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2輪免許を取得してから今日でちょうど1年。
やっと2人乗りが解禁される。
どうしても友達を乗せて走ってみたくて、後ろに乗ってくれないかと連絡した。OKだって。この日のために新しいヘルメットも買った。今まで使っていたのより格段に良いやつを。
友達は後ろに乗るのが異様に上手かった。体幹がしっかりしていて、どうすれば運転手が困らないのかを熟知していた。自転車でよく後ろに乗っていたらしい。私は安心して山道をすっとばすことができた。初回で山越えはなかなか攻めたことをしてしまったなと思う。
楽しかった。
誰かと景色を共有できる喜び、友達といられる喜び、風を切る喜び、そんなものが溢れていた。友達も楽しそうでよかった。木漏れ日の差す平日の静かな林道を、2人乗りのバイクが通り抜けていく。なんだか青春だなって思う。どこまでも行けるなと思った。2人とも身軽になって、どこまでも旅に出られるような気がした。
今までバイクで出かけるのは一人の時間でしかなくて、会話する相手も自分だけだった。それが今回は、一緒に着いてきてくれる人がいる。それがとっても幸せだった。その相手が友達だから、良いんだろうな。
1つ夢が叶ったなって思う。
小さな夢を叶え続けている。
この先も、どんな夢を持って、どんな夢を叶えていけるだろうか。
やっと2人乗りが解禁される。
どうしても友達を乗せて走ってみたくて、後ろに乗ってくれないかと連絡した。OKだって。この日のために新しいヘルメットも買った。今まで使っていたのより格段に良いやつを。
友達は後ろに乗るのが異様に上手かった。体幹がしっかりしていて、どうすれば運転手が困らないのかを熟知していた。自転車でよく後ろに乗っていたらしい。私は安心して山道をすっとばすことができた。初回で山越えはなかなか攻めたことをしてしまったなと思う。
楽しかった。
誰かと景色を共有できる喜び、友達といられる喜び、風を切る喜び、そんなものが溢れていた。友達も楽しそうでよかった。木漏れ日の差す平日の静かな林道を、2人乗りのバイクが通り抜けていく。なんだか青春だなって思う。どこまでも行けるなと思った。2人とも身軽になって、どこまでも旅に出られるような気がした。
今までバイクで出かけるのは一人の時間でしかなくて、会話する相手も自分だけだった。それが今回は、一緒に着いてきてくれる人がいる。それがとっても幸せだった。その相手が友達だから、良いんだろうな。
1つ夢が叶ったなって思う。
小さな夢を叶え続けている。
この先も、どんな夢を持って、どんな夢を叶えていけるだろうか。
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少しずつ春の陽気を感じる時間が長くなってきた、と思った。
今まで寒くて行く気にならなかったけど、これならバイクで遠出もいけるかもしれない。
というわけで飛び出した2月の少し暖かい日。
2時間くらい走ったところで「さっむ!!もう無理!」と思った。
雪山装備として買った防風防水の上下セットで装備は完璧と思っていたが、全然だめだった、走行中が寒すぎた。
バイクっていうのは、箱で守られている車と違うのは勿論、自分の身体で動かす自転車や徒歩とも訳が違う。なにせ運転する人間は跨っているだけなのだ。殆ど体を動かすことなく、むしろ同じ姿勢が続いて体が固まり、そのうえ風を切るので体温がビュンビュン奪われていく。体が冷えやすく寒さに弱い人間からしたら最悪の交通手段だ。今回はそれを思い知った。
・防風性を下げてでも、ダウンジャケットにしておくべきだった
・靴は風を通さない革靴か、丈夫な登山靴にしておくべきだった
・熱い飲み物を魔法瓶で持っていくべきだった
ウキウキで揃えて結局ツアーが中止になった雪山装備を思えば、本日使用できたのは嬉しいことだった。でも間違いだったのは本当。雪山装備だって購入したのは登るとき(動いているとき)に着る用のものなので、バイクに求められる保温性とは全く違う用途なんだよなそういえば。
寒さに加えて、今日は気候のせいか人通りも多く、かなり渋滞していた。
思うように進まない交通事情のせいで、余計に疲れた気がする。
どうも私は学生時代、平日に遊びまわっていた意識が抜けておらず、どこへいくにも平日の寂しい人通りを思い描いて渋滞を予想しない節がある。自分も土日を休むただの人になったのだとそろそろ自覚してほしい。でも平日に年休いれて遊びに出かけるのは超楽しくて好き。
そんな感じで基本的に酷い日だったんだけど、いいこともあった。
進みたい気持ちより帰りたさが勝って萎えてたころ、ふらふらと前の車について行って進んでいた。特に何も考えず坂道を上り続けていたところ、突然視界が開けて青い海が見えた。それまで海は見えても林からチラ見程度、基本的に波止場ばかりだったので、どこまでも続く広々とした景色と波の打ち付ける躍動感、晴天らしい素敵な青色に、どうしようもなく目を奪われた。
まぁ良い景色ってのはずるいよね。全部報われたような気になるんだからさ。
そこからの帰り道も寒さと渋滞との戦いだったんだけど、とにかく無事に帰宅できて何より。
しばらくはツーリングは懲りたなって思う。
でも今日行動したことは後悔していない。まぁこういう経験が私を強くするよねと思うし(ヤケクソ)、家でだらだら過ごしているよりは建設的な日になったと思う。何より根本として、バイクに乗るのが結構好きだ。不便だし疲れるけど、車に乗っているのとは全然違う体験ができる。生身の身体で道路を走り、町の空気に触れながら運転するっていうのは、車で出かけるよりもずっと「冒険」っぽくて、強烈な体験になる。ちなみに私のバイクはナビが無くて迷子になるのがデフォなので、交差点の看板とかが命綱。だから余計に行き当たりばったりな旅っぽくなるんだろうな。
またいつか、楽しく冒険できる日まで。
今まで寒くて行く気にならなかったけど、これならバイクで遠出もいけるかもしれない。
というわけで飛び出した2月の少し暖かい日。
2時間くらい走ったところで「さっむ!!もう無理!」と思った。
雪山装備として買った防風防水の上下セットで装備は完璧と思っていたが、全然だめだった、走行中が寒すぎた。
バイクっていうのは、箱で守られている車と違うのは勿論、自分の身体で動かす自転車や徒歩とも訳が違う。なにせ運転する人間は跨っているだけなのだ。殆ど体を動かすことなく、むしろ同じ姿勢が続いて体が固まり、そのうえ風を切るので体温がビュンビュン奪われていく。体が冷えやすく寒さに弱い人間からしたら最悪の交通手段だ。今回はそれを思い知った。
・防風性を下げてでも、ダウンジャケットにしておくべきだった
・靴は風を通さない革靴か、丈夫な登山靴にしておくべきだった
・熱い飲み物を魔法瓶で持っていくべきだった
ウキウキで揃えて結局ツアーが中止になった雪山装備を思えば、本日使用できたのは嬉しいことだった。でも間違いだったのは本当。雪山装備だって購入したのは登るとき(動いているとき)に着る用のものなので、バイクに求められる保温性とは全く違う用途なんだよなそういえば。
寒さに加えて、今日は気候のせいか人通りも多く、かなり渋滞していた。
思うように進まない交通事情のせいで、余計に疲れた気がする。
どうも私は学生時代、平日に遊びまわっていた意識が抜けておらず、どこへいくにも平日の寂しい人通りを思い描いて渋滞を予想しない節がある。自分も土日を休むただの人になったのだとそろそろ自覚してほしい。でも平日に年休いれて遊びに出かけるのは超楽しくて好き。
そんな感じで基本的に酷い日だったんだけど、いいこともあった。
進みたい気持ちより帰りたさが勝って萎えてたころ、ふらふらと前の車について行って進んでいた。特に何も考えず坂道を上り続けていたところ、突然視界が開けて青い海が見えた。それまで海は見えても林からチラ見程度、基本的に波止場ばかりだったので、どこまでも続く広々とした景色と波の打ち付ける躍動感、晴天らしい素敵な青色に、どうしようもなく目を奪われた。
まぁ良い景色ってのはずるいよね。全部報われたような気になるんだからさ。
そこからの帰り道も寒さと渋滞との戦いだったんだけど、とにかく無事に帰宅できて何より。
しばらくはツーリングは懲りたなって思う。
でも今日行動したことは後悔していない。まぁこういう経験が私を強くするよねと思うし(ヤケクソ)、家でだらだら過ごしているよりは建設的な日になったと思う。何より根本として、バイクに乗るのが結構好きだ。不便だし疲れるけど、車に乗っているのとは全然違う体験ができる。生身の身体で道路を走り、町の空気に触れながら運転するっていうのは、車で出かけるよりもずっと「冒険」っぽくて、強烈な体験になる。ちなみに私のバイクはナビが無くて迷子になるのがデフォなので、交差点の看板とかが命綱。だから余計に行き当たりばったりな旅っぽくなるんだろうな。
またいつか、楽しく冒険できる日まで。
冬に耐えなくてもいい生活を送りたい人生でした…。
冬にしかできない遊びに片足突っ込んでみたり、積極的に冬の空を見たりして、どうにか冬を好きになろうとしてみたけど、しんどいものはしんどい。
来年は冬を越したくない。疲れた。
日が短いのと、寒いのと、特に朝が寒くて起きられないのが本当に辛い。寒いのに起きなければいけないことを思うと、仕事がとても憂鬱に感じる。仕事自体は平気なのに、「起きる」ことだけが酷く重荷だ。
私は自分が自然が好きな人間だと思っていたけど、季節の変化を受け入れられないくせに、よく言えたものだと思う。冬も愛せるようになりたいんだけど、どうしたってふとした瞬間に夏場の殺人的な日射とか入道雲が伸びる群青の空とかが脳裏に甦って、懐かしさに涙が出る。
年に1回くらい、どうしても冬が嫌で嫌で落ち込む日がある。今日はそれなんだろうな。もう寝ちゃうしか解決方法はないんだよな。幸いにも私はオタクだ。外に救いのない冬でも、2次元はすぐそこにある。関心を他に移せる。よかったね。
春が待ちきれない。
先週、急用があって昼間にバイクで走った時、日の暖かさと、畑の土の匂いが風にのってくるのを感じて、ああ春っぽいなと感動した。たったそれだけで、あまりにも救われたような気がした。前世は冬眠するタイプの動物だったのかもしれない。
それでも、折り合いをつけてやっていくしかないんだ。
いくら嘆いたって冬は終わらない。
たくましく生きるしかない。
冬はたしかに嫌いだが、冬に負けるのは癪だ。
嫌だ嫌だと嘆いてもめげずに生きる私を、私はかっこいいと思う。季節の変化を受け入れられなくても、憂鬱な気分を変えようとあれこれ奔走する力がある。何かを試みている。それだけで大したものじゃないか。今までも冬を夏と同じように生きることができたんだ。これからも出来ない道理はないはずだ。
私はよく「あれは夏だから頑張れた」と言うけど、冬は常に頑張ってるようなもん。それに、冬だからこそじっくり取り組めること、考えられることもあるだろうよ。季節の変化を感じ取ろうとするのはいいけれど、あまり振り回されないように。
たしかな装備と準備があれば、私は負けない。
明日も生きていこう。
「人生で一度は雪山を登ってみたい」
そんな思いが消えないので、実行に動くことにしました。
ちょうど1年前の冬、「Celeste」というゲームを遊びました。感想はゲーム日記のところで投稿しています。そこにも書いているんですが、そもそもこのゲームに出会ったのは、thusさんの「氷雪」というボカロ曲に惚れ込んだからなんですよね。登山する人の心情を描いたボカロ曲って他に知らないですし、自分の精神を救うために自然に挑む心理(拡大解釈)っていうのがまた私の感性にぶっ刺さりまして、出会ってから一年以上経った今もよく聴いてる楽曲です。
で、何度も聴いてるうちに雪山登山への憧れが募りました。
単独行で雪山に登るってどんな感覚なんだろう。見渡す限りの白銀の雪、聞こえるのは雪に吸収されて異様に小さい風の音、地上よりも宇宙に近い場所、人が住むことの無い場所に踏み入る感覚。苦しいだろうか、寂しいだろうか、怖いだろうか…………私にもできるだろうか。
初めは「いつか行けたらいいな」程度でした。雪山どころかスキー場にも馴染みのない人間が夢を抱くには、雪山は遠すぎる世界でしたから。
しかし職場の上司が「若いうちにやりたいことは何でもやりなさい」という考えの人でして、その言葉をことあるごとに聞いていたら「いつかやりたいなら今やれば良いのでは?」という思考回路に至りました。秋に体験ダイビングに挑戦したんですけど、それも上司に触発されたからなんですよね。別に挑戦したからといって何が身につく訳でもないですが、「やってみた」経験は自分への自信になるもんだなとダイビングの時に感じて、そこから「雪山を登ってみたい」と明確に意識するようになりました。
まぁもちろん、初心者が雪山にソロで行くなんて自殺行為もいいところですから(なんなら夏山でも危険)、私は堅実に「初心者でも大丈夫!はじめての雪山登山ツアー」を利用することにしました。
(※2月のツアーですが今現在最小催行人数に達していません。果たして大丈夫なのか…)
登山に必要なのは確実な装備。というわけで社会人一年目として稼いだ額を将来への貯蓄とかいう常識を一切無視して投じ、雪山登山に必要なアレコレを揃えました。予想以上に必要なものが多くて大変でしたが、アウトドアショップの定員さんをフルに頼って揃えました。いきなり物が増えたので部屋が大変なことになっています。
そして今日、フル装備を車に詰んで、家から1番近い雪がありそうな場所まで行き、実際に雪を踏んでみたのです。
雪山専用登山靴にアイゼン(6本爪)を巻き付け、雪がズボンに入らないようにカバー(スパッツ)をつけて、ポールを片手にザクザクとレッツゴー。
歩いてみると、運動靴で歩くのとはわけが違って結構大変。ソールが硬いので足の動きが固定され、ポールで体を支える必要が出てくる。ケチってポール1本しか買いませんでしたが、これはたしかにもう1本欲しいなと苦笑いしました。来週買いに行くか…。
近くにスキー場がある山なので、遠くからはスキー客の賑やかな声が聞こえてきました。なんなら私が登る近くでも、ソリで遊ぶ家族連れが2、3組いました。スキー場はそこそこ混み合っているようだったので、こっちに遊びに来るのもわかる気がするな。
開けたところまで登ったところで、はたと周囲を見回すと、誰もいない。
先程までいたソリで遊ぶ家族連れはいつの間にか帰ったみたいです。音もなく雪が降ってきて、そういえば喧騒もどこか遠いなと感じました。雪が音を吸収するから、聞こえるはずものが聞こえない気がして、落ち着かずにドキドキしました。
ふと遠くを見ると、先程まで遠くの山々の景色がはっきりと見えていたのに、今は雲の中。ぎょっとしている間に近くの山脈も灰色に包まれていき、雪雲がどんどん近づいているのがわかりました。
まだ駐車場から300メートルくらいしか歩いていない状態でしたが、視界が悪くなるくらい雪が降ってきたら困るなと思って下山することにしました。ちょっと道具を試すだけのつもりで来てたので、ヘッドライトも追加の防寒具も持っていない、もしものことがあっても帰れないと踏んだためです。まぁ帰り道も時間が掛かるので、このへんでその判断をしたのは正解だったかなと思います。
多少の焦りを抱えて下った帰り道、深い雪に足を取られて転びました。早く帰ろうと、踏み固められた道を逸れたところでした。
怪我も何もなかったですが、これがもしクレバスだったら…そう考えるとゾッとして、ただでさえ一面真っ白で遠近感もバグりまくりなのに、道なんて読めたもんじゃないなと、雪の世界の恐ろしさを片鱗だけ味わった気分になりました。
わざわざ危険の多い雪の世界に行きたくなるのは何故なんでしょうね。
人それぞれ動機はあると思いますけど、私は寂しい極限世界っていうところに立ってみたいなぁと思うからです。人間どころか生物が来るような場所じゃねぇ!っていうところが地球にはあって、そんなところに私は立ったんだぞって感じたい。その他細かい理由もありますけど、とりあえず「行ってみたい」って思いが強いですね。
その夢が叶うことを願って。おやすみなさい。
そんな思いが消えないので、実行に動くことにしました。
ちょうど1年前の冬、「Celeste」というゲームを遊びました。感想はゲーム日記のところで投稿しています。そこにも書いているんですが、そもそもこのゲームに出会ったのは、thusさんの「氷雪」というボカロ曲に惚れ込んだからなんですよね。登山する人の心情を描いたボカロ曲って他に知らないですし、自分の精神を救うために自然に挑む心理(拡大解釈)っていうのがまた私の感性にぶっ刺さりまして、出会ってから一年以上経った今もよく聴いてる楽曲です。
で、何度も聴いてるうちに雪山登山への憧れが募りました。
単独行で雪山に登るってどんな感覚なんだろう。見渡す限りの白銀の雪、聞こえるのは雪に吸収されて異様に小さい風の音、地上よりも宇宙に近い場所、人が住むことの無い場所に踏み入る感覚。苦しいだろうか、寂しいだろうか、怖いだろうか…………私にもできるだろうか。
初めは「いつか行けたらいいな」程度でした。雪山どころかスキー場にも馴染みのない人間が夢を抱くには、雪山は遠すぎる世界でしたから。
しかし職場の上司が「若いうちにやりたいことは何でもやりなさい」という考えの人でして、その言葉をことあるごとに聞いていたら「いつかやりたいなら今やれば良いのでは?」という思考回路に至りました。秋に体験ダイビングに挑戦したんですけど、それも上司に触発されたからなんですよね。別に挑戦したからといって何が身につく訳でもないですが、「やってみた」経験は自分への自信になるもんだなとダイビングの時に感じて、そこから「雪山を登ってみたい」と明確に意識するようになりました。
まぁもちろん、初心者が雪山にソロで行くなんて自殺行為もいいところですから(なんなら夏山でも危険)、私は堅実に「初心者でも大丈夫!はじめての雪山登山ツアー」を利用することにしました。
(※2月のツアーですが今現在最小催行人数に達していません。果たして大丈夫なのか…)
登山に必要なのは確実な装備。というわけで社会人一年目として稼いだ額を将来への貯蓄とかいう常識を一切無視して投じ、雪山登山に必要なアレコレを揃えました。予想以上に必要なものが多くて大変でしたが、アウトドアショップの定員さんをフルに頼って揃えました。いきなり物が増えたので部屋が大変なことになっています。
そして今日、フル装備を車に詰んで、家から1番近い雪がありそうな場所まで行き、実際に雪を踏んでみたのです。
雪山専用登山靴にアイゼン(6本爪)を巻き付け、雪がズボンに入らないようにカバー(スパッツ)をつけて、ポールを片手にザクザクとレッツゴー。
歩いてみると、運動靴で歩くのとはわけが違って結構大変。ソールが硬いので足の動きが固定され、ポールで体を支える必要が出てくる。ケチってポール1本しか買いませんでしたが、これはたしかにもう1本欲しいなと苦笑いしました。来週買いに行くか…。
近くにスキー場がある山なので、遠くからはスキー客の賑やかな声が聞こえてきました。なんなら私が登る近くでも、ソリで遊ぶ家族連れが2、3組いました。スキー場はそこそこ混み合っているようだったので、こっちに遊びに来るのもわかる気がするな。
開けたところまで登ったところで、はたと周囲を見回すと、誰もいない。
先程までいたソリで遊ぶ家族連れはいつの間にか帰ったみたいです。音もなく雪が降ってきて、そういえば喧騒もどこか遠いなと感じました。雪が音を吸収するから、聞こえるはずものが聞こえない気がして、落ち着かずにドキドキしました。
ふと遠くを見ると、先程まで遠くの山々の景色がはっきりと見えていたのに、今は雲の中。ぎょっとしている間に近くの山脈も灰色に包まれていき、雪雲がどんどん近づいているのがわかりました。
まだ駐車場から300メートルくらいしか歩いていない状態でしたが、視界が悪くなるくらい雪が降ってきたら困るなと思って下山することにしました。ちょっと道具を試すだけのつもりで来てたので、ヘッドライトも追加の防寒具も持っていない、もしものことがあっても帰れないと踏んだためです。まぁ帰り道も時間が掛かるので、このへんでその判断をしたのは正解だったかなと思います。
多少の焦りを抱えて下った帰り道、深い雪に足を取られて転びました。早く帰ろうと、踏み固められた道を逸れたところでした。
怪我も何もなかったですが、これがもしクレバスだったら…そう考えるとゾッとして、ただでさえ一面真っ白で遠近感もバグりまくりなのに、道なんて読めたもんじゃないなと、雪の世界の恐ろしさを片鱗だけ味わった気分になりました。
わざわざ危険の多い雪の世界に行きたくなるのは何故なんでしょうね。
人それぞれ動機はあると思いますけど、私は寂しい極限世界っていうところに立ってみたいなぁと思うからです。人間どころか生物が来るような場所じゃねぇ!っていうところが地球にはあって、そんなところに私は立ったんだぞって感じたい。その他細かい理由もありますけど、とりあえず「行ってみたい」って思いが強いですね。
その夢が叶うことを願って。おやすみなさい。
11月18日、振替休日を使って体験ダイビングに出かけた。
家から高速道路で3時間以上かかる海に、一人で出かけた。
体験ダイビングを申し込んでからというもの、海に潜るのってどんな感じなんだろうと何回か想像した。酸素ボンベを背負って覗く海の中の世界。呼吸を確保しないと覗けないなんて、まるで宇宙のようだ。宇宙服で見知らぬ星を探検するSF映画のようだ。案外、異世界体験みたいなもんなのかな。
その想像は当たっていた。わざわざ泳ぎのレクチャーを受けて、わざわざ酸素を持って入り込む海の中には、表面上の海を眺めているだけでは想像もつかない世界が広がっていた。
波の水圧に揺られながら、縦横無尽に泳ぐ魚たち。人間が近づいても露骨に逃げることが無いので、彼らの世界をじっくり眺めることができる。野生の世界にお邪魔するネイチャーツアーのようだと思った。これが陸上生物だったら、ここまで近づくことはできなかったろう。
小魚を小突いて食べようとしていたコブダイ、悠然とただようダツ。イワシの稚魚の群れ、一部の稚魚が日光を反射してチラチラと光るのが綺麗だった。イソギンチャクに住むクマノミに、名前も知らない青い魚たち。熱帯魚が豊富でカラフルだった。岩陰のカニや大きなサザエ、目の前まで近づいてきた小さな魚……。
30分しか潜っていなかったけど、十分な異世界体験だった。インストラクターさんに引っ張られるがまま浅瀬を這いずり回ったのも、水中の無重力具合も、呼吸が酸素ボンベからしか許されないのも、海の上からでは想像できない世界が広がっているのも、全てが全て、『潜らなきゃわからない感覚』だった。
潜る準備をしている間、これから潜る海を見つめて、「今日から私はこの先にも世界があることを知るんだ」と思った。
それまで私の世界は陸上で完結していて、海に出会ったら冒険はそこでお終い、行き止まり。でも実際には海の中にも世界はあって、しかるべき技術と装備があればその世界に飛び込んでいくこともできる。「行くことができる」ということを経験するだけで、自分の認知世界はぐんと広がるだろうなと思った。その感覚が面白かった。
たしかに楽しかったけど、この先「ライセンス取りたい!」とまで思うかはまだわからない。他にやりたいことも待っているからね。でも自分の世界を広げるために挑戦してみることには味を占めたので、また近々、今まで「行ってみよう」とすら思ったことのない分野を体験してみたい。
そんな向上心を、いつまでも持ち続けたい。
家から高速道路で3時間以上かかる海に、一人で出かけた。
体験ダイビングを申し込んでからというもの、海に潜るのってどんな感じなんだろうと何回か想像した。酸素ボンベを背負って覗く海の中の世界。呼吸を確保しないと覗けないなんて、まるで宇宙のようだ。宇宙服で見知らぬ星を探検するSF映画のようだ。案外、異世界体験みたいなもんなのかな。
その想像は当たっていた。わざわざ泳ぎのレクチャーを受けて、わざわざ酸素を持って入り込む海の中には、表面上の海を眺めているだけでは想像もつかない世界が広がっていた。
波の水圧に揺られながら、縦横無尽に泳ぐ魚たち。人間が近づいても露骨に逃げることが無いので、彼らの世界をじっくり眺めることができる。野生の世界にお邪魔するネイチャーツアーのようだと思った。これが陸上生物だったら、ここまで近づくことはできなかったろう。
小魚を小突いて食べようとしていたコブダイ、悠然とただようダツ。イワシの稚魚の群れ、一部の稚魚が日光を反射してチラチラと光るのが綺麗だった。イソギンチャクに住むクマノミに、名前も知らない青い魚たち。熱帯魚が豊富でカラフルだった。岩陰のカニや大きなサザエ、目の前まで近づいてきた小さな魚……。
30分しか潜っていなかったけど、十分な異世界体験だった。インストラクターさんに引っ張られるがまま浅瀬を這いずり回ったのも、水中の無重力具合も、呼吸が酸素ボンベからしか許されないのも、海の上からでは想像できない世界が広がっているのも、全てが全て、『潜らなきゃわからない感覚』だった。
潜る準備をしている間、これから潜る海を見つめて、「今日から私はこの先にも世界があることを知るんだ」と思った。
それまで私の世界は陸上で完結していて、海に出会ったら冒険はそこでお終い、行き止まり。でも実際には海の中にも世界はあって、しかるべき技術と装備があればその世界に飛び込んでいくこともできる。「行くことができる」ということを経験するだけで、自分の認知世界はぐんと広がるだろうなと思った。その感覚が面白かった。
たしかに楽しかったけど、この先「ライセンス取りたい!」とまで思うかはまだわからない。他にやりたいことも待っているからね。でも自分の世界を広げるために挑戦してみることには味を占めたので、また近々、今まで「行ってみよう」とすら思ったことのない分野を体験してみたい。
そんな向上心を、いつまでも持ち続けたい。