらかった。
だからこそ、登山日の7月2日、青空が見えたことがどれだけ嬉しかったか。いてもたってもいられずに登り始めた。もちろん道中はめちゃめちゃしんどかったけど、『予想以上の晴天の中、心置きなく登山ができる』ことに、最高に充実を感じていた。
ここから時系列順に書きたいことを書いていく。
7月1日
自宅を出て名古屋からバスで静岡県へ。高山病がなにより怖かったので、初日は富士5合目で一泊し、2,000m級の高所に体を慣らす。そして2日目は8合目の山小屋を予約済みという、なんとも時間と金をかけた旅程。恥ずかしい話だが富士山のことを何も知らずに「とりあえず山小屋の予約さえ勝ち取っておけば困らないだろう」の精神で組んだので、かなり余裕ありまくりのスケジュールになっていた。だって登るのに11時間くらいかかるんじゃないかって本気で思っていたんだよ・・・5合目から6時間で登れるってガイドブックで読んだ時にようやく自分の異常さに気が付いた。
バスからバスを乗り継いで富士山に近づいていく。
途中でふと読んだネットニュースに「今年の富士山は7/10からお鉢巡り解禁」の文字。えっ7月10日???と二度見。そして真っ白になる頭。お鉢巡りとは、富士山山頂の噴火口をぐるっと一周すること。そのお鉢巡りにも高低差があって、道中に3,776mの日本最高峰ポイントがある。雪解けと登山道の安全確保が出来ないという理由から、とりあえず山開きの7/1~7/9までは解禁しないらしい。・・・ということは、私は「日本最高峰」看板にも会えないし、そもそも3776mに到達することもできないってことだ。いやいやいや登る意味あるそれ!?日本で1番高いところに立つために来たんだが!?
己の勉強不足を棚に上げて憤慨する。そりゃ7月初旬が「登山者が比較的少なくて穴場!」とか言われるわけだ。そもそも梅雨シーズンだし、数ある登山道のうち一つしか解禁されてない時期だし。だから私でも山小屋の予約が取れたわけだ。あぁ、大人しくハイシーズンに計画しとけばよかったものを。でも少しでも人混みのない可能性をつかみたい気持ちも確かにあった。
このときの天気は曇時々雨。富士山の姿は分厚い雲に覆われていて、明日の天気も疑わしく、なんとなく憂鬱な気持ちで次のバスを待った。
最後のバスで「富士スバルライン5合目」へ。車でいけるのはこの5合目まで。吉田ルートと呼ばれる登山道の入口であり、土産物が売っていたり宿泊施設があったりと、ちょっとした町みたいになっている。ちなみにバスは満員だったが、日本人は誇張なしに1割くらいしかいなかった。
バスが5合目に近づくにつれて、体の異変を感じた。バイクで長距離かっ飛ばしたあとみたいな、身体中の血液が巡りきっていないような、ふわふわした感じ。朝が早かった疲れとか、いよいよ登山口が近づいてきた緊張とか、5合目で既に標高は2,000mを超えているから高山病の初期症状なのかもとか、色々原因がよぎる。とりあえずお茶を飲んで深呼吸して隣の人にバレない程度に鼻歌をうたって気を紛らわせて、深刻化しないように祈った。なんとなく変だ、くらいの違和感なら、宿泊施設に着いて休んでいれば治るだろう。もし悪化して本格的に高山病になってしまったら、山を下りるまで治らない。「お鉢巡りやりたかったなー」なんて脳天気なことを言っている場合ではない。気を引き締めないと登山すらままならいことを実感した。
食堂でカレーを食べて、登山挑戦記念になぜか友人に手紙を書いて5合目の郵便局に出して、神社で登拝守を買って、宿泊施設(カプセルホテル)にチェックイン。やることもないし、とにかく体調を治したかったので、酸素ボンベを時々吸って、18時には布団に入った。・・・ただいくら朝が早かったとはいえ、1日バス移動だけしてきた人間がそんな時間に寝られるはずもなく、「寝たいけど寝られない」戦いを続けて、寝ては起きてを繰り返した。
7月2日
事前に作ったスケジュールでは6時には登山開始のつもりだった。だが寝ては起きての攻防がいい加減耐えられなくなって、3時にもう起きることにした。着替えて荷物を詰め直し、いざ、登山口に入ったのは4時26分。
夜明け前。まだ薄暗いというのに登山客はまばらにいた。体調は問題なし。頭痛も消えている。夜に降った雨で地面は濡れていたし、空も雲に覆われていたが、徐々に明るくなって世界の色彩が濃くなるごとに、青空の面積が増えていった。雨が降っていない、自分の体調に問題が無い。たったそれだけのことがなんとも不思議で、ありがたかった。立ち止まっているより体を動かしていたくて、無心で歩き続けた。
6合目に着いた頃から、平坦な道が終わり、坂道が始まる。
空はすっかり晴れて、何もかもがよく見えた。
7合目手前くらいからガレ場と岩場。急登に息が上がる。
時間だけは余裕があったので(山小屋を予約しているから今日中に下山する必要もない)、とにかく疲れすぎて潰れることが無いように、他の人に抜かされるのも構わず、ちょっと登っては休憩してを繰り返した。冒頭にも書いたが、こんな良い天気に恵まれ、憂いなく登ることだけに集中できる『充実感』が幸福だった。遅いペースでも確実に進み続けているサクセス感があり、時間的な心の余裕があり、体調もよい。純粋に登ることを楽しめる。自分を信じて進み続けられる。こんな素敵な登山はそうそうない。
今思い返しても ”良い時間だった” と心から言える。
7:45、8合目(3,020m)に着く。ここまでくると肩で息をしているのが当たり前になってきて、登るから疲れるのか、酸素が薄いから息が上がるのか、そんなことを考える余裕もなくなってくる。ちょうど同じペースで登ってきていた見知らぬ英語圏ニキを勝手に心の中で応援しつつ、仲間意識を持って登り続けた。
9:42、長かった8合目ゾーンを抜ける。
10:00、9合目。写真を撮る余裕もない。
11:00、富士山頂に届く。
山頂についたときは、「あ、ここで終わりなんだ」と思った。随分あっさりした感想。9合目から山頂まであんなにきつかったのに、達成感よりも先に、旅が唐突に終わった驚きがあった。本来なら神社に郵便局に山小屋にとにぎわっていたであろう山頂は、お鉢巡りが解禁されていないせいか全ての建物が閉まっていて、廃墟の町にたどり着いたような気分だった。
山頂からの景色。飛行機から見ているような空の青さ。雲の上。
日本一高いところでポテチの袋がどれだけふくらむのか、気になって持ってきていたけど、山頂でザックを開いたらいつの間にか破裂していた。仕方がないのでそのままパーティ開けしてぼりぼり食べた。山頂は寒かった。夏のギラギラした日差しが照りつけるのに、空気はひんやりしていて、風は凍てついている。登るときは汗もかくし涼しい格好をしていたけど、景色を眺める間は雨具を羽織った。
夢の1つを達成した気持ちで下山を開始する。8合目で山小屋を予約してるっていうのに、登ることに集中しすぎて結局山頂まで行ってしまった。山頂から美しい青空が見られたことにかなり満足していたから、後悔はしていない。ただ8合目~山頂までの道のりは本当に大変できつかったので、ご来光のために翌朝登るのは止めよう・・・とぼんやり考えていた。
下山中、下界の景色がはっきり見える瞬間があって、何枚も写真を撮った。
富士山は南アルプスみたいな連なる山とは違って、山に囲まれているわけでもなく、麓には山梨の町が広がっている。頂上から海抜の低い平地まで一気に見下ろせる景色が不思議で新鮮でたまらなくて、じーっと見入っていた。今見ても空気が綺麗すぎる。なんてクリアな景色なんだ。
さて、素敵な登山だったわけだが、残念ながら良い思い出だけでは旅は終わらない。
本8合目まで下山し、予約していた山小屋にチェックインする。14時ごろだったと思う。カプセルホテルと同じ大きさのひとり部屋。今どきの山小屋は雑魚寝じゃなくて一応部屋がある。あったかい布団もある。さすがに登山の疲労があって、とりあえず布団にダイブして昼寝した。
日が暮れる頃、夕食の時間。寒すぎてダウンを着る。夕食の最中に山小屋の人が「山頂で日の出を見る方は深夜2時頃には起きてアタックする必要があります」と解説してくれる。寒さでかなりテンションが落ちていたので、山頂でご来光を見ようという気にはならなかった。日の出を見るだけなら山小屋からでも十分だろう。
夕食を食べても寒くて、ダウンを着たまま布団に入った。寒かった。
夜中、なんか嫌な汗をかいて目が覚める。
上体を起こすと嘔吐感。やべぇと思ってとりあえず深呼吸する。頭痛はないから、高山病ではないと思うが、全身汗をかくくらいには暑いのに、身体の芯はぞくぞくするほど寒い。体温調節機能がバグっている。これはそう、熱が出た時の感覚ではないか・・・。まだ軽い高山病の方がマシだなと思いつつ経過を見る。目眩がする・・・気がする。狭い天井を見上げて、こんなところで高熱だしても助けなんか呼べないし、ボロボロになりながら下山するしかないし、そもそも下山できるほど気力あるのか、ああ午前中だけで山頂行けたんだから、山小屋は諦めて下山すれば良かった・・・なんて一気に不安が湧いてきて、パニック起こすかと思った。
それでも布団の中でうずくまっていても気分は変わらないと思って、思い切って外に出た。トイレにしばらくこもって(腹が痛かったので)、ありがたいことに売店が24時間やっているので、ホットココアを飲んでから寝床に戻る。トイレまで歩いてみた感じ、熱っぽいわけではなさそうで少しだけ安心した。それでも気温の変化に体がついてきてない感じはするので、明るくなったら無理せずとっとと下山しようと思った。
睡眠中は呼吸が浅くなるので、高山病のリスクが高まるという。ただでさえ山小屋という建物の中は、外に比べて酸素が薄くなりがちだ。隣の寝床の人も、ずっとうなされてて苦しそうだった。改めて、ここは標高3000m越えの極地、誰もが体調万全とは限らない、平地とは違う極限空間なのだと思い知る。ちなみにこのとき、スマホのメモアプリには「グロッキー山小屋」とだけ書き残していた。
7月3日
次に目が覚めたのは朝4時。自分でかけたアラームで目が覚めた。
山小屋に残っているのは、体調が悪そうなメンバーを抱えたパーティと自分だけ。他の人は夜明け前に山頂を目指してアタック開始したのだろうか。もう知る由もないけれど。
芯まで凍えるような寒さはなくなっていたが、やはり不安の方が大きくて、日の出と共に下山しようという決意が固まっていた。荷物を準備して、日が昇るのを待つ。一人で見る日の出の感想は大体いつもおなじだ。きれいとか感動するとかじゃなくて、「今日が明るく照らされたことへの安堵」これに尽きる。
のんびりしすぎると山頂からご来光を眺めた人々が下山するピークに巻き込まれると思って、明るくなってそうそうに山小屋を後にした。「お世話になりました」ってスタッフさんに挨拶して、下山道(8合目以下は登りとは違う道を行く)に向かう。昨日は登ることが生きがいでやめられないって感じだったのに、今はとにかく、下界が恋しい。不安になるくらい焦っていた。
それでも日は登るし、今日も今日とて良い天気だ。気持ちとは裏腹に、景色は色鮮やかで幻想的で現実味が無かった。不安を抱えながらも、どうしても景色に魅了される。異世界にひとり取り残されたような寂しさがあった。
朝日、赤土の道、青空、下界の緑、雲海・・・。全てが鮮やかで美しい。風も穏やかで人の気配もなく、喧噪も木々のざわめきもない、本当に静かな時間だった。
眼下に樹海が広がっていて、あんなにはっきりと緑が見えるのに、歩いても歩いても森が近くならない。こんなに緑が恋しくなるなんて思わなかった。あとどれくらい歩けば森にたどり着けるか、そんなことばかり考えていた。
そうして2時間くらい経った頃だろうか。もう「あとどれくらい~」とか考えることにも疲れてほぼ無心で人気のない道を下り続けていたとき、ふいに鳥の鳴き声が聞こえた。はっとして見渡すと、新緑の木々が生えている。取るに足らないただの木立なのに、「木が生えるところまで降りてきたんだ・・・」という感動がじーんと胸を打った。泣きそうになるくらいの衝撃だった。今回の旅について、最も深く残る思い出は、幸福さえ感じたアタックの充実感でも、素敵な景色でも、ましてやグロッキー山小屋でもないと思う。必死で下山する中、木立を見つけて、“緑のある世界に帰ってきた”と思った。地に草が生えているのが、木々が根付いているのが嬉しかった。生き物がいるべき場所という感じがした。
進み続けるにつれ、森は深くなる。湿った土の匂い、雑木林の涼しさ、草むらの匂い、そんなものを感じながら、森が好きだなぁと思った。
7:00、5合目に戻ってきた。下山が完了した。
ケガもなく、深刻な体調不良もなく、一人でよくやったと思う。
その後はバスで新宿に出て、とりあえず銭湯に行って、新宿アニメイトでちょうどコラボショップやってる推しコンテンツのグッズを買い込んで新幹線で帰宅した。富士山を経てもなお推し活に割けるエネルギーがあって良かった、というよりは、オタクだったから帰りも楽しめて良かった、というべきか。推しの等身大パネルを見てしまったらエネルギー湧きまくるに決まってる。
総評
今までのアウトドア経験をつぎ込んだ集大成みたいな旅だった。靴擦れ予防のために少しでも違和感を感じた時点で絆創膏を貼るとか、行動食をこまめに取るために常にポケットにチョコレートを入れておくとか、限られた積載量のザックに2泊3日分の荷物を詰め込む方法とかね。過去の経験が自分を支えているみたいで嬉しかった。こういうことの積み重ねがあれば、憧れの「肝の据わった人間」に近づけるだろうか。
旅のお供に「星野道夫」という写真家のエッセイ集を持っていたのが功を奏した。アラスカの自然を愛した筆者の自然観が、富士山という未知の自然に挑む自分の視点とリンクして、全然違う世界の話なのに没頭できた。旅に持ってきた本がマッチするというのは、けっこう嬉しい体験である。自然に触れると、たとえ普段は都市に暮らしていても、大自然にも自分と同じ時が流れていると思えるような想像力を得られる・・・という話(かなり要約してるけど)が特に好きだった。今こうして私が3時間かけて日記を書いている間にも、あの富士山の山小屋には誰かが泊まり、山頂では風が吹きすさぶ。その光景を想像できるだけで、なんだか世界が広がった気がするのだ。
新しい世界を通り抜けた自分は、少しだけ強くなれたような気がする。強くなるために登ったわけじゃないけど、登って良かったと思う。全体的に、言葉にするのを諦めるほど景色が良かった。いま見返しても、ファンタジーかよってくらい美しい。きっと時が経てばグロッキー山小屋のつらい記憶も薄れて、ただ「きれいな登山だった」という思い出だけが残るだろう。それはそれで寂しいよね。辛いも、苦しいも、飲み込んだうえで帰ってきたのにさ。だからこそ、こうして日記を書き上げられて良かった。ここまでやって、ようやく私の旅は完成する。
おつかれさまでした。
7月3日
次に目が覚めたのは朝4時。自分でかけたアラームで目が覚めた。
山小屋に残っているのは、体調が悪そうなメンバーを抱えたパーティと自分だけ。他の人は夜明け前に山頂を目指してアタック開始したのだろうか。もう知る由もないけれど。
芯まで凍えるような寒さはなくなっていたが、やはり不安の方が大きくて、日の出と共に下山しようという決意が固まっていた。荷物を準備して、日が昇るのを待つ。一人で見る日の出の感想は大体いつもおなじだ。きれいとか感動するとかじゃなくて、「今日が明るく照らされたことへの安堵」これに尽きる。
のんびりしすぎると山頂からご来光を眺めた人々が下山するピークに巻き込まれると思って、明るくなってそうそうに山小屋を後にした。「お世話になりました」ってスタッフさんに挨拶して、下山道(8合目以下は登りとは違う道を行く)に向かう。昨日は登ることが生きがいでやめられないって感じだったのに、今はとにかく、下界が恋しい。不安になるくらい焦っていた。
それでも日は登るし、今日も今日とて良い天気だ。気持ちとは裏腹に、景色は色鮮やかで幻想的で現実味が無かった。不安を抱えながらも、どうしても景色に魅了される。異世界にひとり取り残されたような寂しさがあった。
朝日、赤土の道、青空、下界の緑、雲海・・・。全てが鮮やかで美しい。風も穏やかで人の気配もなく、喧噪も木々のざわめきもない、本当に静かな時間だった。
眼下に樹海が広がっていて、あんなにはっきりと緑が見えるのに、歩いても歩いても森が近くならない。こんなに緑が恋しくなるなんて思わなかった。あとどれくらい歩けば森にたどり着けるか、そんなことばかり考えていた。
そうして2時間くらい経った頃だろうか。もう「あとどれくらい~」とか考えることにも疲れてほぼ無心で人気のない道を下り続けていたとき、ふいに鳥の鳴き声が聞こえた。はっとして見渡すと、新緑の木々が生えている。取るに足らないただの木立なのに、「木が生えるところまで降りてきたんだ・・・」という感動がじーんと胸を打った。泣きそうになるくらいの衝撃だった。今回の旅について、最も深く残る思い出は、幸福さえ感じたアタックの充実感でも、素敵な景色でも、ましてやグロッキー山小屋でもないと思う。必死で下山する中、木立を見つけて、“緑のある世界に帰ってきた”と思った。地に草が生えているのが、木々が根付いているのが嬉しかった。生き物がいるべき場所という感じがした。
進み続けるにつれ、森は深くなる。湿った土の匂い、雑木林の涼しさ、草むらの匂い、そんなものを感じながら、森が好きだなぁと思った。
7:00、5合目に戻ってきた。下山が完了した。
ケガもなく、深刻な体調不良もなく、一人でよくやったと思う。
その後はバスで新宿に出て、とりあえず銭湯に行って、新宿アニメイトでちょうどコラボショップやってる推しコンテンツのグッズを買い込んで新幹線で帰宅した。富士山を経てもなお推し活に割けるエネルギーがあって良かった、というよりは、オタクだったから帰りも楽しめて良かった、というべきか。推しの等身大パネルを見てしまったらエネルギー湧きまくるに決まってる。
総評
今までのアウトドア経験をつぎ込んだ集大成みたいな旅だった。靴擦れ予防のために少しでも違和感を感じた時点で絆創膏を貼るとか、行動食をこまめに取るために常にポケットにチョコレートを入れておくとか、限られた積載量のザックに2泊3日分の荷物を詰め込む方法とかね。過去の経験が自分を支えているみたいで嬉しかった。こういうことの積み重ねがあれば、憧れの「肝の据わった人間」に近づけるだろうか。
旅のお供に「星野道夫」という写真家のエッセイ集を持っていたのが功を奏した。アラスカの自然を愛した筆者の自然観が、富士山という未知の自然に挑む自分の視点とリンクして、全然違う世界の話なのに没頭できた。旅に持ってきた本がマッチするというのは、けっこう嬉しい体験である。自然に触れると、たとえ普段は都市に暮らしていても、大自然にも自分と同じ時が流れていると思えるような想像力を得られる・・・という話(かなり要約してるけど)が特に好きだった。今こうして私が3時間かけて日記を書いている間にも、あの富士山の山小屋には誰かが泊まり、山頂では風が吹きすさぶ。その光景を想像できるだけで、なんだか世界が広がった気がするのだ。
新しい世界を通り抜けた自分は、少しだけ強くなれたような気がする。強くなるために登ったわけじゃないけど、登って良かったと思う。全体的に、言葉にするのを諦めるほど景色が良かった。いま見返しても、ファンタジーかよってくらい美しい。きっと時が経てばグロッキー山小屋のつらい記憶も薄れて、ただ「きれいな登山だった」という思い出だけが残るだろう。それはそれで寂しいよね。辛いも、苦しいも、飲み込んだうえで帰ってきたのにさ。だからこそ、こうして日記を書き上げられて良かった。ここまでやって、ようやく私の旅は完成する。
おつかれさまでした。
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