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推しソシャゲの展示会を見に行くために、東京に1泊した。
楽しいオタ活の時間が終わり、今日は休み明けの出勤日。
昨日の夜の時点で思っていたことだけど、「明日は仕事か・・・。また現実に戻るのか、やだなぁ・・・」という気分は全然なくて、むしろ「明日からまた頑張ろう」というメンタルになっているのが、嬉しいことだけど、なんか意外で、驚いた。
楽しい時間であればあるほど、休み明けは気が重たいものだ。今までの旅行ではたいていそうだった。再び始まる特に楽しみのない日常に耐えられなくて、新しいゲームを買うことを決めたり、次の旅行の予定を早々に立てたりもした。楽しい時間だったと思えば思うほど、休み明けのメンタル落差に耐えられるのか不安になっていた。
それがどうだ、かつてないほど心中穏やかだ。
昨夜の時点では「まだ旅行の余韻に浸っていて仕事の現実味を感じていないだけでは」と半信半疑だったけど、今朝になっても平気だったし、仕事が始まっても平気だった。ずっと、「旅行楽しかったな」という静かな喜びと、「これからもっと良い自分になれるようにがんばろう」という充実感に満ちている。すごい。悟り開いたかもしれん。
余韻と充実感がとても心地よい。こうなった要因はいくつかあるのだろうけど、とりあえず言えることは、激情に支配されないのって、いいな、ってこと。
正直、私は「大きな落ち込みは大きな喜びの代償。感情の振れ幅は大きい方が人生面白いに決まってる」と思っていた部分があって、周りに迷惑をかけなければ感情ジェットコースター人間でいたいなと思っていた。それが体力も精神力も摩耗することはよく分かっていたけど、激情と人生を楽しむ行為は切り離せないと信じていた。たとえば、己の「楽しい!」を増幅させるために、自分を分析して「楽しいと感じるもの」を突き詰めないといけないと思っていた。生きる喜びを感じるためには「楽しい」を得ないといけないし、楽しくないものは価値が無い、楽しくない人生は価値が無い、、、。自分の行為を感情ベースで考えると、実は結構苦しいんだよね。もちろんそうしてきた努力(と呼べるかどうかは分からないが)が無駄だったとは思わないし、苦しんだ経験があるからこそ、今の気持ちに価値を感じるんだろうけど。
まぁそういうわけで、静かな喜びが胸を満たすのも、だいぶ幸せだってことを知った。
今は憑き物が落ちたみたいに、穏やかで肯定的な気持ちで現実を見ている。
じゃあ、なんでこんなに穏やかに考えられるようになったかを考える。
1 単純に旅行がリフレッシュになった
日帰りじゃ駄目なんだよな。バスで運ばれるのも旅をしている感覚があって好き。知らない町に行くのもリフレッシュになって好き。
2 推しキャラに会えた効果で悟りを開いた
可能性としては高い。推しの前に立った時点でだいぶ胸中穏やかだった。
3 経験が刺激になった
会場でいろんなオタクの姿を見て「推し活って十人十色だよな。それぞれの推し活があるって素敵だな。私も自分の理想に妥協しないよう、後悔しないようにやりたい」という悟りを開いた感はたしかにある。久々に都会に出て色んなものを見て経験したことが、刺激になった。「経験」が私を豊かにするということを思い出した。
4 オタクであることにふっきれた
今回の旅行は同じコンテンツを推しているリア友(月1くらいでしか会えない)と行ったんだけど、オタクが二人そろったらやることは「語りつくす」しかないわけで。これでもかというほどその世界のことを語って考えて妄想しているうちに、自分の中でもその世界がどんどん鮮明になっていって、もうほぼ脳内に世界が構築されたと言ってもいい具合になった。この感覚が創作物を好きになることの醍醐味だよなと思う。自分の中にリアルとは違う世界があって、その気になれば、理性がゆるせば、いつでも脳内でアクセスできる。ここまでディープに沼ると、たとえこのソシャゲがサービス終了しても、私の脳内には世界が生き続ける。実際、学生時代にずっとはまっていたソシャゲの世界は、幸か不幸かまだ私の脳の中にある。(日食の中の悪魔城も、とんでもなく増築された黒薔薇学園も、もちろんある。)想像すればするほど脳内の映像が鮮明になる。この感覚がすごく好きだなってことを思い出して、あぁ、こういうタイプのオタクでいたいな・・・って、じんわり思ったりした。
5 達成感を味わったから
実はこの展示会に行くまでに「少しはマシな見た目の人間になろう」と思って運動を始めていた。出来る範囲でやろうくらいのユルさだったから、運動が得意な人には微細すぎる努力でしかなかっただろう。でも、怠惰な寝坊魔が、「推しキャラに会うから」というだけの動機で毎朝早起きしてジョギングできたのは奇跡に近い。「会うから」というよりは、「『会う』という表現を使いたかったから」の方が動機としては近いかもしれない。声優イベントでもライブでも何でもなくマジでただの展示会において、「会う」要素はなにもないんだけど、「観に行く」より「会いに行く」と思い込む方が面白いと、この頃から既に考えていたんだろうな。そして「会いに行く」思考に厚みをもたせるために選んだ行為が、「己を磨く」ことだった。「努力して会いに行くこと」が動機の根幹だったから、ダイエットが成功したかしなかったかにかかわらず、なんかもう等身大パネルに会えただけで嬉しさ爆発だったのも、納得がいく。(実際、体重は全然減らなかった。筋肉がついただけだった)そりゃ悟りも開くわな。
6 推しへの憧れを再認識したから
かつてないほどコンテンツに浸った日々で推しのことを考えるのは当然だと思う。私はどうして彼が好きなのか? 答えは意外とすんなり出た。「強くてかっこいい」から。剣士として物理的に強いのもあるけど、精神的に「何者にもビビらない、強い自分でありたい」という気概が人一倍強いところが『強いな』って思うんだよな(「強い」の大渋滞)。理想の自分、理想の強さになるために己を貫くところがかっこいい。己の美学を持っている所に憧れる。・・・そういう推しを見ていると、私も「強くなりたいな」と思う。
この「強くなりたい」は漠然としたものだから明確な目標も立てづらいんだけど、ただ、今の私はどちらかと言えば明らかに「強くはない」ので、何かしらの方向に成長することが即ち強くなることだと思うんだよね。体力をつけることでも、知識をつけることでも、出来ることを増やすことでも、なんでもいい。私にとっての「強くなりたい」は言い方を変えれば、「向上心を持ちたい」なんだろうな。
・・・それぞれ繋がっているようでいて、脈絡がないような、まとめるのも面倒なような。
まぁそもそも、「感情ベースで考えると苦しい」とか言いながら「今の感情が珍しいから日記に残す」ような人間の思考回路なんて、荒唐無稽で当然なのかもしれない。書き残せたことには満足しているから、答えを出すのが目的ではないんだけど。
これこそ原因がわからないが、10月は結構メンタルが死んでいた。元気だったなーと思うのは、推しキャラの誕生日(10/20)くらいで、あとはなんか楽しいことに参加していても、もちろん一時的には楽しいんだけど、ふとした瞬間に「はよ休みたい」って思っていたような気がする。
旅行前の3日間が特にひどかった。仕事を終えてなんとか夕方に帰宅するも、気力という気力が消失しているので何もできず、寝込む。時々うめき声をあげる。体調が悪いわけじゃないんだけど、どうしようもなく重たい胸の内をすこしでも軽くしたくて、口を開いて、でも言葉を紡げるほど元気じゃないので、うめき声をあげるしかない。そんな状態で寝込んで翌日を迎えても、気分は死んだまま。なんで睡眠時間しっかりとったのに私の心は元気じゃないんだ・・・睡眠じゃなくて読書かゲームでもしていた方が救われたかな・・・でももう朝だし、仕事行かないといけないし・・・。という状態で支度して、もちろん仕事中も疲れやすくてイライラしがちだった。今思うとほんと、無事でいてくれてありがとうって感じだ。きっと何かが自分を追い詰めていて、疲れていたんだと思う。疲れを無視して先送りし続けた結果、爆発してしまったんだろうねぇ。
旅行を経てこれが少しでも改善されたらいいなと思っていたので、今日こうして穏やかな気持ちで働けて本当に良かった。人間、リフレッシュが大事。当たり前すぎて忘れがちだけど、本当にその通り。要因がどうだったとかよりも、今は「メンタル回復してよかったな」と思う。
ここまで書けばさすがに満足する。また自分を見失った時は、これを見返そう。
穏やかに眠れる夜が続きますように。
これからも色々なものを吸収して、経験して、私の脳内が豊かになりますように。
1年目はまず仕事覚えるのに必死で、同期に置いてかれることだけが怖くて、とにかく吸収することに全力を尽くしていた。
2年目はとにかく先輩の役に立ちたくて認められたくて後輩に追い抜かれたくなくて必死だった。
そして今、「そこそこ仕事の出来る3年目の若手」という安定したレッテルを得て、あんなに認められたかった先輩は異動し、後輩との関係も落ち着き(なにか溝があったわけじゃなくて私が一方的に意識していただけだが)、つまり『必死になるための原動力』が消えた。
毎日なんとなく退屈で、でも決して暇ではない。
新たな仕事が発生しても「この仕事を乗り越えたい」ではなく「ひたすらめんどくせぇ」としか思えない。
とてつもなく、マンネリ。
...まぁこういう気持ちになるのは初めてじゃない。
2ヶ月に1回くらい後ろ向きな気分が消えない期間があり、もっと言えば1年に1回くらいはクソデカ無気力感に苛まれる。精神がかなり感情ジェットコースターな人間なので当然の症状といえる。
そんでまぁ、時が解決してくれるんだよね。だいたい。
だから今すぐ焦ってモチベを得ないと死ぬ!!とまでは思っていないんだけど、でもまぁ、やるせない気持ちを抱え続けるのも辛いわけで。...私の1年は感情の波乗りで終わっていくのだ。楽しそうに日々を生きようとがんばっちゃいるけど、実際は結構悩んでばかりいる。そんなちっさい人間なんですよ。
「楽しいことは自分で見つけるものだ」と他人は言う。
そりゃそうだと、わかってはいる。
私だってなんの挑戦もしない甘ちゃんが「楽しいことがなくてェ...」とか言ってたら「まずなんか行動しろよ!」って言いたくなる。
でもね、そこそこ探したんですよ、これでも。
中途半端に色々やってきた自負があるからこそ、たまにくる無気力感への対抗手段がなくて絶望する。もちろん、この絶望は、これは気分の問題だ。時が経てば「人生は楽しいものだ」と思い直せるようになる...と冷静になれれば良いのだけど、「私は過去にあれもこれもやってきたけど、それでもこんな気持ちになることがあるのなら、人生ってクッソつまんねぇな...」と闇しか見えない視野狭窄に陥るからタチが悪い。今はその視野狭窄の状態である。
仕事がつまらないのと、人生がつまらないのとはベクトルの違う問題だと思う。ただ日々のうち仕事に割く時間が長いから、2つを混同してより項垂れてしまう。
もう闇を吐き出すしかない、と思って勢いだけでこれを書いている。
...ひたすらモヤモヤを書き出していると、一周まわって自分に自信がでてくる。
いやこんなに真摯に「楽しき日々」に向き合っている私が、つまらない人生を送るはずがなくねーか!!!???
その有能さで次々仕事を片付けろよ!ひとつの事にチマチマ関わっているから退屈になるに決まってるだろ!30分ごとに仕事を片付けて次に向かえ!!せっかく多彩な仕事に携わらせて頂けるような(訳:業務が幅広くて多忙な)部署にいるんだからむしろ手広く楽しめ!!!
視野狭窄は視野狭窄でも、自分に都合のいい自信だけが見えるようになる。望遠鏡で宇宙の闇から目を背けて太陽だけ見ているみたいだ。失明するわ。でもそれで明るい気分に戻れるならヨシだと思う。
そんな感じで薄氷精神綱渡り。
恐ろしいのはこのテンションの変わりようがシラフってこと。
明日もだましだまし仕事しよう。
いつか精神が元気なりますように。
とにかく高いところが好きだ。高いものを見上げるのも、高所から見下ろすのも好き。
自分が住んでいる東海地方付近に、日本一高くて整備されている山がある。
登る動機には十分だろう。
たとえ雨でも霧でも、禁止されない限りは登るつもりでいたけど、やっぱり晴れた富士山に登りたいに決まっている。自分は別に天気に運がいい方ではないし、今までの旅でも悪天候ばかり引いてきた。それでも「山の天気は最後まで分からない」とあんまり良い意味では使われない言葉に縋って毎日天気予報をチェックして、出発までの2週間は祈り続けていた。ちょうど梅雨真っただ中で曇天が続き、憂い事がなくても気持ちが沈むような日々だ。不安を抱えながら過ごす6月後半、「なんとなくしんどい」状態が続いてつらかった。
だからこそ、登山日の7月2日、青空が見えたことがどれだけ嬉しかったか。いてもたってもいられずに登り始めた。もちろん道中はめちゃめちゃしんどかったけど、『予想以上の晴天の中、心置きなく登山ができる』ことに、最高に充実を感じていた。
ここから時系列順に書きたいことを書いていく。
7月1日
自宅を出て名古屋からバスで静岡県へ。高山病がなにより怖かったので、初日は富士5合目で一泊し、2,000m級の高所に体を慣らす。そして2日目は8合目の山小屋を予約済みという、なんとも時間と金をかけた旅程。恥ずかしい話だが富士山のことを何も知らずに「とりあえず山小屋の予約さえ勝ち取っておけば困らないだろう」の精神で組んだので、かなり余裕ありまくりのスケジュールになっていた。だって登るのに11時間くらいかかるんじゃないかって本気で思っていたんだよ・・・5合目から6時間で登れるってガイドブックで読んだ時にようやく自分の異常さに気が付いた。
バスからバスを乗り継いで富士山に近づいていく。
途中でふと読んだネットニュースに「今年の富士山は7/10からお鉢巡り解禁」の文字。えっ7月10日???と二度見。そして真っ白になる頭。お鉢巡りとは、富士山山頂の噴火口をぐるっと一周すること。そのお鉢巡りにも高低差があって、道中に3,776mの日本最高峰ポイントがある。雪解けと登山道の安全確保が出来ないという理由から、とりあえず山開きの7/1~7/9までは解禁しないらしい。・・・ということは、私は「日本最高峰」看板にも会えないし、そもそも3776mに到達することもできないってことだ。いやいやいや登る意味あるそれ!?日本で1番高いところに立つために来たんだが!?
己の勉強不足を棚に上げて憤慨する。そりゃ7月初旬が「登山者が比較的少なくて穴場!」とか言われるわけだ。そもそも梅雨シーズンだし、数ある登山道のうち一つしか解禁されてない時期だし。だから私でも山小屋の予約が取れたわけだ。あぁ、大人しくハイシーズンに計画しとけばよかったものを。でも少しでも人混みのない可能性をつかみたい気持ちも確かにあった。
このときの天気は曇時々雨。富士山の姿は分厚い雲に覆われていて、明日の天気も疑わしく、なんとなく憂鬱な気持ちで次のバスを待った。
最後のバスで「富士スバルライン5合目」へ。車でいけるのはこの5合目まで。吉田ルートと呼ばれる登山道の入口であり、土産物が売っていたり宿泊施設があったりと、ちょっとした町みたいになっている。ちなみにバスは満員だったが、日本人は誇張なしに1割くらいしかいなかった。
バスが5合目に近づくにつれて、体の異変を感じた。バイクで長距離かっ飛ばしたあとみたいな、身体中の血液が巡りきっていないような、ふわふわした感じ。朝が早かった疲れとか、いよいよ登山口が近づいてきた緊張とか、5合目で既に標高は2,000mを超えているから高山病の初期症状なのかもとか、色々原因がよぎる。とりあえずお茶を飲んで深呼吸して隣の人にバレない程度に鼻歌をうたって気を紛らわせて、深刻化しないように祈った。なんとなく変だ、くらいの違和感なら、宿泊施設に着いて休んでいれば治るだろう。もし悪化して本格的に高山病になってしまったら、山を下りるまで治らない。「お鉢巡りやりたかったなー」なんて脳天気なことを言っている場合ではない。気を引き締めないと登山すらままならいことを実感した。
食堂でカレーを食べて、登山挑戦記念になぜか友人に手紙を書いて5合目の郵便局に出して、神社で登拝守を買って、宿泊施設(カプセルホテル)にチェックイン。やることもないし、とにかく体調を治したかったので、酸素ボンベを時々吸って、18時には布団に入った。・・・ただいくら朝が早かったとはいえ、1日バス移動だけしてきた人間がそんな時間に寝られるはずもなく、「寝たいけど寝られない」戦いを続けて、寝ては起きてを繰り返した。
7月2日
事前に作ったスケジュールでは6時には登山開始のつもりだった。だが寝ては起きての攻防がいい加減耐えられなくなって、3時にもう起きることにした。着替えて荷物を詰め直し、いざ、登山口に入ったのは4時26分。
夜明け前。まだ薄暗いというのに登山客はまばらにいた。体調は問題なし。頭痛も消えている。夜に降った雨で地面は濡れていたし、空も雲に覆われていたが、徐々に明るくなって世界の色彩が濃くなるごとに、青空の面積が増えていった。雨が降っていない、自分の体調に問題が無い。たったそれだけのことがなんとも不思議で、ありがたかった。立ち止まっているより体を動かしていたくて、無心で歩き続けた。
6合目に着いた頃から、平坦な道が終わり、坂道が始まる。
空はすっかり晴れて、何もかもがよく見えた。
7合目手前くらいからガレ場と岩場。急登に息が上がる。
時間だけは余裕があったので(山小屋を予約しているから今日中に下山する必要もない)、とにかく疲れすぎて潰れることが無いように、他の人に抜かされるのも構わず、ちょっと登っては休憩してを繰り返した。冒頭にも書いたが、こんな良い天気に恵まれ、憂いなく登ることだけに集中できる『充実感』が幸福だった。遅いペースでも確実に進み続けているサクセス感があり、時間的な心の余裕があり、体調もよい。純粋に登ることを楽しめる。自分を信じて進み続けられる。こんな素敵な登山はそうそうない。
今思い返しても ”良い時間だった” と心から言える。
7:45、8合目(3,020m)に着く。ここまでくると肩で息をしているのが当たり前になってきて、登るから疲れるのか、酸素が薄いから息が上がるのか、そんなことを考える余裕もなくなってくる。ちょうど同じペースで登ってきていた見知らぬ英語圏ニキを勝手に心の中で応援しつつ、仲間意識を持って登り続けた。
9:42、長かった8合目ゾーンを抜ける。
10:00、9合目。写真を撮る余裕もない。
11:00、富士山頂に届く。
山頂についたときは、「あ、ここで終わりなんだ」と思った。随分あっさりした感想。9合目から山頂まであんなにきつかったのに、達成感よりも先に、旅が唐突に終わった驚きがあった。本来なら神社に郵便局に山小屋にとにぎわっていたであろう山頂は、お鉢巡りが解禁されていないせいか全ての建物が閉まっていて、廃墟の町にたどり着いたような気分だった。
山頂からの景色。飛行機から見ているような空の青さ。雲の上。
日本一高いところでポテチの袋がどれだけふくらむのか、気になって持ってきていたけど、山頂でザックを開いたらいつの間にか破裂していた。仕方がないのでそのままパーティ開けしてぼりぼり食べた。山頂は寒かった。夏のギラギラした日差しが照りつけるのに、空気はひんやりしていて、風は凍てついている。登るときは汗もかくし涼しい格好をしていたけど、景色を眺める間は雨具を羽織った。
夢の1つを達成した気持ちで下山を開始する。8合目で山小屋を予約してるっていうのに、登ることに集中しすぎて結局山頂まで行ってしまった。山頂から美しい青空が見られたことにかなり満足していたから、後悔はしていない。ただ8合目~山頂までの道のりは本当に大変できつかったので、ご来光のために翌朝登るのは止めよう・・・とぼんやり考えていた。
下山中、下界の景色がはっきり見える瞬間があって、何枚も写真を撮った。
富士山は南アルプスみたいな連なる山とは違って、山に囲まれているわけでもなく、麓には山梨の町が広がっている。頂上から海抜の低い平地まで一気に見下ろせる景色が不思議で新鮮でたまらなくて、じーっと見入っていた。今見ても空気が綺麗すぎる。なんてクリアな景色なんだ。
さて、素敵な登山だったわけだが、残念ながら良い思い出だけでは旅は終わらない。
本8合目まで下山し、予約していた山小屋にチェックインする。14時ごろだったと思う。カプセルホテルと同じ大きさのひとり部屋。今どきの山小屋は雑魚寝じゃなくて一応部屋がある。あったかい布団もある。さすがに登山の疲労があって、とりあえず布団にダイブして昼寝した。
日が暮れる頃、夕食の時間。寒すぎてダウンを着る。夕食の最中に山小屋の人が「山頂で日の出を見る方は深夜2時頃には起きてアタックする必要があります」と解説してくれる。寒さでかなりテンションが落ちていたので、山頂でご来光を見ようという気にはならなかった。日の出を見るだけなら山小屋からでも十分だろう。
夕食を食べても寒くて、ダウンを着たまま布団に入った。寒かった。
夜中、なんか嫌な汗をかいて目が覚める。
7月3日
次に目が覚めたのは朝4時。自分でかけたアラームで目が覚めた。
山小屋に残っているのは、体調が悪そうなメンバーを抱えたパーティと自分だけ。他の人は夜明け前に山頂を目指してアタック開始したのだろうか。もう知る由もないけれど。
芯まで凍えるような寒さはなくなっていたが、やはり不安の方が大きくて、日の出と共に下山しようという決意が固まっていた。荷物を準備して、日が昇るのを待つ。一人で見る日の出の感想は大体いつもおなじだ。きれいとか感動するとかじゃなくて、「今日が明るく照らされたことへの安堵」これに尽きる。
のんびりしすぎると山頂からご来光を眺めた人々が下山するピークに巻き込まれると思って、明るくなってそうそうに山小屋を後にした。「お世話になりました」ってスタッフさんに挨拶して、下山道(8合目以下は登りとは違う道を行く)に向かう。昨日は登ることが生きがいでやめられないって感じだったのに、今はとにかく、下界が恋しい。不安になるくらい焦っていた。
それでも日は登るし、今日も今日とて良い天気だ。気持ちとは裏腹に、景色は色鮮やかで幻想的で現実味が無かった。不安を抱えながらも、どうしても景色に魅了される。異世界にひとり取り残されたような寂しさがあった。
朝日、赤土の道、青空、下界の緑、雲海・・・。全てが鮮やかで美しい。風も穏やかで人の気配もなく、喧噪も木々のざわめきもない、本当に静かな時間だった。
眼下に樹海が広がっていて、あんなにはっきりと緑が見えるのに、歩いても歩いても森が近くならない。こんなに緑が恋しくなるなんて思わなかった。あとどれくらい歩けば森にたどり着けるか、そんなことばかり考えていた。
そうして2時間くらい経った頃だろうか。もう「あとどれくらい~」とか考えることにも疲れてほぼ無心で人気のない道を下り続けていたとき、ふいに鳥の鳴き声が聞こえた。はっとして見渡すと、新緑の木々が生えている。取るに足らないただの木立なのに、「木が生えるところまで降りてきたんだ・・・」という感動がじーんと胸を打った。泣きそうになるくらいの衝撃だった。今回の旅について、最も深く残る思い出は、幸福さえ感じたアタックの充実感でも、素敵な景色でも、ましてやグロッキー山小屋でもないと思う。必死で下山する中、木立を見つけて、“緑のある世界に帰ってきた”と思った。地に草が生えているのが、木々が根付いているのが嬉しかった。生き物がいるべき場所という感じがした。
進み続けるにつれ、森は深くなる。湿った土の匂い、雑木林の涼しさ、草むらの匂い、そんなものを感じながら、森が好きだなぁと思った。
7:00、5合目に戻ってきた。下山が完了した。
ケガもなく、深刻な体調不良もなく、一人でよくやったと思う。
その後はバスで新宿に出て、とりあえず銭湯に行って、新宿アニメイトでちょうどコラボショップやってる推しコンテンツのグッズを買い込んで新幹線で帰宅した。富士山を経てもなお推し活に割けるエネルギーがあって良かった、というよりは、オタクだったから帰りも楽しめて良かった、というべきか。推しの等身大パネルを見てしまったらエネルギー湧きまくるに決まってる。
総評
今までのアウトドア経験をつぎ込んだ集大成みたいな旅だった。靴擦れ予防のために少しでも違和感を感じた時点で絆創膏を貼るとか、行動食をこまめに取るために常にポケットにチョコレートを入れておくとか、限られた積載量のザックに2泊3日分の荷物を詰め込む方法とかね。過去の経験が自分を支えているみたいで嬉しかった。こういうことの積み重ねがあれば、憧れの「肝の据わった人間」に近づけるだろうか。
旅のお供に「星野道夫」という写真家のエッセイ集を持っていたのが功を奏した。アラスカの自然を愛した筆者の自然観が、富士山という未知の自然に挑む自分の視点とリンクして、全然違う世界の話なのに没頭できた。旅に持ってきた本がマッチするというのは、けっこう嬉しい体験である。自然に触れると、たとえ普段は都市に暮らしていても、大自然にも自分と同じ時が流れていると思えるような想像力を得られる・・・という話(かなり要約してるけど)が特に好きだった。今こうして私が3時間かけて日記を書いている間にも、あの富士山の山小屋には誰かが泊まり、山頂では風が吹きすさぶ。その光景を想像できるだけで、なんだか世界が広がった気がするのだ。
新しい世界を通り抜けた自分は、少しだけ強くなれたような気がする。強くなるために登ったわけじゃないけど、登って良かったと思う。全体的に、言葉にするのを諦めるほど景色が良かった。いま見返しても、ファンタジーかよってくらい美しい。きっと時が経てばグロッキー山小屋のつらい記憶も薄れて、ただ「きれいな登山だった」という思い出だけが残るだろう。それはそれで寂しいよね。辛いも、苦しいも、飲み込んだうえで帰ってきたのにさ。だからこそ、こうして日記を書き上げられて良かった。ここまでやって、ようやく私の旅は完成する。
おつかれさまでした。
朝から大雨だったそうだ。避難指示が出て、避難所の開設員に指令が出た。開設員として(メールで)指令を受け取った私は、ディズニーランドでピノキオのアトラクションに並んでいるところだった。ちなみにディズニーランドも土砂降りの強風だった。
やっちまった、というのが第一感想。まさか自分が「旅行に出ているので避難所開設できませんー!」ムーブをする日がくるなんて...!! まぁ、予想してなかったわけではない。自分みたいなテキトーな奴は、いつかこういうありふれたゾッとしない“やらかし”をするものだと思っていた。それは本当。そう思っていたのに、ろくに対策せず希望的観測でのこのこと旅行に出かけてしまった。「大雨になるみたいだから旅行は中止しよう」と、一緒に行く友達に言えなかった。後悔がどっと湧く。この先どうしたらいいのかなんて考えられず、大混乱状態でアトラクションの順番が来た。混乱する頭で乗ったピノキオのトロッコは、内容の突飛さも相乗して、悪い夢を見ているみたいだった。
トロッコから降りて、とりあえず上司に電話することにした。今からでも帰るべきだと思う気持ちはもちろんあった。ただその判断が本当にベストなのか自信がなくて、帰るための背中を押して欲しかった。悪いけど帰ってこいと、そう言ってもらえれば決心がつく・・・「おつー。避難所のことで電話してきたんだべ? いや絶対帰ってくるほとじゃないから、帰ってこなくていいぞ。開設員もう1人いるんだから、なんとかなるって。今から帰ってきても時間かかるし、そんな時間にこっちきてもやることは何もない。気にせず東京を楽しんでこい。今からなんとかマウンテン乗ってくるんだろ? 楽しんでこいよー」
ただ、その中で強烈に印象に残ったアトラクションがある。
折り返した電話は上司からだった。避難所が開設されて数時間。各所の状況も落ち着いてきて、本当に心配はいらないよ、あんたが来る必要はないよ、気にせず明日も予定通り遊びなさいよ、という話だった。どうせ新幹線も高速道路も動かないのだから、物理的に本当に帰れない。そのことがようやく自分にも完全に浸透して、そこからは、結構楽しく満喫していたと思う。
翌日、朝のニュースで被災地の状況を知る。朝イチでまた上司が電話をくれた。結局私が担当の避難所は避難者が少なく、1人で十分だったそうだ。それほど迷惑をかけていないことを知ってほっとする。その他、仕事上確認しなきゃいけないことは全て俺がやっとくから、あんたは気にせず東京で過ごしなさい、どうせまだ新幹線止まってるんだから、と言われてしまった。
もともと旅程は2泊3日の予定。1日目ランド、2日目シー、3日目に地元に帰る。だが友達と話し合って(友達は今回イレギュラーが起きたこと、大雨の中のランドが大変すぎたことから、かなり萎えていた)、シーはキャンセルして帰ることにした。この友達には散々振り回すことになってしまって申し訳ないなと思う。もっとフォローしてあげる方法があっただろうな・・・。この子にあらかじめ「旅行の日は大雨予報だね。私、もしかしたら避難所開設しなきゃいけなくなるかもしれなくて・・・」と相談できていたら、もっと違う結果になっていたのかもしれない。ここだけは今でも結構後悔している。対話する努力が必要だった。
そうして土曜日の夜、ようやく動いた新幹線で地元に帰った。避難所は土曜の朝にはすべて閉鎖されていた。地元は「あそこが冠水したらしい」「あの川が氾濫して建物に被害がでたらしい」とかとか、色々な情報が錯綜していて、なんだか浦島太郎の気分だった。
日曜日、ディズニーのお土産(菓子折り替わり)を持って、ペアの開設員の人に謝りに行った。ついでに仕事で管理している施設の御用伺いにも行った。休日なのでそんなことをする必要はないのかもしれないけど、『謝罪はマスト』『被災日に何もできなかった分コミュニケーションは取るべき』『前任者なら絶対そうする』と思ったのだから動くしかないよね。ここで行動できたこと、各所の人からちゃんと話を聞けたことで、「何もできなかった・・・」という深刻な気持ちはだいぶ和らいだ。
まぁでも、私って、徹頭徹尾、自分が満足するかどうかでしか動いていないんだよね。誰かの命を守るために避難所を開設しなくては、なんて一ミリも思ってない。自分の責任を果たすことしか考えてない。手段ばかり注視して目的が見えなくなるタイプか、ちょっと特殊なエゴイストか。改善する気もないが、視野が狭くなるのは嫌だなぁ。
月曜日、何事もなかったかのように出勤。上司にお土産(菓子折り替わり)を渡して、どれだけ色々あったか話を聞いて、大変そうだなあより、その場に居たかったなぁと思っている自分に笑った。
私「なんで分かるんすか」
ろくに被害がなかったから言えるクソ不謹慎トークではあるものの、まさにその通りなので仕方ない。まぁこういうことを楽しめるサイコパスもいないと世の中って廻らないでしょ(?) 自分はどうにも多数派にはなれないので、どうせならそっち側の狂人でいたいよ。現実は何の能力もない私がいたところで一般職員A程度のはたらきしかできないが、なんかもう根っからの中二病なので自分がヒーローになる妄想ばかりしてしまう。根源的願望ができあがってしまう。今回は、何もできなかったこと、まつり(言い方が悪いけど)に加われなかったことが悔しかった。そんな気持ちが最後の最後まで残っていたことは、自分らしいなと思わなくもない。
昨日の金曜ロードショーは美女と野獣だった。
3月20日、人事異動が発表された。
先輩の名前があった。
栄転だと周囲は賛辞を呈する。
心にもない「おめでとうございます」を告げて、私は、どうしたら悔いが残らないかを考えた。
有能で、人当たりが良くて、仕事が好きで、かっこよくて、皆の人気者。
何回も小言を言われ、その度に凹んだけど、それを差し引いてもあり余るくらい好き。
これは好意の押し付けだ。
理想を勝手に投影してるだけだ。
そう思って気持ちに気づかないようにしていたが、いざ消えることが確定すると、寂しさが圧倒的に勝る。この先、先輩は私の知らない部署で私の知らない人たちと生き生きと仕事するんだろうな、もう手の届かない人になるんだろうな、あぁ、嫌だなぁ・・・。
友人に相談した。
「じゃあもう、ヤケクソで告白しちゃえば? ほら、バスケの試合中は正確にパスをつなげて得点することが重要だけど、試合時間残り3秒になったらコートのどこからだろうが一縷の望みをかけてスリーポイントシュートぶん投げるのが正解じゃん? もう残り時間が無いのなら、成功したらいいな~くらいの気持ちでヤケクソ勝負していいと思うけどね」
そりゃそうだ。
告白を決意した。体裁なんて知るものか。私のヤケクソ起爆力をなめるなよ。
ちなみに現在進行形で仕事は死ぬほど溜まってる。年度末の業務量マジでバグってる。
これは4/1が近づけば近づくほど深刻になる。
だから3/31に告白なんて余裕は絶対ない。かといって週の半ばとか訳の分からんタイミングでやりたくもない。というかあと1週間以上も「告白するぞ~」みたいな感じで腹に一物隠しておくなんて精神的負担がでかすぎる。決意したなら、とっとと実行したい。
というわけで3/24(金)の昼休憩時間に凸することにした。
(後日談)
友人「昼休憩は馬鹿だろ・・・。フラれても午後気まずいし、OKだったらOKだったで浮かれて仕事にならんくね??どうせ残業するんだから夜にするだろ普通・・・」
私「いやたしかにOKされた場合のことは考えてなかったんだけど、フラれても割り切って午後も仕事する覚悟は決めてたし、やりきった。なんなら平然と先輩に質問しにいった。めちゃめちゃいつも通りだった。それに、この日は先輩は飲み会かなんかでさっさと帰るスケジュール入れてたし、先輩の昼休憩ルーティーンは把握してるから一人になる時間に凸できる可能性が高かったし、先輩は月曜日休み取ってたから万が一気まずくても3日間顔合わせなくて済むし・・・このタイミングが一番だったんだよ」
友人「かなり理詰めのヤケクソでウケる」
決行日前夜、まず手紙とお菓子を用意した。
お菓子は異動発表前に「先輩絶対異動になるし菓子折り買っておこう・・・買っておくことで未来に対処して気持ちの安定をはかるのだ・・・」というプッチ神父的思考(???)で調達してきたもの。手紙は、恋愛うんぬん差し置いて先輩には新人の頃からずっとお世話になってきたので、感謝の気持ちを要点しぼってまとめて書いた。
想いも伝える、感謝も伝える、どっちもやる。
そして神に祈った。
ちょうど「神様は道は開いてくれるけど、進むのは自分だよ」って言葉を目にしたからだ。3/24(金)の当初天気予報は曇りだった。私は病的に晴れが好きなので、少しでも青空が見えたら勇気をもらえるだろうなと思った。「明日、昼休憩の時間にちょうど先輩が一人で喫煙所にいて少しでも青空が見えるシチュエーションに出会えますように。そうなったら、私は絶対に覚悟決めて踏み出すので!!」
果たして神様は、過分なまでに願いを聞き届けた。
初夏のような快晴。満開になった桜。心が軽くなるような温かい風。雨上がりの土の匂い。
青空と桜の色彩に背中を押され、覚悟を決めて飛び出した。
まずお菓子と手紙が入った袋を渡して。
それからもう一つ伝えたいことがありますと前置きして。
私が絞り出す言葉を待ってくれているのがよく分かった。
微笑みが残酷なほどやさしいなと思った。
告げた後の「ありがとうございます」がとても冷静で、そのトーンで結果が分かった。
いろいろとありがたいことを言ってくれたけど、あんまり覚えてない。
ただ、自分がダメージ受けているのを意外に感じていた。
泣きそうになるくらいには、結構本気で好きだったんだなあ。
喫煙所をあとにして散歩に出かけた。午後にはメンタルを整える覚悟があったとはいえ、直後くらい気まぐれに散歩してもいいだろうと思った。何より、春めいた世界を感じていたかった。
胸は痛いし苦しいが、吹っ切れてもいた。
息を吸う度に、胸を爽やかな風が駆け抜けていく。
桜と新緑と青空を目に焼き付けながら、泣き笑いした。
今日の世界は鮮やかで、私の感性もきっと研ぎ澄まされている。
今なら何より美しい写真が撮れるなと思ってスマホを出した。
今考えても、もちろん失恋は辛いことだけど、あの先輩とそんな話ができた瞬間があったことに、少しばかり幸福を感じる。告白した一瞬だけは、先輩は仕事関係なく私の話を真っ直ぐに聞いてくれた。私の本音を聞いてくれた。そしてやさしくはっきりと断った。爽やかな結果だなと思うのは、ちょっと美化しすぎだろうか。
さて、人生を生き直そう。