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日記、感想、オタ活・・・ごちゃまぜ雑多の物置蔵
 『ここは今から倫理です』という漫画に心奪われていますよという話。

 出かけるのにスマホよりも持っていくのを優先したのはSwitch(FE風花雪月に心酔してた頃)以来だった。しかも「車を運転しなきゃいけないけど信号待ちですら読みたいから持っていく!!!!」という意思だった。危ないですね。でもそこまでして先を読みたいと思えることが、なんか素敵だなと思った。たとえ好きなシリーズでも、作品を吸収するのが義務のように思えてきてそんな自分と葛藤しているような私でも、まだ、「読み耽る」情熱があったんだ。。

 高校時代、倫理を選択してた。倫理をわざわざ選んでいたことは覚えているんだけど、倫理じゃないほうの授業が一体なんだったのかは思い出せない。政経か?歴史と現社は必修だったはずだし…。ただ、倫理じゃない方の授業を選んだ友人に「あんたはやっぱ倫理かー。内側の世界を見る学問って、あんたっぽいもんなぁ」と言われたことを覚えている。その時胸が痛くなったことも。

 それから受験も倫理を選んだけれど、全然ダメだった。どの思想を誰が言ったとか、いつの時代になんの主義が注目されたとか、そういうのが全然覚えられなかった。今思えば、暗記よりも理解を優先すべきだったんだろう。少なくとも自分で選んだという覚悟があったから、ほかの教科よりは勉強していたと思う。それでもセンター試験の結果はボロボロで、模試の時に受けたほぼ満点の現社のことを思い出して、「勉強の上では私は絶対現社のほうが向いていたのに、なんで出来の悪い倫理で勝負してしまったんだろう」なんて思った。

 後悔ばかりの受験期を越えて、大学にて、好きだなと思った授業は「文学」「哲学」「言語学」…。高校時代に倫理をかじっていてよかったと……思った回数はそんなにないけれど、私が倫理を選んだのは、私が学びたかったからなんだろうなぁ……という確信を深める一助にはなった。教養として知りたかったんだよね。受験勉強の効率より教養を優先するところ、社会人になった今なら笑えるかな。

 という自分語りがどうしても多くなるので、今回の話は感想文ではなく日記である。


 倫理が自分にとって少し特別な授業だった。だからタイトルに惹かれた。ネットで1巻丸ごと試し読みして、主人公の先生(の見た目)があまりにも魅力的なところに堕ちた。人間の内面の話が主軸に進んでいく(誰が何をする、何が起こるという事象のみの発展より対話が多い)のがよかった。基本的に事件は1話完結、長くても3話程度で終わるのがよかった。

 まぁとにかく、主人公の先生がやたらと好き。
 影のあるイケメンがタバコ吸ってる構図がとても良い。服装があんな感じなのも良い。陽の気がまるで無いのに、どの先生よりも優しくて温厚なのが、なんか、先生のイメージを覆していてとても良い。だから先生に想いを寄せる女子生徒の気持ちもよくわかる。恋を応援していた。女子生徒が卒業式のあと告白するシーンはかなりドキドキした。「成就してほしい!先生ぜひ手を取ってあげて!!!」と思う気持ちと、「いやでもこの先生がふつーにOKするか??」と拭いきれない疑いがひしめき合う中、その後の展開を読んで情緒がぐちゃぐちゃになった。運転中じゃなければ枕に顔うずめてジタバタしていた。


 倫理を扱う、人の内面を扱う作品って、どうしても明るい笑える漫画にはならない。それでも読む手を止められない、読むのが苦痛じゃないと思うのは、もちろんこの漫画が素晴らしく面白いのは大前提として、私が内面の世界を考えるのが好きなんだろうなと…少しだけ、思います。

 先生が「悩みのない人には興味が無い」的なことを言うんだけど、それはそれで共感できるなと思った。暗いことを本気で考えたことのある人にしか開けない心ってあるよね。悩みっていうのは自分でしか戦えない。この漫画の中の生徒たちは、みなそれぞれ悩みや闇を抱えていて、先生は導くための言葉をかけてはくれるけど、戦うのは自分自身。個人的な戦いの短編集。そんな構造がまた、読んでいて面白いのかもしれない。他人との駆け引きよりも、この困難に対してこの個人がどう戦うのか、何を思うのか、そんなことが気になる孤独な人間だから。


 仕事が忙しいから、自由な時間を作るのは疲れるから、映画も小説も動画もなかなか手が出せない今日この頃。だらだらとスキマ時間を浪費するだけだったけれど、この漫画が素敵な娯楽を与えてくれただけで、退屈から救われた気がした。
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週末を利用してプチ旅をした。
 バイクではるばる230キロ、峠をいくつも越えて目的地へ。

 車も人も通らない田舎道を、初夏のすっきり晴れた日にのんびり走る。こんな贅沢があるだろうかという気持ちで、満たされながら走った。途中、ブレーキランプがついてないと見知らぬ人に指摘されて修理に立ち寄ったり、道に迷って何度も現在位置を検索したりしたけど、基本的には不自由なく幸福に北へ向かった。

 すべてがひっくり返ったのが、2日目の朝。
 標高1700m級の高原を貫く国道40号、通称ビーナスライン。ここをバイクで走るのが夢だった私は、意気揚々とホテルを出て山を登った。視界がすぐに開け、広すぎる空に、まだ雪の残る山脈が遠景に現れる。早朝で交通量もまばらな夢の道、走り抜ける気持ちよさに酔いしれた。

 あまりに景色がいいのでバイクを停めて写真を撮りたくて、砂利の路肩に乗り上げようとしたところ、スピードを出し過ぎたのか、地面の凹凸にバランスを崩して思いっきり転倒。砂ぼこりで真っ白になりながらなんとか立ち上がって、空回りし続けているエンジンを切って、バイクを起こした。ボディは傷だらけになってしまったが、自立するし、エンジンもちゃんとかかる。安堵し、乗ってみようとするも、何かが違う。よく見るとハンドルの角度が違う、ギアペダルが変な方向に曲がって踏めない……。やばいかも、と思って手持ちの道具でどうにか乗れる状況にできないかと手を尽くしてみるが、ハンドルやペダルどころか、ミラーの角度すら変えられなかった。ソロで行動しているのに部品の1つも面倒が見られないのかと、自分がバイクに対して何の知識もないことを思い知らされた。

 バイクの保険でレッカーサービスがついていたことを思い出し、諦めてレッカーを呼んだ。保険会社が手配してくれて、現在地を伝えて、待つこと1時間程度。高地で涼しいとはいえ、雲一つない晴天のもと、木陰すらない世界に取り残されるのは、まさに陸の孤島って感じだった。すぐに山を下るつもりだったので、水一本すら持っていなかった。上着のフードを被って日除けにし、なるべく口を閉じて座っていた。目の前に広がるのは雄大なアルプスと富士山。どんな気持ちで見つめていればいいのか分からなかった。
 メンタルは鬱と開き直りを繰り返していた。落ち着かなかったことだけはたしかだ。バイクで風を切るなんて、自分には過ぎた娯楽だったのかもしれないとも思った。私はもっと地に足付けた娯楽の方が似合っているんじゃないかな、なんて。それでもバイクでここまで来た自分を認めたい気持ちもあり、ぐるぐると、考え込んでいた。

 その後は空元気でいたと思う。
 レッカー車に同乗して山を下り、バイクを最寄の業者に預けて、鉄道で帰宅した。開き直って駅弁もお酒も買って、快適な列車の中で飲み食いしてたけど、ふとうたた寝から目覚めてみると、なんだか夢から醒めたような、いきなり現実を突きつけられたような苦い気持ちになった。暑かった。どうにか私は家に帰ってこれたけど、置いてきたバイクのことが気がかりで、帰ってきた感が薄かった。やはり思考はぐるぐるしていて、「破損したわけでもないし、あの程度でレッカーを呼ぶのは情けなかったかもしれない」「無理やりペダルを曲げれば気合で乗って帰れたのでは?」「あの程度を自分で直せないのにバイクで遠出なんて、恥さらしもいいところだったかも」「そもそもバイクで無理やり遠出して、体力的にも精神的にもつらいのに、私は自分を苦しめて何がしたかったんだろう。こんなの誰に言っても共感してもらえない。無謀で、得もない、その上満足に遂行もできないなんて……」……などと、落ち込む理由には困らなかった。

 さすがに「もう旅をしたくない」とまでは思わなかったけど、落ち込む自分を救い上げる手段がなかなか見つからなくて、長旅の疲れも暑さも相まって、落ち着いてはいられなかった。そんな中、帰宅して、ちょっと買いたいものがあり、車に乗って出かけた。
 車内で聴いたのがこれ、「Good Morning, Polar Night


「どこまで行けるか答えも知らないまま
 歩けるお前だからこそ 星明りも映るだろう」


 
 あぁ、旅の目的はこれだったんだ、と胸がいっぱいになって、涙が出た。
 私が家を飛び出したのは、観光のためでも癒しのためでもなかった。一人でたどり着けるかどうか自分を試したかった。冒険に挑む自分を好きになれると思った。挑戦する思い出を増やしたかった。ただ出来る限り遠くに、出来る限り自分の力で、歩いて行きたかったんだ。
 そんな幼稚で、無謀で、果てしない望みを、まるで尊くて素晴らしいもののように肯定してもらえて、救われた気がした。原初の動機を思い出させてくれた。こんな願いを抱いている私だからこそ、見えるものがあるんだろう。美しいと思えるものがあるんだろう。挑戦すること自体に価値があったんだ。自分を認めてよかったんだ。私は、私の期待にちゃんと応えたんだ。


 また旅に出よう、と思った。
 時々うまくいかないくらいの方が、案外、やりがいがあるかもしれない。
 手に負えなくても、身の丈に合わない目標でも、途中で折れてしまっても、辿り着くことを夢見て挑戦することは、きっと私を豊かにしてくれる。そういうのを積み重ねて、少しずつでいいから、強くなれたらいいな。きっと未来から見たら、今こうして泣いて笑っていることも、夢のような気がするんだろう。


 また次の旅まで、おやすみなさい。
 記録せずにはいられない1日ってあるよね。

 今日は誕生日。正直別に歳をとって嬉しいとは思わないけど、年に1回の特別な日はやっぱりわくわくする。日付を見るのも書くのも少し楽しくてずるい。
 
 遊んでいるアプリゲームがプレイヤーの誕生日を祝ってくれるタイプで、推しキャラに「誕生日だからって浮かれてないか? まぁ何か失敗しても笑い飛ばしてやるよ」みたいなことを言われて出勤したところ、本当に色々とやらかした。メールに件名を入れ忘れるわ、振込を1件忘れて2回窓口に行く羽目になるわ、そんな感じのやつ。普段なら自分のリスク管理の出来なさ具合に酷く落ち込むところ、今日ばかりはなんか笑ってもいいような気がした。いいんだか悪いんだかわからないけど、落ち込みすぎてビクビクするよりはマシかなと思う。常にこんなメンタルでいたい。

 職場のデスクに、先日ガラス吹きで制作したガラスコップをペン立てとして置いた。ペンを入れる度にチリンと風鈴みたいな音がしてとても良い。自分で作っておいて、「これが誕生日プレゼントでもアリだな」とか思った。

 午後からは体調不良で欠勤してた人がコロナ陽性だったと連絡が来て、その人の仕事をカバーするために奔走した。「これは私がやります。過去の資料を見よう見まねでやります!」と宣言して請け負った仕事を片付けるのに4時間かかった。いつもやっている人なら10分で終わるものを、マニュアルや資料を探しつつ悩みつつやっていたら4時間。さすがに探し方も考え方も甘かったなと思うけど、こういう経験もしていかないと成長しないよなとも思う。まぁ投げ出さなかっただけ良かったんじゃないの、と自分にゲロ甘な私は思います。
 その人がいつ復帰できるか分からないので、純粋に仕事が増えてアワワって感じではあるけども、「有能になりたい」という願望が根底にある社畜なので、今までその人に丸投げしていた仕事を自分もやる=できるようにならなくちゃいけない、っていう状況を少しだけ楽しくも思っている。いつ同僚が異動したり休んだりするかわかったものではないのだから、職場の中で出来ることを増やしておくのは良い事だと思うし、そういう学習を思い切りさせてもらえるっていうのは幸福だろう。その学習を必要、大切だと思っている上司と先輩の元で教えてもらえるのも、大変な幸福だと思う。本当は自力で考えなきゃいけないところ、すぐ質問してしまうけど、快く答えてくれてありがとうございます。もう少しがんばります。

 帰宅したら家族からのプレゼントが置いてあった。
 MARVELのロゴが入ったシェラカップとアウトドアマグカップ。なんだかんだデパコスやオシャレな雑貨よりグッズの方がテンション上がる生粋のオタクなので、ただロゴが入ってるだけでもこういうのが純粋に嬉しかったりする。仕事が忙しくてキャンプなんかしばらく行けそうにないけど、夏になったら旅行したいな。仕事に忙殺されている今、「並の人よりはアクティブであること」だけが私のアイデンティティであるような気がするから。どこかに行くことを望んで実行する自分が好きだから。

 さて、去年よりも自分を見つけられますように。
 充実した1年になりますように。

 
 昼夜問わず、平日も週末も、仕事のことばかりだ。
 とにかく忙しい。何をしても終わらない。

 先輩は言った。
 「今年のあなたの仕事は歴代みんな大変にしてた仕事。1年間きついと思う。」

 そんな仕事を野放しにしておくなよ…人員増やせよ…と思うけど、実際増えなかったので頑張るしかない。大変だからといって放り出すのは格好よくないもんね。

 その上別の仕事も増えて増えて、どういう理屈で業務が成り立っているのか理解するだけで時が過ぎていく。自分の仕事なのに把握できないのは情けないから、たとえ「難しい!理解できない!わからない!」とパニックになりかけてても、調べるのをやめないようにはしてる。今日も「あれ?なんでこっちの書類には記載があってあっちには無いんだ?書類作成の順番はこれであってるんだっけ??」と疑問が爆発して、「自分で1回チェックしてる書類のはずなのに自分が理解してないなんて…!」と情けないやら慌てるやらで精神状態はかなりよろしくなくなったけど、①とりあえずマニュアルを見る②疑問点を言語化できるようになったら先輩に聞く、の2段階対策でなんとか腹に落とすことができた。こんなことが1年間、なんども起こるんだと思うと勉強しなきゃなと思う。とにかく片付けなきゃいけないことばかりで勉強してる暇はない!とも思うけど、時間は作らなきゃ生まれない。腹を据えて取り組むしかないんだ。1度完全に理解しておけば、今後ずっと使える知識のはずだから。

 今月の残業時間が60を超えた。新記録。
 正直、もう自分の状態が正常なのか疲れが溜まってるのかわからない。一応毎日起きれるし普通に仕事してるつもりだけど、普段に比べてミスが多かったり情緒不安定だったりしているのかもしれない。最近は「なにもしたくない」と思うことが結構ある。悲しくて情けなくて泣いてしまうことはないけど、涙が枯れる代わりに心が涸れているのではないかと心配だ。
 単純に忙殺具合に慣れて、メンタルが鈍感になったというだけならいいんだけど。こうして仕事をこなしていくうちに些細な苦痛では動じなくなるんだろう。でも、それは良いことなんだろうけど、多感な心が鈍感に、ときめきが退屈になっていくっていうのは、感情だけで生きてる私みたいな人間にとっては、とても寂しい事だなと思う。

 いつまでも花を見て空を見て感動したいし、SFやファンタジーに興奮したいし、友達と語り合える尊さをかみ締めたいし、自分の世界を持ち続けたい。私が私であるために必要なことだと思うから。

 こんな状態で「休みたい」でも「辞めたい」でもなく「心を枯らしたくない」が最初に出てくるあたり、仕事に執着はないんだろうなと思う。そしてそんなことを思えるってことは、私はまだまだ多分大丈夫だ。


 まぁ現状はたしかにキツいけど、だからといって去年と同じ仕事をしていたかったなと思うことはない。「去年は良かったな。戻りたいな。」と思うことはない。なぜなら、今の方が「充実している」と感じるからだ。

 1年目、「先輩たちのやっている仕事に比べたら、私の仕事なんて遊びみたいなもんだ」と思っていた。今思えば別にそんなことはないし自信もって仕事やりゃよかったのだが、当時は先輩たちにも(全く会うことのない)同期にもなぜか劣等感を持っていた。同期は今頃私ができない仕事をめきめき覚えているんだろう、ここで頑張らなければ一人前になれない、頑張らなければ仕事をやらせてもらえない、と何故か思っていた。先輩はともかく、同期とは部署が違うんだから「私ができない仕事」をやっているのは当たり前なんだけど、当時はそれがなんか駄目だったみたい。もっと自分の仕事に自信と誇りを持て。あとコロナ禍とか人見知りとかまぁ色々と要因が重なってそんな心理になっていた。とにかく可哀想なほど悩んでいて、「頑張らなきゃいけないけど勉強はしんどい」と思う自分と折り合いをつけつつ、色々手を出していた1年間だった。

 その甲斐あってか、今はしんどい仕事を任せてもらっているし、後輩の指導係も2年目にして任命されている。「こいつにはまだ早い」と思われてはいないことはたしかだろう。
頑張った分、望み通りの責任と忙しさが手に入ったわけだ。だからかな、メンタルの落ち込み具合は去年より健康な気がするんだな。


 環境はすぐに変わる。来年の今頃、いやもっと先の未来でも、振り返った時、後悔のない2年目を送りたい。
 2週間ぶりに21時前に仕事から帰宅した。

 
 年度末から現在に至るまで、なかなかに大変な日々を過ごした。年度替わりに伴う部署異動は無かったけれど、部署内の小さな引越しや仕事内容の増加、後輩の誕生などなど、少なからず環境が変わった。その上、年度始めのうちに片付けなければならない仕事が次から次へと湧いてきて、まるで喉になにかつかえたままのような、夢の中で無理やり働いているような、ともかく落ち着かない上に忙しい、まさに「忙殺」というような日々だった。

 後輩の指導係を任命されたとはいえ、新年度をまともに乗り越えるのも初めての2年目社畜は、まず後輩の面倒を見る余裕などなかった。新しく増えた仕事を飲み込むのに精一杯どころか、既存の仕事を片付けるのにも苦労する有様。見かねた周囲の先輩や上司がサポートしてくれるも、「これやっといたから」「俺がやっとくから」と言われる度に、「本当は自分がやらなきゃいけないことなのに、私は……」とネガティブが加速するばかりで、素直に感謝する余裕もなかった。

 メンタルはどんどん死んでいった。
 日課の昼休憩時のお散歩も、割く時間もなければ行く気力もなかった。常に焦りが隣にいて、劣等感を膨らませる。苦しかった。油断したら泣きそうだった。後輩に申し訳ないくらい溜息ばかり吐いていた。休憩時は、なんとか時間を見つけ、外に出て、静かな人気のない場所に逃げ込んで、目をつぶって休んでいた。天候は曇天が続いていた。日光が足りなかった。

 
 苦境を脱したのは、火曜日の昼下がり。

 その日は新人研修で後輩がいなくて、私は荷物の配達のために外出していた。ここ数日の花曇りが嘘のような快晴。運転しているだけで日に焼けそうな日だった。たっぷりの日差し、単独運転による一人きりの時間の確保、それがあまりにも私に効いた。
 素敵に晴れた空を見て、舞い散る桜の花びらを見て、私が欲しいのは癒しじゃなくて楽しさだ、なんて考えて、少し遠回りをして帰った。渋滞しがちな大通りより、自然豊かな回り道を。運転しながら、段々と春が来た喜びを噛み締められるようになった。痛みを増すばかりだった心に、乾いた心に、水が満ちていくようだった。

 職場に戻る頃には、あの落ち着かない気持ちは消えていて、割と普段通りに過ごせるようになった。今日は散歩に出かける気力もあった。相変わらず自分のキャパは仕事量に追いついていないけれど、必要以上に不安がって焦ってパニックになるようなことはなくなった。心に余裕が出来た。年度始めから数日たって、少しは仕事が進んだのも安心材料になっているんだろうけどね。


 そんなメンタルよわよわ影響受けまくり人間にも、褒めてもらえることがあった。
 日誌をつけていたことだ。
 社会人1年目の5月から、毎日仕事をした日は日誌をつけた。その1年間の記録を職場に持って行ったところ(後輩指導に使えるだろうと思って)、上司や先輩から大層褒められた。継続できるのがすごいって。嬉しいね。継続なんて言葉、今までの私にはまるで縁のない言葉だったから。あとついでに、電話対応も良いと言われた。声を褒められることが多かったから、人見知りコミュ障だけど、対応する人には気分良くいてもらいたいから、せめて電話くらいは綺麗な声でいよう…と思っていたので、それが報われたようで嬉しかった。

 実は、日誌を続けられたのは自分でも意外だったりする。
 今まであらゆる記録を三日坊主で放置してきた。それでも続けられたのは、単純に書く量が毎日少なかったからでもあるし、日誌をつけることが自分に出来る最低限の努力だと思っていたからだ。社会人になって間もない頃、1年目に身につけておきたい習慣やスキルなどを解説した実用書を読んだ。まぁ意識高くなきゃ続けられないような素晴らしいことがたくさん書かれていて、到底自分に出来るとは思えなかった。かと言って何もしないのでは、当時抱いていた同期への劣等感に押しつぶされてしまいそうだった。そこで「これくらいなら…」というラインで選んだのが「日誌をつけること」だった。
 結果的に無理なく続けられたので、選択は間違っていなかったなと思う。まぁでも書いてるだけなので、書くことで何かに活かせたかと言われると難しい。1週間くらい前の記録を見て、あの頃からこれだけ仕事を進められたんだと自信をつけるくらいは毎日やっていた。それでもいいのかも。2年目も、習慣にしていきたい。


 小さな努力が積み重なって私がいる。
 いつまで経っても先輩のように先を読んでそつなくこなせる社会人にはなれないし、後輩にもまだ何も教えられていないし教えられる自信もないけど、いつか理想通り遂行できると信じて、トライアンドエラーを繰り返していきたい。まぁ仕事だから考え無しにエラーするわけにはいかないけど、できる仕事のみに甘んじず、積極的に新しいことを吸収して、少しでも早く「安定した職業人」になりたいね。

 1年前、定時になかなか帰れないことに落ち込んでいた。
 1ヶ月前、たった一日22時まで働いただけで翌日もへばっていた。
 今、毎日22時上がりレベルの残業を続けているけれど、昔ほど「しんどい」とは思っていない。少しは仕事の体力がついたのか。仕事の体力が無いことはここ1年間の悩みだったから、荒治療とはいえ多少は改善したことを喜ばしく思う。とはいえ疲労は隠せない。まだ油断はできないな。


 とりあえず2年目初の山場は超えたかなと思う。
 これから色々と問題が出てくるだろうけど、自分を信じて、体調を磨いて、なるべく冴えた頭で渡り合っていきたい。いつか先輩に追いつけるように。

 おやすみ、また明日。
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