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日記、感想、オタ活・・・ごちゃまぜ雑多の物置蔵
 帰宅。新年から仕事中のメンタルはよろしくない。上司に助言から小言まで色々と言われて、新年早々キャパオーバーになりそうだ。

「仕事をどんどん先に片付けたくて残業までする気持ちはわかるけど、締切が先のものは今日やらなくてもいいかの気持ちで優先順位をつけようか。そうして仕事を効率よく回していくのをぜひ今年の目標にしてほしいな。」

 上司はあくまで「今日やらなくてもいい仕事」なら残業しなくていいよね、という話をしたんだと思う。でもこれは私にとっては『残業するな』と同義であり、定時の鐘が鳴ってから「帰らなきゃ」というプレッシャーに押しつぶされそうになっている。
 私は非効率だから。
 私は立ち回りが下手くそだから。
 私は融通が効かない木偶の坊だから...。

 ただ定時まで働いて帰宅しただけなのに、もう何もできないくらい疲労を感じる。風邪をひきそうなほど体が冷たい。それでも帰ったら帰ったでやらなきゃいけないことは立て込んでいて、なんかもう全てやってられなくなってやっぱりキャパオーバーだなって、床に寝転がった。


 心からこのまま寝てしまいたかった。もう何もしたくない。何も考えたくない。それでも、このまま諦め続けていては何も得られはしないと心の片隅で少しでも思ってしまったから、立ち上がったんだ。
 渋々机に向かう。タスクを広げる。散らばった用紙と向き合う。シャーペンを握る。情報を整理する。胸が痛い。胸が痛い。この気持ちがなんなのか、これ以上深掘りしている時間は無い。ただ、今日まで逃げ続けてきた結果がこれなのだから、いい加減奥歯をかみ締めて向き合うしかないのだ。

 いつかの未来で笑えますように。今日は犠牲にしよう。
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仕事が上手くいかない。
ミスを連発しているわけではないけど、やろうとしていたことがその日のうちに終わらなかったり、イレギュラーな事態にあたふたして満足な対応ができなかったり、できると思っていたことにとてつもなく時間がかかってしまったり、先輩の説明を聞いてわかった気でいたけど実際にやってみると順序がてんで不明だったり・・・・・・ここ1,2週間はそんな事態のオンパレード。うまくいかないことが立て続けに起きると、なんとなく逃げ癖というか弱気になってきて、出来ない理由や言い訳を探したり、とりあえず自分を責めたりして、ネガティブな方へネガティブな方へと、気持ちも思考も落ちていく。

今日も今日とて仕事がうまく進まず傷心。
つい先輩に「うまくいかないんですよ、落ち込みますよ」と、ぼやいた。


「そうだね! 僕らの担当業務は、パソコンの取り扱いからパートさんの雇用まで、小さな組織を経営しているみたいに幅広い仕事があるんだよね。やることがたくさんあるけど、無事に運営できるようになったら、どこの部署でも通用するよ」


そんなことはわかってんだよ!!!!!!

分かってるよ!!!私がいくら「こんなの専門外だよわかんないよ…」と思ったところで、その仕事は確実に私の仕事だし、オールマイティに全てを管理して円滑に運営できる仕事の仕方が理想形なんだってことくらい、わかってるよ!!それができないから嘆いて嘆いて毎日苦しくて、少しは同情して欲しくてぼやいたのに、そんなド正論決められたら泣きたくなるってもんだよ・・・!!そんなことはわかってんだよしか言えないんだよ・・・!わかってるよ、わかってる・・・先輩の言う通りだ。ちゃんと一人で、担当職員として、広範囲に知識と技術を持ってフルカバーできるっていうのが最善なんだ。私が目指すべき姿なんだよ。それが一番、かっこいいんだよ。知ってるんだよ、そんなことは。

先輩のありがたいお言葉により私の心は大荒れに荒れたが、同時に「目指すべき姿」に気づかされた。
表面的には認識していたけど、しっかり考えたことはなかった。
慣れない仕事生活の中で忘れていただけかもしれないけど。
どうせ仕事を任されているのなら、しっかり隅から隅まで管理できる頭になりたいと思う。それが理想だと思うし、最善だと思うし、圧倒的に楽しいと思うから。だから私は私の思い描く「小さな組織を経営できる人」を目指すんだ。この程度で止まっている場合じゃない。
「できない」「わからない」と燻るくらいなら、理想の姿を追いかけたい。
ド底辺で起き上がる力もなく泣いているよりは、無様でもブチギレながら階段を駆け上がりたい。

だったら、せめても、ネガティブになっている場合じゃないなと思った。いきなり明日からできなかったことができるようにはならないだろうが、気の持ちようで処理速度の少しくらいは上がるはず。昨日よりは理想に近づけていると信じて、タスクをこなしていこう。

あと半年。まだ取り返せる。

冬に耐えなくてもいい生活を送りたい人生でした…。
冬にしかできない遊びに片足突っ込んでみたり、積極的に冬の空を見たりして、どうにか冬を好きになろうとしてみたけど、しんどいものはしんどい。
来年は冬を越したくない。疲れた。

日が短いのと、寒いのと、特に朝が寒くて起きられないのが本当に辛い。寒いのに起きなければいけないことを思うと、仕事がとても憂鬱に感じる。仕事自体は平気なのに、「起きる」ことだけが酷く重荷だ。

私は自分が自然が好きな人間だと思っていたけど、季節の変化を受け入れられないくせに、よく言えたものだと思う。冬も愛せるようになりたいんだけど、どうしたってふとした瞬間に夏場の殺人的な日射とか入道雲が伸びる群青の空とかが脳裏に甦って、懐かしさに涙が出る。

年に1回くらい、どうしても冬が嫌で嫌で落ち込む日がある。今日はそれなんだろうな。もう寝ちゃうしか解決方法はないんだよな。幸いにも私はオタクだ。外に救いのない冬でも、2次元はすぐそこにある。関心を他に移せる。よかったね。


春が待ちきれない。

先週、急用があって昼間にバイクで走った時、日の暖かさと、畑の土の匂いが風にのってくるのを感じて、ああ春っぽいなと感動した。たったそれだけで、あまりにも救われたような気がした。前世は冬眠するタイプの動物だったのかもしれない。

それでも、折り合いをつけてやっていくしかないんだ。
いくら嘆いたって冬は終わらない。
たくましく生きるしかない。
冬はたしかに嫌いだが、冬に負けるのは癪だ。

嫌だ嫌だと嘆いてもめげずに生きる私を、私はかっこいいと思う。季節の変化を受け入れられなくても、憂鬱な気分を変えようとあれこれ奔走する力がある。何かを試みている。それだけで大したものじゃないか。今までも冬を夏と同じように生きることができたんだ。これからも出来ない道理はないはずだ。
私はよく「あれは夏だから頑張れた」と言うけど、冬は常に頑張ってるようなもん。それに、冬だからこそじっくり取り組めること、考えられることもあるだろうよ。季節の変化を感じ取ろうとするのはいいけれど、あまり振り回されないように。
たしかな装備と準備があれば、私は負けない。

明日も生きていこう。

今日の仕事は”良かった”。
 先輩や上司に尋ねたことも山ほどあるけど、自分で考えて片付けることができた仕事もある。物の配置や最低限の業務の流れがやっと分かり、意味不明な情報の中にいた自分から、多少は物が分かるようになった自分に成長したのを感じた。息苦しさがだいぶ減ったどころか、悲しくなることもなかった。
 要は社会人になって初めて「辛くない日」になった。
 
 今日の天気は雨。朝からどんよりと暗い雲が垂れこめていた。
 しかし空気は生暖かく、柔らかい春の雨を感じさせた。
 そういえば二輪免許の教習に勤しんでいた日々でも、雨の日に初めて運転が上手くなったのを実感して嬉しかったことがある。青空の見えない日は憂鬱とばかり考えていたけど、もしかしたら雨の日だからこそ精神を平和にする作用があるんじゃないか。たとえば、何か心配事があるような状況下では、快晴より曇天の方がメンタルの状態と情景がリンクして冷静になれる、とか。日光の重要性はよーーく分かっているけど、めちゃくちゃ凹んでいる時にカラッと晴れた景色を見ても、自分の精神と乖離しすぎて疲れてしまう、とか。こじつけだけど。
 なんにせよ、クールダウンにはありがたい雨だった。
 最近活気のある出来事ばかりで辟易していたのかもね。雨の日の薄暗く落ち着いた雰囲気が、今日はとても癒しになった。 

 もうこの時間になると眠くて仕方ない。
 初めての辛くない日、書き残せてよかった。まだまだ仕事は不慣れだし理解も及ばないけど、明日もなんとかやっていけそうだ。おやすみなさい。

 職場でちょっと泣きそうになり、必死でこらえて帰宅した。
 帰ったらこの映画を見ようと心に決めて一日働いていた。しかしテレビの前には有休をとった父がおり、私はそのまま自室に引きこもった。重たい鞄を降ろした瞬間、鼻の奥がツンと痛くなって涙があふれてきた。

 父親にとっても今日は貴重な休日。見たい映画があるからどいて、とは言えない。
 そもそもその映画を見るためのサブスクは父が契約しているものだ。自分勝手にしたいなら自分で契約しろという話。

 そうじゃなくて。

 何故泣いているのか、直接的な原因は思い当たらない。
 ただここ数日の(といってもまだ勤務3日目なんだけど)慣れない仕事環境からくるストレスなんだろうなとは思う。仕事が辛いのか、仕事ができない自分が情けないのか、自由な時間が少ない社会人という現実を嘆いているのかは分からない。恐らく全部が全部、ちょっとずつ辛くて、今日抱えきれなくなって泣いてしまったんだと思う。

 明日が来るのが怖い。
 割と絶望だよ、これ。
 でもどんなに絶望していても明日のために準備して、早起きして、弁当水筒用意して、始業に間に合うように出勤しなくちゃならない。そんなものを抱えて生きるのはとてもとても疲れるので、出来ることなら絶望に気づかないふりをしなくちゃならない。知りたくない。でも時々は受け入れて泣いてあげないと、心が壊れていく…気がするな。抱え込みすぎて心が壊れたことなんてないけど。大抵は先に感情が泣いてくれる。
 そう思うとこの涙は……頑張ってる証拠、なんだろうな。
 頑張っているというか、頑張らざるを得ないというか。


 今が辛いのは仕方がないことだと思う。自分は不真面目に生きてきたから、仕事を楽しむ資格はまだない。今は押しつぶされそうな情報量の中で折れずに毎日を生き抜いて、頭が痛くなりそうなぐらい考えて、目の前の業務を片付けるので手いっぱいだ。仕事一つ片づけるのにも先輩や上司に時間をかけて付きっきりで教えてもらわないとできなくて、それ自体は当然だと思うんだけど、効率的とは真逆のとこにいるのが悲しくて、でも教えてもらったからには早く覚えなきゃいけないと思ってしまう。落ち着いてゆっくり覚えたい気持ちと、早く覚えなきゃいけない意識、そのギャップで常に苦しい。

 働く前は教育制度充実してますみたいな顔してたくせに、ふたを開けたらみんな残業だらけでクッソ忙しそうで声かけづらい。でも「ちょっと聞いていいですか」って声かけたらすぐ優しく教えてくれるからありがたいし、報いなきゃなとも思う。
 まぁ、それと業務量の多さは別問題なんだけど。
 新人が配属3日で仕事把握して実務回さなきゃ回らない職場、バグってるだろ。ふつうは部署の概要とか研修とかがあってから、じゃあやってみようかって実務に出るもんじゃないの? いやまぁ、先輩が手を止めて教えてくれたおかげで私の仕事が終わっているわけだから、新人に割く時間は一応あるのか…?あ、でも先輩たち馬鹿みたいに連日残業してるじゃん、そもそも部署が瀕死なとこあるじゃん、前言撤回。

 
 前任者の方がとても優秀な人で、引き継ぎ資料は揃っているわ直近の会議の準備もばっちりだわで本当に感謝しかない。ただ前任者ほどの「できる人」じゃないとやっていけないのかなと思うと、彼女に比べて自分の無能っぷりが出てくるようで自信を喪失する。
 それでも配属されたからにはやるしかないんだろう。
 新人だから、と甘えている場合じゃない。そんな理想論で今日も自分を追い詰める。


 音を上げるのが早いよな。
 自分でもびっくりしてる。もう3日目で泣くんだ、って。
 でも卑屈にはなっていない。泣けてくるのは仕事が辛いから。そこに自分の能力の無さは関係ないし、自分が人と比べて劣っているなんて思う心は一ミリもない。むしろ耐えて生きている自分を褒めたいまである。そう、辛いだけなんだよね…。ただそこがどうしようもなく悲しい。

 もうこの闇を解決するには自分を褒めるしかないよ。
 誰も褒めてはくれないこの現代社会、自分で褒める力はとても大切だと思う(何の話)
 同期もろくにいない、仕事の全貌も分からない、そんな状態で君はよくやっている。「仕事に拘束されてわずかな余暇を生きるだけの人生、何が楽しいの、生きてる意味あるの?」と思いつつ生きるのをやめないの本当にえらい。今日の仕事、朝からパニックにならずに済んだのは過去の自分が家で仕事を整理していたおかげだよね。ちゃんと積み重ねは生きているよ。過去の自分に生かされているよ。無駄じゃないよ。慣れない環境では昼食もリラックスできないよね。朝から夕方まで気を張っているんだから、疲れたり辛かったりするのは当然だよ。
 生きててえらい。そしてこうして吐き出せてえらい。きっと未来の自分はこれを読んで今日を思い出すだろう。どんよりと曇って、少し雨の降った寒い春を。「あのとき辛かったけど生き抜いた」ことはトラウマにもなるけど、しぶとさにもなるし、悪くはないと思うよ。


 書けて良かった。
 こうして苦しみを言語化することだ多少は落ち着く。本当につらいときは何もしたくなくなるところ、私にはこういう習慣があって良かったなと思う。いつかこの経験が何かの役に立つ日も来るだろう。そう思うと、もう少し生きてみようかなとも思えてくる。



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