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日記、感想、オタ活・・・ごちゃまぜ雑多の物置蔵

 水曜日の夜から土曜日まで、一人で旅行に出た。
 名古屋港発のフェリーに乗って、終着地は北海道の苫小牧。
 世界の広さが染みわたる旅だった。


 計画は結構唐突。今月の始め頃だったと思う。
 思い立ったその場でフェリーやホテルや帰りの飛行機を予約した。
 もともとこの日程は雪山登山に挑戦する予定で空けていたが、「雪山経験値のないお前がいきなり中級コースに申し込むな」という至極まっとうな理由でキャンセルとなり、代替になる旅程を探すことにしたのが始まり。正直、雪山がとん挫したショックで意気消沈し、他の旅行を考えるのも面倒だった。なんだかんだ旅行ってのは、移動で疲れるし金はかかるしリスクもある。ただの高価な娯楽であり、わざわざ行くのは生産的ではないのでは……そんな感じで腐ってしまいそうだった。
 それでも実行に踏み切れたのは、私が救いを求めていたからなんだろうなと思う。日々に追われて心が疲弊しているのは自覚していた。創作は文字通りもう1文字も書けないし、漫画やゲームを追いかけるのも苦痛になった。感受性も死につつあるなと思っていた。昨年、ディズニーシーに行った時、アトラクションを昔ほど楽しめないなと自覚してしまったことが少しトラウマだった。……そんな状況を打破したかった。家でゴロゴロしていても解決しないのは自明だろう。

 心を生き返らせるような旅。
 今思えば、そんな表現が的確かなと思う。


 フェリーの出港は水曜日の夜7時だった。
 バスに揺られながら港へ向かう途中、船に乗るまで、ずっと緊張していた。はじめてのものに乗るってこういうことだと思う。いよいよ船に乗るんだ、本当に乗れるのかな?…そんな気持ちがグルグルして落ち着かない。ただ、夜の港にライトアップされたフェリーの姿を捉えた時は、たしかに「すごい!大きい!!」と感動した。目が釘付けになって、不安がわくわくに変換された。そこから先は非日常だった。

 船内をレポするとしたら、そうだなぁ、「客船」って感じ。吹き抜けのロビーがあり、海を眺める窓とソファーがいくつもあり、海が見える大浴場があり、ビュッフェがあり、ランク分けされた客室があり、まさに動くホテルだった。大きい船だから揺れが少なく、酔うこともなかった。
 最上階には外に出られるデッキがあり、さすがに船首には出られないものの、海の上を感じるには最高だった。ただゾッとするほど風が強く(風をしのげる場所もあったが)、本当に風が強く、手持ちの品を飛ばされてもおかしくない、何なら人間が飛ばされてもおかしくないなと思うことが何度かあった。ちなみに私は船への憧れをこじらせるあまり、旅行前にコスプレショップで白い軍帽を購入し、デッキで帽子被って写真撮ることを夢見ていた。結局ちゃんとそれっぽい写真は撮れたんだけど、マジで帽子が何度も飛んでいきかけて焦った。かなり無謀だったと思う。
 
 基本的に、海を見るか、寝るか、読書するかで過ごしていた。今回は村上春樹『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を持ち込み、これを2泊3日かけて読むことをミッションとしていた。少しは小説を消費できる人間になりたかったから。小説をゆっくり読める旅なら船じゃなくても、例えば旅館に缶詰めでも良かったのだが、そんなことをしたら私は周辺を観光したくて外へ出てしまうので、身動きできない旅という意味で船が最適解だった。圏外かつWiFiも契約しないと利用できないというのも、退屈だったけど小説に集中できてよかったな。私みたいな人間はスマホで時間を浪費することが得意で困る。
 結局『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』は、残りあと10ページくらい残った状態で帰宅した。あとちょっとだから今夜にでも読みたい所存。

 1日目はなかなか寝付けず、午前3時に諦めて寝台から出て船内を探索した。個室ではなくカプセルホテルみたいにベッドが並ぶ寝台に泊まっていた。お客は少なくガラガラだったので快適だった。船内は一応24時間電気がついている。
 午前3時、好奇心に負けて、あたたかい格好をして夜のデッキに出た。すぐ後悔した。別段海が荒れているというわけでもなかったが、夜の海はどこが水面かわからないくらい漆黒で、底知れない不安を掻き立てる。その上昼間とは比べ物にならない暴風が、物体を隙あらば吹き飛ばさんばかりの勢いで吹き荒れているので、なんかもうドアから出て4,5歩で回れ右した。マジで人間が飛ばされても誰も気づかないだろうし生存不可だしヤバい世界である。よく考えたら夜中にデッキに出ることができるのも不思議だ。星空観察どころじゃない。まぁ時と場合によっては穏やかな夜もあるのかもしれませんけど……。
 外にビビり散らしたあとは、窓の近くのイスに座ってずっと本を読んでいた。睡魔が再び襲ってくる夜明け前、ふと日の出が見たいなと思い立って再度デッキへ。おそるおそるドアを開けた。風は大分収まっていた。何より、海とデッキの形が可視できるだけでこんなに安心して出られるとは思わなかった。太陽は偉大だ。

 日の出は美しかった。今日も来たという安心感が胸を満たした。



 2日目の夜、ちょっと退屈になって悶々とした時間があった。
 こんな客船に若い女性の一人旅は珍しいのか、割かし声を掛けられる。それが楽しいときもあったけど、奇異な目で見られたり干渉されたりするのが鬱陶しいなと思うこともあった。
 
そんなときに書き残したメモがこちら。
「のんびりとした旅はイコール退屈だ。一人でいることは、世界を直接感じることだ。世界のあり方も、景色も、周囲からの反応も、誰かと一緒だったら希釈される。それが良かったり悪かったりする。よくも悪くも、一人旅は感じることが多い。どうしたらいいのかわからない。
 船の中、私はよくイヤホンで耳を塞いだ。馴染みの音楽で外界から刺激を遮断する。妙に安心した。そうしないと寝られなかった。一体何から逃げているのかはわからない。物理的に私を害するものは無いというのに。形のないものがやんわりと恐ろしい。それはたぶん他人の視線、声、存在、可能性。つくづく一人旅というのは『観光属性』に向かないものだと思い知る。綺麗な内装は嬉しいし、洗練された設備には癒される。それでも、胸に差し込む暗い感情は、こういうところだからこそ感じるのだ。」

 ガチ陰キャの一人旅は前途多難ですね。
 書き残したあとは心のモヤモヤも多少は晴れたし、その後は小説と音楽と自分の世界に徹底的に没頭するようにしたので、モヤモヤする時間も減った。はじめからそれでよかったんじゃないかな…。


 3日目、いよいよ上陸の日。
 午前中に上陸だったので朝から荷物をまとめ、残りの時間は相変わらず小説の文字を目で追っていた。上陸1時間前、ふと窓の外に顔をあげると、これから上陸するであろう港が見えた。
 人間は目的地を目にするとこんなにも心躍るのかと驚くくらいテンションが上がった。新天地がいよいよ迫ってくるワクワクは何物にも代えがたい。もう村上春樹なんて手につかなかった。急いで防寒具を着てデッキに登った。刻々と近づいてくる港を、目を輝かせて眺めた。ちなみにそんなことをしているのは私だけだった。デッキは相変わらず閑散としていた。
 はじめての土地、はじめての地形、遠くに見える名も知らぬ高い山。嬉しくないわけがない。

 そこからはあまりにも短い北海道観光である。翌日には帰らなきゃいけなかったので、観光というよりは美味しいもの食べてお土産買って帰るだけみたいなもんだったが、まぁ満足だった。ジンギスカン、札幌ラーメン、うに丼まで食べられたら誰だって幸せに違いない。


 4日目、帰宅の日。
 お昼ごろ、新千歳空港から名古屋まで飛行機で帰った。飛行機に乗るのは学生時代に台湾旅行に行ったきりである。何度目だとしても空を飛べるのは単純にうれしかったし、国内線ならではで高度が低いのも見どころだった。良い具合に日本を空から見ることができた。
 離陸も楽しかったし(離陸時の重力やスピードはアトラクションみたいだけど、これは本物なんだという事実が何よりワクワクした)、景色はもっと良かった。高度がぐんぐん上がる中、上陸した苫小牧を発見し、北海道の地形のもの珍しさと美しさに感嘆した。本州は天気の影響で地形が見えるところは少なかったが、空から見る日本が新鮮で、窓の外を食い入るように見つめ続けた。
 新潟から長野のあたり、ちょうど日本アルプスがそびえたつところ、雪を被った山脈が続いていて、その美しさに我を忘れて写真を撮った。山は美しい。それが遥か遠い星などではなく、技術があれば「いつかたどり着ける場所」なのが良いなと思った。大小さまざまな山に覆われた日本って、美しいんだな。帰りの手段に飛行機を選んだ自分を褒めた。こんなに素敵な景色に出会えるのなら、永遠に国内線に乗っていたい。

 そう思うくらい、綺麗だった。


 

 さて、愛知県に帰ってきて、ようやく「帰ってきた」実感が湧いてきた。
 乗り慣れた電車に揺られて帰宅する。
 電車の中で、この旅について考えていた。


 景色の良い旅だった。良い景色を見て、おいしいものを食べる旅だった。そしてその景色に心躍らせる『私』が嬉しかった。遮るもののない朝焼けを美しいと思い、空と海の間でデッキを駆け回り、近づく見知らぬ土地に胸躍らせ、空から見る大地をこの上なく素晴らしいと思った。
 今は、心が生き返ったような気分だ。
 そう思うと涙が溢れた。イヤホンから流れる旅の音楽がいつもより染みる。旅の中で見てきた夢のような情景が確実に心に刻まれていると自覚して、まだ自分は捨てたものでは無いなと、まだ世界に感動できる神経があるんだと分かって、とてもとても嬉しかった。一人旅だから苦しむこともあったけど、この感動は希釈しない一人旅だからこそ手に入ったんじゃないかなと思う。私はやり遂げた。こんなに後味の良い旅ははじめてだ。


 また現実に追われて疲弊するとしても、きっと立ち直れるだろう。海の向こうにある世界や、空の向こうから見える景色、それを「知っている」ことがどれだけ希望になるか。まさに「心臓をつくような風景」を、私は見たんだよ。

(今回の音楽)鳥になった少女 / 可不

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仕事が上手くいかない。
ミスを連発しているわけではないけど、やろうとしていたことがその日のうちに終わらなかったり、イレギュラーな事態にあたふたして満足な対応ができなかったり、できると思っていたことにとてつもなく時間がかかってしまったり、先輩の説明を聞いてわかった気でいたけど実際にやってみると順序がてんで不明だったり・・・・・・ここ1,2週間はそんな事態のオンパレード。うまくいかないことが立て続けに起きると、なんとなく逃げ癖というか弱気になってきて、出来ない理由や言い訳を探したり、とりあえず自分を責めたりして、ネガティブな方へネガティブな方へと、気持ちも思考も落ちていく。

今日も今日とて仕事がうまく進まず傷心。
つい先輩に「うまくいかないんですよ、落ち込みますよ」と、ぼやいた。


「そうだね! 僕らの担当業務は、パソコンの取り扱いからパートさんの雇用まで、小さな組織を経営しているみたいに幅広い仕事があるんだよね。やることがたくさんあるけど、無事に運営できるようになったら、どこの部署でも通用するよ」


そんなことはわかってんだよ!!!!!!

分かってるよ!!!私がいくら「こんなの専門外だよわかんないよ…」と思ったところで、その仕事は確実に私の仕事だし、オールマイティに全てを管理して円滑に運営できる仕事の仕方が理想形なんだってことくらい、わかってるよ!!それができないから嘆いて嘆いて毎日苦しくて、少しは同情して欲しくてぼやいたのに、そんなド正論決められたら泣きたくなるってもんだよ・・・!!そんなことはわかってんだよしか言えないんだよ・・・!わかってるよ、わかってる・・・先輩の言う通りだ。ちゃんと一人で、担当職員として、広範囲に知識と技術を持ってフルカバーできるっていうのが最善なんだ。私が目指すべき姿なんだよ。それが一番、かっこいいんだよ。知ってるんだよ、そんなことは。

先輩のありがたいお言葉により私の心は大荒れに荒れたが、同時に「目指すべき姿」に気づかされた。
表面的には認識していたけど、しっかり考えたことはなかった。
慣れない仕事生活の中で忘れていただけかもしれないけど。
どうせ仕事を任されているのなら、しっかり隅から隅まで管理できる頭になりたいと思う。それが理想だと思うし、最善だと思うし、圧倒的に楽しいと思うから。だから私は私の思い描く「小さな組織を経営できる人」を目指すんだ。この程度で止まっている場合じゃない。
「できない」「わからない」と燻るくらいなら、理想の姿を追いかけたい。
ド底辺で起き上がる力もなく泣いているよりは、無様でもブチギレながら階段を駆け上がりたい。

だったら、せめても、ネガティブになっている場合じゃないなと思った。いきなり明日からできなかったことができるようにはならないだろうが、気の持ちようで処理速度の少しくらいは上がるはず。昨日よりは理想に近づけていると信じて、タスクをこなしていこう。

あと半年。まだ取り返せる。

落ち込みがちな時期。
なにひとつ上手くいかないなと、暗い気付きが全身に蓄積する。
うまく生きていけていない気がする。
人間を十分に演じられていない気がする。
もっとうまくやらなきゃ、自分はダメな奴だという妄想に取りつかれる。

今日も今日とて、色々やらかした。
時間配分が甘くて時間を持て余したり、うまくコミュニケーションが取れなくて最低限の会話しかできず勝手に落ち込んだり、来客対応が不十分であとから確認しておけばよかった事項がバラバラ出てきたり、急いで印刷しなきゃいけないものを何度も間違えたり。

そこへ加えて、最近の悩み。
休日は何もやる気が起きなくて寝てばかり。病気を疑うレベルで何も手につかない。家にいると本当に何もしないので、買い物に行ったりボーイスカウトに行ったり無理やり行動せざるを得ない予定を入れるけど、入れたら入れたで予定があることがストレスになる。かといって他にしたいことがあるでもない。地獄。

平日は働いている。残業は結構多い。残業代がちゃんと出るので働く環境にストレスは無い。それでも、今日みたいにうまくいかない日はあるし、さすがに自由な時間が欲しいなと思うときもあって、なかなかまだまだ精神がしゃちくになれない。いつも真面目でストイックな先輩も、私みたいに自分のことで悩んだり立ち止まったりすることがあるのだろうか。想像つかないな。

最近あった一番楽しかったことが「めっちゃ面白い夢を見た」なのがもう絶望である。いや面白い夢は別にいいんだけど、度が過ぎると現実より夢の方が楽しみになってしまって生きるのが辛くなるので本当にキツい(実体験)。

一応日々を面白くしようと努力はしてる。
でも読書は5分に1回寝た。耐えて耐えて1冊読み切ったが二度と読まないと思う。ゲームは最近寝食を忘れてハマったものがあるが、一定のレベルに達して速攻で飽きた。バイクは最近のツーリングで渋滞に巻き込まれて死ぬほど疲れたのでしばらくは遠慮したい。いい感じの刺激が無い。
そもそも「やりたいからやる」のではなく「日々を面白くしたいから頑張る」というのも、段々と「努力してまで面白いものを見つけないといけないの?努力しないと面白いと思えないの?」と頑張る意味を見失って憂鬱になるので危険である(実体験)。


こんな感じで「生きるの向いてないな…」と思い詰めていたのだが、ふとテレビに映った一般人の生活感や日常の話を眺めているうちに、「生きるのに刺激は必須では無くね?」と思った。自然体が一番じゃんと思った。やっぱりもう心のどこかで、人生は楽しくあるべきで、適度な刺激と適度な行動力が必要で、楽しいことが無いのなら自分から探しに行かなければならないと思い込んでいたんだろうなと思う。もちろん退屈を潰せるのならそれが最善だし、自分のこうやって何かしら手を出してみたくなる性分は嫌いではない。でも、対処法が常に正解とは限らないんだろう。

なにもしないこんな夜を、「今日も何もしなかった。時間を無駄にした。自分はダメな人間だ」と嘆く必要はないのかもしれない。

嫌なら行動すればいいのに出来ないジレンマから抜け出せない自分は嫌いだけど、認めてあげてもいいんじゃないって思ったら少しは心が軽くなった。どうせ今悩んだってできることは特にない。少しでも建設的なことがしたいなら、とっとと寝て解答を明日にゆだねるべきだ。明日になったら、見えている世界が変わるかもしれない。そう信じて、寝てみよう。

 自分がコロナ陽性を引いて2週間仕事を休んだのが7月の末。
 復帰後もなんとなく体調不良だったしメンタルも落ち込んでいたので、思い切って髪を切った。それはもうバッサリと。これでこの夏に染みついた悪い気を落として、心機一転仕事も休暇もバリバリやっていくつもりだった。実際、髪切った直後の信州旅行は楽しかった。

 それが復帰して2週間も経たぬうちに、今度は別の家族が陽性を引いた。
 私は「コロナ明けなのに旅行に行くなんて信じられない。行くなら帰ってきてしばらくは家の中でもマスクして食事は別で取りなさい」と家族に言われながら旅行に行っていたので、ここ1週間は対面で食事どころか面と向かって会話したこともない。それでも「同居家族は原則、濃厚接触者」という無慈悲な定義には逆らえず、涙を飲んで職場に連絡を入れた。

 運は早々好転しないようだ。

 4日間無駄に浅い娯楽と惰眠と暴食に溺れ、本日は自宅待機最終日。
 ようやく文字が打てるようになった。ヤケクソな気持ちが起因していたのか、生来の救えない自堕落のせいなのかわからんが、しばらく何をやる気もなかったし、何に集中することもできなかった。それでも「EGOISTの歌が好きだから1期くらいは見とかないと…」とサイコパス22話観たのだけは褒めてもらいたいかもしれない。観たというか、再生をクリックしたら後は画面から目を逸らさないよう耐えていた、という方が正しいかもしれない。平時ならこのアニメを面白いと思ったのだろうけど、こんな状況下では物語を楽しむことよりむしろ、「見終える」ことだけが重要だった。本を読み切らない、アニメも見切らない、ゲームも積みがちな私には、「面白い」と思うことより、「最後まで追いつく」ことが何より重要だ。そのくせ、今のような時間を与えられた状態になると、「何か功績を作らねば」と思い詰める。別に新しい料理に挑戦したとか、短編をひとつ書いたとか、イラストを描いたとかで十分なのだが、物語に集中できない奴が創作などできるはずもなく、最低限の妥協案として「物語を消費する」が浮かび上がり、その最低限の妥協案を自分に課した結果、サイコパス1期一気見というところに落ち着いたのだった。いわば義務。
 
 ところがこうして最終日はPCに向かって動画ではなく文字を考えて打つことができる。夏休み最終日には宿題に向かう勇気が出るパターンなのかもしれないし、たまたま今朝が涼しかったので体力が有り余っているのかもしれない。夏の朝の涼しさはとてもよい。
 
 自分はもっと一人の時間をクリエイティブに過ごせると思っていた。
 そんなものは傲慢な思い込みもいいところだった。
 社会人になって1年数ヶ月。創作する力を殺してしまった気がする。
 物語を楽しめない奴が、どうして書けるだろう?
 
 こんな感じだから、外に出たがる。外に救いを求めに行きたくなる。
 逃げているだけなのかもしれない。
 でも私は、こんな自分を諦めて腐りたいとは思わない。こんな状態でも、たまにはワクワクしたり、ときめいたりすることがある。そういう心の機微を、希望の欠片みたいのものを探して、気づくことを忘れなければ、いつかきっと私は私を喜ばせる術を知るだろう。そのために手広くやっていけばいい。飽きたってかまわない。様々なものを見てみるんだ。だから考え続けて、やめないで。

信州は上田を中心とした友人との二人旅行。
その備忘録として日記を残す。



1日目、新幹線を乗り継いで上田で合流した。
北陸新幹線に乗るのも、グリーン車に乗るのも、新幹線で東京より遠い場所に行くのも初めてだったので、ドキドキしたし、たった半日でこれだけの距離を移動できることに驚いた。
土曜日で夏休み期間ということもあり、私が乗った北陸新幹線は指定席すべて完売という盛況っぷりだった。殆どの乗客は軽井沢で降りた。景色は地元からずーっと曇天で、軽井沢もすっきり晴れていれば素晴らしいアクティビティが楽しめただろうに、お互いついてないですねなんて勝手に思っていた。だが、軽井沢のトンネルを抜けた途端、天気は一転。雲は薄くなるわ青空が見えるわで、先程までの曇天は山の向こうに置いてかれた雲だったんだなということがよくわかった。さすがに笑った。幸先が良いにも程があるだろ。

上田は暑かったが、上田城に歩いて行くことはできた。
昼食は上田城の近くでお蕎麦。今回信州に行くにあたり、目標としていたのが「くるみそばを食べること」だった。くるみのペーストをざるそばのつゆに溶かしたもので、上司におすすめされて以来、ずっと食べたいと思っていた。上田の蕎麦は細麺で柔らかめ、そうめんみたいに透明度が高かった。そんな蕎麦に、くるみペーストのつゆが、めちゃくちゃ合う。冗談抜きでここ1か月で食べた何よりも美味いと思った。くるみのコク、うまみ、めんつゆの塩味、ペースト(味噌と砂糖か何かを和えている?)の甘み、それらすべてが一体化して蕎麦のつるんとした食感に集約される。食べやすい上に美味い、最高。感動しすぎておみやげコーナーでくるみ胡麻和えの瓶を買った。これで家でもくるみそばが食べられる。ここだけで上田に来た甲斐があったと喜んだ。


その後、街ブラして、適当に入った喫茶店が思いの外レトロで静かで良い雰囲気だった。外の喧騒が遠くなる静かで薄暗い店内、革張りのソファ、グラスを磨く店主、カウンターで話し続ける常連さんたち、ほんのり漂うたばこの匂い・・・メロンソーダフロートを飲みながら、「こういうのがいいんだよ・・・」と雰囲気を噛みしめていた。オープンで明るくて賑やかで華やかなお店もいいけれど、また来たいと思えるのはこういう店だ。


2日目、レンタカーを借りて遠出した。
レンタカーを利用するのが初めてで「事前予約する」という概念がすっぽ抜けており、前日の夜に初めて「もしかして予約してないと利用できないもの??」と気付いた。さすがに前日の夜中にネット上で予約は出来ず、仕方がないので朝イチで直接電話。すると「ご用意できます」とのことだったので、お店の人と奇跡に感謝した。本当にありがとう。

目的地は北八ヶ岳。上田からは車をかっ飛ばしても1時間はかかる。我ながら上田を拠点にしているとは思えない目的地だとは思うが、ロープウェイを利用した標高高めの登山がどうしてもやりたかったんだから仕方ない。自分一人が楽しむだけの登山だったらもっと近くの山でも良かったかもしれないが、今回ついてきてくれる友人にはぜひ、森林限界の世界を歩く楽しさを知ってもらいたかった。「山の上にこんな幻想的な世界がある」ってことを知って欲しかった。ロープウェイはどうしても譲れなかったんだ。
快晴とは言い難い天候だったものの、雨には降られず、時々晴れ間が見えるくらいの、日光に邪魔されない、登山に適した天気だった。ロープウェイ到着駅から片道1時間30分程度の本当にささいな登山だったけど、「登るのは大変だったけど、楽しかった」と言って貰えただけで、今回の旅行は個人的大成功だったなと思う。私はというと、ホテル隔離期間中、外の空気が吸えなかったのがずっと嫌だった反動で、登山中は「空気がうまい」ばかり言っていた。だって本当にうまいんだもん。標高が高い世界の空気は、切なくなるほどうまい。

上田への帰路、レンタカーで夕立があったであろう地域を横切った。道路は濡れ、山の麓からは霧が立ち上っている。周囲は田んぼだらけの開けた土地だった。友人は登山が疲れたのか、助手席で寝ていた。この子が底抜けの晴れ女であるお陰で、私たちは雨に降られることなく今日も楽しむことができたんだろうなぁなんて考えていた。雲が切れて西日が射す。山の麓にくっきりと虹が現れ、運転中だというのに目を奪われた。虹の端から端まではっきり投影されている。それは「虹の麓には宝が眠っている」ってお話を信じたくなるほど幻想的で、でも車を停めて写真を撮る訳にはいかなくて(レンタカーの返却時間が迫っていたので)、ただ横目で見て焼き付けるしかなかった。ラジオもつけていない静かな車内で息をのんだ。その瞬間のことを鮮明に覚えている。


3日目、遅くならないうちに帰ることしか考えていなかった。まさにノープラン。
とりあえず帰りの新幹線の切符は用意したものの、出発時刻まで暇になった。

何をしようか考えながら駅前をフラフラして、偶然見かけた「信濃国分寺」の写真を見て近そうだし行ってみようかと思い立って、経路を調べたらちょうどバスの時間が数分後。バスに乗ってたどり着いたお寺は想像以上に広くて手入れが行き届いていて清浄で、偶然にも今日は境内にある三重塔の内部公開日(しかも中に入れる)で、境内や裏手の畑にたくさん咲いている蓮の花の見頃でもあり、鐘楼も塔に登って鳴らしてOKの日で、「いや盛りすぎでは???」と軽く混乱した。
その上、境内には人はまばら、蓮の畑を見に来ている人も全然いない。いやいや、その辺のひまわり畑には呼ばなくても人間がワラワラと集まるのに・・・。いくら月曜日だからって、このレベルのお寺が「穴場」だなんて信じられなかった。でもその地元にのみ見守られている感が「尊い」とも思う。紹介したいけど人に教えたくないお寺ナンバーワン・・・!!
この信濃国分寺で最初に感じたのが、「梵字を使っているお寺って珍しいな」だった。国分寺という歴史の重みが、そんじょそこらの寺社仏閣とは格が違うことを物語っているのだろうか。歴史のことはよくわからないが、異国情緒(しかも1200年モノ)を感じられる独特な雰囲気に「こういうの好きー!」と思わずにはいられない。普段寺社仏閣に行っても御守り等は買わないようにしているのだが、信濃国分寺にはありがたい思いをさせてもらったし、なによりお札が独特で記念に欲しいなと思ったので買った。購入する時に住職さんらしき人がサンスクリット語っぽい呪文をかけてくれたのが嬉しかった。御祈祷みたいで。やはりこの国分寺、節々にインドやシルクロードを感じる・・・。
あと単純に景色が最高だった。夏の強い日差しと青い空、これほどものを撮るのに適した時節が他にあるだろうか。蓮の花の華やかさも、社殿の荘厳さも、夏というフィルターが魅力を何倍にも増幅させてくれる。とにかく写真を撮るのが楽しかった。カメラロールは宝物でいっぱいだ。

北陸新幹線の帰り道、「どうせなら人生で一回は高い席に乗ってみたい」と、グリーン車より上のグランクラスを購入。たしかに広いし静かだし座席も多機能だったのだが、あまりにもリラックスした姿勢に座席が傾くため、列車内とは思えなくなり、脳がバグって列車の揺れに酔った。課金したら酔うなんて貧弱すぎるが、庶民には合わないものだったんだろうな。今後は買うならグリーン車までで十分だと心に誓った。



そんなこんなで自由気ままな3日間を過ごし、今に至る。
やりたいことをやりつくした、これ以上ないくらい自由な旅だった。数日前までホテル隔離生活を送っていたせいもあり、自由に動き回れることが本当に楽しかった。今後も体力が続く限り楽しみたいから、健康でいよう、体力をつけようと思った。そして一人じゃできないこと、楽しめないことも多々あったと思う。付き合ってくれた、一緒に楽しんでくれた友人に感謝を。そしてまたいつか同じように旅行しよう。

「あれは本当に良かったなぁ」と噛みしめるような思い出がいっぱいの素敵な旅行。
思い出を胸に、これからも楽しく生きていこう。

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