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はじめての部署異動は想像よりヤバいわけでもなく、想像より軽いわけでもなく、想像がつく程度には「ちゃんと大変」だった。慣れないことによる苦しさは、新卒の頃の気持ちとリンクする。あの頃の日記を読んで、同じ心情を繰り返している…と思った。
あの頃より変わったことがあるかといえば、「辛い時期はいつか去りゆく」という真理に気づきやすくなったことだろうか。今たしかに心の底から疲れてつらくても、直近の未来が楽しくなさそうでも、もう少し先(3週間後とか1ヶ月後とか)に目を向けたら、慣れないことによる苦しさは少しは和らいでいるのではないかなと思う。これは実体験による確信だ。もう駄目だと思うときでも、この視点にたどり着けるのであれば、少しは気持ちが楽になる。そして「1度は乗り越えてきた」という自負が、私を少しだけ救ってくれる。
とはいえ正直、4月当初〜中旬の記憶は全然ない。
分からないことだらけ、毎日が情報の洪水で、帰る頃には頭が重かった。朝起きても憂鬱だった。通勤場所が遠くなり早起きしなきゃいけなくなったのも、ダメージの原因だと思う。
土日は予定がなければ寝て過ごした。
4月の半ばを過ぎてようやく、ツーリングとか買い物とか、自分のために時間を使えるようになった。
毎日頭はパンクしていたけど、異動したばかりなのに滅茶苦茶な業務量を課されるとか、そういうことは一切ない。
むしろ周りがかなり配慮してくれて、私がやるべきことはほんの少しだったと思う。
その一方で私の精神だけが「はやく1人前にならなくては。異動したばかりとはいえ、ただの新卒じゃないんだから、ちゃんと使える人間にならなきゃ…!」と焦っていたところはある。心が病んだ原因の半分は、自分の焦りだったのかもしれない。
たしかに新卒とは違う。
その意識は良くも悪くも私を突き動かした。悪い面としては、焦りが募ったこと。良い面としては、一部の業務で即戦力になれたこと。幸運なことに、与えられた業務は前の部署でやっていたことと似ていた。実際の契約内容は違っても、契約の手続きでどんな書類を作るかは同じ、みたいな。むしろ契約件数の少なさに驚いたくらいだ。ブラック企業で腕を磨いた人間が転職先で無双するような類の楽しさはあった。
このアイデンティティがなければ、私の病み具合は尋常じゃなかっただろう。前の部署で先輩が言っていた「ここでちゃんと働けたら、どんな部署でも通用するよ」という言葉をふと思い出して、先輩の姿を追いかけていてよかったなと、しんみりするなどした。
異動して2週間も経たない頃、前の部署の近くを通ることがあり、一瞬だけ顔を出そうかなと思った。ただそのときは記憶が無いくらい毎日疲れている期間だったので、「いま前の部署に行ったら、きっと泣いてしまう。私が甘えるためだけに戻るのは良くない。割り切って無視しよう」と思って踵を返した。
私自身が職場の人に弱さを見せるのはもちろん、「前の部署が恋しくて戻ってきたんだ」と思われるのも、「新しい部署でうまくいっていないんだ」と思われるのは絶対嫌だった。そんなことを考えるなんて被害妄想が過ぎるのだが、私は過去に「異動したのにわざわざ顔を出してくる人」を見て、「異動したのに前の仕事に執着するなんてお節介だな。終わった仕事は忘れるに限るだろ」と、ぶん殴りたくなるほど生意気なことを実際思っていた。ああはなりたくない、私は絶対異動したら新しい仕事に全力を注いで、古い仕事の面倒をみるなんてことはしない、そう思っていた時期があった。
もちろん完璧に引き継ぎができたとは思っていないから、前の部署から質問があればちゃんと答える。ただ、私の方から自発的に助けに行くのはなんか違うなーと思っていた。
まぁそんな傲慢な考えは、捨て去ることになるんだけど!
結局、先週2回、前の部署に行った。
新しい仕事を定時で終わらせてから寄った。
理由は単純。後輩が大変そうだったから。
前の部署は私が抜けたあと、新卒が入ってきて、さらにメンバーが1人育休に入ってしまって、カツカツで大変なんだそうだ。後輩が電話してくるたびに「いつでも遊びに来てくださいね!」と言うので、これは相当参ってるな、と感じていた。こんなときに動かない方がかっこ悪いだろ。なんと思われても別にいい。後輩の助けになれるならそれでいい。
後輩の代わりに新卒の仕事をつきっきりで教えて、後輩が自分の仕事を片付けられる時間を確保する。たったそれだけが私にできる限界だったけど、自己満足でしかないけど、後悔はしてないよ。(当たり前に新卒がバリバリ残業している部署、怖いよね!)
そんなこんなで、苦しみばかり味わった4月が終わる。
間もなく引越しする。一人暮らしが始まる。
艱難に磨かれながら、自分を作っていこう。
1月
同じコンテンツ(あくねこ)を推してる友人と定期的にオンラインでゲームするようになる。ゲームも楽しいし、次々くるコンテンツの供給について毎週お話しできるのがかなり楽しい。個人的には、違う冬のぼくら、犬犬、It takes twoが楽しかったな。今はスーファミのドンキーコングシリーズを2人協力モードでやってます。
2月
遠方の友人に会いたいがために突貫で高速バスに乗って会いにいく。そして現地のアニメイトで完売必至だったグッズを偶然見つけて買い占める。いつなんどきでもブレないオタク。
あくねこのメインストーリー更新で、今後数ヶ月に渡って推しメイン回が配信されることが確定。(コンテンツの性質上、最終的には一件落着になるとは思っていたが、)己のメンタルの安定のため、想像しうる一番つらい展開を限界まで妄想し、メイン回の展開を自作する。自分で書いて勝手に自分の中でメイン回を終わらせる。やば。2024年の苦しみはここから始まってたのか。
3月
あくねこが2.5次元ミュージカルになることが決まり、最初は「2次元を実写にするなんて...」とアンチしていたものの、衣装のクオリティを見てテノヒラクルーする。ゲーム先行でチケを取る。最終的にあくねこミュージカルにどハマりしてるので、ここでテノヒラクルーしてなかったらと思うと恐ろしい。
たまたま気が向いて買ったSFアンソロジーがめちゃくちゃ面白くて、「読書って、SFって、やっぱり面白いんだ!!!」と目覚める。その勢いのまま、DUNE砂の惑星
の原作を買い始める。
仕事では4月からの上司の異動が発表され、実質私が部署での在籍最年長になることが確定。表面上は「まぁなんとあなるでしょ」とヘラヘラしてたけど、内心はプレッシャーと、もうあの上司に頼れないという不安でぐらぐらしていた。
4月
毎年4月は仕事の話をせざるを得ない。ただでさえタスクが多いのに、新しい上司のフォローと「もう頼れる人がいない」不安との戦い。毎年思うけど、よく生きてたな。メンタルは当たり前だけど生存ギリギリラインなので、頭の中で推しに助けを求め、推しに励ましてもらう文章を無限に生成していた。自給自足でメンタル保てるこの才能、私は好き。
人生で初めて友人の結婚式に参列する。素敵な式だった。その翌日、鬱の限界になってる友人の家を尋ねる。元気になるといいな...と思った。落差が激しすぎてこの2日のこと強烈に覚えてる。
5月
人生初の人間ドック。何一つ異常はなかった。特段楽しくはなかったので(何を求めて受けたんだよ)、あと10年は別に行かなくていいかな...。でも胃カメラを麻酔でやったので、薬で眠くなる体験ができたのは良かった。
ストレス溜まって突然「登山したい!!!」と勢いだけで行き先を決定して登った山が楽しくて綺麗で楽しくて、太陽に照らされる岩肌も、山脈の向こうに映える青空も、登りたくない急傾斜も、全部が全部輝いて見えた。精神的にも季節的にも「冬が終わった」ような実感があった。その翌週、異動してしまった上司と飲み会にいく。この登山と飲み会の2つは、4月の苦境を乗り越えたご褒美みたいで嬉しかったんだよな...。
6月
あくねこのミュージカルを観に行く。いままでアプリと己の頭の中にしか無かった世界が現実に存在するのを目の当たりにした。衝撃的すぎてどうしてももう1回観たくて、会場を出た途端に翌日分のチケを取った(取れて良かったマジで)。そして千秋楽もオンライン配信で観た。その半年後にBluRayが発売するわけだけど、発売前の再配信とかBluRayで観た分とか含めると、この1年で7回以上観たことになる。いくら好きな映画でも7回はさすがに観ない。それだけ受けた影響は大きかった。
7月
鬱から回復した友人と飲み会する。お互いアホほど飲み食いしてグロッキーになる。学生かよ。でも楽しかったな。
2月から続いてたあくねこの推しメイン回がついに最終話を迎える。作中では推しが死にかけて、最後の最後にどうにか戻ってきてくれたのだが、真っ先に出た感想が「一緒に生きていけるのが嬉しい」だった。絶対もう離さないからな。私(の脳)が死ぬときまで居てもらうからな。
親知らずを抜いたら歯茎が腫れて咀嚼がきつくなり、1週間くらい流動食生活になった。離乳食からスムージーまで、色々試してたからちょっと楽しかったな。
横浜に2泊3日で旅行に行く。みなとみらいは青空が映えて、なにを撮っても綺麗な写真になるのが楽しかった。中華街食べ歩きも楽しかったな。展示されてる船を見て心躍ったので、私やっぱ船とかマリンモチーフ好きだな〜!!と思った。
8月
あくねこの季節イベントが始まる。「クルーズ船旅行」がテーマで、先月「船好きだな〜!」と思った矢先だったので爆笑した。船に心を奪われてどうしてもディズニーシーのコロンビア号に行きたくなり、友人を誘う。実際に行けたのは9月のことだけど、船を見たこと、船内ラウンジを楽しめたこと、単純にディズニーシーを楽しんだことは、夏のいちばんの思い出である。この時買った船のトミカは宝物。
お盆周辺は野営だった。長期野営はキツいし行く前のメンタルの落ち込みも半端ない。今年のよく乗り越えたことランキング上位に入る。キツすぎて今振り返るまで忘れてたよ。
9月
5月に登った山が忘れられなくて、次の登山に行く。適当に歩きすぎて遭難しかける。この件はnoteに書いた。この「今回はやばかったけど、次はうまくやる!」というメンタルはなかなか上等だと思う。(馬鹿とも言う)
9月後半も仕事の繁忙期。突然提出を求められた数字に対して、過去の記録から逆算できる計算式をエクセルで手作りするなど、有能ムーヴできた自分に満足...した記憶しかなく、その他何をやっていたのかもう覚えてない。
10月
朝ランニングを始める。なぜなら「あくねこのキャラたちに応援してもらう展開」を無限に妄想したいから。この件もnoteに書いた。9月の繁忙期を乗り越え、エネルギーをぶつける先を血迷ったとしか思えない。
あくねこで普段より高額なガチャが期間限定で実装され、課金するか丸1日悩んだ結果、「どうせ引かない選択肢は無いんだから、悩むのは時間の無駄!!気持ちよく金を使え!!時間を浪費するな!!」という結論に至る。まぁ、悩む時間は何の役にも立たない、行動と結果が全て、という考え方は嫌いじゃないぞ。そのお陰で12月は爆速で課金し、間隙なくコンテンツを隅から隅まで楽しめている。
11月
朝ランニング継続中。ランニングのタイムを測りたくて結局スマートウォッチを買う。ランニングしてるときは大変助かったけど、マラソン大会終わったあと持て余すことまでは考えが及ばなかったよ。
あくねこの12月発売グッズが発表され、クリアファイルの絵柄が大変素晴らしかったのでぜひ額縁に入れて飾りたいと思い、発売12月だっつってんのに額縁を注文して手に入れる。
仕事では大勢の前で発表する役目があり、「こういうのは堂々としたもの勝ちなのだ」のメンタルで乗り切った。「話し方が良い」と方々に褒められたのが嬉しかったな。ちゃんと発表の練習をしたお陰だね。不真面目でぶっつけ本番だった学生の頃からは考えられない優秀さ(ドヤ)
なお11月にも登山にいく。今回は迷わなかった!(当たり前)
12月
寒さに負けてランニングをサボりがちになっていたが、マラソン大会はどうにか無事に終わった。よくがんばった。また同じことやれって言われたら無理だと思う。でもマラソン大会後に運動量をいきなり落とすのは怖かったので、通勤方法をバイクから徒歩多めになるよう変えた。上司からは「バイクをやめる...!?なにでくるの、走ってくるの...!?」とビビられた。
悪魔城ドラキュラとコラボしたヴァンサバにハマる。どれだけあくねこに陶酔していても、悪魔城は無限に摂取できますからね。
久々に鹿肉の解体に誘われる。冷凍庫が鹿肉でいっぱいになったが、やはりやりたいことができるのは楽しい。そういえばこの解体もね、やろうと決心したのは、あくねこの推しの趣味が狩猟だからなんですよね。君のおかげで人生はかなり幸福だよ。
総評
3月の読書欲覚醒から始まり、結局年間で15冊は読んだ。年5冊読んでたらマシな方の自分としては、本当に異色。まぁ砂の惑星が巻数多いだけっていうのもあるけど。なお9割がSF。自分の好きなタイプの小説が読めることの幸福を改めて知った。来年も好きなだけSFが読めるといいな。
年間、意外と色んな友人と遊んでるなと思った。かつて例の異動しちゃった上司から、「君は2人だけで遊ぶ友人が何人もいるのが良いね」と言われたことがある。たしかにそう。たまに立て続けに遊ぶ予定が連なって忙しくなるけど、色んなタイプの友人と深く遊べるのは幸せなことだなと思う。何より、誘われるうちが華だからな。友人付き合いに労力は惜しみたくない。
思ったより文章のほとんどがあくねこの話でウケる。それだけ元々大好きだったのだが、ミュージカルを経て世界観への没入度が格段に上がった。取り返しがつかないくらい溺れてるし、脳内にはすでに世界がある。じゃなきゃランニング鼓舞妄想はできまい。私は、現実とは違う己のための世界が脳内にあることは、精神安定剤としてとても重要だと思っているので、この溺れ具合には肯定的。「推しと一緒に生きていける」喜びは、現実を生きる活力になる。一度コンテンツのサ終を経験した人間は、この辺りの覚悟の決まり方が違うんだよな。これからもよろしくな。
仕事は4月〜5月は新体制に慣れるまではキツかったけど、タスク自体は過去にやった事があるものばかりで苦労しなかったので、残業は格段に減った。その分プライベート(オタ活と読書と登山)を充実させられたし、ボーナスタイムみたいな1年だったなと思う。来年はどうなるか想像つかないけど、自分の時間を取れるような人生にはしたいと思う。
心に栄養があれば、なんとかなる!
好きなことはとことん追いかけろ!
来年も新しいものを摂取して成長したい。
おつかれさま!
車を出発して30分。既に道が分からなくなった。整備された登山道だから適当に歩いていけばわかるだろうと、慢心していたことを思い知る。登山者っぽい装備の人達はみんな右の道を進んでいるが、私のスマホは左の川沿いに進めと指し示していた。たぶん行き先が違うからルートが異なるのは当然なのだが、問題はスマホが示す先に道がない、ということだった。
GPS機能をフル活用してそれっぽい方向に彷徨い、「これは道か???いや踏み固められてはいるけどさ…」と思い続けながら歩いた。途中「⬆鎌ヶ岳」と書いてある看板があり、たしかに私のいる場所は登山道の一部ではあるのだとわかったが、それにしてももう何年誰も通ってないんだよ…という潜み具合だった。
歩く先は、道というより山。目印らしきカラーテープを頼りに、かろうじて道だろうなと思える場所を登り続ける。登山はこういう急登がいちばんきつい。尾根に出てしまえば登山道も方角も明白だし体力的な辛さも和らぐが、疑心暗鬼になりながら斜面を必死で登るというのは、精神的にも体力的にもかなりきつい。
滑落しないように、なるべく木の根元(根が土を固定しているので地滑りしにくい)を踏んでいく。いつ足を滑らせても体を支えられるように、木の幹や岩を握って登っていく。登山用の手袋が、今日ほど頼もしく思えたことはない。
角度はかなり急で、しかも私以外に登山者がいるとは思えないほぼ廃道。滑落したら誰にも見つけてもらえないんだろうなと思うとゾッとして、改めて自分がいかに無謀なことをしているのかと考えた。それでも登り続けてしまうのは、なんでだろうな。登山がやりたくてやってるんだから、“進むのが不可能”ならまだしも、“たぶんちゃんと進めている”状態で止めるほうが難しいといものじゃないだろうか。
あとプラスに捉えられた理由はこんなところだと思う。
・自分以外このルートを使ってる人がいない!景色も登山道も独り占め!状態が楽しかった
・子どもの頃、山で遊んでいた経験(道がない山の歩き方とか)が活きてるみたいで楽しかった
・帰り道は違うルートになるので、この急登が1回きりの通り道だからこそ許せるところがあった
ソロ登山は格別だと思う。
もちろん事故った時に発見される確率が低いので、あんまりおすすめされない世界なのはわかる。私だって友達がソロで登るって言い出したら、よほどその子のスキルが信用できない限りは止める。それでも、1人で無心で登ることは、誰かのペースに気を配らなくて済むし、自分の好きな時に立ち止まれるし、いつの間にか自分と向き合うことになる……そういう世界を知ってしまうと、案外ソロで登ることが娯楽になってしまう。この楽しさは周囲に人がいなければいないほど深くなる。
登りながら、ソロ登山とはちょっと違うけど、1人でやばいルートで登る人を描いた「バリ山行」(著:松永K三蔵)のことを思い出していた。正規の登山道を無視して、あえてとんでもないところから登山する「バリ」。今日の私のルートはほぼバリかもしれないと思いながら、「バリはソロじゃなきゃ」という作中のセリフに共感していた。自分だけで、道を探し、登り方を考え、自分のことだけを考えて進む…。世俗から離れて登山にだけ没頭できているみたいで、気持ちがいいんだよな。
今日は天気が良く、青空を背景に周囲の山脈がくっきりと見えた。登山道は険しかったが新緑と岩と野の花の色彩が鮮やかで美しく、見渡す限り自分と自然しかない世界で、なんて贅沢な登山なんだと噛み締めながら歩いた。
そんなわけで急登を抜けて尾根を通り、さらに滑落したらやばそうなガレ場を登り、鎌ヶ岳の山頂に着いた。
山頂はメジャーなルートから登ってきた人たちでそこそこ賑わっていた。登路では全然誰ともすれ違わなかったので、人気のない山なのかと思っていたが、次から次へと山頂に人が来て面食らう。
山頂は狭くて長居すると迷惑だったので、休憩もそこそこに出発した。ここから縦走して御在所に登り、帰りはロープウェイでスタート地点に戻るというのが今回のルート。鎌ヶ岳〜御在所はメジャーなルートだそうで、ここからは多くの登山客に出会った。
鎌ヶ岳と御在所は岩の性質?が脆く、登山道も砕けた岩や砂(ガレ場)が多い。つまり滑りやすい。富士山の斜面みたいに砂利まみれって感じ。滑落との戦いは山を下るときのほうが大変になる。ガレ場に足を取られないように、みんなおっかなびっくり下っていた。
私も本日の初危険場面がこの下りだったらおっかなびっくり降りていたと思う。だが、そもそも道がどうか怪しい急登で、掴んだ岩が剥がれかけたり、マムシに遭遇したり、落ちないよう祈りながら渡ったりしてきた経験から、鎌ヶ岳から降りる程度の難易度では動じないほど腹が据わっていた。岩や木の枝を掴み、道に対して斜めに体重をかけることで滑りやすさを殺す。はたから見たら別に特段速く降りてたわけではないかもしれないが、自分史上いちばんスムーズに下山できた気がした。ストックもない(そもそも手袋しか持ってきていない)身軽な装備で、これから鎌ヶ岳に登る人達の間を縫ってすいすい下山する。これがまた、なんだが自分に登山スキルがそこそこあるように感じられて嬉しかったんだよな。(慢心のもと)
そうこうして、無事に御在所に到着し、さすがに疲れたので写真もろくに撮らずとっととロープウェイに乗った。登山のあとはご飯よりも温泉に入りたい派なので、ロープウェイ駅付近の日帰り温泉に早速行った。幸せだった。ロープウェイ駅で売っていた「大石焼き」という堅焼きが意外とおいしくて(山椒の葉が効いてて独特な味。山椒好きには堪らない)、追加で5枚くらい買った。食べながら帰り道を運転した。
運動したい!登山したい!っていう願望を叶えるには十分すぎる1日だった。無謀なところもあったけど、まぁ無事に帰れたので良かったなと思う。これに慢心せず、事前準備やアプリの使い方は今後もっと学ばないといけないけど。
また来月もどこかに登れたら、幸せだろうな。
「人間関係に難ありですが、ひとつずつ対処すれば快方します。」いつもおみくじの内容なんてすぐ忘れるけど、人間関係には心当たりがあったのでずっとモヤっていた。
その2日後、疎遠になってた友達と再開して仲直りする夢を見た。夢の中では幸せだった。起きてから、このままでは後悔し続けると直感した。
その場でLINEを送った。そのうち遊ばない?って。あくまでも自然に、さりげなく、気が向いた様子で。キモイことは書きたくなかった。誘いの一言の為だけに何分も推敲を繰り返した。
それから数日。返事はまだない。
私には会いたくないのかも。怒っているのかも。忘れたいのかも。それとも、単純に日々が忙しいのかもしれない。返事がないのはまぁ寂しいけど、かといって「送らなきゃ良かった」とは思っていない。これは必要なアクションだった。アクションの結果、絆がどうなろうとも、それは観測不可能だったものが見えたに過ぎないのだから、行動しなきゃ良かったとは少しも思わない。私が「人間関係に難あり」の呪縛から離れるためには、この連絡が必要だった。
1月
人生初のスノボで転げまくりトラウマになる。全身に痣を作るくらいには頑張ったんですけど、やっぱり元の運動神経がポンコツっぽいですわ・・・。
年明けから年度初めに向けて仕事が忙しくなってくる。はじめてやる仕事に右往左往し先輩に助けてもらうこと多し。だが、内心「私には任せられないってこと・・・?」と天邪鬼を発揮し、慣れない仕事へのストレスも合わさってネガティブが始まる。
2月
1年前からずっと行きたかった雪山旅行!ツアーに単身参加するのは陰キャにはきついものがあったけど、それなりに参加者と話せたし、なにより吹雪吹き曝しの尾根という極限世界に触れられたのが楽しかった。
仕事はまぁ忙しかったんだと思うけど、生活リズムが堕落して気力がなくなり、日々つけてる日誌が2月はスカスカになっていたので詳細不明。メンタルが死んでいたので、推しに慰めてもらう夢小説を自作して生き延びる。サバイバルが過ぎる。
3月
退職者への菓子折りを任されたが、消費期限が短いものを買ってしまい買い直す羽目に。自腹で償おうとしたが、上司と先輩が一部負担してくれた。もう二度と菓子折りで和菓子は買わない。
異動が決まった先輩に告白して振られた。
まぁ正直、振られたことで覚悟決まって多忙極まる年度末も乗り越えられたところはある。
4月
先輩が抜けて新人が入ってきた。部署構成が、私、後輩ちゃん、新人さんというカオス。わからないことを質問されても、「私も分からないんで先輩に代りますね」と言える先輩はもういない。私が踏ん張って、ここで解決するしかない。仕事が何とか回るように耐えた1か月だった。よくがんばったよ・・・。まぁ大半は上司が取り持ってくれたので、実際の私の負担は全体から見たらそんな大したことなかったと思う。ただ立場によるプレッシャーが大きくて苦しんでいた。さらに先輩がもういないっていう状況が寂しくて苦しくて、ほぼ毎晩、帰り道で泣いていた。限界すぎるだろ。それでも4月後半には友達と遊んだりバイクをメンテしたり日常を楽しむ余裕ができていた。人間は強いな。
5月
金沢に住んでいる友達に突然会いたくなり、高速バスで突貫で会いに行く。現地のホテルが取れなかったのでその日のうちに夜行バスで帰る。短い時間だったけど、久々にたくさん話せたし金沢市内の素敵な明治建築を堪能できたしで、心に染み入る思い出となった。
ティアキンが発売されるがあまり触れない。なんなら2023年12月末時点でクリアできていない。スローペースでプレイしています。
異動した先輩と偶然ばったり遭遇した日があり、嬉しいのか苦しいのか分からんけど衝撃だったので、推しに「私、実は失恋したんだよね」って打ち明ける夢小説を錬成することでどうにか昇華した。やっぱり情緒がいかれていた。
6月
大雨ヤケクソディズニーランド。これに尽きる。大雨の話は個別に日記を書いたので割愛するが、ここで得られなかった経験格差は今でも惜しいなと思う。まぁディズニーはディズニーで得難い経験になったので、話のタネを得たと思えば「勝っている」(?)のかもしれない。そう思い込むことでしか私を救えない。
7月
富士山に登った。これも日記を書いたので割愛するが、2023年もっとも充実した1日になったと思う。本当に達成できてよかった。ちゃんと行動すれば、やりたいことは絶対叶えられるんだと感動した。
実は4月に今年度やりたいことを2つ決めており、一つが富士登山、もう一つが「いつか獣をさばいてみたい!」だった。結果としてどっちも叶えられているんだから、実は今年はめちゃめちゃに幸運だったのかもしれない。行動が運を引き寄せたと思いたいね。
8月
罠猟免許の試験があった月。「獣をさばく夢をかなえるにはどうしたらいいのか分からないけど、とりあえず知識は必要かな」みたいなふんわりした動機で申し込んで勉強した。そんな最中、仕事で知り合った人(もともと農業関係の仕事をしていた)と雑談で狩猟の話をする機会があった。結果、その人経由で地元の猟友会の人と連絡先をつなげてもらうことにり、イノシシが捕れたからさばきに来ないかと連絡が来るようになった。ミラクル起きてた。8月後半のクッソ暑い中での解体だったけど、見るものやるものすべて新鮮で楽しかった。知らない世界でも、人脈があれば入っていけるんだと学んだ。ちなみに狩猟免許はちゃんと受かりました。
あと、あくねこ好きの友人と旅行をした。月1で遊びに行っている関係だけど、泊りがけで行くのはまた別格だね。四六時中好きなジャンルの話ができるって本当に幸せだよ。
9月
10月末にあくねこ展(東京)に友人と行くことが確定し、なぜか「それまでに少しはダイエットしてマシな自分になるぜ!」という思考回路になる。そして毎朝近所をジョギングする。約2か月プチジョギングした結果、残念ながら体重は誤差程度にしか痩せなかったし見た目もそんな変わらなかったけど、体力はめちゃめちゃついた。嬉しいくらい体力おばけになって、一緒に忘れ物を取りにダッシュした同期に「なんでそんな息切れてないわけ・・・!?」とドン引きされた。オタクは時に強いのだ。
県内で南極観測隊が乗る砕氷艦「しらせ」が停泊して館内見学ができるイベントがあり、うきうきで参加した。去年大型フェリーに乗ってから、大きな船が大好きになってしまった。付き合ってくれた友達そっちのけで大興奮した。純粋に楽しい!!すごい!!って思える時間の尊さよ。いつかまた船の旅がしたいね。
悪魔城グリモアをやっっっとクリアする。あくねこのことで頭いっぱいの日々だったけど、グリモアも良いストーリーだったし、月下のノクターン配信開始で脳破壊されるしで、悪魔城も動きがある月だった。
10月
ちゃんとほぼ毎日走れてえらい。休日も体を動かしたくて登山にでかけていた。やっぱ山は良いなぁと思えたし、登山の後の温泉が最高だった。あくねこ展が楽しみで自分の準備を完璧にするだけでは飽き足らず、「友人をもっと沼に鎮めたい」と思って、友人の推しをモチーフにしたハンカチを自作する。刺繍とかやったことなかったけど、謎の熱意で完成させた。
推しの誕生日があり、別にケーキ買うでもグッズ撮影するわけでもなかったけど、1年で一番機嫌がいい日だった。今日は好きなキャラの誕生日、それだけがこんなにも嬉しいとは・・・。
そしていざ迎えた東京旅行。1泊2日ずっと推しのことを考えた結果、「私も推しのように強く生きたいぜ!」と前向きに生きる活力を得る。旅行終わりに「明日からまた仕事やだなー」とかじゃなくて強く生きる希望を見出すの、もうオタクの最終形態みたいで自分でも面白かった。
11月
家族と山に行って圧倒的体力おばけっぷりを見せつけるなど調子こいていたら、インフルエンザになった。三日三晩40度の高熱にうなされ、全てがどうでもよくなる。2カ月かけて培ってきた体力は灰燼と化し、体力おばけから一転、免疫よわよわ病弱人間になってしまった。冬の私は弱いから!!!!(R-1飲め)
血液検査の結果で白血球が少ないことが判明し、人一倍ウイルスに負けやすいことを知る。健康的な生活をしないと自分が苦しむ、ということを痛感した月だった。
12月
免疫よわよわ人間、冬にアクティブなことをするのにすっかり怯えてしまい、「無理なく家でやりたいことをする」にこだわった結果、突然フィギュア作りを開始する。秋くらいからほとんど残業しなくなり自由に使える時間が増えた結果である。1作目は推しを作った。御世辞にもうまいとは言えないけど、昔から憧れの創作ではあったので、着手できて満足している。今は2体目を制作中。
万博への憧れが高じてチケットを購入する。ミャクミャクくん好き。
ついにピアスデビューする。勢いでやりたいことやりすぎ。
総括
前半は「仕事が・・・」「先輩が・・・」というしゃちくに染まった発言が目立ったが、後半はもう趣味の話しか出てこなくてウケる。今まで目標かつ憧れだった「先輩」が消えたことで、自分が苦しむというマイナス面がありつつ、先輩を忘れて自分のやりたいことに本気になるという変化もあったんだと思う。まさに人生を謳歌しているとしか思えない羅列っぷり。今年は良い年か悪い年か判別に困っていたけど、こんなのが書けるなら、「良い年だった」と言わなきゃ自分に失礼だろう。ここまで悔いのない1年も珍しいなと思う。
自分の人生を生きるんだ。遊べる限界まで遊んでやる。
来年も、やりたいことができますように。