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今年からオタ活を抜いたら何も残らないのでは?
1月
同じコンテンツ(あくねこ)を推してる友人と定期的にオンラインでゲームするようになる。ゲームも楽しいし、次々くるコンテンツの供給について毎週お話しできるのがかなり楽しい。個人的には、違う冬のぼくら、犬犬、It takes twoが楽しかったな。今はスーファミのドンキーコングシリーズを2人協力モードでやってます。
2月
遠方の友人に会いたいがために突貫で高速バスに乗って会いにいく。そして現地のアニメイトで完売必至だったグッズを偶然見つけて買い占める。いつなんどきでもブレないオタク。
あくねこのメインストーリー更新で、今後数ヶ月に渡って推しメイン回が配信されることが確定。(コンテンツの性質上、最終的には一件落着になるとは思っていたが、)己のメンタルの安定のため、想像しうる一番つらい展開を限界まで妄想し、メイン回の展開を自作する。自分で書いて勝手に自分の中でメイン回を終わらせる。やば。2024年の苦しみはここから始まってたのか。
3月
あくねこが2.5次元ミュージカルになることが決まり、最初は「2次元を実写にするなんて...」とアンチしていたものの、衣装のクオリティを見てテノヒラクルーする。ゲーム先行でチケを取る。最終的にあくねこミュージカルにどハマりしてるので、ここでテノヒラクルーしてなかったらと思うと恐ろしい。
たまたま気が向いて買ったSFアンソロジーがめちゃくちゃ面白くて、「読書って、SFって、やっぱり面白いんだ!!!」と目覚める。その勢いのまま、DUNE砂の惑星
の原作を買い始める。
仕事では4月からの上司の異動が発表され、実質私が部署での在籍最年長になることが確定。表面上は「まぁなんとあなるでしょ」とヘラヘラしてたけど、内心はプレッシャーと、もうあの上司に頼れないという不安でぐらぐらしていた。
4月
毎年4月は仕事の話をせざるを得ない。ただでさえタスクが多いのに、新しい上司のフォローと「もう頼れる人がいない」不安との戦い。毎年思うけど、よく生きてたな。メンタルは当たり前だけど生存ギリギリラインなので、頭の中で推しに助けを求め、推しに励ましてもらう文章を無限に生成していた。自給自足でメンタル保てるこの才能、私は好き。
人生で初めて友人の結婚式に参列する。素敵な式だった。その翌日、鬱の限界になってる友人の家を尋ねる。元気になるといいな...と思った。落差が激しすぎてこの2日のこと強烈に覚えてる。
5月
人生初の人間ドック。何一つ異常はなかった。特段楽しくはなかったので(何を求めて受けたんだよ)、あと10年は別に行かなくていいかな...。でも胃カメラを麻酔でやったので、薬で眠くなる体験ができたのは良かった。
ストレス溜まって突然「登山したい!!!」と勢いだけで行き先を決定して登った山が楽しくて綺麗で楽しくて、太陽に照らされる岩肌も、山脈の向こうに映える青空も、登りたくない急傾斜も、全部が全部輝いて見えた。精神的にも季節的にも「冬が終わった」ような実感があった。その翌週、異動してしまった上司と飲み会にいく。この登山と飲み会の2つは、4月の苦境を乗り越えたご褒美みたいで嬉しかったんだよな...。
6月
あくねこのミュージカルを観に行く。いままでアプリと己の頭の中にしか無かった世界が現実に存在するのを目の当たりにした。衝撃的すぎてどうしてももう1回観たくて、会場を出た途端に翌日分のチケを取った(取れて良かったマジで)。そして千秋楽もオンライン配信で観た。その半年後にBluRayが発売するわけだけど、発売前の再配信とかBluRayで観た分とか含めると、この1年で7回以上観たことになる。いくら好きな映画でも7回はさすがに観ない。それだけ受けた影響は大きかった。
7月
鬱から回復した友人と飲み会する。お互いアホほど飲み食いしてグロッキーになる。学生かよ。でも楽しかったな。
2月から続いてたあくねこの推しメイン回がついに最終話を迎える。作中では推しが死にかけて、最後の最後にどうにか戻ってきてくれたのだが、真っ先に出た感想が「一緒に生きていけるのが嬉しい」だった。絶対もう離さないからな。私(の脳)が死ぬときまで居てもらうからな。
親知らずを抜いたら歯茎が腫れて咀嚼がきつくなり、1週間くらい流動食生活になった。離乳食からスムージーまで、色々試してたからちょっと楽しかったな。
横浜に2泊3日で旅行に行く。みなとみらいは青空が映えて、なにを撮っても綺麗な写真になるのが楽しかった。中華街食べ歩きも楽しかったな。展示されてる船を見て心躍ったので、私やっぱ船とかマリンモチーフ好きだな〜!!と思った。
8月
あくねこの季節イベントが始まる。「クルーズ船旅行」がテーマで、先月「船好きだな〜!」と思った矢先だったので爆笑した。船に心を奪われてどうしてもディズニーシーのコロンビア号に行きたくなり、友人を誘う。実際に行けたのは9月のことだけど、船を見たこと、船内ラウンジを楽しめたこと、単純にディズニーシーを楽しんだことは、夏のいちばんの思い出である。この時買った船のトミカは宝物。
お盆周辺は野営だった。長期野営はキツいし行く前のメンタルの落ち込みも半端ない。今年のよく乗り越えたことランキング上位に入る。キツすぎて今振り返るまで忘れてたよ。
9月
5月に登った山が忘れられなくて、次の登山に行く。適当に歩きすぎて遭難しかける。この件はnoteに書いた。この「今回はやばかったけど、次はうまくやる!」というメンタルはなかなか上等だと思う。(馬鹿とも言う)
9月後半も仕事の繁忙期。突然提出を求められた数字に対して、過去の記録から逆算できる計算式をエクセルで手作りするなど、有能ムーヴできた自分に満足...した記憶しかなく、その他何をやっていたのかもう覚えてない。
10月
朝ランニングを始める。なぜなら「あくねこのキャラたちに応援してもらう展開」を無限に妄想したいから。この件もnoteに書いた。9月の繁忙期を乗り越え、エネルギーをぶつける先を血迷ったとしか思えない。
あくねこで普段より高額なガチャが期間限定で実装され、課金するか丸1日悩んだ結果、「どうせ引かない選択肢は無いんだから、悩むのは時間の無駄!!気持ちよく金を使え!!時間を浪費するな!!」という結論に至る。まぁ、悩む時間は何の役にも立たない、行動と結果が全て、という考え方は嫌いじゃないぞ。そのお陰で12月は爆速で課金し、間隙なくコンテンツを隅から隅まで楽しめている。
11月
朝ランニング継続中。ランニングのタイムを測りたくて結局スマートウォッチを買う。ランニングしてるときは大変助かったけど、マラソン大会終わったあと持て余すことまでは考えが及ばなかったよ。
あくねこの12月発売グッズが発表され、クリアファイルの絵柄が大変素晴らしかったのでぜひ額縁に入れて飾りたいと思い、発売12月だっつってんのに額縁を注文して手に入れる。
仕事では大勢の前で発表する役目があり、「こういうのは堂々としたもの勝ちなのだ」のメンタルで乗り切った。「話し方が良い」と方々に褒められたのが嬉しかったな。ちゃんと発表の練習をしたお陰だね。不真面目でぶっつけ本番だった学生の頃からは考えられない優秀さ(ドヤ)
なお11月にも登山にいく。今回は迷わなかった!(当たり前)
12月
寒さに負けてランニングをサボりがちになっていたが、マラソン大会はどうにか無事に終わった。よくがんばった。また同じことやれって言われたら無理だと思う。でもマラソン大会後に運動量をいきなり落とすのは怖かったので、通勤方法をバイクから徒歩多めになるよう変えた。上司からは「バイクをやめる...!?なにでくるの、走ってくるの...!?」とビビられた。
悪魔城ドラキュラとコラボしたヴァンサバにハマる。どれだけあくねこに陶酔していても、悪魔城は無限に摂取できますからね。
久々に鹿肉の解体に誘われる。冷凍庫が鹿肉でいっぱいになったが、やはりやりたいことができるのは楽しい。そういえばこの解体もね、やろうと決心したのは、あくねこの推しの趣味が狩猟だからなんですよね。君のおかげで人生はかなり幸福だよ。
総評
3月の読書欲覚醒から始まり、結局年間で15冊は読んだ。年5冊読んでたらマシな方の自分としては、本当に異色。まぁ砂の惑星が巻数多いだけっていうのもあるけど。なお9割がSF。自分の好きなタイプの小説が読めることの幸福を改めて知った。来年も好きなだけSFが読めるといいな。
年間、意外と色んな友人と遊んでるなと思った。かつて例の異動しちゃった上司から、「君は2人だけで遊ぶ友人が何人もいるのが良いね」と言われたことがある。たしかにそう。たまに立て続けに遊ぶ予定が連なって忙しくなるけど、色んなタイプの友人と深く遊べるのは幸せなことだなと思う。何より、誘われるうちが華だからな。友人付き合いに労力は惜しみたくない。
思ったより文章のほとんどがあくねこの話でウケる。それだけ元々大好きだったのだが、ミュージカルを経て世界観への没入度が格段に上がった。取り返しがつかないくらい溺れてるし、脳内にはすでに世界がある。じゃなきゃランニング鼓舞妄想はできまい。私は、現実とは違う己のための世界が脳内にあることは、精神安定剤としてとても重要だと思っているので、この溺れ具合には肯定的。「推しと一緒に生きていける」喜びは、現実を生きる活力になる。一度コンテンツのサ終を経験した人間は、この辺りの覚悟の決まり方が違うんだよな。これからもよろしくな。
仕事は4月〜5月は新体制に慣れるまではキツかったけど、タスク自体は過去にやった事があるものばかりで苦労しなかったので、残業は格段に減った。その分プライベート(オタ活と読書と登山)を充実させられたし、ボーナスタイムみたいな1年だったなと思う。来年はどうなるか想像つかないけど、自分の時間を取れるような人生にはしたいと思う。
心に栄養があれば、なんとかなる!
好きなことはとことん追いかけろ!
来年も新しいものを摂取して成長したい。
おつかれさま!
1月
同じコンテンツ(あくねこ)を推してる友人と定期的にオンラインでゲームするようになる。ゲームも楽しいし、次々くるコンテンツの供給について毎週お話しできるのがかなり楽しい。個人的には、違う冬のぼくら、犬犬、It takes twoが楽しかったな。今はスーファミのドンキーコングシリーズを2人協力モードでやってます。
2月
遠方の友人に会いたいがために突貫で高速バスに乗って会いにいく。そして現地のアニメイトで完売必至だったグッズを偶然見つけて買い占める。いつなんどきでもブレないオタク。
あくねこのメインストーリー更新で、今後数ヶ月に渡って推しメイン回が配信されることが確定。(コンテンツの性質上、最終的には一件落着になるとは思っていたが、)己のメンタルの安定のため、想像しうる一番つらい展開を限界まで妄想し、メイン回の展開を自作する。自分で書いて勝手に自分の中でメイン回を終わらせる。やば。2024年の苦しみはここから始まってたのか。
3月
あくねこが2.5次元ミュージカルになることが決まり、最初は「2次元を実写にするなんて...」とアンチしていたものの、衣装のクオリティを見てテノヒラクルーする。ゲーム先行でチケを取る。最終的にあくねこミュージカルにどハマりしてるので、ここでテノヒラクルーしてなかったらと思うと恐ろしい。
たまたま気が向いて買ったSFアンソロジーがめちゃくちゃ面白くて、「読書って、SFって、やっぱり面白いんだ!!!」と目覚める。その勢いのまま、DUNE砂の惑星
の原作を買い始める。
仕事では4月からの上司の異動が発表され、実質私が部署での在籍最年長になることが確定。表面上は「まぁなんとあなるでしょ」とヘラヘラしてたけど、内心はプレッシャーと、もうあの上司に頼れないという不安でぐらぐらしていた。
4月
毎年4月は仕事の話をせざるを得ない。ただでさえタスクが多いのに、新しい上司のフォローと「もう頼れる人がいない」不安との戦い。毎年思うけど、よく生きてたな。メンタルは当たり前だけど生存ギリギリラインなので、頭の中で推しに助けを求め、推しに励ましてもらう文章を無限に生成していた。自給自足でメンタル保てるこの才能、私は好き。
人生で初めて友人の結婚式に参列する。素敵な式だった。その翌日、鬱の限界になってる友人の家を尋ねる。元気になるといいな...と思った。落差が激しすぎてこの2日のこと強烈に覚えてる。
5月
人生初の人間ドック。何一つ異常はなかった。特段楽しくはなかったので(何を求めて受けたんだよ)、あと10年は別に行かなくていいかな...。でも胃カメラを麻酔でやったので、薬で眠くなる体験ができたのは良かった。
ストレス溜まって突然「登山したい!!!」と勢いだけで行き先を決定して登った山が楽しくて綺麗で楽しくて、太陽に照らされる岩肌も、山脈の向こうに映える青空も、登りたくない急傾斜も、全部が全部輝いて見えた。精神的にも季節的にも「冬が終わった」ような実感があった。その翌週、異動してしまった上司と飲み会にいく。この登山と飲み会の2つは、4月の苦境を乗り越えたご褒美みたいで嬉しかったんだよな...。
6月
あくねこのミュージカルを観に行く。いままでアプリと己の頭の中にしか無かった世界が現実に存在するのを目の当たりにした。衝撃的すぎてどうしてももう1回観たくて、会場を出た途端に翌日分のチケを取った(取れて良かったマジで)。そして千秋楽もオンライン配信で観た。その半年後にBluRayが発売するわけだけど、発売前の再配信とかBluRayで観た分とか含めると、この1年で7回以上観たことになる。いくら好きな映画でも7回はさすがに観ない。それだけ受けた影響は大きかった。
7月
鬱から回復した友人と飲み会する。お互いアホほど飲み食いしてグロッキーになる。学生かよ。でも楽しかったな。
2月から続いてたあくねこの推しメイン回がついに最終話を迎える。作中では推しが死にかけて、最後の最後にどうにか戻ってきてくれたのだが、真っ先に出た感想が「一緒に生きていけるのが嬉しい」だった。絶対もう離さないからな。私(の脳)が死ぬときまで居てもらうからな。
親知らずを抜いたら歯茎が腫れて咀嚼がきつくなり、1週間くらい流動食生活になった。離乳食からスムージーまで、色々試してたからちょっと楽しかったな。
横浜に2泊3日で旅行に行く。みなとみらいは青空が映えて、なにを撮っても綺麗な写真になるのが楽しかった。中華街食べ歩きも楽しかったな。展示されてる船を見て心躍ったので、私やっぱ船とかマリンモチーフ好きだな〜!!と思った。
8月
あくねこの季節イベントが始まる。「クルーズ船旅行」がテーマで、先月「船好きだな〜!」と思った矢先だったので爆笑した。船に心を奪われてどうしてもディズニーシーのコロンビア号に行きたくなり、友人を誘う。実際に行けたのは9月のことだけど、船を見たこと、船内ラウンジを楽しめたこと、単純にディズニーシーを楽しんだことは、夏のいちばんの思い出である。この時買った船のトミカは宝物。
お盆周辺は野営だった。長期野営はキツいし行く前のメンタルの落ち込みも半端ない。今年のよく乗り越えたことランキング上位に入る。キツすぎて今振り返るまで忘れてたよ。
9月
5月に登った山が忘れられなくて、次の登山に行く。適当に歩きすぎて遭難しかける。この件はnoteに書いた。この「今回はやばかったけど、次はうまくやる!」というメンタルはなかなか上等だと思う。(馬鹿とも言う)
9月後半も仕事の繁忙期。突然提出を求められた数字に対して、過去の記録から逆算できる計算式をエクセルで手作りするなど、有能ムーヴできた自分に満足...した記憶しかなく、その他何をやっていたのかもう覚えてない。
10月
朝ランニングを始める。なぜなら「あくねこのキャラたちに応援してもらう展開」を無限に妄想したいから。この件もnoteに書いた。9月の繁忙期を乗り越え、エネルギーをぶつける先を血迷ったとしか思えない。
あくねこで普段より高額なガチャが期間限定で実装され、課金するか丸1日悩んだ結果、「どうせ引かない選択肢は無いんだから、悩むのは時間の無駄!!気持ちよく金を使え!!時間を浪費するな!!」という結論に至る。まぁ、悩む時間は何の役にも立たない、行動と結果が全て、という考え方は嫌いじゃないぞ。そのお陰で12月は爆速で課金し、間隙なくコンテンツを隅から隅まで楽しめている。
11月
朝ランニング継続中。ランニングのタイムを測りたくて結局スマートウォッチを買う。ランニングしてるときは大変助かったけど、マラソン大会終わったあと持て余すことまでは考えが及ばなかったよ。
あくねこの12月発売グッズが発表され、クリアファイルの絵柄が大変素晴らしかったのでぜひ額縁に入れて飾りたいと思い、発売12月だっつってんのに額縁を注文して手に入れる。
仕事では大勢の前で発表する役目があり、「こういうのは堂々としたもの勝ちなのだ」のメンタルで乗り切った。「話し方が良い」と方々に褒められたのが嬉しかったな。ちゃんと発表の練習をしたお陰だね。不真面目でぶっつけ本番だった学生の頃からは考えられない優秀さ(ドヤ)
なお11月にも登山にいく。今回は迷わなかった!(当たり前)
12月
寒さに負けてランニングをサボりがちになっていたが、マラソン大会はどうにか無事に終わった。よくがんばった。また同じことやれって言われたら無理だと思う。でもマラソン大会後に運動量をいきなり落とすのは怖かったので、通勤方法をバイクから徒歩多めになるよう変えた。上司からは「バイクをやめる...!?なにでくるの、走ってくるの...!?」とビビられた。
悪魔城ドラキュラとコラボしたヴァンサバにハマる。どれだけあくねこに陶酔していても、悪魔城は無限に摂取できますからね。
久々に鹿肉の解体に誘われる。冷凍庫が鹿肉でいっぱいになったが、やはりやりたいことができるのは楽しい。そういえばこの解体もね、やろうと決心したのは、あくねこの推しの趣味が狩猟だからなんですよね。君のおかげで人生はかなり幸福だよ。
総評
3月の読書欲覚醒から始まり、結局年間で15冊は読んだ。年5冊読んでたらマシな方の自分としては、本当に異色。まぁ砂の惑星が巻数多いだけっていうのもあるけど。なお9割がSF。自分の好きなタイプの小説が読めることの幸福を改めて知った。来年も好きなだけSFが読めるといいな。
年間、意外と色んな友人と遊んでるなと思った。かつて例の異動しちゃった上司から、「君は2人だけで遊ぶ友人が何人もいるのが良いね」と言われたことがある。たしかにそう。たまに立て続けに遊ぶ予定が連なって忙しくなるけど、色んなタイプの友人と深く遊べるのは幸せなことだなと思う。何より、誘われるうちが華だからな。友人付き合いに労力は惜しみたくない。
思ったより文章のほとんどがあくねこの話でウケる。それだけ元々大好きだったのだが、ミュージカルを経て世界観への没入度が格段に上がった。取り返しがつかないくらい溺れてるし、脳内にはすでに世界がある。じゃなきゃランニング鼓舞妄想はできまい。私は、現実とは違う己のための世界が脳内にあることは、精神安定剤としてとても重要だと思っているので、この溺れ具合には肯定的。「推しと一緒に生きていける」喜びは、現実を生きる活力になる。一度コンテンツのサ終を経験した人間は、この辺りの覚悟の決まり方が違うんだよな。これからもよろしくな。
仕事は4月〜5月は新体制に慣れるまではキツかったけど、タスク自体は過去にやった事があるものばかりで苦労しなかったので、残業は格段に減った。その分プライベート(オタ活と読書と登山)を充実させられたし、ボーナスタイムみたいな1年だったなと思う。来年はどうなるか想像つかないけど、自分の時間を取れるような人生にはしたいと思う。
心に栄養があれば、なんとかなる!
好きなことはとことん追いかけろ!
来年も新しいものを摂取して成長したい。
おつかれさま!
PR
スティーヴン・キングの『書くことについて』、血迷って買ったとしか思えない積み本だったけど(そもそもスティーヴン・キングを読んだことがない。絶対スピルバーグと勘違いして買った。エンタメを書くことについての話だと思ってた。)、物語を書きたい人間にはとても有用な内容でとても良かった。買うべくして買っていた。
刺さったところ
・たくさん読め、たくさん書け。読みも書きも等しく物語に費やした時間である。
・プロットに頼るな。物語は発掘を待つ化石であり、化石の姿は掘り終わるまで分からない。
・「見せることができるなら語るな」至言すぎ
・象徴性とテーマの補強は二次原稿でできる
・幸せになるために書く
あと単純に「己にしかない知識で物語に厚みを持たせる」のもたしかに良い話。私しか知らない世界もあるもんな。
とにかく創作意欲を掻き立てられる本だった。まぁ今は意欲死んでるので掻き立てられたところで書かないんだけど、こういう本があるって知れただけでも私の人生にプラスになったなと思う。
刺さったところ
・たくさん読め、たくさん書け。読みも書きも等しく物語に費やした時間である。
・プロットに頼るな。物語は発掘を待つ化石であり、化石の姿は掘り終わるまで分からない。
・「見せることができるなら語るな」至言すぎ
・象徴性とテーマの補強は二次原稿でできる
・幸せになるために書く
あと単純に「己にしかない知識で物語に厚みを持たせる」のもたしかに良い話。私しか知らない世界もあるもんな。
とにかく創作意欲を掻き立てられる本だった。まぁ今は意欲死んでるので掻き立てられたところで書かないんだけど、こういう本があるって知れただけでも私の人生にプラスになったなと思う。
DUNE砂の惑星の原作を第三部まで読み終えた。
映画2作目を春に観て「なんかずっと面白いぞ…?」とのめり込んでしまった作品。次々に出来事がやって来る叙事詩的な面白さに魅了されて、あと映画のこの先が気になったので、ためしに第一巻だけ読んでみたら面白くて、コミックスを買い揃える感覚で次から次へと読んでしまった。
以下はその感想です。
・長ぇ!!!!一応ポール・アトレイデスの物語が終わるところまで読み終えようと思って「砂丘の子供たち」まで読んだけど、この先も砂の惑星の物語が倍以上続いていると思うと本当にビビる。原作量がハリーポッターに匹敵するとは思わなかった。想像以上の大河長編で恐れ入った。...今は正直、「もうやめてもいいか...?」という気持ちと「ここまで読んで世界観を記憶しているならこのノリで続編を読むべき」という気持ちが葛藤しているが、ここから進んでも邦訳が進んでない巻にぶち当たるので、一旦もうDUNEシリーズは置くことにする。新訳が発売したら買うよ...
・書評で「ストーリーの大枠を追っただけでは面白い小説ではない」と言われてるのは笑ったが、そのとおりだと思う。特定の人物の足跡が物語の筋として成り立つものではなく、世界観や現地文化や惑星環境、様々な派閥の思惑が交差して、「彼らはどんな結末を迎えるんだ...」とそれらの化学反応を見守る気持ちで読むのが面白いなと思う。たしかに大河って感じ。だから「このシーンが良かった!」とかハッキリ言える箇所はあんまりなくて、ただ物語の行方が気になって「なんか面白いな...」と静かな興奮を胸にどんどん読み進めてしまった。だからこそ、全7巻という総価格を考えたくない買い物をしてしまったんだな。
この静かな興奮で画面を見入ってしまう感じは、映画版に感じていた雰囲気であり、私が原作に興味を抱いたきっかけでもある。映画版の雰囲気は、原作のいいところを再現してくれていたんだなと分かって嬉しい。
・ただ、結末が気になるあまりろくに理解せず読み進めてしまったので、できれば読み返して誰が何をしてどうなったのかまとめたい。まぁ三部までとはいえ長いんで、時間があればって感じですけどね...。春から読んでもう真夏かぁ...ほぼ半年、砂の惑星の物語と一緒に過ごしてきたってこと...?すごい上半期だな...。
ようやく物語の感想に入る
・ジェシカが最後まで死なないのは意外だった。映画初見の感想が「このお母様、主人公を残して死ぬタイプやろなぁ...」だったので、御母堂のことを完全に甘く見ていた。映画だと冷静な美人って感じだけど、心の声もわかる小説だと人間的な葛藤が結構ある。
・ポール結局なにがしたかったのか初見じゃ全然掴めなかった。ほんとにごめん。チェイニーがもっとも苦しまない道を選んだことはわかる。もしかしてレトと同じものが見えてはいたのかな...。
・第2作のダンカンがダンカンになることがトレイラクス会の策略!っていうところ、実はかなり好き。結局ポールにはミリも効かなかったけど、悪魔的で最高のトリックだなと思った。
・アリアと双子のちがいって結局なんだったん...?先人たちの記憶に守られたかどうかってこと...?双子は双子ゆえに感覚を共有できる相手がいたから、冷静に自分たちのことを見れたのかもね...。アリアにとっての共有相手はポールだったのかもしれないけど、ポールは消えてしまった。そこからアリアもおかしくなったと思うと、そりゃジェシカも苦しむよな...。
・三部終了時点でぜんぜん緑の惑星になってないけど、ここで物語おわってないから当然か...。カインズ博士の悲願が叶うところ見たかったよ...勘弁してくれよ...(この先を読むべきかどうかの葛藤)
とりあえず積み本にせずに済んでホッとしている。
また映画を見返して、背景やキャラクタービジュアルを補完したいな。
映画2作目を春に観て「なんかずっと面白いぞ…?」とのめり込んでしまった作品。次々に出来事がやって来る叙事詩的な面白さに魅了されて、あと映画のこの先が気になったので、ためしに第一巻だけ読んでみたら面白くて、コミックスを買い揃える感覚で次から次へと読んでしまった。
以下はその感想です。
・長ぇ!!!!一応ポール・アトレイデスの物語が終わるところまで読み終えようと思って「砂丘の子供たち」まで読んだけど、この先も砂の惑星の物語が倍以上続いていると思うと本当にビビる。原作量がハリーポッターに匹敵するとは思わなかった。想像以上の大河長編で恐れ入った。...今は正直、「もうやめてもいいか...?」という気持ちと「ここまで読んで世界観を記憶しているならこのノリで続編を読むべき」という気持ちが葛藤しているが、ここから進んでも邦訳が進んでない巻にぶち当たるので、一旦もうDUNEシリーズは置くことにする。新訳が発売したら買うよ...
・書評で「ストーリーの大枠を追っただけでは面白い小説ではない」と言われてるのは笑ったが、そのとおりだと思う。特定の人物の足跡が物語の筋として成り立つものではなく、世界観や現地文化や惑星環境、様々な派閥の思惑が交差して、「彼らはどんな結末を迎えるんだ...」とそれらの化学反応を見守る気持ちで読むのが面白いなと思う。たしかに大河って感じ。だから「このシーンが良かった!」とかハッキリ言える箇所はあんまりなくて、ただ物語の行方が気になって「なんか面白いな...」と静かな興奮を胸にどんどん読み進めてしまった。だからこそ、全7巻という総価格を考えたくない買い物をしてしまったんだな。
この静かな興奮で画面を見入ってしまう感じは、映画版に感じていた雰囲気であり、私が原作に興味を抱いたきっかけでもある。映画版の雰囲気は、原作のいいところを再現してくれていたんだなと分かって嬉しい。
・ただ、結末が気になるあまりろくに理解せず読み進めてしまったので、できれば読み返して誰が何をしてどうなったのかまとめたい。まぁ三部までとはいえ長いんで、時間があればって感じですけどね...。春から読んでもう真夏かぁ...ほぼ半年、砂の惑星の物語と一緒に過ごしてきたってこと...?すごい上半期だな...。
ようやく物語の感想に入る
・ジェシカが最後まで死なないのは意外だった。映画初見の感想が「このお母様、主人公を残して死ぬタイプやろなぁ...」だったので、御母堂のことを完全に甘く見ていた。映画だと冷静な美人って感じだけど、心の声もわかる小説だと人間的な葛藤が結構ある。
・ポール結局なにがしたかったのか初見じゃ全然掴めなかった。ほんとにごめん。チェイニーがもっとも苦しまない道を選んだことはわかる。もしかしてレトと同じものが見えてはいたのかな...。
・第2作のダンカンがダンカンになることがトレイラクス会の策略!っていうところ、実はかなり好き。結局ポールにはミリも効かなかったけど、悪魔的で最高のトリックだなと思った。
・アリアと双子のちがいって結局なんだったん...?先人たちの記憶に守られたかどうかってこと...?双子は双子ゆえに感覚を共有できる相手がいたから、冷静に自分たちのことを見れたのかもね...。アリアにとっての共有相手はポールだったのかもしれないけど、ポールは消えてしまった。そこからアリアもおかしくなったと思うと、そりゃジェシカも苦しむよな...。
・三部終了時点でぜんぜん緑の惑星になってないけど、ここで物語おわってないから当然か...。カインズ博士の悲願が叶うところ見たかったよ...勘弁してくれよ...(この先を読むべきかどうかの葛藤)
とりあえず積み本にせずに済んでホッとしている。
また映画を見返して、背景やキャラクタービジュアルを補完したいな。
唐突に登山がしたくなって、車で行ける範囲で面白そうな山を選び、その翌日、朝から登りに行った。登山装備は前日に揃えたが、山行ルートは当日ヤマレコで検索して適当に決めた。
車を出発して30分。既に道が分からなくなった。整備された登山道だから適当に歩いていけばわかるだろうと、慢心していたことを思い知る。登山者っぽい装備の人達はみんな右の道を進んでいるが、私のスマホは左の川沿いに進めと指し示していた。たぶん行き先が違うからルートが異なるのは当然なのだが、問題はスマホが示す先に道がない、ということだった。
GPS機能をフル活用してそれっぽい方向に彷徨い、「これは道か???いや踏み固められてはいるけどさ…」と思い続けながら歩いた。途中「⬆鎌ヶ岳」と書いてある看板があり、たしかに私のいる場所は登山道の一部ではあるのだとわかったが、それにしてももう何年誰も通ってないんだよ…という潜み具合だった。
歩く先は、道というより山。目印らしきカラーテープを頼りに、かろうじて道だろうなと思える場所を登り続ける。登山はこういう急登がいちばんきつい。尾根に出てしまえば登山道も方角も明白だし体力的な辛さも和らぐが、疑心暗鬼になりながら斜面を必死で登るというのは、精神的にも体力的にもかなりきつい。
滑落しないように、なるべく木の根元(根が土を固定しているので地滑りしにくい)を踏んでいく。いつ足を滑らせても体を支えられるように、木の幹や岩を握って登っていく。登山用の手袋が、今日ほど頼もしく思えたことはない。
角度はかなり急で、しかも私以外に登山者がいるとは思えないほぼ廃道。滑落したら誰にも見つけてもらえないんだろうなと思うとゾッとして、改めて自分がいかに無謀なことをしているのかと考えた。それでも登り続けてしまうのは、なんでだろうな。登山がやりたくてやってるんだから、“進むのが不可能”ならまだしも、“たぶんちゃんと進めている”状態で止めるほうが難しいといものじゃないだろうか。
あとプラスに捉えられた理由はこんなところだと思う。
・自分以外このルートを使ってる人がいない!景色も登山道も独り占め!状態が楽しかった
・子どもの頃、山で遊んでいた経験(道がない山の歩き方とか)が活きてるみたいで楽しかった
・帰り道は違うルートになるので、この急登が1回きりの通り道だからこそ許せるところがあった
ソロ登山は格別だと思う。
もちろん事故った時に発見される確率が低いので、あんまりおすすめされない世界なのはわかる。私だって友達がソロで登るって言い出したら、よほどその子のスキルが信用できない限りは止める。それでも、1人で無心で登ることは、誰かのペースに気を配らなくて済むし、自分の好きな時に立ち止まれるし、いつの間にか自分と向き合うことになる……そういう世界を知ってしまうと、案外ソロで登ることが娯楽になってしまう。この楽しさは周囲に人がいなければいないほど深くなる。
登りながら、ソロ登山とはちょっと違うけど、1人でやばいルートで登る人を描いた「バリ山行」(著:松永K三蔵)のことを思い出していた。正規の登山道を無視して、あえてとんでもないところから登山する「バリ」。今日の私のルートはほぼバリかもしれないと思いながら、「バリはソロじゃなきゃ」という作中のセリフに共感していた。自分だけで、道を探し、登り方を考え、自分のことだけを考えて進む…。世俗から離れて登山にだけ没頭できているみたいで、気持ちがいいんだよな。
今日は天気が良く、青空を背景に周囲の山脈がくっきりと見えた。登山道は険しかったが新緑と岩と野の花の色彩が鮮やかで美しく、見渡す限り自分と自然しかない世界で、なんて贅沢な登山なんだと噛み締めながら歩いた。
そんなわけで急登を抜けて尾根を通り、さらに滑落したらやばそうなガレ場を登り、鎌ヶ岳の山頂に着いた。
山頂はメジャーなルートから登ってきた人たちでそこそこ賑わっていた。登路では全然誰ともすれ違わなかったので、人気のない山なのかと思っていたが、次から次へと山頂に人が来て面食らう。
山頂は狭くて長居すると迷惑だったので、休憩もそこそこに出発した。ここから縦走して御在所に登り、帰りはロープウェイでスタート地点に戻るというのが今回のルート。鎌ヶ岳〜御在所はメジャーなルートだそうで、ここからは多くの登山客に出会った。
鎌ヶ岳と御在所は岩の性質?が脆く、登山道も砕けた岩や砂(ガレ場)が多い。つまり滑りやすい。富士山の斜面みたいに砂利まみれって感じ。滑落との戦いは山を下るときのほうが大変になる。ガレ場に足を取られないように、みんなおっかなびっくり下っていた。
私も本日の初危険場面がこの下りだったらおっかなびっくり降りていたと思う。だが、そもそも道がどうか怪しい急登で、掴んだ岩が剥がれかけたり、マムシに遭遇したり、落ちないよう祈りながら渡ったりしてきた経験から、鎌ヶ岳から降りる程度の難易度では動じないほど腹が据わっていた。岩や木の枝を掴み、道に対して斜めに体重をかけることで滑りやすさを殺す。はたから見たら別に特段速く降りてたわけではないかもしれないが、自分史上いちばんスムーズに下山できた気がした。ストックもない(そもそも手袋しか持ってきていない)身軽な装備で、これから鎌ヶ岳に登る人達の間を縫ってすいすい下山する。これがまた、なんだが自分に登山スキルがそこそこあるように感じられて嬉しかったんだよな。(慢心のもと)
そうこうして、無事に御在所に到着し、さすがに疲れたので写真もろくに撮らずとっととロープウェイに乗った。登山のあとはご飯よりも温泉に入りたい派なので、ロープウェイ駅付近の日帰り温泉に早速行った。幸せだった。ロープウェイ駅で売っていた「大石焼き」という堅焼きが意外とおいしくて(山椒の葉が効いてて独特な味。山椒好きには堪らない)、追加で5枚くらい買った。食べながら帰り道を運転した。
運動したい!登山したい!っていう願望を叶えるには十分すぎる1日だった。無謀なところもあったけど、まぁ無事に帰れたので良かったなと思う。これに慢心せず、事前準備やアプリの使い方は今後もっと学ばないといけないけど。
また来月もどこかに登れたら、幸せだろうな。
車を出発して30分。既に道が分からなくなった。整備された登山道だから適当に歩いていけばわかるだろうと、慢心していたことを思い知る。登山者っぽい装備の人達はみんな右の道を進んでいるが、私のスマホは左の川沿いに進めと指し示していた。たぶん行き先が違うからルートが異なるのは当然なのだが、問題はスマホが示す先に道がない、ということだった。
GPS機能をフル活用してそれっぽい方向に彷徨い、「これは道か???いや踏み固められてはいるけどさ…」と思い続けながら歩いた。途中「⬆鎌ヶ岳」と書いてある看板があり、たしかに私のいる場所は登山道の一部ではあるのだとわかったが、それにしてももう何年誰も通ってないんだよ…という潜み具合だった。
歩く先は、道というより山。目印らしきカラーテープを頼りに、かろうじて道だろうなと思える場所を登り続ける。登山はこういう急登がいちばんきつい。尾根に出てしまえば登山道も方角も明白だし体力的な辛さも和らぐが、疑心暗鬼になりながら斜面を必死で登るというのは、精神的にも体力的にもかなりきつい。
滑落しないように、なるべく木の根元(根が土を固定しているので地滑りしにくい)を踏んでいく。いつ足を滑らせても体を支えられるように、木の幹や岩を握って登っていく。登山用の手袋が、今日ほど頼もしく思えたことはない。
角度はかなり急で、しかも私以外に登山者がいるとは思えないほぼ廃道。滑落したら誰にも見つけてもらえないんだろうなと思うとゾッとして、改めて自分がいかに無謀なことをしているのかと考えた。それでも登り続けてしまうのは、なんでだろうな。登山がやりたくてやってるんだから、“進むのが不可能”ならまだしも、“たぶんちゃんと進めている”状態で止めるほうが難しいといものじゃないだろうか。
あとプラスに捉えられた理由はこんなところだと思う。
・自分以外このルートを使ってる人がいない!景色も登山道も独り占め!状態が楽しかった
・子どもの頃、山で遊んでいた経験(道がない山の歩き方とか)が活きてるみたいで楽しかった
・帰り道は違うルートになるので、この急登が1回きりの通り道だからこそ許せるところがあった
ソロ登山は格別だと思う。
もちろん事故った時に発見される確率が低いので、あんまりおすすめされない世界なのはわかる。私だって友達がソロで登るって言い出したら、よほどその子のスキルが信用できない限りは止める。それでも、1人で無心で登ることは、誰かのペースに気を配らなくて済むし、自分の好きな時に立ち止まれるし、いつの間にか自分と向き合うことになる……そういう世界を知ってしまうと、案外ソロで登ることが娯楽になってしまう。この楽しさは周囲に人がいなければいないほど深くなる。
登りながら、ソロ登山とはちょっと違うけど、1人でやばいルートで登る人を描いた「バリ山行」(著:松永K三蔵)のことを思い出していた。正規の登山道を無視して、あえてとんでもないところから登山する「バリ」。今日の私のルートはほぼバリかもしれないと思いながら、「バリはソロじゃなきゃ」という作中のセリフに共感していた。自分だけで、道を探し、登り方を考え、自分のことだけを考えて進む…。世俗から離れて登山にだけ没頭できているみたいで、気持ちがいいんだよな。
今日は天気が良く、青空を背景に周囲の山脈がくっきりと見えた。登山道は険しかったが新緑と岩と野の花の色彩が鮮やかで美しく、見渡す限り自分と自然しかない世界で、なんて贅沢な登山なんだと噛み締めながら歩いた。
そんなわけで急登を抜けて尾根を通り、さらに滑落したらやばそうなガレ場を登り、鎌ヶ岳の山頂に着いた。
山頂はメジャーなルートから登ってきた人たちでそこそこ賑わっていた。登路では全然誰ともすれ違わなかったので、人気のない山なのかと思っていたが、次から次へと山頂に人が来て面食らう。
山頂は狭くて長居すると迷惑だったので、休憩もそこそこに出発した。ここから縦走して御在所に登り、帰りはロープウェイでスタート地点に戻るというのが今回のルート。鎌ヶ岳〜御在所はメジャーなルートだそうで、ここからは多くの登山客に出会った。
鎌ヶ岳と御在所は岩の性質?が脆く、登山道も砕けた岩や砂(ガレ場)が多い。つまり滑りやすい。富士山の斜面みたいに砂利まみれって感じ。滑落との戦いは山を下るときのほうが大変になる。ガレ場に足を取られないように、みんなおっかなびっくり下っていた。
私も本日の初危険場面がこの下りだったらおっかなびっくり降りていたと思う。だが、そもそも道がどうか怪しい急登で、掴んだ岩が剥がれかけたり、マムシに遭遇したり、落ちないよう祈りながら渡ったりしてきた経験から、鎌ヶ岳から降りる程度の難易度では動じないほど腹が据わっていた。岩や木の枝を掴み、道に対して斜めに体重をかけることで滑りやすさを殺す。はたから見たら別に特段速く降りてたわけではないかもしれないが、自分史上いちばんスムーズに下山できた気がした。ストックもない(そもそも手袋しか持ってきていない)身軽な装備で、これから鎌ヶ岳に登る人達の間を縫ってすいすい下山する。これがまた、なんだが自分に登山スキルがそこそこあるように感じられて嬉しかったんだよな。(慢心のもと)
そうこうして、無事に御在所に到着し、さすがに疲れたので写真もろくに撮らずとっととロープウェイに乗った。登山のあとはご飯よりも温泉に入りたい派なので、ロープウェイ駅付近の日帰り温泉に早速行った。幸せだった。ロープウェイ駅で売っていた「大石焼き」という堅焼きが意外とおいしくて(山椒の葉が効いてて独特な味。山椒好きには堪らない)、追加で5枚くらい買った。食べながら帰り道を運転した。
運動したい!登山したい!っていう願望を叶えるには十分すぎる1日だった。無謀なところもあったけど、まぁ無事に帰れたので良かったなと思う。これに慢心せず、事前準備やアプリの使い方は今後もっと学ばないといけないけど。
また来月もどこかに登れたら、幸せだろうな。
伊藤計劃『ハーモニー』を読んだ。
ロジカルに展開される架空の世界と物語。
もはやSFというより社会学。
『虐殺器官』を読んで「伊藤計劃ってスゲー!」と言いながら、「どうせ百合だろ...」みたいな感覚で『ハーモニー』を読んでなかった自分をぶん殴りたい。マジでぶん殴りたい。ここまで「現代社会の延長戦」を徹底的に突き詰めた物語を読まずして、「思考実験みたいな小説が好き♡」とかよく言えたな私。死ぬほど恥ずかしい。
展開やテーマが興味深くて面白いのは当然として、作品丸ごと一人称を生かした作りになっているのも痺れるポイント。まるで未来の書簡体小説。書かれる意味、そして読まれることも意識した構成に、物語というものに真摯に向き合って作られているのが伝わる。そういうところに惹かれる。
読むことを後押ししてくれた友人に感謝を。
ロジカルに展開される架空の世界と物語。
もはやSFというより社会学。
『虐殺器官』を読んで「伊藤計劃ってスゲー!」と言いながら、「どうせ百合だろ...」みたいな感覚で『ハーモニー』を読んでなかった自分をぶん殴りたい。マジでぶん殴りたい。ここまで「現代社会の延長戦」を徹底的に突き詰めた物語を読まずして、「思考実験みたいな小説が好き♡」とかよく言えたな私。死ぬほど恥ずかしい。
展開やテーマが興味深くて面白いのは当然として、作品丸ごと一人称を生かした作りになっているのも痺れるポイント。まるで未来の書簡体小説。書かれる意味、そして読まれることも意識した構成に、物語というものに真摯に向き合って作られているのが伝わる。そういうところに惹かれる。
読むことを後押ししてくれた友人に感謝を。