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このツアー、実は昨年も申込みしていたが、人数が集まらず流れていた。
意気込んで雪山用の装備を買い込んだのに結局1年間押し入れの中。
今回ようやくの日の目を見ることができて良かった。
そもそも雪山に行きたいと思った明確な動機は、もう今となっては思い出せない。恐らく山を題材にしたゲームや楽曲から影響を受けているし、根源的に未知の世界への憧れがあり、さらには寒さに弱くて冬が嫌いな自分だからこそ、冬の魅力を確かめたい気持ちがあった。そんな曖昧な気持ちでしかないのに、たった1回のトレッキングのために参加費や道具代で20万円近く溶かした。こういう人間がいてもいいよね。
スケジュールは1泊2日。トレッキングツアーと言っても初日は山小屋(といっても旅館レベルに質が高くて充実してて驚いた)まで行くだけで、本格的に歩くのは2日目の午前中のみ。それでも山小屋に泊まるのも初めて、雪の上をアイゼンつけて歩く(初日は車~山小屋までの30分程度のみ)のも初めてだったので、初日から興奮していた。
今回のベストオブ不安といえば、自分は根暗で人見知りでコミュニケーションが苦手なので、たった一人でツアー参加、初対面の人たちと共に過ごさなければならないというのは、まぁまぁ苦痛だった。自然体でいようと思ってもどうしても気を遣っちゃうし、かといって自分からグイグイ話しかけにいくほどコミュ強キャラチェンジもできないし、どっちつかずで常にちょっと居心地が悪かった。バスの中は隣に人が来ないよう座席配置してくれたので、一人で過ごせて本当に良かった。
それでも、こういうときは少しでも他者と関わった方が記憶に残るだろうとは理解しているので、自分なりに楽しもうとしてみた。山小屋での食事は食堂に集まっていただく方式だったので、同席になった人たちと会話をする。さすがの私でも食事中の会話くらいはできる。
和やかな夕食時、同席になった方たちに「最近よかった景色を教えてください」と聞いてみた。ある人は山頂から見た夕方の雲海を、ある人は7月の高山地帯で見たお花畑の世界を、ある人は真っ白に透き通った樹氷の森の風景を話してくれて、話を聞いて想像するのも、見せてくれた写真に感嘆するのも楽しかった。本当に楽しかった。アウトドア好きが集まるからこそできる多彩な会話だったし、何より私が景色の話を聞くのが大好きなので、夢のような時間だった。対して私はそんなに山に行った経験が無いので、秋にフェリーで北海道に行った時の日の出の写真を見せた。これはこれでひとつの誇りだ。
さてさて、メインとなった2日目のトレッキング。朝4時30分に起床して朝食を取って、6時30分には装備を揃え、ガイドさんについて出発した。2月にしては暖かい日で、残念ながら天候は雨。結構な降りようだったので常にアウターのフードを被って歩く。これが視界は狭いし音も呼気もこもるし、雨だと何となく体が重い気がするしで、かなり疲労した。雪山装備の人間が列をなして雨の中粛々と雪を踏み分けていく様は、トレッキングというより行軍だった。
基本的に景色はずっと森林。進めば進むほど標高が上がって気温が下がり、木の幹の色が白っぽくなったり、凍っている枝が多くなったりする。最終地点では幹も枝も真っ白で、樹氷というほどではなかったけれど、針葉樹が雪で覆われている様は北欧を想起させて、異国にいるような気分になった。ホラー映画「シャイニング」で出てくる、冬の森の迷路を思い出していた。
一本道とはいえ、雪が積もった森林はどこが道でどこがただの斜面なのか判別がつかず、雪山の単独行がいかに無謀で危険かを想像しながら登った。もちろんなんとなく道は見えるけれども、それは前日の気象条件や精神状態でいくらでもバグが起こり得る。自分がもう少し行動力のあるバカだったら、雪道のソロ登山をやっていたかもしれないと思うと・・・絶対迷子になってたろうなと冷や汗をかいた。雪に覆われた森は神秘的だが、果てしない恐怖も内包している。
箕冠山に到着したところで「ここから先は森林のない稜線。風が強くみぞれも降っているため、ありったけの防寒をして、絶対に肌を露出しないようにしてください。」との指示。事前に連絡のあったとおり、上着を追加して、目出し帽子、ネックウォーマー代わりの被り物、ゴーグルをつけ、アウターのフードをしぼって固定し、風で捲れないように徹底する。
ゴーグルをつけて被り物とフードを何重にも重ねると、視界も変わるし音も遠ざかる。裸眼(コンタクトだけど)で見ていた世界から1枚隔絶された気分。体験ダイビングでダイビングスーツ着たときもこんな気分だった。宇宙服を着ているみたいだ。逆に言えば、宇宙服で防護しなければいけない世界に、我々は行く。
稜線は物凄い風だった。地上で雨を降らせている雨雲は、山の上では防風と氷の粒を撒き散らしていた。周囲には岩や柵が点在しているが、全てが横から叩きつけられる氷によって凍てつき、風が吹く方向に氷柱が伸びている。存在するものすべてが白く凍てついた世界。異世界。吹き飛ばされないように重心と転倒に気を付けて先へ進む。
中には風に耐えられず転倒したり、雨のためつけていたザックカバーが飛ばされかけた人もいたみたいだった。私は「学生時代にソロ登山した時の暴風よりは怖くないな」とか思っていた。過去が無謀すぎて参考にならん。まぁでもこれくらいの強風だとガイドさんによっては中止にする人もいるようなので、ギリギリまで考えて決行してくれた今回のスタッフさんたちには感謝しかない。こういう世界を見せてくれてありがとう。
稜線を歩いて一回小屋に避難して休憩し、あとは折り返して戻る。これが帰りは登りになっていて、息が上がったのだが、ちょうど目出し帽とネックウォーマー代わりの被り物が口に張り付いて全然空気が吸えず、それでも立ち止まれないしストック握った手を放して口元触るわけにもいかないしで、今回最も「死ぬ!」って思った瞬間になった。サイズのきついガーゼマスクをつけて登山してるようなものだからね。さすがにやばいと思ったところでようやく森林帯に戻り、「もうゴーグルとって良いですよ」の声を聞くまでもなくすべて外した。まさかトレッキング中に体力負けでも高山病でもなく「空気が吸えない」で苦しむことになろうとは・・・。被り物で代用するのは危険だと痛感したし、自分の肺活量が貧弱なこともよくわかった。
痛感と言えば、雨が降っているのにザックカバーを持っていないというトンチキぶりも発揮してしまった。キャンプ初心者じゃないんだからさぁ。トレッキングのためだけのサブザックだったので洋服や日用品は入っていなかったが、山小屋に帰ってくるころには中身すべてが濡れていた。財布も浸水していた。悲しすぎたので翌週すぐにショップに行ってカバーを買った。
そんなこんなで意外と濃い時間を過ごし、1泊2日が終わった。体験を終えて思うことは、冬じゃなくていいから、夏場でもアイゼンが必要なくらいの高い高い山に次は行ってみたい。宇宙服がどうこうとか思ったからだろうか、冬への憧れが『より異世界への憧れ』つまり『標高への憧れ』に置き換わりつつある。やっぱり富士山か。今まで全然興味なかったけど、富士山で一泊してみるのも、人生で1度はやってみていいかもしれないな。
あとは「悪天候も悪くないかもな」というところ。もちろんすっきり晴れた稜線で、青空と白銀のコントラストを夢見て参加申し込みしたし、当日起きて雨が降っている音を聞いた時の絶望は並大抵ではない。それでも、今こうして振り返ってみると、これはこれでいい経験だったなと思えてしまうから不思議である。体力的にも精神的にも悪天候に折れずやりきった自分、という自信につながっている、と思う。1月にスノボ行った時も雨で散々な気持ちになったが、あれもあとから思えば・・・いやスノボはだめだな、さすがに許せん。でもたとえ今年の夏に富士山に行くことになったとして、決行日がみごとに曇りでも、悪天候に阻まれて山頂に行けなくても、折れずに立ち向かったとしたら、満足できると思うんだよねぇ。自然を相手にする趣味だから、天候に左右されるのは仕方ない。かといって天候回復だけを狙えるほどプライベートを自由にコーディネートもできない。だったらもう、悪天候も楽しめるように考えなくては。
長くなってしまった。またいつか、あの異世界に会えると良いな。
団体でスキー場に行く機会があり、スノボも選べるということで選んでみた。私はスキーが出来るわけでもないし、次にいつスキー場に来るかわからないし、だったらまったく未経験のスノボを選んでみるほうが、知見としてはお得だろうなと思った次第。我々の年代は(主語がでかい)、なぜかスキーよりスノボの方がカッコよく魅力的に見えてしまうのである。
経験者に基本動作的なことを教えてもらい、移動の仕方、リフトの乗り方、両足装着のタイミング、転ぶ時の注意点などは心得た。ただカーブの仕方とか体重のかけ方とかは全く理解できず、とりあえず中腰の姿勢でなんとなく曲がることしかわからなかった。まぁでも数年前に行ったスキーでも初めは転びまくって散々だったが、3回4回と滑るうちに上達したので、今回もそんな感じで掴めてくるだろうな〜と、とりあえず斜面を下ることにした。
無理だった。
滑ろうとしては転倒し、滑ろうとしては転倒し、滑ろうとしては転倒の繰り返し。猛スピードが怖くて横移動でゆっくり下りたいのに、姿勢を作る前に転んでしまう。まっっっったく前に進まない。立ち上がるための体力ばかり奪われて、そのうち転んでも立ち上がる気力がなくなってきた。疲れて疲れてそれでも転んでまた起き上がって、スキー場でこんな汗だくになって、私は一体何が楽しくてここにいるんだろう......と虚無になりそうな気分を振り払いつつ、リフトで登ってきた分を永遠に下りられない気がする絶望と戦いつつ、ほぼほぼ這いつくばる形でスタート地点に戻った。正直、登山より疲れた。
私と一緒にチャレンジした中学生の女の子も、全く歯が立たないスノボの難易度に心が折れ、「返却してくる...」と呟いていた。だがここで私も一緒に折れる訳にはいかない。このまま2人で諦めてしまっては、この子の心に1つの挫折をつくることになってしまう(?) 何度かチャレンジすれば形になるぞと私が証明してあげねば。たしかに自分の出来なさ具合は絶望的だし折れる気持ちもわかるが、きっと何回か滑れば少しづつ転ばなくなってくるはずだ。スキーのときだってそうだった。スキー履修者に笑われながら成長したじゃないか。大体のものは回数を重ねれば最低限ラインくらいはすぐ到達できるもんなんだ。知らんけど。
...無理だった。
回数を重ねたところで絶望が深くなるだけだった。
転んでも立ち上がり、転んでも立ち上がり、むしろよくもまぁこんなに不出来なのに制限時間いっぱい挑戦できたなと自分を褒めたいくらい、上達しなかった。
7回目くらいのリフトに乗りながら、スマホのメモにこう書き残していた。「ただただ転び方が派手になっていくだけ。痣が増えるだけ。自分が運動のできない陰キャだということを思い知らされるだけ。何が楽しいのかわからないまま、しかし足がボードに固定されている以上それしかやることがないので、這いつくばってゲレンデをおりたらまたリフトに乗る。地獄。」
転び方が派手になっていくのはまさにその通りで、初回は軽い尻餅とかその程度だったのだが、雪面に腹を打ったり背中を打ったり尻を強打したり頭を打って一瞬目眩がしたり、生きているのが不思議なくらい転んだ。人間って結構丈夫なんだな。特に手首への負担がすごかった。経験者からは「前方に転んだ際、手をつくと手首を痛めるので、かならず肘を曲げて腕から接地すること」と言われていたものの、やはり咄嗟に手のひらをついてしまう。その回数、10数回は超えると思う...。おかげで今でも手首が十分に回せない。曲げると痛い。痛みが続くようなら受診も考える...。
それでも出来ないくせにちょっと高いところまでいく別のリフトに乗ってみたり、林間コース(カーブが多い)に行ってみたり、出来ないくせに挑戦だけはめちゃくちゃしていた。高いコースや林間コースをやったあとに初心者用ゲレンデに戻ってくると、さっきよりスピード出ないコースだなと恐怖心が薄れる。暴力的な慣れ方だが(一歩間違えたら技量以上の高いコースにビビって下りられなくて身動きが取れなくなるので)、これこそ経験値のなせる技だよなと変に満足した。
1番最後には、まぁ「乗れて」はいたかなと思う。滑れていたかは疑問だが、「乗れて」いた瞬間はあった。
総括。
もうスノボは一生やらん。痛みと楽しさが比例しない。
それでも時間いっぱい諦めずにチャレンジした自分の維持というか負けず嫌いというか、そういうところは満足したし、やらないよりは遥かにいい経験ができたかなと思う。
正直残り1時間の時点では「マジで痛い思いしかしないし疲れたしもうやめようかな...」と折れかけていたが、ちょうどそのとき高いコースのリフトに乗って運ばれていく知り合いと目が合い、「ガンガン滑っていいからな〜!」と声をかけられた。萎え萎えに萎えていた私は「いやガンガン転んでる方なんですけど...」と覇気なく返しつつも、楽しそうに運ばれていく姿がとても眩しいと思ったし、「せっかく1日ゲレンデに来て1本も満足に滑れないのクッソ悔しい」と心底思った。悔しすぎてちょっと泣いた。私だって「楽しかった」って言いたい。風を感じたい。滑りたい...ッ! というわけでまた立ち上がってリフトに乗った。なんというか己との戦いよな。まーこれで華麗に出来るようになったらかっこよかったんだけど、最終的にこの後のコースで頭打って、「このまま続けたらマジで死ぬな...」と危機を感じ、時間もちょうど良かったので未練なく立ち去ることが出来ましたとさ。
次もしゲレンデに行く機会が万が一あったとしてもスキーを選ぶし、百歩譲ってスノボをやるのならスクールから始めたいなと思う。そもそも同じ冬のアクティビティなら雪山トレッキングとかの方が何倍も楽しそう。世の中には向き不向きがたくさんあるね。これもひとつの知見ということで。おつかれさまでした!
予約していた初心者向け雪山ツアーが人数未達のため中止になった。道具だけは揃えていたので、1番近くの積雪ありそうな所へ行ってわざわざ雪を踏んだ。
アプリ「悪魔執事と黒い猫(あくねこ)」にずぶずぶ沼っていく。
2月
あくねこのバレンタインイベにどばどば課金した。推しが出るまで引いたのは初めてだ...。沼が最高潮だった。以後、親切な天井が実装されたので、この時のような課金をせずに済んでいる。
「楽しいことをしたい」「でも(感染対策のため)気軽に外に行けない」のジレンマに割と本気で苦しみ、結果、部屋の中でテント張って寝た。「楽しいことが少なくてつらい」「自分を救うために何かしなきゃ」「何か考えなくちゃ...」という強迫観念がなぜか強くて、今思い出してもつらくて泣きそう。それだけに、テント張ってみた〜!wに対して「え、ちょっと変わってるね君...」っていう反応には傷ついたし、「楽しそうでいいね!」っていう反応には救われた心地がした。気持ちが先走りすぎて、自己満足を見つける力もなくなっていたみたいだ。
3月
楽しい楽しい熱海旅行の翌日から、仕事が信じられないほど忙しくなった。年度末の忙しさを正直舐めていた。。
人事発表で自分の係に新人が入ることが確定し、どんな子がくるんだろう、自分なんかすぐ抜かされちゃうんじゃないか等ずっと不安だった。
4月
3月の比じゃないくらい忙しかった。仕事が立て込みすぎて「明日仕事か〜憂鬱だな〜」とか思う暇もなかった。寝て起きたら出勤して仕事を片付けるしかなくて、そこに感情を挟んでいる余裕はなかった。マジで忙しいと感情って機能しないんだな...。
あくねこにメンタル支えてもらったところもあると思う。推しの存在がどれだけありがたかったことか。
5月
4月よりはマシになったが、仕事が定時で終わらないのは相変わらず。それでも休日に遊びにでかける余裕はでてきた。GWに家族で高原に出かけて、空の青さと山脈の美しさで心が生き返った心地がした。
リフレッシュしよう!と時間を見つけて突貫でバイク旅を行うも、旅先で単独事故するという情けない結果に。余裕のない旅行は事故の元だなと学んだ。凹んでいいのかヤケになればいいのかよくわからなかった。
6月
事故って修理に出したバイクが帰ってきた。久しぶりに乗るバイクは思っていた以上に心が躍り、私やっぱりバイク乗るの好きなんだなぁって嬉しくなった。
テーマパークに通いつめて謎解きラリーを制覇したし一緒に参加した友人にあくねこを布教した。
『ここは今から倫理です』を思い立って買って見事にハマる。何度も読み返しちゃって時間が溶けたので恐ろしくなり、慌てて机からおろして本棚に押し込んだ。
7月
友人と遊びに出かけたら数日後にコロナになった。どうしようもない現実を前に、仕事とか予定とかなんか全部どうでもよくなり、罪悪感などはあまり湧かなかった。年度始めの繁忙期に助けてもらってばかりいたので、「職場の人に迷惑かけるなぁ」っていう罪悪感は、もう出し尽くしちゃって枯れてたんだろうな。それでも体調はしんどかったし、隔離ホテルの空調がほこりっぽく、常に新鮮な空気に飢えていた。隔離とか番号で管理されるのとかSFみたい〜って思ってたけど、もう二度と体験したくねぇ...。
8月
コロナから復帰。夏季休暇もあり、この夏は全然出勤しなかったな...という印象。伸ばしていた髪をバッサリ切った。復帰直後にシーシャ行ったらニコチンくらって吐いた。ホテル療養でずっと冷房効いたとこにいた弊害はかなり大きく、人生で初めて「夏キッッッツ...」と思った。これが夏バテですか...。
それでも復帰一週間後には長野旅行に行き、暑さにへばりながらも八ヶ岳を楽しんだ。旅行に行けることも、元気に山を歩けることも嬉しかったし、夏の上田の素敵な景色を見れたのも嬉しかった。
旅行でリフレッシュできたし残りの夏がんばるぞ〜と気合い入れた矢先、家族がコロナ感染してまた自宅待機になった。全てがどうでもよくなった。
9月
何してたかあまり記憶が無い。
父親が東映スパイダーマンのマーベルレジェンド(超像可動みたいなやつ)を買ってきたのに触発され、私もトイザらスに行って変なカラーリンクのスパイダーマンとドクターストレンジを買ってきてしまった。ディスプレイするのが楽しかった。
10月
午前中先輩と映画に行って、午後大学時代の友人と久しぶりに会ってドライブするという濃い一日を過ごしたのが印象的。
結構休日の度に遊びに出ていたと思う。あくねこのハロウィンイベントもしっかり楽しんだし。謎解きに一緒に行く友人とあくねこのトーク出来るのが嬉しくて嬉しくて、オタクが一番楽しい瞬間これなんだよな〜!!と思った。
11月
5月と同じようにひとりで旅行に行きたいと思い立つ。さすがに1日2日で行先決めてGO!!は止めようと反省したので、じっくり悩んで「フェリーで行く北海道」に決めた。2日半も有給をぶちこむという暴挙に出たが、OKしてサポートしてくれた先輩方には感謝しかない。業務量多いくせに休みまくってごめん。
いざ過ごした旅は、とても良かった。海の上はたしかに退屈で、ずっと楽しいわけではなかったけど、快晴と水平線とか、真っ直ぐ進む船の白波とか、待ち望んだ日の出とか、いざ見えてきた目的地のワクワク感とか、心に刻まれる景色がたくさんあって大満足だった。出かけて良かったと心から思えた。
12月
配属2年目の研修として他部署体験があり、数日間他部署でお世話になった。陰キャなので新しい環境に行くのめっちゃ怖かったが、心配していたよりは馴染んで頑張れたと思う。
後半は仕事で血迷って先輩に迷惑かけることが多く、精神的距離がぐんと広がった気がする。気にしないようにしているが、やっぱり今でも気まずさはある。身の振り方を見直す時が来たと思う。
【総括】
...良い年ではなかったなと思う。もし年単位で運気が変わるのなら、今年はまぁまぁ悪運の年だったんじゃないだろうか。それでも腐らずに楽しみを追求して、色んな景色を見に行ったことは良い選択だったと思う。いつだって私が心洗われるのは、良い景色に出会った時だ。そしてそれは、自分から探しに行かなければ見られない。
がむしゃらに仕事して、余暇は旅行して、そんな生活も悪くないしむしろ幸せなんだけど、多少は「このままでいいのだろうか」という気持ちもある。無視はできまい。この気持ちを救うために、まだ何度か、私は悩み苦しむ必要があるかもしれない。『ここは今から倫理です』の中の「『余暇』は『労働』で得た富を消費することにしか使われないから」っていうセリフが、胸に刺さり続けている。
労働が生きる喜びになればそれはそれは幸せだろう。
では労働に身も心も捧げられない人は、幸せなれないのか?
私にとって労働以上のものは無いのか?
今までそれは創作だった。二次でもオリでも、そこにアイデンティティがあった。レゾンデートルがあった。社会人になってそれを失って、私は、時折、ひどく虚しくなるのである。だからせめて「必要以上に書く」ことは続けたいなと思った。日記でも独白でもなんでもいい。自分の過去を追える手立てがあるのであれば、日記厨として満足である。
あと趣味の話でいえば、あくねこには大分助けられた。毎日ログインできるゲームがあるっていうのは生きる励みになるし、作業がほぼ必要なくて定期的に推しに課金できるっていうのが生活に合っていてとても良い。リリース日からプレイして今1周年だけど、この1年で計10万くらいは課金したんじゃないかな...。2月に見境なく課金したのが大きいだけだから、来年は数万単位で収まると思うけど(課金はする前提)。ソシャゲはいつ消えてもおかしくないって身をもって学んだから、楽しめるうちに楽しんどこうって気分がつい課金のタガを外させるんだよね。続いてくれ〜。
ちなみに今まで他のジャンルにハマっててもグッズ買い漁って部屋に祀るとかやったことなかったんだけど、あくねこの推しに関してはなんかホイホイグッズ集めちゃうので、大掃除ついでに祀ることにした。
なんか、なんだかんだ人生楽しそうだな。
そりゃそうか、楽しむことへの貪欲さ、行動力には自信があるもんな。
来年も「人生楽し〜!!!」って言えますように。
おやすみなさい、良いお年を。
『伝達しなかったこと』が主な原因だ。
私は『不在の先輩より、今いる上司に伝達して解決してもらう』ことが効率的だと思ったからそうした。もしタイミングが合っていれば、私が「これは私じゃ分からない」と思った瞬間に先輩が座っていれば、私だって上司じゃなくて先輩に伝達した。それだけは間違いない。
ただ私は上司に伝達してしまった。それが完全に間違いだったとは思わないし、上司も「その場にいなかったんだから怒るほうがおかしい。気にする必要はない」と理解してくれている。それでもモヤモヤが晴れないのは、先輩からの印象に傷をつけたことが耐えられないから、だろうな。
自分が完全に悪かったとは思わない。謝る気はない。
ただ先輩からの信頼を失ったかもしれないという可能性が、堪らなく怖い。
もともと信頼なんてされていないのなら、それはそれで悲しいが。
結局、私がもっとうまく立ち回っていれば防げた話なのだ。
もっとこうしていれば、と思えば思うほど、悔しさと悲しさが渦を巻く。
後悔先に立たず。冷たく詰められた言葉が繰り返し再生される……。
注意された後、なんか若干冷たくされるようになったのも堪えた。
勘違いであってほしいけど、感じた空気はまぁまぁ地獄だったよ。
そりゃあたしかに先輩からしてみれば、言動を注意した後輩が謝罪もせずヘラヘラといつもの調子で絡んできたらウザくて相手にしたくないのかもしれないけど。
それでも顔色一つ変えず「ここ教えてください」って凸していた私は、案外メンタルが強いのかもしれない。たしかに注意されたこと自体はショックだったが、だからといって露骨に私を嫌う態度を出すのは大人としてどうなのか。もし本当に「こんなこと」で態度を変えるような人間であれば腹に据えかねるので、逆に私が態度を変えたら負けだなと思った。
「そこまで言うなら模範社会人らしく、『失敗者ではなく失敗を責める』人間であれよ」と、理想を押し付ける形で、私はコミュニケーションを取り続けた。
こうしていれば、という後悔はたしかにある。嫌な記憶だと思う。
でもそれは、私が先輩の顔色を伺う理由にはならない。
まぁこうして私はいつも通り働けているし、胸のうちを書き出せてスッキリしている。
あとは、もう同じような過ちを繰り返さないように反省点を考えるだけだ。
今までは、なんでも最速で解決するのが効率的だと思っていた。でも今回の件で自分が傲慢になっているんじゃないかと思うようになった。ものには手順があって、それをすっとばすと結果的に信頼とか評価とかそういうものを失うことになる。即物的に解決はできても、過程や引き継ぎで禍根を残すことになりかねない。仕事は謙虚に、そして仕事仲間には尊重を。
「うまく立ち回る」なんて目標は抽象的すぎて立てられないから、今は「先輩に過不足なく伝達する。なるべくメモを活用する。手順を意識する。」くらいで勘弁してほしい。これくらいなら頑張れる。こういう風に処理できるのなら、今回の件を糧に前に進めそうな気がする。悩んだ時間も落ち込んだ時間も、無駄じゃなかっただろうと思える。
私はまだ成長できる。
水曜日の夜から土曜日まで、一人で旅行に出た。
名古屋港発のフェリーに乗って、終着地は北海道の苫小牧。
世界の広さが染みわたる旅だった。
計画は結構唐突。今月の始め頃だったと思う。
思い立ったその場でフェリーやホテルや帰りの飛行機を予約した。
もともとこの日程は雪山登山に挑戦する予定で空けていたが、「雪山経験値のないお前がいきなり中級コースに申し込むな」という至極まっとうな理由でキャンセルとなり、代替になる旅程を探すことにしたのが始まり。正直、雪山がとん挫したショックで意気消沈し、他の旅行を考えるのも面倒だった。なんだかんだ旅行ってのは、移動で疲れるし金はかかるしリスクもある。ただの高価な娯楽であり、わざわざ行くのは生産的ではないのでは……そんな感じで腐ってしまいそうだった。
それでも実行に踏み切れたのは、私が救いを求めていたからなんだろうなと思う。日々に追われて心が疲弊しているのは自覚していた。創作は文字通りもう1文字も書けないし、漫画やゲームを追いかけるのも苦痛になった。感受性も死につつあるなと思っていた。昨年、ディズニーシーに行った時、アトラクションを昔ほど楽しめないなと自覚してしまったことが少しトラウマだった。……そんな状況を打破したかった。家でゴロゴロしていても解決しないのは自明だろう。
心を生き返らせるような旅。
今思えば、そんな表現が的確かなと思う。
フェリーの出港は水曜日の夜7時だった。
バスに揺られながら港へ向かう途中、船に乗るまで、ずっと緊張していた。はじめてのものに乗るってこういうことだと思う。いよいよ船に乗るんだ、本当に乗れるのかな?…そんな気持ちがグルグルして落ち着かない。ただ、夜の港にライトアップされたフェリーの姿を捉えた時は、たしかに「すごい!大きい!!」と感動した。目が釘付けになって、不安がわくわくに変換された。そこから先は非日常だった。
船内をレポするとしたら、そうだなぁ、「客船」って感じ。吹き抜けのロビーがあり、海を眺める窓とソファーがいくつもあり、海が見える大浴場があり、ビュッフェがあり、ランク分けされた客室があり、まさに動くホテルだった。大きい船だから揺れが少なく、酔うこともなかった。
最上階には外に出られるデッキがあり、さすがに船首には出られないものの、海の上を感じるには最高だった。ただゾッとするほど風が強く(風をしのげる場所もあったが)、本当に風が強く、手持ちの品を飛ばされてもおかしくない、何なら人間が飛ばされてもおかしくないなと思うことが何度かあった。ちなみに私は船への憧れをこじらせるあまり、旅行前にコスプレショップで白い軍帽を購入し、デッキで帽子被って写真撮ることを夢見ていた。結局ちゃんとそれっぽい写真は撮れたんだけど、マジで帽子が何度も飛んでいきかけて焦った。かなり無謀だったと思う。
基本的に、海を見るか、寝るか、読書するかで過ごしていた。今回は村上春樹『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を持ち込み、これを2泊3日かけて読むことをミッションとしていた。少しは小説を消費できる人間になりたかったから。小説をゆっくり読める旅なら船じゃなくても、例えば旅館に缶詰めでも良かったのだが、そんなことをしたら私は周辺を観光したくて外へ出てしまうので、身動きできない旅という意味で船が最適解だった。圏外かつWiFiも契約しないと利用できないというのも、退屈だったけど小説に集中できてよかったな。私みたいな人間はスマホで時間を浪費することが得意で困る。
結局『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』は、残りあと10ページくらい残った状態で帰宅した。あとちょっとだから今夜にでも読みたい所存。
1日目はなかなか寝付けず、午前3時に諦めて寝台から出て船内を探索した。個室ではなくカプセルホテルみたいにベッドが並ぶ寝台に泊まっていた。お客は少なくガラガラだったので快適だった。船内は一応24時間電気がついている。
午前3時、好奇心に負けて、あたたかい格好をして夜のデッキに出た。すぐ後悔した。別段海が荒れているというわけでもなかったが、夜の海はどこが水面かわからないくらい漆黒で、底知れない不安を掻き立てる。その上昼間とは比べ物にならない暴風が、物体を隙あらば吹き飛ばさんばかりの勢いで吹き荒れているので、なんかもうドアから出て4,5歩で回れ右した。マジで人間が飛ばされても誰も気づかないだろうし生存不可だしヤバい世界である。よく考えたら夜中にデッキに出ることができるのも不思議だ。星空観察どころじゃない。まぁ時と場合によっては穏やかな夜もあるのかもしれませんけど……。
外にビビり散らしたあとは、窓の近くのイスに座ってずっと本を読んでいた。睡魔が再び襲ってくる夜明け前、ふと日の出が見たいなと思い立って再度デッキへ。おそるおそるドアを開けた。風は大分収まっていた。何より、海とデッキの形が可視できるだけでこんなに安心して出られるとは思わなかった。太陽は偉大だ。
日の出は美しかった。今日も来たという安心感が胸を満たした。
2日目の夜、ちょっと退屈になって悶々とした時間があった。
こんな客船に若い女性の一人旅は珍しいのか、割かし声を掛けられる。それが楽しいときもあったけど、奇異な目で見られたり干渉されたりするのが鬱陶しいなと思うこともあった。
そんなときに書き残したメモがこちら。
「のんびりとした旅はイコール退屈だ。一人でいることは、世界を直接感じることだ。世界のあり方も、景色も、周囲からの反応も、誰かと一緒だったら希釈される。それが良かったり悪かったりする。よくも悪くも、一人旅は感じることが多い。どうしたらいいのかわからない。
船の中、私はよくイヤホンで耳を塞いだ。馴染みの音楽で外界から刺激を遮断する。妙に安心した。そうしないと寝られなかった。一体何から逃げているのかはわからない。物理的に私を害するものは無いというのに。形のないものがやんわりと恐ろしい。それはたぶん他人の視線、声、存在、可能性。つくづく一人旅というのは『観光属性』に向かないものだと思い知る。綺麗な内装は嬉しいし、洗練された設備には癒される。それでも、胸に差し込む暗い感情は、こういうところだからこそ感じるのだ。」
ガチ陰キャの一人旅は前途多難ですね。
書き残したあとは心のモヤモヤも多少は晴れたし、その後は小説と音楽と自分の世界に徹底的に没頭するようにしたので、モヤモヤする時間も減った。はじめからそれでよかったんじゃないかな…。
3日目、いよいよ上陸の日。
午前中に上陸だったので朝から荷物をまとめ、残りの時間は相変わらず小説の文字を目で追っていた。上陸1時間前、ふと窓の外に顔をあげると、これから上陸するであろう港が見えた。
人間は目的地を目にするとこんなにも心躍るのかと驚くくらいテンションが上がった。新天地がいよいよ迫ってくるワクワクは何物にも代えがたい。もう村上春樹なんて手につかなかった。急いで防寒具を着てデッキに登った。刻々と近づいてくる港を、目を輝かせて眺めた。ちなみにそんなことをしているのは私だけだった。デッキは相変わらず閑散としていた。
はじめての土地、はじめての地形、遠くに見える名も知らぬ高い山。嬉しくないわけがない。
そこからはあまりにも短い北海道観光である。翌日には帰らなきゃいけなかったので、観光というよりは美味しいもの食べてお土産買って帰るだけみたいなもんだったが、まぁ満足だった。ジンギスカン、札幌ラーメン、うに丼まで食べられたら誰だって幸せに違いない。
4日目、帰宅の日。
お昼ごろ、新千歳空港から名古屋まで飛行機で帰った。飛行機に乗るのは学生時代に台湾旅行に行ったきりである。何度目だとしても空を飛べるのは単純にうれしかったし、国内線ならではで高度が低いのも見どころだった。良い具合に日本を空から見ることができた。
離陸も楽しかったし(離陸時の重力やスピードはアトラクションみたいだけど、これは本物なんだという事実が何よりワクワクした)、景色はもっと良かった。高度がぐんぐん上がる中、上陸した苫小牧を発見し、北海道の地形のもの珍しさと美しさに感嘆した。本州は天気の影響で地形が見えるところは少なかったが、空から見る日本が新鮮で、窓の外を食い入るように見つめ続けた。
新潟から長野のあたり、ちょうど日本アルプスがそびえたつところ、雪を被った山脈が続いていて、その美しさに我を忘れて写真を撮った。山は美しい。それが遥か遠い星などではなく、技術があれば「いつかたどり着ける場所」なのが良いなと思った。大小さまざまな山に覆われた日本って、美しいんだな。帰りの手段に飛行機を選んだ自分を褒めた。こんなに素敵な景色に出会えるのなら、永遠に国内線に乗っていたい。
そう思うくらい、綺麗だった。
さて、愛知県に帰ってきて、ようやく「帰ってきた」実感が湧いてきた。
乗り慣れた電車に揺られて帰宅する。
電車の中で、この旅について考えていた。
景色の良い旅だった。良い景色を見て、おいしいものを食べる旅だった。そしてその景色に心躍らせる『私』が嬉しかった。遮るもののない朝焼けを美しいと思い、空と海の間でデッキを駆け回り、近づく見知らぬ土地に胸躍らせ、空から見る大地をこの上なく素晴らしいと思った。
今は、心が生き返ったような気分だ。
そう思うと涙が溢れた。イヤホンから流れる旅の音楽がいつもより染みる。旅の中で見てきた夢のような情景が確実に心に刻まれていると自覚して、まだ自分は捨てたものでは無いなと、まだ世界に感動できる神経があるんだと分かって、とてもとても嬉しかった。一人旅だから苦しむこともあったけど、この感動は希釈しない一人旅だからこそ手に入ったんじゃないかなと思う。私はやり遂げた。こんなに後味の良い旅ははじめてだ。
また現実に追われて疲弊するとしても、きっと立ち直れるだろう。海の向こうにある世界や、空の向こうから見える景色、それを「知っている」ことがどれだけ希望になるか。まさに「心臓をつくような風景」を、私は見たんだよ。
(今回の音楽)鳥になった少女 / 可不