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日記、感想、オタ活・・・ごちゃまぜ雑多の物置蔵
 自分がコロナ陽性を引いて2週間仕事を休んだのが7月の末。
 復帰後もなんとなく体調不良だったしメンタルも落ち込んでいたので、思い切って髪を切った。それはもうバッサリと。これでこの夏に染みついた悪い気を落として、心機一転仕事も休暇もバリバリやっていくつもりだった。実際、髪切った直後の信州旅行は楽しかった。

 それが復帰して2週間も経たぬうちに、今度は別の家族が陽性を引いた。
 私は「コロナ明けなのに旅行に行くなんて信じられない。行くなら帰ってきてしばらくは家の中でもマスクして食事は別で取りなさい」と家族に言われながら旅行に行っていたので、ここ1週間は対面で食事どころか面と向かって会話したこともない。それでも「同居家族は原則、濃厚接触者」という無慈悲な定義には逆らえず、涙を飲んで職場に連絡を入れた。

 運は早々好転しないようだ。

 4日間無駄に浅い娯楽と惰眠と暴食に溺れ、本日は自宅待機最終日。
 ようやく文字が打てるようになった。ヤケクソな気持ちが起因していたのか、生来の救えない自堕落のせいなのかわからんが、しばらく何をやる気もなかったし、何に集中することもできなかった。それでも「EGOISTの歌が好きだから1期くらいは見とかないと…」とサイコパス22話観たのだけは褒めてもらいたいかもしれない。観たというか、再生をクリックしたら後は画面から目を逸らさないよう耐えていた、という方が正しいかもしれない。平時ならこのアニメを面白いと思ったのだろうけど、こんな状況下では物語を楽しむことよりむしろ、「見終える」ことだけが重要だった。本を読み切らない、アニメも見切らない、ゲームも積みがちな私には、「面白い」と思うことより、「最後まで追いつく」ことが何より重要だ。そのくせ、今のような時間を与えられた状態になると、「何か功績を作らねば」と思い詰める。別に新しい料理に挑戦したとか、短編をひとつ書いたとか、イラストを描いたとかで十分なのだが、物語に集中できない奴が創作などできるはずもなく、最低限の妥協案として「物語を消費する」が浮かび上がり、その最低限の妥協案を自分に課した結果、サイコパス1期一気見というところに落ち着いたのだった。いわば義務。
 
 ところがこうして最終日はPCに向かって動画ではなく文字を考えて打つことができる。夏休み最終日には宿題に向かう勇気が出るパターンなのかもしれないし、たまたま今朝が涼しかったので体力が有り余っているのかもしれない。夏の朝の涼しさはとてもよい。
 
 自分はもっと一人の時間をクリエイティブに過ごせると思っていた。
 そんなものは傲慢な思い込みもいいところだった。
 社会人になって1年数ヶ月。創作する力を殺してしまった気がする。
 物語を楽しめない奴が、どうして書けるだろう?
 
 こんな感じだから、外に出たがる。外に救いを求めに行きたくなる。
 逃げているだけなのかもしれない。
 でも私は、こんな自分を諦めて腐りたいとは思わない。こんな状態でも、たまにはワクワクしたり、ときめいたりすることがある。そういう心の機微を、希望の欠片みたいのものを探して、気づくことを忘れなければ、いつかきっと私は私を喜ばせる術を知るだろう。そのために手広くやっていけばいい。飽きたってかまわない。様々なものを見てみるんだ。だから考え続けて、やめないで。
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