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日記、感想、オタ活・・・ごちゃまぜ雑多の物置蔵
遠藤周作『沈黙』
キリスト教迫害下の鎖国日本に潜り込む司教の話。数ヵ月前にキリスト教の概要を学びたくて読んでた本で紹介されていて気になっていた。

 第一に、「『海と毒薬』といい、こんな重たいテーマに向き合って書き切れる遠藤周作すげえ...」という気持ちがくる。もう主人公が日本に潜入した時点で、この先明るいエンディングなどないことはわかりきっている。あるのは「いつ捕まるのか」「彼は無事でいられるのか」という強い不安と暗い未来。そしてその暗い感情に没入させる手法がすごい。(まえがきの掴み。主人公による書簡でしばらく語られることによる没入感。そして主人公が手紙を書くどころではなくなったところで三人称視点の語りに切り替わる→三人称だからこそ味わえる「明らかなるが故の絶望」...三人称視点で語りが始まった時ぞわぞわした。この先で良くないことが克明に語られる予感ゆえ。)ずっと作品自体の重さと強度に圧倒されていた。

 この語りのテクニックがすごい!っていうのがもっとも強い感想かな。以下はその他雑多の感想。

・「それよりも彼は(中略)フェレイラの誘惑に負けてはならなかった。」って表現すごいよな。三人称で語っているはずなのに、この文章だけで自分を律して葛藤していることがよく分かる。痛切なシーンであることも相まって特に心に残る一文。

・「たしかに基督は、彼らのために、転んだだろう」このセリフが出てきた瞬間のエクスタシーよ。このセリフによって、この残酷な物語を読み進めて溜まりに溜まったモヤモヤが氷解した。私はこれが聞きたかったんだ。それを口にする人間に登場してほしかったんだ。私の信仰はここにあった(お前キリスト教徒ちゃうやろ)

・タイトル「沈黙」は秀逸。クライマックス、ロドリゴが踏絵する瞬間に、彼の中に神は語りかける。ここが救いだなと思う。己の中に息づく信仰とはこうあるべき。信仰とは、物理的に自らを救う奇跡を願うことではい。神の国とは極楽浄土ではない。神は「沈黙して救ってくれない」のではなく...そんなことを信じることがそもそも違ったのだ。この瞬間から、ロドリゴの言動に一貫性と「己」が出てくるのが好き。そしてこのあと訪れるロドリゴの精神的な悟りを描くために、この物語が必要だったんだ。

・ちなみに日本のやばい拷問で逆さ吊り(作中では「穴吊り」)ってのがあるっていうのは中学のとき授業で聞いて知っていた。土方歳三もやっていたという逸話で。

・私がキリスト教のことを知ろうと読んだ本には、『沈黙』についてこう書いてある。「沈黙はふつうは『手をこまねいて何もしない』という意味の場合が多いが、この文章での沈黙は逆であり、まさに神がここにいることを示すしるしとなっている。『沈黙』のクライマックスでの沈黙も、神がまったく助けてくれないという意味ではなく、神がここに現存しているという意味で使われているのである。」まぁ正直この文章が言いたいことは表面しか理解できないのだが、この本が『沈黙』をあたかもバッドエンドではない風に紹介してくれていたおかげで、凄惨なシーンで挫折せずに乗り越えることができた。神の気配とは何かを知るには読了せねばなるまい、その一心で読み進めた。

・ちなみに最後の怒涛の漢文はさすがに読み解けずネットの解説に頼った。


 先の読めない不安を味わえる初読が一番輝く作品だなと思う。
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