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「人生で一度は雪山を登ってみたい」
そんな思いが消えないので、実行に動くことにしました。
ちょうど1年前の冬、「Celeste」というゲームを遊びました。感想はゲーム日記のところで投稿しています。そこにも書いているんですが、そもそもこのゲームに出会ったのは、thusさんの「氷雪」というボカロ曲に惚れ込んだからなんですよね。登山する人の心情を描いたボカロ曲って他に知らないですし、自分の精神を救うために自然に挑む心理(拡大解釈)っていうのがまた私の感性にぶっ刺さりまして、出会ってから一年以上経った今もよく聴いてる楽曲です。
で、何度も聴いてるうちに雪山登山への憧れが募りました。
単独行で雪山に登るってどんな感覚なんだろう。見渡す限りの白銀の雪、聞こえるのは雪に吸収されて異様に小さい風の音、地上よりも宇宙に近い場所、人が住むことの無い場所に踏み入る感覚。苦しいだろうか、寂しいだろうか、怖いだろうか…………私にもできるだろうか。
初めは「いつか行けたらいいな」程度でした。雪山どころかスキー場にも馴染みのない人間が夢を抱くには、雪山は遠すぎる世界でしたから。
しかし職場の上司が「若いうちにやりたいことは何でもやりなさい」という考えの人でして、その言葉をことあるごとに聞いていたら「いつかやりたいなら今やれば良いのでは?」という思考回路に至りました。秋に体験ダイビングに挑戦したんですけど、それも上司に触発されたからなんですよね。別に挑戦したからといって何が身につく訳でもないですが、「やってみた」経験は自分への自信になるもんだなとダイビングの時に感じて、そこから「雪山を登ってみたい」と明確に意識するようになりました。
まぁもちろん、初心者が雪山にソロで行くなんて自殺行為もいいところですから(なんなら夏山でも危険)、私は堅実に「初心者でも大丈夫!はじめての雪山登山ツアー」を利用することにしました。
(※2月のツアーですが今現在最小催行人数に達していません。果たして大丈夫なのか…)
登山に必要なのは確実な装備。というわけで社会人一年目として稼いだ額を将来への貯蓄とかいう常識を一切無視して投じ、雪山登山に必要なアレコレを揃えました。予想以上に必要なものが多くて大変でしたが、アウトドアショップの定員さんをフルに頼って揃えました。いきなり物が増えたので部屋が大変なことになっています。
そして今日、フル装備を車に詰んで、家から1番近い雪がありそうな場所まで行き、実際に雪を踏んでみたのです。
雪山専用登山靴にアイゼン(6本爪)を巻き付け、雪がズボンに入らないようにカバー(スパッツ)をつけて、ポールを片手にザクザクとレッツゴー。
歩いてみると、運動靴で歩くのとはわけが違って結構大変。ソールが硬いので足の動きが固定され、ポールで体を支える必要が出てくる。ケチってポール1本しか買いませんでしたが、これはたしかにもう1本欲しいなと苦笑いしました。来週買いに行くか…。
近くにスキー場がある山なので、遠くからはスキー客の賑やかな声が聞こえてきました。なんなら私が登る近くでも、ソリで遊ぶ家族連れが2、3組いました。スキー場はそこそこ混み合っているようだったので、こっちに遊びに来るのもわかる気がするな。
開けたところまで登ったところで、はたと周囲を見回すと、誰もいない。
先程までいたソリで遊ぶ家族連れはいつの間にか帰ったみたいです。音もなく雪が降ってきて、そういえば喧騒もどこか遠いなと感じました。雪が音を吸収するから、聞こえるはずものが聞こえない気がして、落ち着かずにドキドキしました。
ふと遠くを見ると、先程まで遠くの山々の景色がはっきりと見えていたのに、今は雲の中。ぎょっとしている間に近くの山脈も灰色に包まれていき、雪雲がどんどん近づいているのがわかりました。
まだ駐車場から300メートルくらいしか歩いていない状態でしたが、視界が悪くなるくらい雪が降ってきたら困るなと思って下山することにしました。ちょっと道具を試すだけのつもりで来てたので、ヘッドライトも追加の防寒具も持っていない、もしものことがあっても帰れないと踏んだためです。まぁ帰り道も時間が掛かるので、このへんでその判断をしたのは正解だったかなと思います。
多少の焦りを抱えて下った帰り道、深い雪に足を取られて転びました。早く帰ろうと、踏み固められた道を逸れたところでした。
怪我も何もなかったですが、これがもしクレバスだったら…そう考えるとゾッとして、ただでさえ一面真っ白で遠近感もバグりまくりなのに、道なんて読めたもんじゃないなと、雪の世界の恐ろしさを片鱗だけ味わった気分になりました。
わざわざ危険の多い雪の世界に行きたくなるのは何故なんでしょうね。
人それぞれ動機はあると思いますけど、私は寂しい極限世界っていうところに立ってみたいなぁと思うからです。人間どころか生物が来るような場所じゃねぇ!っていうところが地球にはあって、そんなところに私は立ったんだぞって感じたい。その他細かい理由もありますけど、とりあえず「行ってみたい」って思いが強いですね。
その夢が叶うことを願って。おやすみなさい。
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そんな思いが消えないので、実行に動くことにしました。
ちょうど1年前の冬、「Celeste」というゲームを遊びました。感想はゲーム日記のところで投稿しています。そこにも書いているんですが、そもそもこのゲームに出会ったのは、thusさんの「氷雪」というボカロ曲に惚れ込んだからなんですよね。登山する人の心情を描いたボカロ曲って他に知らないですし、自分の精神を救うために自然に挑む心理(拡大解釈)っていうのがまた私の感性にぶっ刺さりまして、出会ってから一年以上経った今もよく聴いてる楽曲です。
で、何度も聴いてるうちに雪山登山への憧れが募りました。
単独行で雪山に登るってどんな感覚なんだろう。見渡す限りの白銀の雪、聞こえるのは雪に吸収されて異様に小さい風の音、地上よりも宇宙に近い場所、人が住むことの無い場所に踏み入る感覚。苦しいだろうか、寂しいだろうか、怖いだろうか…………私にもできるだろうか。
初めは「いつか行けたらいいな」程度でした。雪山どころかスキー場にも馴染みのない人間が夢を抱くには、雪山は遠すぎる世界でしたから。
しかし職場の上司が「若いうちにやりたいことは何でもやりなさい」という考えの人でして、その言葉をことあるごとに聞いていたら「いつかやりたいなら今やれば良いのでは?」という思考回路に至りました。秋に体験ダイビングに挑戦したんですけど、それも上司に触発されたからなんですよね。別に挑戦したからといって何が身につく訳でもないですが、「やってみた」経験は自分への自信になるもんだなとダイビングの時に感じて、そこから「雪山を登ってみたい」と明確に意識するようになりました。
まぁもちろん、初心者が雪山にソロで行くなんて自殺行為もいいところですから(なんなら夏山でも危険)、私は堅実に「初心者でも大丈夫!はじめての雪山登山ツアー」を利用することにしました。
(※2月のツアーですが今現在最小催行人数に達していません。果たして大丈夫なのか…)
登山に必要なのは確実な装備。というわけで社会人一年目として稼いだ額を将来への貯蓄とかいう常識を一切無視して投じ、雪山登山に必要なアレコレを揃えました。予想以上に必要なものが多くて大変でしたが、アウトドアショップの定員さんをフルに頼って揃えました。いきなり物が増えたので部屋が大変なことになっています。
そして今日、フル装備を車に詰んで、家から1番近い雪がありそうな場所まで行き、実際に雪を踏んでみたのです。
雪山専用登山靴にアイゼン(6本爪)を巻き付け、雪がズボンに入らないようにカバー(スパッツ)をつけて、ポールを片手にザクザクとレッツゴー。
歩いてみると、運動靴で歩くのとはわけが違って結構大変。ソールが硬いので足の動きが固定され、ポールで体を支える必要が出てくる。ケチってポール1本しか買いませんでしたが、これはたしかにもう1本欲しいなと苦笑いしました。来週買いに行くか…。
近くにスキー場がある山なので、遠くからはスキー客の賑やかな声が聞こえてきました。なんなら私が登る近くでも、ソリで遊ぶ家族連れが2、3組いました。スキー場はそこそこ混み合っているようだったので、こっちに遊びに来るのもわかる気がするな。
開けたところまで登ったところで、はたと周囲を見回すと、誰もいない。
先程までいたソリで遊ぶ家族連れはいつの間にか帰ったみたいです。音もなく雪が降ってきて、そういえば喧騒もどこか遠いなと感じました。雪が音を吸収するから、聞こえるはずものが聞こえない気がして、落ち着かずにドキドキしました。
ふと遠くを見ると、先程まで遠くの山々の景色がはっきりと見えていたのに、今は雲の中。ぎょっとしている間に近くの山脈も灰色に包まれていき、雪雲がどんどん近づいているのがわかりました。
まだ駐車場から300メートルくらいしか歩いていない状態でしたが、視界が悪くなるくらい雪が降ってきたら困るなと思って下山することにしました。ちょっと道具を試すだけのつもりで来てたので、ヘッドライトも追加の防寒具も持っていない、もしものことがあっても帰れないと踏んだためです。まぁ帰り道も時間が掛かるので、このへんでその判断をしたのは正解だったかなと思います。
多少の焦りを抱えて下った帰り道、深い雪に足を取られて転びました。早く帰ろうと、踏み固められた道を逸れたところでした。
怪我も何もなかったですが、これがもしクレバスだったら…そう考えるとゾッとして、ただでさえ一面真っ白で遠近感もバグりまくりなのに、道なんて読めたもんじゃないなと、雪の世界の恐ろしさを片鱗だけ味わった気分になりました。
わざわざ危険の多い雪の世界に行きたくなるのは何故なんでしょうね。
人それぞれ動機はあると思いますけど、私は寂しい極限世界っていうところに立ってみたいなぁと思うからです。人間どころか生物が来るような場所じゃねぇ!っていうところが地球にはあって、そんなところに私は立ったんだぞって感じたい。その他細かい理由もありますけど、とりあえず「行ってみたい」って思いが強いですね。
その夢が叶うことを願って。おやすみなさい。
11月18日、振替休日を使って体験ダイビングに出かけた。
家から高速道路で3時間以上かかる海に、一人で出かけた。
体験ダイビングを申し込んでからというもの、海に潜るのってどんな感じなんだろうと何回か想像した。酸素ボンベを背負って覗く海の中の世界。呼吸を確保しないと覗けないなんて、まるで宇宙のようだ。宇宙服で見知らぬ星を探検するSF映画のようだ。案外、異世界体験みたいなもんなのかな。
その想像は当たっていた。わざわざ泳ぎのレクチャーを受けて、わざわざ酸素を持って入り込む海の中には、表面上の海を眺めているだけでは想像もつかない世界が広がっていた。
波の水圧に揺られながら、縦横無尽に泳ぐ魚たち。人間が近づいても露骨に逃げることが無いので、彼らの世界をじっくり眺めることができる。野生の世界にお邪魔するネイチャーツアーのようだと思った。これが陸上生物だったら、ここまで近づくことはできなかったろう。
小魚を小突いて食べようとしていたコブダイ、悠然とただようダツ。イワシの稚魚の群れ、一部の稚魚が日光を反射してチラチラと光るのが綺麗だった。イソギンチャクに住むクマノミに、名前も知らない青い魚たち。熱帯魚が豊富でカラフルだった。岩陰のカニや大きなサザエ、目の前まで近づいてきた小さな魚……。
30分しか潜っていなかったけど、十分な異世界体験だった。インストラクターさんに引っ張られるがまま浅瀬を這いずり回ったのも、水中の無重力具合も、呼吸が酸素ボンベからしか許されないのも、海の上からでは想像できない世界が広がっているのも、全てが全て、『潜らなきゃわからない感覚』だった。
潜る準備をしている間、これから潜る海を見つめて、「今日から私はこの先にも世界があることを知るんだ」と思った。
それまで私の世界は陸上で完結していて、海に出会ったら冒険はそこでお終い、行き止まり。でも実際には海の中にも世界はあって、しかるべき技術と装備があればその世界に飛び込んでいくこともできる。「行くことができる」ということを経験するだけで、自分の認知世界はぐんと広がるだろうなと思った。その感覚が面白かった。
たしかに楽しかったけど、この先「ライセンス取りたい!」とまで思うかはまだわからない。他にやりたいことも待っているからね。でも自分の世界を広げるために挑戦してみることには味を占めたので、また近々、今まで「行ってみよう」とすら思ったことのない分野を体験してみたい。
そんな向上心を、いつまでも持ち続けたい。
家から高速道路で3時間以上かかる海に、一人で出かけた。
体験ダイビングを申し込んでからというもの、海に潜るのってどんな感じなんだろうと何回か想像した。酸素ボンベを背負って覗く海の中の世界。呼吸を確保しないと覗けないなんて、まるで宇宙のようだ。宇宙服で見知らぬ星を探検するSF映画のようだ。案外、異世界体験みたいなもんなのかな。
その想像は当たっていた。わざわざ泳ぎのレクチャーを受けて、わざわざ酸素を持って入り込む海の中には、表面上の海を眺めているだけでは想像もつかない世界が広がっていた。
波の水圧に揺られながら、縦横無尽に泳ぐ魚たち。人間が近づいても露骨に逃げることが無いので、彼らの世界をじっくり眺めることができる。野生の世界にお邪魔するネイチャーツアーのようだと思った。これが陸上生物だったら、ここまで近づくことはできなかったろう。
小魚を小突いて食べようとしていたコブダイ、悠然とただようダツ。イワシの稚魚の群れ、一部の稚魚が日光を反射してチラチラと光るのが綺麗だった。イソギンチャクに住むクマノミに、名前も知らない青い魚たち。熱帯魚が豊富でカラフルだった。岩陰のカニや大きなサザエ、目の前まで近づいてきた小さな魚……。
30分しか潜っていなかったけど、十分な異世界体験だった。インストラクターさんに引っ張られるがまま浅瀬を這いずり回ったのも、水中の無重力具合も、呼吸が酸素ボンベからしか許されないのも、海の上からでは想像できない世界が広がっているのも、全てが全て、『潜らなきゃわからない感覚』だった。
潜る準備をしている間、これから潜る海を見つめて、「今日から私はこの先にも世界があることを知るんだ」と思った。
それまで私の世界は陸上で完結していて、海に出会ったら冒険はそこでお終い、行き止まり。でも実際には海の中にも世界はあって、しかるべき技術と装備があればその世界に飛び込んでいくこともできる。「行くことができる」ということを経験するだけで、自分の認知世界はぐんと広がるだろうなと思った。その感覚が面白かった。
たしかに楽しかったけど、この先「ライセンス取りたい!」とまで思うかはまだわからない。他にやりたいことも待っているからね。でも自分の世界を広げるために挑戦してみることには味を占めたので、また近々、今まで「行ってみよう」とすら思ったことのない分野を体験してみたい。
そんな向上心を、いつまでも持ち続けたい。
ひどい月曜日だった。
この土日は久々に仕事関連のイベントが何もなく、起きてから寝るまで仕事のことなど一ミリも考えず、頭を切り替えてリフレッシュできる休日だった。土日の仕事も嫌いではないけど、やっぱり頭を空っぽにできる期間がないと疲弊してしまう。だからここぞとばかりに休日を充実させた。ボーイスカウトの用事もあったので完全な休日とは言えなかったが、それでも仕事から丸二日間も距離を置けたのは嬉しい。
そして迎えた月曜日。
出勤してもなかなか仕事モードに頭が切り替わらず、悶々として午前を過ごした。
私「午後になったんで会議行ってきます。ついでに〇〇の施設に寄って、備品を取ってきます」
「え?今日月曜日だから〇〇は閉館してるけど」
私「・・・あ」
やっちまった、という衝撃が胸に刺さる。
「その備品って今日取りに行かないとまずい?」
私「・・・明日の午前中に使うので・・・」
「じゃあ俺が鍵開けて取りいってくるわ」
いまだに、ここで「ありがとうございます」じゃなくて「いや開け方覚えたいので自分で行きます」って言いきればよかったのにと後悔している。どうせ後で申し訳なくなるのに。予定が狂ったパニックでそこまで考えが及ばなかったというのが現実だ。
その後、駐車券を車内に忘れたままビルに入るし、会議の席で尋ねようと思っていたことを忘れて帰ってくるし、電話の転送番号を間違えるし、なんかほかにもあった気がするけど記憶にすら残ってない。とにかくダメダメだった。これでもかと露呈した。
「夜導さんは・・・今日は運が悪い日なのかもね。俗にいうブルーマンデーってやつ?」
意気消沈して会議から帰ってきたところ、厳しい方の先輩にそう声をかけられた。備品を他の人に取りに行ってもらうことにより、この先輩に「また他の人の時間を奪って・・・」と悪態をつかれたら泣いてしまうどころかメンタル再起不能だぞと思っていたので、同情してくれたのは意外だった。先輩が見かねるほど、暗い雰囲気を醸していたのかもしれない。
同情の温かさに浸っていると、愉快な方の先輩が備品をもって帰ってきてくれた。備品を受けとりながら、そういえば3カ月ほど前にも会議で配布するものをオフィスに忘れて、この人に届けてもらったんだよなぁ・・・と、苦い記憶をかみしめていた。さすがにここまで抜けている新人もいないだろう。はぁ。
失敗したこと自体は、まぁ失敗した直後はそりゃショックだけど、そこまで長引くものじゃない。失敗により他人に迷惑をかけたり、自分で解決できなかったりすると、自分の力不足・未熟さを目の当たりにして死にたくなる。むしろ自分でリカバリーできたら自信になるのかもしれないのに、私はまだまだ、一人前には遠いようだ。
今回学んだ予防策は、「前日に準備するのをやめる」ことと「月曜日はとっとと頭を切り替える」ことかな。切り替えられなかった原因には実は心当たりがあって、それは「朝から先輩とあまりコミュニケーションをとらなかった」こと。特に厳しい方の先輩と話すと、あぁ職場にいるんだ!って意識になると思うんだよね。内部だけでは時間がかかるから、外部刺激でどうにかなるなら越したことはない。特に話すことはないからと後回しにしていては、今日みたいな悲劇が起こる。
仕事で使っているリングノートの最後のページには、今年やらかした主な失敗(と、予防策)を書き連ねている。いずれも、失敗した当時の落ち込みはそれはそれはすごいものだった。でも時が経って読み返すと「ドジすぎるwww」と笑えるのだから、まぁ悪いことじゃないのかなと思う。これを書き始めて自分が成長できたかどうかは自覚できないけど、失敗しても「予防しよう」「改善しよう」という意識が生まれるのはいい傾向だ。
さて今夜はもう何か新しいことを始める気は起きないので、散歩にでも行こうかな。寒さと暗さは罰みたいなもんと思って、備品を取ってきてくれたお礼のおやつでも買いに行こう。月も笑ってくれるだろう。
この土日は久々に仕事関連のイベントが何もなく、起きてから寝るまで仕事のことなど一ミリも考えず、頭を切り替えてリフレッシュできる休日だった。土日の仕事も嫌いではないけど、やっぱり頭を空っぽにできる期間がないと疲弊してしまう。だからここぞとばかりに休日を充実させた。ボーイスカウトの用事もあったので完全な休日とは言えなかったが、それでも仕事から丸二日間も距離を置けたのは嬉しい。
そして迎えた月曜日。
出勤してもなかなか仕事モードに頭が切り替わらず、悶々として午前を過ごした。
私「午後になったんで会議行ってきます。ついでに〇〇の施設に寄って、備品を取ってきます」
「え?今日月曜日だから〇〇は閉館してるけど」
私「・・・あ」
やっちまった、という衝撃が胸に刺さる。
「その備品って今日取りに行かないとまずい?」
私「・・・明日の午前中に使うので・・・」
「じゃあ俺が鍵開けて取りいってくるわ」
いまだに、ここで「ありがとうございます」じゃなくて「いや開け方覚えたいので自分で行きます」って言いきればよかったのにと後悔している。どうせ後で申し訳なくなるのに。予定が狂ったパニックでそこまで考えが及ばなかったというのが現実だ。
その後、駐車券を車内に忘れたままビルに入るし、会議の席で尋ねようと思っていたことを忘れて帰ってくるし、電話の転送番号を間違えるし、なんかほかにもあった気がするけど記憶にすら残ってない。とにかくダメダメだった。これでもかと露呈した。
「夜導さんは・・・今日は運が悪い日なのかもね。俗にいうブルーマンデーってやつ?」
意気消沈して会議から帰ってきたところ、厳しい方の先輩にそう声をかけられた。備品を他の人に取りに行ってもらうことにより、この先輩に「また他の人の時間を奪って・・・」と悪態をつかれたら泣いてしまうどころかメンタル再起不能だぞと思っていたので、同情してくれたのは意外だった。先輩が見かねるほど、暗い雰囲気を醸していたのかもしれない。
同情の温かさに浸っていると、愉快な方の先輩が備品をもって帰ってきてくれた。備品を受けとりながら、そういえば3カ月ほど前にも会議で配布するものをオフィスに忘れて、この人に届けてもらったんだよなぁ・・・と、苦い記憶をかみしめていた。さすがにここまで抜けている新人もいないだろう。はぁ。
失敗したこと自体は、まぁ失敗した直後はそりゃショックだけど、そこまで長引くものじゃない。失敗により他人に迷惑をかけたり、自分で解決できなかったりすると、自分の力不足・未熟さを目の当たりにして死にたくなる。むしろ自分でリカバリーできたら自信になるのかもしれないのに、私はまだまだ、一人前には遠いようだ。
今回学んだ予防策は、「前日に準備するのをやめる」ことと「月曜日はとっとと頭を切り替える」ことかな。切り替えられなかった原因には実は心当たりがあって、それは「朝から先輩とあまりコミュニケーションをとらなかった」こと。特に厳しい方の先輩と話すと、あぁ職場にいるんだ!って意識になると思うんだよね。内部だけでは時間がかかるから、外部刺激でどうにかなるなら越したことはない。特に話すことはないからと後回しにしていては、今日みたいな悲劇が起こる。
仕事で使っているリングノートの最後のページには、今年やらかした主な失敗(と、予防策)を書き連ねている。いずれも、失敗した当時の落ち込みはそれはそれはすごいものだった。でも時が経って読み返すと「ドジすぎるwww」と笑えるのだから、まぁ悪いことじゃないのかなと思う。これを書き始めて自分が成長できたかどうかは自覚できないけど、失敗しても「予防しよう」「改善しよう」という意識が生まれるのはいい傾向だ。
さて今夜はもう何か新しいことを始める気は起きないので、散歩にでも行こうかな。寒さと暗さは罰みたいなもんと思って、備品を取ってきてくれたお礼のおやつでも買いに行こう。月も笑ってくれるだろう。
先日、ひっそりと職場の極小数だけで親睦会があった。
酒を飲みながらバスに乗って日帰り旅行。
自分が行って楽しめるかかなり不安だったけど、なんだかんだ一日中楽しく過ごした。というか呑んでばかりだった。意外と自分は酒が好きかもしれない。
親睦会の中で、特に印象に残ったやりとりがある。
帰路にて、上司と話をした。
私は山脈を見ているだけでテンションが上がる山派な一方で、上司はダイビングライセンス持って海外を飛び回る海派だ。
「表面から見える海と、潜って見える海は全然違うから。1回でいいから体験してほしいね。ハマらなかったら辞めればいい。でも海は本当にすごいから。潜って人生観が変わる人もいる。まぁそこは人それぞれだけど、俺はね、夜導さんならわかってくれると思うんだよね」
『わかってくれると思う』その言葉がじんわりと嬉しかった。
バスの窓から見える夕映えの山脈に目を輝かせていた私。それを見て、本当に山が好きなんだなぁと笑っていた上司。そんな流れでの会話だったので、自分の自然に対する価値観をそのまま認めてもらえたみたいで嬉しかった。空を見て山を見て感動するこの心は決して間違いでは無いのだと、(自分では素晴らしいことと思っていても、時に酷く無価値に感じることもあるので)感性を素直に認められる気がした。あと、心のむくままに登山にも旅行にも行く自分の行動力も褒めてもらった気がした。
「若いうちにたくさん経験を積みなさい。若いうちになんでも体験して、生涯の趣味を見つけにゃいかん。そのための有休ならいくらでも認める」
そんなことを言ってくれる上司だったので、より一層説得力があるのだった。
海、行こうかな。
酒を飲みながらバスに乗って日帰り旅行。
自分が行って楽しめるかかなり不安だったけど、なんだかんだ一日中楽しく過ごした。というか呑んでばかりだった。意外と自分は酒が好きかもしれない。
親睦会の中で、特に印象に残ったやりとりがある。
帰路にて、上司と話をした。
私は山脈を見ているだけでテンションが上がる山派な一方で、上司はダイビングライセンス持って海外を飛び回る海派だ。
「表面から見える海と、潜って見える海は全然違うから。1回でいいから体験してほしいね。ハマらなかったら辞めればいい。でも海は本当にすごいから。潜って人生観が変わる人もいる。まぁそこは人それぞれだけど、俺はね、夜導さんならわかってくれると思うんだよね」
『わかってくれると思う』その言葉がじんわりと嬉しかった。
バスの窓から見える夕映えの山脈に目を輝かせていた私。それを見て、本当に山が好きなんだなぁと笑っていた上司。そんな流れでの会話だったので、自分の自然に対する価値観をそのまま認めてもらえたみたいで嬉しかった。空を見て山を見て感動するこの心は決して間違いでは無いのだと、(自分では素晴らしいことと思っていても、時に酷く無価値に感じることもあるので)感性を素直に認められる気がした。あと、心のむくままに登山にも旅行にも行く自分の行動力も褒めてもらった気がした。
「若いうちにたくさん経験を積みなさい。若いうちになんでも体験して、生涯の趣味を見つけにゃいかん。そのための有休ならいくらでも認める」
そんなことを言ってくれる上司だったので、より一層説得力があるのだった。
海、行こうかな。
「今日は早く寝るぞ」と思っているのに、結局眠りに落ちるのは0時ごろという日が続いている。朝起きたときの疲労具合を見るに、もっと睡眠時間を取るべきなのは明白なのだが、それにしても夜はあれもこれもやりたくなってしまうのだから不思議なものだ。
今日もそう。
朝はたった数分でも欲しいような寝る間を惜しんででも、書きたい時がある。
今日は調子がいいんだか悪いんだか、その両方であるような日だった。
午前中はいつも通り「暇とは言えないけど何をしたらいいのか分からず四苦八苦」して、午後一番で出先に向かい、まだ1人の外出に慣れていない中(9月までは先輩が付き添うルールだった)あたふたしながら用事をこなした。スムーズにこなしたとは言いがたかった。帰り道の車の中で「今から帰ったら午後の打ち合わせ間に合わねぇな…」と打ちひしがれ、ついでに昨日や午前中のやらかしを思い出して「なんか今日は良くない日だなぁ…」なんてうなだれていた。
職場に戻ると、打ち合わせ前だった。
自分を待っていたのだ。
申し訳ない気持ちしかなかったが、まぁ別に責められることはなかった。この部署の、些細なことでは怒らない、省エネな雰囲気には随分と救われている。それでも私は「でも裏では色々言われてるかも…」と考えてしまうけど、多分誰もわざわざ裏でまで他人の失敗のことなど考えちゃいない。
打ち合わせには私の出る幕はなかった。
先輩が上司に提案するのを聞いて、他の先輩や上司が質問するのを聞いて、「そういうもんか」と頷くだけだった。議題は自分の担当のことではなかったし、意見を求められても困るのでそうするほかなかった。正直ちょっと眠たかった。
打ち合わせも終盤に差し掛かった頃、今後の仕事をどうしていこう、こういう改革ができるんじゃないかという話になった。うちの上司と先輩①は結構な改革派だ。何かを変えていくこと、流動していくことに抵抗がない。かといって変化にともなう周囲の反発や筋道もちゃんと見えているので、優秀というかものが分かっている人達だなと思う。
そこでは私も多少発言した。自分の担当している仕事の改革について。話はすぐ終わったけど、打ち合わせの中では1番心が動いた。当事者として話に入れたのが嬉しかったし、充実感を感じた。
最後に、業務量の見直しの話になった。
どうしたら業務量を減らせるかという話が続いた。
今しかないと、意を決して手を挙げた。
具体的に何を言ったかは覚えていない。感情が先に溢れて泣かないように注意を払った。実際に言った言葉は思い出したくない気もする。ただ「暇を持て余している。やることが分からなくて困っている」と伝えて、「新人だから仕事量が少ないだけだよ」と言われつつ、先輩②の手伝いをしてあげてねと言われたことは覚えている。
やっと言えた。
その感慨だけが胸を満たしていた。
こんなことは言ってはいけないとずっと思っていた。
自分でどうにかするしかないと。
でも「業務量を減らすにはどうしたらいいか」という話の流れで、「これ以上周囲の考え(部署の人間が1人残らず忙しいという認識)と自分の業務認識に齟齬があってはいけない!」と思った。先輩①がざっくばらんに色々語ってくれたおかげで、何を言ってもいいような土壌があったのが救いだった。ありがたかった。胸の内が軽くなった。
こんなベクトルのちがう苦しみがあったよということ、今日勇気を出したよということ、どうしても残しておきたくて日記にする。意外と過去の心理というものは覚えているようで覚えていない。忘れた方が幸せなこともあるかもしれないけど、私はもう気になる癖がついているので、残せるうちに残せるならそれが幸せだ。
6月あたりからずっと、身の振り方が分からない分からないと嘆いていた私、ようやく「相談していいんだ」という結果にたどり着けて安心して泣きそうである。長かったなぁ。この発言が元でクソ忙しくなったならそれはそれで、いつかこの身に降りかかることが早まっただけだと思えばいい。なにより、先輩②の役に立てるなら多少の忙しさも喜んで甘んじる。ここで生きているのだから、ここで咲きたい。
また明日、自分を殺さずにいられますように。
今日もそう。
朝はたった数分でも欲しいような寝る間を惜しんででも、書きたい時がある。
今日は調子がいいんだか悪いんだか、その両方であるような日だった。
午前中はいつも通り「暇とは言えないけど何をしたらいいのか分からず四苦八苦」して、午後一番で出先に向かい、まだ1人の外出に慣れていない中(9月までは先輩が付き添うルールだった)あたふたしながら用事をこなした。スムーズにこなしたとは言いがたかった。帰り道の車の中で「今から帰ったら午後の打ち合わせ間に合わねぇな…」と打ちひしがれ、ついでに昨日や午前中のやらかしを思い出して「なんか今日は良くない日だなぁ…」なんてうなだれていた。
職場に戻ると、打ち合わせ前だった。
自分を待っていたのだ。
申し訳ない気持ちしかなかったが、まぁ別に責められることはなかった。この部署の、些細なことでは怒らない、省エネな雰囲気には随分と救われている。それでも私は「でも裏では色々言われてるかも…」と考えてしまうけど、多分誰もわざわざ裏でまで他人の失敗のことなど考えちゃいない。
打ち合わせには私の出る幕はなかった。
先輩が上司に提案するのを聞いて、他の先輩や上司が質問するのを聞いて、「そういうもんか」と頷くだけだった。議題は自分の担当のことではなかったし、意見を求められても困るのでそうするほかなかった。正直ちょっと眠たかった。
打ち合わせも終盤に差し掛かった頃、今後の仕事をどうしていこう、こういう改革ができるんじゃないかという話になった。うちの上司と先輩①は結構な改革派だ。何かを変えていくこと、流動していくことに抵抗がない。かといって変化にともなう周囲の反発や筋道もちゃんと見えているので、優秀というかものが分かっている人達だなと思う。
そこでは私も多少発言した。自分の担当している仕事の改革について。話はすぐ終わったけど、打ち合わせの中では1番心が動いた。当事者として話に入れたのが嬉しかったし、充実感を感じた。
最後に、業務量の見直しの話になった。
どうしたら業務量を減らせるかという話が続いた。
今しかないと、意を決して手を挙げた。
具体的に何を言ったかは覚えていない。感情が先に溢れて泣かないように注意を払った。実際に言った言葉は思い出したくない気もする。ただ「暇を持て余している。やることが分からなくて困っている」と伝えて、「新人だから仕事量が少ないだけだよ」と言われつつ、先輩②の手伝いをしてあげてねと言われたことは覚えている。
やっと言えた。
その感慨だけが胸を満たしていた。
こんなことは言ってはいけないとずっと思っていた。
自分でどうにかするしかないと。
でも「業務量を減らすにはどうしたらいいか」という話の流れで、「これ以上周囲の考え(部署の人間が1人残らず忙しいという認識)と自分の業務認識に齟齬があってはいけない!」と思った。先輩①がざっくばらんに色々語ってくれたおかげで、何を言ってもいいような土壌があったのが救いだった。ありがたかった。胸の内が軽くなった。
こんなベクトルのちがう苦しみがあったよということ、今日勇気を出したよということ、どうしても残しておきたくて日記にする。意外と過去の心理というものは覚えているようで覚えていない。忘れた方が幸せなこともあるかもしれないけど、私はもう気になる癖がついているので、残せるうちに残せるならそれが幸せだ。
6月あたりからずっと、身の振り方が分からない分からないと嘆いていた私、ようやく「相談していいんだ」という結果にたどり着けて安心して泣きそうである。長かったなぁ。この発言が元でクソ忙しくなったならそれはそれで、いつかこの身に降りかかることが早まっただけだと思えばいい。なにより、先輩②の役に立てるなら多少の忙しさも喜んで甘んじる。ここで生きているのだから、ここで咲きたい。
また明日、自分を殺さずにいられますように。