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家族が新型コロナウイルス陽性と判明して2週間、自宅隔離生活を送っていました。
仕事が強制休暇、でもせっかくのゴールデンウィークにどこにも行けないという、良かったんだか悪かったんだかまるで分からない2週間でした。はじめの2,3日は「なんでこんなことに・・・」とへこんでいたんですけど、職場の人たちから励まされて元気を取り戻し、休暇を有効活用どころか見事なニート生活を送って頭の中を空っぽにしてしまいました。
で、今日はその休暇最終日。明日の月曜から仕事復帰です。
2週間前、仕事に着ていく服や靴がほしかったのを思い出し、食料品調達にかこつけて買い物に行きました。隔離期間中も出かけてないことはないのですが、急を要する最低限の外出のみだったので、ショッピングができる自由を久々に味わいました。長居はできなかったけど、楽しかったな。
午後もまた買い出しに行く物があったので車を走らせて、帰りはわざわざ山道を爆走しました。
ちょっと前まで春の匂いでいっぱいだったのに、森の中には湿った空気(いわゆる湿気)と花の蜜のような甘い香りが充満していて、景色は新緑にあふれて瑞々しい。ああ夏が来るんだなぁって感じでしたね。明日からいきなり社会復帰は建前としては嬉しいけど、やっぱり新人としては怖い気持ちもあります。でも季節はこれからどんどん輝いていくし、夏が本当に好きなので積極的に外に出て頑張りたいと思えました。
家にいなきゃいけないのはかなりストレスでした。実際イライラしてたし短気になりがちでした。休暇後半はそれでもできることを探してはみたけど、やっぱり動画見たりゲームしたりやることがワンパターンになってしまって、自分の引き出しの少なさにがっかりすることばかり。やっぱり私は定期的に自然に触れてないとだめなんだろうな。うん。
まぁでも、こういう経験ができてよかったかなと思わないこともないですね。
何かに生きることもあるでしょう。
さぁ明日からまた頑張るぞ!
仕事が強制休暇、でもせっかくのゴールデンウィークにどこにも行けないという、良かったんだか悪かったんだかまるで分からない2週間でした。はじめの2,3日は「なんでこんなことに・・・」とへこんでいたんですけど、職場の人たちから励まされて元気を取り戻し、休暇を有効活用どころか見事なニート生活を送って頭の中を空っぽにしてしまいました。
で、今日はその休暇最終日。明日の月曜から仕事復帰です。
2週間前、仕事に着ていく服や靴がほしかったのを思い出し、食料品調達にかこつけて買い物に行きました。隔離期間中も出かけてないことはないのですが、急を要する最低限の外出のみだったので、ショッピングができる自由を久々に味わいました。長居はできなかったけど、楽しかったな。
午後もまた買い出しに行く物があったので車を走らせて、帰りはわざわざ山道を爆走しました。
ちょっと前まで春の匂いでいっぱいだったのに、森の中には湿った空気(いわゆる湿気)と花の蜜のような甘い香りが充満していて、景色は新緑にあふれて瑞々しい。ああ夏が来るんだなぁって感じでしたね。明日からいきなり社会復帰は建前としては嬉しいけど、やっぱり新人としては怖い気持ちもあります。でも季節はこれからどんどん輝いていくし、夏が本当に好きなので積極的に外に出て頑張りたいと思えました。
家にいなきゃいけないのはかなりストレスでした。実際イライラしてたし短気になりがちでした。休暇後半はそれでもできることを探してはみたけど、やっぱり動画見たりゲームしたりやることがワンパターンになってしまって、自分の引き出しの少なさにがっかりすることばかり。やっぱり私は定期的に自然に触れてないとだめなんだろうな。うん。
まぁでも、こういう経験ができてよかったかなと思わないこともないですね。
何かに生きることもあるでしょう。
さぁ明日からまた頑張るぞ!
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先輩は一応「うちの部署はちょっと忙しさがおかしいんだよね」「残業させてごめんよ」とか言ってくれる。それだけは救いだなと思う。
終わらない仕事を前にしながら、前任者の人だったらもっとテキパキ要領よくやってたんだろうな…と思ってしまう。前任者の人も新卒で私と同じ仕事をしていたらしいから、尽く想像して比較してしまう。私は要領悪いし覚えも悪いし明るい性格でもないし、前任者の先輩に比べたら全て劣っているな…と思えて仕方ない。なんでこうして同じ仕事に就けたのか謎だ。
新人は分からなくて当たり前、先輩や上司になんでも聞いて成長しなさい……とは言うけどさ。
わからないから業務が進められなくて、一つ一つ聞いて確認して理解して進むしかなくて、終わらせようとしていた仕事が全然終わらない。それで残業。なんで残業なんかすることになったのかといえば、自分のノロさのせいとしか言えないわけだ。そりゃ自己嫌悪も湧き上がる。毎日毎日泣きそうにもなる。早く慣れたい、覚えたい、そのためには一つ一つこの書類の山を片付けていくしかないわけだけど。
新人なのに容赦ないなと思う度、そんな考えは甘えだと自分に言い聞かせる。甘えるな、これが社会人だろうと。特別扱いを望むのはまだまだ子供、学生気分が抜けてねーぞと。だってそうじゃなきゃやってられない。本当に。
まぁ、慣れるまではメンタルとの戦いだよね。
新しい環境は得てしてつらいものだ。生きてるだけで気力が減っていく。でも傍から見たらそれは息をするくらい当たり前のことで、別に褒められる話じゃない。そうは言ってもつらいものはつらいので、こうして連日愚痴を連ねている。いつか振り返ったときに、このつらい日々があって今があるんだとわかるように。
たくさん食べてたくさん寝て、明日も生きよう。
終わらない仕事を前にしながら、前任者の人だったらもっとテキパキ要領よくやってたんだろうな…と思ってしまう。前任者の人も新卒で私と同じ仕事をしていたらしいから、尽く想像して比較してしまう。私は要領悪いし覚えも悪いし明るい性格でもないし、前任者の先輩に比べたら全て劣っているな…と思えて仕方ない。なんでこうして同じ仕事に就けたのか謎だ。
新人は分からなくて当たり前、先輩や上司になんでも聞いて成長しなさい……とは言うけどさ。
わからないから業務が進められなくて、一つ一つ聞いて確認して理解して進むしかなくて、終わらせようとしていた仕事が全然終わらない。それで残業。なんで残業なんかすることになったのかといえば、自分のノロさのせいとしか言えないわけだ。そりゃ自己嫌悪も湧き上がる。毎日毎日泣きそうにもなる。早く慣れたい、覚えたい、そのためには一つ一つこの書類の山を片付けていくしかないわけだけど。
新人なのに容赦ないなと思う度、そんな考えは甘えだと自分に言い聞かせる。甘えるな、これが社会人だろうと。特別扱いを望むのはまだまだ子供、学生気分が抜けてねーぞと。だってそうじゃなきゃやってられない。本当に。
まぁ、慣れるまではメンタルとの戦いだよね。
新しい環境は得てしてつらいものだ。生きてるだけで気力が減っていく。でも傍から見たらそれは息をするくらい当たり前のことで、別に褒められる話じゃない。そうは言ってもつらいものはつらいので、こうして連日愚痴を連ねている。いつか振り返ったときに、このつらい日々があって今があるんだとわかるように。
たくさん食べてたくさん寝て、明日も生きよう。
今日は仕事じゃなくて研修。
普段は別々で働いている同期が一堂に会し、座学を受ける。
昨日までは、研修の日は定時で帰れるし仕事もないし受け身だし楽だな〜と思っていたのだが、今日の帰りも泣いてしまった。運転しながらボロボロと涙が溢れた。
同期と上手くいっていないのが問題だ。
今日も友達が作れなかった。座席は最後尾だから周りの席の人と話して仲良くなることもなかったし、話しかけようにもみんな既に周囲と仲良くやってるように見えて、なんか自分だけ浮いてるなと強く思った。
なんか見たことあるなとずっと思っていた子が同じ高校出身だと気づいたのも今日。漏れ聞こえた会話から判明したのだが、だからなんだという感じ。高校時代に接点があったわけじゃない。声をかけるほどでもない。
その上その子はちょっとした憧れで、私の中ではとてもかっこいい人に位置づけられている。だからなのか「この子は真面目に研修を受けているのに自分は…」と勝手に劣等感が降り積もり、何の接点もないのに苦手意識が育っていった。多分会話したらこの意味不明な苦手意識も溶けるのだろうけど、しばらくは正直会いたくない。
面白そうな子だと思って、声をかけようとした子もいる。でもいざ近づくと、部署どころか勤務先もかけ離れてて接点もなく席が違いわけでも同じ趣味があるわけでもない自分がいきなり話しかけるなんて気持ち悪いもいいところだろう、と思い留まってしまった。このとき本当に自分の陰キャスイッチがONになっているなと自覚した。殻を破れないもどかしさと動かない体。俯いて資料を眺めるくらいしか時間を潰せる方法がなくて、とにかくはやく帰りたかった。
「同期を大切にしましょう」
「笑顔で話しかけていきましょう」
研修でそういう内容の話が出るからこそ、ぼっちで浮いているだけの状況がひたすらに苦しい。自分はコミュニケーション能力をどこに置いてきたのだろうか。少なくとも就活のグループディスカッションで意気揚々と司会進行を買って出た私はもういない。なぜかわからないけど調子がでない。勇気も出ない。自分の席から立ち上がれない。
自分はこういう運命にあるなんて、言い訳だ。
たとえ配属先に同級生が自分しかいなくても、座席が端っこでも、できる人ならちゃんと研修で友達をつくれる。こんな展開ばかり生み出しているのは一重に私がコミュ障だからだ。そんなことはわかってる、わかってるよ……
自分の理想像と現実の乖離があまりにも甚だしくて、談笑する同期を部屋の端から眺めることしかできなくて、劣等感と息苦しさばかりが募って、もう泣くしかなった。私だって周囲の座席の人と談笑したかったな。春休みの思い出とか聞きたかったな。私の名前、存在、誰にも覚えてもらってないだろうな。これ全部、自業自得なんだろうか?
嘆いても明日は来るし、2日後にはまた研修がある。
ここまでくると研修の方が嫌になってくるな。
あと1日で終わるんだけど、それでもね。
ああ、なんて長い1週間なんだろう。
まだ水曜日?勘弁してくれよ気が狂うよ。
それでも毎日をやめないのは、とりあえず負けたくないからかな。「とりあえず今は定時で帰らせてもらってる〜」という同期を横目に、こちとら残業確定のスケジュールを抱えているんやぞという気持ちが、もう前線にいるんだぞという気持ちだけが私を生かしている、気がする。もしかしたらどこの部署も新人だろうがなんだろうが残業しているかもしれない、でも今は「こんなに辛いのは自分だけ」という意識を持たせてくれ。イカれてるかもしれないけど、その意識が諸刃の剣で自分を奮い立たせるから。
明日も生きよう。そして吸収して帰ろう。
普段は別々で働いている同期が一堂に会し、座学を受ける。
昨日までは、研修の日は定時で帰れるし仕事もないし受け身だし楽だな〜と思っていたのだが、今日の帰りも泣いてしまった。運転しながらボロボロと涙が溢れた。
同期と上手くいっていないのが問題だ。
今日も友達が作れなかった。座席は最後尾だから周りの席の人と話して仲良くなることもなかったし、話しかけようにもみんな既に周囲と仲良くやってるように見えて、なんか自分だけ浮いてるなと強く思った。
なんか見たことあるなとずっと思っていた子が同じ高校出身だと気づいたのも今日。漏れ聞こえた会話から判明したのだが、だからなんだという感じ。高校時代に接点があったわけじゃない。声をかけるほどでもない。
その上その子はちょっとした憧れで、私の中ではとてもかっこいい人に位置づけられている。だからなのか「この子は真面目に研修を受けているのに自分は…」と勝手に劣等感が降り積もり、何の接点もないのに苦手意識が育っていった。多分会話したらこの意味不明な苦手意識も溶けるのだろうけど、しばらくは正直会いたくない。
面白そうな子だと思って、声をかけようとした子もいる。でもいざ近づくと、部署どころか勤務先もかけ離れてて接点もなく席が違いわけでも同じ趣味があるわけでもない自分がいきなり話しかけるなんて気持ち悪いもいいところだろう、と思い留まってしまった。このとき本当に自分の陰キャスイッチがONになっているなと自覚した。殻を破れないもどかしさと動かない体。俯いて資料を眺めるくらいしか時間を潰せる方法がなくて、とにかくはやく帰りたかった。
「同期を大切にしましょう」
「笑顔で話しかけていきましょう」
研修でそういう内容の話が出るからこそ、ぼっちで浮いているだけの状況がひたすらに苦しい。自分はコミュニケーション能力をどこに置いてきたのだろうか。少なくとも就活のグループディスカッションで意気揚々と司会進行を買って出た私はもういない。なぜかわからないけど調子がでない。勇気も出ない。自分の席から立ち上がれない。
自分はこういう運命にあるなんて、言い訳だ。
たとえ配属先に同級生が自分しかいなくても、座席が端っこでも、できる人ならちゃんと研修で友達をつくれる。こんな展開ばかり生み出しているのは一重に私がコミュ障だからだ。そんなことはわかってる、わかってるよ……
自分の理想像と現実の乖離があまりにも甚だしくて、談笑する同期を部屋の端から眺めることしかできなくて、劣等感と息苦しさばかりが募って、もう泣くしかなった。私だって周囲の座席の人と談笑したかったな。春休みの思い出とか聞きたかったな。私の名前、存在、誰にも覚えてもらってないだろうな。これ全部、自業自得なんだろうか?
嘆いても明日は来るし、2日後にはまた研修がある。
ここまでくると研修の方が嫌になってくるな。
あと1日で終わるんだけど、それでもね。
ああ、なんて長い1週間なんだろう。
まだ水曜日?勘弁してくれよ気が狂うよ。
それでも毎日をやめないのは、とりあえず負けたくないからかな。「とりあえず今は定時で帰らせてもらってる〜」という同期を横目に、こちとら残業確定のスケジュールを抱えているんやぞという気持ちが、もう前線にいるんだぞという気持ちだけが私を生かしている、気がする。もしかしたらどこの部署も新人だろうがなんだろうが残業しているかもしれない、でも今は「こんなに辛いのは自分だけ」という意識を持たせてくれ。イカれてるかもしれないけど、その意識が諸刃の剣で自分を奮い立たせるから。
明日も生きよう。そして吸収して帰ろう。
『アイアンマン』から『アベンジャーズ/エンドゲーム』まで観るというMARVEL作品マラソンが大体終了しました。大体っていうのは、時間都合で省略したり飛び飛びでしか観てない作品もあるので一応。でもほぼちゃんと観たし、その状態で臨むエンドゲームは大興奮でした。
映画自体の感想はまぁ置いといて、今回は映画を観た環境について書きます。
3月1日に友人にアベンジャーズを(というかロキを)布教しようと、PC画面が壁に投影できるタイプのカラオケルームで鑑賞会をしました。その擬似映画館がなかなか迫力あって気に入って、今日に至るまで計5回、友人とそこに通いつめることになりました。
結局、一緒に観たのは『マイティ・ソー』、『アベンジャーズ』、『マイティ・ソー/ダークワールド』、『キャプテン・アメリカ/ウィンターソルジャー』、『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』、『アントマン』、『シビル・ウォー』、『ドクターストレンジ』(ざっくり)、『マイティ・ソー/バトルロイヤル』、『ブラックパンサー』、『アベンジャーズ/インフィニティウォー』、『キャプテン・マーベル』(ざっくり)、『アベンジャーズ/エンドゲーム』……13個……?マジか……結構観たな。人生で一番、短期間で映画観た週間かもしれないですね。
もちろんお金はかかったんですけど、たくさんの映画をでかい画面で見られたのは迫力が段違いで良かった。すごい映画を観て「これをスクリーンで観たかったなぁー!」って思うことは何回がありますが、今回は没入感がほぼ映画館と同等でした。持ち込みOKのお店だったので、お菓子やジュースを気にせず楽しめるというところも良かった。そして個室だからもちろん喋っていい。まさに映画館とお家鑑賞の良いとこ取りをしたような環境でしたね。
何より友人と興奮を共有できたのがとても楽しかったです。1人じゃこんなとこで観ようとは思わなかっただろうし、その場で得た興奮を語り合える喜びは何より尊い。もちろん1人でじっくり観ることもそれはそれで大切です。でも好きなものの話が友達とできるってことに最高の喜びを感じるタイプなので、今回の出来事は本当に連日幸せでした。
明日からまた忙しいけど、明日に響くとしても、今日こうしてやりたいことをやれて満足しています。濃い春休みを過ごしたなと心から思えるって、良いよね。この春休みは友達と旅行なんて以ての外、という状態だったけど、旅行に行かなくても思い出は作れるんだなと確信しました。
来月から社会人になるにあたり、もうこうして頻繁に遊ぶことはなくなるだろうけど、それでも今日のことを思い出してまた観たいと思いました。
これからアベンジャーズのテーマを聞くたびにヒーロー達を思い出して、そしてこの短くて濃いカラオケルーム映画マラソンも思い出したいですね。たしかにここには良い思い出があったんだよって。
おやすみ!
映画自体の感想はまぁ置いといて、今回は映画を観た環境について書きます。
3月1日に友人にアベンジャーズを(というかロキを)布教しようと、PC画面が壁に投影できるタイプのカラオケルームで鑑賞会をしました。その擬似映画館がなかなか迫力あって気に入って、今日に至るまで計5回、友人とそこに通いつめることになりました。
結局、一緒に観たのは『マイティ・ソー』、『アベンジャーズ』、『マイティ・ソー/ダークワールド』、『キャプテン・アメリカ/ウィンターソルジャー』、『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』、『アントマン』、『シビル・ウォー』、『ドクターストレンジ』(ざっくり)、『マイティ・ソー/バトルロイヤル』、『ブラックパンサー』、『アベンジャーズ/インフィニティウォー』、『キャプテン・マーベル』(ざっくり)、『アベンジャーズ/エンドゲーム』……13個……?マジか……結構観たな。人生で一番、短期間で映画観た週間かもしれないですね。
もちろんお金はかかったんですけど、たくさんの映画をでかい画面で見られたのは迫力が段違いで良かった。すごい映画を観て「これをスクリーンで観たかったなぁー!」って思うことは何回がありますが、今回は没入感がほぼ映画館と同等でした。持ち込みOKのお店だったので、お菓子やジュースを気にせず楽しめるというところも良かった。そして個室だからもちろん喋っていい。まさに映画館とお家鑑賞の良いとこ取りをしたような環境でしたね。
何より友人と興奮を共有できたのがとても楽しかったです。1人じゃこんなとこで観ようとは思わなかっただろうし、その場で得た興奮を語り合える喜びは何より尊い。もちろん1人でじっくり観ることもそれはそれで大切です。でも好きなものの話が友達とできるってことに最高の喜びを感じるタイプなので、今回の出来事は本当に連日幸せでした。
明日からまた忙しいけど、明日に響くとしても、今日こうしてやりたいことをやれて満足しています。濃い春休みを過ごしたなと心から思えるって、良いよね。この春休みは友達と旅行なんて以ての外、という状態だったけど、旅行に行かなくても思い出は作れるんだなと確信しました。
来月から社会人になるにあたり、もうこうして頻繁に遊ぶことはなくなるだろうけど、それでも今日のことを思い出してまた観たいと思いました。
これからアベンジャーズのテーマを聞くたびにヒーロー達を思い出して、そしてこの短くて濃いカラオケルーム映画マラソンも思い出したいですね。たしかにここには良い思い出があったんだよって。
おやすみ!
寝台列車に乗って向かった先は島根県出雲市。
サンライズ出雲の話は前の記事に書いたので、今回はその続き。
2月16日㈫
事前に出雲市駅から出雲大社までの電車やバス路線は調べてあったものの、なんか思っていたより天気が良かったことでテンションが上がり、「レンタサイクルあります」の表示につられて自転車を借りた。海辺の強風、冬場の強風、寒さ、己の体力を考慮しない判断であった。実際、レンタサイクル受付のおっちゃんにも「寒いけど大丈夫ですか?」って心配された。
誤算はもう一つあって、それは出雲市駅から出雲大社まで実際どのくらい距離があるのかという知識がなかったこと。ガイドブックで見た簡易的なマップの記憶を頼りに走り出したものの、どれくらい漕げばいいのか全然わからないのは辛かった。レンタサイクルを推奨するだけあって自転車用の看板や道は整備されていたのだが、「いやもう十分漕いだでしょ…」ってときに「稲佐の浜あと6.9km」という表示はかなりこたえた。
そう、まず目指したのは稲佐の浜。浜の砂を出雲大社に持っていってどうにかするといい(超アバウト)ってガイドブックに書いてあったから。当然のことながら海に近づけば近づくほど風が強い。しかも結構遠い(後で調べたら出雲市駅から稲佐の浜まで11kmだった)。遠くに見える松林を越えたら海だろうと思って漕ぎ続けても、松林の先にさらに松林が見えたりする。
それでも心折れずに漕ぎ続けられたのは、見知らぬ土地で自分勝手に振る舞えることが嬉しかったから、だと思う。誰かとの旅行だったら絶対こんなキツイ選択しないもんね。冬の日本海側で風に向かって走るなどという強烈な経験、きっと焼き付くにちがいない…そう確信できるのが嬉しかった。
いよいよ海が近くなって、最後の坂を乗り越えたらいきなり比じゃない強風が吹きつけてきた。
もう寒さで鼻がマヒして潮の匂いすら分からない。
冬の日本海は荒れていた。大しけも大しけ。海の向こうから波の音がごうごう響いて押し寄せてくる。とはいえ浜に打ち寄せる波は常識的な大きさだ。自分が海に免疫ないから荒れているように見えるだけで、現地の人には平常むしろ穏やかくらいなのかもしれないなと思った。実際サーフィンしている人もいた。たしかに波に乗るにはいい風だと思う。
まぁでも、怖いと思った。
高い山に登って人間なんて簡単に吹き飛びそうな強風に感じた恐怖と一緒。遮るもののない水平線、あの遠い海上で人間が耐えられないくらいの暴風がふいて、高波がきて、飲まれてしまうかもしれない…そんな感じの、自然への畏怖がせり上がる。山も山で怖いけど、私は海の方が怖いなと思った。
砂が吹き付けてくる海沿いを漕ぎ、稲佐の浜で鳥居の刺さった岩を見て、砂を回収。ただし出雲大社に着くころにはこの砂の存在を完全に忘れており、結局自宅までただ浜の砂を持ち帰っただけになった。
出雲大社は広かった。でかい公園みたいだった。
自転車を置く場所を探してあっちこちうろうろしたのに疲れすぎて、神聖なものに感動する体力が残っていなかった。御神酒を買うのが好きなので、献酒一覧を眺めてメーカーをチェックした。社務所では御神酒を売っていないのかとがっかりしたけど、もしかして売っている方が異常なのかもしれない。諏訪大社くんのことですよ。
風の来ない場所を見つけて休憩。境内のあちこちにいるウサギの像が可愛かったな。
さて出雲大社を見たら門前町でご飯でも、と思っていたのだが、コロナ禍のせいで営業している店が本当に少ない。これは翌日の松江観光でも思い知ったのだが、このご時世、ガイドブックに載っているショップ情報は本当に役に立たない。特に飲食店。仕方ないとは思うのだが、たしかにこれじゃ普通の旅行は難しいよなぁと思わざるを得なかった。
こんなときだからこそ、あのお店あとで入ろうとかあとであれ買おうとか思っていると損をする。営業している店を見かけたらとりあえず飛び込んだ。なんとか昼食にありつけたし、食べたかった出雲そばが食べられたので本当に良かった。
ちなみにそばを注文して待っている間、ずっと体が揺れている感覚があった。陸酔いだと気付くのには時間がかかった。まだ寝台列車に乗っているような感覚と、あと自転車で風に煽られている時の不安定な感覚がある。ふわふわの相乗効果。不快じゃないけど不思議な感覚だった。
夜、松江のホテルに入ったらすーぐ眠気がやってきた。
出雲での一日が充実していて、サンライズ出雲に乗っていたことが本日の記憶だとは信じられなかった。もっと遠い日の話のような気がした。このホテル、夜食を出してくれることで人気らしいのだが、そんな時間まで起きていられるわけがなかったので、健康的に就寝した。
2月17日㈬
天気予報の通り、この日の松江は雪だった。
ありったけの防寒具を持ってきてよかったなと思った。
5分毎に雪と晴れを繰り返す厄介な天気。降ってきたらお店や観光場所に逃げ、ちょっとやりすごしてまた歩くの繰り返し。こんな天気だったからか観光客は数えるほどしかおらず、景色が撮り放題というのは嬉しかった。雪の松江は趣がありすぎる。
ここでもやはりほとんどのお店が休業しており、飲食はともかくお土産を探すのに苦労した。なんとか土産っぽいものは買えたけど、この苦労も土産話の一つになるといいな。
観光した場所は小泉八雲記念館(図書コーナーで円城塔が訳した小泉八雲の話を読めたのが嬉しかった)、小泉八雲旧居(雪の降る庭園は美しかったです)、松江城(階層が多い、貸し切り状態なのが一番面白かった)、興雲閣(喫茶コーナーで休憩している時間がエモくて興奮した)、くらい。あとは適当な勾玉ショップや和菓子屋さん。
いつ吹雪くとも分からない天候の中、松江大橋を渡るのは怖くて、周遊バスを使って移動した。1日乗車券があるのでおすすめ。歴史のある町なので、観光名所がけっこうあるなという印象。
電車が止まるのが怖かったので観光を早めに切り上げて帰宅。
特急やくも号で岡山に出て、岡山から名古屋まで新幹線。
この旅行で新旧列車を制覇したようなもんだね。
岡山から名古屋まで、列車じゃ一晩かけたっていうのに、新幹線は1~2時間。費用だってこの距離じゃ大差ないだろう。旅のどこに時間を割くか、何に旅情を感じるかはもう人それぞれの時代なんだなとか考えていた。新幹線は揺れが少ないから酔いにくいしね(空腹状態で特急やくも号乗って酔いかけた人)。でも私は車窓に憧れる気持ちも大好きだよ。
長々と駆け足で語りましたが、以上が旅の全貌です。
・現地の距離感、地形はちゃんと調べておくこと
・コロナ禍のガイドブックは役に立たない
・思い立ったら飛び込め
これが今回の教訓。やっぱり一人旅は行く価値があるし、心の栄養になる。これからも隙を見つけては"どこか"を旅したいものだね。
サンライズ出雲の話は前の記事に書いたので、今回はその続き。
2月16日㈫
事前に出雲市駅から出雲大社までの電車やバス路線は調べてあったものの、なんか思っていたより天気が良かったことでテンションが上がり、「レンタサイクルあります」の表示につられて自転車を借りた。海辺の強風、冬場の強風、寒さ、己の体力を考慮しない判断であった。実際、レンタサイクル受付のおっちゃんにも「寒いけど大丈夫ですか?」って心配された。
誤算はもう一つあって、それは出雲市駅から出雲大社まで実際どのくらい距離があるのかという知識がなかったこと。ガイドブックで見た簡易的なマップの記憶を頼りに走り出したものの、どれくらい漕げばいいのか全然わからないのは辛かった。レンタサイクルを推奨するだけあって自転車用の看板や道は整備されていたのだが、「いやもう十分漕いだでしょ…」ってときに「稲佐の浜あと6.9km」という表示はかなりこたえた。
そう、まず目指したのは稲佐の浜。浜の砂を出雲大社に持っていってどうにかするといい(超アバウト)ってガイドブックに書いてあったから。当然のことながら海に近づけば近づくほど風が強い。しかも結構遠い(後で調べたら出雲市駅から稲佐の浜まで11kmだった)。遠くに見える松林を越えたら海だろうと思って漕ぎ続けても、松林の先にさらに松林が見えたりする。
それでも心折れずに漕ぎ続けられたのは、見知らぬ土地で自分勝手に振る舞えることが嬉しかったから、だと思う。誰かとの旅行だったら絶対こんなキツイ選択しないもんね。冬の日本海側で風に向かって走るなどという強烈な経験、きっと焼き付くにちがいない…そう確信できるのが嬉しかった。
いよいよ海が近くなって、最後の坂を乗り越えたらいきなり比じゃない強風が吹きつけてきた。
もう寒さで鼻がマヒして潮の匂いすら分からない。
冬の日本海は荒れていた。大しけも大しけ。海の向こうから波の音がごうごう響いて押し寄せてくる。とはいえ浜に打ち寄せる波は常識的な大きさだ。自分が海に免疫ないから荒れているように見えるだけで、現地の人には平常むしろ穏やかくらいなのかもしれないなと思った。実際サーフィンしている人もいた。たしかに波に乗るにはいい風だと思う。
まぁでも、怖いと思った。
高い山に登って人間なんて簡単に吹き飛びそうな強風に感じた恐怖と一緒。遮るもののない水平線、あの遠い海上で人間が耐えられないくらいの暴風がふいて、高波がきて、飲まれてしまうかもしれない…そんな感じの、自然への畏怖がせり上がる。山も山で怖いけど、私は海の方が怖いなと思った。
砂が吹き付けてくる海沿いを漕ぎ、稲佐の浜で鳥居の刺さった岩を見て、砂を回収。ただし出雲大社に着くころにはこの砂の存在を完全に忘れており、結局自宅までただ浜の砂を持ち帰っただけになった。
出雲大社は広かった。でかい公園みたいだった。
自転車を置く場所を探してあっちこちうろうろしたのに疲れすぎて、神聖なものに感動する体力が残っていなかった。御神酒を買うのが好きなので、献酒一覧を眺めてメーカーをチェックした。社務所では御神酒を売っていないのかとがっかりしたけど、もしかして売っている方が異常なのかもしれない。諏訪大社くんのことですよ。
風の来ない場所を見つけて休憩。境内のあちこちにいるウサギの像が可愛かったな。
さて出雲大社を見たら門前町でご飯でも、と思っていたのだが、コロナ禍のせいで営業している店が本当に少ない。これは翌日の松江観光でも思い知ったのだが、このご時世、ガイドブックに載っているショップ情報は本当に役に立たない。特に飲食店。仕方ないとは思うのだが、たしかにこれじゃ普通の旅行は難しいよなぁと思わざるを得なかった。
こんなときだからこそ、あのお店あとで入ろうとかあとであれ買おうとか思っていると損をする。営業している店を見かけたらとりあえず飛び込んだ。なんとか昼食にありつけたし、食べたかった出雲そばが食べられたので本当に良かった。
ちなみにそばを注文して待っている間、ずっと体が揺れている感覚があった。陸酔いだと気付くのには時間がかかった。まだ寝台列車に乗っているような感覚と、あと自転車で風に煽られている時の不安定な感覚がある。ふわふわの相乗効果。不快じゃないけど不思議な感覚だった。
夜、松江のホテルに入ったらすーぐ眠気がやってきた。
出雲での一日が充実していて、サンライズ出雲に乗っていたことが本日の記憶だとは信じられなかった。もっと遠い日の話のような気がした。このホテル、夜食を出してくれることで人気らしいのだが、そんな時間まで起きていられるわけがなかったので、健康的に就寝した。
2月17日㈬
天気予報の通り、この日の松江は雪だった。
ありったけの防寒具を持ってきてよかったなと思った。
5分毎に雪と晴れを繰り返す厄介な天気。降ってきたらお店や観光場所に逃げ、ちょっとやりすごしてまた歩くの繰り返し。こんな天気だったからか観光客は数えるほどしかおらず、景色が撮り放題というのは嬉しかった。雪の松江は趣がありすぎる。
ここでもやはりほとんどのお店が休業しており、飲食はともかくお土産を探すのに苦労した。なんとか土産っぽいものは買えたけど、この苦労も土産話の一つになるといいな。
観光した場所は小泉八雲記念館(図書コーナーで円城塔が訳した小泉八雲の話を読めたのが嬉しかった)、小泉八雲旧居(雪の降る庭園は美しかったです)、松江城(階層が多い、貸し切り状態なのが一番面白かった)、興雲閣(喫茶コーナーで休憩している時間がエモくて興奮した)、くらい。あとは適当な勾玉ショップや和菓子屋さん。
いつ吹雪くとも分からない天候の中、松江大橋を渡るのは怖くて、周遊バスを使って移動した。1日乗車券があるのでおすすめ。歴史のある町なので、観光名所がけっこうあるなという印象。
電車が止まるのが怖かったので観光を早めに切り上げて帰宅。
特急やくも号で岡山に出て、岡山から名古屋まで新幹線。
この旅行で新旧列車を制覇したようなもんだね。
岡山から名古屋まで、列車じゃ一晩かけたっていうのに、新幹線は1~2時間。費用だってこの距離じゃ大差ないだろう。旅のどこに時間を割くか、何に旅情を感じるかはもう人それぞれの時代なんだなとか考えていた。新幹線は揺れが少ないから酔いにくいしね(空腹状態で特急やくも号乗って酔いかけた人)。でも私は車窓に憧れる気持ちも大好きだよ。
長々と駆け足で語りましたが、以上が旅の全貌です。
・現地の距離感、地形はちゃんと調べておくこと
・コロナ禍のガイドブックは役に立たない
・思い立ったら飛び込め
これが今回の教訓。やっぱり一人旅は行く価値があるし、心の栄養になる。これからも隙を見つけては"どこか"を旅したいものだね。