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週末を利用してプチ旅をした。
バイクではるばる230キロ、峠をいくつも越えて目的地へ。
車も人も通らない田舎道を、初夏のすっきり晴れた日にのんびり走る。こんな贅沢があるだろうかという気持ちで、満たされながら走った。途中、ブレーキランプがついてないと見知らぬ人に指摘されて修理に立ち寄ったり、道に迷って何度も現在位置を検索したりしたけど、基本的には不自由なく幸福に北へ向かった。
すべてがひっくり返ったのが、2日目の朝。
標高1700m級の高原を貫く国道40号、通称ビーナスライン。ここをバイクで走るのが夢だった私は、意気揚々とホテルを出て山を登った。視界がすぐに開け、広すぎる空に、まだ雪の残る山脈が遠景に現れる。早朝で交通量もまばらな夢の道、走り抜ける気持ちよさに酔いしれた。
あまりに景色がいいのでバイクを停めて写真を撮りたくて、砂利の路肩に乗り上げようとしたところ、スピードを出し過ぎたのか、地面の凹凸にバランスを崩して思いっきり転倒。砂ぼこりで真っ白になりながらなんとか立ち上がって、空回りし続けているエンジンを切って、バイクを起こした。ボディは傷だらけになってしまったが、自立するし、エンジンもちゃんとかかる。安堵し、乗ってみようとするも、何かが違う。よく見るとハンドルの角度が違う、ギアペダルが変な方向に曲がって踏めない……。やばいかも、と思って手持ちの道具でどうにか乗れる状況にできないかと手を尽くしてみるが、ハンドルやペダルどころか、ミラーの角度すら変えられなかった。ソロで行動しているのに部品の1つも面倒が見られないのかと、自分がバイクに対して何の知識もないことを思い知らされた。
バイクの保険でレッカーサービスがついていたことを思い出し、諦めてレッカーを呼んだ。保険会社が手配してくれて、現在地を伝えて、待つこと1時間程度。高地で涼しいとはいえ、雲一つない晴天のもと、木陰すらない世界に取り残されるのは、まさに陸の孤島って感じだった。すぐに山を下るつもりだったので、水一本すら持っていなかった。上着のフードを被って日除けにし、なるべく口を閉じて座っていた。目の前に広がるのは雄大なアルプスと富士山。どんな気持ちで見つめていればいいのか分からなかった。
メンタルは鬱と開き直りを繰り返していた。落ち着かなかったことだけはたしかだ。バイクで風を切るなんて、自分には過ぎた娯楽だったのかもしれないとも思った。私はもっと地に足付けた娯楽の方が似合っているんじゃないかな、なんて。それでもバイクでここまで来た自分を認めたい気持ちもあり、ぐるぐると、考え込んでいた。
その後は空元気でいたと思う。
レッカー車に同乗して山を下り、バイクを最寄の業者に預けて、鉄道で帰宅した。開き直って駅弁もお酒も買って、快適な列車の中で飲み食いしてたけど、ふとうたた寝から目覚めてみると、なんだか夢から醒めたような、いきなり現実を突きつけられたような苦い気持ちになった。暑かった。どうにか私は家に帰ってこれたけど、置いてきたバイクのことが気がかりで、帰ってきた感が薄かった。やはり思考はぐるぐるしていて、「破損したわけでもないし、あの程度でレッカーを呼ぶのは情けなかったかもしれない」「無理やりペダルを曲げれば気合で乗って帰れたのでは?」「あの程度を自分で直せないのにバイクで遠出なんて、恥さらしもいいところだったかも」「そもそもバイクで無理やり遠出して、体力的にも精神的にもつらいのに、私は自分を苦しめて何がしたかったんだろう。こんなの誰に言っても共感してもらえない。無謀で、得もない、その上満足に遂行もできないなんて……」……などと、落ち込む理由には困らなかった。
さすがに「もう旅をしたくない」とまでは思わなかったけど、落ち込む自分を救い上げる手段がなかなか見つからなくて、長旅の疲れも暑さも相まって、落ち着いてはいられなかった。そんな中、帰宅して、ちょっと買いたいものがあり、車に乗って出かけた。
車内で聴いたのがこれ、「Good Morning, Polar Night」
「どこまで行けるか答えも知らないまま
歩けるお前だからこそ 星明りも映るだろう」
あぁ、旅の目的はこれだったんだ、と胸がいっぱいになって、涙が出た。
私が家を飛び出したのは、観光のためでも癒しのためでもなかった。一人でたどり着けるかどうか自分を試したかった。冒険に挑む自分を好きになれると思った。挑戦する思い出を増やしたかった。ただ出来る限り遠くに、出来る限り自分の力で、歩いて行きたかったんだ。
そんな幼稚で、無謀で、果てしない望みを、まるで尊くて素晴らしいもののように肯定してもらえて、救われた気がした。原初の動機を思い出させてくれた。こんな願いを抱いている私だからこそ、見えるものがあるんだろう。美しいと思えるものがあるんだろう。挑戦すること自体に価値があったんだ。自分を認めてよかったんだ。私は、私の期待にちゃんと応えたんだ。
また旅に出よう、と思った。
時々うまくいかないくらいの方が、案外、やりがいがあるかもしれない。
手に負えなくても、身の丈に合わない目標でも、途中で折れてしまっても、辿り着くことを夢見て挑戦することは、きっと私を豊かにしてくれる。そういうのを積み重ねて、少しずつでいいから、強くなれたらいいな。きっと未来から見たら、今こうして泣いて笑っていることも、夢のような気がするんだろう。
また次の旅まで、おやすみなさい。
バイクではるばる230キロ、峠をいくつも越えて目的地へ。
車も人も通らない田舎道を、初夏のすっきり晴れた日にのんびり走る。こんな贅沢があるだろうかという気持ちで、満たされながら走った。途中、ブレーキランプがついてないと見知らぬ人に指摘されて修理に立ち寄ったり、道に迷って何度も現在位置を検索したりしたけど、基本的には不自由なく幸福に北へ向かった。
すべてがひっくり返ったのが、2日目の朝。
標高1700m級の高原を貫く国道40号、通称ビーナスライン。ここをバイクで走るのが夢だった私は、意気揚々とホテルを出て山を登った。視界がすぐに開け、広すぎる空に、まだ雪の残る山脈が遠景に現れる。早朝で交通量もまばらな夢の道、走り抜ける気持ちよさに酔いしれた。
あまりに景色がいいのでバイクを停めて写真を撮りたくて、砂利の路肩に乗り上げようとしたところ、スピードを出し過ぎたのか、地面の凹凸にバランスを崩して思いっきり転倒。砂ぼこりで真っ白になりながらなんとか立ち上がって、空回りし続けているエンジンを切って、バイクを起こした。ボディは傷だらけになってしまったが、自立するし、エンジンもちゃんとかかる。安堵し、乗ってみようとするも、何かが違う。よく見るとハンドルの角度が違う、ギアペダルが変な方向に曲がって踏めない……。やばいかも、と思って手持ちの道具でどうにか乗れる状況にできないかと手を尽くしてみるが、ハンドルやペダルどころか、ミラーの角度すら変えられなかった。ソロで行動しているのに部品の1つも面倒が見られないのかと、自分がバイクに対して何の知識もないことを思い知らされた。
バイクの保険でレッカーサービスがついていたことを思い出し、諦めてレッカーを呼んだ。保険会社が手配してくれて、現在地を伝えて、待つこと1時間程度。高地で涼しいとはいえ、雲一つない晴天のもと、木陰すらない世界に取り残されるのは、まさに陸の孤島って感じだった。すぐに山を下るつもりだったので、水一本すら持っていなかった。上着のフードを被って日除けにし、なるべく口を閉じて座っていた。目の前に広がるのは雄大なアルプスと富士山。どんな気持ちで見つめていればいいのか分からなかった。
メンタルは鬱と開き直りを繰り返していた。落ち着かなかったことだけはたしかだ。バイクで風を切るなんて、自分には過ぎた娯楽だったのかもしれないとも思った。私はもっと地に足付けた娯楽の方が似合っているんじゃないかな、なんて。それでもバイクでここまで来た自分を認めたい気持ちもあり、ぐるぐると、考え込んでいた。
その後は空元気でいたと思う。
レッカー車に同乗して山を下り、バイクを最寄の業者に預けて、鉄道で帰宅した。開き直って駅弁もお酒も買って、快適な列車の中で飲み食いしてたけど、ふとうたた寝から目覚めてみると、なんだか夢から醒めたような、いきなり現実を突きつけられたような苦い気持ちになった。暑かった。どうにか私は家に帰ってこれたけど、置いてきたバイクのことが気がかりで、帰ってきた感が薄かった。やはり思考はぐるぐるしていて、「破損したわけでもないし、あの程度でレッカーを呼ぶのは情けなかったかもしれない」「無理やりペダルを曲げれば気合で乗って帰れたのでは?」「あの程度を自分で直せないのにバイクで遠出なんて、恥さらしもいいところだったかも」「そもそもバイクで無理やり遠出して、体力的にも精神的にもつらいのに、私は自分を苦しめて何がしたかったんだろう。こんなの誰に言っても共感してもらえない。無謀で、得もない、その上満足に遂行もできないなんて……」……などと、落ち込む理由には困らなかった。
さすがに「もう旅をしたくない」とまでは思わなかったけど、落ち込む自分を救い上げる手段がなかなか見つからなくて、長旅の疲れも暑さも相まって、落ち着いてはいられなかった。そんな中、帰宅して、ちょっと買いたいものがあり、車に乗って出かけた。
車内で聴いたのがこれ、「Good Morning, Polar Night」
「どこまで行けるか答えも知らないまま
歩けるお前だからこそ 星明りも映るだろう」
あぁ、旅の目的はこれだったんだ、と胸がいっぱいになって、涙が出た。
私が家を飛び出したのは、観光のためでも癒しのためでもなかった。一人でたどり着けるかどうか自分を試したかった。冒険に挑む自分を好きになれると思った。挑戦する思い出を増やしたかった。ただ出来る限り遠くに、出来る限り自分の力で、歩いて行きたかったんだ。
そんな幼稚で、無謀で、果てしない望みを、まるで尊くて素晴らしいもののように肯定してもらえて、救われた気がした。原初の動機を思い出させてくれた。こんな願いを抱いている私だからこそ、見えるものがあるんだろう。美しいと思えるものがあるんだろう。挑戦すること自体に価値があったんだ。自分を認めてよかったんだ。私は、私の期待にちゃんと応えたんだ。
また旅に出よう、と思った。
時々うまくいかないくらいの方が、案外、やりがいがあるかもしれない。
手に負えなくても、身の丈に合わない目標でも、途中で折れてしまっても、辿り着くことを夢見て挑戦することは、きっと私を豊かにしてくれる。そういうのを積み重ねて、少しずつでいいから、強くなれたらいいな。きっと未来から見たら、今こうして泣いて笑っていることも、夢のような気がするんだろう。
また次の旅まで、おやすみなさい。
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