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- 11/23 銀河ヒッチハイク・ガイド
- 11/15 憂鬱な月曜日
- 11/05 心躍らせる選択肢を増やせ
- 10/22 身から出た錆
- 10/05 君の言うことを聞けば正しくあれたから
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寒くなると外に出かけたいという気力が落ちるもの。夏の頃は全然集中できなかった読書に向き合ってみようかなあ、なんて転機が訪れる瞬間があります。そういうわけで書店に出かけ、当然のように新刊コーナーをスルーして人気のないSFコーナーに到達し、ざっと背表紙を吟味。
そのときちょうど目線の位置にあったのが『銀河ヒッチハイク・ガイド』でした。
これが『宇宙を渡って』とか『<黄金の心>号の旅』とか『地球の終わり』とかだったら、私は決してこの本を手に取ることはなかったと思います。それくらいの引力を持って、今回はタイトルに惹かれました。この漢字と外来語をとってつけたような奇妙なダサさがそれはそれは気に入って(原作は70年代の英国ラジオドラマらしいので、ダサさを狙ってつけたタイトルではないとは思いますが)、背面のあらすじもなかなか面白そう、よし買うか、と。
背面のあらすじにはこうあります、「シュールでブラック、途方もなくばかばかしいSFコメディ大傑作!」――基本的にその通りです。これが読みたかった。私が求めているのは、宇宙へのロマンでも、科学に忠実な空想科学トリックでも、常軌を逸した世界観や生態系でもなかったんですよ。あまりの展開に主人公が呆れ、読者が鼻で笑うような冗談を真顔で言うような小説。それが何故かSFジャンルと相性が良かったもんで、SFを漁っていれば見つかるかもしれないと思っていた、それだけのことだったみたいです。
何が言いたいかというと、この本、とても好みでした。
この本のノリが不真面目だということはお判りいただけたと思うので、あとはもう読みながら思ったことをつらつら書いていこうと思います。普通にネタバレします。
・作風について
全体的に突飛でドタバタで愉快なノリがあります。本書は地球が滅ぼされて生き残ってしまった英国人が主人公?なのですが、まぁ滅ぼされる原因も酷ければ過程も酷い。宇宙高速道路の建設に地球が邪魔だから滅ぼす、しかし建設する方は建設することは絶対善だと思っている。この理由は風刺的というかブラックジョークじみていますが、そこ以外はいたって愉快なコントでした。随所に皮肉がきいていて、読んでいて鼻で笑うこと多数。
個人的に一番笑ったのは、宇宙船で移動する主人公たちがとある星に着陸しようとした時、その星の防衛機能が出したミサイルに撃ち落されそうになり、それぞれが宇宙船のあらゆる機能を引っ張り出してどうにかミサイル回避しようとする場面ですかね。急発進したりぐるりと天地逆転したりと、しっちゃかめっちゃかになる宇宙船がなぜか鮮明に想像できて、職場で休憩中に読んでいたのに笑いそうになりました。
装飾性をとっぱらい、あくまで「淡々と記述」しているところが余計に笑いを誘うんですよね。こういう笑いに弱いんですよね私。今まで真顔で冗談を吐くような小説は円城塔の著書しか知らなかったのですが、そうかイギリスコメディも漁ればいいのか、とひらめきを得た気分です。参考にします。
・「ファイアボール」との関連について
「イルカが地球上で2番目に賢い生命」という話が作中に出てくるのですが、これ、似たようなことを「ファイアボール」の中でも言ってるんですよ。「ファイアボール」は国内のディズニースタジオが作った短編アニメです。SFファンがマニアックなネタを詰め込んで作った側面があり、元ネタがいろいろあるのは知っていたのですが、いざ対面するのは初めてだったので「これが元ネタか!!!!」と胸の内が熱くなるような感動を覚えました。SF内輪ネタとでもいうべき崇高な世界に自分も一歩踏み入ることができたような、オタクっぽい優越感。
そういえば「黄金のこころ」というサブタイトルも「ファイアボール」で使われていた気がします。あとで見返す、このためにディズニープラス加入してんのよ…(大嘘)
※と思ったら現在ディズニープラスでファイアボール視聴できないじゃないですか!!!悲しくなったのでニコ動にある無断転載ファイアボール3期(2話のサブタイトルが「黄金のこころ」)を載せておきます。
・キャラクターたちと今後について
読み終わるのが寂しいなと思う小説は、登場人物に愛着が湧くものです。キャラ愛で生きてきたオタクだからそう思うだけなのかもしれないですけど。一応の主人公、地球人のアーサーはニュートラルな存在だから置いておくとして、彼の親友フォードは不思議君な性格かと思えば最終的にはツッコミ役だし、元大統領ゼイフォードはアホそうに見えるけど魅力的な秘密を抱えているし、ゼイフォードの恋人トリリアンはチームの良心だし、ロボットのマーヴィンとかエディとかは人間以上に個性的な性格をしているし……登場人物のキャラが立っているというか、役割と性格がいい感じに分裂していてわかりやすい。あと多すぎない。それがいい。
愛着を持って読んでいたので、本書を読み終え、続編があと4冊もあることを知って喜びました。「1冊で完結しないのかよ」という文句がないではないですが、まだしばらくこの世界観に浸かれる喜びには代え難いですからね。
・「銀河ヒッチハイク・ガイド」について
銀河ヒッチハイク・ガイドというのは本書におけるキーアイテムで、宇宙でそれなりに読まれているガイドブックを指すようです。特徴は『「パニクるな」とカバーに書いてある』こと。…わかる、旅において一番肝心なのはパニックにならないことだ。以上。
総評、面白かった。
感想を書くのが久々で、かつ満足に言語化もできていない状態でブログにしてしまって申し訳ない気持ちがあります。でも気持ちが熱いうちに語らないとさ!冷めるじゃん! こんな拙い感想ですが、最後まで読んでくださりありがとうございました。セリフが多くて読みやすい小説ですので、活字が得意じゃない人にこそおすすめです。
さ、続編をポチるぞ~
そのときちょうど目線の位置にあったのが『銀河ヒッチハイク・ガイド』でした。
これが『宇宙を渡って』とか『<黄金の心>号の旅』とか『地球の終わり』とかだったら、私は決してこの本を手に取ることはなかったと思います。それくらいの引力を持って、今回はタイトルに惹かれました。この漢字と外来語をとってつけたような奇妙なダサさがそれはそれは気に入って(原作は70年代の英国ラジオドラマらしいので、ダサさを狙ってつけたタイトルではないとは思いますが)、背面のあらすじもなかなか面白そう、よし買うか、と。
背面のあらすじにはこうあります、「シュールでブラック、途方もなくばかばかしいSFコメディ大傑作!」――基本的にその通りです。これが読みたかった。私が求めているのは、宇宙へのロマンでも、科学に忠実な空想科学トリックでも、常軌を逸した世界観や生態系でもなかったんですよ。あまりの展開に主人公が呆れ、読者が鼻で笑うような冗談を真顔で言うような小説。それが何故かSFジャンルと相性が良かったもんで、SFを漁っていれば見つかるかもしれないと思っていた、それだけのことだったみたいです。
何が言いたいかというと、この本、とても好みでした。
この本のノリが不真面目だということはお判りいただけたと思うので、あとはもう読みながら思ったことをつらつら書いていこうと思います。普通にネタバレします。
・作風について
全体的に突飛でドタバタで愉快なノリがあります。本書は地球が滅ぼされて生き残ってしまった英国人が主人公?なのですが、まぁ滅ぼされる原因も酷ければ過程も酷い。宇宙高速道路の建設に地球が邪魔だから滅ぼす、しかし建設する方は建設することは絶対善だと思っている。この理由は風刺的というかブラックジョークじみていますが、そこ以外はいたって愉快なコントでした。随所に皮肉がきいていて、読んでいて鼻で笑うこと多数。
個人的に一番笑ったのは、宇宙船で移動する主人公たちがとある星に着陸しようとした時、その星の防衛機能が出したミサイルに撃ち落されそうになり、それぞれが宇宙船のあらゆる機能を引っ張り出してどうにかミサイル回避しようとする場面ですかね。急発進したりぐるりと天地逆転したりと、しっちゃかめっちゃかになる宇宙船がなぜか鮮明に想像できて、職場で休憩中に読んでいたのに笑いそうになりました。
装飾性をとっぱらい、あくまで「淡々と記述」しているところが余計に笑いを誘うんですよね。こういう笑いに弱いんですよね私。今まで真顔で冗談を吐くような小説は円城塔の著書しか知らなかったのですが、そうかイギリスコメディも漁ればいいのか、とひらめきを得た気分です。参考にします。
・「ファイアボール」との関連について
「イルカが地球上で2番目に賢い生命」という話が作中に出てくるのですが、これ、似たようなことを「ファイアボール」の中でも言ってるんですよ。「ファイアボール」は国内のディズニースタジオが作った短編アニメです。SFファンがマニアックなネタを詰め込んで作った側面があり、元ネタがいろいろあるのは知っていたのですが、いざ対面するのは初めてだったので「これが元ネタか!!!!」と胸の内が熱くなるような感動を覚えました。SF内輪ネタとでもいうべき崇高な世界に自分も一歩踏み入ることができたような、オタクっぽい優越感。
そういえば「黄金のこころ」というサブタイトルも「ファイアボール」で使われていた気がします。あとで見返す、このためにディズニープラス加入してんのよ…(大嘘)
※と思ったら現在ディズニープラスでファイアボール視聴できないじゃないですか!!!悲しくなったのでニコ動にある無断転載ファイアボール3期(2話のサブタイトルが「黄金のこころ」)を載せておきます。
・キャラクターたちと今後について
読み終わるのが寂しいなと思う小説は、登場人物に愛着が湧くものです。キャラ愛で生きてきたオタクだからそう思うだけなのかもしれないですけど。一応の主人公、地球人のアーサーはニュートラルな存在だから置いておくとして、彼の親友フォードは不思議君な性格かと思えば最終的にはツッコミ役だし、元大統領ゼイフォードはアホそうに見えるけど魅力的な秘密を抱えているし、ゼイフォードの恋人トリリアンはチームの良心だし、ロボットのマーヴィンとかエディとかは人間以上に個性的な性格をしているし……登場人物のキャラが立っているというか、役割と性格がいい感じに分裂していてわかりやすい。あと多すぎない。それがいい。
愛着を持って読んでいたので、本書を読み終え、続編があと4冊もあることを知って喜びました。「1冊で完結しないのかよ」という文句がないではないですが、まだしばらくこの世界観に浸かれる喜びには代え難いですからね。
・「銀河ヒッチハイク・ガイド」について
銀河ヒッチハイク・ガイドというのは本書におけるキーアイテムで、宇宙でそれなりに読まれているガイドブックを指すようです。特徴は『「パニクるな」とカバーに書いてある』こと。…わかる、旅において一番肝心なのはパニックにならないことだ。以上。
総評、面白かった。
感想を書くのが久々で、かつ満足に言語化もできていない状態でブログにしてしまって申し訳ない気持ちがあります。でも気持ちが熱いうちに語らないとさ!冷めるじゃん! こんな拙い感想ですが、最後まで読んでくださりありがとうございました。セリフが多くて読みやすい小説ですので、活字が得意じゃない人にこそおすすめです。
さ、続編をポチるぞ~
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ひどい月曜日だった。
この土日は久々に仕事関連のイベントが何もなく、起きてから寝るまで仕事のことなど一ミリも考えず、頭を切り替えてリフレッシュできる休日だった。土日の仕事も嫌いではないけど、やっぱり頭を空っぽにできる期間がないと疲弊してしまう。だからここぞとばかりに休日を充実させた。ボーイスカウトの用事もあったので完全な休日とは言えなかったが、それでも仕事から丸二日間も距離を置けたのは嬉しい。
そして迎えた月曜日。
出勤してもなかなか仕事モードに頭が切り替わらず、悶々として午前を過ごした。
私「午後になったんで会議行ってきます。ついでに〇〇の施設に寄って、備品を取ってきます」
「え?今日月曜日だから〇〇は閉館してるけど」
私「・・・あ」
やっちまった、という衝撃が胸に刺さる。
「その備品って今日取りに行かないとまずい?」
私「・・・明日の午前中に使うので・・・」
「じゃあ俺が鍵開けて取りいってくるわ」
いまだに、ここで「ありがとうございます」じゃなくて「いや開け方覚えたいので自分で行きます」って言いきればよかったのにと後悔している。どうせ後で申し訳なくなるのに。予定が狂ったパニックでそこまで考えが及ばなかったというのが現実だ。
その後、駐車券を車内に忘れたままビルに入るし、会議の席で尋ねようと思っていたことを忘れて帰ってくるし、電話の転送番号を間違えるし、なんかほかにもあった気がするけど記憶にすら残ってない。とにかくダメダメだった。これでもかと露呈した。
「夜導さんは・・・今日は運が悪い日なのかもね。俗にいうブルーマンデーってやつ?」
意気消沈して会議から帰ってきたところ、厳しい方の先輩にそう声をかけられた。備品を他の人に取りに行ってもらうことにより、この先輩に「また他の人の時間を奪って・・・」と悪態をつかれたら泣いてしまうどころかメンタル再起不能だぞと思っていたので、同情してくれたのは意外だった。先輩が見かねるほど、暗い雰囲気を醸していたのかもしれない。
同情の温かさに浸っていると、愉快な方の先輩が備品をもって帰ってきてくれた。備品を受けとりながら、そういえば3カ月ほど前にも会議で配布するものをオフィスに忘れて、この人に届けてもらったんだよなぁ・・・と、苦い記憶をかみしめていた。さすがにここまで抜けている新人もいないだろう。はぁ。
失敗したこと自体は、まぁ失敗した直後はそりゃショックだけど、そこまで長引くものじゃない。失敗により他人に迷惑をかけたり、自分で解決できなかったりすると、自分の力不足・未熟さを目の当たりにして死にたくなる。むしろ自分でリカバリーできたら自信になるのかもしれないのに、私はまだまだ、一人前には遠いようだ。
今回学んだ予防策は、「前日に準備するのをやめる」ことと「月曜日はとっとと頭を切り替える」ことかな。切り替えられなかった原因には実は心当たりがあって、それは「朝から先輩とあまりコミュニケーションをとらなかった」こと。特に厳しい方の先輩と話すと、あぁ職場にいるんだ!って意識になると思うんだよね。内部だけでは時間がかかるから、外部刺激でどうにかなるなら越したことはない。特に話すことはないからと後回しにしていては、今日みたいな悲劇が起こる。
仕事で使っているリングノートの最後のページには、今年やらかした主な失敗(と、予防策)を書き連ねている。いずれも、失敗した当時の落ち込みはそれはそれはすごいものだった。でも時が経って読み返すと「ドジすぎるwww」と笑えるのだから、まぁ悪いことじゃないのかなと思う。これを書き始めて自分が成長できたかどうかは自覚できないけど、失敗しても「予防しよう」「改善しよう」という意識が生まれるのはいい傾向だ。
さて今夜はもう何か新しいことを始める気は起きないので、散歩にでも行こうかな。寒さと暗さは罰みたいなもんと思って、備品を取ってきてくれたお礼のおやつでも買いに行こう。月も笑ってくれるだろう。
この土日は久々に仕事関連のイベントが何もなく、起きてから寝るまで仕事のことなど一ミリも考えず、頭を切り替えてリフレッシュできる休日だった。土日の仕事も嫌いではないけど、やっぱり頭を空っぽにできる期間がないと疲弊してしまう。だからここぞとばかりに休日を充実させた。ボーイスカウトの用事もあったので完全な休日とは言えなかったが、それでも仕事から丸二日間も距離を置けたのは嬉しい。
そして迎えた月曜日。
出勤してもなかなか仕事モードに頭が切り替わらず、悶々として午前を過ごした。
私「午後になったんで会議行ってきます。ついでに〇〇の施設に寄って、備品を取ってきます」
「え?今日月曜日だから〇〇は閉館してるけど」
私「・・・あ」
やっちまった、という衝撃が胸に刺さる。
「その備品って今日取りに行かないとまずい?」
私「・・・明日の午前中に使うので・・・」
「じゃあ俺が鍵開けて取りいってくるわ」
いまだに、ここで「ありがとうございます」じゃなくて「いや開け方覚えたいので自分で行きます」って言いきればよかったのにと後悔している。どうせ後で申し訳なくなるのに。予定が狂ったパニックでそこまで考えが及ばなかったというのが現実だ。
その後、駐車券を車内に忘れたままビルに入るし、会議の席で尋ねようと思っていたことを忘れて帰ってくるし、電話の転送番号を間違えるし、なんかほかにもあった気がするけど記憶にすら残ってない。とにかくダメダメだった。これでもかと露呈した。
「夜導さんは・・・今日は運が悪い日なのかもね。俗にいうブルーマンデーってやつ?」
意気消沈して会議から帰ってきたところ、厳しい方の先輩にそう声をかけられた。備品を他の人に取りに行ってもらうことにより、この先輩に「また他の人の時間を奪って・・・」と悪態をつかれたら泣いてしまうどころかメンタル再起不能だぞと思っていたので、同情してくれたのは意外だった。先輩が見かねるほど、暗い雰囲気を醸していたのかもしれない。
同情の温かさに浸っていると、愉快な方の先輩が備品をもって帰ってきてくれた。備品を受けとりながら、そういえば3カ月ほど前にも会議で配布するものをオフィスに忘れて、この人に届けてもらったんだよなぁ・・・と、苦い記憶をかみしめていた。さすがにここまで抜けている新人もいないだろう。はぁ。
失敗したこと自体は、まぁ失敗した直後はそりゃショックだけど、そこまで長引くものじゃない。失敗により他人に迷惑をかけたり、自分で解決できなかったりすると、自分の力不足・未熟さを目の当たりにして死にたくなる。むしろ自分でリカバリーできたら自信になるのかもしれないのに、私はまだまだ、一人前には遠いようだ。
今回学んだ予防策は、「前日に準備するのをやめる」ことと「月曜日はとっとと頭を切り替える」ことかな。切り替えられなかった原因には実は心当たりがあって、それは「朝から先輩とあまりコミュニケーションをとらなかった」こと。特に厳しい方の先輩と話すと、あぁ職場にいるんだ!って意識になると思うんだよね。内部だけでは時間がかかるから、外部刺激でどうにかなるなら越したことはない。特に話すことはないからと後回しにしていては、今日みたいな悲劇が起こる。
仕事で使っているリングノートの最後のページには、今年やらかした主な失敗(と、予防策)を書き連ねている。いずれも、失敗した当時の落ち込みはそれはそれはすごいものだった。でも時が経って読み返すと「ドジすぎるwww」と笑えるのだから、まぁ悪いことじゃないのかなと思う。これを書き始めて自分が成長できたかどうかは自覚できないけど、失敗しても「予防しよう」「改善しよう」という意識が生まれるのはいい傾向だ。
さて今夜はもう何か新しいことを始める気は起きないので、散歩にでも行こうかな。寒さと暗さは罰みたいなもんと思って、備品を取ってきてくれたお礼のおやつでも買いに行こう。月も笑ってくれるだろう。
先日、ひっそりと職場の極小数だけで親睦会があった。
酒を飲みながらバスに乗って日帰り旅行。
自分が行って楽しめるかかなり不安だったけど、なんだかんだ一日中楽しく過ごした。というか呑んでばかりだった。意外と自分は酒が好きかもしれない。
親睦会の中で、特に印象に残ったやりとりがある。
帰路にて、上司と話をした。
私は山脈を見ているだけでテンションが上がる山派な一方で、上司はダイビングライセンス持って海外を飛び回る海派だ。
「表面から見える海と、潜って見える海は全然違うから。1回でいいから体験してほしいね。ハマらなかったら辞めればいい。でも海は本当にすごいから。潜って人生観が変わる人もいる。まぁそこは人それぞれだけど、俺はね、夜導さんならわかってくれると思うんだよね」
『わかってくれると思う』その言葉がじんわりと嬉しかった。
バスの窓から見える夕映えの山脈に目を輝かせていた私。それを見て、本当に山が好きなんだなぁと笑っていた上司。そんな流れでの会話だったので、自分の自然に対する価値観をそのまま認めてもらえたみたいで嬉しかった。空を見て山を見て感動するこの心は決して間違いでは無いのだと、(自分では素晴らしいことと思っていても、時に酷く無価値に感じることもあるので)感性を素直に認められる気がした。あと、心のむくままに登山にも旅行にも行く自分の行動力も褒めてもらった気がした。
「若いうちにたくさん経験を積みなさい。若いうちになんでも体験して、生涯の趣味を見つけにゃいかん。そのための有休ならいくらでも認める」
そんなことを言ってくれる上司だったので、より一層説得力があるのだった。
海、行こうかな。
酒を飲みながらバスに乗って日帰り旅行。
自分が行って楽しめるかかなり不安だったけど、なんだかんだ一日中楽しく過ごした。というか呑んでばかりだった。意外と自分は酒が好きかもしれない。
親睦会の中で、特に印象に残ったやりとりがある。
帰路にて、上司と話をした。
私は山脈を見ているだけでテンションが上がる山派な一方で、上司はダイビングライセンス持って海外を飛び回る海派だ。
「表面から見える海と、潜って見える海は全然違うから。1回でいいから体験してほしいね。ハマらなかったら辞めればいい。でも海は本当にすごいから。潜って人生観が変わる人もいる。まぁそこは人それぞれだけど、俺はね、夜導さんならわかってくれると思うんだよね」
『わかってくれると思う』その言葉がじんわりと嬉しかった。
バスの窓から見える夕映えの山脈に目を輝かせていた私。それを見て、本当に山が好きなんだなぁと笑っていた上司。そんな流れでの会話だったので、自分の自然に対する価値観をそのまま認めてもらえたみたいで嬉しかった。空を見て山を見て感動するこの心は決して間違いでは無いのだと、(自分では素晴らしいことと思っていても、時に酷く無価値に感じることもあるので)感性を素直に認められる気がした。あと、心のむくままに登山にも旅行にも行く自分の行動力も褒めてもらった気がした。
「若いうちにたくさん経験を積みなさい。若いうちになんでも体験して、生涯の趣味を見つけにゃいかん。そのための有休ならいくらでも認める」
そんなことを言ってくれる上司だったので、より一層説得力があるのだった。
海、行こうかな。
「今日は早く寝るぞ」と思っているのに、結局眠りに落ちるのは0時ごろという日が続いている。朝起きたときの疲労具合を見るに、もっと睡眠時間を取るべきなのは明白なのだが、それにしても夜はあれもこれもやりたくなってしまうのだから不思議なものだ。
今日もそう。
朝はたった数分でも欲しいような寝る間を惜しんででも、書きたい時がある。
今日は調子がいいんだか悪いんだか、その両方であるような日だった。
午前中はいつも通り「暇とは言えないけど何をしたらいいのか分からず四苦八苦」して、午後一番で出先に向かい、まだ1人の外出に慣れていない中(9月までは先輩が付き添うルールだった)あたふたしながら用事をこなした。スムーズにこなしたとは言いがたかった。帰り道の車の中で「今から帰ったら午後の打ち合わせ間に合わねぇな…」と打ちひしがれ、ついでに昨日や午前中のやらかしを思い出して「なんか今日は良くない日だなぁ…」なんてうなだれていた。
職場に戻ると、打ち合わせ前だった。
自分を待っていたのだ。
申し訳ない気持ちしかなかったが、まぁ別に責められることはなかった。この部署の、些細なことでは怒らない、省エネな雰囲気には随分と救われている。それでも私は「でも裏では色々言われてるかも…」と考えてしまうけど、多分誰もわざわざ裏でまで他人の失敗のことなど考えちゃいない。
打ち合わせには私の出る幕はなかった。
先輩が上司に提案するのを聞いて、他の先輩や上司が質問するのを聞いて、「そういうもんか」と頷くだけだった。議題は自分の担当のことではなかったし、意見を求められても困るのでそうするほかなかった。正直ちょっと眠たかった。
打ち合わせも終盤に差し掛かった頃、今後の仕事をどうしていこう、こういう改革ができるんじゃないかという話になった。うちの上司と先輩①は結構な改革派だ。何かを変えていくこと、流動していくことに抵抗がない。かといって変化にともなう周囲の反発や筋道もちゃんと見えているので、優秀というかものが分かっている人達だなと思う。
そこでは私も多少発言した。自分の担当している仕事の改革について。話はすぐ終わったけど、打ち合わせの中では1番心が動いた。当事者として話に入れたのが嬉しかったし、充実感を感じた。
最後に、業務量の見直しの話になった。
どうしたら業務量を減らせるかという話が続いた。
今しかないと、意を決して手を挙げた。
具体的に何を言ったかは覚えていない。感情が先に溢れて泣かないように注意を払った。実際に言った言葉は思い出したくない気もする。ただ「暇を持て余している。やることが分からなくて困っている」と伝えて、「新人だから仕事量が少ないだけだよ」と言われつつ、先輩②の手伝いをしてあげてねと言われたことは覚えている。
やっと言えた。
その感慨だけが胸を満たしていた。
こんなことは言ってはいけないとずっと思っていた。
自分でどうにかするしかないと。
でも「業務量を減らすにはどうしたらいいか」という話の流れで、「これ以上周囲の考え(部署の人間が1人残らず忙しいという認識)と自分の業務認識に齟齬があってはいけない!」と思った。先輩①がざっくばらんに色々語ってくれたおかげで、何を言ってもいいような土壌があったのが救いだった。ありがたかった。胸の内が軽くなった。
こんなベクトルのちがう苦しみがあったよということ、今日勇気を出したよということ、どうしても残しておきたくて日記にする。意外と過去の心理というものは覚えているようで覚えていない。忘れた方が幸せなこともあるかもしれないけど、私はもう気になる癖がついているので、残せるうちに残せるならそれが幸せだ。
6月あたりからずっと、身の振り方が分からない分からないと嘆いていた私、ようやく「相談していいんだ」という結果にたどり着けて安心して泣きそうである。長かったなぁ。この発言が元でクソ忙しくなったならそれはそれで、いつかこの身に降りかかることが早まっただけだと思えばいい。なにより、先輩②の役に立てるなら多少の忙しさも喜んで甘んじる。ここで生きているのだから、ここで咲きたい。
また明日、自分を殺さずにいられますように。
今日もそう。
朝はたった数分でも欲しいような寝る間を惜しんででも、書きたい時がある。
今日は調子がいいんだか悪いんだか、その両方であるような日だった。
午前中はいつも通り「暇とは言えないけど何をしたらいいのか分からず四苦八苦」して、午後一番で出先に向かい、まだ1人の外出に慣れていない中(9月までは先輩が付き添うルールだった)あたふたしながら用事をこなした。スムーズにこなしたとは言いがたかった。帰り道の車の中で「今から帰ったら午後の打ち合わせ間に合わねぇな…」と打ちひしがれ、ついでに昨日や午前中のやらかしを思い出して「なんか今日は良くない日だなぁ…」なんてうなだれていた。
職場に戻ると、打ち合わせ前だった。
自分を待っていたのだ。
申し訳ない気持ちしかなかったが、まぁ別に責められることはなかった。この部署の、些細なことでは怒らない、省エネな雰囲気には随分と救われている。それでも私は「でも裏では色々言われてるかも…」と考えてしまうけど、多分誰もわざわざ裏でまで他人の失敗のことなど考えちゃいない。
打ち合わせには私の出る幕はなかった。
先輩が上司に提案するのを聞いて、他の先輩や上司が質問するのを聞いて、「そういうもんか」と頷くだけだった。議題は自分の担当のことではなかったし、意見を求められても困るのでそうするほかなかった。正直ちょっと眠たかった。
打ち合わせも終盤に差し掛かった頃、今後の仕事をどうしていこう、こういう改革ができるんじゃないかという話になった。うちの上司と先輩①は結構な改革派だ。何かを変えていくこと、流動していくことに抵抗がない。かといって変化にともなう周囲の反発や筋道もちゃんと見えているので、優秀というかものが分かっている人達だなと思う。
そこでは私も多少発言した。自分の担当している仕事の改革について。話はすぐ終わったけど、打ち合わせの中では1番心が動いた。当事者として話に入れたのが嬉しかったし、充実感を感じた。
最後に、業務量の見直しの話になった。
どうしたら業務量を減らせるかという話が続いた。
今しかないと、意を決して手を挙げた。
具体的に何を言ったかは覚えていない。感情が先に溢れて泣かないように注意を払った。実際に言った言葉は思い出したくない気もする。ただ「暇を持て余している。やることが分からなくて困っている」と伝えて、「新人だから仕事量が少ないだけだよ」と言われつつ、先輩②の手伝いをしてあげてねと言われたことは覚えている。
やっと言えた。
その感慨だけが胸を満たしていた。
こんなことは言ってはいけないとずっと思っていた。
自分でどうにかするしかないと。
でも「業務量を減らすにはどうしたらいいか」という話の流れで、「これ以上周囲の考え(部署の人間が1人残らず忙しいという認識)と自分の業務認識に齟齬があってはいけない!」と思った。先輩①がざっくばらんに色々語ってくれたおかげで、何を言ってもいいような土壌があったのが救いだった。ありがたかった。胸の内が軽くなった。
こんなベクトルのちがう苦しみがあったよということ、今日勇気を出したよということ、どうしても残しておきたくて日記にする。意外と過去の心理というものは覚えているようで覚えていない。忘れた方が幸せなこともあるかもしれないけど、私はもう気になる癖がついているので、残せるうちに残せるならそれが幸せだ。
6月あたりからずっと、身の振り方が分からない分からないと嘆いていた私、ようやく「相談していいんだ」という結果にたどり着けて安心して泣きそうである。長かったなぁ。この発言が元でクソ忙しくなったならそれはそれで、いつかこの身に降りかかることが早まっただけだと思えばいい。なにより、先輩②の役に立てるなら多少の忙しさも喜んで甘んじる。ここで生きているのだから、ここで咲きたい。
また明日、自分を殺さずにいられますように。
先輩方は連日夜遅くまで残業している。
今は忙しいシーズンだから、当たり前らしい。
それなのに私は特別やることもなく、今日も定時で帰っている。
何もしてないのに、疲れた。
そう感じることが多くなった。
どうして私は帰れてしまうんだ。
新人ならもっと積極的に「何か出来ることありますか」「私にもやらせてください」と言って先輩の輪に入っていくべきだったんだろうか、という後悔。
こんなにもやることがないのは私に社会人として「何かが欠けている」からではないか。何かを見落としているからこんなにイージーなのではないか、という焦り。
先輩や上司が話し合う内容が(自分の業務に直接関係がある訳では無いから)理解出来ず、連日のように湧いてくる疎外感。
こんなことを残業している先輩に相談するのも迷惑かなと、考えれば考えるほど息苦しくなり、なにもできず、結局帰宅するしか選択肢がなくなる。身の振り方が迷子すぎる。何をしていいのか本当にわからない。
何かが違うんだ。
私は何かを見落としていたり、忘れていたり、足りなかったりするに違いない。その何かが見つかれば、私も先輩たちにように忙しく、連日当たり前のように残業できるに違いない。だってそうじゃなきゃおかしいだろ?
マジでわからない。
どうするべきなんだ?
こんなことは誰も教えてくれない。
教わるものではないのかもしれない。
基本的に社会というものは、自分から聞いていかないと何も教えてはくれない。時には聞いたところで教えてくれない場合もある。教えてくれるだけ幸せであるらしい。
私は聞くものが明確なうちは幸せだけど、抽象的なことを聞かなきゃいけなかったり、マナーや一般論をたずねなきゃいけないのは何故か気が引ける。どうしてだろう。自分から尋ねておけば、あとから注意されるよりもダメージは少なくて済むと思うのに。どうしてだろう。胸は苦しいままだ。
同期は何をしているだろう。
残業しているんだろうか。
この繁忙期を乗り越えて、自分とはちがう知識をつける同期を思うと劣等感で胸はさらに苦しくなる。劣等感を感じるくらいならもっと飛び込めよということなのだが、そこまでアクティブになれないのが、ギアを上げられないのが困ったところだ。ギアを上げたところで解決するとは限らないし、そもそも聞き入れてもらえるかもわからない。
新人にあるまじき気後れ。
そうかもしれない。
私はもっと積極的にならなければ。理解できる範囲だけで満足していたら、どんどん追い抜かれて、そのうちもう辿り着けないほど差が開いてくるだろう。それは同期に対してというより、「積極的に動いた世界線の自分」とつい比べてそんなふうに考えてしまう。いいことなのか悪いことなのかは分からない。健全ではないなと思う。でも結局、私が同期を気にするのは「同じレベルになり得た自分」を軸に考えているからではないかと…思わなくもない。同期に勝ちたいわけじゃない、「私」が遅れたくないんだ。
遅れたくない。
そう思ったら、少しだけ胸が苦しくなくなった。
寝ている場合じゃないなと思った。
思考を手放して睡眠の世界へ逃げるのは簡単だ。繁忙期が過ぎ去り、先輩に気軽にあれこれ聞ける日まで待つこともできる。でもそれでは、私は自分を殺すことになる。
それは嫌だなと、いまできる努力もあるはずだと、小さな小さな動力源がチラつき始めた。私は私が感じる反骨に似た闘志を見逃したくはない。世界にやられっぱなしでは腹が立つからだ。反撃できる機会があるなら、方法を思いついたのなら、縋り付いてみたい。
コミュ障人見知り、言いたいことが言えない私
経験は何よりの糧と心得て、自ら動く能動的な私
どちらも私だし、どちらも必要だ。
能動的な私は反省をしないし、コミュ障な私は先に進まない。
双方がいることでアクセルとブレーキが成り立っている。
今はちょうど、ブレーキをめいっぱい踏んで止まり掛けたところ。止まりきる前に、アクセルの存在を思い出したところ。アクセルを踏む準備はできている。
「できるところから」
先輩のことばを思いだす。先程までその言葉は「私が理解できる極小の範囲」を指す言葉だったけど、今は「無理しない程度にあゆみ出せる、背伸びした仕事」という意味に聞こえる。いきなり仕事の中枢の話を聞いても欠片も理解できないけど、自分の担当に関係のある範囲なら理解できるだろうし、聞く理由がある。大義名分がある。そこから聞いていこう。そして理解しよう。
仕事は好きだ。
業務が楽しいわけではないけど、「社会人というアイデンティティがある安心感」「日々新しいことを吸収し、レベルアップしているような充実感」「家で勉強してくるのが正義だった学生時代とは違い、『出勤して仕事する』ことが何より重要であることが自分に合っている」…というところが仕事の好きな部分。だから逆に、自分が行き詰まっているように感じると、苦しさも一際つらいのかもしれない。
社会人になって半年が過ぎた今、こう思えるのは割と幸せなんだろうなと思う。
毎日、あれやこれやと悩みは尽きないが、私はまだ私の成長を諦めていないから、この心の使い方さえ会得できれば、私はもっと最強になれると思うんだ。
期限付きな僕らの、悪あがき。
今日の楽曲
餞/エイハブ
今は忙しいシーズンだから、当たり前らしい。
それなのに私は特別やることもなく、今日も定時で帰っている。
何もしてないのに、疲れた。
そう感じることが多くなった。
どうして私は帰れてしまうんだ。
新人ならもっと積極的に「何か出来ることありますか」「私にもやらせてください」と言って先輩の輪に入っていくべきだったんだろうか、という後悔。
こんなにもやることがないのは私に社会人として「何かが欠けている」からではないか。何かを見落としているからこんなにイージーなのではないか、という焦り。
先輩や上司が話し合う内容が(自分の業務に直接関係がある訳では無いから)理解出来ず、連日のように湧いてくる疎外感。
こんなことを残業している先輩に相談するのも迷惑かなと、考えれば考えるほど息苦しくなり、なにもできず、結局帰宅するしか選択肢がなくなる。身の振り方が迷子すぎる。何をしていいのか本当にわからない。
何かが違うんだ。
私は何かを見落としていたり、忘れていたり、足りなかったりするに違いない。その何かが見つかれば、私も先輩たちにように忙しく、連日当たり前のように残業できるに違いない。だってそうじゃなきゃおかしいだろ?
マジでわからない。
どうするべきなんだ?
こんなことは誰も教えてくれない。
教わるものではないのかもしれない。
基本的に社会というものは、自分から聞いていかないと何も教えてはくれない。時には聞いたところで教えてくれない場合もある。教えてくれるだけ幸せであるらしい。
私は聞くものが明確なうちは幸せだけど、抽象的なことを聞かなきゃいけなかったり、マナーや一般論をたずねなきゃいけないのは何故か気が引ける。どうしてだろう。自分から尋ねておけば、あとから注意されるよりもダメージは少なくて済むと思うのに。どうしてだろう。胸は苦しいままだ。
同期は何をしているだろう。
残業しているんだろうか。
この繁忙期を乗り越えて、自分とはちがう知識をつける同期を思うと劣等感で胸はさらに苦しくなる。劣等感を感じるくらいならもっと飛び込めよということなのだが、そこまでアクティブになれないのが、ギアを上げられないのが困ったところだ。ギアを上げたところで解決するとは限らないし、そもそも聞き入れてもらえるかもわからない。
新人にあるまじき気後れ。
そうかもしれない。
私はもっと積極的にならなければ。理解できる範囲だけで満足していたら、どんどん追い抜かれて、そのうちもう辿り着けないほど差が開いてくるだろう。それは同期に対してというより、「積極的に動いた世界線の自分」とつい比べてそんなふうに考えてしまう。いいことなのか悪いことなのかは分からない。健全ではないなと思う。でも結局、私が同期を気にするのは「同じレベルになり得た自分」を軸に考えているからではないかと…思わなくもない。同期に勝ちたいわけじゃない、「私」が遅れたくないんだ。
遅れたくない。
そう思ったら、少しだけ胸が苦しくなくなった。
寝ている場合じゃないなと思った。
思考を手放して睡眠の世界へ逃げるのは簡単だ。繁忙期が過ぎ去り、先輩に気軽にあれこれ聞ける日まで待つこともできる。でもそれでは、私は自分を殺すことになる。
それは嫌だなと、いまできる努力もあるはずだと、小さな小さな動力源がチラつき始めた。私は私が感じる反骨に似た闘志を見逃したくはない。世界にやられっぱなしでは腹が立つからだ。反撃できる機会があるなら、方法を思いついたのなら、縋り付いてみたい。
コミュ障人見知り、言いたいことが言えない私
経験は何よりの糧と心得て、自ら動く能動的な私
どちらも私だし、どちらも必要だ。
能動的な私は反省をしないし、コミュ障な私は先に進まない。
双方がいることでアクセルとブレーキが成り立っている。
今はちょうど、ブレーキをめいっぱい踏んで止まり掛けたところ。止まりきる前に、アクセルの存在を思い出したところ。アクセルを踏む準備はできている。
「できるところから」
先輩のことばを思いだす。先程までその言葉は「私が理解できる極小の範囲」を指す言葉だったけど、今は「無理しない程度にあゆみ出せる、背伸びした仕事」という意味に聞こえる。いきなり仕事の中枢の話を聞いても欠片も理解できないけど、自分の担当に関係のある範囲なら理解できるだろうし、聞く理由がある。大義名分がある。そこから聞いていこう。そして理解しよう。
仕事は好きだ。
業務が楽しいわけではないけど、「社会人というアイデンティティがある安心感」「日々新しいことを吸収し、レベルアップしているような充実感」「家で勉強してくるのが正義だった学生時代とは違い、『出勤して仕事する』ことが何より重要であることが自分に合っている」…というところが仕事の好きな部分。だから逆に、自分が行き詰まっているように感じると、苦しさも一際つらいのかもしれない。
社会人になって半年が過ぎた今、こう思えるのは割と幸せなんだろうなと思う。
毎日、あれやこれやと悩みは尽きないが、私はまだ私の成長を諦めていないから、この心の使い方さえ会得できれば、私はもっと最強になれると思うんだ。
期限付きな僕らの、悪あがき。
今日の楽曲
餞/エイハブ