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2月15日22時、東京駅から寝台特急「サンライズ出雲」に乗る。
B寝台シングル、13号車21番。憧れていた2階席。
列車がホームに入ってきたところを撮ろうとホームの先端に立っていたのだが、自分の乗る13号車がほぼ末尾車だったので、ホームの端から端まで歩かなければならなかった。それでも外から見える個室の窓に胸を躍らせた。窓の奥に広がる部屋はとても良いものに見えたから。
個室は想像よりずいぶんと素敵だった。
カプセルホテルが列車に乗っているようなものだった。どこがどう素敵だったのかは上手く言葉にできない。清潔で、毛布や浴衣があって、というところは別にどうでも良くて、機能的でコンパクトな部屋になっていることが一番嬉しかったと思う。なにせ機能的なカプセルホテルにワクワクしてしまう人間なもので。
部屋の雰囲気を残すために全体を写真に収めたかったが、悲しいかなその狭さゆえに画面にすべては入らず(今思えばパノラマ機能で360度撮ってくればよかった)、揺れに耐えながら落書きを残した。
誰かこの室内のジオラマ作ってくれないかな。
部屋の中にキャリーケースがあって、壁に掛けた上着(落書きには描かれてないけど)が振動で揺れるのもなんだか雰囲気があって良かったな。
列車が動き出したときは結構感動した。
この部屋、ほんとうに動くんだ!ここ数年で一番瞳がキラキラしていたと思う。
そうして列車は夜の町を走り始めた。
窓は天井に向かってカーブしているので空が見える。
星空も見える、と聞いた時からどうしても2階席が引きたかった。ただしこの日は朝から雨で、夕方になって雨は止んだものの、星空には期待できないと思っていた。2階席を引けただけでも飛び上がるほど嬉しいので、星空は期待しないようにしよう――そう決めていたので、いざ夜景の向こうに輝くオリオン座が見えた時はそれはもう、嬉しかった。
ああいま私は世界で一番美して幸せな体験をしているのかもしれない、と思った。
普通ド深夜に列車は動かない。
夜景があるとはいえ通り過ぎる街の殆どは寝静まっている。民家からは明かりが消えているし、駅のホームには誰もいない。寂しい道路を色あせた街灯が照らすのみ。景色の静と列車と私の動、この対比が突き刺さるなと思った。列車と自分だけが起きているみたいだ。考えてみれば当たり前なんだけど。これが夜を走るとくべつな列車。人知れず空を駆ける銀河鉄道に乗ってもきっと、同じような印象を受けるんだろうなぁ。
日付が変わってしばらくして、睡魔に負けたので毛布にくるまって寝ころんだ。
暖房がしっかり効いているので薄着でも寒くない。列車の揺れが眠気を誘うようで心地いいと感じることもあれば、酔いそうだと思うこともあった。どんな環境でも寝られる人間になりたいもんだと思った。
地震の夢を見て目を覚ました。列車の揺れのせいだった。
酔いそうな感覚は消えていた。
6:30 岡山駅
車内アナウンスで完全に目が覚め、室内に常設されているラジオを聴きながら朝の支度。
一晩かけても東京から岡山。改めて新幹線や飛行機が交通手段として当たり前になった現代では、わざわざ寝台列車に乗るなんて行為は”時間と金をかけた贅沢”なんだなと思い知る。レトロ浪漫な時代にタイムスリップしたみたいで面白い。
それにレトロなものだからこそ、いつなくなってもおかしくない。
現在日本で運行中の夜行列車は15本ほどあるようだが、毎日運行しているのはこのサンライズ出雲・瀬戸のみ、らしい(ほかの列車は週2だったり観光シーズンのみだったり)。夜行列車の数はどんどん減っている。採算性やコストの面では新幹線や飛行機に敵わない夜行列車は、新たに製造するメリットがほとんどなく、老朽化すれば廃止するしかない…ということだろうか。このサンライズも5年後どうなっているか分からない。
考えれば考えるほど、今回は衝動に任せて旅行してよかったなと思う。
私の2021年はそういう年なのかもね。
岡山を出てしばらくして、日が高くなって空が青くなった。
流れる夜景も素敵だったけど、田園や渓流を眺めるのも素敵だ。都市ビルの中を縫うよりよほど旅情がある。気分が上がってきてつい歌ってしまったけど、多少の声ならバレないのが個室の良いところ。個室についているラジオを聞くのにもイヤホンをつけなくていいので、自分だけの空間を乗せて列車が走っている、という気分になる。これが案外とても楽しい。
そしてなりより、晴れて青空を見上げられるのが嬉しい。
10:00 出雲市
終点に到着。降りた人は少ないように見えた。やはり乗客を減らして運行しているのかな。
今夜もサンライズは誰かを乗せて運行しているんだろうな。
【IA】お星さま列車【オリジナル曲】
旅行を計画している時、ずっとこの曲を聞いていた。この曲の最後に「これからまたみんなをよろしくね」とある。今は私もそんな気持ち。動かなくなるその日まで、たくさんの人のワクワクとキラキラを乗せて、よろしくね。(あとこの曲、「そろそろこの酔いも慣れそうだ」って歌詞が出てくるのもリアルでなんかいいね)
機会があればもちろんまた乗りたい。
でもこれが最初で最後でも十分楽しかったと胸を張って言える。
素敵な一晩をありがとう。
寝台列車のチケットを買いに行ったのが2月8日。その翌日の夜に「卒業までの1,2カ月でいいからバイトとして仕事手伝ってくれない?」という親戚からの誘いがあり、さらにその翌日に就職先の説明会を受けて「諦めてたけど、やっぱり通勤のために二輪免許を取ろう」と決意した。
2月8日以前の私は暇を持て余した合法ニートだった。
10時から11時ごろ目が覚め、朝からSNSやネットサーフィンで時間を潰す。
映画を見るにも読書をするにも集中力というか真剣さがまるで無い。
ただ暗くなるまで適当に遊んで、暗くなったら申し訳程度の家事をして、夕飯を食べて寝る。
中身が無くて退屈にも程がある生活をしていた。
それがどうだ、今はそこそこ忙しい。
偶然と言えばそれまでだけど、私には2月8日の月曜日にアクションを起こしたことで生活が変わったような気がしてならない。
退屈で退屈でスマホゲーを周回するしか楽しみのなかった毎日が俄然充実した。映画や読書に集中できるようになった。空虚に流れるままだった時間が色濃くなり、昨日の思い出が遠く感じるようになった。出雲に旅行したのは今週の月曜から水曜のことだけど、既に記憶は2,3週間前の出来事だと言われても納得できるほど遠くにある。それくらい木曜から土曜まで予定があって、忙しかったってことなんだろう。
自分に巡ってくるものは連鎖する、のだろうか。今までそれは不幸とか責任とか課題とか嫌なこと限定だと思っていたけど、機会や決意も同じなのかもしれない。たしかに立ち止まっているよりは歩いている方が触れるものは多い。
寝台列車旅行は本当に素晴らしい体験だったけど、それをきっかけに連鎖が起こって今が充実しているという事実こそ書き残したいと思った。たとえ衝動的なものでも、行動しようという意思は尊いものなんだな。その行動が報われたような気がして、とても嬉しい。あの日家を飛び出して旅行したいと願い、その願いを叶えるために動いた自分に感謝したい。
休みも度が過ぎれば退屈なように、充実もそのうち多忙による疲労で嫌になってしまうかもしれない。それでも行動できることは良いことなんだと、立ち止まらずに歩いているだけで立派だということを胸に刻んでいきたいな。行動を肯定しよう。
1度生まれたアイデアははっきり諦めない限り残るもの。
はじめは「行けたら良いなぁ」くらいの気持ちだったものが、考え続けるうちに本当に「可能」な気がしてきて、旅行情報誌を買ったり列車のスケジュールを立てたりした。
でも本当に行くには、その寝台特急のチケットを取らなければいけない。
取れなければ何も始まらない。
その通り。「どこかへ行く」ことへの期待に酔いながらスケジュールを立てたまではいいものの、いざ実行に移すにはなかなか勇気が必要だった。
みどりの窓口に行くのがもう緊張した。
それはたとえば「チケットもう無いですね」と言われて今までの夢想が無に帰すことや、旅行に行けないという現実を突きつけられることを恐れていたから……そういった類の緊張だったと思う。今回の目的はこの寝台特急であり、チケットが取れないなら旅行に行く意味がない。窓口でもし思い描いた旅を否定されたらどうしよう。そんな不安が溢れ出てきた。
あと極度の人見知りだから窓口はふつうに怖い。人見知りは業務用対応をするので精一杯なので、窓口の人にもし予想外の対応をされた場合どうしたらいいかわからなくなる。特にここ最近は授業もバイトも友人と遊ぶこともなかったのでコミュニケーション能力が劇的に落ちていた。
それでも旅行にいきたいという気持ちは固まっていたので、意を決してみどりの窓口を訪れた。昼間の窓口はガラガラだった。
「この日付で✕✕駅発の寝台特急シングルはありますか?」
「お待ちください。………………無いですね」
初手で詰んだ。コロナ禍だし寝台特急なんてガラガラやろ!と舐めてかかっていた自分を殴りたくなった。冷静に考えて1日数十人しか乗れない上に人気列車なのだ、そりゃ取れるわけないかと現実を知る。
現実をつき尽きられたショックで顔がひきつるも、急いでメモを取り出して予備日に設定していた日を提案した。就活も卒論も終わった合法ニートの大学生の本気を見せてやる。金はないが時間だけはあるのだ。
「えと、じゃあこの日は…」
「すみません、無いですね」
「じゃあこの日…」
「無いですね」
このやり取りを3回くらいした。列車のこと(乗車率の相場など)全然知らないド素人が我儘を言って窓口の人を困らせていると思うと死ぬほど申し訳なかったし、物事が予想通りいかないショックで賭けに負けたカイジみたいに視界がグニャアと歪んだ。リアルに胃が痛くなった。胃の痛みを感じたのはサークルを辞めるかどうか葛藤していた3年前以来初である。
「逆に、座席が空いてる日ってわかりますか……?」
最後の懇願だった。蚊の鳴くような声だったと思う。
窓口の人はお待ちくださいと告げて機械やら時刻表やらを一生懸命探してくれた。無理なら無理で諦めればいいのに、私個人の我儘で窓口の人に迷惑をかけているかと思うとさらに胃が痛くなった。そのとき窓口の人の上司らしい人が来て、色々伝えてまた戻っていった。二人の会話はよく聞こえなかったが、「この人こういう座席探してるんですけど」「そんなものもう残ってるわけないだろ」みたいな会話じゃないかと被害妄想してさらに消えたくなった。
「△日のチケットですよね」
「…………何月のですか?」
それは私が1番初めに提示した日付だったのだが、もう完全にその日は諦めていたので来月の話だと勘違いした。聞けば調べ直したところ、「一つだけ空いている」らしい。突然諦めていたスケジュールが高速で戻ってきたので唖然としながらも「はいそうです」と絞り出した。
そこからは全力疾走したあとのように身体中がふわふわして現実じゃないみたいだった。とりあえず寝台特急のチケットを購入し、さらに寝台特急が出る駅に行くための新幹線券や旅行先から地元に帰ってくる乗車券や特急券を買って、たくさんのみどりの切符を持って売り場を出た。
窓口の人にはお礼を言っても足りないくらい感謝していたのだが、コミュ障発揮して普通に頭下げてお礼を言うことしかできなかった。にっこりと「助かりました〜!」とか言える人間だったら良かったのにと今は思う。
ともかく色々あったけど、買えた。
買えたという事実がまだ飲み込めず、フラフラと売り場を出てそのまま駅をフラフラしていた。数秒フラフラして、ATMに用事があったのを思い出してATMコーナーに向かった。ATM周辺は混雑していた。並びながらまだ信じられなかったので何度も財布を見てチケットを眺めた。
そういえば窓口では買えたことが嬉しくて座席番号すら見てなかったけど、何号車の何番なんだろう。
乗ろうとしている寝台特急は二階建てである。二階席の窓が天井に向かってカーブしているところが良いなぁと思っていて、叶うことなら2階がいいと思っていた。座席が選べたらもちろん2階を指定したけど、もはや買えただけで素晴らしいからたとえ1階でも文句は言えまい。ーーそんな気分でいたのに、目に飛び込んできた数字は昨夜座席表を眺めて「この番号なら2階席なのかぁ!なるほど!」と期待をふくらませていた数字と違わぬ気がして度肝を抜かれた。
慌ててスマホで座席表を検索する。たしかに手元にある数字は2階席を指している。車両編成により変更の恐れありとはあるけど、たぶんきっとよっぽどの事件がない限りは2階席だ。
その事実に気づいた瞬間はとても嬉しくて、この手にあるチケットは値段以上の価値があるものに思えて仕方なかった。なんなら嬉しさでちょっと泣いてた。ご機嫌のまま歩いた帰路は、いつもより美しく見えた。
今は期待も不安もある。
でも「買えてよかった」という安心が1番大きい。
正直にいえば、当日の天気はどうだろうとか(星が見たいから山に泊まるぜ!と意気込んで泊まった日が酷い天気だった経験があるので、天気には期待しないようにしている)、列車に遅れず乗れるだろうかとか、旅行を中止せざるを得ないくらいのハプニングが起こったらどうしようとか…不安は尽きない。だって最後のひと席として案内されたところが欲しかった席だなんて幸運、出来すぎた展開にも程がある。こういうところで素直に幸せを享受できないのは捻くれ者の悲しい性だね。
それでも手元にあるこの券は本物だし、まだ行ってもないのに「いい買い物をした」ような気持ちがある。この満足感が不安を打ち消して今日を称えている。ありがとう。この券は乗り終わったあとも宝物として持っていたいなと思った。今日の葛藤も幸運も思い出して、良い記憶にしてほしい。
楽しみだね!
寒いし曇りだし元気がまるで出ないからと、やろうとしていたこと全て明日に放り投げてダラダラしていた。
本当にやる気が起きないときっていうのはあるもんだ。
悲しいことにストレスでも溜まっているのか(溜まるほど人生頑張ってもいないのに?)、今日は機嫌も良くなかった。些細なことでイライラしてた。最近はイライラするたびに「まぁまぁ」って宥める自分が出てきて、始めのうちはそれで冷静になれたけど、今はむしろやかましいと思う。ぼっちこじらせ過ぎて自分と対話できそうなんだよな。出ていってくれ、怒りたいときは怒らせてくれ、飲み込ませないでくれ…。
どうかしてるとは思うけど全否定もできない。宥める自分はたしかにウザいが消えてもらっては困る。冷静になる装置は必要だから。ただこんな状況が続いたらさすがに狂いそうでちょっと怖い。ま、大袈裟だけどね。
寒いだけで鬱になるのは例年通りだけど、こんなに訳分からんことで頭がいっぱいになるのははじめてよ。社会人になったらもう病まないことを祈る。今苦しい分にはいくらでも構わないけど、働き始めてからも悩まされるのはごめんだな。今年で終わりにしてくれ。
でも憂鬱と喜びの間を揺れ動く経験を亡くすのはちょっと惜しい。ボカロ曲をディグってるときの私はそんな感じ。救いを求めているようで憂鬱の肯定を求めている。そんなことだから引かれるんだな。
友「お前のマイリスト暗すぎ」
私「そんなことない。明るい曲もあるよ?」
友「それは落ちる所まで落ちた人がたどり着く希望みたいな明るさやん…? 私も『うっせぇわ』みたいな治安悪い曲は好きだけど、闇の深さ的には田舎のヤンキーレベルなの。そっちは世界屈指のスラム街だよ。スラム街の中の希望の唄だよ」
発言が面白かったから強烈に覚えている。さすがに笑うしかなかったんだよなぁ。でも昔ハマってた曲を聞かなくなるように、いつか今好きな曲も忘れていくんだろうか。寂しいけど、精神は健康になるかもしれない。考えることは止めているだろうけどね。でも悩むだけで行動せず燻るくらいなら、何も考えない方が合理的だと思いますよ。だから悩むなら行動してほしい。未来の自分にそう言いたい。今日の私は行動できてないないので何の説得力もないのですが。
気づけばもう夜。家族が帰ってきて自分の時間が終わる。
マジでつまらない1日だったけど、まだ今日は終わっていないから、まだ行動する時間はあるから。やれることからやりますかね。
12ヶ月の振り返りはツイッターでもうやったので、日記らしくダラダラ語ろうと思う。
今年は本当に節目だった。
大学4年生としての節目はもちろん、依存していたコンテンツが次々に消えていき、自分の青春が終わって新しいものにシフトしていかなければいけないことを思い知らされた。楽しみを探しに動かなければならない、動き出すことの大切さを噛み締めた年。
10月だか11月だったか……卒論やりたくないという思いが強すぎて現実逃避を突き詰めた結果、脳内でオリキャラを生産し関係図やキャラデザ、名前まで決めてしまうという暴挙に出た。その後もちょっとインスピレーションを受けたらまたキャラクターを作った。既に私の脳内にはひとつの世界が出来上がっている。
サ終しないソシャゲなんてない。だがオリキャラなら永遠に愛せる。私が創作を続ける限り。そう思ったら俄然、卒論そっちのけでキャラデザを落書き帳に描き詰めた時間が無駄じゃないように思えてきた。せっかく生み出したのだから、愛していこう。動かしていこう。彼らが紡ぐ物語を私も見てみたいなぁ。
創作らしいことは何一つしない年だったけど、まだ自分の中に生み出したいという気持ちがあることが分かってよかった。自分を支えるひとつの柱として、世界を吸収する動機として、この気持ちを大切にしていきたい。
それから、動きのある年だったからこそ、変わらず接してくれる人たちのありがたみも噛み締めたよね。リアルの友人もネットの友人も。気持ちを吐露できる場所があるって本当にありがたいことだよ。この場所を大切にしていこう。
そんなに語ることなかったな。
それでは良いお年を。